NASAの特別な日

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    NASADay of Remembrance

     

    今年もまた、NASA ”Day of Remembrance” がやってきました。宇宙に挑んで生命を落とした宇宙飛行士たちに思いをはせる日です。

     

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    この時期はNASAにとって特別な意味をもっています。NASAの宇宙飛行士が死亡した3度の事故がこの時期に集中しているのです。

     

    1967127日、ケネディ宇宙センターの発射台で訓練をしていたアポロ1号で火災が発生し、クルーのバージル・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィー(下の画像、左から)が死亡しました。電気系統のショートが原因でした。宇宙船内では純粋酸素が使用されていたため、炎は瞬く間に広がり、飛行士は脱出することができませんでした。このころ、アメリカは1960年代が終わらないうちに月面に人間を送るアポロ計画を強力に推し進めていたのですが、この事故でアポロ計画は一時大きな危機を迎えることとなりました。

     

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    1986128日には、スペースシャトル・チャレンジャー(51-L)が発射台を離れて73秒後に爆発し、7名のクルー、エリソン・オニヅカ、マイケル・スミス、クリスタ・マコーリフ、フランシス・スコビー、グレゴリー・ジャービス、ジュディス・レズニク、ロナルド・マクネア(下の画像、左から)の生命が失われました。原因は寒波が訪れていた時期に打ち上げたために、Oリングとよばれる固体燃料ブースターのゴム製の部品が弾力性を失い、燃焼ガスがブースターから噴き出してしまったことによるものでした。この事故によって、スペースシャトルは28か月の間、飛行が中断しました。

     

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    そして2003年の21日、地球に帰還するスペースシャトル・コロンビア(STS-107)はテキサス州上空で空中分解し、7名のクルー、デイビッド・ブラウン、リック・ハズバンド、ローレル・クラーク、カルパナ・チャウラ、マイケル・アンダーソン、ウィリアム・マックール、イラン・ラモン(下の画像、左から)の生命が失われました。事故の原因はスペースシャトル左翼前縁のRCC 耐熱材の破損によって、大気圏再突入時の高温ガスが機体内に侵入したためでした。事故後、シャトルの飛行は26か月にわって中断されました。

     

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    コロンビア事故から約1年後、NASA2機の火星探査機が火星に軟着陸しました。200414日に着陸したスピリットのハイゲイン・アンテナの裏側には、コロンビア事故で命を落とした7名をしのぶ銘板が貼られていました。また、スピリットが着陸した場所はコロンビア・メモリアル・ステーションと名づけられました。コロンビア・メモリアル・ステーションからは地平線はるかに丘陵地帯が見わすことができました。その丘陵はコロンビア・ヒルズと名づけられ、それぞれの丘にクルーの名がつけられました。スピリットはその後、その1つであるハズバンドヒルを登ることになりました。また、着陸地点の西に見えた3つの丘陵にはアポロ1号のクルーの名前がつけられました。

     

    125日に軟着陸したオポチュニティーの着陸地点は、チャレンジャー・メモリアル・ステーションと名づけられました。

     

    月の裏側にはアポロ・ベイスンとよばれる大きなくぼみがあります。このベイスンの中にあるクレーターには、アポロ1号、51-L のクルー、STS-107 のクルー、そして月着陸を目指しながら果たせなかったアポロ13号のクルーの名がつけられています。

     

    こうし地球以外の天体上の地名によっても、宇宙飛行士たちの名は永遠に歴史にとどめられています。


    『サリュート 7』:ソ連時代の宇宙開発を楽しむ

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      Salyut 7CCCP in Space

       

      ソ連時代の宇宙ステーション、サリュート7号のレスキュー・ミッションを題材にした『サリュート 7』を観てきました。素晴らしい映画でとても楽しめました。

       

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      もちろんこの作品は完全なドキュメンタリー映画ではありません。実際に何があったかは、ここここここを読んでいただければ、おわかりになると思います。

       

      『サリュート 7』について少しふれると、この作品で重要な役割を演じている管制センター(TsUP)のフライト・ディレクターは、宇宙飛行士のワレリー・リューミンがモデルになっています。サリュート内がどのくらい寒いかを調べるために唾をはくシーンが出てきますが、実際にあったエピソードのようです。サリュート内に隠してあったウォッカを飲むシーンも出てきました。現在の国際宇宙ステーション内ではアルコール禁止です。ソ連時代の宇宙ステーションでも禁止されていましたが、宇宙飛行士はひそかにウォッカやブランデーを持ちこんでいました。宇宙飛行士本人から聞きましたから、間違いありません。時代は違いますが、ソユーズ1号のコマロフと妻ワレンチナの会話のエピソードも使われています。

       

      地上から送られてきた音楽は、Zemlyane(ゼムリャーネ)の「トラヴァ・ウ・ドーマ」(わが家の芝生)です。今でも宇宙飛行士がコスモノート・ホテルを出発する際に必ず流される音楽です。コスモノートのテーマソングといえるでしょう。

       

      エンドロールでは、ソユーズT-13号ミッションのフッテージが流され、ジャニベコフやサビヌイフ、そしてリューミンなどの姿が見られました。久しぶりにソ連の宇宙開発の世界にひたることができました。こうした映画を観ると、長い間、宇宙開発を取材してきてよかったと思います。


      サリュート 7:危険に満ちたレスキュー・ミッション(3)

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        Salyut 7Risky Rescue Mission (3)

         

        ソユーズT-13号のクルーは、サリュート7号との危険なドッキングに挑戦しなければなりませんでした。

         

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        通常の飛行では、ソユーズ宇宙船はまず地上から送られてくる追跡データをもとにサリュートに接近していきます。ソユーズとサリュートの距離が2025kmになると、自動ドッキング装置イグラが作動し、サリュートとソユーズは位置情報を交換しながら最終接近し、自動でドッキングします。しかし、今回はソユーズが単独で最終接近とドッキングを行わなくてはなりません。ジャニベコフはサリュートから距離3kmまで来たところで、操縦をマニュアルに切りかえました。ソユーズの姿勢をサリュートに対して横向きにし、窓からサリュートを目視しながら、少しずつ接近していきます。サビヌイフは刻々と変化するレーザー測距計の計測値をコンピューターに入力し、軌道計算をし続けました。

         

        ジャニベコフは距離200mまで接近したところでソユーズT-13号を停止させ、TsUPからの指示を待ちました。許可がでると、ジャニベコフは再び接近を開始し、サリュートの前部ドッキングポートの真正面にソユーズを移動させました。サリュートの姿はビデオカメラの画面と、コマンダー席にあるペリスコープでとらえることができます。その後、ジャニベコフはソユーズに回転を与えてサリュートの回転に合わせると、ゆっくりとソユーズを前進させました。

         

        この時の交信記録が残っています。「距離200m。エンジン作動。秒速1.5mでステーションに接近中。ステーションの回転はノミナル、安定している。捕捉した。われわれの回転を始める。太陽の位置が悪くなってきた・・・少し良くなった。ドッキング・ターゲットの軸が一直線になった・・・減速・・・コンタクト待ち」。ジャニベコフの言葉に続き、サビヌイフがTsUPに連絡してきました。「コンタクト。ドッキングした」。サリュートとソユーズは夜の領域に入っていましたが、ドッキングは最初の試みで見事に成功しました。

         

        2人はソユーズのハッチを空けました。まずサリュートのエアロックのハッチにあるピットホールを空けて、ソユーズとエアロックの気圧を等しくします。次にエアロックのハッチを開いて内部に入り、サリュート側のハッチのピットホールを空けて、内部の空気をサンプリングしました。有毒なガスが含まれていないかを調べるためです。有害ガスは認められませんでしたが、TsUPは念のため、2人がサリュート内に入る際にはガスマスクを着用するよう指示しました。防寒具を着用しガスマスクを着用した2人は、安全を確かめながらサリュート側のハッチを空けると、内部に入りました。

         

        サリュートの電源は切れ、内部は真っ暗でした。ひどく寒く、−10Cほどだったといわれています。水は凍っており、生命維持装置は動きませんでした。テーブルにはソユーズT-10 号のクルーが残していったクラッカーと塩のタブレットが置かれていました。新しく来たクルーを歓迎するためのロシアのしきたりです。

         

        ジャニベコフとサビヌイフは、わずかな小休止と体を暖めるためにソユーズに戻る以外は、ほぼ24時間働き続けました。「無重量状態では、生命維持装置のファンが動かないと、自分の吐いた炭酸ガスが大きなボールのようになって自分を包んでしまう。すると頭が痛くなり、手足が重くなり、眠くなる」と、ジャニベコフは語っています。そのため、作業は1人がサリュート内で行い、もう1人はソユーズで待機するという方法で行われました。サリュート内の作業で二酸化炭素中毒の症状が現れた場合、もう1人がすぐに救出できるようにするためです。下の画像は、サリュート7号にドッキングしたソユーズT-13号内のジャニベコフです。

         

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        下の画像は、サリュート内で作業するサビヌイフです。

         

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        サリュートには8個のバッテリーが積み込まれていました。そのうち6個は再充電が可能な状態でした。2人は太陽電池パネルからのケーブルをバッテリーに直接接続しました。こうした細かい作業は手袋をしていては能率が良くないため、2人は寒いにもかかわらず素手で作業をしたといいます。2人には急ぐ必要がありました。彼らが持ってきた水の量に限りがあり、それが尽きない間にサリュートを復旧させなければ、彼らは作業を中止して帰還しなければならなかったのです。

         

        太陽電池パネルとバッテリーの接続が終わると、ジャニベコフはソユーズを操縦し、太陽電池パネルが太陽の方向を向くようにサリュートの姿勢を変えました。1日後に5個のバッテリーの充電が終わり、2人はそれらをサリュートの電源系統に接続しました。スイッチを入れると、サリュート内の照明がつきました。サリュートのシステムは1つずつ復旧していき、613日、TsUPはサリュートとのコンタクトを回復しました。

         

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        ジャニベコフとサビヌイフは船外活動を行って、追加の太陽電池パネルを2枚、設置しました。また、交換が必要な部品や生活物資がプログレス補給船で運ばれてきました。

         

        こうして、サリュートは機能を回復しました。後の調査で、サリュートが電源を喪失した原因は、バッテリーがフル充電状態になると、太陽電池パネルとの接続をシャットダウンするセンサーの1個の不具合にはじまり、いくつかの事象が連鎖的に起こったためであることがわかっています。

         

        1985918日、ソユーズT-14 号がサリュートにやってきました。ジャニベコフは110日を宇宙で過ごし、ソユーズT-14 号でやってきたゲオルギー・グレチコとともに、926日にソユーズT-13号で地球に帰還しました。一方、サビヌイフは宇宙滞在を続けました。

         

        危険でこみいった任務を終えて、ジャニベコフは星の町に戻ってきました。下の画像は、星の町で行われた歓迎の様子です。当時はクルーが宇宙から帰還すると、こうしたセレモニーが行われていました。一番右がジャニベコフ、その隣は2人の娘インナとアリョーナ、そして妻のリリヤ、その左はグレチコとその家族です。きびしい訓練の合間に、ジャニベコフはよく妻や娘たちと近くの森に散歩に出かけたものでした。

         

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        過去5回の飛行でとれが最も困難であったかと聞かれて、ジャニベコフは次のように答えています。「たやすい宇宙飛行というものを期待してはいけません。現在も、近い将来も。宇宙飛行はきわめてコストがかかるので、限られた数の人間が非常に多くの役割をこなさなければならないのです」。

         

        その困難な宇宙飛行の意義を、彼は次のように語っています。「ガガーリンは初めて宇宙を飛んだ。チトフは初めて24時間も宇宙にいた。レオノフは初めて宇宙遊泳をした。彼ら以前には不可能だったものが、彼ら以後には可能になったのです。不可能から可能へのこの飛躍こそが進歩を実現し、未知の壁を打ち破るのです」。

         



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