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エンデバーの打ち上げ、延期
スペースシャトル、エンデバーの打ち上げは、T−3時間からのカウントダウンが始まった後、APU(補助動力装置)1 のヒーターに問題が発生し、打ち上げは延期となりました。

STS134

打ち上げは早くても5月3日の午前3時33分(日本時間)とされています。
エンデバー打ち上げへ、カウントダウン間もなく開始
スペースシャトル、エンデバーの最後のフライト、STS-134 の打ち上げに向けた準備が進んでいます。打ち上げは4月29日午後3時47分(アメリカ東部夏時間、日本時間30日午前4時47分)です。

sts134

カウントダウンはT−43時間からはじまりますが、途中にカウントダウン中断のホールドが入るため、約3日間をかけて、カウントダウンが進行していくことになります。今回は30時間47分のホールドが設定されており、カウントダウンは26日午後2時00分(アメリカ東部夏時間、日本時間27日午前3時00分)に開始される予定です。

カウントダウン開始から打ち上げまでの主なイベントとその時刻は、以下の通りになります(すべて日本時間)。

4月27日
午前3時00分
カウントダウン開始。T−43時間。
午後2時00分
エンデバーの航行システムの立ち上げとテスト。
午後7時00分
カウントダウンはT−27時間まで進み、4時間のホールド開始。フライトデッキの事前点検完了。
午後11時00分
T−27時間からカウントダウン再開。エンデバーの燃料電池用タンクに極低温材充填開始。
4月28日
午前7時00分
カウントダウンはT−19時間まで進み、8時間のホールド開始。
午前11時30分
エンデバーのミッドボディ・アンビルカル・ユニット切り離し。
午後3時00分
T−19時間からカウントダウン再開。3基のメインエンジンの最終準備。
午後11時00分
カウントダウンはT−11時間まで進み、13時間22分のホールド開始。
4月29日
午前8時00分
回転式整備構造物(RSS)をパーク・ポジションに。エンデバーがその全容をあらわす。
午後0時22分
T−11時間からカウントダウン再開。
午後1時32分
エンデバーの燃料電池起動。必要な作業員以外は発射台から退去。
午後5時22分
カウントダウンはT−6時間まで進み、2時間のホールド開始。作業員は全員発射台から退去。
午後7時22分
T−6時間からカウントダウン再開。
午後7時32分頃
外部燃料タンクに推進剤充填開始。
午後10時22分
カウントダウンはT−3時間まで進み、2時間30分間のホールド開始。外部燃料タンクの推進剤充填完了。
4月30日
午前0時52分
T−3時間からカウントダウン再開。
午前0時58分
クルーがO&C ビルを出て39A 発射台へ出発。
午前1時28分
クルーのエンデバー乗り込み開始。
午前2時32分
エンデバーのハッチクローズ。
午前3時32分
カウントダウンはT−20分まで進み、10分間のホールド開始。
午前3時42分
T−20分からカウントダウン再開。
午前3時53分
カウントダウンはT−9分まで進み、45分間のホールド開始。この間に打ち上げの最終判断が行われる。
午前4時38分
T−9分からカウントダウン再開。
T−9:00
地上の打ち上げシーケンサーが自動シーケンスを開始。
T−7:30
オービター・アクセス・アームが離れる。
T−5:00
補助動力装置が始動。
T−5:00
固体ロケット・ブースターと外部燃料タンクのアームが離れる。
T−3:55
オービターの補助翼のテスト。
T−3:30
メインエンジンのジンバルのテスト。
T−2:55
液体酸素タンクの加圧開始。
T−2:50
酸素ガス・ベントアームが離れる。
T−2:35
燃料電池が始動。
T−1:57
液体水素タンクの加圧開始。
T−0:50
オービターの電源を地上電源から内部電源に切り替え。
T−0:31
地上の打ち上げシークエンサーからエンデバーのコンピューターへ自動シーケンス開始コマンドを送信。自動シーケンス開始。
T−0:21
固体ロケット・ブースターのジンバルのテスト。
T−0:9.7
メインエンジン点火準備。ノズル下部の余分な水素ガスの燃焼開始。
T−0:6.6
メインエンジン点火。
T−0:午前4時47分
固体ロケット・ブースター点火。リフトオフ。
『ナチス、偽りの楽園』
今日から新宿の K’s cinema で公開されている『ナチス、偽りの楽園』を観てきました。監督はマルコム・クラーク。2003年にアカデミー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた作品です。

prisoner_of_paradise

ホロコーストを描いた作品はこれまでいくつもありましたが、それらとはまた別の鮮烈な印象を残す作品です。当時の映像や関係者のインタビューをまじえながら、第二次世界大戦直前の爛熟したベルリンから、大戦末期のテレージエンシュタット強制収容所へ、ユダヤ系ドイツ人の俳優・映画監督であったクルト・ゲロンの運命を描いていくマルコム・クラークの映像の手際良さは、彼自身がすぐれたジャーナリストでもあるからでしょう。

マルコム・クラークが現在撮影を進めているのは、日本のドリームワンフィルムとカナダのメディア・ヴェリテの共同製作になる『World Without War ―戦争のない世界へ―』です。この作品のテーマは「紛争の解決」で、世界的に影響力のある指導者や政治家、平和を提唱する人々にインタビューしなから、紛争のない世界への道を探っていきます。公式HPはこちらです。
Prayer:祈り
深夜のニュースが、ニューヨークで演奏活動を続けているピアニストの岡本優子を取り上げていました。岡本さんのご家族は今回の東日本大震災で被災し、しばらく連絡が取れなかったそうです。その間に岡本さんが作曲したのが『Prayer:祈り』です。被災した人たちを遠い場所から想う気持ちがこめられた曲でした。

YouTube で『Prayer:祈り』を聴くことができます。
スペースシャトルの30年前の資料
スペースシャトルの初飛行STS-1 は30年前の4月でした。下の写真は、STS-1 のプレスキットです。

sts1

今のプレスキットと比べるとページ数も少なく、1色刷りですが、その最初のページには、「アメリカの宇宙輸送システム艦隊の初号機であるスペースシャトル、コロンビアは、初めての軌道飛行のために1981年4月に打ち上げられる」と書かれています。今読んでみると、それはスペースシャトル時代到来の宣言のようにも思えます。

実際、ここから世界の宇宙開発は新しい時代に入りました。2度の事故はあったものの、私たちはスペースシャトルが地球と宇宙を往復する時代をずっと生きてきたわけです。改めてこのプレスキットに目を通していると、皆が宇宙にわくわくしていた当時の雰囲気が思い出されてきます。

sts1

このプレスキットには、スペースシャトルの打ち上げや帰還のシークエンス、フライトプランなどが載っていますが、オービターや全体のシステムのテクニカルな説明が知りたいときは、『スペースシャトル・ニューズ・レファレンス』を参照するようにと書かれています。下が、その『スペースシャトル・ニューズ・レファレンス』です。

sts

こちらは300ページ近い資料で、スペースシャトルの推進系(メインエンジン、固体ロケットブースター、外部燃料タンク)、オービターの構造とシステム、運用施設、クルーの訓練などが図版入りでくわしく説明されています。

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この資料のテキストの一部は、今はNASAのサイトのSpace Shuttle Reference Manual で読むことができますが、残念ながら図版は掲載されていません。

スペースシャトルについて勉強したり、何かトラブルが発生した場合などに調べるのに『スペースシャトル・ニューズ・レファレンス』は便利でしたが、もっと役に立ったのが、オービターを製造したロックウェル・インターナショナルが制作したプレス用資料でした。

sts

この資料ではさらにくわしくスペースシャトルについて説明されています。たとえばオービターの電気系統の配線がどうなっているか、油圧系のバルブはどうなっているかなどの詳細は、『スペースシャトル・ニューズ・レファレンス』には出ていませんが、ロックウェルの資料にはちゃんと載っています。コロンビア事故の直後、断片的に発表される情報を解釈するには、これが必要でした。

sts

sts

当時、これらの資料を個人的に入手するのは結構大変でしたが、30年の間、ずいぶん役に立ってくれました。今年、スペースシャトルが退役すると、こうした資料は歴史的価値をもつことになるでしょう。これからも大事に保管しておきたいと思います。
スペースシャトルの初飛行:ともに宇宙を切り開こう
30年前の今日、1981年4月12日、スペースシャトルがはじめて宇宙に向かいました。有人宇宙開発の新しい時代がはじまった日です。下の写真はそのときのもので、コロンビアが発射台を離れた瞬間です。大観衆が見守る中、コロンビアは力強く上昇して、青い空に消えていきました。

STS-1

このSTS-1 と、2回目の打ち上げのSTS-2 では外部燃料タンクは白く塗装されており、今とは少し違った印象を受けます。この塗装に使われたペイントはかなりの重量でした。スペースシャトルの輸送力をかせぐために、3回目の打ち上げからは、現在と同じように、外部燃料タンクの塗装は行われなくなりました。

STS-1 の打ち上げは午前7時00分03秒(アメリカ東部時間)に行われました。打ち上げは何度か延期され、さらに4月10日、発射直前に発生したコンピューターのトラブルによる2日間の延期ののちの旅立ちでした。

STS-1 のクルーは、コマンダーがジョン・ヤング宇宙飛行士(下の写真の左)、パイロットがロバート・クリッペン宇宙飛行士(同右)の2名でした。

STS-1

シャトルの最初の4回の飛行ははテスト飛行と位置付けられており、クルーはいずれも2名。着陸時に異常事態が発生した場合には緊急脱出できるよう、座席は射出席となっていました。

打ち上げから45分後、コロンビアは地球周回軌道に入りました。「さあ、ともに宇宙を切り開こう。この宇宙船はめざましい成果をあげつつある」と、コマンダーのヤング宇宙飛行士は地上に送ってよこしました。ペイロードベイ・ドアの開閉や航行システムのチェックが行われ、システムが順調に動いていることが確認されました。唯一の気がかりとして、オービター下面の耐熱タイルに何枚かの脱落が発見されましたが、地上からの観測などによって、安全性に問題ないと判断されました。

宇宙で2日間を過ごした後、コロンビアは4月14日に地球に帰還しました。コロンビアが軌道を離脱したころで、カリフォルニアのエドワーズ空軍基地から4機のT-38 が飛び立ちました。コロンビアをむかえるためです。大気圏に再突入して4分後、コロンビアは高温のプラズマに包まれ、通信途絶(ブラックアウト)状態に入りました。コロンビアの前方の窓いっぱいに明るい輝きが広がりましたが、それは素晴らしい光景であったと、ヤング宇宙飛行士はのちに語っています。

ブラックアウトを脱し、コロンビアは地上へ連絡をよこしました。「ハロー、ヒューストン。コロンビアはここだ」。この時点でコロンビアの速度はマッハ10.3、高度56.4キロメートルでした。マッハ6、高度42キロメートルで、コロンビアはカリフォルニアの海岸を横切りました。ソニックブーム(衝撃波)がエドワーズ空軍基地にとどろいたとき、クリッペン宇宙飛行士は操縦席でさけびました。「とうとうカリフォルニアに帰ってきたぞ!」。T-38 につきそわれて、コロンビアは姿をあらわしました。

STS-1

コロンビアはエドワーズ空軍基地の上空で大きく左に旋回し、23滑走路に進入しました。T-38 が1機、ぴったりと横につき、もう1機が後方からコロンビアをテレビカメラにおさめていました。コロンビアの車輪が機体から引き出されました。横を飛ぶT-38 がコロンビアの高度を読みあげます。「50フィート、40フィート・・・5、4、3、2、タッチダウン!」 2700メートルを滑走して、コロンビアはかげろうの中に機体を止めました。史上はじめて、翼をもった宇宙船が地上に帰還した歴史的瞬間でした。飛行時間は2日6時間20分53秒でした。

ジョン・ヤング宇宙飛行士はそれ以前に4回の宇宙飛行の経験をもち、アポロ16号のコマンダーとして、月面にも立ったベテランの宇宙飛行士です。打ち上げ時のヤング宇宙飛行士の脈拍数は平常時とさほど変わりませんでしたが、初飛行のクリッペン宇宙飛行士の脈拍数はかなり上昇していました。一方、帰還時にはクリッペン宇宙飛行士の脈拍数は落ち着いていました。それとは対照的にヤング宇宙飛行士の脈拍数は上昇していました。宇宙から無事に帰還することがいかに難しいことなのか、彼にはよくわかっていたのだと、私は思っています。

あれから30年、スペースシャトルはその長い任務を終えようとしています。STS-134、エンデバーの打ち上げは、国際宇宙ステーション(ISS)へのプログレス輸送船のドッキングの関係で、4月19日に延期され、現在、さらに4月29日に延期されています。
ガガーリンの宇宙飛行から50年
もうすぐ、4月12日です。今年20011年の4月12日は、宇宙開発史の上では2つの意味で特別な意味をもっています。1つ目は、ユーリー・ガガーリンがボストーク1号ではじめて有人宇宙飛行を行ってから50年、2つ目は、スペースシャトルの初の打ち上げから30年です。

ガガーリンの飛行は以下のようなものでした。

Yuri_Gagarin

1961年4月9日、ソ連国家委員会は人間を宇宙に打ち上げることを正式に承認。最初の宇宙飛行士に選ばれたのが27歳の空軍中尉ユーリー・ガガーリンでした。バックアップにはゲルマン・チトフが選ばれました。2人は宇宙飛行士チームのナンバーl とナンバー2 でした。なぜガガーリンが選ばれたのか。宇宙飛行士チームの責任者だったエフゲニー・カルポフは後年、次のように語っています。

「彼以外の飛行士たちもよく訓練されており、宇宙への最初の道を切り開くことができた。ガガーリンはこうした優秀な人間の中でもとびぬけた存在だったのかと問われれば、答はイエスだが、これだけでは正確ではない。最初の宇宙飛行には少しでも多くのすばらしい資質が要求されたのだ。開拓者の資質。そしてほかの人がお手本にしたい人物であること。具体的にいえば献身的愛国心、無限の楽天主義、頭脳の柔軟性、旺盛な好奇心、謙虚さ、人間的な温かさ、他人への心づかい、勇敢さ、決断力、きちょうめん、労働意欲、忍耐力、率直。そのような彼の資質が認められたのである」。

4月12日、ガガーリンとチトフは午前5時30分に起床。これからはじまる宇宙への旅のはなむけとして、2人はコテージの世話をしている婦人から野生のチューリップの花束を贈られました。発射台に向かうバスの中で撮影された有名な写真をみると、宇宙服に身を固めたガガーリンはさすがに緊張した面持ちです。うしろの席に座っているチトフも、歴史的瞬間の重みに耐えているようにみえます。

Yuri_Gagarin

6時50分。バスは発射台の下に到着。7時10分。ガガーリンはボストーク1号の座席におさまりました。ガガーリンは通信装置のスイッチをオンにしました。7時28分、チーフデザイナーのセルゲイ・コロリョフの声が飛びこんできます。「気分はどうだ、ユーリー? 打ち上げ準備は順調に進んでいる。すべて問題ない」。ガガーリンは答えました。「了解。僕にはそれ以外のことは考えられません」。打ち上げまでしばらく間がありました。準備が進む間、ガガーリンのヘッドフォンにはラブソングが流れていました。

8時40分。発射台周辺からの作業員の退避がはじまりました。8時55分。ニコライ・カマーニン将軍が連絡してきました。「打ち上げ10分前。ヘルメットを閉じたか?」。「了解。打ち上げ10分前。ヘルメットを閉じました。すべて異常なし。準備はできています」。ガガーリンは答えました。9時2分。「発射1分前。聞こえるか?」。コロリョフの声でした。「了解。発射1分前。準備オーケー」。9時3分。「上昇の間、私に答える必要はない。答えられるときだけ答えればいい。私のほうは常に状況を知らせよう」。「了解」。

9時7分。「エンジン点火」とコロリョフ。「了解。エンジン点火」。「前段・・中段・・本段・・発射!」。ガガーリンは答えます。「さあ、行こう! 騒音はわずか。すべて順調に作動。気分良好。すべて異常なし」。「よい旅を願っている。すべて異常なし」とコロリョフ。「行ってきます。またすぐに会いましょう」とガガーリンが答えたとき、ロケットはまばゆい炎をみせながら発射台を離れていきました。

「発射100秒。気分はどうだ、ケドル?」。コロリョフの声が聞こえてきました。ガガーリンのコールサインはケドル(セイヨウスギ)、地上のコールサインはザリャー(夜明け)でした。「気分は良好」。ブースターが切り離され、次に宇宙船をおおっていたカバーがはずされました。「カバーがはずれた。窓から地球がみえる」「何本かの川がみえる。大地の起伏がよくわかる。視界は良好。雲が浮かんでいる。とても美しい!」。最終段が切り離され、宇宙船は地球周回軌動に入りました。

ガガーリンは地上との交信でたびたび「気分は良好」と伝えてきました。これには理由があります。無重量状態が人体にどのような影響をおよぼすか、当時は何もわかっていなかったのです。宇宙はまだ想像を絶する場所であり、ガガーリンの飛行の大きな目的の1つは、人間が宇宙で健康でいられるかどうかを知ることでした。ガガーリンが地球を1周している間に、ソ連は世界初の有人宇宙飛行のニュースを発表、ガガーリンは少佐に昇進していました。

ボストーク1号がインド洋上にくると、姿勢制御装置がはたらき、軌道を離脱するロケットが点火されました。大気圏突入がはじまりました。高度7000メートルでガガーリンはカプセルから脱出しました。

10時55分。ロシア共和国、エンゲリス市近郊の農場。アンナ・タフタロワと孫娘のリタが空を見上げると、オレンジ色の飛行服を着た男がパラシュートで降りてくるのがみえました。地上に降り立った男が近づいてくるのをみて、彼女はリタの手を引いて逃げようとします。「おばさん、どこへ行かれるのですか。待ってください」。ガガーリンは声をかけました。「宇宙からきたんです。私の名はガガーリンです」。「ほんとうにあそこから?」タフタロワは不思議そうにガガーリンに歩み寄りました。彼女はミルクはいらないかとガガーリンにたずねます。ガガーリンは答えました。「電話をしたいのです。モスクワに連絡しなければならないのです」。「いいですとも。馬車に馬をつなげるのを手伝ってくれたら、あんたを電話のあるところまで運んであげますよ」。その間にラジオのニュースで飛行を知った村の人々がかけつけ、ガガーリンを祝福しました。こうして108分間の人類初の宇宙飛行は成功しました。

Yuri_Gagarin

訓練されたパイロットらしく、ガガーリンは彼がみた地球の光景を具体的に報告していました。のちに日本では「地球は青かった」が有名になりましたが、これはガガーリンの言葉を正確には伝えていません。飛行後のインタビューで、彼は地球の印象を次のように語っています。「飛行中、私は自分の目で地球が丸いのをみた。地球のへりはとても特別で美しかった。地球を包んでいる境界はきわめて薄く、微妙な青色をしていた。この青色が黒に変化していくさまは非常に美しく、言葉で表現することはむずかしい」。大気の層が宇宙に溶けこむ境界の青のグラデーション。その後の宇宙飛行士の誰もが印象的であると語ったあの微妙な青の色合いを、ガガーリンは語っていたのです。

ガガーリンはその後、宇宙飛行の現場を離れますが、ソ連の有人月着陸計画がスタートすると、ガガーリンもそのメンバーとなり、ソユーズ宇宙船で飛ぶための訓練を開始します。しかし1968年3月27日、ミグ15 での訓練飛行中に墜落事故で死亡しました。34歳でした。ボストーク1号で飛び立つ直前に、彼は語っています。「私のこれまでの人生は、この日のためにあったように思えます」。まさに彼の短い生涯は、人類を宇宙にみちびくために捧げられたのでした。

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