ドリーム・チェイサーの最終組み立て開始

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    Full Assembly of the Dream Chaser Spacecraft Starts

     

    国際宇宙ステーション(ISS)に物資を運ぶシエラ・ネバダ社の新型宇宙船ドリーム・チェイサーの組み立てがはじまります。

     

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    先日、機体のベースとなる一次構造がテキサス州フォートワースにあるロッキード・マーチンの工場からシエラ・ネバダのコロラド工場に到着しました。ここで翼やカーゴ・モジュールの結合、アビオニクスなどの装置を設置する最終組み立てが行われ、2021年春に完成、その後NASAでの環境試験などを行い、2021年秋以降に初飛行の予定です。

     

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    シエラ・ネバダ社のドリーム・チェイサーはNASA ISS からの緊急帰還用のライフボートとして開発していたHL-20 をベースにしたミニシャトル型の有翼宇宙船です。全長9m、幅4.5mで、機体にはCFRP(炭素強化プラスチック)が多用されています。船内および機体後部に結合されるカーゴ・モジュールに合計5.4tの貨物を搭載することが可能です。打ち上げにはULA(ユナイテッド・ローンチ・アライアンス)のヴァルカン・ロケットを用い、帰還時はスペースシャトルと同じように滑空して着陸します。25回程度の再利用が可能です。

     

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    物資輸送用のドリーム・チェイサーは、下のように本体(上)とカーゴモジュール(下)からなり、両方に物資を搭載できます。

     

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    下は、ISS にドッキングしたドリーム・チェイサーの想像図です。

     

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    帰還時にはカーゴ・モジュールを分離し、本体が滑走路に着陸します。

     

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    NASA はスペースシャトルが退役する前年の2010年に、民間の有人宇宙船によるISSへのクルー輸送を実現するための計画CCPCommercial Crew Program)をスタートさせました。20129月に、ボーイング社のCST-100、スペースX社のクルー・ドラゴン(ドラゴンv2)、シエラ・ネバダ社のドリーム・チェイサーの3つが選定されました。しかし、2014年に行われた最終選定ではCST-100 とクルー・ドラゴンが選定され、ドリーム・チェイサーは最後の関門を突破することができませんでした。

     

    一方NASA2006年に、ISSへの物資補給を民間企業の宇宙船で行うための計画COTSCommercial Orbital Transportation Services)をスタートさせていました。こちらでは

    スペースX 社の宇宙船ドラゴンとオービタル・サイエンシズ社(当時、現ノースロップ・グラマン社)の宇宙船シグナスが選定され、現在、ISSへの補給サービスを行っています。

     

    NASA 2019年から2024年までのISSへの補給を行うCRS-2 Commercial Resupply Services 2)で、スペースX社、オービタルATK社(当時、現ノースロップ・グラマン社)に加え、シエラ・ネバダ社とも契約を結びました。これにより、無人型のドリーム・チェイサーは少なくとも6回の補給サービスを行いことになったのです。

     

    シエラ・ネバダ社は有人型のドリーム・チェイサーの開発も継続しています。

     

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    シエラ・ネバダ社によると、無人型と有人型では機体・システムの85%は共通とのことで、ISSへの補給サービスは有人型ドリーム・チェイサーの実現に大きなステップになると思われます。


    われわれは月に行くことを選んだ

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      We choose to go to the moon

       

      1962912日、ケネディ大統領はヒューストンのライス大学で有名な演説を行いました。「われわれは月へ行くことを選んだ」と述べ、月を目指すことがアメリカの国家目標であることを高らかに宣言したのです。

       

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      当時はソ連との冷戦の真っただ中の時代でした。アメリカは宇宙開発でソ連に後れを取っていました。そこでケネディは1961525日、議会で「アメリカは1960年代が終わらないうちに人間を月に送り、安全に地球に帰還させる」と発表し、月着陸一番乗りをめざすアポロ計画がスタートしました。

       

      それから14か月後のライス大学での演説の頃には、月に行く技術をマスターするためのジェミニ計画の準備が進められ、アポロ宇宙船の開発もはじまろうとしていました。ケネディはライス大学の演説で述べています。「われわれは60 年代が終わる前に月へ行く。それが容易ではなく困難であるがゆえに。・・・そしてわれわれがその挑戦に勝つつもりでいるがゆえに」。アメリカにとってソ連との競争に勝つことが「自由と平和」を守るためのアメリカの使命であると、アポロ計画の意義を述べたのです。

       

      ケネディは19631122日、テキサス州ダラスで暗殺され、アポロ11号の月着陸を見届けることはできませんでした。アポロ11号の月着陸船イーグルが月面に降り立った今から50年前の1969720日、アーリントン墓地のケネディの墓に誰かが小さな花を飾り、「大統領、イーグルは着陸しました」というメモを置いていたというエピソードが残されています。


      NASA本部前の通りを Hidden Figures Way と命名

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        Street Renaming Puts NASA Headquarters on Hidden Figures Way

         

        ワシントンDCのNASA本部前の通りが”Hidden Figures Way”と命名されました。

         

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        NASA本部はEストリート・サウスウエストの3番ストリートと4番ストリートの間にあります。スミソニアン航空宇宙博物館からも歩ける距離です。EストリートのNASA本部前が Hidden Figures Way と名づけられたわけです。

         

        Hidden Figuresは、NASA の初期の有人宇宙計画に大きな役割を果たしたアフリカ系アメリカ人女性たちを描いたマーゴット・リー・シェタリーの著書“Hidden Figures: The American Dream and the Untold Story of the Black Women Mathematicians Who Helped Win the Space Race”のタイトルです。「表に出てこなかった人たち」といった意味です。

         

        6月12日に行われた式典では、NAASのブライデンスタイン長官(一番左)の他、マーゴット・リー・シェタリー(一番右)も参加しました。

         

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        ”Hidden Figures“が原作となって制作された映画が、2017年に日本でも公開された『ドリーム』です。”Hidden Figures“や『ドリーム』に登場するキャサリン・ジョンソンさん、ドロシー・ヴォーンさん、メアリー・ジャクソンさんは実在の人物です。キャサリン・ジョンソンさんについては、ここにも書いてあります。

         

        ドロシー・ヴォーンさんは当時NASA で働いていた多くの黒人女性たちのパイオニアといえる存在でした。バージニア州ファームビルの高校教師だったドロシーさんは1943年にNASA の前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)のラングレー・リサーチ・センターで働きはじめます。

         

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        ドロシーさんはラングレー・リサーチ・センターの西エリア計算ユニットに配属されました。「人間コンピューター」として計算尺や機械式計算機を用いて航空分野の計算をするのが仕事でした。ドロシーさんたち黒人女性と、同じ仕事をする白人女性たちの仕事場は分けられており、ドロシーさんたちが隔離されていた建物が西ユニットでした。1949年にドロシーさんは西ユニットのスーパーバイザー(監督者)になりました。黒人女性のスーパーバイザーはNACA初のことでした。彼女の役職は1958年10月にNACA がNASA に改組されるまで続きました。NASA がスタートすると、黒人女性を隔離していた施設はなくなり、それとともにドロシーさんは新しいコンピューター部門に移りました。ドロシーさんは1971年にNASA をリタイアし、2008年に亡くなりました。

         

        ドロシーさんが長をしていた西エリア計算ユニットにメアリー・ジャクソンさんが雇われたのは1951年でした。2年後に超音速風洞実験の部署に配属されたメアリーさんは、これをきっかけにエンジニアになる道を目指します。

         

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        彼女が黒人女性として初のNASA のエンジニアになったのは1958年のことです。メアリーさんは1985年にNASA をリタイアし、2005年に亡くなりました。

         

        キャサリン・ジョンソンさんが西エリア計算ユニットにやってきたのは1953年の夏のことでした。2週間後、ドロシーさんは彼女を飛行研究部門に異動させます。キャサリンさんはそこで航空機の計算や航空機事故の調査に携わりました。ソ連との宇宙競争がはじまり、1958年にNASA が創設されると、有人宇宙飛行を目指すスペース・タスク・グループがラングレー・リサーチ・センター内に組織され、マーキュリー計画がスタートします。キャサリンさんがそこで重要な役割を果たしたことは、映画『ドリーム』で描かれた通りです。

         

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        キャサリンさんは1986年にNASA をリタイアしました。2015年、オバマ大統領はキャサリンさんに対して大統領自由勲章賞を授与しました。また、2016年9月にラングレーにオープンした計算センターは、彼女の業績をたたえ、キャサリン・ジョンソン・コンピュテーショナル・リサーチ・センターと命名されました。

         



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