月にともる火:ノーマン・メイラー、アポロ宇宙飛行士に会う

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    Of a Fire on the MoonNorman Mailer Meets Apollo Astronauts

     

    アポロ11号のクルー、ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズは打ち上げ11日前の196975日、ヒューストンで記者会見に臨みました。すでにアームストロングが月面に下りる最初の人間になることは公表されており、会場には多くの記者が集まりました。

     

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    ジェームズ・R・ハンセンのアームストロングの伝記”FIRST MAN”にも、この時の様子が描かれています。しかし、ハンセンはこの箇所で、アームストロングらが記者会見で語ったことそのものよりは、ノーマン・メイラーが『ライフ』誌に書き、その後『月にともる火』(Of a Fire on the Moon、山西英一訳、早川書房)に収録された文章について多くを割いています。実は、その記者会見の場に、『裸者と死者』、『なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか?』、『夜の軍隊』などで知られた作家であるノーマン・メイラーがいたのです。

     

    『月にともる火』によると、メイラーは3本の映画制作のために莫大な借金ができてしまい、それを返すために、アポロ11号について書いてほしいという『ライフ』誌のオファーを受けたのでした。メイラーにとって、最初は金を稼ぐための仕事であったかもしれませんが、やがて、彼はこれが「恐ろしい、手ごわい仕事」であり、「半端仕事から解放してくれるような大きさの仕事になるだろう」と思うようになります。実際、『月にともる火』はアポロ11号について書かれた最良の本の1つとなりました。それは単なる事実の記録ではなく、戦争や環境破壊の黙示録的世紀において、人類が月にいくことがどのような意味を持つのかを突き詰めて考えた書物ということができます。

     

    75日の記者会見は、取材を始めたメイラーが初めて宇宙飛行士が語る言葉を聞いた日であり、『月にともる火』では第1部第2章「宇宙飛行士たちの心理」がそれにあてられています。さすがにハンセンはこの章が『月にともる火』で重要な位置を占めていることを知っており、メイラーがこの記者会見で宇宙飛行士の言葉をどのように受け止めたのかを紹介しているのです。

     

    記者会見ではまずアームストロングが、言葉を選びながら、慎重に話を進めました。ところがこれが、メイラーにはアームストロングが緊張して固くなっていると感じられたようです。この点について、ハンセンはアームストロングが公式の場ではそのような話し方をすることをメイラーは知らなかったのだろうと書いています。ただし、メイラーはアームストロングに最初から何か特別なものを感じていました。「アームストロングは全くほかの人間とは違っていた」と、メイラーは書いています。「かれは明らかに、他のものが弾じてみようと考えてもみない、宇宙の中のある弦と霊的共感していた」。

     

    一方、理路整然とよどみなく話すオルドリンについては、メイラーは「トラクターみたいに頼りになる」逞しい肉体の男で、「激しく動くドリルのように話した」と書いています。またコリンズについては、「気楽」で「冷静」で、「パーティで会えば、ほとんどだれでもみんな喜ぶような男だった」としています。

     

    この日の記者会見は取材者側をグループ分けして何度も行われ、記者たちの質問がえんえんと続きます。メイラーは記者たちが「個人的告白をさせ、感情を打ち明けさせ、どうしようもない不安をみとめさせようと、どこまでも追いつづけた」と書いています。しかし3人の答はどれもNASA流の優等生的なもので、オルドリンとコリンズがいくらかの個人的なエピソードをまじえるだけでした。

     

    こうしたやりとりを聞きながら、メイラーはやがて、月に行くなどというこれまで誰もしたことのない任務を担う宇宙飛行士とはどのような人間なのかを考えはじめ、「宇宙飛行士たちの心理」を理解するためには、何か新しいものが必要だと気付くのです。「かれらこそは古い人間の最後であるか、それとも新しい人間の最初であって、新しい心理学の輪郭がひかれるまでは、かれらを測る尺度は何一つないからである」とメイラーは書いています。

     

    「かれらこそは古い人間の最後であるか、それとも新しい人間の最初であって」という箇所は、ひどく私の印象に残りました。ハンセンも同様だったらしく、やはりこの箇所を紹介しています。

     

    映画『ファースト・マン』にも7月5日の記者会見のシーンはでてきますが、残念ながらメイラーやハンセンのような宇宙飛行士についての深い考察はありませんでした。

     

    宇宙飛行士は古い人間の最後なのか? それとも新しい人間の最初なのか? 私は世界の宇宙開発の進展を見ながら、いつもそれを考え続けてきました。私の考えでは、かつて海に生きていた生物が陸上への進出を果たすために数知れない挑戦をしたように、今の宇宙開発はまだ挑戦の時代であり、宇宙飛行士は今後もしばらくの間は古い人間の代表として宇宙へ向うでしょう。しかし同時に、宇宙飛行士たちの考え方や行動規範は、来るべき新しい時代の人間の原型になる要素をもっているのではないかと考えています。その意味では、宇宙飛行士は新しい人間の最初なのでしょう。


    映画『ファースト・マン』:最後に残ったのは失望だけ

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      Damien Chazelle’s “First Man”Only Disappointment Remained

       

      映画『ファースト・マン』を観てきました。「これは『ライトスタッフ』でも『アポロ13』でもない」というアメリカでの批評を聞いてはいましたが、あまりの失望感に言葉もなく劇場を後にしました。ジェームズ・R・ハンセンによるニール・アームストロングの素晴らしい伝記を映画化するのであれば、誰か他の監督につくってほしかったと思わざるを得ません。

       

      場面の大半がアームストロングの家。当時のNASAのセットはほとんどなし。そして最後の月面シーンのチープさ。数え上げればきりがないので、やめますが、1番の問題は、この作品で描かれているアームストロングが、ハンセンが伝えたかったアームストロングではないということです。アームストロングは最高のプロフェッショナルでしたが、同時にいつも穏やかで人々に温かい宇宙飛行士でした。

       

      原作には、月への出発前のアームストロングに妻のジャネットがくってかかることなどは書かれていません。アームストロングが2歳で死んだ娘のカレンを月面で思い出して涙を流すことも書かれていません。この作品で描かれるオルドリンも実際とは異なり、おそらくオルドリン本人にとっていい気持にはならないでしょう。

       

      もちろん『ファースト・マン』はドキュメンタリーではありませんから、原作の映画化権を取得した人たちには脚色の自由があります。しかし、この作品はアポロ計画には興味のなかった人たちがつくった映画という感が否めません。また悪意ではないにしても、実際に起こったことがネガティブなフィルターをかけられたり(例えばアポロ8号)、一面的に描かれたり(例えばジェミニ8号)しており、さらに実際にはありえないシーン(例えばカレンのブレスレット)が付け加えられています。アポロ計画やニール・アームストロングに関係のあった人々、あるいはよく知る人々が誰も喜ばない映画になってしまいました。

       

      『ライトスタッフ』や『アポロ13』を観て、NASAの宇宙計画に興味を持った人は多いと思います。しかし『ファースト・マン』についていえば、多くの人々が人類の偉業であるアポロ計画の意義やアームストロングの魅力的な人間像を理解する上でマイナスにしかならないことを、私は非常に残念に思います。


      2018年は観測史上4番目に暑い年だった

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        2018 were the Fourth Warmest since 1880

         

        NASAの発表によると、2018年は観測史上4番目に暑い年でした。

         

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        下のグラフは1880年以降の世界平均気温の推移です。赤い線がNASAのデータで、それ以外にNOAAや日本の気象庁、イギリスのハドレー・センターのデータなどが示されています。観測方法やデータ処理方法の違いなどのために多少数値の差はありますが、推移はまったく一致しています。

         

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        NASAによると、2018年の世界平均気温は、1951〜1980年の平均値に比べて0.83C高くなっているとのことです。


        ファースト・マン:Gミッション

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          FIRST MAN:G Mission

           

          ニール・アームストロングはなぜアポロ11号のコマンダー(船長)に選ばれ、初めて月面に足跡を残すことになったのでしょうか。

           

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          ジェームズ・R・ハンセンが書いたアームストロングの伝記”FIRST MAN”には、以下のような経緯が紹介されています。

           

          1967年1月27日に発生したアポロ1号の事故により、NASAはアポロ宇宙船の設計の大幅な見直しを迫られました。それにともない、アポロ飛行計画にも大きな変更がもたらされました。NASAが同年4月に発表した新たな計画は以下のようなものでした。

           

          死亡した3人の宇宙飛行士を悼み、アポロ1号を新たなミッション名に用いない。

          アポロ2号と3号はない。

          アポロ4号は無人でサターンロケットの試験を行う。

          それ以降はAからJのミッションがある。

          Aミッションは無人のアポロ4号と6号で、サターンロケットとアポロ司令船のテストを行う。

          Bミッションは無人のアポロ5号で、月着陸船のテストを行う。

          Cミッションはアポロ7号によるアポロ初の有人ミッションで、地球周回軌道でアポロ司令船と機械船をテストする。

          Dミッションはアポロ司令船・機械船と月着陸船を地球周回軌道でテストする。

          Eミッションはアポロ司令船・機械船と月着陸船を月周回軌道でテストする。

          Fミッションは月着陸のドレスリハーサル(本番そのままのリハーサル)である。

          Gミッションで月着陸を行う。

          Hミッションはより高度な機器を搭載した着陸ミッションである。

          Iミッションは月を周回してリモートセンシング観測を行うミッションで、月着陸は行わない。

          JミッションはHと同じだが、より長く月面にとどまる。

           

          宇宙飛行士室をひきいていたディーク・スレイトンは、アポロ7号のクルーとしてウォルター・シラー、ドン・エイゼル、ウォルター・カニンガムを指名しました。バックアップ・クルーはトム・スタッフォード、ジョン・ヤング、ジーン・サーナンでした。シラーらはもともとアポロ1号のバックアップでした。アポロ8号のクルーにはジム・マクディヴィット、デイブ・スコット、ラスティ・シュワイカートが指名されました。バックアップはピート・コンラッド、ディック・ゴードン、クリフトン・ウィリアムズでした。ウィリアムズはその後、飛行機事故で死亡し、アル・ビーンに代わりました。アポロ9号のクルーはフランク・ボーマン、マイケル・コリンズ、ビル・アンダースで、バックアップはアームストロング、ジム・ラヴェル、バズ・オルドリンでした。

           

          この時点でアポロ8号と9号はDミッションの飛行でした。9号のバックアップであるアームストロングがプライム・クルーに指名されるのは早くてアポロ11号でした。なぜなら、NASAではバックアップ・クルーが次のミッションのプライム・クルーに移行することはなかったからです。EミッションとFミッションは月に着陸せず、Gミッションで着陸を目指すことになるので、順番でいえば一番早くてアポロ12号が月着陸に最初に挑戦することになります。アームストロングが11号に指名されば、彼は月でのドレスリハーサルを行うことになます。

           

          しかし、この飛行計画は実際にはだいぶ変わってしまいました。1968年10月11日、アポロ7号が打ち上げられ、ミッションは成功しました。同年12月21日にアポロ8号が打ち上げられましたが、ミッションはDミッションではなく、人類初の月周回飛行を目指していました。実はこの時期、グラマン社が開発中の月着陸船は完成しておらず、Dミッションを行うことはできませんでした。また、当時月着陸競争を行っていたソ連が、有人月周回飛行を間もなく行うという情報がありました。このため、NASAは大きなリスクをとり、巨大なサターン5型ロケットにはじめて人間を載せるミッションで月周回を行うことを決断したのでした。アポロ8号はアポロ計画で最も危険なミッションでした。クルーはフランク・ボーマン、ジム・ラヴェル、ウィリアム・アンダースでした。

           

          この結果、Eミッションはスキップされ、アポロ9号でDミッションを行い、アポロ10号でFミッションを行うことになりました。アポロ11号がGミッションを行うことになったのです。アポロ8号打ち上げの日の午後、スレイトンはアームストロングを呼び、彼をアポロ11号のコマンダーに指名するつもりであることを伝え、さらに、アポロ8号、9号、10号の飛行がすべてうまくいけば、11号は月着陸を目指すことになると話しました。スレイトンはアームストロングが初めて月に立つ人間としての資質をもっていることを早くから見抜いていたのでしょう。

           

          スレイトンは11号のクルーとしてオルドリンとコリンズを考えていましたが、この時アームストロングに、月着陸船のパイロットはオルドリンではなくラヴェルではどうかと打診しました。一晩考えたアームストロングは、ラヴェルは次の飛行ではコマンダーになるべきと答えました。こうしてラヴェルは13号のコマンダーに指名されることになりました。

           

          アポロ8号帰還後の1969年1月4日、スレイトンは3人を集め、アポロ11号のクルーとして正式に指名しました。アポロ9号と10号のミッションも成功し、7月16日、アポロ11号は発射台を離れました。こうして、アームストロングは「ファースト・マン」になったのです。


          ファースト・マン:ザ・ワースト・ロス

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            FIRST MANThe Worst Loss

             

            はじめて月に降り立った宇宙飛行士ニール・アームストロングを描いた映画『ファースト・マン』がまもなく公開になります。原作はジェームズ・R・ハンセンが書いたアームストロングの伝記”FIRST MAN”です。

             

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            ハンセンはNASAのヒストリアンやアラバマ州オーバーン大学の教授として、アメリカの航空宇宙分野の歴史を研究した人物です。アームストロングは自らの伝記出版のオファーを断り続けていましたが、2002年、ハンセンの業績を認めて許可しました。”FIRST MAN”執筆のためにハンセンは125人にインタビューしました。その中にはアームストロング自身との50時間以上のインタビュー、最初の妻ジャネットとの12時間のインタビューが含まれます。

             

            当然のことですが、”FIRST MAN”の多くのページはアームストロングのNASAでの活動、特にアポロ11号の飛行に費やされています。しかしながら、ハンセンはアームストロングのきわめてパーソナルな出来事に関してもいくつか触れています。その1つは、娘カレンに関するもので、ハンセンは”The Worst Loss“として、これに1つの章を与えています。

             

            カレンは1962128日、脳腫瘍のために210か月で亡くなりました。カレンの発病から死までの時期は、アームストロングがNASAのテスト・パイロットとして数々の実験機の試験飛行をしていた時期にあたります。アームストロングはすぐれたテスト・パイロットでしたが、カレンの死の後、試験飛行で2度ほどミスをおかしています。誰にも語ることはありませんでしたが、アームストロングにとって非常につらい時期であったことを物語っています。

             

            この時期は同時に、アームストロングがNASAの宇宙飛行士第2期生の募集を知り、それに応募しようと考えはじめる時期に当たっています。アームストロングが宇宙飛行士になろうと考えたことと、カレンの死は関係していたのだろうかと、ハンセンは問いを投げかけています。彼の妹のジューンは、「それをきくことはできなかった」と語っています。しかし、「愛する娘の死は、彼のエネルギーをもっと前向きなものに集中させる原因になった」と彼女は考えています。

             

            カレンの死後、アームストロングはNASAの宇宙飛行士選抜に応募し、19629月、NASAはアームストロングら9人を宇宙飛行士2期生として発表しました。ジョン・グレンら宇宙飛行士第1期生の「オリジナル・セブン」に続く彼らは「ニュー・ナイン」とよばれました。

             

            NASAの宇宙飛行士はいくつかの私物を宇宙にもっていくことを許されています。月面に着陸した宇宙飛行士の中には、家族の写真を月にもって行ったり、月面に置いてきた人もいました。アームストロングはどうだったのでしょう。ハンセンの伝記によると、アームストロングはほとんど私物をもっていかなかったようです。当時の妻のジャネットによると、アームストロングはオリーブの枝をデザインしたピンを彼女のために月にもっていったが、二人の息子に何かを渡したことはなかったとのことです。

             

            アームストロングはカレンのために何かを月にもっていったのでしょうか。カレンの写真や形見の品を月面に置いてきたのでしょうか。ジューンは「そうであってほしい」といっています。しかし、アームストロングは何も語りませんでした。それは、将来宇宙飛行士が再び「静かの海」を訪れたときにわかるだろうと、ハンセンは書いています。


            ダークエネルギーの密度は時間とともに増加

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              Dark Energy Density Increasing with Time.

               

              クェーサーの観測データから、ダークエネルギーの密度が宇宙の歴史とともに増加しているという結果が得られたとのことです。ダークエネルギーというのは宇宙を膨張させているエネルギーですが、現代の科学ではその正体が何であるか分かっていません。

               

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              クェーサーは、非常に遠方にある活動銀河の中心核と考えられています。中心核には超巨大ブラックホールがあり、周囲の物質をのみ込んでいます。このとき紫外線が発生します。その一部は中心核周囲の高温ガスの電子と衝突し、紫外線のエネルギーをX線のエネルギーにまで高めます。この現象によってクェーサーからの紫外線の強さとX線の強さには相関が生じ、この相関からクェーサーまでの距離を知ることができるのです。

               

              イタリア、フローレンス大学のRisalitiとイギリスのダラム大学のLussoは、1598個のクェーサーについて、NASAのチャンドラX線宇宙望遠鏡とESAのX線観測衛星XMM-Newtonから得られたX線のデータ、および宇宙の詳細な地図をつくるSDSS(スローン・デジタル・スカイサーベイ)から得られた紫外線データを用い、それぞれのクェーサーまでの距離を求め、そこから宇宙初期の膨張率を求めて、ダークエネルギーがどのように作用しているかを調べたのです。

               

              遠い銀河にあるIa型超新星の明るさや銀河の赤方偏移の観測によって、今から90億年前から現在までの宇宙膨張の様子が明らかにされ、現在の宇宙は加速膨張していることが分かっています。この加速膨張や宇宙マイクロ波背景放射などの観測結果をよく再現し、現在標準的な宇宙モデルとなっているのが、ΛCDMモデルです。Λ(ラムダ)はアインシュタインの考えた宇宙項(宇宙定数)で、ダークエネルギーを意味します。CDMは冷たいダークマターのことです。私たちの宇宙は曲率がゼロで、ダークエネルギーであるΛと冷たいダークマターをもつと考えるモデルです。

               

              しかし、このΛCDMモデルにも問題が残されています。それは、ダークエネルギーの正体は宇宙項という一定の値ではないのではないか、ダークエネルギーは時間とともに変化するのではないかという問題です。もしもそうだとすると、ΛCDMモデルには修正が必要です。

               

              RisalitiとLussoの研究は、ΛCDMモデルが宇宙の初期においても正しいかどうかを調べるものでした。二人はきわめて遠方のクェーサーのデータを解析することにより、今から120億年も過去にまでさかのぼり、宇宙の膨張率を調べました。その結果、ダークエネルギーの密度が時間とともに増えていることを示唆する結果を得たのです。

               

              今回の結果はきわめて興味深いものですが、さらに検証が必要です。今後、より高い精度で宇宙膨張を観測し、時間とともに膨張速度がどのように変化しているのかを調べる必要があります。



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