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アイソン彗星の核は生き残った?
Comet ISON:May have survived

アイソン彗星は近日点通過の際に分裂して消滅してしまったのではないかとみられていましたが、SOHO 衛星の観測画像の解析によると、彗星の核は完全には消滅せず、生き延びた可能性があるようです。下の画像が、近日点通過後のアイソン彗星の画像です。中央の白い円が太陽の光球を示しています。

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下の画像は、近日点通過前の画像と重ね合わせたアイソン彗星の軌跡です。

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アイソン彗星がどうなったのか、新しい情報を待ちましょう。
アイソン彗星は消えた?
Comet ISON:Believed to have broken up and evaporated

アイソン彗星は11月28日(日本時間では11月29日)に太陽に最接近しました。NASA は、アイソン彗星は太陽最接近時(近日点通過時)に分裂し、蒸発して消えてしまった可能性があると伝えています。

太陽に最接近する直前のアイソン彗星は、宇宙から太陽を観測している衛星によってとらえられました。下はSOHO 衛星がとらえたアイソン彗星です。アイソン彗星は右下から太陽に接近しています。中央の白い円が太陽の光球を示しています。

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下は、STEREO 衛星による画像です。アイソン彗星は左下から太陽に接近しています。

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NASA によると、アイソン彗星が太陽の向う側に見えるのを待ち構えていたSDO は、その姿を観測することができなかったとのことです。下がSDO の画像で、本来なら白い十字のところにアイソン彗星がいなくてはなりません。

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12月の空に、アイソン彗星がその壮麗な姿を現すのを、私たちは期待しているのですが、はたしてどうなるでしょうか。あと数日で、アイソン彗星がたどった運命がわかるはずです。
ジョン・F・ケネディ:われわれは月へ行くことを選んだ。
JFK at Rice University:The moon and the planets are there

ジョン・F・ケネディ大統領が凶弾に倒れてちょうど50年がたちました。NASA のアポロ計画は、彼が1961年5月25日に議会で行った演説から始まったことはよく知られています。NASA のサイトには今、ケネディが行った議会での演説、1962年9月12日にヒューストンのライス大学で行った演説、そして「有人宇宙飛行:ケネディの遺産」という3本の動画がアップされています。

中でも、ライス大学での演説は、アポロ計画がスタートした当時の雰囲気をよく伝えています。アメリカの有人宇宙計画の拠点となったNASA の施設を訪れた際に行われたこの演説で、ケネディは、月を目指すことがアメリカの国家目標になったことを高らかに宣言しています。

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 なぜ、月なのか? なぜ、それをゴールに選んだのか? なぜ、一番高い山に上ろ
 うとするのか? そう聞く人がいるかもしれない。われわれは月へ行くことを選ん
 だ。それは、月へ行くことが易しいからではない。月へ行くことが難しいからであ
 る。そのゴールが、アメリカの技術を結集させるからである。その挑戦を今行いた
 いと望み、その挑戦を先延ばしにしたくないからである。

彼の演説からは、宇宙というフロンティアに乗り出したアメリカの意気込みが感じられます。およそ18分間の演説は、次のような言葉で締めくくられています。

 エベレストで命を落とすことになるイギリスの探検家ジョージ・マロリーは、なぜ
 山に登るのかと聞かれた。彼は答えている。「そこに山があるからだ」。そう、
 そこに宇宙がある。そして、われわれはそこに行きたいと望んでいる。そこに月や
 惑星がある。そして、新しい知識や平和への希望がそこにある。人類が乗り出した
 この最も危険で、最も偉大な冒険に神の祝福があらんことを。

あえて困難に挑む精神がなければ、人類は宇宙へ出ていくことができません。改めてそれを知らされる演説です。
両生類を大量絶滅させるカエルツボカビ
Bd and global amphibian mass extinction

世界各地のカエルが絶滅の危機に瀕したり、個体数を大幅に減らしたりしています。例えは、コスタリカの森に生息し、「王冠の宝石」とよばれていたオレンジヒキガエルは、1989年に確認されたのを最後に姿を消し、2004年に絶滅種となりました。

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人間による開発や水質汚染、地球温暖化による環境変化などに加え、カエルツボカビ(Batrachochytrium dendrobatidis)とよばれる真菌(カビ)が、絶滅や個体数激減の大きな原因となっています。カエルツボカビは国際自然保護連合(IUCN)によって世界ワースト100 外来種の1つにあげられています。感染したカエルの致死率は90%に達します。

『サイエンス』誌の10月18日号に、このカエルツボカビに関する興味深い論文が載っていました。カエルツボカビは両生類の免疫系をかいくぐって侵入します。アメリカ、ヴァンダーヴィルト大学生物科学部門のLouise Rollins-Smithらは、カエルツボカビが両生類の皮膚に侵入すると、マクロファージや好中球による攻撃は行われるものの、免疫系の主力部隊といえるT細胞やB細胞が活性化されないことがわかりました。これはカエルツボカビがリンパ球の増殖を抑制し、最終的にはアポトーシス(細胞死)を起こさせる物質をもっていることを示しています。

この物質が何かは、まだ突き止められていませんが、Rollins-Smithらはカエルツボカビの細胞壁に存在している物質ではないかと考えています。というのは、この菌の細胞壁ができていない遊走子とよばれる初期の段階では、リンパ球を抑制する働きがないからです。

カエルツボカビは1998年にはじめて報告されました。もともとアフリカツメガエルの中で保持されていた真菌のようです。アフリカツメガエルは1970年代に生物実験用などで輸出されるようになり、それにともない、カエルツビカビも世界各地に広がったと考えられています。カエルツボカビはカエルの皮膚の角質層に寄生し、増殖します。アフリカツメガエルやウシガエルに感染しても症状を起こしませんが、他の多くのカエルでは、感染すると皮膚の細胞が破壊されて皮膚呼吸や浸透圧調節ができなくなり、さらに菌の出す毒素によって免疫力を失い、死んでしまいます。

カエルツボカビはカエルの皮膚に遊走子嚢というものをつくります。この中の遊走子が成熟すると、たくさんの遊走子が放出されます。遊走子は鞭毛をもっており、水中を泳いで、他のカエルに侵入します。遊走子は水中だけでなく、土壌中でも長期間生存が可能で、感染力が強いのが特徴です。

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The world of frogs

日本では2006年に、輸入されたペットのカエルからはじめて感染の報告がありました。感染したカエルを発見した場合、カエルツボカビを環境中に放出しないよう注意が必要です。カエルツボカビはカエルだけでなく、サンショウウオやサラマンダー、アホロートルなどの有尾類にも感染します。

『ナイチャー』誌の2006年1月12日号には、カエルツボカビと地球温暖化の関係についての、コスタリカのオレンジヒキガエル保護研究所らのグループによる論文が載っています。生物には生息に適した気温があり、至適温度とよばれます。カエルツボカビは17〜25度Cで生育し、至適温度は23度Cといわれています。この論文では、カエルが生息していた山岳地帯の気温が温暖化によってカエルツボカビの至適温度へと移行していることが、カエルの大量絶滅の原因としており、気候変動が生物多様性にとって脅威となっていると報告しています。
スーパー台風ハイエン:地球温暖化との関係は?
Super Typhoon Haiyan:Linked to global warming?

多大な被害をもたらしたスーパー台風ハイエン(台風30号)がフィリピンに上陸したときの最大風速は87.5m でした。上陸時の風速でいうと、観測史上1位の記録です。なぜ、このような非常に強い台風が発生したのでしょう? 地球温暖化のせいなのでしょうか?

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地球温暖化のせいでハイエンのような超強力な台風が発生したと言い切ってしまうと、地球温暖化に何かと反対意見を述べる人たちから異論がでてきそうです。地球温暖化というのは、自然変動による上下動を含みながら、長い目で見て地球の平均気温が上昇していく傾向のことであり、これを1つ1つの気象イベントと直接関連付けて語るのは、少し無理があります。しかし、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次評価報告書でも述べられているように、「地球温暖化が進めば、激しい台風がより発生しやすくなる」のは間違いありません。私はあえて、スーパー台風ハイエンの発生は地球温暖化と関係があると言いたいと思います。地球温暖化が進んだ世界では、こうした災害が頻発することになるでしょう。

台風は熱帯域の海で生まれ、発達していきますが、そのためには海面水温が約28度C 以上であることが必要とされています。下の図は、気象庁の気象統計情報「海水温・海流のデータ」からの画像で、ハイエンが発生してからフィリピンを襲うまでの時期にあたる11月1〜10日の北西太平洋の海面水温を示しています。

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ハイエンは北緯5〜10度の海域をほぼ西に移動していきました。その海域の海面水温は30度C 前後でした。ハイエンは海水から熱をもらって強力な台風に発達していったのですが、この海面水温は平年値とくらべて特別に高かったのでしょうか? 下の図は、上の水温分布を平年値(1981〜2010年の平均値)と比較したものです。

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この図を見ると、赤道域の海面水温は、それほど平年値から離れているわけではないことがわかります。それでは、なぜ、ハイエンは史上まれなスーパー台風に発達することができたのでしょうか。下の図は、北西太平洋の10月における深さ100m での水温を平年値との差で見たものです。これを見ると、ハイエンが移動した海域は平年に比べて4〜6度C 暖かだったことがわかります。

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台風に熱を与えてしまうと、海面水温は下がるので、海はそれ以上、台風に熱を供給することができなくなります。しかし、海面の海水は下層の海水と撹拌されています。もしも、下層の海水が暖かければ、台風に熱が供給されつづけます。こうして、ハイエンはスーパー台風に発達していった可能性があります。台風の成長には、その時の気圧配置や風向きなどいくつもの要因が影響を与えるので、これだけですべてを説明することはできませんが、異常に暖かい下層の海水が一役買った可能性は高いと思います。

実は、IPCC の第5次評価報告書では、海洋の温暖化が大きく取り上げられています。「海洋の温暖化は気候システムに蓄積されたエネルギーの増加量において卓越しており、1971〜2010年の間に蓄積されたエネルギーのうち90%以上を占める(高い確信度)」(『政策決定者向け要約』気象庁暫定訳、以下同じ)。そして、「1971〜2010年において、海洋表層(0〜700m)で水温が上昇したことはほぼ確実」としています。具体的には「世界規模で、海洋の温暖化は海面付近で最も大きく、1971〜2010年の期間において海面から水深75m の層は10年当たり0.11℃ 昇温した」。また、「1957〜2009年の間に水深700〜2000m の層で海洋は温暖化した可能性が高い」とも述べています。

水深2000m、あるいはそれより深い海水にまでおよぶ海洋の温暖化が進んでいます。「21世紀の間、世界全体で海洋は昇温し続けるであろう」と、IPCC の報告書は述べています。こうした時代の熱帯の海では、これまでなかったような激しい台風が発生するでしょう。

これまでの研究では、地球温暖化が進むと、激しい台風が発生する可能性は高くなるものの、台風の発生頻度は変わらないか、少なくなるという予測が一般に認められていました。しかし最近では、発生頻度も高くなるという論文も発表されています。
スーパー台風ハイエン:高潮がもたらした大災害
Super Typhoon Haiyan:Catastrophe by high tide

フィリピンのルソン島、サマール島をはじめ各地に甚大な被害を出したスーパー台風ハイエン(日本では台風30号)は、観測史上最も強い台風の1つでした。ハイエンの中心気圧は895ヘクトパスカルまで下がったとのことです。アメリカのJTWC(合同台風警報センター)は、ハイエンは上陸直前に最大風速87.5m を維持し、瞬間最大風速は105m に達したと報告しています。下の画像は11月8日にNASA の地球観測衛星Aqua が撮影したハイエンで、ちょうどフィリピンを通過しています。

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強風や豪雨だけでなく、ハイエンがもたらした高潮がレイテ島やサマール島での被害を大きくしました。台風の真下は気圧が低いため、海面が吸い上げられて潮位が上がります。レイテ島北東部のタクロバンでは最大5.2m の高潮になったとされています。この海水が陸地に流れこんだわけです。アジア地域は台風による洪水が多い地域です。地球温暖化が進んで海面が上昇したところに台風が襲来すると、海岸部では高潮による深刻な水害が起こる可能性があることは、2007年に発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次評価報告書ですでに指摘されていました。今回の災害は、こうした懸念が現実になったことを示しています。

サマール島で撮影された映像には、津波のように高い波が海岸に急に押し寄せる様子が写っていました。これは「段波」という現象だったという見方もあります。強い風によって一度沖合に吹き払われた海水が、台風の通過にともなう風向きの変化で、今度は一気に海岸に押し寄せたというのです。
NASA の火星探査機MAVEN 打ち上げ
MAVEN launches towards Mars

NASA の火星探査機MAVEN が、11月18日午後1時28分(アメリカ東部時間)にケープカナヴェラル空軍基地から打ち上げられました。MAVEN の打ち上げウィンドウは20日ほどしかないため、10月1日からアメリカの政府機関が閉鎖された間も、MAVEN 打ち上げの準備は続けられました。

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MAVEN は今後4週間をかけて8機の観測機器のチェックを行う予定です。火星到着は2014年9月の予定です。火星に到着すると、MAVEN は150km×6200km という非常に細長い周回軌道に入ります。また、5回の「ディープ・ディップ」の際には、火星表面から125km まで近づきます。こうした軌道をとりながら、火星大気のサンプル採取や全球の紫外線観測などを行います。

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MAVEN の目的は、火星大気の散逸過程の解明にあります。現在の火星は非常に乾燥した環境で、薄い大気しかありません。しかし、火星が誕生してから5億年ほどは、火星表面に海が存在したとみられています。液体の水が存在するには、二酸化炭素を含んだ大気による温室効果が必要です。その頃の大気がいかにして失われたかを解明することは、火星の進化を考える上できわめて重要です。

火星の質量は地球の10分の1ほどで、脱出速度が小さいので、水素などの軽い原子は古い時代に宇宙空間に逃げていったと考えられます。水素よりも重い酸素や窒素、炭素などの原子は、太陽風や太陽輻射による作用で散逸していったと考えられます。火星の磁場は今から37億年くらい前に失われたと考えられており、その後、火星大気は太陽風に直接さらされる環境にありました。太陽風との相互作用による大気散逸過程は現在も存在しており、それをMAVEN は調べようとしているのです。

MAVEN はさらに、火星に着陸して活躍しているキュリオシティーの地球との通信を中継する役割も果たすことになっています。
チェリヤビンスク隕石と小惑星イトカワの母天体は同じ?
Chelyabinsk airburst:Where did it come from?

去る2月15日にロシア、チェリヤビンスク上空で爆発した隕石に関する報告が、『サイエンス』誌の電子版に掲載されています。ロシア科学アカデミーのオルガ・ポポーワ、NASA のピーター・ジェニスキンズら国際調査チームによるものです。

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当日撮影されたビデオ映像の解析などから、火球が最初に記録されたのは高度96km で、このときのスピードは秒速約19km であることがわかりました。高度90km で衝撃波が発生し、高度83km までくるとダストの発生と分裂がはじまりました。爆発が起こったのは高度29.7km で、このとき太陽よりも明るい光を発しました。また、強烈な紫外線も発生し、日焼けの症状が出た人もいたとのことです。爆発で大きな分裂片が2個生じました。そのうち1個は高度18.5km まで落下し、もう1個は高度13.6km まで残っていたことがわかっています。

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チェバルクル湖の凍った水面に明いた直径7m ほどの穴は、当初、隕石が落ちたにしては不自然との見方がありました(私もそう思っていました)が、その後、隕石によるものであることが確認されたようです。このような穴が明くには200~1000kg の隕石が必要とみられていました。その後、湖底からは650kg ほどの隕石が回収されました。

現在では合計4~6t の隕石が落下したと推定されています。調査チームは、これは隕石の元の質量の0.03~0.05%に過ぎないと述べています。とすると、隕石は最初1万3000~2万t の質量を持っていたことになります。そのうち76%は蒸発してしまい、残りのほとんどはダストになってしまいました。

落下した隕石は普通コンドライトのLL に分類され、S型の小惑星に由来するものでした。この隕石の母天体は11億5000万年前頃に急激な加熱か衝突を経験しているようです。

調査チームは、この隕石が、「はやぶさ」が微粒子を持ち帰った小惑星イトカワに似ている点を指摘しています。JAXA の吉川真先生らは、イトカワの軌道の解析から、イトカワは小惑星帯の内側から来た可能性が高いとしています。チェリヤビンスクの隕石もイトカワと同じような軌道をもっています。調査チームは、この隕石やイトカワは同じ母天体に由来するもので、それはフローラ族に属する小惑星の母天体かもしれないと述べています。

月面ローバー、ルノホート1号
Lunokhod 1 on the surface of the moon

『ファイナル・フロンティア』では1960年代の米ソの月着陸競争について書きましたが、本自体のテーマが有人宇宙飛行であったために、当時の月のサイエンスについてはあまり書くことができませんでした。

アポロ計画が月の起源や進化の解明にどれだけ貢献したかはすでに多くの文献に書かれていますが、ソ連のルナ計画で得られた科学的成果については、あまり知られていないのが実状です。そこで、私は今、これについてもう一度勉強しています。

ルナ1号が打ち上げられたのが1959年、ルナ計画最後の探査機となったルナ24号が打ち上げられたのは1976年です。この間に月のリモートセンシングのほか、3度のサンプル・リターンと2度のルノホートによる月面探査が行われました。ルノホートは8個の車輪を持つ無人ローバーで、1号は月面で約10か月活動し、10キロメートルを移動しました。2号は月面で約4か月活動し、37キロメートルを移動しました。

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当時の研究論文をなかなか入手できなかったのですが、ロシアの比較惑星学の第一人者であるアレクサンドル・バジレフスキー先生からたくさんの資料を送っていただきました。その中には、1970年11月に雨の海に着陸したルノホート1号に関する論文がありました。1972年に発表されたもので、バジレフスキー先生も著者の1人になっています。「ルノホート1号による月面探査の結果は、雨の海の探査域に多数のクレーターと岩石片が存在することを示している」とはじまるこの論文からは、当時の月面探査の興奮が伝わってきます。

ルノホートは、搭載されたナビゲーション・カメラで撮影した月面の画像を地球に送ってきました。クリミアのシンフェロポリにあったミッション・コントロール・ルームでは、ルノホートのパイロットが数秒間隔で送られてくる月面の画像を見ながら、操縦をしていました。送られてくるのが連続した映像でない上に、月から地球まで信号が届くのに3秒ほどかかるため、パイロットは障害物を避けながら慎重にルノホートを移動させる必要がありました。

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このコントロール・ルームは軍の管轄で、科学者は立ち入り禁止になっていました。しかし、若かりし頃のバジレフスキー先生は自分の椅子を持って毎日この部屋に入りこみ、その様子を見ていました。「そのときどんな気持ちでしたか?」とメールを送ったところ、バジレフスキー先生からは、次のような返信が来ました。「月面から送られてくる画像を見るのはとてもエキサイティングでした。しかし、同時にそれは自分の仕事でもありました。私は自分がモニター画面で見たもの、岩石やクレーター、あるいはそれらの関係などをずっとノートに書き止めていました」。

ルノホートは多数の月面のパノラマ写真も撮影しました。

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それらの写真からは、何ともいえない月面のリアリティーが感じられます。
ソユーズTMA-09Mが帰還
Soyuz TMA-09M landed in Kazakhstan

第36/37次長期滞在クルーと、船外活動によって宇宙空間に出たソチ冬季オリンピック用の聖火トーチを乗せたソユーズTMA-09M が帰還しました。

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モスクワ郊外、コロリョフにある管制センターTsUP の中央の大型スクリーンにはソユーズの位置が表示されます。両側のスクリーンには、最近では大気圏再突入からパラシュート展開までのソユーズの状態が表示されるようになっています。

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ソユーズは予定通り着陸しました。着陸後の風景はいつもと同じでしたが、1つだけ違っていたのは、リクライニングシートに収まったコマンダーのフョードル・ユールチキン宇宙飛行士がずっとトーチを手に持っていたことです。

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ソ連の時代、サリュート宇宙ステーションにはトレーニング装置があまりなかったので、宇宙に長期滞在した宇宙飛行士は地球に戻ってきたときには筋力が衰えていました。歓迎の花束さえ重かったのです。それが、今では軌道上のトレーニング装置も充実し、クルーは毎日2時間ほどトレーニングをしているので、地球から戻ってきた直後でも重さ1.8キログラムのトーチを持っていられたのです。
若田光一宇宙飛行士、長期滞在はじまる
Expedition 38/39 crew arrives at ISS

若田光一宇宙飛行士の国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在がはじまりました。

若田さんら第38/39次長期滞クルーが乗ったソユーズTMA-11M の打ち上げは、7日午後1時14分(日本時間)に予定通り行われました。見事な打ち上げでした。私は若田さんの地元であるさいたま市宇宙劇場でのカウントダウン・イベントで解説を行い、皆さんと一緒に宇宙へ飛び立つ若田さんを見送りました。

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ソユーズ宇宙船とISS とのドッキングには以前は2日間かかっていましたが、ソユーズTMA-M 型の今年のフライトからは、打ち上げから6時間、地球を4周後にドッキングすることができるようになりました(ここを参照)。TMA-M 型ではコンピューターやアビオニクスの性能が向上し、短い期間でドッキングできるだけの精密な軌道変更・制御が行えるようになったためです。TMA-11M はISS のロシア側モジュール、ザーリャの地球側に結合しているラスヴェット(MRM1)にドッキングします。

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ソユーズ宇宙船のドッキングはISS の前方から接近するV-bar アプローチで行われます。そのため、ドッキング前にISS はラスヴェット・モジュールが進行方向を向くように姿勢を変更していました。ドッキングはきわめてスムーズに行われました。

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TMA-11M は午後7時27分にISS にドッキングしました。午後9時44分にはISS への入室が行われ、若田さんたちクルーが元気な姿で現れました。軌道上のクルーとの歓迎セレモニーは、ロシアのサービス・モジュールで行われ、クルーはバイコヌール宇宙基地に見送りに来た関係者や家族たちと交信しました。

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打ち上げから約9時間で、こうしたイベントが行われるのを見ていると、宇宙は本当に近くなったと実感できます。ISS とのドッキングに2日間かかっていたときは、この交信イベントはモスクワ郊外の管制センターTsUP で行われていました。しかし、今年からはバイコヌールでの交信が恒例行事になっています。

8日には、アメリカのデスティニー・モジュールから地上との記者会見が行われました。9日午後11時30分(日本時間)にはロシア側の船外活動が開始される予定で、若田さんたちクルーが運んできたソチ冬季オリンピック用のトーチが宇宙空間に持ち出されます。このトーチは軌道上の第36/37次長期滞在クルーが地球に持って帰り、来年2月のソチ・オリンピックの開会式で、聖火台に点火するためのトーチとして使われることになっています。このトーチのために、若田さんたち第36/37次長期滞在クルーの打ち上げは2週間ほど早まったのです。

10日に、第37次長期滞在クルーと第38次長期滞在クルーとの間で指揮権の移管と引継ぎが行われ、若田さんたちは正式にISS 長期滞在クルーとなります。11日午前5時(日本時間)には第36/37次長期滞在クルーが乗ったソユーズTMA-09 のハッチがクローズされ、午前8時26分にISS から分離の予定です。午前10時55分に軌道離脱、午前11時49分地球帰還の予定です。
ファイナル・フロンティア:消えた宇宙飛行士
Final Frontier:Missing Cosmonaut

『ファイナル・フロンティア』では、ソ連時代に一度、歴史から消されてしまった宇宙飛行士についても書きました。もしかしたら、宇宙を飛ぶ最初の人間になっていたかもしれないグリゴーリー・ネリューボフは、下の写真のように、ソ連時代には写真を修整されて、その存在を抹消されていました。

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1980年代のはじめには、修正されていない写真が西側でも知られるようになりましたが、彼がソ連の最初の宇宙飛行士チームの一員であることが明らかになったのは、1986年のゴルバチョフによるグラスノスチ(情報公開)を待つしかありませんでした。初期の有人宇宙飛行は東西冷戦の真っただ中で行われていました。ソ連では、その飛行計画が政治的な要素に影響されることがありました。ネリューボフはそうした時代の宇宙飛行士だったのです。

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