ソユーズMS-10:打ち上げを中断し緊急帰還

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    Soyuz MS-10Crew Lands in Kazakhstan after Launch Failure

     

    ロシアのアレクセイ・オブチニン宇宙飛行士とNASAのニック・ヘイグ宇宙飛行士が搭乗したソユーズMS-101011日午後240分(現地時間)にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。打ち上げ直後は順調でしたが、約2分後に異常が発生し、クルーは緊急帰還しました。

     

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    詳細が発表されていないため、今回の打ち上げ緊急中断が今後のソユーズ宇宙船やプログレス補給船の打ち上げにどのような影響を与えるかは分かりません。もしかすると、国際宇宙ステーション(ISS)の今後の運用に影響がでるかもしれません。

     

    通常、ソユーズ宇宙船の打ち上げはクルー3名で行われますが、今回は2名でした。ロシア側の発表によると、ロシアがISSに設置予定の科学実験モジュールの打ち上げが遅れ、当初予定していた作業がなくなったため、搭乗させるロシア人クルーを2名から1名に減らしたとのことです。

     

    打ち上げの映像を見ていると、問題は打ち上げ約2分後の第1段の4本のロケットを分離する際に起きたようです。地上に送られてくるソユーズ船内の映像はロケット分離の際に少し乱れるのですが、今回はその乱れがいつもより強く、また船内にかなり振動が伝わっているように見えました。

     

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    また、その直後に地上のカメラがとらえた第1段分離後の映像も、いつもと比べて明らかに違っていました。いつもは4本のロケットがきれいに離れていくのですが、今回は離れ方が不規則でした。

     

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    この直後に船内からの映像はなくなり、音声のみが流れてきました。約40秒後にエマージェンシーの警告音がひびき、モスクワの管制センター(TsUP)は「ブースターの不調」をソユーズに伝えました。この場合のブースターは第2段ロケットのことです。続いて「分離」が伝えられ、ソユーズMS-10は第3段ロケットから分離し、弾道軌道での帰還モードに入りました。クルーは「われわれは無重量状態」とTsUPに伝えてきました。TsUPからは着地にそなえ「ストラップを締めるように」という指示が送られました。

     

    ソユーズMS-10はカザフスタンのジェスカスガン市から20kmほど東の地点に無事着陸しました。ソユーズ宇宙船の通常の帰還地域です。クルーは回収チームによってモスクワ郊外のガガーリン宇宙飛行士訓練センターに運ばれました。2人とも元気です。

     

    以上の経緯をみると、第1段分離直後に第2段ロケットに異常が発生して推力不足となり、地球周回軌道に達することが不可能になったため、ソユーズ宇宙船を第3段から分離させて地上に緊急帰還させたものとみられます。分離されたブースターが第2段にぶつかり、第2段を破損させたためではないかという観測があります。

     

    ソユーズ宇宙船が打ち上げ時にトラブルを起こし、クルーが緊急帰還したのは1975年以来のことです。この年の45日、ワシリー・ラザレフとオレグ・マカロフの乗ったソユーズ18号が打ち上げられました。打ち上げから450秒後、第2段エンジンの燃焼が終了し、第3段のエンジンが点火されました。ところが第2段と第3段の切り離しが完全でなかったため、ロケットは予定の方向をそれました。ロケットのセンサーが異常を検知し、第3段の点火4秒後にソユーズ18号は緊急分離されました。高度は145kmでした。

     

    ソユーズの帰還モジュールは軌道モジュールと機器・推進モジュールから切り離され、弾道軌道で降下。ラザレフとマカロフには18Gもの加速度がかかったといわれています。帰還モジュールは中国国境から約800kmのシベリア山中に降下し、斜面を転げ落ちて停止しました。2人は雪の山中でまる1日、回収チームの到着を待つことになりました。

     

    ソユーズ18号は改めて524日に、ピョートル・クリムクとビタリ・セバスチャノフによって打ち上げられたため、ラザレフとマカロフの飛行は、現在ではソユーズ18-1号とよばれています。


    オポチュニティ、いまだ応答せず

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      No Signal has been heard from Opportunity for over 100 Days

       

      火星をおおっていた大規模な砂嵐は収束し、火星ローバー、オポチュニティの上空でも大気の透明度がましています。下は火星を周回するNASAMROが撮影したオポチュニティで、左の画像の四角の真ん中の白っぽい点(右の画像)がオポチュニティです。十分な太陽光が受けられれば、発電が可能になり、機能が回復される可能性があります。しかし、610日の交信後、すでに100日以上がたっていますが、オポチュニティからの信号は得られていません。

       

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      オポチニティは電源喪失の状態におちいっていると考えられます。火星ローバーチームは砂嵐の間は1週間に数回、オポチュニティのシステムを立ち上げるためのコマンドを送っていました。砂嵐の収束とともに1日に数回コマンドを送るようになり、オポチュニティからの応答を常時チェックしています。

       

      オポチュニティの太陽電池板にちりが降り積もり、十分な太陽光が得られていない心配もあります。しかし、こうしたちりは表面近くで起こるつむじ風(ダストデビル)によって吹きはらわれると考えられ、オポチュニティの電源が回復する可能性は残されています。


      蜂須賀正氏随筆集『鳥の棲む氷の国』

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        蜂須賀正氏随筆集『鳥の棲む氷の国』(小野塚力編、我刊我書房)が9月下旬発売の予定で、予約販売が始まっています。

         

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        蜂須賀正氏(1903-1953)は華族にして鳥類学者、徳川慶喜の孫であり、ロスチャイルド卿とも深い交流があった人物です。絶滅した鳥ドードーの研究家としても世界に知られ、彼の”The Dodo and Kindred Birds or the Extinct Birds of the Mascarene Islands”は、現在でもドードー研究の代表的な文献の1つです。ベルギー領コンゴの密林で、野生のゴリラと対面した最初の日本人でもあります。

         

        編者の小野塚氏も私も古典SF研究会のメンバーというご縁もあり、私がこの本の末尾に解説を書かせていただきました。

         

        今回、刊行される『鳥の棲む氷の国』」は、単行本に未収録の文章、旅行記を集成したものであり、この本でしか読むことができません。特に、戦前の沖縄の風物にふれた「琉球採集旅行記」と中国探訪記「中支生物紀行」は今読んでも非常に興味深い紀行文です。

         

        現代の生物学は先端的研究に細分化され、生物界を総合的に理解するという観点が欠けてしまいがちです。その点で、豊富なフィールド体験と博識に裏付けられた蜂須賀の文章は私たちに大いに参考になると思います。


        アフリカ系アメリカ人女性たちとNASA

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          Hidden Figures

           

          NASAの初期の有人宇宙飛行に大きな役割を果たしたキャサリン・ジョンソンさんが、8月26日に100歳の誕生日を迎えたという記事がNASAのウェブサイトに載っています。キャサリンさんは2017年に日本で公開された映画『ドリーム』の主人公のモデルになった女性です。

           

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          キャサリンさんはNASAのラングレー・リサーチ・センターで、NASAの前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)の時代から働き、特にマーキュリー計画の軌道計算では大きな業績を残しました。キャサリンさんが仕事をはじめた当初は、航空機の機体設計や飛行性能などの計算は人間が行う時代で、キャサリンさんも計算尺や機械式計算機を用い、「人間コンピューター」として働いていました。

           

          マーキュリー計画がスタートする頃にはコンピューターが使われ始めましたが、最初は機械に対する信頼性が低く、人間の手計算による検算が必要でした。ジョン・グレンがアメリカ初の地球周回軌道に挑戦することになった際の、キャサリンさんにまつわるエピソードが残されています。グレンはコンピューターによる軌道計算結果に対して、「その数字を彼女にチェックさせてほしい。もし彼女が大丈夫といえば、私はいつでも飛ぶ」といったといいます。

           

          キャサリンさんは宇宙船の軌道投入や地球帰還の軌道理論に関して大きな業績を上げ、彼女の書いた本は長い間NASAの技術者の教科書になりました。

           

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          映画『ドリーム』で描かれたように、キャサリンさんが仕事を始めた頃のアメリカは、まだ人種差別がはげしい時代で、アフリカ系アメリカ人女性たちが働く場所は白人女性たちの働く場所と隔てられていました。キャサリンさんは1953年にラングレー・リサーチ・センターに就職しました。配属されたオフィスは西エリア計算施設とよばれた建物にあり、白人女性たちの働く東エリアから分けられていました。

           

          NASAが設立された1958年には、ソ連との宇宙競争がはじまっていました。ラングレー・リサーチ・センター内に有人宇宙飛行を目指すスペース・タスク・グループが組織され、マーキュリー計画がスタートしました。キャサリンさんはここで重要な役割を果たすことになるわけです。NASA設立とともに、黒人女性を隔離していた施設はなくなりましたが、人種差別が完全になくなったわけではありませんでした。それでもなぜ、キャサリンさんたちがNASAで大きな業績を成し遂げることができたかといえば、それは彼女たちの能力と努力のたまものであり、そして、キャサリンさんがインタビューで語っているように、NASAが1つの目標にむかって皆で進んでいく組織だったからでしょう。

           

          キャサリンさんはインタビューに答えて、「私は1日も無駄にしませんでした。私に与えられた仕事は質問に答えること。そのために私は常に全力をつくしました。それが私の考え方です」と語っています。また、「NASAの若いエンジニアへのアドバイスは?」と聞かれて、「その仕事を好きになってください。そうすれば、あなたはベストをつくすことができます」とも語っています。

           

          2016年9月にラングレー・リサーチ・センターにオープンした計算センターは、彼女の業績をたたえ、キャサリン・ジョンソン・コンピュテーショナル・リサーチ・センターと命名されました。

           

          キャサリンさんをはじめ、NASAの創生期に大きな役割を果たしたアフリカ系アメリカ人女性について興味をもたれた方は、映画『ドリーム』の原作であるマーゴット・リー・シェタリーの原作“Hidden Figures: The American Dream and the Untold Story of the Black Women Mathematicians Who Helped Win the Space Race”を読むことをお勧めします。映画『ドリーム』ではキャサリンさんのマーキュリー計画での仕事が中心になっていますが、原作の最初の3分の1は、ドロシー・ヴォーンにささげられています。ドロシーさんはNACAでアフリカ系アメリカ人女性初のスーパーバイザー(監督者)になった女性で、NASA創生期に働いていた多くのアフリカ系アメリカ人女性たちのパイオニアといえる存在でした。1943年12月、バージニア州ファームビルの高校教師だったドロシーさんがグレイハウンド・バスに乗って、NACAのラングレー・リサーチ・センターに向かうところから、キャサリンさんをはじめすべてのアフリカ系アメリカ人女性のNASAでの物語がはじまったのです。


          東日本大震災:再び、地震学者の責任を考える

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            823日付のYahoo!ニュースに、東京大学名誉教授の島崎邦彦氏のインタビュー記事「真っ当な対策があれば、原発事故はなかった 地震学者・島崎氏が見たもの」が載りました。島崎氏は東北地方太平洋沖地震が発生した20113月に地震予知連絡会の会長をつとめていた人物です。島崎氏はこの記事で相変わらず、「長期評価に沿って防災対策をしていれば18000余りの命が救われただけでなく、原発事故も起きなかった」と主張しています。「長期評価」とは同氏が中心になってまとめた地震調査研究推進本部地震調査委員会の「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(2002年)のことです。しかし、島崎氏のこの主張には明らかに誤りがあります。地震学者としての社会的責任を逃れるための発言のようにさえ、私には感じられます。

             

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            東北地方太平洋沖地震を予知できなかった地震学者の責任や「長期評価」の中身、そして震災後の島崎氏の主張に関しては、以前、ここここここここに書きましたので、ぜひお読みください。インタビュー記事の島崎氏の主張が事実にもとづいていないことがお分かりになると思います。

             

            地震調査委員会の「長期評価」は、過去に発生した地震の記録から平均周期を計算し、それをもとに発生確率を算定するという大学生のレポートレベルの報告書です。日本の地震科学者は1965年に「地震予知計画」をスタートさせましたが、こうした研究の科学的成果が長期評価に反映されているわけではありません。

             

            前にも書きましたが、「長期評価」は来るべき巨大津波地震を予測するどころか、大地震の発生はさし迫っているわけではないという誤ったメッセージを与えるものでした。

             

            「長期評価」では「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのプレート間大地震(津波地震)」について、「この領域全体では約133年に1回の割合でこのような大地震が発生すると推定される。・・・今後30年以内の発生確率は2 0%程度、今後50年以内の発生確率は30%程度と推定される。また、特定の海域では、断層長(200km程度)と領域全体の長さ(800km程度)の比を考慮して530年に1回の割合でこのような大地震が発生すると推定される。・・・今後30年以内の発生確率は6%程度、今後50年以内の発生確率は9%程度と推定される。」としています。つまり、かなり悠長な予測であることがわかります。

             

            また、このような大地震(津波地震)の「今後10年以内」の発生確率は、領域全体で「7%程度」、 特定の海域(例えば福島県沖)では「2%程度」とされています。これでは誰も巨大津波地震が迫っており、早急に防災対策を立てなくてはならないとは考えないでしょう。私が、「長期評価」は誤ったメッセージを与えるものであったという理由はここにあります。「長期評価」発表から9年後、すなわち「10年以内」に東日本太平洋沖地震は発生してしまいました。

             

            「長期評価」で評価の対象となった地震は、島崎氏のインタビュー中での言葉を借りれば「マグニチュード7程度の非常に大きな地震」でした。当時の地震学者の頭の中にある「非常に大きな地震」とはマグニチュード7〜8の地震であり、マグニチュード9.0の巨大地震など、想像もつかなかったのです。その理由は、当時地震学者が信じていた東北沖で発生する地震の発生モデルが間違っていたからです。「長期評価」も間違ったモデルにもとづく分析です。東北地方太平洋沖地震発生という現実の前に、「長期評価」の内容はまったく意味を失ってしまいました。

             

            東日本大震災発生から3か月後の201169日に、地震調査委員会は「東北地方太平洋沖地震に伴う長期評価に関する対応」を発表します。わずか2ページの文書です。未曾有の大震災に対して、たった2ページ(文章は1ページ)の文書しか発表しないは、地震調査委員会としての責任を果たしているとはいえないと思いますが、この文書の中で、海溝型地震の長期評価について以下のように述べています。

             

            「これまでの長期評価では、観測記録、歴史資料や地形・地質学的調査の成果に基づき、同じ領域で同等の規模の地震が繰り返し発生するという考え方で評価していた」が、今後は「各領域について過去に発生した地震のデータから想定した最も起こりうる地震のみならず、史料や観測記録で発生が確認されていない地震についても以下のようなことを考慮して科学的根拠に基づき想定できるよう、評価手法の改善を図る」。

             

            つまり、2002年の「長期評価」の手法の誤りを認め、今後は「科学的根拠」にもとづいて評価するとしています。「長期評価」が科学的な根拠にもとづいたものではないことを認めているわけです。地震調査委員会としてこのような見解を地震業界向けに発表する一方で、島崎氏は大きな被害が出たのは「長期評価」を認めなかったためという主張を、震災直後から国民に対して流し続けます。これは欺瞞ではないでしょうか。

             

            現在多くの地震学者は、マグニチュード9.0の巨大地震を予知できなかった反省をもとに研究活動をつづけています。しかし、島崎氏自身が地震学者の責任についてきちんと述べた言葉を私は聞いたことがありません。

             

            島崎氏は、国の中央防災会議が「長期評価」に沿った対策を決めなかったために、大きな被害がでたと主張しています。しかし、島崎氏が当時本当に巨大津波地震に備えた防災対策が緊急に必要であると考えていたのなら、個人の立場ででも、それを強く発信すべきだったのではないでしょうか。まして島崎氏は20065月から20085月まで日本地震学会の会長をつとめ、20094月から地震予知連絡会の会長という立場にあったわけですから、こうした場を通じて警鐘を鳴らすことも可能だったはずです。


            iPS細胞からつくった血小板が臨床研究へ

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              京都大学iPS細胞研究所は、再生不良性貧血の患者にiPS細胞からつくった血小板を輸血する臨床研究計画を発表しました。

               

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              厚生労働大臣に、この研究にかかわる再生医療等提供計画を提出されており、近い将来、臨床研究がはじまるとみられます。

               

              血小板は血液細胞の1つで、止血作用をもっています。外傷で大量に出血している場合や外科手術前、さらにはがんの化学療法時や再生不良性貧血の治療などで、患者に血小板が輸血されています。

               

              血小板を含め、医療の現場で使用される輸血製剤は、すべて献血に頼っています。しかし近年、献血者数は次第に減少しています。一方、高齢化が進む中で、今後必要になる血液は増加すると予測されています。厚生労働省の統計によると、2027年には、献血者不足のために、わが国で必要な輸血製剤の20%近くが供給できなくなると推定されています。これがいわゆる「2027年問題」です。特に血小板はそれ以前に不足する状況が来ると懸念されています。

               

              このため、iPS細胞研究所の江藤浩之先生のグループはiPS細胞で血小板を大量につくる方法の研究を進めてきました。今回の臨床試験では、この方法で作製した血小板を再生不良性貧血の患者1名に輸血し、輸血後1年間にわたって安全性の検証を行います。

               

              再生不良性貧血の患者の場合、血小板が不足してくると血小板輸血が行われます。しかし、免疫の型が合わないと血小板輸血不応になる場合があり、その場合、以後の輸血が難しくなります。患者自身の細胞からiPS細胞を作成し、そのiPS細胞から血小板をつくって輸血すれば、血小板輸血不応になることはありません。今回は、患者の末梢血単核球からiPS細胞を作製するとのことです。



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