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巨大壁画『爬虫類の時代』
国立科学博物館で開催されている「恐竜博2011」に行ってきました。ティラノサウスルやトリケラトプスをはじめとする全身骨格標本や、恐竜の羽毛など最新の話題をまじえた展示はきわめて充実していました。

dino2011

子供たちの人気はやはりティラノサウルスのようでしたが、私が一番印象的だったのは、ピーボディー自然史博物館の大壁画『爬虫類の時代』に関する説明展示でした。この壁画は同博物館のグレートホールにあり、長さ33.5m、高さは4.9m。古生代デボン紀から中生代白亜紀まで約3億年間の生物の歴史が細密に描かれています。

the_age_of_reptiles

化石でしか知ることができない遠い昔の動物たちを絵で復元するだけでなく、それらの動物が生きていた環境(地形や植物)も描きこんで一大パノラマとする手法はきわめて訴求力があります。じっと見入っていると、まるで恐竜たちの声や足音が聞こえそうです。この『爬虫類の時代』は、私が恐竜や古生物の記事や書籍をつくるときの原点になった絵でした。

この壁画が完成したのは1947年でした。描いたのは当時イエール大学芸術学部の4年生だったルドルフ・ザリンガーで、古生物学の教授たちから特別にレクチャーを受けてから仕事にとりかかったとのことです。今回の説明展示では、この壁画に描かれている35種の動物と26種の植物についての解説があり、さらにこれが一番大事なことですが、そこに描かれた当時の知識が、その後の学問の進歩によってどれだけ新しいものになったかが説明されています。絵に描かれていることの一部は古くなってしまいましたが、この絵は今も多くの人々の知的好奇心や古生物学への関心をかきたてています。
火星探査機キュリオシティーの着陸場所はゲール・クレーターに
NASA の火星探査機キュリオシティー(マーズ・サイエンス・ラボラトリー)の着陸地点は、ゲール・クレーターに決定しました。ゲール・クレーターは赤道近くにある直径約150km のクレーターです。

Gale_crater

Nature 誌によると、4か所に絞られた着陸候補地の中で、ゲール・クレーターは河口デルタらしい地形をもつエバースワルド・クレーターと最後まで競っていたとのことです。どちらもキュリオシティーの目的である火星の水の歴史を調べるのに適した場所と考えられていました。古い時代の出来事を知るには、できるだけ昔の地層を調べる必要があります。MOLA の高度地図でもわかるように、ゲール・クレーターの底は周囲にくらべてかなり低くなっており、クレーターが形成された際に、深いところまで掘り返されたとみられます。この点は、ゲール・クレーターが選ばれた大きな要素だったのではないかと思われます。

Gale_crater

ゲール・クレーターは少し不思議な形をしています。中央にはクレーターの底から5km ほどの高さをもつ大きな山があります。衝突によってできたセントラル・ピークはこの山の中にかくれています。ゲール・クレーターができたのは38億〜35億年前です。その後、このクレーターは水の存在下で一度堆積物におおわれ、その堆積物が水の流れで取り去られてクレーターがふたたび顔を出したようです。こうしたサイクルが数回繰り返された可能性もあります。

Gale_crater

ゲール・クレーターには古い地層に刻まれた谷がいくつも走っており、キュリオシティーはここを移動しながら過去の水の状態を調べることになります。キュリオシティーが着陸するのはクレーターの一番低い場所である北西の底で、南緯4.5度、東経137.4度、着陸楕円は長さ20km、幅7 と設定されています。

Gale_crater

このピンポイント着陸を行うため、キュリオシティーはパラシュートで降下後、最終局面で逆噴射ロケットと懸吊機構を組み合わせた「スカイクレーン」という方法で軟着陸します。

NASA の火星探査は、生命の探査を念頭におきながらも、まず生命誕生の必要条件である水の存在を調べる ”follow-the-water” という戦略で行われてきました。キュリオシティーは生命の痕跡の可能性がある有機物の観測も行うことになっており、これまでの ”Follow the Water” から一歩踏み出すミッションといえます。2013年にNASA との協力のもと、ESA が打ち上げを予定しているExoMars では、火星生命の探査そのものが目的になっています。

キュリオシティー打ち上げのウインドウは11月25日〜12月18日です
ファイナル・ストップ。スペースシャトル計画完了。
7月21日午前5時57分(アメリカ東部夏時間、日本時間午後6時57分)、スペースシャトル、アトランティスはケネディ宇宙センターに帰還しました。

sts135_landing

スペースシャトルの車輪が滑走路上で止まると、シャトルのコマンダーは「ホイールストップ」と機体停止をヒューストンに報告するのが常でしたが、今回は少し違っていました。アトランティスのコマンダー、クリス・ファーガソンは「ミッション完了、ヒューストン」と連絡したのです。「30年にわたる任務の後、スペースシャトルは歴史の中にその場所を得た。ファイナル・ストップの時が来た」。ヒューストンからCAPCOM のバッチ・ウィルモアが返事を送ってきました。「ホイールストップ了解。おめでとう、アトランティス、そして30年にわたって世界中の人々をインスパイアしてきたこの信じがたい宇宙船に力を与えてくれたたくさんの情熱的な人たち。いい仕事だった」。

スペースシャトル計画は終了しました。これだけ複雑で多様な機能をもつ再使用型の有翼宇宙船は、しばらくは出てこないでしょう。しかし、スペースシャトルで得られた技術は、別のタイプの宇宙船に応用されていくはずです。
アトランティスの着陸機会
スペースシャトルの第1着陸機会は200周目で、7月21日午前5時56分58秒(アメリカ東部夏時間、日本時間21日午後6時56分58秒)です。この場合、Deorbit TIG すなわち軌道離脱のエンジン噴射時刻は午前4時49分04秒(日本時間午後5時49分04秒)、場所は北緯6度18分、東経92度43分、スリランカの東の上空、高度は約390km です。エントリー・インターフェイス(EI)すなわちアトランティスの機体が大気の影響を受けはじめるのは午前5時24分頃(日本時間午後6時24分頃)、高度は約120km、アトランティスがソニックブームとともにケネディ宇宙センターの上空に姿をあらわすのが午前5時52分頃(日本時間午後6時52分頃)の予定です。

orbit200

天候の都合などで帰還が1周遅れて201周目になった場合、Deorbit TIG は午前6時25分44秒(日本時間午後7時25分44秒)、場所は南緯7度58分、東経79度27分、インド洋の上空です。EI は午前7時00分頃(日本時間午後8時00分頃)、ケネディ宇宙センターの上空に姿をあらわすのが午前7時28分頃(日本時間午後8時28分頃)、着陸が午前7時32分55秒(日本時間午後8時32分55秒の予定です。

orbit201

空がきれいに晴れ上がっていれば、アトランティスの見事な着陸を見ることができるでしょう。
スペースシャトルの遺産:風に飛ぶ種子のように
スペースシャトル、アトランティスの帰還が近づいてきました。宇宙にたくさんの宇宙飛行士を送り、宇宙でたくさんの仕事をしたスペースシャトルの時代がもう少しで終わろうとしています。

Atlantis_middeck

スペースシャトル計画の終了によって、NASA が大きく変わっていくのも事実です。これまでシャトル計画にかかわってきた多くの宇宙飛行士、地上のスタッフ、技術者、科学者、施設の作業員が別の道を歩むことになります。

FD 13 のエグゼキュート・パッケージの最後には、地球に帰還するクルーに向けての(同時にNASA チームのすべてに向けての)、次のようなメッセージが書かれていました。

「それがどんなものになるにせよ、私たちは次の大きな冒険に歩み出していきます。私たちはいろいろな方面に散らばっていくでしょう。しかし、風に飛ぶ種子のように、私たちは私たちが学んだことを、多くの違った場所で根づかせることでしょう。シャトル計画は終わるかもしれませんが、その遺産は人間の活動があるところどこででも生きていくでしょう」

ポスト・スペースシャトル時代がどうなっていくのか、まだはっきり見えていない部分もあります。しかし、スペースシャトルの遺産はきっとさまざまな形で今後の宇宙活動に生かされていくに違いありません。
アトランティス、ISS から分離
19日午後5時18分(日本時間)、アトランティスは国際宇宙ステーション(ISS)を離れました。ISS からのスペースシャトルの最後の分離でもあります。

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アトランティスが結合していたISS のハーモニー・モジュールのハッチドアには、アトランティスがISS にもってきたスペースシャトルの模型とSTS-1 で飛んだ星条旗が飾られていました。

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機体前部のスラスターを噴射しながら遠ざかっていくアトランティスの姿は感無量でした。

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アトランティスはOBSS による機体検査も終え、いよいよ帰還の準備に入ります。
アトランティス、帰還へ
7月18日、アトランティスのクルーは国際宇宙ステーション(ISS)に別れを告げ、午後11時28分(日本時間)にISS とアトランティスを結ぶハッチが閉じられました。アトランティスはこれから帰還の準備に入ります。

ハッチ・クローズに先だって、アトランティスとISS のクルーは、特別なセレモニーを行いました。

sts135

そして、アトランティスが地球からもってきた特別な品が、コマンダーのクリス・ファーガソン宇宙飛行士から紹介されました。1つは、スペースシャトルの模型で、シャトルの開発に携わった何人かがサインをしています。そして、もう1つは、やはりというか、STS-1 で宇宙を飛んだ星条旗でした。

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30年前にスペースシャトルの最初の飛行で宇宙を飛んだ星条旗が、スペースシャトルの最終便で運ばれてきたのです。「次にアメリカの宇宙船でISS を訪れる宇宙飛行士が、ふたたびこれを地上にもって帰るまで、この旗はISS に飾られる」と、ファーガソン船長は語りました。この旗によって、宇宙を切り開いてきたスペースシャトルのスピリットはISS に受け継がれることでしょう。またアメリカにとって、新しいアメリカの有人宇宙船でこれを持ち帰るという大きな目標ができたことになります。

スペースシャトルの模型と宇宙飛行のシンボルといえる星条旗を残して、アトランティスのクルーはハッチの奥へ消えていきました。

アトランティスの帰還は7月21日午前5時57分(アメリカ東部夏時間、日本時間21日午後6時57分)の予定です。
ハッブル宇宙望遠鏡のサービスミッション
スペースシャトルの数ある飛行の中で何が記憶に残っているかと聞かれると、多くの人がハッブル宇宙望遠鏡の修理ミッション(サービスミッション)をあげるようです。確かに、このミッションはスペースシャトルの能力がフルに発揮されたものでした。

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ハッブル宇宙望遠鏡は1990年のSTS-31 で打ち上げられました。ハッブル宇宙望遠鏡は口径2.4m の反射望遠鏡で、全長は13m、重量が11t あります。軌道高度534km という、スペースシャトルがそれまで到達したことのない高みに達したディスカバリーは、ペイロードベイに積んでいたハッブル宇宙望遠鏡をロボットアームで取り出し、軌道に投入しました。

第1回のサービスミッションは1993年のSTS-61 で行われました。5回の船外活動が行われ、ハッブル宇宙望遠鏡のピンボケは解消されました。ハッブルは本来の観測能力を発揮することが可能になり、天文学の教科書を次々に書き換える素晴らしい成果を生みはじめたのです。

2回目のサービスミッションは1997年のSTS-32 によって行われました。3回目のサービスミッションは2回に分けて行われ、サービスミッション3A が1999年のSTS-103 で、3B が2002年のSTS-109 で行われました。

ハッブル宇宙望遠鏡のサービスミッションを行うには、シャトルはまず高度500km 以上の軌道でハッブルにランデブーし、ロボットアームでハッブルを捕捉しなければなりません。ハッブルをペイロードベイに固定した後、船外活動を行って、観測機器や部品の交換を行います。作業完了後、ハッブルはロボットアームでふたたび軌道に投入されます。ランデブー、捕捉、船外活動、軌道への再投入。どれをとってもきわめて難度の高い作業です。

コロンビア事故後にシャトルの飛行が再開された際、ハッブル宇宙望遠鏡のサービスミッションは危険度が高いため、ロボットで行うべきという議論が巻き上がりました。しかしながら、このような高度な作業を無人でできるわけもなく、最後のサービスミッションが2009年にSTS-125 で行われました。このときは、サービスミッションを行うアトランティスで万が一のトラブルが発生した場合にそなえ、エンデバーがいつでも救出に向かえる体制がとられました。

ハッブル・サービスミッションの船外活動には、高い技量が必要とされます。フライト前にはプールに沈めたモックアップで長時間の訓練を行います。さらに、ハッブル宇宙望遠鏡自体についての高度な科学的知識も要求されます。天体物理学の専門家であり、ハッブル宇宙望遠鏡の観測装置の開発にもかかわったジョン・グランスフェルド宇宙飛行士は、ハッブル宇宙望遠鏡についてのプロフェッショナルとして、最後の3回のサービスミッションに搭乗しました。

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グランスフェルド宇宙飛行士は1995年にSTS-67 で初飛行を行いました。2回目の飛行はSTS-81 のミール宇宙ステーションへのドッキングミッションでした。STS-103 の3A、STS-109 の3B ミッションの後、2004年にNASA のチーフ・サイエンティストに就任しましたが、ハッブル宇宙望遠鏡への最後にミッションにペイロード・コマンダーとして搭乗しました。グランスフェルド宇宙飛行士は3回のサービスミッションで合計8回の船外活動を行いました。船外活動の合計時間は58時間30分に達しています。
バーバラ・モーガン:宇宙にも教育にも終わりはない
NASA の宇宙飛行士および元宇宙飛行士は、それぞれの思いをいだいてスペースシャトル最後のミッションを見守っていることでしょう。一人ひとりの宇宙飛行士に、それぞれの物語があり、それらが全部集まってスペースシャトルという宇宙船の30年間の物語が形作られているのです。

宇宙飛行士たちの物語をすべて紹介することはもとより不可能ですが、その何人かについて語るとすれば、バーバラ・モーガンさんを抜きにするわけにはいかないでしょう。

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1985年、NASA は宇宙を教育の場として利用するために「ティーチャー・イン・スペース」計画を開始しました。全米1万1000人の候補者の中から宇宙を飛ぶ教師として選ばれたのが、ニューハンプシャー州の高校教師クリスタ・マコーリフとアイダホ州の小学校教師バーバラ・モーガンでした。モーガンはマコーリフのバックアップとして訓練を受け、「ティーチャー・イン・スペース」の2回目の飛行で宇宙を飛ぶ予定になっていました。

ところが、1986年1月、マコーリフが乗り込んだスペースシャトル、チャレンジャーの事故により、「ティーチャー・イン・スペース」計画は中止されました。シャトルの飛行再開が見えない中、モーガンは小学校に戻りましたが、その後もNASA の教育プログラムとの協力関係は残りました。

1998年、NASA はふたたび宇宙を教育に利用する計画をスタートさせ、モーガンはNASA 初の「エディケーター・アストロノート」に指名されました。しかし、エディケーター・アストロノートにもミッション・スペシャリストの資格が必要であり、2年間の宇宙飛行士訓練コースが待っています。モーガンは当時46歳。実際に宇宙を飛ぶときには50歳を超えていることはわかっていましたが、ふたたび宇宙に挑戦したいと長い間考えていた彼女に迷いはありませんでした。

モーガンは2000年に宇宙飛行士の資格を取得し、2002年にNASA は、モーガンがSTS-118 のクルーとして2004年に国際宇宙ステーション(ISS)を訪れると発表しました。しかし、2003年2月、コロンビアの事故によって、彼女が乗るはずだったオービターは失われ、スペースシャトルはふたたび飛行中断に追い込まれました。

そして2007年、実に22年間におよぶ希求の末に、55歳になったバーバラ・モーガンはスペースシャトルで宇宙へと飛び立ちました。このSTS-118 ISS 組み立てミッションは、特別に ”Build the Station, Build the Future” とよばれました。モーガンはISS から子供たちに宇宙での生活について語り、宇宙にもっていった1000万粒のシナモン・ベイジルの種子は全米の小学校に配られました。

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STS-135 についてのNASA のポッドキャストで、モーガンは次にように語っています。「チャレンジャー事故の後、スペースシャトル計画を止めることもできた。コロンビア事故の後も、止めることはできた。しかし私たちはそうしなかった。間違っていたところを見つけ、それを直し、子供たちのために、未来への扉を開きつづけた」

この言葉は、NASA あるいはアメリカという国だけでなく、彼女自身の人生にもあてはまるでしょう。そして、「宇宙と同じように、教育に終わりはない」「教育の目的は子供に未来を与えること」「子供たちは大人が何をするかを見ている」という、彼女の教師としての信念のあらわれでもあります。

STS-118 の帰還後、私はモーガンさんと会う計画を立てていましたが、実現しないうちに、2008年、モーガンさんはNASA を離れ、教育者としての新しい仕事につきました。
スペースシャトル:Going to Work in Space
スペースシャトル、アトランティスが国際宇宙ステーション(ISS)に運んだ多目的補給モジュール、ラファエロには、4265kg の荷物が積まれていました。アトランティスのクルーおよびISS の長期滞在クルーは、これらの荷物をISS に移送する作業を行っているところす。ラファエロは帰還時に2570kg の荷物を地上に持ち帰ることになっています。12日には、アトランティスのクルーは長期滞在クルーのマイケル・フォッサムとロナルド・ギャレンが行った船外活動の支援も行いました。軌道上でのスペースシャトルのクルーはきわめて多忙です。

下の写真は、スペースシャトルがはじめて飛んだ1981年にNASA がつくったポスターの中の1枚です。長い間、私の仕事場に貼ったりしたため、いたんでいますが、帰還するコロンビアの横に ”Going to Work in Space” というコピーが見られるのがわかると思います。

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まさにこの言葉が、スペースシャトルの飛行をもっとも端的にあらわしていると、私は考えています。アポロ時代の宇宙飛行は、危険をともなう探検でした。しかし、スペースシャトルは宇宙で仕事をして、宇宙を人類にとってより身近なものにすることが、その任務なのです。

スペースシャトルの打ち上げ費用は、当初想定していた通りには下がりませんでした。宇宙の実利用といっても、そこには冒険的要素やリスクは依然として存在し、それがもっとも悲劇的にあらわれたのがチャレンジャーとコロンビアの事故でした。確かにそうなのですが、人や物を運ぶだけでなく、30年間にわたって宇宙でたくさんの仕事をしてくれた宇宙船としてスペースシャトルをみることも必要です。今の日本では、スペースシャトルをはじめて飛ばした頃のNASA の高い志を評価する雰囲気が薄れてしまったことが残念です。

アトランティスは日本時間の7月21日午後6時56分に帰還の予定です。
スペースシャトルは失敗作?
今日の朝日新聞朝刊の科学面に、「シャトル型宇宙船に休止符」というスペースシャトル関連の記事がのっていました。30年間の貢献はわきに追いやられ、「2度の死亡事故やコスト高がたたり」後継機は見当たらないという相変わらずのストーリーでシャトルが語られるのは少しさびしい気がします。スペースシャトルを「中途半端な失敗作」という人もいるようです。

コストの話はうんざりというのが私の正直な気持ちです。シャトルの「1回の打ち上げ費用は600億円を超え」ており、「日本のH2A ロケットの6倍以上」といわれても、H2A を6回以上打ち上げればシャトルと同じことができるわけではありません。

翼をもった再使用型宇宙船は、1950年代からすでに技術者の夢でした。そのルーツの1つは、ゼンガーのシルバーバードですが、フォン・ブラウンの「カーゴロケット」もまた、再使用型の宇宙船でした。

Cargo_Rocket

現実の世界でも、エドワーズ空軍基地では、X-15 ロケット機が大気の縁にまで達していました。その後テストされたのは、数々のリフティングボディの有翼着陸実験機でした。スペースシャトルはこうした技術者の夢と挑戦の賜物であるわけですが、技術者の情熱や卓越したアイデアがあれば新しい宇宙船が誕生するわけではありません。むしろ、それ以外の要因が大きな比重を占めています。スペースシャトルにしても、ポスト・アポロ時代のアメリカの宇宙政策と密接に絡んだ、すぐれて政治的な産物でした。

朝日新聞の記事では「荷物と人を一緒に運ぶという発想」が高コストの原因というコメントが紹介されていました。しかし、スペースシャトルの歴史について少しでも勉強した人なら、宇宙飛行士と空軍の偵察衛星を一緒に運ぶことがスペースシャトルの原点だったことを知っているはずです。すべての制約や条件がないところから新しい宇宙船を設計するのであれば、どんな選択も可能ですが、スペースシャトルを論じるにあたっては、それが生まれた背景を抜きにして語ることはできず、「荷物と人を一緒に運ぶという発想」がそもそも間違っていたと指摘したところで、意味はありません。

アメリカ国民に対してスペースシャトル計画が約束した「低コスト」と「再利用」がどこまで実現されたかを検証するのは大事ですが、同時に、科学・国防・商業などの分野で宇宙の実利用を進め、1970年代にはフロンティアである宇宙を、80年代、90年代には人間にとってより身近でアクセス容易なものにするというシャトル計画の目的がどこまで達成されたかも確認しなければなりません。

スペースシャトルは宇宙飛行士やペイロードを宇宙に運ぶだけでなく、そこで科学観測や宇宙実験を行い、人工衛星やハッブル宇宙望遠鏡やガリレオ探査機を軌道に投入し、ハッブル宇宙望遠鏡の修理を行い、故障した人工衛星を回収し、国際宇宙ステーション(ISS)にモジュールや部品を運び、船外活動を行ってISS を組み立て、ISS から不用品や宇宙実験の成果をもちかえりました。

スペースシャトルを「中途半端な失敗作」(私はそうは思いませんが)とする意見は、シャトルを単なる輸送手段として一面的にしか見ていないからなのでしょう。スペースシャトルが宇宙で何をし、私たちに何をもたらしたかに思いをめぐらせてみましょう。スペースシャトルがどんなに素晴らしい宇宙船だったかがおわかりになると思います。
スペースシャトル:最初のコマンダー、ジョン・ヤング
スペースシャトル計画の初期の写真の中で、とくに私の記憶に特に残っているものの1枚が下の写真です。

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最初のフライトであるSTS-1 帰還時の写真です。着陸場所はカリフォルニアのエドワーズ空軍基地。支援のスタッフと一緒にタラップを降りてくるのは、コマンダーのジョン・ヤングです。私たちが見なれてシャトル帰還時の光景とは少しことなり、ヤングのいでたちからして、いかにも新型宇宙機の試験飛行から帰還したという雰囲気があります。

ジョン・ヤングは1962年にNASA 宇宙飛行士に選抜されました。最初の飛行は1965年のジェミニ3号、2回目は1966年のジェミニ10号、3回目は月着陸の最終リハーサルであった1969年のアポロ10号でした。そして1972年には、アポロ16号のコマンダーとして、月面に立ちました。アポロ計画の終了にともない、アポロ時代の宇宙飛行士がほとんどNASA を去る中にあって、ヤングは現役としてNASA にとどまりました。

アポロ計画の終了は1972年です。1981年のシャトルの初飛行までの間、NASA が行った有人飛行は1973年に打ち上げられたスカイラブへの3回の飛行と、1975年のアポロ・ソユーズ・テスト・プロジェクトのみでした。この空白期間を埋め、シャトル時代の宇宙飛行士を育てていくために、ジョン・ヤングの存在はきわめて大きかったといえます。その豊富な宇宙飛行の経験からいって、スペースシャトル初飛行のコマンダーをつとめるのはこの人しかいなかったでしょう。このころ、すでにヤングは伝説の宇宙飛行士でもありました。

1981年10月、私はヒューストンにヤングをたずねました。彼が語るコロンビア初飛行の様子は、それ以前のジェミニやアポロ宇宙船での飛行経験が裏打ちされた、とても奥の深いものでした。コロンビアが高温のプラズマに包まれた大気圏再突入の様子にしても、宇宙船をとりまく炎の色の違いから、コロンビアはアポロ宇宙船ほどの高温にはさらされていなかったことを説明してくれました。

スペースシャトルのコックピットについて、「もう古い」といったヤングの言葉は印象的でした。考えてみると、スペースシャトルは1970年代の技術で開発された宇宙船です。フライバイワイヤのような当時最新のシステムも導入されていましたが、最新鋭の戦闘機に比較するとすでに古くなっていたのでしょう。その後、スペースシャトルのモックアップに入れてもらったとき、私はヤングの言葉を思い出しながら、コックピットを眺めてみましたが、ディスプレイはブラウン管、計器はアナログ表示、スイッチ類も確かに古い感じがしました。コマンダーとパイロットがデータを入力するキーボードも、なんとなく電卓のキーのようでした。下の写真は、STS-1 時のシャトルのコックピットの様子です。

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シャトルでの初飛行後、ヤングはシャトルのシステムや操縦性などについてきわめてくわしいデブリーフィングを行いました。その中にはコックピットの件も入っていたでしょう。だいぶ後になりましたが、シャトルのアップグレードの一環として、コックピットは液晶ディスプレイによるグラス・コックピット化がはかられました。また、着陸時に用いるHUD(ヘッドアップディスプレイ)も設置されました。下の写真が、新しくなったコックピットです。ただし、電卓キーのような入力装置はそのままのようです。

spaceshuttle

ジョン・ヤングは1983年のSTS-9 スペースラブ・ミッションでもコマンダーをつとめました。宇宙飛行士室室長などをつとめた後、2004年にNASA を引退しました。
スペースシャトルの飛行:エグゼキュート・パッケージ
アトランティスは耐熱システムの点検を終え、国際宇宙ステーション(ISS)とのドッキングの準備を進めています。

毎日のクルーの活動は、打ち上げ前にすべて分刻みで決められています。しかし、必ず変更があるため、地上からは毎日最新版がPDF で送られてきます。それがエグゼキュート・パッケージ(Execute Package)とよばれるものです。インターネットがなかった時代は、スケジュールの修正はFax でシャトルに送られていました。

エグゼキュート・パッケージには、MET(ミッション経過時間。打ち上げからの経過時間で、シャトル内での作業スケジュールはこれを基準にしている)、GMT、軌道の周回数、軌道の昼と夜、オービターの姿勢、交信可能なTDRS(追跡データ中継衛星)、各クルーの作業スケジュールが示され、関連の資料も入っています。これを見れば、いまシャトルでどんなことが行われているのかを知ることができます。

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エグゼキュート・パッケージでは、最初の日がDay 000 となっています。Day 000 はクルーがケネディ宇宙センターから打ち上げられた日です。クルーはシャトルが軌道に入った後、約6時間で就寝します。起床はDay 000 の16時30分です。打ち上げの日を飛行第1日目とするFlight Day(FD)とは、飛行日の数え方にずれがあるので注意が必要です。
スペースシャトル、最後の宇宙へ
日本時間9日午前0時29分、スペースシャトル、アトランティスが宇宙へ向かいました。酸素ガス・ベントアームの引きこみ確認のために、T-31秒でカウントダウンが中断し、打ち上げは予定より約3分間遅れました。

sts135_launch

いよいよ、スペースシャトル最後のミッションがはじまりました。

クルーがシャトルに乗りこむ場所はホワイトルームとよばれます。ここでクルーの乗りこみをサポートするスタッフは、いつもたんたんと仕事をし、打ち上げの1時間ほど前に発射台を離れていきます。今回は最後の打ち上げとあって、発射台を離れる前に、中継のカメラに向かってスタッフが順番にメッセージボードを掲げました。

Godspeed_Atlantis

それを続けて読むと、以下のようになります。

On behalf of all who have designed and built, serviced and loaded, launched and controlled, operated and flown these magnificent space vehicles... Thank you for 30 years with our nation's space shuttles! Godspeed Atlantis! God bless America!"

1981年4月12日、コロンビアによるスペースシャトル最初の打ち上げを見守ったとき、今日という日がくるとは想像できませんでした。Godspeed Atlantis! アトランティスの素晴らしい飛行と無事の帰還を祈りたいと思います。
スペースシャトルの打ち上げ費用
最近、スペースシャトルの打ち上げ費用がどのくらいなのかという問い合わせをもらうことが何度かありました。どこまでを打ち上げ費用に含めるかによって、数字がことなってきますが、私はNASA の予算中のシャトル関連の費用を基準に考えています。

スペースシャトルを打ち上げるためには、射場、整備、管制、訓練などたくさんの施設を維持し、そこで働く多数の人員を年間を通じて確保しておかなくてはなりません。これらがシャトルの予算の大半を占めており、打ち上げ回数が増えても、かかる費用が急増するということはありません。シャトルの予算の中には運用に関するもののほかに、安全対策やシャトルシステムのアップグレードなどの費用も入っています。これらを打ち上げ費用から外すという考え方もあるかもしれませんが、そこまで細かく考える必要はないでしょう。

2003年のコロンビア事故以前のシャトル関連の予算を調べてみたところ、1993年〜2002年は平均で年間約33億ドルでした。この額は年によって多少増減がありますが、大きな変動はありません。この期間のシャトルの打ち上げ回数は年平均で約6回でした。したがって、シャトルを1回打ち上げるのに5.6億ドルほどかかったことになります。2005年のReturn to Flight 以後の状況(2005年〜2010年)をみると、シャトル関連の予算は年平均で約38億ドル、打ち上げ回数は年平均約3回になっています。したがって、1回の打ち上げ費用は約12億ドルということになります。

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コロンビア事故後、シャトルの打ち上げ費用は以前の2倍になっています。これは、シャトルの飛行を再開させるものの、国際宇宙ステーション(ISS)を完成させた後、退役させるという方針が確定したため、打ち上げ回数が減ったことがきいています。コロンビア事故後、シャトルの打ち上げ費用が高くなったことがシャトル退役の理由になったわけではありません。打ち上げ費用の高騰は、シャトル退役が決まったことの結果であるわけです。

スペースシャトルが開発されていたころは、打ち上げ回数は年間約50回(ほぼ毎週)とされていました。これが1981年の初飛行当時には年間24回(1か月に2回程度)となりました。しかし、実際には1986年のチャレンジャー事故によって、これだけの頻度で飛行を行うことは不可能になりました。年間の運用費は打ち上げ回数によってそれほど大きく変動はしませんから、シャトルが就航した当時の打ち上げ費用は、上と同様の計算でいけば、今よりもかなり安くなります。しかし、いろいろ資料を調べてみると、当時の打ち上げ費用は今と同じくらいの額が想定されていたようです。

スペースシャトルの打ち上げ費用を高いと判断するかどうかは、考え方によって違ってくるでしょう。ソユーズ宇宙船のような使い捨て型の方がはるかに安いのは事実です。しかし、1度に7名もの宇宙飛行士と、20t 以上もの荷物を同時に宇宙に運び、ハッブル宇宙望遠鏡の修理などの作業を行うことができる宇宙船は、スペースシャトル以外にはありません。シャトルの宇宙船としての評価は、打ち上げ費用だけでなく、多面的に行われるべきと思います。

アトランティス打ち上げへ、カウントダウン進む
アトランティスの打ち上げに向けたカウントダウンが進んでいます。天候が少し心配です。

STS-135 のミッションパッチは、ギリシア文字のアルファベットで最後の文字である“Ω”をモチーフにしており、スペースシャトル計画の終了をデザインしたものになっています。

sts-135

今回のSTS-135 のクルーは、コマンダーがクリス・ファーガソン、パイロットがダグ・ハーリー、MS-1 がサンドラ・マグナス、MS-2 がレックス・ウォールハイムです。クルーが4名というには、シャトルの4回の試験飛行が終わった後の、1982年のSTS-5、1983年のSTS-6 以来のことで、この数からも、シャトル計画の収束を感じないわけにはいきません。

STS-135 は国際宇宙ステーション(ISS)への補給ミッションで、ペイロードベイに搭載したラファエロ多目的補給モジュールにたくさんの荷物を積んでISS に届けます。帰りにはISS で不用になったものや宇宙実験のサンプルなどをラファエロに積みこんで地球に戻ります。地球に帰還する直前には、太陽電池をテストするために小型衛星を軌道に投入する予定です。
スペースシャトル最後の飛行へ、カウントダウン間もなく開始
スペースシャトル最後のフライト、アトランティスによるSTS-135の打ち上げは7月8日午前11時26分(アメリカ東部夏時間、日本時間9日午前0時26分)に予定されています。

Atlantis

スペースシャトルのカウントダウンはT−43時間からはじまりますが、途中にカウントダウン中断のホールドが入るため、約3日間をかけて、カウントダウンが進行していくことになります。カウントダウンは5日午後1時00分(アメリカ東部夏時間、日本時間6日午前2時00分)に開始される予定です。カウントダウン開始から打ち上げまでの主なイベントとその時刻は、以下のようになります(すべて日本時間)。

7月6日
午後2時00分
カウントダウン開始。T−43時間。
午後3時00分
アトランティスの航行システムの立ち上げとテスト。
午後6時00分
カウントダウンはT−27時間まで進み、4時間のホールド開始。フライトデッキの事前点検完了。必要な作業員以外は発射台から退去。
午後10時00分
T−27時間からカウントダウン再開。アトランティスの燃料電池用タンクに極低温材充填開始。
7月7日
午前6時00分
カウントダウンはT−19時間まで進み、4時間のホールド開始。
午前6時30分
アトランティスのミッドボディ・アンビルカル・ユニット切り離し。
午前10時00分
T−19時間からカウントダウン再開。
午前11時00分
3基のメインエンジンの最終準備。
午後6時00分
カウントダウンはT−11時間まで進み、14時間01分のホールド開始。
7月8日
午前3時00分
回転式整備構造物(RSS)をパーク・ポジションに。アトランティスがその全容をあらわす。
午前8時01分
T−11時間からカウントダウン再開。
午前9時11分
アトランティスの燃料電池起動。
午後1時01分
カウントダウンはT−6時間まで進み、2時間のホールド開始。作業員は全員発射台から退去。
午後3時01分
T−6時間からカウントダウン再開。
午後3時11分頃
外部燃料タンクに推進剤充填開始。
午後6時01分
カウントダウンはT−3時間まで進み、2時間30分間のホールド開始。
午後6時01分頃
外部燃料タンクの推進剤充填完了。
午後8時31分
T−3時間からカウントダウン再開。
午後8時36分
クルーがO&C ビルを出て39A 発射台へ出発。
午後9時06分
クルーのアトランティス乗り込み開始。
午後10時11分
アトランティスのハッチクローズ。
午後11時11分
カウントダウンはT−20分まで進み、10分間のホールド開始。
午後11時21分
T−20分からカウントダウン再開。
午後11時31分
カウントダウンはT−9分まで進み、約45分間のホールド開始。この間に打ち上げの最終判断が行われる。
7月9日
午前0時17分
T−9分からカウントダウン再開。
T−9:00
地上の打ち上げシーケンサーが自動シーケンスを開始。
T−7:30
オービター・アクセス・アームが離れる。
T−5:00
補助動力装置が始動。
T−5:00
固体ロケット・ブースターと外部燃料タンクのアームが離れる。
T−3:55
オービターの補助翼のテスト。
T−3:30
メインエンジンのジンバルのテスト。
T−2:55
液体酸素タンクの加圧開始。
T−2:50
酸素ガス・ベントアームが離れる。
T−2:35
燃料電池が始動。
T−1:57
液体水素タンクの加圧開始。
T−0:50
オービターの電源を地上電源から内部電源に切り替え。
T−0:31
地上の打ち上げシークエンサーからアトランティスのコンピューターへ自動シーケンス開始コマンドを送信。自動シーケンス開始。
T−0:21
固体ロケット・ブースターのジンバルのテスト。
T−0:9.7
メインエンジン点火準備。ノズル下部の余分な水素ガスの燃焼開始。
T−0:6.6
メインエンジン点火。
T−0:午前0時26分
固体ロケット・ブースター点火。リフトオフ。
ウェブ×ソーシャル×アメリカ
池田純一さんの『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』(講談社現代新書)を読み終えたところです。なぜ、アメリカにGoogle やApple やAmazon やe-Bay が生まれ、なぜ今Twitter やFacebook が注目される存在なのかを、アメリカのテクノロジーや社会思想の歴史の中で論じた本です。

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大学で教えている「デジタル編集論」の講義では、私も現在のネット社会にいたる流れをフォン・ノイマンとノーバート・ウイナーからはじめており、とても参考になりました。とくに第6章の「アメリカのプログラム」とその前後の議論は、すぐれたアメリカ文明論としても成立するものだと思います。

現在のウェブとWhole Erath Catalog の関係については、これまでもいろいろな論がありましたが、当時Whole Erath Catalog を実際に買って読んでいたことのある私にとって、本書での展開にはなるほどと思うところがたくさんありました。

さて、本書の問題意識は、Facebook にみられるような「ソーシャル」な存在となったウェブ世界が、これからどうなるかを検討するものでしたが、結局その答は得られませんでした。起きてしまったことは分析できるが、未来を知ることはできない。私たちが知りうるのは「予感」や「予想」といえるほどのものでしかなく、その答を知っているのはApple やGoogle といったウェブ世界のキープレーヤーたちだということなのでしょう。

アメリカの宇宙開発と長く付き合ってきた私としては、宇宙開発技術がウェブ世界をつくったという著者の唐突な結論には違和感を覚えました。
「京」コンピューター、世界一に
すでに報道されている通り、理化学研究所が開発していた京速コンピューター「京」が、スパコンのTOP500 で世界第1位となりました。「京」コンピューターはまだ建設中で、最終計算能力10ペタフロップスに対して、現在はまだ8ペタフロップスしか実現していませんが、この段階で世界1になったわけです。

top500

事業仕分けで批判にさらされたものの、世界一を達成したことについては、関係者の努力に敬意を払いたいと思います。1番に固執する意味はあまりありませんが、とにかく日本のコンピューター技術の優秀さが世界に認められたことには意義があると思います。

自然科学の研究はこれまで「理論」と「実験・観測」の両輪で進んできました。最近では、これに加えて「シミュレーション」が第3の手法として重要性を増しています。そのためにはスーパーコンピューターが必要です。各国が次々と高性能のスパコンを登場させてくるのは、これが最先端の科学研究や技術開発に欠くことのできないインフラとなっているからです。スパコンは理論の実証や実験・観測結果の解析でも威力を発揮します。少し誇張していえば、スパコンの性能が、その国の科学や技術のレベルを示す指標の1つになっているともいえるでしょう。

コンピューターの世界では、1秒間に計算できる回数を「フロップス」(FLPS)という単位であらわします。1テラフロップスは1秒間に1兆回、1ペタフロップスは1秒間に1000兆回をあらわします。10ペタフロップスというのはさらにその10倍の1秒間に10の16乗回、すなわち1京回の計算を行う能力です。「京」コンピューターの名の由来はここにあります。

JST のサイエンスチャンネル「世界のビッグサイエンス~科学の地平線~」シリーズを制作した際に、その中の第5話「京速コンピュータ~未踏の計算領域への挑戦~」で、私は理化学研究所計算科学研究機構の平尾公彦機構長にインタビューしました。このとき平尾機構長が強調していたのは、「京」コンピューターは現在使われているテラフロップス級のマシンの延長にあるのではなく、全く新しいマシンであるということでした。世界一になったことが大事なのではなく、10ペタフロップスという人類がまだ到達したことのない計算領域でいかにすぐれた研究成果を出すかが問題です。これからは、日本の研究者が「京」コンピューターを使いこなせるかどうかが問われます。

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