月からのメリー・クリスマス:アポロ8号から50年

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    Merry Christmas from the Moon50th Anniversary of Apollo 8

     

    今から50年前、アポロ8号は初めて月を周回する軌道に到達しました。クルーはジェームズ・ラヴェル、ウィリアム・アンダース、フランク・ボーマンの3人(下の画像で左から)でした。私たちにとっては当たり前になってしまった宇宙空間に浮かぶ青い地球や、月面から上る地球(アースライズ)の映像はアポロ8号によって人類に初めてもたらされたのです。

     

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    アポロ8号は19681221日に打ち上げられました。

     

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    下の画像はアポロ8号が地球の軌道を離れて月に向かった際に撮影したものです。

     

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    当時アメリカとソ連は月着陸競争を繰り広げていました。アメリカは月着陸を目指す大型ロケット、サターン5型を開発していました。アポロ8号はサターン5型に人間を載せる最初のミッションでした。一方、ソ連も巨大ロケットN-1を開発しており、196812月にN-1 で初の有人月周回を目指す宇宙船を打ち上げそうだという報告がCIAからもたらされました。しかし、N-1 12月に発射台を離れることはありませんでした。そこで、NASAはアポロ8号を地球周回軌道はなく、月周回軌道に送ることを決断したのです。このあたりのことは『ファイナル・フロンティア――有人宇宙開拓全史』に詳しく書きましたが、きわめて危険に満ちたミッションでもありました。

     

    アポロ8号は1224日に月を周回する軌道に達し、人類は初めて月の裏側を肉眼で見ました。月はいつも同じ面を地球に向けています。そのため、月面からは地球はいつも同じ位置に見えます。月の地平線から地球が上るシーンは、月を周回している宇宙船からしか撮影できません。下は、アポロ8号が撮影したアースライズの1シーンです。

     

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    地球はクリスマス・イヴを迎えていました。地球への2度目のテレビ放送で、アポロ8号は月の地平線に浮かぶ地球の映像を送ってきました。「地球の皆さまに、アポロ8号のクルーからメッセージがあります」。そして3人は交代で旧約聖書の『創世記』を朗読しました。「初めに、神は天地を創造された。・・・神は言われた。『天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。』そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた」。

     

    「おやすみなさい。メリー・クリスマス。地球のすべての人に神の御加護がありますように」。アポロ8号のコマンダーのボーマンは、放送をそう締めくくりました。


    ベツレヘムの星とは何だったのか

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      What was the Star of Bethlehem?

       

      この季節、街のいたるところにクリスマスのイルミネーションが見られます。クリスマスツリーの一番上に飾られる星は、イエスが生まれたときに出現したベツレヘムの星です。下はプラド美術館所蔵のヒエロニムス・ボス作『東方三博士の礼拝』です。イエスを抱くマリアのいる小屋の上に明るい星が描かれています。

       

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      この星の正体が何であったのかについては、昔からいろいろな説があります。

       

      下のルネサンス初期の画家、ジョット(12671337)の『東方三博士の礼拝』(部分)では、イエスの生まれた小屋の上に彗星が描かれています。

       

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      この彗星は76年周期のハレー彗星で、ジョットがこの絵を描く少し前の1301年に出現しました。ジョットがハレー彗星を実際に見たかどうかは定かではありませんが、少なくとも、その出現に強い印象を受け、これをベツレヘムの星として描いたわけです。イエスが生まれたころのハレー彗星の出現時期は紀元前12年なので、これをベツレヘムの星と考える人もいます。ハレー彗星が1986年に地球に接近したとき、ヨーロッパが打ち上げたハレー彗星探査機「ジョット」は、この絵を描いた画家の名前にちなみ名付けられたのです。

       

      ベツレヘムの星は『新約聖書』の「マタイによる福音書」に出てきます。イエスが生まれたとき、エルサレムのヘロデ王のところに、東方から3人の「占星術の学者」がやって来て言います。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みにきたのです」。ヘロデ王は不安になり、エルサレムの学者たちを集めて、預言では救世主はどこで生まれることになっているかと聞きます。それはベツレヘムであると、彼らは答えました。そこでヘロデ王は占星術の学者たちを呼び寄せ、「星の現れた時期」を確かめ、ベツレヘムへ行ってその子のことを調べてほしいと頼みます。「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み」、イエスのいる場所の上に止まります。「学者たちはその星を見て」喜びにあふれました。

       

      ベツレヘムの星が何かの象徴ではなく、実際に起こった天文現象であったとすると、それが何かを知るためには、まずイエスの生まれた年が問題になってきます。紀元1年がイエスの生まれた年とされているわけですが、実際のイエスの誕生年はそれより少し早いことがわかっています。イエスの両親、ヨセフとマリアがベツレヘムへ行ったのは、ローマ皇帝アウグストゥスの人口調査令のためでしたが、これが行われたのは紀元前85年です。ヘロデ王がイエス、すなわちユダヤの王の誕生をおそれて2歳以下のユダヤの男児を皆殺しにしたのが紀元前65年、ヘロデ王が死んだのが紀元前4年です。したがって、イエスの誕生は紀元前75年あたりとみられています。このころにおこった、占星術的に見て特別な意味をもつ天文現象を探さなくてはなりません。

       

      もう1つ、ベツレヘムの星が現れた方角も大事になるかもしれません。占星術の学者は、「東方で」星を見たのですが、この部分は原文からすると「東の場所で」という意味以外に、「東の空に」とも解釈できるのです。また、ベツレヘムはエルサレムの南にありますので、星が占星術の学者たちに先立って進んだということは、このとき、星は南の方角に見えていたことになります。一晩のうちに、星は東から西に移動しますから、どの方角に見えていても問題ないとも考えられますが、ある星または特別な天文現象が東の空にあらわれる(昇ってくる)こと自体が、ベツレヘムの星の意味だとする考えもあるのです。

       

      さて、ベツレヘムの星とは何だったのでしょうか。彗星は候補の1つです。ハレー彗星は出現時期からみて少し無理があるかもしれませんが、イエスが生まれたころに別の彗星が出現していたかもしれません。ただし、それに該当する彗星の記録は残っていません。

       

      一生の終わりに爆発して明るく輝く超新星も、候補になります。ヨハネス・ケプラーはこの説をとっていました。彼は1604年に超新星を観測していますが、そのとき木星と土星が接近しており、超新星はこの2つの惑星の間の位置に出現しました。そこで、ケプラーは惑星が接近した時に超新星が生まれると考えました。彼は惑星の軌道計算によって、紀元前7年に木星と土星が接近したこと、さらに紀元前6年には火星と木星と土星が接近したことを知っており、このときに出現した超新星がベツレヘムの星だと考えたのです。

       

      紀元前7年には木星と土星の接近(会合)がうお座で3回おこりました。この3連会合はめずらしい現象なので、これがベツレヘムの星であるという説もあります。聖書で「星」は単数形になっていますが、それ自体、複数の概念をふくむ言葉とされていますので、こうした天文現象も、ベツレヘムの星の候補となり得るのです。3回の会合の日付については、文献によっていくつか別の組み合わせがあります。計算に使ったプログラムのせいかもしれません。私が天文ソフトで調べたところでは、527日、106日、121日というのが正しいようです。

       

      比較的最近では、紀元前6年に木星がおひつじ座にあり、4月に東の空に昇ってきたことがベツレヘムの星だという説が出されています。これはローマ時代のコインに、おひつじが振り向いて星を見ているという図柄のものがあることから考え出されたものです。この年、木星はおひつじ座の中を行ったり来たりするのですが、12月に方向を変えるために止まったときが、ベツレヘムの星がイエスの小屋の上に止まったときだというのです。

       

      ベツレヘムの星が何であるか、結論は出ていませんが、キリスト教徒でなくても少しだけ聖書の世界に親しみ、古い時代の天文現象に思いをはせることができるのも、クリスマスの楽しみの1つです。


      クリスパーのならず者:『ネイチャー』誌が選んだ10人

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        CRISPR Rogue:Nature’s 10

         

        『ネイチャー』誌が選ぶ2018年の科学を賑わせた10人に、「はやぶさ2」プロジェクトの吉川真先生が「小惑星ハンター」として選ばれました。とてもうれしいことです。

         

        また、ゲノム編集を行った双子の赤ん坊を誕生させたと発表した中国、南方科技大学の賀建奎准教授も「クリスパーのならず者」として選ばれました。

         

        DNAの塩基配列を書き換えることをゲノム編集といいます。ゲノム編集にはいくつかの方法がありますが、クリスパー・キャス9とよばれる方法は、ゲノム編集を正確かつ容易に行うことができます。そのため、クリスパー・キャス9が登場した時から、将来はこの技術を使って受精卵のゲノム編集を行い、赤ん坊が病気のリスクをもって生まれてくるのを防ぐことができるのではないかと、多くの研究者が考えるようになりました。しかしそのためにはまだ多くの研究が必要とされており、現時点でこのような「治療」を行うのはきわめて危険と考えられていました。

         

        ところが11月26日、『MITテクノロジー・レビュー』誌が「中国の研究者がゲノム編集を行った受精卵から双子の女児を誕生させた」という特報をネット上に掲載したのです。ニュースはまたたく間に世界をかけめぐりました。賀准教授も同じ日に、ゲノム編集を行った双子の女児が誕生したことを自らが語る動画をYouTubeにアップしていました。論文は発表されておらず、これが事実かどうかは確認されていません。しかし賀准教授は11月28日に香港で行われたゲノム編集に関する国際会議でも同様の発言をしました。さらに2例目が妊娠初期にあるとも語っていました。

         

        これが事実であれば、ゲノム編集した受精卵を母親に戻し、出産させることを禁じた中国の法律に対する重大な違反であり、世界中の研究者の合意を完全に無視した行為ということになります。倫理的に大きな問題がある上、きわめて危険といわざるを得ません。当然のことながら、ゲノム編集にたずさわる世界中の研究者から強い批判の声があがりました。中国当局も調査をはじめましたが、「クリスパー・ベイビー」の誕生が事実なのかどうかも含め、正式な報告はまだありません。賀准教授は消息を絶ったままです。

         

        賀准教授のYouTubeの動画や香港の会議での発言からすると、賀准教授はゲノム編集技術を適用したヒト受精卵を誕生させることが倫理的にも安全性の面でも問題があることを承知の上で実験を行った、いわば「確信犯」といえます。その目的は名声と、それに付随して生まれるビジネスチャンスでしょう。賀准教授は自分の実験を、世界初の体外受精がノーベル賞を受賞した事例になぞらえています。賀准教授は今回の実験を行う以前にすでに多くの資金を獲得しています。実験が成功し、世界的に有名になれば、さらに大きなビジネスが可能になると考えたのではないでしょうか。

         

        ゲノム編集の研究は、アメリカと中国の間ではげしい競争が行われています。中国の若い研究者がアメリカに留学してゲノム編集の技術を学び、中国に戻って恵まれた環境で先端的な研究を進めるという構図ができあがっています。賀准教授もそのような1人でした。ヒト受精卵を対象にした研究も中国では活発に行われています。この分野の研究はアメリカでは進めにくい事情もあり、中国と共同研究しているアメリカの研究者もいます。さらに、アメリカのファンドも中国に流れ込んでいます。不妊治療を含む生殖医療の世界は将来大きな市場が見込まれています。中でも受精卵のゲノム編集にはビジネスの面でも大きな期待があります。生まれてくる赤ん坊の病気のリスクを防げるとしたら、両親が多額の費用を払うことは間違いありません。

         

        このようなヒト受精卵のゲノム編集をめぐる中国の事情を背景に、ゲノム編集の世界でそれほど知られた存在ではなかった賀准教授がフライングをしてしまったというのが、今回の事件です。中国のゲノム編集の研究コミュニティが猛反発した事情もそこにあります。しかし、いずれ第2、第3の賀准教授がでてくるのではないかと懸念するのは、私だけではないでしょう。

         


        バイコヌール宇宙基地の建設

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          Construction of Baikonur Cosmodrome

           

          123日、ソユーズMS-11がバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。1011日の打ち上げ失敗以来、初の打ち上げとなりました。搭乗していた第58/59次長期滞在クルークルーはロシアのベテラン宇宙飛行士オレッグ・コノネンコさん、カナダのダビッド・サン・ジャックさん、そしてNASAのアン・マクレインさんです。

           

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          JAXAの種子島宇宙センターは今年で初のロケット発射から50周年を迎えましたが、バイコヌール宇宙基地はすでに63年の歴史をもっています。

           

          現在、ソユーズ宇宙船やプログレス補給船を打ち上げているソユーズ・ロケットは、セルゲイ・コロリョフが開発した大陸間弾道ミサイルR-7がオリジンです。そのR-7のために、1954年、ソ連は新しい打ち上げ実験場を建設することにしました。多くの候補地が検討された結果、現在バイコヌール宇宙基地のあるカザフスタンのチュラタムが選ばれました。当時のチュラタムはモスクワとタシケントを結ぶ鉄道の駅とそれに付随した小さな建物が数棟あるだけで、周囲には広大なステップが広がっていました。チュラタム駅からはかつて銅の採掘のために敷設された鉄道が北に伸びていました。

           

          この場所が選ばれた理由は次のようなものでした。

          ・アフガニスタンやイランとの国境から1600km以上も離れていて、西側のスパイが侵入することは不可能。

          ・降水量が少ない。

          ・無人の土地が広がっており、打ち上げたロケットの第1段や第2段の落下場所を確保できる。またロケットが制御不能になって落下しても安全。

          ・ロケット打ち上げ時に追跡管制を行う地上局を打ち上げ場から400km以上離れた場所に設置可能。

          ・鉄道がすでに敷設されていて、輸送が容易。

          ・他の候補地より南にあり、その分だけ打ち上げ時に地球の自転力をよけいに利用できる(これは、特にコロリョフが強調した点でした)。

           

          19551月、先遣隊がチュラタムに到着し、工事が開始されました。工事はまず、サイト1(現在のソユーズ・ロケットの発射台のある場所)へ通じる道路を建設することからはじまりました。195562日、ソ連国防省はチュラタムを新しいロケット打ち上げ実験場とすることを正式決定しました。これがバイコヌール宇宙基地の公式の設立日となったのです。

           

          ロケット発射台のための掘削工事は19556月にはじまりました。この場所を見学した方ならお分かりと思いますが、発射台の場所には巨大なピットが掘削されており、そこに「スタジアム」とよばれた鉄骨とコンクリートの発射台が設置されています。打ち上げの際、ロケットの噴射はこのピットから横方向に曲げられて逃がされます。人類が掘った最大の穴といわれたこのピットの掘削はわずか3か月で完了しました。

           

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          発射台自体の工事は19557月からはじまりました。打ち上げの際にロケットを支持している構造物が花びらのように開くこの発射台を設計したのはウラジーミル・バーミンです。打ち上げ時の振動テストなどは現地でできないため、バーミンはすべての試験をレニングラードで行い、その後部材を分解して、195610月に鉄道でチュラタムに運びました。同じ頃、チュラタムからサイト1への道路工事も完成しました。

           

          工事は過酷な自然条件の中で行われました。チュラタムの夏は50Cもの高温、冬はマイナス25Cという寒さになります。工兵たちは最初テント暮らしでしたが、数年後にはチュラタム駅の南側、シルダリア川に面した場所に居住用の建物が建設されていきました。ここが発展して、やがてレーニンスクの町ができあがりました。当時は「ザーリャ」(夜明け)とよばれていました。

           

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          19574月、打ち上げ実験基地は完成しました。発射台、ロケットの最終組み立てを行うMIK、液体酸素用プラント、2か所の追跡ステーション(ヴェガとサターン)などが揃いました。R-7の打ち上げ実験は19575月から始まりましたが、失敗が続きます。R-7はケロシンと液体酸素を使う液体燃料ロットであり、核弾頭ミサイルとして実戦配備するのは困難でした。しかし、R-7195710月にスプートニク1号を打ち上げます。1961年には、ユーリー・ガガーリンを乗せたヴォストーク1号を打ち上げます。こうして、R-7は現在のソユーズ・ロケットへと改良を重ねていきます。

           

          ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行が成功した際、ソ連は打ち上げ基地の場所をチュラタムではなく、「バイコヌール」と発表しました。実際のバイコヌールはチュラタムの北東約370kmにある町でした。当時の地図が下です。ソ連は実際の場所を西側に知られないようにしたのです。もっとも、アメリカはそれ以前に、U-2偵察機によってその場所を正確につかんでいました。

           

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          レーニンスク市は、ソ連崩壊後の1995年にバイコヌール市と名称を変えました。


          嫦娥4号打ち上げ:その真の目標は?

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            China Launches Chang’e 4:What is its Real Target?

             

            中国の月探査機、嫦娥4号が127日午前223分に西昌宇宙センターから長征3Bロケットによって打ち上げられました。嫦娥4号は月の裏側にあるフォン・カーマン・クレーターへの着陸を目指しています。

             

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            フォン・カーマン・クレーターは南極エイトケン・ベイスン(SPA)の内部にあります。SPAは非常に古い時代の巨大衝突跡で、直径が2500kmにも達します。下の画像は月の裏側で、赤線で囲った部分がSPA、矢印がフォン・カーマン・クレーターです。

             

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            下の画像がフォン・カーマン・クレーターです。直径は約180kmです。

             

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            下の画像は嫦娥4号の着陸地点に関する中国の研究者の論文に掲載されているもので、白い四角の領域が嫦娥4号の着陸目標になっています。

             

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            嫦娥4号は着陸機と月面ローバーから構成されています。2013年に月に着陸して探査活動を行った嫦娥3号のバックアップとして製作されたものです。3号の経験を踏まえ、越夜技術(2週間続く月の夜の対策)などが改良されていると思われます。観測機器も3号とまったく同じではなく、ドイツやスウェーデンなどの観測機器が搭載されています。地球との交信は、中国が今年5月にラグランジュ・ポイント2L2)に打ち上げたデータ中継衛星「鵲橋」を経由して行われます。

             

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            嫦娥4号は月の裏側の環境や周囲の地形、岩石やレゴリスの化学組成、クレーター地下の構造などを調べます。SPAができた大衝突では、衝突跡は深さ25kmにもなり、マントル層まで達したと考えられています。したがってSPAができた時の物質を調べれば、月の始原的な物質やマントル物質に関する情報が得られると考えられ、多くの科学者が注目しています。ただし、SPAはその後、激しい衝突にさらされ、さらに高地での衝突によってできた噴出物でおおわれています。また、フォン・カーマン・クレーターは衝突後に内部から流出してきて固まった玄武岩におおわれています。したがって、嫦娥4号は月の始原的な物質やマントルを構成していた岩石を見つけて観測することが大きな目的にはなっていないと思われます。

             

            嫦娥4号の最大の目的は、将来の月の裏側への有人月着陸に向けて、さまざまな技術を獲得することにあります。着陸場所のフォン・カーマン・クレーターも、月の裏側の数少ない平坦な場所であることが大きな理由になっていると思われます。

             

            嫦娥シリーズの月科学探査はCLEPChinese Lunar Exploration Program)によって行われています。今回、嫦娥4号を打ち上げた長征3BロケットにもCLEPのロゴマークが塗装されていました。そのCLEPのロゴが以下です。

             

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            「月」の文字が三日月と宇宙飛行士の足跡でデザインされており、CLEPの最終目的が有人着陸であることがわかります。

             

            中国はアメリカに対抗する宇宙強国になることを目指しており、将来の月面有人探査や資源利用に力を入れています。嫦娥4号の着陸機にはカイコと植物を入れた容器が収められており、ミニ生態系をつくっています。こうした実験も、将来の有人探査を考えてのことでしょう。

             

            嫦娥シリーズは単なる科学ミッションではなく、その背後に宇宙での覇権を目指す中国の意図が見え隠れしています。また、L2に置かれたデータ中継衛星「鵲橋」にも、アメリカのゲートウェイ構想に対抗して、月近傍に中国の宇宙インフラをつくろうという意図があるのかもしれません。


            インサイトが火星に着陸

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              InSight Lands Successfully on Mars

               

              NASAの火星探査機インサイトが無事、火星のエリシウム平原に着陸しました。

               

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              上の画像は着陸直後にインサイトのInstrument Context Camera (ICC)が撮影した火星表面です。

               

              インサイトは火星の内部を探査することが大きな目的で、ミッション期間は2年とされています。

               

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              科学チームによると、今後2、3か月でドリルで掘削する場所を決定し、地震計と熱量計によって火星内部の観測を開始するとのことです。



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