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一時は遠ざかってしまった宇宙へ
国際宇宙ステーション(ISS)の第26次長期滞在クルーがソユーズTMA-01M で地球に帰還しました。同クルーのコマンダーはNASA 宇宙飛行士のスコット・ケリー、フライトエンジニアはロシア宇宙飛行士のアレクサンダー・カレリとオレッグ・スクリポチカでした。

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スコット・ケリー宇宙飛行士(一番右)の双子の兄弟マーク・ケリー宇宙飛行士は、まもなくSTS-134ミッションでISS へ向かいます。ディスカバリーの打ち上げが遅れなければ、2人はISS で顔を合わせることになっていました。STS-134ミッションは4月19日(日本時間では20日)に打ち上げ予定で、エンデバーにとって最後のフライトとなります。6月に予定されているアトランティスの追加フライトが決定される前は、STS-134がスペースシャトル計画にとって最後のフライトとなるはずでした。この歴史的なフライトのコマンダーに任命されたのがマーク・ケリー宇宙飛行士です。

マーク・ケリー宇宙飛行士はこれまで3度の宇宙飛行経験があり、星出彰彦宇宙飛行士が搭乗して「きぼう」の船内実験室をISS に運んだ2008年のSTS-124ミッションで、コマンダーをつとめています。

STS-134のクルーはマーク・ケリー宇宙飛行士(中央)のほか、パイロットがグレゴリー・ジョンソン宇宙飛行士、ミッション・スペシャリストがNASA のマイケル・フィンク宇宙飛行士、グレッグ・シャミノフ宇宙飛行士、アンドリュー・ヒューステル宇宙飛行士、そしてESA のロベルト・ヴィットーリ宇宙飛行士です。マーク・ケリー宇宙飛行士はクルーとともに1年半にわたって訓練を続けてきました。

sta134

今年1月8日、ケリー宇宙飛行士の妻であるガブリエル・ギフォーズ下院議員がアリゾナ州ツーソンで頭部に銃弾を受けるという事件が発生しました。入院したギフォーズ下院議員の容態は深刻で、ケリー宇宙飛行士は病院で妻に付き添わざるを得なくなりました。訓練の継続が不可能となった旨のケリー宇宙飛行士の申し出を受け、NASA はバックアップのコマンダーとしてリック・スターコー飛行士を任命してクルーの訓練を続けることとしました。同時に、ケリー宇宙飛行士がいつでも戻れるよう、彼をSTS-134のコマンダーにとどめました。

一時は4度目の宇宙が遠ざかってしまったマーク・ケリー宇宙士ですが、2月7日に訓練に復帰しました。記者会見でマーク・ケリー宇宙飛行士は、深刻な状態だった妻の容体は改善しており、「自分のミッションやクルーのこと、そしてガブリエルが私に何をしてほしいかを考え、任務に戻ることを決断した」と語りました。「マークが戻ってきれ、うれしい。彼はベテランのコマンダーであり、ミッションを成功させてくれると信じています。おかえりなさい。」と、ヒューストンの宇宙飛行士室室長のペギー・ウイットソンは語っています。

エンデバーは3月11日に発射台に移動し、打ち上げのための作業が続けられています。

endeavour

エンデバーは5機目のオービターとして、1986年のチャレンジャー事故の後、建造されました。この事故でスペースシャトル計画の将来を危ぶむ意見も上がったのですが、レーガン大統領はスペースシャトル計画の継続を表明、オービターの製造元であるロックウェル・インターナショナル社(その後ボーイング社に合併)は5機目のオービターを建造すると発表しました。スペースシャトル計画復活のシンボルでもあったエンデバーは、これまで24回のフライトを行っています。
東北地方太平洋沖地震:今後発生する可能性のある地震
速報値でマグニチュード8.9としたUSGS(アメリカ地質調査所)も、地震の規模を気象庁と同じマグニチュード9.0に改訂しました。今後もしばらくの間、規模の大きな余震が続く可能性があります。

今後、余震以外に、どこでどのような地震が発生する可能性があるのか、少し考えてみましょう。

3月12日午前3時59分、長野県北部でマグニチュード6.7の地震が発生しました。気象庁の12日午前8時0分の発表によると、ほぼ同じ場所で午前4時31分にマグニチュード5.8、5時42分にマグニチュード5.3の地震が起こるなど余震が21回発生したとのことです。

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長野県北部での地震は、東北地方太平洋沖地震とはことなるメカニズムで発生したものです。この地域は、いわば東日本の地塊と西日本の地塊がせめぎ合っているところで、北東から南東の方向に何本もの断層が走っています。2006年の中越地震もそれらの断層の1つで起こりました。長野県北部の地震はおそらく、東日本の地塊にかかっていた応力が東北地方太平洋沖地震によって変化したために発生したのでしょう。東北地方太平洋沖地震と直接関係ないものの、それがトリガーになって誘発されたものです。

12日午前4時46分には秋田県沖でも地震が発生しているほか、佐渡島を震源とする地震も起こっているようです。これらも、東北地方太平洋沖地震に誘発されたものと考えられます。今後も、東日本ではこうした地震が発生する可能性があります。

今回の地震では、東北地方から茨城県沖におよぶプレートで大規模な破壊が起こりました。したがって、そのとなりの領域で地震が誘発されることが心配です。同じような現象はスマトラでの一連の地震発生で起こっています。北海道沖での地震発生に注意すべきと思います。

一方、12日朝には千葉県沖でも地震が発生しました。東北地方太平洋沖のプレート境界は、ユーラシア・プレートの下に北アメリカ・プレートがもぐり込む典型的な海溝型ですが、千葉県沖までくると、プレートの構造が少し複雑になります。千葉県から東海地方にかけての沖合では、ユーラシア・プレートの下に南からフィリピン海プレートがもぐり込み、さらにその下に太平洋プレートがもぐり込むという三重構造になっているのです。

12日の千葉県沖の地震は、こうしたプレート構造の中で起こったものですが、実は、このあたりまでくると、むしろ首都圏直下型の地震との関係が懸念されます。地震発生のメカニズムが複雑で、まだよくわかっていないことが多くあります。首都圏や東海地方で誘発される地震にも警戒が必要です。

今回のような大災害がおこると、東北地方太平洋沖地震をきっかけに世界の(あるいは日本の)地震活動が活発になるとか、さらに大地震が起こるといった無責任かつ科学的でない情報が流れる可能性があります。さまざまな可能性を考慮して備えを整えると同時に、ものごとを冷静に判断することが必要とされています。
東北地方太平洋沖地震:前兆現象はあったか?
今回の超巨大地震は、科学者が想定していた以上のスケールでの地震発生メカニズムが太平洋沖に存在することを示しました。東日本太平洋沖でのより大きなパースペクティブでの研究は、同じように広域でのプレートの破壊が想定されている東海地震・東南海地震・南海地震の研究にも役立つと思われます。

ところで、こうした超巨大地震は突然に起るものなのでしょうか? それともなんらかの前兆現象をともなうものなのでしょうか?

USGS(アメリカ地質調査所)は3月9日午前11時45分に発生したマグニチュード7.2の地震、およびその後の3回の地震、すなわち3月10日午前3時16分(M6.1)、午前3時44分(M6.0)、午前6時22分(M6.1)の地震(これらのデータは気象庁発表と多少ことなっているものがあります)が、3月11日の地震発生の前兆だったという見解を発表しています。

USGS のデータベースには、同時期に起ったさらに17回のマグニチュード5クラスの地震が載っています。これらの地震はすべて3月11日の震源の近く、東経142〜144度、北緯38〜39度の狭い範囲に集中しています。そこで、簡単な分布図をつくってみました。横軸が経度、縦軸が緯度、赤い丸が3月11日の震源、緑色の丸は3月9〜10日に起ったマグニチュード6〜7の大きな4つの地震、青の小さな四角はマグニチュード5クラスの地震です。

USGS

いかがでしょう。データの科学的解釈は研究をまつしかありませんが、すべての地震が3月11日の震源のすぐ近く、しかも東よりに集中していることがわかります。また、緑色の4つの地震の震源と3月11日の震源が直線状に並んでいるようにも見えます。3月11日の地震発生に先だって、震源のすぐ東側の領域で破壊がはじまったのでしょうか。3月11日の震源の深さは24.4km でしたが、3月9〜10日の震源の深さは概して浅いものが多くなっています。

もしもこのような巨大地震の発生になんらかの前兆現象がともなうのであれば、防災面ではきわめて大きな意味があります。前兆現象の解析が進むことを期待します。
東北地方太平洋沖地震:超巨大地震はなぜ発生したか
気象庁はこれまでマグニチュード8.8としてきた地震の規模を、再解析の結果、マグニチュード9.0としました。1900年以来、世界で観測された中で4番目の超巨大地震です。気象庁によると、地震は岩手県沖から茨城沖まで長さ500km、幅200km におよぶ領域で起こり、3つの巨大な破壊が連続して発生したとしています。

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はげしいゆれは5分間以上もつづきました。14時46分の本震後に起こった15時08分の岩手県沖(M7.5)、15時15分の茨城県沖(M7.3)、そして15時25分の三陸沖(M7.4)の地震も、余震というよりは一連の巨大破壊過程の一部といえるでしょう。

北海道から千葉県沖にかけての太平洋沖では、ユーラシアプレートの下に太平洋プレートが1年間に約8cmのスピードでもぐり込んでいて、同じ場所でくり返し地震が起こっています。この、同じ場所でくり返し地震がおこる仕組みは「アスペリティ」によって説明されます。アスペリティとはプレート同士の摩擦が大きく、すべりにくくなっている場所のことです。アスペリティにはプレートの移動にともなってひずみのエネルギーが蓄積されるため、アスペリティが破壊されると、大きなずれが生じます。アスペリティの場所は変わらないこと、断層の破壊がはじまるのはアスペリティから離れた場所であることなどが明らかになっています。

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東北地方沖のアスペリティについては、これまで多くの研究があります。下の図は、東京大学地震研究所の山中らによって作成された東北地方沖のアスペリティ・マップです。

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これらのアスペリティをよく理解することによって、今後の地震活動を予測し、災害にそなえることが可能になると考えられてきました。しかしながら、今回の超巨大地震のメカニズムを、これまでのアスペリティ・モデルで説明することは不可能です。となり合うアスペリティが連動して破壊すると、大きな地震になることはわかっていましたが、長さ500km にわたって一気に破壊が起こるメカニズムは考えられていませんでした。

個々のアスペリティが破壊をくり返す背後で、巨大なエネルギーが蓄積されるよりスケールの大きなメカニズムが働いていたわけです。これだけの規模の地震が発生するメカニズムを理解するには、東日本の太平洋沖で起こっている地殻のひずみをより巨視的に、かつより精密に解析することが必要です。

紀元869年におきた貞観地震では、東北地方太平洋沖地震と同じように、宮城県沖から福島県沖にかけての広域で破壊が起こったのではないかと考えられています。私たちが体験したのは、まさに1000年に1度の超巨大地震だったのかもしれません。
東北地方太平洋沖地震:史上最大規模の巨大地震発生
14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震は、気象庁発表では、震源が宮城県牡鹿半島の東南東約130km、震源の深さは約24km、マグニチュードは国内の観測史上最大のマグニチュード8.4です。

地震が発生してからすぐに、USGS(アメリカ地質調査所) のウェブサイトでも、さっそく速報が発表されました。USGS ではマグニチュードを8.9としています。

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USGS のデータをもとに、1900年以降に世界で発生したM8.6以上の大地震をマグニチュードの大きい順に並べると、以下のようになります。

1960年5月22日 M9.5 チリ
1964年3月28日 M9.2 アラスカ
2004年12月26日 M9.1 スマトラ
1952年11月4日 M9.0 カムチャツカ
1906年1月31日 M8.8 コロンビア、エクアドル
2010年2月27日 M8.8 チリ
1965年2月4日 M8.7 アラスカ
1950年8月15日 M8.6 チベット
1957年3月9日 M8.6 アラスカ
2005年3月28日 M8.6 スマトラ

したがって、今回の東北地方太平洋沖地震は1900年以降の観測史上第5位の巨大地震であったことになります。
ディスカバリー、地球に帰還。全ミッション完了。
頭上を通過するスペースシャトル、ディスカバリーの最後の光跡を午後6時30分過ぎに大手町で見送り、日本時間で深夜の着陸をNASA TV で見ました。

いつも通りの完璧なランディングでした。ディスカバリーに軌道離脱のGO サインが出たのは午前0時27分ごろ(日本時間、以下同じ)でした。0時52分、ディスカバリーは202周目で軌道離脱のエンジン噴射を行い、203周目で大気圏に再突入、1時57分にケネディ宇宙センターに着陸しました。飛行時間は12日19時間3分53秒でした。

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ディスカバリーが滑走路に停止したとき、コマンダーのスティーブ・リンゼイ宇宙飛行士はヒューストンに報告しました。「ヒューストン、こちらディスカバリー。最後の、ホイール・ストップ」。これによって、ディスカバリーはその歴史的任務を終えました。ディスカバリーの車輪が停止した「ホイール・ストップ」の位置には標識が設けられ、ディスカバリーの全ミッションが完了した場所として恒久的に保存されることになりました。
ディスカバリー、まもなく帰還
スペースシャトル、ディスカバリーは今夜、ケネディ宇宙センターに帰還の予定です。着陸予定時刻は9日午前11時57分(アメリカ東部時間、日本時間10日午前1時57分)です。

ディスカバリーが国際宇宙ステーションを離れる前に、STS-133のクルーはISS長期滞在クルーとともに、記者会見にのぞみました。

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この記者会見でCBS ニューズの記者は、ディスカバリーのパイロットのリック・ボー宇宙飛行士にたずねました。「あなたにはお子さんたちがいます。いつか、お孫さんをもつことになると思いますが、彼らはスペースシャトルを歴史の本やビデオ映像、インターネットの情報などでしか知ることができないでしょう。多分、あなたは彼らをスミソニアン航空宇宙博物館かどこか、ディスカバリーが展示されているところに連れていくでしょう。そのとき、あなたはスペースシャトルで飛ぶということがどんなものであったと、お孫さんたちに説明しますか?」。

ボー宇宙飛行士は次のように答えました。「私は、ディスカバリーをはじめスペースシャトルはドリームマシンだったと言うでしょう。スペースシャトルが行ったことは驚くべきものです。ロケットのように打ち上がって軌道に達し、帰りは極超音速機のように着陸する。その飛行は見事なものでした。ディスカバリーの最後の飛行に搭乗できたことは、私たち全員にとって誇りであり、名誉なことです」。

着陸の5時間ほど前から、クルーは着陸のための準備をはじめます。シャトルのラダーやエアブレーキ、エレボンを動かすAPU(補助動力装置)も起動されます。着陸4時間前に、ペイロードベイ・ドアを閉じます。着陸3時間前、クルーはオレンジスーツを着て、座席につきます。

着陸のGO / NO GO の決定は着陸2時間前になされます。軌道操作エンジン(OMS)による軌道離脱のエンジン噴射は、着陸約1時間前に行われます。エンジン噴射は3〜4分間、場所はインド洋の上空あたりです。ケネディ宇宙センターからは、ちょうど地球の反対側にあたります。

軌道を離脱し、高度を下げてきたディスカバリーは、着陸約30分前、高度120km あたりで、大気の抵抗を受けはじめます。このポイントをエントリー・インターフェイスといいます。大気圏に突入すると、ディスカバリーの機体は大気との摩擦熱によって、高温のプラズマに包まれます。ディスカバリーは高温に包まれながら、S 字ターンを行います。空気抵抗を利用して減速するためで、機体のバンク角度は80度に達します。

爆発音のような2回のソニックブームをとどろかせてフロリダに帰ってきたディスカバリーは、いよいよ滑走路へのアプローチを開始します。この時点ではコマンダーが手動で操縦しています。進入角度は約19度です。ディスカバリーはまるで空から落ちてくるような感じで降りてきます。

滑走路の手前、高度600m でコマンダーは機首を引き上げ、着陸の態勢に入ります。着陸15秒前、ランディングギアが引き出されます。滑走路にまずメインのランディングギアが着地します。タッチダウンの瞬間です。次に減速用のドラッグシュートが開き、続いて機首部分のランディングギアが着地します。

ディスカバリーが停止した「ホイール・ストップ」の時刻が、STS-133のミッション終了時刻であり、同時にディスカバリーが全ミッションを完了した瞬間となります。
アメリカ空軍のX-37B、2度目の打ち上げ
アメリカ空軍の再使用型軌道試験機X-37B の2号機が、3月5日にケープカナヴェラルからアトラス5ロケットで打ち上げられました。

X-37B は無人の小型スペースシャトルといえるものです。全長9メートル、全幅4.5メートル、全高3メートル、質量約5トンで、小型衛星や実験装置などのペイロードを搭載するペイロードベイをもっています。スペースシャトルの軌道上での電力源は燃料電池ですが、X-37B は太陽電池で必要な電力をまかないます。スペースシャトルの宇宙滞在期間が2週間程度であるのに対して、X-37Bは270日間軌道上にとどまることができるよう設計されています。

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軌道上での任務が終了後、X-37B はメインエンジンに点火して軌道を離脱、大気圏に再突入して、カリフォルニア州のヴァンデンバーグ空軍基地の滑走路に着陸します。軌道離脱から着陸まではすべて自動で行われます。メインエンジンの推進剤には四酸化二窒素とヒドラジンが使われています。

X-37B の1号機は昨年4月22日に打ち上げられ、軌道上で224日間の任務を行った後、12月3日に帰還しました。下の写真は、基地に帰還した直後のシーンです。四酸化二窒素とヒドラジンは毒性が高いため、防護服に身を包んだ作業員が安全を確認しています。

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X-37B が軌道上でどのようなミッションを行うかは明らかにされていません。偵察用の新しいセンサーのテストなども行われているでしょうが、1号機、2号機では宇宙往還機自体のさまざまな技術試験が主とみられています。実際のところ、X-37B にはいくつもの新しい技術が盛りこまれています。自動操縦もそうですが(自動操縦で大気圏に再突入し、滑走路に着陸した有翼宇宙船はX-37B が最初です)、耐熱システムもスペースシャトルで使われているものより性能のすぐれたものが採用されています。スペースシャトルでは、大気圏再突入時に最も温度が高くなる機首と翼の前縁には強化カーボン・カーボン材が使われていますが、X-37B ではTUFROC とよばれる新開発のタイルが用いられています。また機体下面の耐熱タイルにはスペースシャトルのものより耐久性のあるTUFI というタイルが、また機体上面の耐熱ブランケットにはCRI という素材が用いられています。

アメリカ空軍は、X-37B によって宇宙へのアクセスと容易にし、必要なミッションを迅速にこなすことを目指しているようです。一部には、X-37B が実用化されると、これに兵器を搭載されるのではないかという議論があるようですが、宇宙空間に兵器をもちこむことは禁止されています。主な任務は偵察活動でしょう。X-37B を運用できるようになれば、従来の偵察衛星とSR-71 のようなスパイ機の活動のギャップを埋めることが可能になります。SR-71 は軌道の変更が可能で、この機能は偵察活動だけでなく、他国の衛星への接近などにも有効でしょう。宇宙空間での実験や小型の人工衛星の軌道投入も行われると思われます。

X-37B は紆余曲折をたどった計画でした。X-37 はもともとNASA が1996年に研究を開始した無人往還機の実験機でしたが、2004年にNASA は手を引き、この計画はDARPA(国防高等研究計画局)に移管されました。2006年からは空軍がこの計画を本格的に推進してきました。空軍は、スペースシャトルで実現できなかった宇宙へのアクセスを、自前の宇宙船を開発することで実現しようとしているのでしょう。

空軍にとっても、機体を製造したボーイング社にとっても、X-37B は1957〜1963年のダイナソア(X-20)計画にまでさかのぼることができます。

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ダイナソアは1人乗りの有翼宇宙船で、タイタン3ロケットで打ち上げられ、軌道上で任務を行った後、地上に帰還するというものでした。

ダイナソアをさらにさかのぼれば、ドイツのオイゲン・ゼンガーが第二次世界大戦中に研究していた有翼宇宙船シルバーバードにたどりつきます。

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第二次世界大戦終了後、アメリカはゼンガーの研究資料をもち帰り、これがベースになってダイナソアが構想されました。一方、ソ連も同じ資料を入手しており、独自のミニシャトルを開発しています。X-37B の背景には、宇宙往還機の長い歴史が横たわっています。
アレクサンドリアの南
明日3月5日公開の映画『アレクサンドリア』には、世界の七不思議の1つであるファロスの灯台を、地中海側から眺めたシーンが出てきます。灯台の向こうに古代アレクサンドリアの街並みが広がり、その先にマリュート湖とナイルデルタの西端がかすんで見えています。

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紀元前332年、エジプトを無血征服したアレクサンドロス大王はまずヘリオポリスとメンフィスにおもむき、その後、ナイル川を下ってカノポス(現在のアブキール)に達しました。「カノポスに着いてマリア湖を岸沿いに周航したアレクサンドロスは、現在彼にちなんで命名されたアレクサンドレイア市があるあたりで陸に上がった。上陸してみるとその場所は、町を建設するのにもってこいの適地であって、そこに建設された町は将来、きっと繁栄におもむくだろうと思われた」(アッリアノス著、大牟田章訳『アレクサンドロス大王東征記』岩波文庫)。現在はマリュート湖あるいはマレオティス湖と表記されることが多いマリア湖は、アレクサンドリアの背後に広がっていた大きな湖です。

アレクサンドロスは都市の建設を命じただけで、ふたたびこの地を自分の目で見ることはありませんでした。紀元前323年にバビロニアで死んだアレクサンドロスの遺体をおさめた黄金の棺は、プトレマイオスによってアレクサンドリアの霊廟に安置されました。

下の画像は、国際宇宙ステーションから撮影されたアレクサンドリアとその周辺です。上が地中海で、東の港をのぞむあたりが古代アレクサンドリアの市街でした。その下にマリュート湖があります。アレクサンドロスの時代、ここは巨大な自然の湖でしたが、今ではかなり開発が進んでいることがわかります。

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アレクサンドリアの東港の海底や市街地の考古学調査はかなり進んでいますが、その南の地域については、あまり調査が進んでいません。つまり、ファロスの灯台からはるかに見渡すアレクサンドリア市街の向こうがどうなっていたか、くわしくはわかっていないのです。3月24日にスルガ銀行d-labo セミナーで話をされる早稲田大学エジプト学研究所客員准教授の長谷川奏さんは、衛星画像などを使いながら、この地域の古代の環境を調査する計画を進めています。当時、ここには海と湖と川と運河による豊かな水のネットワークが形成され、古代世界の知の中心地を支えていたようです。
イプシロンロケットと先人たちの情熱
昨日の「ピックアップトークJAXA」では、日本の新しい固体ロケットであるイプシロンロケットについてお話をうかがうことができました。会場は満席で、イプシロンロケットに対する皆さんの関心の高さを物語っていました。

JAXA のイプシロンロケットプロジェクトチームの福添森康さんのプレゼンテーションで、イプシロンロケットの革新性がよくわかりました。初号機は2013年夏に、小型科学衛星SPRINT-Aを打ち上げる予定です。

福添さんの演台には、ペンシルロケットの模型が置かれていました。糸川英夫博士によって全長23センチメートルのペンシルロケットの発射実験がはじめて行われたのは1955年のことでした。以来、ロケット開発に情熱を注ぐ研究者たちのやむことのない挑戦によって、世界最高性能の固体ロケットM-V が完成しました。M-V ロケットは地球低軌道から地球重力圏脱出軌道まで、多様なペイロードを打ち上げる能力をもっていました。「はやぶさ」はM-V-5 で打ち上げられました。

私が昨年夏に訪れた枚方市野外活動センターには、日本の固体ロケット開発の黎明期の写真が並んでおり、たいへん感銘を受けました。下の写真はその中の1枚で、実験場の糸川博士が写っています。

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イプシロンロケットの開発には、M-V で培った技術だけでなく、こうした先人たちのスピリットまでもが受け継がれていることを、福添さんの話から強く感じることができました。
ISS に各国の宇宙船が結合
スペースシャトル、ディスカバリーは国際宇宙ステーション(ISS)にドッキングしました。これに先がけて、日本の「こうのとり」2号機(HTV 2)は、ディスカバリーのドッキングの邪魔にならないよう、これまで結合されていた「ハーモニー」(第2結合部)の地球側ポートから反対側の天頂側ポートに移設されました。

ISS にはロシアのソユーズ宇宙船、プログレス補給船、ヨーロッパのATV 2号機「ヨハネス・ケプラー」、そして「こうのとり」2号機がドッキングしていました。したがってディスカバリーのドッキングによって、ISS 計画を進めている4極の宇宙船がISS に集合したことになります。

ISS に接近するディスカバリーから撮影した映像にISS の全景がとらえられていました。ISS の下側(地球側)から撮影されており、ロシアのズヴェズダに「ヨハネス・ケプラー」がドッキングしているのが、画面の一番下に見えています。

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ISS から撮影された映像には、「ハーモニー」にドッキングしたディスカバリーが写っています。手前が「きぼう」で、移設された「こうのとり」2号機も金色に見えています。

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ISS 上には現在、12名の宇宙飛行士が滞在しています。

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