ファルコン・へヴィー、初打ち上げに成功

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    SpaceX's Falcon Heavy Blasted Off

     

    スペースX社の超大型ロケット、ファルコン・へヴィーの試験打ち上げが成功しました。ファルコン・へヴィーは26日午後345分(アメリカ東部時間)、ケネディ宇宙センターの39A発射台から打ち上げられました。

     

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    1973年のサターン5型ロケット以来のパワフルなロケット打ち上げでした。ファルコン・へヴィーの第1段は3本のコアロケットからなります。合計27個のエンジンが2250t以上の推力を生み出します。

     

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    1段の2本のサイドコアの着陸シーンは見事でした。まるでCGのようです。なお、センターコアの洋上着陸はうまくいかなかったようです。

     

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    燃焼が終了した第2段エンジンです。

     

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    ロケットの試験打ち上げでは、通常、ペイロードとしてダミーウェイトが搭載されますが、スペースX社は特別のペイロードを搭載しました。赤のテスラ・ロードスターで、運転席にはクルー・ドラゴンの搭乗員用の与圧服を着た「スターマン」が乗っています。ペイロードは火星に到達する太陽周回軌道に投入されます。

     

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    このようなシーンは宇宙開発の歴史で1度も撮られたことはありません。これが本当に宇宙空間で撮影されたわけですから、とてもエキサイティングです。スペースX社は宇宙開発に新しいハードウェアだけでなく、新しいカルチャーももたらしているといえます。

     


    サリュート 7:画家としてのウラジーミル・ジャニベコフ宇宙飛行士

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      Salyut 7Cosmonaut Vladimir Dzhanibekov as an Artist

       

      映画『サリュート 7』の主人公のモデルとなっているソ連時代の宇宙飛行士ウラジーミル・ジャニベコフさんは画家としても知られています。宇宙飛行の際に受けた印象が、彼の作品のモチーフになっています。下の作品の左は発射台に向かう宇宙飛行士を、右はソユーズロケットが発射台を離れて上昇していく際の印象を描いています。

       

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      下の作品は、宇宙空間に到達した宇宙飛行士です。

       

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      彼はどのようなことを考えているのでしょうか。ジャニベコフさん自身は宇宙を飛びながら、宇宙開発の成果がまだ人類共通の財産とならないことが気になっていたと述べています。「たとえば、アフリカの人々はまだその恩恵を受けてはいないのです。アフリカの上を15分も飛べば、サバンナに35から40の焼き畑の煙を見ることができます。その煙はときとして大西洋を越え、アメリカの海岸にさえ達しているのです」。


      NASAの特別な日

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        NASADay of Remembrance

         

        今年もまた、NASA ”Day of Remembrance” がやってきました。宇宙に挑んで生命を落とした宇宙飛行士たちに思いをはせる日です。

         

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        この時期はNASAにとって特別な意味をもっています。NASAの宇宙飛行士が死亡した3度の事故がこの時期に集中しているのです。

         

        1967127日、ケネディ宇宙センターの発射台で訓練をしていたアポロ1号で火災が発生し、クルーのバージル・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィー(下の画像、左から)が死亡しました。電気系統のショートが原因でした。宇宙船内では純粋酸素が使用されていたため、炎は瞬く間に広がり、飛行士は脱出することができませんでした。このころ、アメリカは1960年代が終わらないうちに月面に人間を送るアポロ計画を強力に推し進めていたのですが、この事故でアポロ計画は一時大きな危機を迎えることとなりました。

         

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        1986128日には、スペースシャトル・チャレンジャー(51-L)が発射台を離れて73秒後に爆発し、7名のクルー、エリソン・オニヅカ、マイケル・スミス、クリスタ・マコーリフ、フランシス・スコビー、グレゴリー・ジャービス、ジュディス・レズニク、ロナルド・マクネア(下の画像、左から)の生命が失われました。原因は寒波が訪れていた時期に打ち上げたために、Oリングとよばれる固体燃料ブースターのゴム製の部品が弾力性を失い、燃焼ガスがブースターから噴き出してしまったことによるものでした。この事故によって、スペースシャトルは28か月の間、飛行が中断しました。

         

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        そして2003年の21日、地球に帰還するスペースシャトル・コロンビア(STS-107)はテキサス州上空で空中分解し、7名のクルー、デイビッド・ブラウン、リック・ハズバンド、ローレル・クラーク、カルパナ・チャウラ、マイケル・アンダーソン、ウィリアム・マックール、イラン・ラモン(下の画像、左から)の生命が失われました。事故の原因はスペースシャトル左翼前縁のRCC 耐熱材の破損によって、大気圏再突入時の高温ガスが機体内に侵入したためでした。事故後、シャトルの飛行は26か月にわって中断されました。

         

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        コロンビア事故から約1年後、NASA2機の火星探査機が火星に軟着陸しました。200414日に着陸したスピリットのハイゲイン・アンテナの裏側には、コロンビア事故で命を落とした7名をしのぶ銘板が貼られていました。また、スピリットが着陸した場所はコロンビア・メモリアル・ステーションと名づけられました。コロンビア・メモリアル・ステーションからは地平線はるかに丘陵地帯が見わすことができました。その丘陵はコロンビア・ヒルズと名づけられ、それぞれの丘にクルーの名がつけられました。スピリットはその後、その1つであるハズバンドヒルを登ることになりました。また、着陸地点の西に見えた3つの丘陵にはアポロ1号のクルーの名前がつけられました。

         

        125日に軟着陸したオポチュニティーの着陸地点は、チャレンジャー・メモリアル・ステーションと名づけられました。

         

        月の裏側にはアポロ・ベイスンとよばれる大きなくぼみがあります。このベイスンの中にあるクレーターには、アポロ1号、51-L のクルー、STS-107 のクルー、そして月着陸を目指しながら果たせなかったアポロ13号のクルーの名がつけられています。

         

        こうし地球以外の天体上の地名によっても、宇宙飛行士たちの名は永遠に歴史にとどめられています。



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