ファースト・マン:ザ・ワースト・ロス

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    FIRST MANThe Worst Loss

     

    はじめて月に降り立った宇宙飛行士ニール・アームストロングを描いた映画『ファースト・マン』がまもなく公開になります。原作はジェームズ・R・ハンセンが書いたアームストロングの伝記”FIRST MAN”です。

     

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    ハンセンはNASAのヒストリアンやアラバマ州オーバーン大学の教授として、アメリカの航空宇宙分野の歴史を研究した人物です。アームストロングは自らの伝記出版のオファーを断り続けていましたが、2002年、ハンセンの業績を認めて許可しました。”FIRST MAN”執筆のためにハンセンは125人にインタビューしました。その中にはアームストロング自身との50時間以上のインタビュー、最初の妻ジャネットとの12時間のインタビューが含まれます。

     

    当然のことですが、”FIRST MAN”の多くのページはアームストロングのNASAでの活動、特にアポロ11号の飛行に費やされています。しかしながら、ハンセンはアームストロングのきわめてパーソナルな出来事に関してもいくつか触れています。その1つは、娘カレンに関するもので、ハンセンは”The Worst Loss“として、これに1つの章を与えています。

     

    カレンは1962128日、脳腫瘍のために210か月で亡くなりました。カレンの発病から死までの時期は、アームストロングがNASAのテスト・パイロットとして数々の実験機の試験飛行をしていた時期にあたります。アームストロングはすぐれたテスト・パイロットでしたが、カレンの死の後、試験飛行で2度ほどミスをおかしています。誰にも語ることはありませんでしたが、アームストロングにとって非常につらい時期であったことを物語っています。

     

    この時期は同時に、アームストロングがNASAの宇宙飛行士第2期生の募集を知り、それに応募しようと考えはじめる時期に当たっています。アームストロングが宇宙飛行士になろうと考えたことと、カレンの死は関係していたのだろうかと、ハンセンは問いを投げかけています。彼の妹のジューンは、「それをきくことはできなかった」と語っています。しかし、「愛する娘の死は、彼のエネルギーをもっと前向きなものに集中させる原因になった」と彼女は考えています。

     

    カレンの死後、アームストロングはNASAの宇宙飛行士選抜に応募し、19629月、NASAはアームストロングら9人を宇宙飛行士2期生として発表しました。ジョン・グレンら宇宙飛行士第1期生の「オリジナル・セブン」に続く彼らは「ニュー・ナイン」とよばれました。

     

    NASAの宇宙飛行士はいくつかの私物を宇宙にもっていくことを許されています。月面に着陸した宇宙飛行士の中には、家族の写真を月にもって行ったり、月面に置いてきた人もいました。アームストロングはどうだったのでしょう。ハンセンの伝記によると、アームストロングはほとんど私物をもっていかなかったようです。当時の妻のジャネットによると、アームストロングはオリーブの枝をデザインしたピンを彼女のために月にもっていったが、二人の息子に何かを渡したことはなかったとのことです。

     

    アームストロングはカレンのために何かを月にもっていったのでしょうか。カレンの写真や形見の品を月面に置いてきたのでしょうか。ジューンは「そうであってほしい」といっています。しかし、アームストロングは何も語りませんでした。それは、将来宇宙飛行士が再び「静かの海」を訪れたときにわかるだろうと、ハンセンは書いています。


    ダークエネルギーの密度は時間とともに増加

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      Dark Energy Density Increasing with Time.

       

      クェーサーの観測データから、ダークエネルギーの密度が宇宙の歴史とともに増加しているという結果が得られたとのことです。ダークエネルギーというのは宇宙を膨張させているエネルギーですが、現代の科学ではその正体が何であるか分かっていません。

       

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      クェーサーは、非常に遠方にある活動銀河の中心核と考えられています。中心核には超巨大ブラックホールがあり、周囲の物質をのみ込んでいます。このとき紫外線が発生します。その一部は中心核周囲の高温ガスの電子と衝突し、紫外線のエネルギーをX線のエネルギーにまで高めます。この現象によってクェーサーからの紫外線の強さとX線の強さには相関が生じ、この相関からクェーサーまでの距離を知ることができるのです。

       

      イタリア、フローレンス大学のRisalitiとイギリスのダラム大学のLussoは、1598個のクェーサーについて、NASAのチャンドラX線宇宙望遠鏡とESAのX線観測衛星XMM-Newtonから得られたX線のデータ、および宇宙の詳細な地図をつくるSDSS(スローン・デジタル・スカイサーベイ)から得られた紫外線データを用い、それぞれのクェーサーまでの距離を求め、そこから宇宙初期の膨張率を求めて、ダークエネルギーがどのように作用しているかを調べたのです。

       

      遠い銀河にあるIa型超新星の明るさや銀河の赤方偏移の観測によって、今から90億年前から現在までの宇宙膨張の様子が明らかにされ、現在の宇宙は加速膨張していることが分かっています。この加速膨張や宇宙マイクロ波背景放射などの観測結果をよく再現し、現在標準的な宇宙モデルとなっているのが、ΛCDMモデルです。Λ(ラムダ)はアインシュタインの考えた宇宙項(宇宙定数)で、ダークエネルギーを意味します。CDMは冷たいダークマターのことです。私たちの宇宙は曲率がゼロで、ダークエネルギーであるΛと冷たいダークマターをもつと考えるモデルです。

       

      しかし、このΛCDMモデルにも問題が残されています。それは、ダークエネルギーの正体は宇宙項という一定の値ではないのではないか、ダークエネルギーは時間とともに変化するのではないかという問題です。もしもそうだとすると、ΛCDMモデルには修正が必要です。

       

      RisalitiとLussoの研究は、ΛCDMモデルが宇宙の初期においても正しいかどうかを調べるものでした。二人はきわめて遠方のクェーサーのデータを解析することにより、今から120億年も過去にまでさかのぼり、宇宙の膨張率を調べました。その結果、ダークエネルギーの密度が時間とともに増えていることを示唆する結果を得たのです。

       

      今回の結果はきわめて興味深いものですが、さらに検証が必要です。今後、より高い精度で宇宙膨張を観測し、時間とともに膨張速度がどのように変化しているのかを調べる必要があります。


      三島由紀夫:2つの謎

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        Mishima:Two Subjects to be Solved

         

        書店でみつけて思わず買ってしまった『三島由紀夫 ふたつの謎』(大澤真幸、集英社新書)。社会学者の立場からの『豊饒の海』の分析は非常に新鮮でした。

         

        1970年11月25日。この日、三島は雑誌『新潮』に連載していた『豊饒の海』第4巻『天人五衰』の最終回の原稿を、この日の日付を入れて出版社に渡しました。そして、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛官に「決起」を呼びかけ、それがかなわないと知ると割腹自殺を遂げたのです。大澤氏の問いかける謎とはこの日の2つの出来事に関することで、「『天人五衰』の結末はあれでよかったのか?」、そして「三島はなぜ割腹自殺したのか?」ということです。

         

        まず、『天人五衰』の結末について。三島は『豊饒の海』についての創作ノートを残しており、そこには第4巻の結末について、実際の『天人五衰』とは異なるアイデアが書かれています。大澤氏は、『天人五衰』を書き始めた時点で、三島は別の結末を考えており、それが途中で今の結末になってしまったのではないかとし、今の結末は「あまりにも破壊的な効果をもつ終わり」で、「この結末を認めてしまえば、全四巻から成る『豊饒の海』のそこまでの展開のすべてが、遡及的に、無意味なものとして否定されてしまう」と述べています。

         

        しかしながら、『豊饒の海』第1巻『春の雪』から第4巻『天人五衰』の月修寺での結末までを読み終え、もう1度、『春の雪』の結末を読み返してみれば、『天人五衰』の結末はこれしかなかったと考えざるを得ません。死に際した本多が解脱し、すべてが肯定されるような結末は、三島の文学としては成り立たなかったでしょう。第2巻『奔馬』、第3巻『暁の寺』には、本多が月修寺訪問を考え、今はその時ではないと思いとどまる場面があります。『天人五衰』の結末は、『春の雪』、『奔馬』、『暁の寺』を通じてその伏線が張られていたというべきでしょう。たとえ別の結末のアイデアがあったとしても、三島は『天人五衰』の連載を始めた早い段階で、すでに今の結末を考えていたと考えられます。最後の最後で「何もないところへ、自分は来てしまった」と本多が考え、それまでの全4巻で語られてきたことすべての意味が分からなくなってしまうところに、『豊饒の海』という作品の底知れない魅力があると私は考えています。

         

        実は、「『天人五衰』の結末はあれでよかったのか?」という問いは、三島由紀夫の研究者である井上隆史氏がすでに論考したところであり(『三島由紀夫 幻の遺作を読む』、光文社新書)、大澤氏の今回の著書は、同じ問いを大澤氏の学問的立場から検討したものといえます。井上氏も『三島由紀夫 幻の遺作を読む』で、今の結末は「『春の雪』以降展開してきた筋立てが解体することであり、作品の時空間が消滅してしまうことである」と述べています。井上氏は書かれることのなかったもう1つの『天人五衰』を、創作ノートをもとに構成し、考察を加えています。興味深いのは、井上氏がエピローグで、「やはり三島はその構想を破棄し、実際に発表された通りの『天人五衰』を書いてこそ、三島由紀夫なのだ」と述べていることです。

         

        『三島由紀夫 ふたつの謎』でもふれられていますが、三島が16歳の時に書いた事実上のデビュー作『花ざかりの森』の結末と『天人五衰』の結末が似ているという指摘が以前からなされています。実際、『花ざかりの森』の結末の「死に似た静謐」は、『天人五衰』の結末とまったく同じといってよいものです。さらにいえば、三島が20歳の時に書いた『岬にての物語』をこれに加えてもいいでしょう。この作品の結末で、若い二人が飛び降りた岬の先端で主人公が腹ばいになって見下ろした海の「無音の光景」も、『花ざかりの森』と『天人五衰』に共通しています。三島という作家は、最後に同じ光景に戻ってきたのです。これは『豊饒の海』で、本多が『春の雪』の結末の場所である月修寺に『天人五衰』で最後に戻ってきたことと対応しています。

         

        ちなみに『豊饒の海』というタイトルですが、これは月の海の名前です。三島自身が『春の雪』の後註で「月の海の一つのラテン名なるMare Foecunditatisの翻訳である」と書いています。「海」は三島文学にとって特別な存在でした。そして『豊饒の海』では「月」も特別な意味をもちます。三島が『豊饒の海』を書きはじめた頃には、Mare Foecunditatisはすでに「豊かの海」という平易な表記になっていましたが、戦前までは「豊饒の海」あるいは「豊饒海」などが使われていました。「海」と「月」をめぐる長編のタイトルを考えた時に、三島は古い月面図で見た「豊饒の海」という表記に興味を覚えたのでしょう。したがって、実際の豊かの海が水もない不毛な場所であるという事実は、三島にとってあまり意味をもたなかったと思います。三島は『春の雪』に登場する鎌倉の海を「豊饒の海」として書いています。それに対して『天人五衰』の冒頭で透が望遠鏡で眺める駿河湾は、俗にまみれ、悲劇性を失った海として書かれています。時代がそれだけ変わってしまったのです。

         

        さて、もう1つの謎、三島はなぜ割腹自殺したかです。井上氏は、『天人五衰』の実際の結末と書かれなかった結末は「虚無」と「救済」の闘いであったとし、虚無が勝ってしまったことが、三島の死に関係していると述べています。三島の割腹自殺に、三島自身がもっていたはかりしれないニヒリズムが作用していたのは間違いありません。さらに、これについて考えるには、『仮面の告白』を読む必要があります。この作品は、タイトルからして三島という作家の二面性を表現しています。この作品に書かれていることは、仮面をつけることではじめて可能になった作者自身の真の告白なのか? それとも仮面による完全な虚構なのか? 何が真実かは作者にしか分からないわけですが、この作品を読んで私たちが気づくことが1つあります。三島が絵画『聖セバスチャンの殉教』に惹かれ、自分も腹に矢を射られた聖セバスチャンになりたいと考えていたことです。

         

        三島は聖と俗というか、美の究極を求める純粋な文学者であると同時に、俗世間に自らのもう1つの面を投影し、マスコミに取り上げられることを好んだ作家でもありました。三島の人生で前者の仕上げが『豊饒の海』であり、後者の仕上げがボディビルで鍛えた身体で切腹すること、すなわち聖セバスチャンとして死ぬことでした。三島は割腹自殺する数年前に『憂国』や映画『憂国』で切腹のシミュレーションを行っていましたし、雑誌『血と薔薇』のグラビアでは、自ら聖セバスチャンとなった姿を篠山紀信に撮らせていました。

         

        三島の割腹自殺の日、私はまだ学生で、荻窪あたりでアルバイトをしていた記憶がありますが、不思議なことにニュースを知っても驚きはなく、三島の魂もこれで鎮まるのではないかと考えたのをおぼえています。

         

        三島にとって2つの出来事は同じ日に起こらなくてはならなかったのでしょう。とすると、三島が市ヶ谷の自衛隊を訪問する日程が先に決まり、それに合わせて『天人五衰』を終わらせるという段取りになります。三島は『天人五衰』の最終回の原稿を1970年の夏には書いており、その原稿の入った茶封筒をドナルド・キーンに見せたことは、よく知られています。おそらく三島は、連載の途中から、先に結末を書き終え、自衛隊訪問の日程に合わせてその間を埋めるという書き方をとったのでしょう。さらにいえば、三島は、早く結末を書いてしまいたいという誘惑を抑えることができなかったのかもしれません。『天人五衰』を読み進んでいくと、「九月三日の事件」あたりから、物語の展開が急になり、最終回に向かって先を急ぐ感があります。『天人五衰』の完結はもともと1971年後半とされていました。それが自衛隊での日程に合わせて早まってしまったということなのでしょう。

         

        久しく思いめぐらすことのなかった三島の作品について、あれこれ考えてしまうほど、大澤氏の本は知的刺激に満ちていました。

         


        コロンビアからの夜明け

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          Sunrise From Columbia

           

          NASAのホームページに、スペースシャトル、コロンビアから撮影された地球の夜明けの写真が掲載されています。2003122日、コロンビアのクルーキャビンから撮影され、地球に送られてきたものです。

           

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          コロンビアの28回目の飛行であるSTS-107は、2003116日に打ち上げられました。21日、コロンビアは16日間のミッションを終え、地球に帰還すべく、大気圏に再突入しました。しかし、ケネディ宇宙センターまであと16分のところにきたテキサス州上空で機体と7名のクルーの生命が失われました。

           

          今年は27日がNASADay of Remembranceで、宇宙への挑戦で失われたアポロ1号、チャレンジャー、そしてコロンビアのクルーを悼む日となっています。


          パーカー・ソーラー・プローブ:太陽をまわる2周目の軌道に

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            Parker Solar Probe Begins Second Sun Orbit

             

            20188月に打ち上げられたパーカー・ソーラー・プローブはすべての機器が順調に作動しており、太陽を周回する2周目の軌道に入っています。

             

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            下の図がパーカー・ソーラー・プローブの軌道です。緑の線がこれまでの軌道で、これからの軌道は赤い線で示されています。

             

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            現在、パーカー・ソーラー・プローブは太陽から最も離れる遠日点をすぎたところです。最初の周回で最も太陽に近づく近日点に達したのは201811月で、この時、太陽〜水星間の距離の約半分にまで達しました。パーカー・ソーラー・プローブは太陽を合計24周する予定です。

             

            2周目の軌道で近日点に達するのは今年の4月です。それまでに1周目の軌道で得られた科学データがすべて地球に送られてくる予定です。これまで見たこともなかったような太陽の姿を、もうすぐ見ることができるでしょう。


            共生星みずがめ座R

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              Symbiotic Binary Star R Aquarii

               

              ヨーロッパ南天天文台(ESO)の大型望遠鏡VLTが撮影した共生星みずがめ座Rの画像です。系外惑星探索用にVLTに設置された観測装置SPHEREの試験観測で得られたものです。

               

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              共生星とは赤色巨星と白色矮星の連星系のことをいいます。みずがめ座Rの赤色巨星はミラ型の長周期変光星で、周期的に膨張したり縮小したりすることによって明るさが変化しています。赤色巨星の外層のガスは白色矮星に引っ張られ、白色矮星の周囲に降着円盤を形成しています。降着円盤とは垂直方向にジェットが放出されています。下の画像はみずがめ座Rの想像イラストです。

               

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              SPHEREは非常に観測精度の高い装置で、ハッブル宇宙望遠鏡を上回る解像度の画像が得られました。下の画像左はハッブル宇宙望遠鏡が撮影したみずがめ座Rです。中心の明るい部分から上下に伸びている筋がジェット、横方向のリングは1773年に起こった新星爆発の残骸です。下の画像右はみずがめ座Rの中心領域で、VLTの画像と同じ領域が示されています。この画像とVLTの画像を比べてみると、SPHEREの観測能力の高さが分かります。

               

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              VLTの画像では中心部にひときわ明るい点が2つ、はっきりと見えてきます。

               

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              この画像に関するSchmidらの論文を読んでみると、左側の点が赤色巨星の位置、右側の点がジェットの放出源、すなわち白色矮星の位置にあたります。みずがめ座Rの連星系がSPHEREによって初めて分離して観測されたことになります。



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