フォトンベルトの源流(1)

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    Origin of Photon Belt Fantasy1

     

    今夜のあるテレビ番組に「フォトンベルト」が登場しました。久しぶりのことです。2004年頃には、書店に行くとフォトンベルト関連の本がたくさん並んでいたものです。このときには、フォトンベルトは古代マヤの暦が予言する2012年の世界の終末と関連付けられて話題になっていました。もちろん、フォトンベルトは荒唐無稽なつくり話です。下は「ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したフォトンベルト」とされた画像ですが、それは間違いで、13000万光年彼方の銀河NGC4650Aです。

     

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    私は以前、フォトンベルトというつくり話がいかにして出来上がっていったかを調べたことがあります。その結果をご紹介しましょう。現在、フォトンベルトについて語っている人々の多くは、この話がどこから来たかを知らないと思います。

     

    「フォトンベルト」とは次のようなものだとされています。

    ・フォトンベルトはプレアデス星団にある。プレアデス星団の星々は、星団で最も明るい星であるアルシオーネを中心にまわっており、太陽もこの星系に含まれる。すなわち太陽もアルシオーネのまわりをまわっている。これを発見したのは、天文学者ホセ・コマス・ソラである。

    ・フォトンベルトは1961年に、「科学者パウル・オットー・ヘッセ」によって発見された。

    ・ドーナツ状のフォトンベルトは、アルシオーネを中心とする星系の公転面と直交しており、ちょうど太陽の軌道のあたりを通っている。太陽はアルシオーネを26000年かけて1周しているので、太陽は13000年ごとにフォトンベルトに入ったり出たりする。太陽がフォトンベルトに入ってからぬけるのに2000年かかる。

    ・フォトンベルトに入らないときは闇の時代であり、ベルトに入ると光の時代がおとずれる。太陽系が完全にベルトの中に入るのは2012年である。

    ・フォトンベルトに入ると、人間や地球は大きな影響を受ける。たとえば、フォトンは生命体を原子レベルから変えてしまい、進化を促進させる。人類は生まれかわり、新しい段階に達する。

     

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    上は、フォトンベルトを説明する際に必ずでてくる図です。真ん中にあるのがアルシオーネで。そのまわりをプレアデス星団の6個の星がまわり、一番外側を太陽がまわっています。これらの星の公転面と直交するリング状のものがフォトンベルトです。太陽がフォトンベルトを出たり入ったりする様子がよくわかる図です。

     

    この図は、オーストラリアのニューエイジ団体が発行していた雑誌『NEXUS19912月号のフォトンベルトに関する記事“THE PHOTON BELT STORY”の中に掲載されていたものです。フォトンベルトという言葉はこの記事によって世界中に広まりました。

     

    この記事はオーストラリアのUFO研究団体AIUFOFSRが発行していた機関誌の19818月号から転載されたものでした。その時の記事のタイトルは“And So Tomorrow”でした。私はAIUFOFSRの主宰者だったコリン・ノリス氏に連絡をとり、この記事の著者である「シャーリー・ケンプ」という女性についてたずねてみました。するとノリス氏から、実際はシャーリー・ケンプという中年女性と大学生の共作であったという返事がきました。フォトンベルトの原稿は、この2人によってノリス氏のもとに持ちこまれたものだったのです。ノリス氏によると、このうち大学生は当時ノリス氏のUFO団体のメンバーでしたが、その後、オーストラリアの原子力研究機関に勤める研究者になったとのことでした。フォトンベルトの記事は物理学に関する部分だけは科学的に正確なのですが、その理由は物理学がこの大学生の専門だったからなのです。彼はこの記事に関わったことを認めていますが、自分の立場もあり、本名を明らかにすることは断りました。もう一人の女性については、ノリス氏は彼女がどうしているかは知らないということでした。なにしろ20年以上も前のことであるからと、同氏は語っていました。

     

    「シャーリー・ケンプ」のオリジナルの記事を読むと、「太陽がアルシオーネのまわりをまわっているのを発見したのは、天文学者ホセ・コマス・ソラである」という個所があります。銀河系の構造を少しでも知っていれば、こんな考えがナンセンスであることはすぐに気がつくでしょう。しかし、宇宙の中心がアルシオーネであり、プレアデスの他の星や太陽がそのまわりをまわっているとする説は、実際に存在したのです。ドイツのヨハン・ハインリッヒ・フォン・メドラー(17941874)が1846年に発表した説です。

     

    メドラーは月面の観測で有名な天文学者で、銀行家ウィルヘルム・ベーアの援助のもとにつくられた「ベーアとメドラーの月面図」(1837年発表)は、当時最もくわしく正確な月面図でした。そのメドラーは1840年、エストニアのドルパト天文台の台長になります。ここでプレアデス星団を観測し、アルシオーネがプレアデス星系の中心だとする説を発表するのですが、もちろん、これは正しくはありませんでした。ロバート・バーナム・ジュニアは『星百科大事典(改訂版)』(地人書館)の中で、これを「天文学史上最も奇妙な誤った解釈の一つ」と説明しています。「アルキオネが宇宙の“中心太陽”だという考えは、いくぶん人気を呼んだが、銀河の構造がわかってくるとともに、2030年の間に、この考えは見向きもされなくなってしまった」と、バーナムは書いています。ホセ・コマス・ソラ(18681937)は小惑星などを観測したスペインの天文学者です。「シャーリー・ケンプ」はメドラーとコマス・ソラを間違えてしまいました。そのため、コマスは不名誉な名前の使われ方をされてしまったのです。


    火星ヘリコプターをNASAが発表

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      Mars HelicopterFlying on the Red Planet

       

      2020年に打ち上げが予定されているNASAの火星探査ローバー「マーズ2020」に、小型の火星ヘリコプターが搭載されると、NASAが発表しました。火星の空を飛ぶ初めての飛翔体になります。

       

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      火星大気はとても薄く、地球の150分の1程度しかありません。そのため、火星ヘリコプターは非常に軽量でコンパクトです。重量は1.8kg、観測装置等を収めた本体はソフトボールほどの大きさしかありません。ローターは2つのローターが互いに逆方向に回転する同軸反転式です。ローターは毎分3000回転させます。地球で飛ぶヘリコプターの10倍の回転数です。

       

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      マーズ2020が火星表面に着陸後、火星ヘリコプターは表面に降ろされ、地球からのコマンドで上昇します。ただし、地球と火星の間では電波が届くまでに数分〜数十分がかかるため、地球から操縦することはしません。火星ヘリコプターは自分の判断で飛行し、表面を観測します。

       

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      観測を終えると、火星ヘリコプターは安全のためにマーズ2020から少し離れた場所に着陸し、データを伝送します。火星ヘリコプターはマーズ2020が移動する予定のない場所や、遠く離れた場所も観測可能で、マーズ2020の探査活動をさまざまな形で支援します。

       


      空飛ぶ車を目指す:都市航空交通システムの未来

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        Urban Air MobilityAir Travel to the Streets

         

        NASAは都市内での新しい航空交通システムUAMUrban Air Mobility)の研究に力を入れています。都市内で人員や荷物を運ぶ「空飛ぶ車」の研究です。

         

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        空飛ぶ車の研究は、最近のドローン、電動航空機、VTOL(垂直離着陸)機などの技術進歩を背景に、アメリカやヨーロッパで活発になっています。こうした新しい航空交通システムを実現するためには、もちろん解決しなければならない課題がたくさんあります。

         

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        最大の課題は「安全性」です。まず航空機自体が故障したり、墜落したりしないようにする技術が必要です。さらに、既存のエアラインの航空機が飛行するのを邪魔しないようにする技術も必要になります。このためには、多くのドローンや小型航空機の交通管制を行うシステムが必要です。

         

        都市の環境に悪影響を与えないようにするには、低騒音や大気汚染ゼロも求められるでしょう。ビルの屋上や都市に隣接した地区に発着場を設けるなどのインフラ整備も必要です。

         

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        NASAは電動航空機「X-57 マックスウェル」による実証飛行試験を進めてきました。X-57 マックスウェルはイタリア製の小型機「テクナムP2006T」をベースに用い、双発のプロペラを電動プロペラに替えた機体で、何度か改修しながら研究してきました。下の画像は電動プロペラが14基のタイプです。

         

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        X-57 マックスウェルの飛行試験データはUAMの研究に大きく貢献すると考えられています。


        NASAの火星探査機インサイト、5月5日に打ち上げ

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          NASA’s InSight MissionScheduled to Launch on May 5

           

          NASAの火星探査機インサイト(InSight)が55日午前405分(PDT:アメリカ太平洋夏時間)、アトラスVロケットによって、カリフォルニアのヴァンデンバーグ空軍基地から打ち上げられます。

           

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          インサイトは火星表面下にプローブを挿入し、内部の熱流量と地震(火星震)を観測します。アポロ計画で月面に設置された地震計によって月の地震(月震)が観測され、月の内部構造に関して貴重な情報が得られました。火星内部を探るはじめてのミッションであるインサイトも同様の情報をもたらしてくれると期待されています。

           

          インサイトが着陸するのは火星の北半球のエリシウム平原で、キュリオシティが着陸したゲール・クレーターの北約600kmの場所です。


          古代アレクサンドリア:ヒュパティアの死と学術都市の終焉

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            Ancient Alexandria:Hypatia's Death and the Fall of the Academic City

             

            明星大学の資料図書館で開催されている明星大学貴重書コレクション展「コペルニクスとガリレオ」に行ってきました。コペルニクスの『天体の回転について』の初版やガリレオの『天文対話』などが展示されています。これらの貴重な書物を実際に見ることができる機会はめったにありません。会場内では映画『アレクサンドリア』も流されていました。

             

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            5世紀のアレクサンドリアを舞台に、知のコスモポリスの終焉を描いた映画『アレクサンドリア』の主人公は、アレクサンドリアの数学者、天文学者、哲学者であるヒュパティアで、レイチェル・ワイズが演じています。ヒュパティアの生まれた年ははっきりせず、紀元350年から370年の間とされています。父のテオンは古代アレクサンドリア図書館に関連して名前がでてくる最後の数学者、哲学者であり、ヒュパティアは父から学問を授かりました。

             

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            70万巻ともいわれる書物を所蔵していた大図書館と、当時の一流の学者たちが集まってきた研究所ムーセイオンによって、古代アレクサンドリアは長い間、世界の知の中心地となっていました。しかしヒュパティアの時代に、図書館やムーセイオンがまだ残っていたかどうかはわかっていません。図書館とムーセイオンは王宮地区につくられ、セラペイオン(セラピス神殿)に姉妹の図書館があったとされていますが、現在は跡形もなく、図書館とムーセイオンがいつごろ、どのようにして姿を消したかは謎のままです。

             

            図書館の消失に関しては、紀元前47年、アレクサンドリアに駐留していたカエサル軍がクレオパトラの弟であるプトレマイオス13世の軍隊に攻撃されたとき、カエサルが港に放った火が延焼して図書館を焼失させたという説のほか、269年にパルミラのゼノビアがアレクサンドリアを占領した際に破壊されたという説、映画『アレクサンドリア』にも出てくるキリスト教徒によるセラペイオン破壊の頃に失われたという説もあります。また、642年にアレクサンドリアがアラブに占領された際、すべての書物が浴場の薪のかわりに燃やされたのが図書館の最後だったという説もあります。しかし、どれも定かではありません。2008年に新アレクサンドリア図書館のイスマイル・セラゲルディン館長(当時)が来日して講演した際、セラゲルディン館長は、古代アレクサンドリア図書館は少しずつ衰退し、姿を消したと語っていました。

             

            ヒュパティアは、アレクサンドリアの学問が困難を迎えた時代に生きました。アレクサンドロス大王がこの地に新しい都市をつくったときから、人間は民族や思想で差別されることはないという精神の下にアレクサンドリアは発展してきました。それがゆえにアレクサンドリアは知のコスモポリスとなりえたのです。「アレクサンドロスには・・・伝統的であったギリシア人中心の華夷思想を否定しようとする側面も強力に存在していた。そして、そこに招聘された文人・学者の出身地の多様性が示すように、プトレマイオス諸王は、アレクサンドロスのこうした観点の継承者であった」(野町啓『学術都市アレクサンドリア』講談社学術文庫)。しかしヒュパティアの時代に、もはやその精神が失われつつあったことを、映画『アレクサンドリア』は描いています。415年にヒュパティアが虐殺された事件は、古代世界の知の中心であった学術都市アレクサンドリアの終焉を告げる象徴的な出来事でした。

             

            アレクサンドリアの学問を最後まで守ったヒュパティアの著作は残されていませんが、父のテオンによるエウクレイデス(ユークリッド)の『原論』の編纂をヒュパティアは手伝ったといわれています。また、後に『アルマゲスト』とよばれることになるクラディオス・プトレマイオスの『数学全書』のテオンによる注釈には、共同作業者としてヒュパティアの名が記述されています。当時最高の知識を身につけた学者であったと考えられます。天文学者としてのヒュパティアは、プトレマイオスが確立した理論の継承者であったでしょう。

             

            古代バビロニアやエジプトなどでも天体観測は行われていましたが、天文学の教科書の最初に古代ギリシアの天文学がでてくるのは、ギリシアの学者たちによって、はじめて天体の運行を数学的に説明しようという試みがなされたからです。世界でおこる事象の背後にはその本質である「イデア」が存在するというプラトンの考えは、古代ギリシアの宇宙モデルに大きな影響を与えました。プラトンにとって円はもっとも完全な形であり、天体の運行は「一様な円運動」によって説明されなければならないと考えたのです。アリストテレスは地球が宇宙の中心にあり、そのまわりに太陽や月、惑星などの各天体が動く層が重なっているというモデルを考えました。アリスタルコスは地球が自転し、太陽のまわりをまわっているという説をとなえましたが、地球中心説がゆらぐことはありませんでした。

             

            太陽のみかけの大きさが季節によって変化することや、惑星が「逆行」することなどは古くから知られていました。詳細な恒星カタログをつくったことで知られるヒッパルコスは、太陽と月の運動を説明するために「周転円」の考え方を導入しました。周転円とは、大きな円にそって動いていく小さな円のことで、大きな円の中心が地球であり、太陽や月は周転円上を一定の速さで動いていきます。

             

            こうした考えを体系的にまとめたのが、2世紀のアレクサンドリアで活躍したクラディオス・プトレマイオスです。プトレマイオスは地球を宇宙の中心におき、月や太陽や惑星が周転円上を動くモデルを考えますが、このモデルでは天体の動きを完全には説明できないことに気づきます。こうして彼は「エカント」という概念を考え出しました。下の図のように、地球は、各天体の周転円がまわる大円の中心から少し離れたところに位置しています。大円の中心から地球までの距離と等しく、地球の反対側にあるのがエカントです。周転円を描く天体はこのエカントから見て一様に動いています。

             

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            プトレマイオスのモデルは成功しました。天体の動きを正確に予測し、惑星の逆行もうまく説明できました。彼が確立した天動説はその後、1400年間にわたって世界を支配することになりました。

             

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            このモデルを含み、古代世界の天文知識を集大成したものが『アルマゲスト』です。天体の運行を数学理論によって説明したという点で、プトレマイオスの業績は画期的であり、当時の知の最高峰であったということができます。ヒュパティアがこの理論を超えて、地球が太陽のまわりをまわっていることや、天体の軌道が楕円であることに気づいていたかどうかは記録に残されていません。

             

            1507年に地動説を発表したコペルニクスも、「円運動」の呪縛から逃れることはできませんでした。天体の軌道が楕円であることを人類が知るには、17世紀はじめのケプラーの仕事をまつしかありませんでした。ケプラーがいかにして楕円の軌道に到達したかは『ヨハネス・ケプラー――近代宇宙観の夜明け』(アーサー・ケストラー、ちくま学芸文庫)にくわしく書かれています。

             

            ラファエロは『アテネの殿堂』で古代ギリシアの哲学者や科学者たちを描いています。中央左の白の衣の女性がヒュパティアと考えられています。

             

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            カール・セーガンはその著書『COSMOS』(木村繁訳、朝日新聞社)で、宇宙をめぐる壮大な旅の後の最終章で、「私たちの歴史のなかでは、輝かしい科学文明が花を開いたことが一度だけあった」とし、「その科学文明のとりでは、アレキサンドリア図書館だった」と書いています。そして、「この図書館で最後まで働いていた科学者」としてヒュパティアを紹介し、その悲惨な死について触れています。「この図書館の最後の光も、ヒパチアの死後まもなく吹き消された」。


            ソユーズ1号:コマロフの墜落

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              Soyuz 1:Komarov’s Fall

               

              今から51年前の1967年4月23日、ソ連の新しい宇宙船ソユーズ1号がバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。搭乗していたのはウラジーミル・コマロフでした。コマロフは1960年に宇宙飛行士に選抜されました。1964年にボスホート1号で初飛行をしており、これが2回目の宇宙飛行でした。コマロフは世界初の有人宇宙飛行を行ったユーリー・ガガーリンの親しい友人でもありました。

               

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              当時、アメリカとソ連は月着陸一番乗りの競争を展開していました。月への有人飛行のためにソ連が開発した宇宙船がソユーズです。ソユーズ1号が予定の軌道に入ると、コマロフの妻ワレンティナは同僚の宇宙飛行士パヴェル・ポポビッチから、夫が宇宙にいることを知らされました。当時のソ連では、有人宇宙船の打ち上げは国家機密であり、宇宙飛行士は宇宙に「出張」することを妻にさえ告げることはできませんでした。

               

              打ち上げは順調に行われましたが、すぐにトラブルが発生しました。2枚の太陽電池板のうち左側の1枚が開かず、十分な電力が得られなかったのです。おまけにスターセンサーが働かず、姿勢制御ができない状態でした。宇宙船は制御不能におちいりました。コマロフは宇宙船のコントロールを回復しようと試みましたが、うまくいきませんでした。

               

              ソユーズ1号は7周目から13周目まで、ソ連の追跡局の交信範囲を外れてしまいます。管制室からは交信が回復するまで、就寝するようにという指示が出されましたが、おそらくコマロフはその間も宇宙船と格闘していたと思われます。13周目で交信が回復したとき、コマロフは宇宙船がまだ制御不能であることを報告してきました。

               

              ソユーズ1号は翌日に打ち上げられるソユーズ2号とドッキングすることになっていました。月への飛行に必要なドッキングと船外活動による宇宙飛行士の移乗をテストするためでした。しかし、ここにいたって、ソユーズ2号の打ち上げはキャンセルされ、コマロフは緊急帰還することになりました。16周目、コマロフは大気圏再突入を試みましたが、うまくいきませんでした。17周目での試みも、不成功に終わりました。

               

              事態はきわめて深刻でした。急きょ、コマロフの妻ワレンティナのもとに、管制室から迎えの車が差し向けられました。コマロフとワレンティナは数分間、2人だけで話をすることができました。

               

              18周目、コマロフはなんとか宇宙船の姿勢を制御し、大気圏突入を成功させました。しかし降下の最終段階で問題がおこりました。メインパラシュートを引き出すためのドラッグシュートがからまってしまったのです。そのため、メインパラシュートは開きませんでした。宇宙船は地上に激突し、コマロフは宇宙飛行で死亡した最初の人間となったのです。

               

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              ソユーズ宇宙船のパラシュートには開発当初から問題があり、ソユーズ1号の打ち上げ時にも、問題は完全には解決していなかったとみられます。ソユーズ1号の搭乗者はプライムがコマロフ、バックアップはガガーリンで、コマロフが搭乗を断れば、ガガーリンが搭乗することになっていました。しかしコマロフはソユーズ1号の飛行の危険性を知っており、友人であり、国家的にも重要な人物であるガガーリンを危険にさらすわけにはいかないと判断し、搭乗を引き受けたといわれています。コマロフの遺体はクレムリンの壁に埋葬されました。下の画像の、コマロフの写真の前にひざまずいているのが妻のワレンティナです。

               

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              EMIクラッシクスの『惑星』(指揮:サイモン・ラトル、演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)のCD2には、ソユーズ1号の事故を題材にしたブレット・ディーン作曲の「コマロフの墜落」が入っています。

               

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              ブレット・ディーンは「コマロフの墜落」を作曲するにあたり、コマロフとワレンティナの最後の会話に強い印象を受けたようです。どのような会話であったかは公表されていませんが、確かにそれは、ソ連の有人宇宙計画の歴史の中でも他に例のない特別なエピソードでした。「この情景は作品の中ほどの、短いながらも抒情的な部分で表現されている」と、ディーンは述べています。



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