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星出宇宙飛行士の多忙な日々
Busy days on ISS

星出彰彦宇宙飛行士のISS 長期滞在がはじまりました。

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打ち上げに成功した「こうのとり」3号機は、27日にISS にドッキングの予定です。「こうのとり」3号機には、メダカを宇宙で90日間にわたって飼育できるハイテク水槽、AQH(水棲生物実験装置)や、5個の小型衛星、それらを軌道に放出するための小型衛星放出機構などが搭載されています。

「きぼう」日本実験棟には専用のエアロックとロボットアームが装備されています。5個の小型衛星は、今回、ここから軌道に投入されることになっています。また、10月ごろには、ソユーズ宇宙船で、宇宙で飼育するためのメダカが運ばれてくることになっており、AQH での最初の実験も行われる予定です。

「こうのとり」がISS に到着する前に、ISS では現在ピアース・ドッキングモジュールに結合しているプログレス補給船M-15M での再ドッキング試験が行われる予定です。M-15M は7月22日にISS から分離されます。一度160km ほど離れた後、23日にピアースに再ドッキングを行います。これは新しいランデブー・アンテナのテストをするために行われるものです。M-15M は7月30日にISS から分離され、大気圏に再突入します。8月1日には、次のプログレス、M-16M が打ち上げられ、地球を4周後、ピアースにドッキングする予定です。プログレスのドッキングには従来34周、2日間が必要でしたが、今回は打ち上げ当日にドッキングすることになります。

8月30日には、サニータ・ウィリアムズ宇宙飛行士と星出宇宙飛行士による船外活動も予定されています。ウィリアムズ宇宙飛行士はすでに4回、合計29時間17分の船外活動経験をもっています。星出宇宙飛行士は、日本人長期滞在クルーとしてはじめての船外活動を行うことになります。船外活動は6時間の予定で、4個あるISS のMBSU(主電力系統切り換え装置)のうち、昨年から故障気味のMBSU 1 をスペアに交換する他、ロシアの科学実験モジュール「ナウカ」(MLM)用の電力ケーブルの敷設なども行うことになっています。なお、「ナウカ」の打ち上げは今年末の予定でしたが、最近の情報によると、来年になってしまいそうです。
星出宇宙飛行士、2度目の宇宙へ
Soyuz TMA-05M launched successfully

国際宇宙ステーション(ISS)での長期滞在のため、星出彰彦宇宙飛行士が、バイコヌール宇宙基地から飛び立ちました。

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日本人宇宙飛行士が当たり前のように宇宙に行く時代が来たことを実感する打ち上げでした。私たちにとって宇宙が身近な存在になり、また宇宙飛行士にとって宇宙での仕事が日常になればなるほど、宇宙での仕事に特別な新しさや、ものめずらしさはなくなります。しかし、それでも、星出宇宙飛行士が今回のISS 長期滞在で行う実験やさまざまな作業には興味深いものがたくさんあります。メディアもそうした星出宇宙飛行士の活躍ぶりをどんどん取り上げてもらいたいものです。

星出宇宙飛行士が2度目の宇宙に飛び立ったバイコヌール宇宙基地のSite 1 発射台は、ガガーリンが人類史上初めての宇宙飛行を行ったときに使われた発射台です。星出宇宙飛行士を乗せたソユーズTMA-05M の打ち上げは、この発射台での通算478回目の打ち上げでした。無人の打ち上げを含めてそれだけ多くのロケット発射を行っているのですが、ソ連崩壊後は、打ち上げ前にロシア正教の司祭が、ソユーズ・ロケットに打ち上げ成功の祈りをささげることが常になっています。

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宇宙がいくら身近になったとはいえ、それでも何が起こるかわからない。ロシア人はそう考えているようです。
アニメ映画『グスコーブドリの伝記』:期待外れの理由
Guskoh Budori:The movie disappointed

予告編はよくできていたのですが、いざ観てみると、がっかりでした。

冒頭の教室の場面で先生が詩「雨ニモマケズ」を朗読したとき、いやな予感がしたのですが、その後、ブドリが赤ひげに別れを告げる場面までは、賢治の世界が見事な映像で描かれていたと思います。

しかし、イーハトーブに向かう夜汽車でブドリが見る夢の中で、一瞬「銀河ステーション」という駅構内放送が流れ、詩「青森挽歌」の一節が読まれるところから、物語は暴走をはじめます。『グスコーブドリの伝記』の初期形である『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』の「ばけもの」の世界があらわれ(おそらく映画を観た人の多くは、なぜ、たくさんの「ばけもの」が登場するのか理解できなかったでしょう)、原作にはない「コトリ」(「子捕り」のことか?)というキャラクターに、物語の行方はゆだねられてしまいます。

それでも、イーハトーブ火山局でのブドリの仕事ぶりはよく描かれていました。私は、飛行船で肥料をまく場面がどのように表現されるのかを楽しみにしていたのですが、驚いたことに、この重要な場面はスキップされ、ブドリは妹のネリに再会することもできません。結局、何が起こったのかがわからないまま、ふたたび「雨ニモマケズ」が朗読され、映画は感動も余韻もない終わりを迎えるのです。

このアニメ映画は、賢治の書いた『グスコーブドリの伝記』とは無縁の物語になってしまいました。映画パンフレットを読んでみると、その原因は、杉井ギサブローの脚本・監督にあるようです。杉井は、賢治の作品は「読み手に解釈を委ねている」とし(私はこの意見に賛成しませんが)、『グスコーブドリの伝記』を「この時代に僕がどのように読んだのかを映画にしなくてはいけないと思いました」と語っています。その「どのように読んだのか」が、見当違いだったわけです。

賢治は『グスコーブドリの伝記』で、冷害や干ばつ、さらには火山噴火などの自然災害に苦しむ人々を、科学の力で救おうとする夢を描きました。それは彼自身が行った教育活動や肥料設計相談、羅須地人協会での実践、さらには東北砕石工場の技師としての営業活動に重なるものです。ところが、杉井は「大自然の力を前にして、その力を科学で抑えたり変えたりすることは難しい」というのです。それでは、東北で被災した方々に、さらには今後の大災害で被災するかもしれない人々に、私たちは何ができるのでしょうか? 「唯一できることは、多くのひとを不幸にしたくないと想う心をひとつのエネルギーにして、自然に対していくしかない」と、杉井はいうのです。「多くのひとを救いたい」という思いだけで、ものごとが解決すれば、こんなに簡単なことはありませんが、それは不可能です。自然のしくみを理解し、その知識を人々の生活に役立てていくのが、科学の役割です。この科学の営みは、杉井のいう「自然を科学の力でねじ伏せよう」とすることではまったくありません。科学者は自然に対して謙虚です。

映画では科学の力が確信犯的に無視され、問題解決のためにコトリというキャラクターがつくりだされました。杉井はアニメ映画『銀河鉄道の夜』でも、原作にない盲目の無線技師を登場させました。この無線技師はストーリーの展開に何の役割も果たさなかったので、ある意味、許されました。しかし、今回のコトリはいけません。

杉井は、ブドリの人生を「雨ニモマケズ」で「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と書かれている人物像にダブらせる意図をもっていたようです。しかし、これは大いなる誤りです。「雨ニモマケズ」は、賢治が目指そうとした道を逆説で示したものです。「そういう人になれれば、いいことであるかもしれないが、私はそうはなれない。だから自分が選んだ修羅の道を行く」というのが、この詩の本意です。賢治は丈夫な体をもっていませんでした。彼の体は若いときから結核に冒されていたのです。賢治は干ばつの夏に涙を流すだけでいたことはありませんでしたし、冷害の夏を前にしておろおろ歩くつもりはありませんでした。農芸化学を学び、その知識を農民のために生かすことに身を砕きました。

ブドリの妹ネリに、賢治の妹トシの死を重ねるのも問題です。初期形の『ネネムの伝記』にも、ネネムの妹としてマミミが登場します。ネネムとマミミは賢治とトシと考えていいのですが、このとき、トシは存命でした。確かに、『青森挽歌』が書かれた1923年には、賢治にとってトシの死をどう受け止めるかが大きな問題でした。しかし、1926年ごろとされる『銀河鉄道の夜』第三次稿で、賢治が「みんながカムパネルラだ」と書いたとき、賢治の心の中でこの問題に決着がついたことは、賢治を少し研究した人であれば、誰でも知っていることでしょう。1932年に発表された『グスコーブリの伝記』で、トシの死をもちだすのは間違いです。

杉井は、ブドリの最後を具体的に描くことは、自己犠牲を礼賛することになりかねないと考えたようです。実際、そうした批判が過去にあったようです。しかし、そのような心配は不要です。『グスコーブリの伝記』とは、その題名のとおり、ブドリという人間の一生を描いた「伝記」であり、彼の最後がどうであったかを原作に忠実に描かなければ、映画化した意味はありません。その最後が、エンターテイメントの世界で許されるかどうかという点についていうなら、映画『アルマゲドン』の中でブルース・ウィリスが演じた役を考えてみればいいでしょう。それはハリウッドでもOK なのです。

この映画には、天沢退二郎氏が監修者として名を連ねています。おそらく、天沢氏が脚本を読んだときには、映画の製作はわずかな変更もできない段階にきていたのでしょう。
インフルエンザ研究のベネフィットとリスク
Influenza research:Lessons learned

『サイエンス』誌の6月22日号に掲載された鳥インフルエンザ・ウイルスに関する論文について書くのが遅くなってしまいました。

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バイオテロ等への悪用が懸念され、鳥インフルエンザ・ウイルスに関する2本の論文の発表が、NSABB(バイオ・セキュリティー国家科学諮問委員会)によって一時止められた問題に関するこれまでの経過は、ここここに書きました。2本の論文のうち、『ネイチャー』誌に投稿されていた東京大学医科学研究所およびウィスコンシン大学の河岡義裕教授のグループの論文は、5月3日の『ネイチャー』誌電子版に掲載されました。そして、もう1本の論文であるオランダ、エラスムス医療センターのロン・フーシェ教授のグループの論文も、投稿していた『サイエンス』誌にようやく掲載されたわけです。

ロン・フーシェ教授のグループは、2005年にインドネシアで分離されたH5N1 亜型鳥インフルエンザ・ウイルスを用い、これの3個所のアミノ酸を変異させたウイルスを作製しました。変異させた個所は、HA(ヘマグルチニン、血液凝集素)の2個所(Q222L:222番目のアミノ酸をグルタミンからロイシンに、G224S:224番目のアミノ酸をグリシンからセリンに)、そしてPB2(RNA ポリメラーゼのサブユニットの1つ)の1個所(E627K:627番目のアミノ酸をグルタミン酸からリシンに)です。これらはいずれも、哺乳類への感染を容易にすることが明らかにされている変異です。HA はウイルスの細胞への侵入に、PB2 はウイルスの複製に必要です。

このウイルスを、哺乳類でのウイルス伝播を研究するモデル生物であるフェレットに感染させ、フェレット間でのウイルスの伝播を調べたところ、ウイルスのHA にさらに2つの変異(H103Y:103番目のアミノ酸がヒスチジンからチロシンへ、T156A:156番目のアミノ酸がトレオニンからアラニンへ)がおこると、飛沫感染することがわかったのです。

フーシェ教授らは、H5N1 亜型鳥インフルエンザ・ウイルスは、わずか5個所が変異するだけで、ヒトの間で空気感染するウイルスに変身すると述べています。これらの変異は、別個に、あるいは一部の組み合わせで、すでに天然のウイルスで存在しています。これまで、鳥インフルエンザ・ウイルスがヒトに感染するようになるには、ブタの体内で他のウイルスとのゲノムの混合が行われなければならないと考えられてきました。ところが、フーシェ教授らの実験結果は、ウイルスが自然に変異するだけで、ヒトに飛沫感染可能になることを示しています。

こうした研究は、パンデミックを防止する対策をとる上で非常に大切ですが、悪用されれば、社会に大きな影響を与えるのは事実です。『サイエンス』誌は論文を掲載するにあたり、この問題についての大特集を組みました。編集長のブルース・アルバーツは、巻頭言で、「この論文掲載は8か月以上にわたった論争の終わりを意味するものであるが、生物学はDURC(dual-use research of concern)をどのように扱うを問われたのだ」と書いています。

DURC とは、科学の進歩や社会の発展に寄与する一方で、軍事やテロ目的で悪用あるいは誤用される懸念のある研究をいいます。感染性や病原性が高い病原体をあつかい、実験手法も急速に発展している生物学の分野では、DURC に対してどのような対応を取るかが大きな課題となってきました。アメリカでは2004年に有名なフィンク・レポート(「テロリズムの時代におけるバイオテクノロジー研究」)が発表され、問題点の整理と提言が行われました。ここでの提言から創設されたのがNSABB です。

アメリカ政府は本年3月29日にDURC に関する新政策を発表しました。ここでは、連邦政府が助成したH5N1 亜型鳥インフルエンザ・ウイルスを含む15の病原体や毒素についての研究が有するリスクの評価を連邦政府機関に求めています。リスクが高いと評価された研究については、リスクを低減させる対策が求められます。リスクが非常に高い研究については、論文発表の規制や研究成果を機密扱いとすることも求められます。

『サイエンス』誌6月22日号では、NIH(国立衛生研究所)のフランシス・コリンズらが寄稿し、今回の経過と、そこで何が学ばれたかを述べています。河岡教授らの研究およびフーシェ教授らの研究の両方をNIH は助成していました。コリンズらは研究のベネフィットとリスクを考慮することの重要性とともに、DURC をめぐる今後の議論に科学コミュニティーだけでなく、政策立案者、市民などの間での幅広い議論の必要性を強調しています。
ヒッグス粒子、ついに発見か
Higgs boson:Preliminary but consistent

CERN(ヨーロッパ合同原子核研究機関)はヒッグス粒子とみられる新しい粒子を、LHC(ラージ・ハドロン・コライダー:大型ハドロン衝突型加速器)での実験で発見したと発表しました。LHC でのヒッグス粒子探索は、アトラス(ATLAS)とCMS という2つの大型実験装置で行われてきました。日本の研究チームはアトラス実験に参加しています。

昨年12月13日の発表では、「ヒッグス粒子が存在するとすれば、その質量はアトラス実験によれば116〜130ギガ電子ボルト、CMS 実験によれば115〜127ギガ電子ボルトの範囲内にまでしぼりこまれた」というものでした。2012年途中までの実験結果を含めた今回の発表では、質量は125〜126GeV で、「5σ」(5シグマ)に達したと報告されています。物理学の世界ではデータの間違いの確率が0.00001%以下にならないと「発見」とはみなされず、これを5σ とよんでいます。

下の図は、アトラス実験での2011年および2012年途中までの結果です。黒い実線が、質量125〜126GeV のあたりで5σ に達しているのがわかります。

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ヒッグス粒子は生成しても、すぐに壊れてしまいます。しかし、そのときの壊れ方で、ヒッグス粒子の存在を確認することができます。下は、アトラス検出器で2012年6月10日に得られた、ヒッグス粒子が生成したと考えられるイベントの画像です。このイベントでは、衝突で生成したヒッグス粒子は4個のミューオン(赤い線)に崩壊しています。

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CERN の発表は慎重に、「ヒッグス粒子とみられる粒子」と表現しています。2012年の実験データの解析作業はまだ残っています。ヒッグス粒子の発見はほぼ確実ですが、これを最終的に報告するまでには、もう少しかかりそうです。
グスコーブドリの伝記(5):オリザの系譜
Kenji Miyazawa:Genealogy of Oryza

『グスコーブドリの伝記』に出てくる「オリザ」は水稲、「沼ばたけ」は水田のことです。オリザはイネの学名 Oryza sativa からとられています。

岩手県の稲作の歴史を調べてみると、明治中期まで栽培されていたイネの品種はわずかに2種だったため、冷害などによる被害を受けやすかったとのことです。以後、天候不順などによる被害のリスクを少なくするため、6品種に増えました。このころのイネの品種は、もともとあった品種の中からすぐれたものを選ぶ「分離育種法」という方法にもとづいて行われていました。この方法でつくられた品種は、その特徴にばらつきがでるという問題がありました。

日本で、本格的なイネの品種改良がはじまったのは、明治36年とされています。当時、農事試験場にいた加藤茂苞によって、すぐれたイネ同士を交配させる「交配育種法」が確立されたのです。この方法を使ってつくられたイネの品種の第1号が、大正2年に、農事試験場陸羽支場(現在の農研機構東北農業研究センター)でつくられた「陸羽132号」でした。陸羽132号は、寒さに強く、品質が良い「亀の尾4号」と、病気に強い「陸羽20号」を交配してつくられました。

冷害に強い陸羽132号は東北地方で広く栽培されるようになり、反あたりの収穫量も増加しました。岩手県の品種別作付面積をみると、昭和3年から30年まで、陸羽132号が1位で、昭和14年にはなんと全作付面積の72%で陸羽132号が栽培されていました。

陸羽132号は賢治の詩にも登場します。『春と修羅 第二集』の「塩水撰・浸種」は、陸羽132号の塩水選後の水洗いを題材にしたものです。

塩水撰が済んでもういちど水を張る
陸羽一三二号
これを最後に水を切れば
頴果の尖が赤褐色で
うるうるとして水にぬれ
一つぶづつが苔か何かの花のやう
かすかにりんごのにほいもする
笊に顔を寄せて見れば
もう水も切れ俵にうつす
日ざしの中の一三二号

塩水選とは、塩水の中に籾を浸し、塩水に浮いた不良の籾を取り除く作業をいいます。中身の充実した籾を選ぶために行います。塩水選が終わった後は、十分に水で洗わなければいけません。

また、『春と修羅 第三集』の「(あすこの田はねえ)」という詩は、稲作の技術を題材にしたもので、以下のような個所があります。

君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った

賢治は農民のために、いつも肥料設計相談に乗っていました。水田に入れる肥料の種類と量を決めるには、その水田の場所や土壌、水質など細かい情報が必要です、そのため賢治は、農民が相談に来る前にあらかじめ空欄に記入できる質問票のようなものをつくっていました。その中に、「二十、今年こゝへは陸羽一三二号、を植ゑる」という、賢治が陸羽132号を農民に推奨していたともみられる個所があります。

賢治がどこまで積極的に陸羽132号を推奨していたか、はっきりした資料はありませんが、岩手県では、陸羽132号は賢治の推奨した米とされています。現在、岩手県で栽培されている主な品種は、陸羽132号のひ孫にあたる「ひとめぼれ」や「あきたこまち」などですが、一部の農家では今でも陸羽132号が栽培されているようです。

詩「それでは計算いたしませう」は、賢治の肥料設計相談そのものを詩にしたものです。「総反別はどれだけですか」「いつでも乾田ですか湿田ですか」「しろつめくさが生えますか」「土はどういふふうですか」などと具体的に聞いていき、その水田に最適な肥料を計算するのですが、その農民がどのような収穫を望むかで、肥料の量はちがってきます。

安全に八分目の収穫を望みますかそれともまたは
三十年に一度のやうな悪天候の来たときは
藁だけとるといふ覚悟で大やましをかけて見ますか

町に出てきたブドリを雇うことになる赤ひげの男は、「何でもかんでも、おれは山師張るときめた。」といって、水田に大量の肥料を投入しましたが、イネは病気にやられてしまいました。

「イーハトーブの大百姓」だった赤ひげの水田は、たびたびの冷害と干ばつのために、昔の3分の1になってしまい、次の年の肥料を買うお金もなくなってしまいます。こうした描写には、賢治の生きた時代の東北の農家の実情が反映されています。
グスコーブドリの伝記(4):潮汐発電所
Kenji Miyazawa:Tidal power station

クーボー博士は「もうどうしても来年は潮汐発電所を全部作ってしまはなければならない」といいます。そして4年後には、イーハトーブの海岸には200もの潮汐発電所が建設されました。潮汐発電とは、潮の満ち引きによる潮位の差を利用した発電方法です。満ち潮のときに海水を貯めておき、引き潮のときに放水し、タービンをまわします。

世界初の潮汐発電所はフランス、ブルターニュのランス川河口に建設されたランス潮汐発電所で、完成したのは1966年のことでした。

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しかし、それよりずっと前、やはりブルターニュのアベール・ウラコ川河口に潮汐発電所をつくるという計画があったのです。この世界初の本格的な潮汐発電所の計画がスタートしたのは1925年のことでした。1930年に、この計画は資金難のために中止されてしまいましたが、潮汐発電所の実現に先駆的な役割をはたしました。また、ランス潮汐発電所も、最初に検討されたのは1921年のことだったといわれています。

このように、賢治が『グスコーブドリの伝記』を書きはじめたころには、潮汐発電は新しい発電方式として大いに注目されており、日本にもその情報が入ってきたのでしょう。限りのない海のエネルギーを利用する潮汐発電は、賢治にとって魅力的な未来のエネルギーだったにちがいありません。

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