サリュート 7:画家としてのウラジーミル・ジャニベコフ宇宙飛行士

0

    Salyut 7Cosmonaut Vladimir Dzhanibekov as an Artist

     

    映画『サリュート 7』の主人公のモデルとなっているソ連時代の宇宙飛行士ウラジーミル・ジャニベコフさんは画家としても知られています。宇宙飛行の際に受けた印象が、彼の作品のモチーフになっています。下の作品の左は発射台に向かう宇宙飛行士を、右はソユーズロケットが発射台を離れて上昇していく際の印象を描いています。

     

    20180204_01.jpg

     

    下の作品は、宇宙空間に到達した宇宙飛行士です。

     

    20180204_02.jpg

     

    彼はどのようなことを考えているのでしょうか。ジャニベコフさん自身は宇宙を飛びながら、宇宙開発の成果がまだ人類共通の財産とならないことが気になっていたと述べています。「たとえば、アフリカの人々はまだその恩恵を受けてはいないのです。アフリカの上を15分も飛べば、サバンナに35から40の焼き畑の煙を見ることができます。その煙はときとして大西洋を越え、アメリカの海岸にさえ達しているのです」。


    NASAの特別な日

    0

      NASADay of Remembrance

       

      今年もまた、NASA ”Day of Remembrance” がやってきました。宇宙に挑んで生命を落とした宇宙飛行士たちに思いをはせる日です。

       

      20180127_01.jpg 

       

      この時期はNASAにとって特別な意味をもっています。NASAの宇宙飛行士が死亡した3度の事故がこの時期に集中しているのです。

       

      1967127日、ケネディ宇宙センターの発射台で訓練をしていたアポロ1号で火災が発生し、クルーのバージル・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィー(下の画像、左から)が死亡しました。電気系統のショートが原因でした。宇宙船内では純粋酸素が使用されていたため、炎は瞬く間に広がり、飛行士は脱出することができませんでした。このころ、アメリカは1960年代が終わらないうちに月面に人間を送るアポロ計画を強力に推し進めていたのですが、この事故でアポロ計画は一時大きな危機を迎えることとなりました。

       

      20180127_02.jpg

       

      1986128日には、スペースシャトル・チャレンジャー(51-L)が発射台を離れて73秒後に爆発し、7名のクルー、エリソン・オニヅカ、マイケル・スミス、クリスタ・マコーリフ、フランシス・スコビー、グレゴリー・ジャービス、ジュディス・レズニク、ロナルド・マクネア(下の画像、左から)の生命が失われました。原因は寒波が訪れていた時期に打ち上げたために、Oリングとよばれる固体燃料ブースターのゴム製の部品が弾力性を失い、燃焼ガスがブースターから噴き出してしまったことによるものでした。この事故によって、スペースシャトルは28か月の間、飛行が中断しました。

       

      20180127_03.jpg

       

      そして2003年の21日、地球に帰還するスペースシャトル・コロンビア(STS-107)はテキサス州上空で空中分解し、7名のクルー、デイビッド・ブラウン、リック・ハズバンド、ローレル・クラーク、カルパナ・チャウラ、マイケル・アンダーソン、ウィリアム・マックール、イラン・ラモン(下の画像、左から)の生命が失われました。事故の原因はスペースシャトル左翼前縁のRCC 耐熱材の破損によって、大気圏再突入時の高温ガスが機体内に侵入したためでした。事故後、シャトルの飛行は26か月にわって中断されました。

       

      20180127_04.jpg

       

      コロンビア事故から約1年後、NASA2機の火星探査機が火星に軟着陸しました。200414日に着陸したスピリットのハイゲイン・アンテナの裏側には、コロンビア事故で命を落とした7名をしのぶ銘板が貼られていました。また、スピリットが着陸した場所はコロンビア・メモリアル・ステーションと名づけられました。コロンビア・メモリアル・ステーションからは地平線はるかに丘陵地帯が見わすことができました。その丘陵はコロンビア・ヒルズと名づけられ、それぞれの丘にクルーの名がつけられました。スピリットはその後、その1つであるハズバンドヒルを登ることになりました。また、着陸地点の西に見えた3つの丘陵にはアポロ1号のクルーの名前がつけられました。

       

      125日に軟着陸したオポチュニティーの着陸地点は、チャレンジャー・メモリアル・ステーションと名づけられました。

       

      月の裏側にはアポロ・ベイスンとよばれる大きなくぼみがあります。このベイスンの中にあるクレーターには、アポロ1号、51-L のクルー、STS-107 のクルー、そして月着陸を目指しながら果たせなかったアポロ13号のクルーの名がつけられています。

       

      こうし地球以外の天体上の地名によっても、宇宙飛行士たちの名は永遠に歴史にとどめられています。


      『サリュート 7』:ソ連時代の宇宙開発を楽しむ

      0

        Salyut 7CCCP in Space

         

        ソ連時代の宇宙ステーション、サリュート7号のレスキュー・ミッションを題材にした『サリュート 7』を観てきました。素晴らしい映画でとても楽しめました。

         

        20180123_01

         

        もちろんこの作品は完全なドキュメンタリー映画ではありません。実際に何があったかは、ここここここを読んでいただければ、おわかりになると思います。

         

        『サリュート 7』について少しふれると、この作品で重要な役割を演じている管制センター(TsUP)のフライト・ディレクターは、宇宙飛行士のワレリー・リューミンがモデルになっています。サリュート内がどのくらい寒いかを調べるために唾をはくシーンが出てきますが、実際にあったエピソードのようです。サリュート内に隠してあったウォッカを飲むシーンも出てきました。現在の国際宇宙ステーション内ではアルコール禁止です。ソ連時代の宇宙ステーションでも禁止されていましたが、宇宙飛行士はひそかにウォッカやブランデーを持ちこんでいました。宇宙飛行士本人から聞きましたから、間違いありません。時代は違いますが、ソユーズ1号のコマロフと妻ワレンチナの会話のエピソードも使われています。

         

        地上から送られてきた音楽は、Zemlyane(ゼムリャーネ)の「トラヴァ・ウ・ドーマ」(わが家の芝生)です。今でも宇宙飛行士がコスモノート・ホテルを出発する際に必ず流される音楽です。コスモノートのテーマソングといえるでしょう。

         

        エンドロールでは、ソユーズT-13号ミッションのフッテージが流され、ジャニベコフやサビヌイフ、そしてリューミンなどの姿が見られました。久しぶりにソ連の宇宙開発の世界にひたることができました。こうした映画を観ると、長い間、宇宙開発を取材してきてよかったと思います。



        calendar

        S M T W T F S
         123456
        78910111213
        14151617181920
        21222324252627
        28293031   
        << October 2018 >>

        selected entries

        categories

        archives

        links

        profile

        書いた記事数:72 最後に更新した日:2018/10/12

        search this site.

        others

        mobile

        qrcode

        powered

        無料ブログ作成サービス JUGEM