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グスコーブドリの伝記(3):イーハトーブ火山局
Kenji Miyazawa:Volcano observatory

クーボー博士の紹介でブドリが働くことになったのが、イーハトーブ火山局でした。火山局の中には壁一面にイーハトーブのジオラマがこしらえてあり、火山の場所には赤や橙や黄色のライトがともっていました。イーハトーブには300もの火山があって、それらの火山のデータはみな、この火山局に集まってくるのです。

イーハトーブ火山局のモデルは、盛岡測候所、現在の盛岡地方気象台です。

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盛岡測候所は大正12年9月1日に創設されました。昭和2年7月中旬前後に使用されたと推定されている賢治の『方眼野手帳』には、その年の冷害を心配する記述がみられます。冷夏を予測して対策を立てるためには、正確な気象データが必要と考えた賢治は、7月18日に盛岡測候所を訪問したのでした。賢治はその後も何度か測候所を訪れたとみられます。盛岡測候所の主たる業務は気象観測ですが、火山の監視も業務に含まれていました。もちろん現在の盛岡地方気象台の業務にも「岩手山、八幡平、秋田駒ヶ岳、栗駒山の火山情報の伝達」が含まれています。

ブドリたちが噴火から町を守ったサンムトリ火山の名は、ギリシアのサントリーニ島からとられていますが、火山噴火の様子などは、桜島の大正噴火が参考にされているようです。大正2年、桜島は大噴火を起こしました。噴火は西側と東側の2個所で起こり、大量の火山灰や軽石が噴出しました。溶岩の流れは海にまで達しました。

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溶岩は西側では鳥島を埋め、東側では幅400メートルあった大隅半島との間の瀬戸海峡を埋めました。桜島が大隅半島と陸続きになったのは、このときです。桜島は昔から噴火をくり返してきました。下は桜島の噴火の歴史を示す地質図で、左下の薄紫の部分が大正の噴火で鳥島を埋めた溶岩、右の薄紫および紫色の部分が瀬戸海峡を埋めた溶岩です。

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桜島の噴火は、賢治が16歳のときのことでした。その後、賢治が入学した岩手高等農林学校で指導教官だった関豊太郎の研究室に鹿児島出身の学生がおり、賢治は噴火の様子をくわしく知ることができたといわれています。

物語の最後に登場するカルボナード島の名は、カーボネート(炭酸塩)からとられ、炭酸ガスを連想させる名前になっています。賢治は大気中の二酸化炭素濃度が上昇すれば、温室効果で地球が暖かくなることを知っていました。賢治が地球規模の気象現象についても深い知識をもっていたことがわかります。
グスコーブドリの伝記(2):飛行船の夢
Kenji Miyazawa:Lighter than air

『グスコーブドリの伝記』には、賢治の他の作品には見られないメカがいろいろ登場します。中でも、クーボー博士が乗りまわす「玩具のやうな小さな飛行船」は、とても魅力的です。このような飛行船を考えついた賢治の想像力には、感嘆するしかありません。

クーボー博士が乗るような飛行船が実際につくられたことはありませんが、作品の世界では19世紀末に登場しています。下は、フランスのアルベール・ロビダが1890年に発表した"La vie électrique" に載っている、彼自身が描いた挿絵です。「空中タクシー」とでもいえるものです。

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"La vie électrique" は、20世紀の電化生活がテーマで、電気を利用するさまざまなアイデアが登場し、挿絵を見ているだけで楽しい作品です。

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ロビダの作品の中には、フランスで発表後、日本ですぐに翻訳されて、出版されたものがあります。明治20年(1887)には春陽堂から『世界未来記 社会進化』が、明治21年(1888)には岡島宝文館から『第二十世紀 世界進歩』全3編が刊行されました。どちらも、ロビダが予想する未来世界を紹介したものです。

『第二十世紀 世界進歩』第一編には、以下のようなロビダによる挿絵が載っています。

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これは、「空中ホテル」とでもいうような施設で、そのまわりを小型の飛行船(翻訳では「空船」と紹介されています)が飛行しています。また、下の絵は橋梁の上につくられた建物で、ここでもたくさんの空船が飛行しています。

下の絵は第二編に載っている小型飛行船です。

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賢治はこうした作品にも何らかの形で触れて、想像力を刺激されていたかもしれません。

『グスコーブドリの伝記』では、空中から肥料をまくためにも、飛行船が使われます。おそらくこの飛行船は、より大型のものでしょう。ブドリが山の頂上の小屋で見ていると、飛行船が雲の上を飛び、「うす白く光る大きな網」をかけていきます。これが空から窒素肥料をまくためのしかけなのです。

気球と異なり、エンジンで自由に飛行することが可能な飛行船は、フランスのアンリ・ジファールの開発したものが最初とされ、1852年に飛行が行われました。ガスをつめる気嚢に骨格をもつ硬式飛行船は、ドイツのツェッペリン伯爵によって1900年に初飛行が行われ、飛行船が軍事偵察や旅客輸送など実用に使われる時代が到来しました。下は、1910年に登場したツェッペリン、ドイチュラント号(LZ7)で、ドイツ国内での旅客輸送に用いられました。全長145メートルで、120馬力のダイムラーエンジン3基で推進しました。最高速度は時速60キロメートルでした。1900年代には、フランスやイギリスでも、主に軍事目的で飛行船が開発されています。

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日本では、明治42年(1909)にアメリカのハミルトンが上野不忍池付近でデモンストレーション飛行を行いました。これを知った山田猪三郎は山田式飛行船(軟式飛行船)を開発し、翌年に飛行に成功しました。また、陸軍の徳川好敏大尉らは、明治44年(1911)にイ号飛行船を建造し、所沢飛行場で飛行を行いました。気球部分の製作は山田猪三郎が担当しました。徳川大尉らはその翌年にはドイツから、パーセヴァル飛行船を購入しています。

こうした飛行船実用化の動きを、賢治は当然知っていたでしょう。賢治は飛行船の可能性に気づき、窒素肥料を空から散布する手段に選んだのです。
グスコーブドリの伝記(1):東北地方を襲った飢饉
Kenji Miyazawa:Famines in Tohoku

『グスコーブドリの伝記』は、冷害や干ばつに苦しむ東北地方の農民を救うためにはどうしたらいいのかを、賢治がいつも考えていたことを知る上で、非常に重要な作品です。

『グスコーブドリの伝記』の先駆形である『グスコンブドリの伝記』には、フウフィーボー大博士がブドリに、農民が何に困っているかを聞く場面がありました。この個所はそのまま、当時の農業の窮状を語る場面になっています。
「沼ばたけではどういふことがさしあたり一番必要なことなのか。」
「いちばんつらいのは夏の寒さでした。そのために幾万の人が餓ゑ幾万のこどもが孤児になったかわかりません。」
「次はどういふことなのか。」
「次はひでりで雨の降らないことです。幾万の百姓たちがその為に土地をなくしたり馬を売ったりいたしました。」
「次はどういふことなのか。」
「次はこやしのないことです。百姓たちはもう遠くから肥料を買ふだけ力はないのです。」

『グスコーブドリの伝記』では、この3つの問題は、空中から窒素肥料をまき、人工降雨を行い、火山からの二酸化炭素で地球を暖めることで解決されます。科学の力を使って農民の生活をよくすることが、賢治の夢だったのでしょう。

賢治がこのように考えるようになった背景には、賢治自身も体験した東北地方のきびしい凶作の歴史がありました。『グスコーブドリの伝記』のはじまりで、ブドリが12歳のときに2年つづきの冷害が襲ってきます。そして2年目の秋になると、「たうとうほんたうの饑饉になってしまひました」。これはおそらく、明治38〜39年の冷害と、それにともなう飢饉が賢治の頭の中にあったのではないかと思われます。ブドリの両親は町に行って、わずかばかりのきびの粒などを手に入れてきますが、ときには何も持たずに帰ってくることもありました。実は、このなにげなく読んでしまいそうな個所には、賢治にとって非常に重い意味が含まれています。というのも、生活に困った農民がわずかな金銭を手に入れるために訪れる質店を、賢治の実家はいとなんでいたからです。

賢治は大正4年に、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に入学しました。明治38〜39年や大正2年の凶作のときの農民たちの悲惨な状況をよく知っていたことが、賢治が農芸化学を志望したきっかけの1つだったのではないかと、私は考えています。

『グスコーブドリの伝記』は昭和6年に発表されました。昭和5年の凶作の翌年のことです。
スオミNPP 衛星による新しい地球全球画像
Arctic view of the Earth

NASA の地球観測衛星「スオミNPP」の観測画像から作成された、新しい地球全球画像が公開されています。

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青白く見えているのは北極海の氷で、その周囲に雲が渦巻いています。ヨーロッパが緑におおわれているのと対照的に、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の乾燥地帯は褐色で、雲もほとんどありません。地球上の気候風土の多様性が1枚の画像にドラマチックにこめられています。

スオミNPP の地球全球画像は、これまでも以下のようなものが発表されています。どちらも赤道方向から地球を見たものです。

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スオミNPP は2011年10月28日に、デルタII ロケットで打ち上げられました。高度824キロメートの太陽同期軌道を1日に14周しながら、天気予報の精度向上や、長期の気候変動研究に役立つデータを取得しています。

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上に紹介した画像は、スオミNPP に搭載されている5種類のセンサーのうちの1つで、可視・近赤外の領域で観測を行うVIIRS(Visible Infrared Imaging Radiometer Suite)によって得られました。
衛星タイタンの赤道域にメタンの湖が存在
Titan:Methane lakes in Shangri-La

カッシーニ探査機が観測した土星の衛星タイタンの新しい画像が発表されています。上が北で、土星とは反対側の面が見えています(土星をまわるタイタンの公転周期は自転周期と同じなので、地球の月と同じように、タイタンはいつも同じ面を土星に見せています)。背景の白い線は、ほぼ真横から見た土星の環です。

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この画像は波長938ナノメートルの近赤外域でとらえた姿です。タイタンの大気は可視光から赤外域では不透明で、表面を見ることはできませんが、波長930ナノメートルあたりは、表面を見ることが可能ないくつかの「窓」の1つです。赤道域に黒く見えているのは「シャングリラ」と名付けられた領域で、ホイヘンス・プローブは、この領域のすぐ西に軟着陸しました。シャングリラの東には、ザナドゥーと名づけられた大陸があります。

『ネイチャー』誌の6月14日号には、このシャングリラに、メタンの湖が存在するらしいという論文が発表されています。

タイタンには全球に分布させると深さ5メートルになる量のメタンが存在しますが、ほとんどは大気に含まれています。これまでのレーダー観測では、液体のメタンは北極域および南極域にしか発見されていませんでした。赤道域の液体のメタンは蒸発して、風によって極域に運ばれ、そこで冷却されて凝結して表面に降り、メタンの湖をつくるというのが、これまでのタイタンの大気モデルで説明されてきたことです。

アリゾナ大学月惑星研究所のケイトリン・グリフィスらのグループは、シャングリラの北緯20度から南緯20度の間の領域について、近赤外スペクトルの画像を解析し、液体のメタンが存在するとみられる40キロメートル×60キロメートルほどの楕円形の領域を見つけました。下の画像の黄色の矢印(一番右側)がその場所です。このような場所は、それ以外にも4か所見つかっており、下の画像には、それらの場所も矢印で示されています。

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これらのメタンの湖の深さは、1センチメートルから2メートル程度です。上に述べた楕円形の領域は、カッシーニによって2004年から観測されており、少なくとも1万年にわたって永続的に存在しているとみられます。湖をつくるメタンが大気から供給されたとは考えられず、おそらく地下になんらかの供給源があるものと、グリフィスらは考えています。タイタンはこれまで考えられていた以上に、複雑な天体のようです。
レイ・ブラッドベリ:霧笛と原子怪獣
Ray Bradbury:The Fog Horn and The Beast from 20,000 Fathoms

先日亡くなったレイ・ブラッドベリの作品の中で、『霧笛』は私が特に好きな作品の1つです。霧の季節になって灯台の霧笛が鳴りはじめると、その声に呼び寄せられ、深い海の底に身をひそめていた太古の恐竜が姿をあらわす物語です。

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この作品は1953年に公開されたアメリカ映画『原子怪獣現る』の原作となり、1954年公開の東宝映画『ゴジラ』に大きな影響を与えたといわれています(たとえばWikipedia、朝日新聞2012年6月12日「時代越え共感呼んだSF」巽孝之)。しかし実際には、『霧笛』が『原子怪獣現る』の原作といえるかどうかについては、微妙な部分があります。

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ブラッドベリは隔月刊雑誌『サタデー・イブニング・ポスト』誌の1951年6月23日号に、”The Beast from 20,000 Fathoms” という短編を発表しました。この作品が1953年に『太陽の黄金の林檎』に収められたとき、題名が ”The Fog Horn” すなわち『霧笛』に変えられたのです。

一方、ハリウッドで低予算映画を制作していたジャック・ディーツとハル・チェスターは1952年、『キングコング』のリメイク版がこの年に大ヒットしたことに刺激されて、“The Monster from Beneath the Sea” という題名の怪獣映画を企画しました。監督はユージン・ローリーに依頼しました。特撮にはレイ・ハリーハウゼンを起用しました。ハリーハウゼンはCGなど存在しない時代に、恐竜や怪獣の模型を動かし、登場人物の動きや背景と合成することでリアルな映像をつくりだした「ダイナメーション」という手法を編み出した人です。脚本は数人の作家に依頼しましたが、実際はローリーが書いたといわれています。さらにハリーハウゼンも参加したようです。

制作作業が進んでいる間に、ディーツは『サタデー・イブニング・ポスト』に掲載されたブラッドベリの作品を発見しました。それには、恐竜が灯台を壊すイラストがついていたのですが、映画の中にも同じような場面がありました。ハリーハウゼンはブラッドベリと長い間の友人でしたが、彼もこの作品を知ったのはこのときだったようです。ディーツが作品の中身を読んでいたかどうかは不明ですが、彼はさっそくブラッドベリをスタジオによんで脚本を読んでもらい、アドバイスを求めました。そこではじめてブラッドベリは、自分の作品と同じ物語がつくられていたことを知ったのです。

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ハリーハウゼンがこの映画のために製作した映像をブラッドベリに見せたときに、ブラッドベリが自分の作品と同じであることに気がついたという、別の話もあります。

監督のローリーも後にSF映画雑誌のインタビューに答えて、脚本の執筆はブラッドベリの作品とは独立に行われたと語っています。

結局、映画の題名は “The Monster from Beneath the Sea” から ”The Beast from 20,000 Fathoms” に変更になり、ブラッドベリの名前は “Suggested by THE SATURDAY EVENING POST Story by Ray Bradbury” として表記されることになりました。

ブラッドベリにとっては、自分の作品が映画化され、ハリーハウゼンにとっては友人であるブラッドベリと一緒に仕事をすることができ、ディーツとチェスターにとっては、映画の宣伝にブラッドベリの名前を使うことができるようになりました。皆がハッピーになる結末だったのです。
哀悼:レイ・ブラッドベリ
Ray Bradbury:A mindless abyss of stars ask to be discovered

SF作家で詩人のレイ・ブラッドベリが亡くなりました。91歳でした。私も彼の大ファンでした。

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ブラッドベリはNASA の惑星探査のよき理解者でした。JPL(ジェット推進研究所)のイベントにはよく顔を出していたといわれます。1971年11月12日、マリナー9号が火星周回軌道に入る前夜に、JPL では ”Mars and the Mind of Man” というパネル・ディスカッションが行われました。パネラーは、レイ・ブラッドベリ、アーサー・C・クラーク、カール・セーガン、ブルース・マーレイ、ウォルター・サリバンなど、超豪華な顔ぶれでした。

現在、このときのブラッドベリの大うけしたスピーチの一部がネット上に公開されています。『火星年代記』の作者である彼は、ここで、こんなふうに語っています。「僕は今、何をしようとしているのかな。ここに集まっている人の中で、一番科学知識がない人間なんだ」「数年前、10歳の少年がやってきて『ブラッドベリさん、『火星年代記』の92ページに、火星の月は東から上ると書いてありますが、本当ですか?』と聞いた。僕が『そうです』というと、『ちがいますよ』といわれてしまった」(笑)。(衛星フォボスは火星の自転速度よりも速く火星をまわっているので、火星表面から見ると、フォボスは西の空からのぼり、東に沈んでいく)「火星の表面が明らかになってきたここ数日というもの、僕は、たくさんの火星人が大きなサインの横に立って、『ブラッドベリは正しかったぞ!』といっているところを期待していたんだ」(笑)。

NASA のウェブサイトには、ブラッドベリが2000年にNASA のArt Program のために書いたエッセイが紹介されています。

「私たち人間がいなければ、NASA がなければ、宇宙は見られず、知られず、触れられることがない。星々の深淵は発見されることを求めている」
「地球上の生き物はいつか暑さか寒さのために滅びてしまうだろう。私たちは他の世界へ、他の星へ旅立つ準備をしなくてはいけない」
「最初は月、次は火星、そしていつの日かアルファ・ケンタウリの近くの星に」
「NASA はそれができるだろうか? どちらが先に来るとしても、私たちはNASA と一緒に歩み、何百万年も生きながらえることができるだろうか?」
「私たちはできる、そうしたいと思う、そうしなくてはならない!」

私にとってブラッドベリは、惑星探査や人類の宇宙への進出を、人類の未来という広い視野に立って考えていくべきであることを教えてくれた作家でした。
太陽面を通過する金星をとらえた
Venus Transit:Spectacular images by SDO

金星の太陽面通過を、日本の太陽観測衛星「ひので」がとらえた素晴らしい画像と動画が発表されています。

アメリカの太陽観測衛星SDO も、金星の太陽面通過を観測し、動画を公開しています。下はSDO のAIA (Atmospheric Imaging Assembly)で撮影した波長21.1ナノメートルの画像です。

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下の3枚の画像はAIA の波長30.4ナノメートルの動画からのもので、太陽面を通過する金星がとらえられています。

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下の3枚の画像はAIA の波長17.1ナノメートルの動画からのものです。

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これらはいずれもX 線に近い短い波長の紫外線の領域でとられたものです。どの画像にも、はげしく活動する太陽と、太陽面を通過する金星の姿がみごとにとらえられています
地球温暖化はどれくらい怖いか?
Climate scenario:Global warming effects and hazards

『地球温暖化はどれくらい「怖い」か?』(江守正多他、技術評論社)を読みました。

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最近、とくに3.11 以後の日本では、さまざまな問題をまともに議論できない状況ができてしまいました。そんなときに、こんなまともな本が出版されたことは賞賛に値すると思います。ここでは、地球温暖化によるリスクが、最新の科学的知見をもとに、できるだけ偏りのないように書かれています。リスクを評価するのは、最終的に私たちでだからです。

各項目とも、内容が非常にわかりやすく、それぞれの筆者の姿勢にも好感がもてます。多くの方にぜひ読んでいただきたい1冊です。

ドラゴン宇宙船が帰還
Dragon Returns to Earth

国際宇宙ステーション(ISS)のハーモニー・モジュールからロボットアームによって分離されたスペースX 社のドラゴン宇宙船は、31日午前5時49分(アメリカ東部夏時間)にリリースされ、地球へ帰還することになりました。下の画像は、リリースされたドラゴン宇宙船、手前はロボットアームの先端です。

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ドラゴンは午前10時51分に、9分50秒間の軌道離脱エンジン噴射を行い、大気圏に再突入しました。下の画像は、大気圏再突入時の想像CG です。

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午前11時42分、ドラゴンはカリフォルニアの沖合に着水し、ミッションを完了させました。下の画像は海に浮かぶドラゴンです。

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下の画像は、ドラゴン回収の想像CG ですが、実際にも、このような回収シーンが展開されたのでしょう。スペースシャトル以前のNASA の宇宙船回収の現場を思い起こします。

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ドラゴンによるISS への物資補給は、宇宙開発の新しい時代の到来を告げるものといえます。ドラゴンは、もともとISS へ人員を輸送する有人宇宙船として設計されています。スペースX社の創設者でありCEO のエロン・マスクは「われわれはこれからもNASA と仕事をしていきたい。できれば3年以内にクルーを打ち上げたい」と語りました。

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