ソユーズ宇宙船打ち上げ時の緊急脱出システム

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    Launch Escape System of the Soyuz Spacecraft

     

    ソユーズMS-10の打ち上げ失敗は、打ち上げ26秒後に行われる第1段切り離しの際に、第1段の4本のブースターのうちの1本がうまく分離せず、第2段に衝突したことが原因とみられています。そのため第2段の推力が低下して軌道投入が不可能となったため、アボート(打ち上げ中断・緊急帰還)となりました。

     

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    ソユーズ宇宙船を収めたフェアリングの先端には緊急脱出用のエスケープタワーが設置されていますが、エスケープタワーは第1段分離の2秒前に切り離されます。したがって今回の緊急脱出にエスケープタワーを使うことはできませんでした。その代わりに、フェアリングの4基の緊急脱出用のロケットが作動しました。フェアリングが分離されるのは第1段切り離しの40秒後です。ソユーズ・ロケットはエスケープタワー分離後の40秒間はフェアリングのロケットで脱出できるように設計されているのです。

     

    下の画像はソユーズ・ロケット組み立て時のもので、ソユーズ宇宙船を収納したフェアリングの先端にエスケープタワーがあります。フェアリングにはこれとは別に緊急脱出用ロケットがついているのが分かります。

     

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    アボートのコマンドが作動し、ソユーズMS-10の軌道モジュールとクルーが乗った帰還モジュールは、フェアリングに収納されたまま第3段ロケットから切り離されました。機器・推進モジュールは第3段についたままです。第3段から十分に離れたところで、帰還モジュールだけがフェアリングから切り離され、弾道軌道で地球に帰還したのです。

     

    ソユーズ・ロケットのエスケープタワーが緊急脱出に使われたことは1度だけあります。19839月のことです。ウラジーミル・チトフとゲンナジー・ストレカロフの乗ったソユーズT10の発射1分前、燃料が漏れだして発射台の基部で火災が発生し、ロケットは炎に包まれました。

     

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    エスケープタワーの緊急脱出システムが作動し、2人の乗ったソユーズ宇宙船の帰還モジュールと軌道モジュールは機器・推進モジュールから切り離され、フェアリングごと急上昇しました。このとき、クルーには20G以上の加速度がかかったといわれています。

     

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    その直後、発射台で大爆発が起こりました。高度約1km4枚の空力安定フィンが開いて速度が落ち、続いてフェアリングが外れ、帰還モジュールが軌道モジュールから分離され、パラシュートが開きました。チトフとストレカロフは発射地点から4kmほど離れた地点に無事着地しました。ソユーズT1019842月に改めて打ち上げられ、チトフとストレカロフの飛行は現在ではソユーズT10-1とよばれています。

     

    ソユーズの打ち上げ途中でアボートとなったことも、これまで1度あります。19754月のワシリー・ラザレフとオレグ・マカロフが搭乗したソユーズ18(現在ではソユーズ18-1とよばれている)です。このときは第2段と第3段の切り離しが完全ではありませんでした。そのため、第3段エンジンの点火4秒後にソユーズ宇宙船は第3段から緊急分離されました。このときはすでにフェアリングは外されていました。通常の地球帰還時と同じように、ソユーズの帰還モジュールは軌道モジュールと機器・推進モジュールから切り離され、弾道軌道で降下。シベリア山中に着地しました。

     

    以上のようにソユーズ宇宙船が打ち上げの際に緊急帰還したことは、これまで3度あります。それぞれのケースで、ソユーズの異なる緊急脱出モードが作動し、クルーは無事帰還しています。


    ソユーズMS-10緊急帰還:国際宇宙ステーションが無人になる可能性も

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      Soyuz MS-10 Launch FailureThe ISS will become Unmanned

       

      1011日のソユーズMS-10 の打ち上げ緊急中断により、最悪の場合、国際宇宙ステーション(ISS)は無人になる可能性もあります。

       

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      ソユーズMS-10は打ち上げ約2分後にロケットに問題が生じ、搭乗していたロシアのアレクセイ・オブチニン宇宙飛行士とNASAのニック・ヘイグ宇宙飛行士は緊急帰還しました。ソユーズロケットとソユーズ宇宙船には、打ち上げ時に異常が発生した際の飛行中止・緊急帰還の対応策がいくつも設定されています。今回もそうした安全システムが的確に作動し、1975年以来となる打ち上げ直後の緊急帰還に成功しました。打ち上げから34分後にカプセルが緊急着陸した場所にはすぐに回収チームが到着し、クルーはすぐに救援されました。

       

      ロケットの打ち上げは100%の成功が保証されているわけではありません。緊急事態発生に対応するロシアのシステムの手際の良さは、ロシアの有人ロケット打ち上げの信頼性の高さを示すものでもありますが、一方、いくつかの心配も生起されています。

       

      1つは、ISSが無人になる可能性です。

       

      現在ISSには、第56/57次長期滞在クルーの3名の宇宙飛行士が滞在しています。ESAのアレクサンダー・ゲルスト宇宙飛行士、ロシアのセルゲイ・プロコピエフ宇宙飛行士、NASAのセリーナ・オナン・チャンセラー宇宙飛行士です。第55/56長期滞在クルーは地球に帰還したところであり、代わりに第57/58次長期滞在クルーの2名がISSに到着するはずでした。ソユーズ宇宙船の性能保証日数は約200日であり、今年の611日にISSに到着した第56/57次長期滞在クルーは12月に帰還しなければなりません。帰還を多少先に延ばすことは可能ですが、ソユーズ宇宙船の耐用日数のほか、帰還地であるカザフスタンの真冬の気候は非常に厳しいため、気象条件の面でも帰還のリスクが高くなります。

       

      ISSへクルーを輸送する手段は、現在ソユーズ宇宙船しかありません。NASAが進めている民間の宇宙船によるISSクルーの輸送計画は最終段階に入っていますが、ボーイング社、スペースX社とも、ISSへの人員輸送サービスを開始するのは2019年第2四半期になる模様です。したがって、もしも今回の打ち上げ失敗の原因調査の結果、ソユーズロケットの打ち上げ再開に時間がかかることになれば、ISSは無人となってしまいます。

       

      2つ目は、ロシアの宇宙開発体制に対する不安です。

       

      ロシアの有人宇宙開発は長い歴史をもち、非常に信頼性の高い技術を持っています。しかしながら、長期にわたる予算不足などにより、新しい計画への取り組みの遅れや現場での士気の低下が進んでいます。829日にISSで空気漏れが発生しましたが、原因はドッキングしているソユーズ宇宙船に小さな穴が空いていたためでした。ロシア側は、この穴はソユーズ宇宙船製造時に宇宙船内部からドリルによって空けられており、工場での「サボタージュ」によるものとしています。空気漏れの原因となった穴は緊急処置でふさがれていますが、宇宙船の外側がどうなっているかは分からず、近く船外活動によって確認する予定でした。今回の打ち上げ失敗は、この船外活動にも影響を与えることになると思われます。

       

      ISSの安全な運用や今後の月周回宇宙ステーションの建設に、ロシアは大きな役割を果たすことが期待されています。しかし、ロシアの宇宙開発は構造的問題を抱えているのが実情です。


      ソユーズMS-10:打ち上げを中断し緊急帰還

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        Soyuz MS-10Crew Lands in Kazakhstan after Launch Failure

         

        ロシアのアレクセイ・オブチニン宇宙飛行士とNASAのニック・ヘイグ宇宙飛行士が搭乗したソユーズMS-101011日午後240分(現地時間)にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。打ち上げ直後は順調でしたが、約2分後に異常が発生し、クルーは緊急帰還しました。

         

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        詳細が発表されていないため、今回の打ち上げ緊急中断が今後のソユーズ宇宙船やプログレス補給船の打ち上げにどのような影響を与えるかは分かりません。もしかすると、国際宇宙ステーション(ISS)の今後の運用に影響がでるかもしれません。

         

        通常、ソユーズ宇宙船の打ち上げはクルー3名で行われますが、今回は2名でした。ロシア側の発表によると、ロシアがISSに設置予定の科学実験モジュールの打ち上げが遅れ、当初予定していた作業がなくなったため、搭乗させるロシア人クルーを2名から1名に減らしたとのことです。

         

        打ち上げの映像を見ていると、問題は打ち上げ約2分後の第1段の4本のロケットを分離する際に起きたようです。地上に送られてくるソユーズ船内の映像はロケット分離の際に少し乱れるのですが、今回はその乱れがいつもより強く、また船内にかなり振動が伝わっているように見えました。

         

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        また、その直後に地上のカメラがとらえた第1段分離後の映像も、いつもと比べて明らかに違っていました。いつもは4本のロケットがきれいに離れていくのですが、今回は離れ方が不規則でした。

         

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        この直後に船内からの映像はなくなり、音声のみが流れてきました。約40秒後にエマージェンシーの警告音がひびき、モスクワの管制センター(TsUP)は「ブースターの不調」をソユーズに伝えました。この場合のブースターは第2段ロケットのことです。続いて「分離」が伝えられ、ソユーズMS-10は第3段ロケットから分離し、弾道軌道での帰還モードに入りました。クルーは「われわれは無重量状態」とTsUPに伝えてきました。TsUPからは着地にそなえ「ストラップを締めるように」という指示が送られました。

         

        ソユーズMS-10はカザフスタンのジェスカスガン市から20kmほど東の地点に無事着陸しました。ソユーズ宇宙船の通常の帰還地域です。クルーは回収チームによってモスクワ郊外のガガーリン宇宙飛行士訓練センターに運ばれました。2人とも元気です。

         

        以上の経緯をみると、第1段分離直後に第2段ロケットに異常が発生して推力不足となり、地球周回軌道に達することが不可能になったため、ソユーズ宇宙船を第3段から分離させて地上に緊急帰還させたものとみられます。分離されたブースターが第2段にぶつかり、第2段を破損させたためではないかという観測があります。

         

        ソユーズ宇宙船が打ち上げ時にトラブルを起こし、クルーが緊急帰還したのは1975年以来のことです。この年の45日、ワシリー・ラザレフとオレグ・マカロフの乗ったソユーズ18号が打ち上げられました。打ち上げから450秒後、第2段エンジンの燃焼が終了し、第3段のエンジンが点火されました。ところが第2段と第3段の切り離しが完全でなかったため、ロケットは予定の方向をそれました。ロケットのセンサーが異常を検知し、第3段の点火4秒後にソユーズ18号は緊急分離されました。高度は145kmでした。

         

        ソユーズの帰還モジュールは軌道モジュールと機器・推進モジュールから切り離され、弾道軌道で降下。ラザレフとマカロフには18Gもの加速度がかかったといわれています。帰還モジュールは中国国境から約800kmのシベリア山中に降下し、斜面を転げ落ちて停止しました。2人は雪の山中でまる1日、回収チームの到着を待つことになりました。

         

        ソユーズ18号は改めて524日に、ピョートル・クリムクとビタリ・セバスチャノフによって打ち上げられたため、ラザレフとマカロフの飛行は、現在ではソユーズ18-1号とよばれています。


        オポチュニティ、いまだ応答せず

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          No Signal has been heard from Opportunity for over 100 Days

           

          火星をおおっていた大規模な砂嵐は収束し、火星ローバー、オポチュニティの上空でも大気の透明度がましています。下は火星を周回するNASAMROが撮影したオポチュニティで、左の画像の四角の真ん中の白っぽい点(右の画像)がオポチュニティです。十分な太陽光が受けられれば、発電が可能になり、機能が回復される可能性があります。しかし、610日の交信後、すでに100日以上がたっていますが、オポチュニティからの信号は得られていません。

           

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          オポチニティは電源喪失の状態におちいっていると考えられます。火星ローバーチームは砂嵐の間は1週間に数回、オポチュニティのシステムを立ち上げるためのコマンドを送っていました。砂嵐の収束とともに1日に数回コマンドを送るようになり、オポチュニティからの応答を常時チェックしています。

           

          オポチュニティの太陽電池板にちりが降り積もり、十分な太陽光が得られていない心配もあります。しかし、こうしたちりは表面近くで起こるつむじ風(ダストデビル)によって吹きはらわれると考えられ、オポチュニティの電源が回復する可能性は残されています。


          蜂須賀正氏随筆集『鳥の棲む氷の国』

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            蜂須賀正氏随筆集『鳥の棲む氷の国』(小野塚力編、我刊我書房)が9月下旬発売の予定で、予約販売が始まっています。

             

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            蜂須賀正氏(1903-1953)は華族にして鳥類学者、徳川慶喜の孫であり、ロスチャイルド卿とも深い交流があった人物です。絶滅した鳥ドードーの研究家としても世界に知られ、彼の”The Dodo and Kindred Birds or the Extinct Birds of the Mascarene Islands”は、現在でもドードー研究の代表的な文献の1つです。ベルギー領コンゴの密林で、野生のゴリラと対面した最初の日本人でもあります。

             

            編者の小野塚氏も私も古典SF研究会のメンバーというご縁もあり、私がこの本の末尾に解説を書かせていただきました。

             

            今回、刊行される『鳥の棲む氷の国』」は、単行本に未収録の文章、旅行記を集成したものであり、この本でしか読むことができません。特に、戦前の沖縄の風物にふれた「琉球採集旅行記」と中国探訪記「中支生物紀行」は今読んでも非常に興味深い紀行文です。

             

            現代の生物学は先端的研究に細分化され、生物界を総合的に理解するという観点が欠けてしまいがちです。その点で、豊富なフィールド体験と博識に裏付けられた蜂須賀の文章は私たちに大いに参考になると思います。


            アフリカ系アメリカ人女性たちとNASA

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              Hidden Figures

               

              NASAの初期の有人宇宙飛行に大きな役割を果たしたキャサリン・ジョンソンさんが、8月26日に100歳の誕生日を迎えたという記事がNASAのウェブサイトに載っています。キャサリンさんは2017年に日本で公開された映画『ドリーム』の主人公のモデルになった女性です。

               

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              キャサリンさんはNASAのラングレー・リサーチ・センターで、NASAの前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)の時代から働き、特にマーキュリー計画の軌道計算では大きな業績を残しました。キャサリンさんが仕事をはじめた当初は、航空機の機体設計や飛行性能などの計算は人間が行う時代で、キャサリンさんも計算尺や機械式計算機を用い、「人間コンピューター」として働いていました。

               

              マーキュリー計画がスタートする頃にはコンピューターが使われ始めましたが、最初は機械に対する信頼性が低く、人間の手計算による検算が必要でした。ジョン・グレンがアメリカ初の地球周回軌道に挑戦することになった際の、キャサリンさんにまつわるエピソードが残されています。グレンはコンピューターによる軌道計算結果に対して、「その数字を彼女にチェックさせてほしい。もし彼女が大丈夫といえば、私はいつでも飛ぶ」といったといいます。

               

              キャサリンさんは宇宙船の軌道投入や地球帰還の軌道理論に関して大きな業績を上げ、彼女の書いた本は長い間NASAの技術者の教科書になりました。

               

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              映画『ドリーム』で描かれたように、キャサリンさんが仕事を始めた頃のアメリカは、まだ人種差別がはげしい時代で、アフリカ系アメリカ人女性たちが働く場所は白人女性たちの働く場所と隔てられていました。キャサリンさんは1953年にラングレー・リサーチ・センターに就職しました。配属されたオフィスは西エリア計算施設とよばれた建物にあり、白人女性たちの働く東エリアから分けられていました。

               

              NASAが設立された1958年には、ソ連との宇宙競争がはじまっていました。ラングレー・リサーチ・センター内に有人宇宙飛行を目指すスペース・タスク・グループが組織され、マーキュリー計画がスタートしました。キャサリンさんはここで重要な役割を果たすことになるわけです。NASA設立とともに、黒人女性を隔離していた施設はなくなりましたが、人種差別が完全になくなったわけではありませんでした。それでもなぜ、キャサリンさんたちがNASAで大きな業績を成し遂げることができたかといえば、それは彼女たちの能力と努力のたまものであり、そして、キャサリンさんがインタビューで語っているように、NASAが1つの目標にむかって皆で進んでいく組織だったからでしょう。

               

              キャサリンさんはインタビューに答えて、「私は1日も無駄にしませんでした。私に与えられた仕事は質問に答えること。そのために私は常に全力をつくしました。それが私の考え方です」と語っています。また、「NASAの若いエンジニアへのアドバイスは?」と聞かれて、「その仕事を好きになってください。そうすれば、あなたはベストをつくすことができます」とも語っています。

               

              2016年9月にラングレー・リサーチ・センターにオープンした計算センターは、彼女の業績をたたえ、キャサリン・ジョンソン・コンピュテーショナル・リサーチ・センターと命名されました。

               

              キャサリンさんをはじめ、NASAの創生期に大きな役割を果たしたアフリカ系アメリカ人女性について興味をもたれた方は、映画『ドリーム』の原作であるマーゴット・リー・シェタリーの原作“Hidden Figures: The American Dream and the Untold Story of the Black Women Mathematicians Who Helped Win the Space Race”を読むことをお勧めします。映画『ドリーム』ではキャサリンさんのマーキュリー計画での仕事が中心になっていますが、原作の最初の3分の1は、ドロシー・ヴォーンにささげられています。ドロシーさんはNACAでアフリカ系アメリカ人女性初のスーパーバイザー(監督者)になった女性で、NASA創生期に働いていた多くのアフリカ系アメリカ人女性たちのパイオニアといえる存在でした。1943年12月、バージニア州ファームビルの高校教師だったドロシーさんがグレイハウンド・バスに乗って、NACAのラングレー・リサーチ・センターに向かうところから、キャサリンさんをはじめすべてのアフリカ系アメリカ人女性のNASAでの物語がはじまったのです。



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