フォトグラフ51:ロザリンド・フランクリンとDNA

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    Photograph 51:Rosalind Franklin and DNA

     

    『フォトグラフ51』が日本でも公演されることになりました。「フォトグラフ51」とは、ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発見する上で決定的な役割を果たした、DNAのX線回折写真のことです。『フォトグラフ51』は2010年10月27日から11月21日まで、ニューヨークのアンサンブル・スタジオ・シアターで初公演されました。

     

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    現代生物学の基礎となったDNAの二重らせん構造発見の経緯については、ワトソン自身の著書『二重らせん』に生き生きと書かれています。1951年、イギリス、ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所にやってきたワトソンは、自分に本来与えられた研究とは別に、クリックと一緒にDNAの構造を解明する研究をはじめます。それこそが遺伝のしくみを解き明かす鍵と考えたからです。その頃ロンドンのキングス・カレッジではモーリス・ウィルキンスがDNAを研究していましたが、1950年にキングス・カレッジにやってきた同僚のロザリンド・フランクリンとの人間関係がうまくいかない困難を抱えていました。フランクリンはX線回折の専門家で、キングス・カレッジでDNA結晶の鮮明なX線回折写真を撮りはじめていました。

     

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    フランクリンのX 線回折写真を見たワトソンは、DNA が二重らせん構造をもっていることを確信し、これが世紀の発見へとつながりました。そのX線写真がフォトグラフ51です。

     

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    DNAの二重らせん構造に関するワトソンとクリックの論文は『ネイチャー』誌の1953年4月23日号に発表され、1962年、ワトソンとクリック、ウィルキンスはDNAの構造決定の業績によりノーベル医学・生理学賞を受賞しました。そのときフランクリンは卵巣がんですでに他界していました。彼女が研究で使っていたX線のためともいわれています。

     

    1975年、フランクリンと親交のあったアン・セイヤーは ”Rosalind Franklin and DNA”(『ロザリンド・フランクリンとDNA――ぬすまれた栄光』)を出版しました。この本は、『二重らせん』の中でフランクリンに関してワトソンが書いていることへのいわば反論として書かれたものです。セイヤーは、『二重らせん』や『ネイチャー』論文では、彼女の業績が正当に評価されていないこと、『二重らせん』でワトソンが描いているフランクリン像は一面的であり、実際のフランクリンは人間的にも素晴らしい女性であったことなどを述べています。

     

    二重らせん発見に関するフランクリンの業績に関しては、今では正しい評価がなされていると思いますが、1970年代にはアン・セイヤーの邦訳のサブタイトルにあるように、ワトソンとクリックはフランクリンの業績を盗んだという見方もあったのでしょう。しかし、この点についてはワトソンたちが目指していたものと、フランクリンが考えていた研究の進め方が異なっていたということに注意しなくてはなりません。ワトソンとクリックはDNA の構造を明らかにすることこそが、遺伝現象を分子レベルで解明するために最も大事であると考えていました。一方、フランクリンは当時、より鮮明なX 線回折写真を撮ることに高い優先度を置いていたようです。私は1981年にワトソンが来日した折、彼にインタビューしましたが、そのとき、ワトソンは自分からフランクリンについて話をはじめ、(もしも彼女がDNA の構造解明を最優先に考えていれば)「彼女も二重らせんを発見できたはずだ」と語っています。

     

    『二重らせん』でのワトソンの記述がフランクリンの人格を傷つけているというセイヤーの主張に、私は賛成しません。ワトソンやウィルキンスを拒絶する様子が多少誇張されて書かれているとはいえ、彼女が一流の科学者であり、人間的にもすぐれた人物であったことは『二重らせん』を読んだだけでもわかります。なお、フランクリンの一生については、ブレンダ・マッドクスが2002年に、”The Dark Lady of DNA”(『ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』)というすぐれた伝記を出版しています。ちなみに、私はセイヤーの邦訳に加えられたサブタイトル「ぬすまれた栄光」と、マドックスの邦訳のタイトル「ダークレディと呼ばれて」については、著者の意図以上のものが感じられ、あまり気に入っていません。

     

    『フォトグラフ51』では、フランクリンを主人公に、当時の研究室での人間模様が演じられます。ニコール・キッドマンがフランクリン役を演じて有名になってしまいましたが、2010年にアンサンブル・スタジオ・シアターで公演されたときにフランクリン役を演じたのはクリステン・ブッシュでした。

     

    なぜ『フォトグラフ51』が多くの人の心を引き付けたのか。私には『ロザリンド・フランクリンとDNA――ぬすまれた栄光』の解説で中村桂子氏が書いている以下の文が、その答に最もふさわしいような気がします。「『二重らせん』と本書は、三人のあいだの葛藤を通して、知識の追求に明け暮れる冷たい世界と思われがちな科学研究の場が、いかに人間臭い、個性と個性のぶつかり合いの場であるかを示してくれたからこそ興味深い読み物なのかもしれない」

     

    『サイエンティフィック・アメリカン』誌の当時のブログは、公演が行われている最中の2010年11月2日に、この演劇をめぐってアンサンブル・スタジオ・シアターのすぐ近くで行われたパネル・ディスカッションを紹介しています。このパネル・ディスカッションには『ニューヨーク・タイムス』紙の科学記者マイケル・ウェイド、カリフォルニア州立大学の生物学学者リン・エルキン、ラトガーズ大学の生物学者ヘレン・バーマン、そして『フォトグラフ51』の脚本を書いたアンナ・ジーグラーが出席し、コロンビア大学の生物学者スチュアート・ファイアスタインがモデレーターをつとめ、かつてアン・セイヤーが提起した点が改めて議論されました。

     

    このパネル・ディスカッションにはワトソンも出席する予定だったのですが、コールド・スプリング・ハーバー研究所での会議出席のために参加できませんでした。しかし、同じ『サイエンティフィック・アメリカン』誌のブログは、『ニューズウィーク』誌のアンナ・クッシュメントが11月16日に、ワトソンやコールド・スプリング・ハーバー研究所のヤン・ウィトコウスキー、アレックス・ガンらと食事をしたときの会話が紹介されています。

     

    ワトソンだけでなく、ウェイドもウィトコウスキーもガンも、私にとってはマンハッタンやロングアイランドのコールド・スプリング・ハーバー研究所で何度も会ったことのある、なつかしい人たちです。50年以上前のことではあるものの、科学の世界の重要な発見につながったドラマチックな出来事が、オフブロードウェイの小さな劇場で演じられ、それについて科学者やジャーナリストが熱心に議論し、最後には当のワトソンまでがロングアイランドから出かけてきて議論に参加してしまうニューヨークという街は、やはり世界の他のどこにもない魅力をもっています。

     



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