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NDM-1:なぜインドか?
『Indian Journal of Medical Microbiology』誌の2010年7月17日号に、イギリスの王立エジンバラ病院臨床微生物学部門のバナバシ・クリシュナさんが「NDM-1:微生物学者へのウェイクアップ・コール」という小論文を寄稿しています。

この論文の中でクリシュナさんは、グラム陽性、グラム陰性、嫌気性細菌に広く効く抗菌薬カルバペネムに耐性をもつNDM-1産生菌が出現し、この細菌がカルバペネムをふくむほとんどのβ-ラクタム系抗菌薬、さらにはフルオロキノロン系、アミノグルコシド系まで、広範囲の抗菌薬に耐性を示すと述べています。さらに、カルバペネムは多くの多剤耐性グラム陰性病原体に効果をもつ唯一の信頼できる抗菌薬であることから、カルバペネム耐性菌の出現は重大な関心事であり、インドの微生物学者にとって無視できない課題であると述べています。

主にインドの微生物学者に注意をよびかけるこの小論文が発表されたのは、ウォルシュらが8月11日に『The Lancet Infectious Diseases 』誌電子版にNDM-1の感染実態について報告し、それを受けてWHO(世界保健機関)が8月20日に勧告を発表する前のことでした。

私は、クリシュナさんに質問がしたくなり、メールを送りました。日本でもNDM-1の最初のケースが出たことを説明した上で、私が質問したのは、以下の2つです。
(1)NDM-1産生株はなぜ、インドないしパキスタンで出現したのでしょうか?
(2)NDM-1を産生する遺伝子がサルモネラや赤痢菌のような危険な細菌に伝播する
   可能性はないのでしょうか?

突然のメールにもかかわらず、クリシュナさんからていねいな返事が送られてきました。

まず(1)についてですが、クリシュナさんは次のように書いています。「インド亜大陸では西欧のような抗菌薬の規制はありません。医者の処方箋が必要とはされていますが、誰でも簡単に手に入れることができます。もう1つの問題は、アーユルヴェーダ、ユナニ、ホメオパシーなどの代替医療です。これらの施術者は、セファロスポリン、キノロン、あるいはその他の新しい抗菌薬を特別の指示なしに処方します。のどの痛みの治療に第3世代のセファロスポリンを用いたりするのです。抗菌薬の意味のない使用が、耐性出現のメカニズムを加速させていると私は考えています。」

遺伝子の変異は一定の頻度で起こります。インドやパキスタンでは大量の抗菌薬が医師による管理なしに使われているため、多剤耐性菌が出現しやすいわけです。実際、インドでの抗菌薬の適正な使用に関しては、国としての政策も病院のためのガイドラインもなく、医療従事者への教育も欠けており、大きな問題になっています。さらに、こうした状況を知りながら、製薬メーカーが抗菌薬を積極的に売り込んでいることも問題です。

(2)の質問をもう少し説明すると、以下のようなことです。クリシュナさんも論文で報告しているように、NDM-1産生遺伝子は肺炎桿菌、大腸菌のほか、シトロバクター・フロインディ、エンテロバクター・クロアカ、モーガネラ・モーガニイでも報告されています。肺炎桿菌、大腸菌もふくめ、これらの細菌はエンテロバクター科という仲間に属しています。そうだとすると、同じエンテロバクター科であり高い病原性を有するサルモネラや赤痢菌にもNDM-1産生遺伝子が伝播する可能性もあるのではないか、ということなのです。もしもこうした細菌が、ほとんど抗菌薬が効かない多剤耐性を獲得してしまったら、大変なことになるかもしれません。

この点について、クリシュナさんは次のように述べています。「インド亜大陸では抗菌薬の規制がないため、NDM-1産生遺伝子はインド亜大陸で広がり、さらに人の移動によって世界に広がっていきます。この遺伝子はプラスミドに乗っているため、非常に伝播しやすく、すでに肺炎桿菌から大腸菌に伝搬しています。この遺伝子が他のエンテロバクター科の細菌、たとえばサルモネラや赤痢菌などに伝搬する可能性もあります。そうなったら、本当に恐ろしいことですが、それがおこっても不思議ではない状況です。」

さらに「インドには耐性菌を検出する施設がほとんどなく、新しい耐性菌が出てきても、大問題になるまでわかりません。これが大きな問題です」とクリシュナさんは書いています。

私はクリシュナさんへの返事で、インドでのこの問題が近い将来、日本とインドの協力によって改善されることを期待していることを、お礼とともに述べました。
たたら製鉄とヤマタノオロチ
島根県奥出雲の奥出雲多根自然博物館に行ってきました。このあたりは近くを斐伊川が流れており、ここから採った砂鉄を原料にした「たたら製鉄」が古代から行われていたところです。スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の神話の舞台でもあります。

ヤマタノオロチが何であったかについては、いくつかの説があります。例えば、斐伊川の氾濫の様子がヤマタノオロチだったとする説や、このあたりの谷に点在していたたたらで赤く熱せられた鉄の様子がヤマタノオロチだという説があります。

私は、以前から、ヤマタノオロチとは、斐伊川流域の谷でよく起こった土石流ではないかと考えています。その理由は、スサノオノミコトが各地で植林を行ったと伝えられていることにあります。たたら製鉄に使う木炭のために森林を切りはらい、そのため土石流がたびたび発生していたのを、植林を行うことで山の荒廃を防いだのがヤマタノオロチ退治になったのではないでしょうか。もちろん、ヤマタノオロチの尾から草薙の剣がでてきたことは、この伝説が製鉄と関係していることを示しています。

出雲空港まで送っていただいた車の中で、奥出雲多根自然博物館常務理事の宇田川さんに、この地のたたら製鉄についていろいろ教えていただきました。たたら製鉄については前から興味があったのですが、あまりくわしいことは知りませんでした。この機会に、少し調べてみたいと思っています。
LRO のデータ:後期重爆撃期仮説を支持
アメリカの月周回探査機LRO に搭載されていたLOLA(レーザー高度計)のデータを用いた論文が、『サイエンス』誌の2010年9月17日号に掲載されています。ブラウン大学のジェームズ・ヘッドらのグループによる論文です。

これまでの探査機で得られた月のクレーターのデータは、解像度や日照の条件がそれぞれことなっているという問題がありました。そこでヘッドらのグループは、同じ条件で取得されたLOLA の全球データから、直径20km以上のクレーターのカタログを作成しました。直径20km以上のクレーターは全部で5185個ありました。これらのクレーターの密度分布を求めたものが下の図です。

LRO

この図で真中が月の表側、両側が裏側になっています。白い部分はクレーターの密度が特に高いところで、表側の南にある高地と、裏側の北の高地にそのような領域があります。一方、青から紫色の部分がクレーターの密度が低いところです。特に、雨の海や嵐の太洋およびその周辺、表側と裏側の境界にあるオリエンターレ・ベイスンが紫色で、クレーター密度が低く、より若い地形であることを示しています。

オリエンターレ・ベイスンのような巨大衝突跡の周囲でクレーター密度が低くなっているのは、それ以前に存在していたクレーターが衝突の際の衝撃や二次クレーターによって破壊されたり、衝突にともなう大量の放出物(イジェクタ)におおわれてしまうからです。上の図で、オリエンターレ・ベイスンの周囲の青い部分が北西の方角にヘルツシュプルング・ベイスンまで、また南にメンデル-ライドベルグ・ベイスンまで伸びているのは、イジェクタによるものです。

オリエンターレ・ベイスンは直径930kmにおよぶ衝突跡です。下の画像はLRO のデータから作成されたもので、ベイスン周囲の縁(リム)が明らかです。ベイスン内部には複数のリングが形成されており、中央部は月の平均半径から約4000km も低くなっています。

mare_orientale

ヘッドらのグループはオリエンターレ・ベイスンおよび周辺の、直径20km 以上のクレーター密度を調べたところ、ベイスン内が最も密度が低く、リムから500km までは、リムから遠ざかるにしたがって密度が高くなり、500km を超えたあたりで、平均の密度と同じになっていることを見出しました。オリエンターレ・ベイスンを形成した衝突は、ベイスンの中心から半径965km におよぶ範囲(月全表面の約8%)のクレーター分布をリセットしてしまったことになります。

月が形成された直後には多数の小天体が月に衝突していました。衝突の数は時間の経過とともに減っていくと考えられますが、アポロ計画で地球にもち帰られたサンプルの分析から、39億年前ごろに、衝突数がもう一度増えているという説が登場しました。これを後期重爆撃期仮説といいます。この仮説については、2005年にアリゾナ大学のStrom や国立天文台の伊藤孝士らが、古いクレーターをつくった衝突天体と小惑星のサイズの分析から、この仮説を説明する論文を発表し、このような事件が起こった有力な原因としては、木星や土星の軌道変化にともなってメインベルトの小惑星が降り注いだことが考えられるとしています。

ヘッドらのグループは、直径8km までのクレーターを分析した結果は、Strom らの論文を支持すると述べています。また、オリエンターレ・ベイスンの形成時期は、初期の重爆撃期と後期の重爆撃期の間に位置するとしています。

ヘッドさんはアメリカの固体惑星の分野では重鎮の1人です。以前、日本に来た時にお会いし、ご自身の著書をいただいたことがありますが、常に太陽系全体へのパースペクティブをもっている視野の広い研究者です。今回も、LRO のデータを短い期間で整理し、その結果を後期重爆撃期仮説の検証にまでもっていく論文のまとめ方はさすがです。このあたりの手際の良さは、日本の若い研究者も見習うべきだと思います。
借りぐらしのアリエッティ
遅くなってしまいましたが、先日、『借りぐらしのアリエッティ』を観てきました。私の関心は、スタジオ・ジブリの中にとどまりながら、スタジオ・ジブリを破壊し、新たな創造を図るという難題に、米林宏昌監督がいかに取り組んだのかという点にありました。よくも悪くも、スタジオ・ジブリは宮崎駿氏が自らのイマジネーションの具現化をスタッフに強制することで成り立っていました。宮崎氏が自らそれに気づき、新たな道へ踏み出したことは、組織論的にも興味がもたれるところです。

宮崎氏に押しつけられた作品のアニメ化ですから、米林監督もやりづらかったろうと思いますが、「脱宮崎」は成功し、限りなくジブリ風でありながら、ジブリではない作品が出来上がりました。私がとくに監督の意気込みを感じたのは、アリエッティの家の内装をはじめとする背景画への尋常ではないこだわりです。宮崎氏以上にディテールに執着したいという監督の宣言のようにも感じられます。また、主人公のアリエッティも、『カリオストロの城』のクラリス以来見なれてきた少女の面影は残していますが、よく見ると別人です。作品の最後近く、旅立ちを決意したアリエッティの毅然とした表情は、宮崎アニメへの決別を告げているかのようでした。

そのような意図はなかったかもしれませんが、この作品が国際生物多様性年に公開されたことは、それなりの意味のあることなのではないでしょうか。なぜなら、アリエッティたちの「借りぐらし」の生活とは、人間と小人との共生の関係が、おそらく人間側の勝手な事情によって崩壊してしまったためにもたらされたものだからです。絶滅に向かう種は、私たちのすぐ身近にもいます。アリエッティたちは新しい家を求めて引っ越していきますが、メアリー・ノートンが原作を書いた1950年代のイギリスの地方都市であれば、アリエッティたちは新しい家を手に入れることもできたでしょう。しかし、2010年の東京では、住むべき場所を見つけることはとても困難になっています。

超自然的な力をもはや失ってはいるものの、アリエッティたちが妖精たちの末裔であることは間違いありません。彼らの世界はどこか別の場所にあるのではなく、私たちの世界に直接つながっています。しかし、その妖精たちも、W・B・イェイツがその物語を採集していた19世紀末でさえ、イングランドからは姿を消しており、アイルランドの古老しか、妖精たちの話をしてくれるものはいなかったのです。

「もし妖精がいなかったなら、アイルランドの農民は、これほど豊かな詩情を持ちえたであろうか」とイェイツは書いています(『ケルト妖精物語』)。私たちにはほとんど見えないけれども、私たちのすぐ近くにある妖精たちの世界は、新しいものをつくりあげようという人に力を与えてくれるのでしょう。米林監督の『借りぐらしのアリエッティ』は妖精たちにも祝福されて、人々の心を打つ作品となりました。
準天頂衛星初号機「みちびき」打ち上げ成功
準天頂衛星初号機「みちびき」の打ち上げが成功しました。「みちびき」は今後約2週間でトランスファー軌道、ドリフト軌道をへて準天頂軌道に投入される予定です。その後、約3か月間の初期機能確認の後、本格運用に入ります。

h2a18

今回の打ち上げに成功により、H-A ロケットは18回の打ち上げで17回成功したことになります。打ち上げ成功率は94%です。これは世界のトップクラスの数字です。ちなみに、H-A の競合ロケットの打ち上げ成功率は、アメリカのデルタ4が91%、アトラス5が95%、ヨーロッパのアリアン5が94%、ロシアのプロトンK が94%、ゼニット3が91%、中国の長征3が90%となっています。
ソーラープローブ・ミッション実現へ
オバマ大統領の新政策で、アメリカの有人宇宙飛行関連の予算は減額されましたが、一方で、科学ミッションは予算が増額され、活気づいているようです。NASA は太陽を研究するための5つのミッションに予算をつけましたが、その中の1つに、「ソーラープローブ・プラス」というミッションがあります。

SolarProbePlus

ソーラープローブとは、太陽大気に突入するカミカゼ探査機で、NASA がずっと構想を練っていたものです。ソーラープローブがいよいよ実現するのか、という思いでNASA からの報道を読みました。NASA の報道によると、ソーラープローブのアイデアが米国科学アカデミーから最初に提案されたのは1958年のことだったそうです。

地球周回軌道をまわる太陽観測衛星によって太陽大気の研究は進みましたが、まだわかっていないことも多くあります。たとえば、太陽コロナの加熱のメカニズムです。太陽表面の温度は約6000度ですが、コロナの温度は100万度以上です。なぜこのような昇温がおこっているのかわかっていません。ソーラープローブ・プラスは太陽に640万km まで接近して、太陽大気の成分やその他の観測を行い、コロナの昇温や太陽風の駆動メカニズムなどを調べることになっています。

太陽にこれだけ接近するとなると、1400度もの高温に耐えなければなりません。私が以前に見たソーラープローブのコンセプト・イメージは、どれも太陽にむかって円錐形となる耐熱シールドをもっていました。今回発表されたソーラープローブ・プラスの耐熱シールドはパネル状になっています。おそらく、耐熱システムについてはさまざまな検討が加えられて、こうした形状になったのでしょう。機会があれば、この点を研究チームに聞いてみたいと思います。
多剤耐性菌:院内感染防止の総合的な対策が必要
多剤耐性菌による院内感染が大きな問題になってきました。厚生労働省は多剤耐性菌による院内感染対策の徹底をよびかけています。院内感染はこれまでMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)、VRE(バンコマイシン耐性腸球菌)などで問題になってきましたが、それ以外にも多くの危険な耐性菌が存在する、あるいはこれから出現してくるということが、今回の一連の出来事で認識されたのではないかと思います。

アシネトバクターの院内感染者は帝京大学病院以外の病院からもみつかりました。ところが、その病院の1つは、これを「院内感染ではなかった」という記者会見をしています。すなわち、「アシネトバクターは外部からもちこまれたもので、自分の病院にはいない」という意味なのだろうと思いますが、これは危険かつ無責任な考え方です。前にも書いたように、アシネトバクターはこれまで検出されなかっただけで、すでに日本の病院に常在していると考えるべきです。

抗菌薬を使い続けていると、その細菌の中に、その抗菌薬に耐性を示す遺伝子をもった株が出現します。かならず一定の頻度で遺伝子の変異はおこります。これまで問題になっている耐性菌の多くは、抗菌薬の濫用の結果、こうしたメカニズムによって生まれてきたものです。さらに、耐性菌の中には、抗菌薬の使用とは関係なく出現するものがあります。プラスミドに乗った耐性遺伝子が細菌間で移動することによって出現する耐性菌です。NDM-1遺伝子をもつ耐性菌は、このパターンです。

多剤耐性菌が抗菌薬の働きを抑えてしまうメカニズムはいろいろあります。たとえば、抗菌薬を分解したり、変化させて不活化させてしまう、抗菌薬がターゲットとする細菌の部位(抗菌薬が結合する部分)の構造を変化させ、抗菌薬が作用しないようにしてしまう、抗菌薬が細菌内に入りづらくしたり、入ってきた抗菌薬を細胞外へ排出してしまう、などです。

耐性菌は健康な人には害を与えることがありませんが、免疫力が落ちた入院患者などが感染すると、重篤な症状を引きおこし、場合によっては死にいたります。

耐性菌と人類の戦いは、ある意味で終わりのない戦いです。抗菌薬は細菌のはたらきを抑える有効な方法ですが、細菌側は、新たな耐性の獲得によって生き残りをはかります。これに対する防御は、並大抵ではありません。新規の抗菌薬の開発には時間とお金がかかります。一方で、医療の進歩、高齢者や慢性疾患を持つ患者の増加によって、耐性菌の標的となる患者は増加しています。

アシネトバクターやNDM-1に個別に対応する必要はありません。院内感染を防止するための総合的な対策が必要とされています。
NDM-1:スーパー多剤耐性菌の新たな脅威
院内感染で問題になっている多剤耐性菌としてはMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)、VRE(バンコマイシン耐性腸球菌)、MDRP(多剤耐性緑膿菌)などがあり、さらに最近では、ほとんどの抗菌薬が効かないスーパー多剤耐性菌アシネトバクター・バウマニが話題になっていますが、さらに、新たな多剤耐性が人類の脅威になろうとしています。

獨協医科大学に昨年入院していた男性患者から、NDM-1(ニューデリー・メタロ-β-ラクタマーゼ1)とよばれる酵素をつくる大腸菌が、日本ではじめて検出されていたという報道がありました。このNDM-1 をつくる細菌について、WHO(世界保健機関)は今後世界中に広がる危険性があるとして、注意をよびかけていたところでした。

イギリス、カーディフ大学のティモシー・ウォルシュらのグループは、2009年12月号の『Antimicrobial Agent and Chemotherapy』誌に、インドのニューデリーを旅して帰ってきたスウェーデン人の患者から検出された肺炎桿菌が、新しいタイプのメタロ-β-ラクタマーゼ(MBL)をつくる遺伝子をもっていたと発表しました。メタロ-β-ラクタマーゼというのは、ペニシリン、セファロスポリン、モノバクタム、カルバペネムなどβ-ラクタム系の抗菌薬を効かなくしてしまう酵素のことです。

メタロ-β-ラクタマーゼ にはすでにIMP-1やVIM-2といった種類が確認されていますが、ウォルシュらが発見したメタロ-β-ラクタマーゼはこれらとはだいぶ異なるもので、NDM-1と名づけられました。NDM-1をつくっている菌は、β-ラクタム系だけでなく、他のほとんどの抗菌薬にも耐性を示していました。

NDM-1がやっかいなのは、NDM-1をつく遺伝子が細菌のプラスミド(染色体のDNAとは別に細胞内に存在する環状DNA)に乗っており、細菌同士の接合などによって移動し、広まっていくことです。NDM-1をつくる遺伝子をもつ細菌の多くは大腸菌や肺炎桿菌です。すなわち、われわれの腸内にも常在している細菌がこの遺伝子を受け取ると、突如、ほとんどの抗菌薬が効かない多剤耐性菌に変身するのです。

ウォルシュらは今年の8月11日、『The Lancet Infectious Diseases 』誌の電子版で、NDM-1の感染実態についてインド、パキスタン、イギリスで調査した結果を報告しました。それによると、インドのチェンナイで44名、ハリヤナで26名、インドおよびパキスタンのその他の場所で73名、イギリスで37名のNDM-1感染者が発見されました。下の図は、NDM-1遺伝子をもつ菌株が見つかった場所です。

ndm-1

イギリスでの感染者の多くは最近インドやパキスタンを旅行した経験があったり、これらの地域となんらかの接触があったので、NDM-1はインドやパキスタンのあたりに起源をもつと考えられます。獨協医科大学の患者もインドから帰国後に入院したと報告されており、NDM-1をインドからもち帰ったと考えられます。

ウォルシュらによると、NDM-1遺伝子をもつ菌は、チゲサイクリンとコリスチンという日本では未承認の抗菌薬以外のすべての抗菌薬に耐性を示したとのことです。驚くべき多剤耐性といえます。すでにベルギーなどでは、NDM-1による死者も出ています。

ヨーロッパにNDM-1がもちこまれる原因は、インドやパキスタンで治療や美容整形を受けるメディカル・ツーリズムのようです。「感染は全世界に広まっていくだろう」と、ウォルシュらは論文の中で警告しています。
多剤耐性アシネトバクターの院内感染がまた発生
帝京大学医学部付属病院での多剤耐性アシネトバクター(多剤耐性アシネトバクター・バウマニ)による院内感染が報道されています。それによると、昨年8月から今年9月までに合計46名の多剤耐性アシネトバクター感染が確認されたとのことです。これまで日本で、病院内で多数の感染者が発生した例としては、2008年から2009年にかけての福岡大学病院と、2010年の藤田保健衛生大学病院があります。

多剤耐性アシネトバクターによる院内感染はヨーロッパでは以前から発生していましたが、今やこの細菌の感染は世界に拡大していると考えてよいでしょう。アシネトバクターは自然環境にも存在しますが、現在、問題になっているのは、病院内に常在している菌です。日本の病院にもすでに多剤耐性アシネトバクターが広がっていると考えるべきです。

厚生労働省によると、多剤耐性とは、カルバペネム系抗菌薬であるイミペネムかメロペネムのどちらかに耐性、さらに、アミノグリコシド系抗菌薬(アミカシンなど)に耐性、フルオロキノロン系抗菌薬であるレボフロキサシンとシプロフロキサシンのどちらかに耐性のものと定められています。多剤耐性アシネトバクターの中には、これらのいずれにも耐性をもつ株もあらわれていると報告されています。

アシネトバクター・バウマニはアシネトバクターという細菌の仲間です。パスツール研究所のLaure Diancourt らによる「アシネトバクター・バウマニのポピュレーション構造」という論文が、2010年4月7日に『PLoS ONE』誌に掲載されています。Diancourt らはアシネトバクター・バウマニの154の株と、19の他のアシネトバクター族の菌について、7つのハウスキーピング遺伝子(細胞の維持や増殖のためにいつも働いている遺伝子)を解析し、アシネトバクター・バウマニの多様性を調べてみました。

下の図は、アシネトバクター・バウマニと他のアシネトバクター族の細菌の近縁関係をみてみたものです。アシネトバクター・バウマニは、アシネトバクターゲノム種13TU とよばれている仲間に一番近いようです。

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下の図は、154のアシネトバクター・バウマニ株間の近縁関係をみたものです。ヨーロッパではこれまで、クローン機▲ローン供▲ローン靴箸い3つのグループが知られていましたが、それ以外にも、いくつのも系統に分かれた株が存在することがわかります。このようにして、新たな耐性をもったアシネトバクター・バウマニが出現してくるわけです。

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多剤耐性アシネトバクターは今後、深刻な院内感染をひきおこす脅威となるでしょう。従来の抗菌薬が効きづらいので、まず感染を防止することが重要ですが、これまでの報告によれば、日本ではまだ多剤耐性アシネトバクターに関する基礎的な知識が医療現場に十分には普及していないようです。そのため、医療器具の消毒が不十分であったり、菌の分離に時間がかかったり、医師や医療スタッフ、患者が感染に気がつかずに病院内を移動することによって、感染が拡大する可能性があります。
都市の記憶:上海とアレクサンドリア
先日、写真家の中川道夫さんにお会いしました。中川さんは上海の取材を続けていて、『上海双世紀 1979-2009』(岩波書店)、『上海紀聞』(美術出版社)などの写真集を出版されています。

『アサヒカメラ』の9月号にも、中川さんの上海の写真が掲載されています。上海万博がはじまる前、2006〜2009年に撮られたものだそうですが、中川さんの写真には、私たちが報道などで知らされている上海の喧騒や熱気は感じられません。中川さんが見ているのは、上海の別の顔なのです。そこにあるのは、時の流れです。あるいは都市自体がもっている記憶といってもいいかもしれません。時がうつり、人間が変わっても、都市は自分の記憶を失うことはない。そこには、人間とは別の時間が流れている。中川さんの写真は、そんなことを教えてくれます。

中川さんはアレクサンドリアの取材もしており、『アレクサンドリアの風』(文章は池澤夏樹、岩波書店)という著書もあります。一見対照的な2つの都市、はげしい変化の中にある上海と、2000年前からの時が悠悠と流れるアレクサンドリア。その両方に、中川さんがひかれるのは不思議に感じられるかもしれませんが、人間とは別の時間が確実に流れている点で、この2つの都市は共通しているのです。

私にとって、このような思いにかられるもう1つの都市は、ロシアのサンクトペテルブルクです。運河のわきの細い街路を歩いていると、ドストエフスキーの世界にまぎれこんだような気になるのは、私だけではないでしょう。ひるがえって、東京はどうでしょう。私たちはこのところ、すべてのオフィスビルにガラスの吹き抜けをつくり、すべての街角にスターバックスを開店させることに全力を使ってきたのではないでしょうか。安易なグローバリゼーションが、東京という都市の記憶を消し去りつつあるように、私には思われます。

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