NASAがアメリカの宇宙船に搭乗するクルーを発表

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    NASA Assigns Crews for Commercial Spacecraft

     

    NASAはボーイング社が開発中の有人宇宙船CST-100スターライナーと、スペースX社が開発中の有人宇宙船クルードラゴンの試験飛行のクルーを発表しました。また、試験飛行後の最初のミッション飛行に搭乗する宇宙飛行士も発表しました。

     

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    2011年にスペースシャトルが退役して以来、NASAは国際宇宙ステーション(ISS)への有人宇宙輸送を民間企業によって行うプログラムを推進し、ボーイング社とスペースX社が宇宙船を開発してきました。

     

    NASAはまた、これらの商業有人宇宙船による飛行に向け、4人のベテラン宇宙飛行士をコマーシャル・クルー・アストロートとして指名しました。ボブ・ベンケン、エリック・ボウ、ダグ・ハーリー、サニータ・ウィリアムズです。ベンケンはスペースシャトルで2回の飛行(STS-123STS-130)を行いました。ボウはスペースシャトルの2回の飛行(STS-126STS-133)でパイロットをつとめました。ハーリーはスペースシャトルの2回の飛行(STS-127STS-135)でパイロットをつとめました。ウィリアムズは2回のISS長期滞在を行い、通算宇宙滞在は322日に達します。

     

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    CST-100(右)とクルードラゴン(左)の開発は最終段階に入っており、2019年に国際宇宙ステーションへの有人試験飛行および最初のミッション飛行が行われる予定です。そのため、今回のクルー発表に至ったわけです。

     

    CST-1002018年末か2019年はじめに無人の試験飛行(オービタル・フライト・テスト)を行い、20195月に有人の試験飛行(クルー・フライト・テスト)を予定しています。宇宙船はアトラスVによって、ケネディ宇宙センターから打ち上げられます。有人試験飛行のクルーは、エリック・ボウ、ニコール・マン、クリス・ファーガソンです。マンはNASAのクラス2013の宇宙飛行士で、海兵隊のF/A-18 のパイロットでした。これが初飛行です。ファーガソンはスペースシャトルの最後のフライトであるSTS-135のコマンダーでした。ファーガソンはその後、NASAを引退し、ボーイング社に移ってCST-100の開発に加わってきました。

     

    クルードラゴンは201811月に無人の試験飛行(デモ1)を行い、20194月に有人の試験飛行(デモ2)を予定しています。宇宙船はファルコン9によって、ケネディ宇宙センターから打ち上げられます。有人試験飛のクルーはダグ・ハーリーとボブ・ベンケンです。

     

    CST-100とクルードラゴンの定員は7人で、ISSへの最初のミッション飛行のクルー全員が決まっているわけではありません。

     

    ボーイングのCST-100の最初のミッション飛行のクルーとして、今回、サニータ・ウィリアムズとジョシュ・カサダが指名されました。カサダはクラス2013の宇宙飛行士で物理学の専門家でした。これが初飛行になります。クルードラゴンの最初のミッション飛行のクルーとしては、今回、マイケル・ホプキンズとヴィクター・グローヴァーが指名されました。ホプキンスはクラス2009の宇宙飛行士で、第37/38次のISS長期滞在クルーでした。グローヴァーはクラス2013の宇宙飛行士で、空軍のF/A-18 のパイロットでした。これが初飛行となります。

     

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    CST-100とクルードラゴンを背景にした上の写真で、左からサニータ・ウィリアムズ、ジョッシュ・カサダ、エリック・ボウ、ニコール・マン、クリス・ファーガソン、ダグ・ハーリー、ロバート・ベンケン、マイケル・ホプキンス、ヴィクター・グローヴァーです。この写真が私にとって印象的なのは、STS-135のコマンダーだったファーガソンとパイロットだったダグ・ハーリーがセンターに立っていることです。

     

    スペースシャトル最後のフライトのコマンダーとパイロットを含むシャトル時代のベテラン宇宙飛行士と、ポストシャトル時代の新世代の宇宙飛行士の組み合わせは、アメリカの有人宇宙飛行に新しい時代が訪れつつあることを実感させます。

     

     


    アポロ宇宙飛行士アラン・ビーンさんが死去

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      Alan BeanApollo Astronaut and Artist Died

       

      アポロ12号で月面を歩き、スカイラブ計画で船長をつとめた元宇宙飛行士のアラン・ビーンさんが526日に亡くなりました。

       

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      ビーンさんは1981年にNASAを退職した後、画家となり、自らの宇宙体験を素晴らしい絵にしました。

       

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      来年はアポロ11号の月着陸50年にあたります。アポロ計画では合計12人が月面を歩きました。その人たちがだんだんと世を去っていくのはさびしい限りです。

       

      アポロ11

      船長:ニール・アームストロング

      月着陸船パイロット:エドウィン・オルドリン

      人類として初めて月に降り立ったアームストロングさんは20128月に死去。オルドリンさんは現在88歳ですが、お元気です。月や火星への有人飛行に積極的に発言しています。

      アポロ12

      船長:ピート・コンラッド

      月着陸船パイロット:アラン・ビーン

      コンラッドさんは19997月に死去。ビーンさんも亡くなりました。

      アポロ14

      船長:アラン・シェパード

      月着陸船パイロット:エドガー・ミッチェル

      アメリカ初の有人宇宙飛行を行ったシェパードさんは19987月に死去。ミッチェルさんも20162月に死去しました。

      アポロ15

      船長:デイヴィッド・スコット

      月着陸船パイロット:ジェームズ・アーウィン

      スコットさんはご健在、アーウィンさんは1991年に死去しました。

      アポロ16

      船長:ジョン・ヤング

      月着陸船パイロット:チャールズ・デューク

      スペースシャトルでも船長を2回つとめたヤングさんはつい先日、20181月に死去。デュークさんは健在。

      アポロ17

      船長:ユージン・サーナン

      月着陸船パイロット:ハリソン・シュミット

      アポロ計画最後の船長であるサーナンさんは20171月に死去。シュミットさんは健在です。


      ソユーズ1号:コマロフの墜落

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        Soyuz 1:Komarov’s Fall

         

        今から51年前の1967年4月23日、ソ連の新しい宇宙船ソユーズ1号がバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。搭乗していたのはウラジーミル・コマロフでした。コマロフは1960年に宇宙飛行士に選抜されました。1964年にボスホート1号で初飛行をしており、これが2回目の宇宙飛行でした。コマロフは世界初の有人宇宙飛行を行ったユーリー・ガガーリンの親しい友人でもありました。

         

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        当時、アメリカとソ連は月着陸一番乗りの競争を展開していました。月への有人飛行のためにソ連が開発した宇宙船がソユーズです。ソユーズ1号が予定の軌道に入ると、コマロフの妻ワレンティナは同僚の宇宙飛行士パヴェル・ポポビッチから、夫が宇宙にいることを知らされました。当時のソ連では、有人宇宙船の打ち上げは国家機密であり、宇宙飛行士は宇宙に「出張」することを妻にさえ告げることはできませんでした。

         

        打ち上げは順調に行われましたが、すぐにトラブルが発生しました。2枚の太陽電池板のうち左側の1枚が開かず、十分な電力が得られなかったのです。おまけにスターセンサーが働かず、姿勢制御ができない状態でした。宇宙船は制御不能におちいりました。コマロフは宇宙船のコントロールを回復しようと試みましたが、うまくいきませんでした。

         

        ソユーズ1号は7周目から13周目まで、ソ連の追跡局の交信範囲を外れてしまいます。管制室からは交信が回復するまで、就寝するようにという指示が出されましたが、おそらくコマロフはその間も宇宙船と格闘していたと思われます。13周目で交信が回復したとき、コマロフは宇宙船がまだ制御不能であることを報告してきました。

         

        ソユーズ1号は翌日に打ち上げられるソユーズ2号とドッキングすることになっていました。月への飛行に必要なドッキングと船外活動による宇宙飛行士の移乗をテストするためでした。しかし、ここにいたって、ソユーズ2号の打ち上げはキャンセルされ、コマロフは緊急帰還することになりました。16周目、コマロフは大気圏再突入を試みましたが、うまくいきませんでした。17周目での試みも、不成功に終わりました。

         

        事態はきわめて深刻でした。急きょ、コマロフの妻ワレンティナのもとに、管制室から迎えの車が差し向けられました。コマロフとワレンティナは数分間、2人だけで話をすることができました。

         

        18周目、コマロフはなんとか宇宙船の姿勢を制御し、大気圏突入を成功させました。しかし降下の最終段階で問題がおこりました。メインパラシュートを引き出すためのドラッグシュートがからまってしまったのです。そのため、メインパラシュートは開きませんでした。宇宙船は地上に激突し、コマロフは宇宙飛行で死亡した最初の人間となったのです。

         

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        ソユーズ宇宙船のパラシュートには開発当初から問題があり、ソユーズ1号の打ち上げ時にも、問題は完全には解決していなかったとみられます。ソユーズ1号の搭乗者はプライムがコマロフ、バックアップはガガーリンで、コマロフが搭乗を断れば、ガガーリンが搭乗することになっていました。しかしコマロフはソユーズ1号の飛行の危険性を知っており、友人であり、国家的にも重要な人物であるガガーリンを危険にさらすわけにはいかないと判断し、搭乗を引き受けたといわれています。コマロフの遺体はクレムリンの壁に埋葬されました。下の画像の、コマロフの写真の前にひざまずいているのが妻のワレンティナです。

         

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        EMIクラッシクスの『惑星』(指揮:サイモン・ラトル、演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)のCD2には、ソユーズ1号の事故を題材にしたブレット・ディーン作曲の「コマロフの墜落」が入っています。

         

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        ブレット・ディーンは「コマロフの墜落」を作曲するにあたり、コマロフとワレンティナの最後の会話に強い印象を受けたようです。どのような会話であったかは公表されていませんが、確かにそれは、ソ連の有人宇宙計画の歴史の中でも他に例のない特別なエピソードでした。「この情景は作品の中ほどの、短いながらも抒情的な部分で表現されている」と、ディーンは述べています。



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