ファースト・マン:Gミッション

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    FIRST MAN:G Mission

     

    ニール・アームストロングはなぜアポロ11号のコマンダー(船長)に選ばれ、初めて月面に足跡を残すことになったのでしょうか。

     

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    ジェームズ・R・ハンセンが書いたアームストロングの伝記”FIRST MAN”には、以下のような経緯が紹介されています。

     

    1967年1月27日に発生したアポロ1号の事故により、NASAはアポロ宇宙船の設計の大幅な見直しを迫られました。それにともない、アポロ飛行計画にも大きな変更がもたらされました。NASAが同年4月に発表した新たな計画は以下のようなものでした。

     

    死亡した3人の宇宙飛行士を悼み、アポロ1号を新たなミッション名に用いない。

    アポロ2号と3号はない。

    アポロ4号は無人でサターンロケットの試験を行う。

    それ以降はAからJのミッションがある。

    Aミッションは無人のアポロ4号と6号で、サターンロケットとアポロ司令船のテストを行う。

    Bミッションは無人のアポロ5号で、月着陸船のテストを行う。

    Cミッションはアポロ7号によるアポロ初の有人ミッションで、地球周回軌道でアポロ司令船と機械船をテストする。

    Dミッションはアポロ司令船・機械船と月着陸船を地球周回軌道でテストする。

    Eミッションはアポロ司令船・機械船と月着陸船を月周回軌道でテストする。

    Fミッションは月着陸のドレスリハーサル(本番そのままのリハーサル)である。

    Gミッションで月着陸を行う。

    Hミッションはより高度な機器を搭載した着陸ミッションである。

    Iミッションは月を周回してリモートセンシング観測を行うミッションで、月着陸は行わない。

    JミッションはHと同じだが、より長く月面にとどまる。

     

    宇宙飛行士室をひきいていたディーク・スレイトンは、アポロ7号のクルーとしてウォルター・シラー、ドン・エイゼル、ウォルター・カニンガムを指名しました。バックアップ・クルーはトム・スタッフォード、ジョン・ヤング、ジーン・サーナンでした。シラーらはもともとアポロ1号のバックアップでした。アポロ8号のクルーにはジム・マクディヴィット、デイブ・スコット、ラスティ・シュワイカートが指名されました。バックアップはピート・コンラッド、ディック・ゴードン、クリフトン・ウィリアムズでした。ウィリアムズはその後、飛行機事故で死亡し、アル・ビーンに代わりました。アポロ9号のクルーはフランク・ボーマン、マイケル・コリンズ、ビル・アンダースで、バックアップはアームストロング、ジム・ラヴェル、バズ・オルドリンでした。

     

    この時点でアポロ8号と9号はDミッションの飛行でした。9号のバックアップであるアームストロングがプライム・クルーに指名されるのは早くてアポロ11号でした。なぜなら、NASAではバックアップ・クルーが次のミッションのプライム・クルーに移行することはなかったからです。EミッションとFミッションは月に着陸せず、Gミッションで着陸を目指すことになるので、順番でいえば一番早くてアポロ12号が月着陸に最初に挑戦することになります。アームストロングが11号に指名されば、彼は月でのドレスリハーサルを行うことになます。

     

    しかし、この飛行計画は実際にはだいぶ変わってしまいました。1968年10月11日、アポロ7号が打ち上げられ、ミッションは成功しました。同年12月21日にアポロ8号が打ち上げられましたが、ミッションはDミッションではなく、人類初の月周回飛行を目指していました。実はこの時期、グラマン社が開発中の月着陸船は完成しておらず、Dミッションを行うことはできませんでした。また、当時月着陸競争を行っていたソ連が、有人月周回飛行を間もなく行うという情報がありました。このため、NASAは大きなリスクをとり、巨大なサターン5型ロケットにはじめて人間を載せるミッションで月周回を行うことを決断したのでした。アポロ8号はアポロ計画で最も危険なミッションでした。クルーはフランク・ボーマン、ジム・ラヴェル、ウィリアム・アンダースでした。

     

    この結果、Eミッションはスキップされ、アポロ9号でDミッションを行い、アポロ10号でFミッションを行うことになりました。アポロ11号がGミッションを行うことになったのです。アポロ8号打ち上げの日の午後、スレイトンはアームストロングを呼び、彼をアポロ11号のコマンダーに指名するつもりであることを伝え、さらに、アポロ8号、9号、10号の飛行がすべてうまくいけば、11号は月着陸を目指すことになると話しました。スレイトンはアームストロングが初めて月に立つ人間としての資質をもっていることを早くから見抜いていたのでしょう。

     

    スレイトンは11号のクルーとしてオルドリンとコリンズを考えていましたが、この時アームストロングに、月着陸船のパイロットはオルドリンではなくラヴェルではどうかと打診しました。一晩考えたアームストロングは、ラヴェルは次の飛行ではコマンダーになるべきと答えました。こうしてラヴェルは13号のコマンダーに指名されることになりました。

     

    アポロ8号帰還後の1969年1月4日、スレイトンは3人を集め、アポロ11号のクルーとして正式に指名しました。アポロ9号と10号のミッションも成功し、7月16日、アポロ11号は発射台を離れました。こうして、アームストロングは「ファースト・マン」になったのです。


    ファースト・マン:ザ・ワースト・ロス

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      FIRST MANThe Worst Loss

       

      はじめて月に降り立った宇宙飛行士ニール・アームストロングを描いた映画『ファースト・マン』がまもなく公開になります。原作はジェームズ・R・ハンセンが書いたアームストロングの伝記”FIRST MAN”です。

       

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      ハンセンはNASAのヒストリアンやアラバマ州オーバーン大学の教授として、アメリカの航空宇宙分野の歴史を研究した人物です。アームストロングは自らの伝記出版のオファーを断り続けていましたが、2002年、ハンセンの業績を認めて許可しました。”FIRST MAN”執筆のためにハンセンは125人にインタビューしました。その中にはアームストロング自身との50時間以上のインタビュー、最初の妻ジャネットとの12時間のインタビューが含まれます。

       

      当然のことですが、”FIRST MAN”の多くのページはアームストロングのNASAでの活動、特にアポロ11号の飛行に費やされています。しかしながら、ハンセンはアームストロングのきわめてパーソナルな出来事に関してもいくつか触れています。その1つは、娘カレンに関するもので、ハンセンは”The Worst Loss“として、これに1つの章を与えています。

       

      カレンは1962128日、脳腫瘍のために210か月で亡くなりました。カレンの発病から死までの時期は、アームストロングがNASAのテスト・パイロットとして数々の実験機の試験飛行をしていた時期にあたります。アームストロングはすぐれたテスト・パイロットでしたが、カレンの死の後、試験飛行で2度ほどミスをおかしています。誰にも語ることはありませんでしたが、アームストロングにとって非常につらい時期であったことを物語っています。

       

      この時期は同時に、アームストロングがNASAの宇宙飛行士第2期生の募集を知り、それに応募しようと考えはじめる時期に当たっています。アームストロングが宇宙飛行士になろうと考えたことと、カレンの死は関係していたのだろうかと、ハンセンは問いを投げかけています。彼の妹のジューンは、「それをきくことはできなかった」と語っています。しかし、「愛する娘の死は、彼のエネルギーをもっと前向きなものに集中させる原因になった」と彼女は考えています。

       

      カレンの死後、アームストロングはNASAの宇宙飛行士選抜に応募し、19629月、NASAはアームストロングら9人を宇宙飛行士2期生として発表しました。ジョン・グレンら宇宙飛行士第1期生の「オリジナル・セブン」に続く彼らは「ニュー・ナイン」とよばれました。

       

      NASAの宇宙飛行士はいくつかの私物を宇宙にもっていくことを許されています。月面に着陸した宇宙飛行士の中には、家族の写真を月にもって行ったり、月面に置いてきた人もいました。アームストロングはどうだったのでしょう。ハンセンの伝記によると、アームストロングはほとんど私物をもっていかなかったようです。当時の妻のジャネットによると、アームストロングはオリーブの枝をデザインしたピンを彼女のために月にもっていったが、二人の息子に何かを渡したことはなかったとのことです。

       

      アームストロングはカレンのために何かを月にもっていったのでしょうか。カレンの写真や形見の品を月面に置いてきたのでしょうか。ジューンは「そうであってほしい」といっています。しかし、アームストロングは何も語りませんでした。それは、将来宇宙飛行士が再び「静かの海」を訪れたときにわかるだろうと、ハンセンは書いています。


      コロンビアからの夜明け

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        Sunrise From Columbia

         

        NASAのホームページに、スペースシャトル、コロンビアから撮影された地球の夜明けの写真が掲載されています。2003122日、コロンビアのクルーキャビンから撮影され、地球に送られてきたものです。

         

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        コロンビアの28回目の飛行であるSTS-107は、2003116日に打ち上げられました。21日、コロンビアは16日間のミッションを終え、地球に帰還すべく、大気圏に再突入しました。しかし、ケネディ宇宙センターまであと16分のところにきたテキサス州上空で機体と7名のクルーの生命が失われました。

         

        今年は27日がNASADay of Remembranceで、宇宙への挑戦で失われたアポロ1号、チャレンジャー、そしてコロンビアのクルーを悼む日となっています。



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