最近のエントリー
カテゴリー
過去のエントリー
カレンダー
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< July 2010 >>
ブログ内を検索


PROFILE
モバイル
OTHERS
まやかしの「地球温暖化スキャンダル」
『地球温暖化スキャンダル:2009年秋クライメートゲート事件の激震』(日本評論社)を読みました。2009年11月、イギリス、イーストアングリア大学の気候研究ユニット(CRU)のサーバーへ何者かが侵入し、大量のメールや文書がインターネット上で公開されるという事件が起こりました。いわゆる「クライメートゲート事件」です。本書は、その盗まれたメールを多数のぞき見て、推測にもとづくストーリーをつくりあげ、それがあたかも現実に起こったことの忠実な再現であるかのように述べていくという、あまり品の良くない本です。

著者のスティーブン・モシャーとトマス・フラーは、地球温暖化をめぐる「肯定派」と「懐疑派や否定派」という対立の構図を描き、自分たちをどちらにも属さない「どっちつかず派」としています。盗まれたメールを中立的な立場で「分析」するというスタンスをとっているわけですが、ところどころにみられる彼ら自身の主張は、きわめて強硬な懐疑派の主張であり、2人の正体は、ばりばりの懐疑派といってよいでしょう。

いわゆるクライメートゲート事件なるものが、いかに根拠のないものであったかについては、以前にここここここで書きましたので、そちらをお読みください。本書が出版されたからといって、訂正することは何もありません。

クライメートゲート事件では、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)による「データ捏造」なるものがクローズアップされました。それでは、本書の2人の著者の「分析」によって、「データ捏造」の存在が説明されたのでしょうか。結論を先にいってしまうと、否です。彼ら自身も、マイケル・マンらの論文を批判した論文の著者の1人であり、懐疑派サイトCA(Climate Audit)を主宰しているスティーブン・マッキンタイアも、そのようなことがあったとは考えていないことが、本書を読めばわかります。

本書で彼らが主に取り上げているのは、次の2つです。1つは、「チーム」(CRU のフィル・ジョーンズら地球温暖化を研究している科学者を、著者は1つの政治的意図をもった集団とみなし、こう名付けていますが、これも一面的な見方です)が、IPCC 第4次報告書に引用するために、特定の論文を掲載するように圧力をかけたという「ストーリー」、もう1つは、古気候の再現と地球温暖化における都市化の影響における研究において、ジョーンズらが用いたデータの開示要求を、ジョーンズらが妨害したという疑惑です。前者については、そのような経緯はなかったことが調査委員会の報告で述べられています。後者についていえば、情報の公開という問題を科学コミュニティーが十分に認識しなくてはいけないのは当然であり、この点からすると、確かに反省すべき点があったことは事実のようですが、自分の論文を攻撃するためにデータの開示を何十回と執拗に要求してくる人物に対して、研究者が人間的な対応をとるという気持ちはわからないわけではありません。

いわゆる「データ捏造」に関連して触れられているのは、第8章の最初の部分の、ブリッファの年輪のデータに関してのみです。前にも書いたように、樹木の年輪から過去の気温を復元する場合、北半球高緯度の樹木では、1960年ごろ以降は、実際の気温は上昇しているのに、年輪が示す気温が低くなっていくという傾向がみられます。そのために、ジョーンズはその部分のデータを使わなかったのですが、それを、ジョーンズはある意図をもって細工した(隠した)と著者は批判しています。しかし、この年輪が示す気温データの低下の件は、研究者の世界ではすでに広く知られたことであり、またCA 上でも以前から話題になっていたことを著者自身が明らかにしています。すなわち、「今回のメール流出によって、データ捏造が明らかになった」という一部にみられる主張は、そもそも「捏造」などというものはなかった上に、年輪データの件は今回のメール流出で初めて世に知られるようになったわけではないという二重の意味で間違っています。

著者は、今回のメール流出はCRU の内部告発だったという見方を本書で述べています。しかし、本書のストーリーはマッキンタイアがCA 上で述べてきた内容に沿っていること、盗まれたメールはCA で話題になっていたキーワードや人名で検索されていたこと、流出メールを格納したファイルは、情報公開法(FOIA)にもとづくマッキンタイアの開示要求を示す「FOIA2009.zip」というファイル名だったことなどからすると、CA に近い人物だったのではないかと考えることも可能です。

本書はメール流出後の2009年12月に、わずか1か月ほどで書かれたものであることに注意する必要があります。つまり、この後に行われた第三者機関による調査結果については本文では触れられていません。しかし、本書の訳者である渡辺正氏(東京大学生産技術研究所教授)は「あとがき」で「2010年の動き」に触れています。「あとがき」の日付は2010年4月30日となっているのですが、ここでは3月31日に発表されたイギリス下院科学技術委員会の報告について(おそらく意図的に)触れていません。つまり、本書は事実を知りたい人にとって、あまり役立つ本ではないでしょう。
準天頂衛星初号機「みちびき」の利用
今日のJAXAi でのマンスリートークは、JAXA の衛星利用推進センター準天頂衛星システムプロジェクトチーム主任開発員の小暮聡さんをお招きし、準天頂衛星初号機「みちびき」の利用について、お話をうかがいました。「みちびき」は今年夏に打ち上げの予定です。会場は立ち見の方が多数出る盛況で、宇宙利用に対する関心の高さを物語っていました。

現在、測位衛星システムをもっているのはアメリカとロシアですが、さらにヨーロッパ、中国、インドが計画を進めています。衛星による測位情報は生活の利便性の向上や災害時の安全確保など、多くの分野に役立つと期待されていますが、そのためには測位データの精度を高めることが必要です。準天頂衛星はGPS の補完という役割を果たすわけですが、測位データの精度が向上することによって、いかに優れたサービスが可能になるかがよくわかりました。

JAXA のみちびき特設サイトには、「みちびき」に関する多くの情報がアップされています。まもなく「みちびき」のウェブサイト「QZ-vision」も開設されるとのことです。
月面の巨大衝突跡とカンラン石の分布
月周回衛星「かぐや」で得られたデータを使った新しい論文が『ネイチャージオサイエンス』誌の2010年7月4日号で発表されました。月表面のカンラン石に富む領域の分布に関する論文です。

国立環境研究所の松永恒雄さんらの研究チームは、「かぐや」のスペクトルプロファイラ(SP)を用いて、月表面にどのような鉱物が分布しているかを調べました。同研究チームの山本聡さんらはこのデータを使って、カンラン石に富む領域を調べたところ、その場所は「雨の海」「危機の海」「モスクワの海」「シュレーディンガー・ベイスン」など、地殻の薄い部分につくられた巨大衝突跡の周囲に分布していることを発見したのです。

カンラン石は月内部のマントルに存在すると考えられている鉱物です。そのような鉱物が巨大衝突跡の周囲に分布しているということは、衝突によってマントル部分までが掘り起こされ、内部にあったカンラン石が周囲に飛び散ったためと考えられます。

こうした場所は、将来の月サンプル・リターン計画の有力な着陸候補地となるでしょう。月のマントルを構成するサンプルが得られれば、月の内部構造や、月の初期の歴史を解明する手がかりとなります。とくに、マグマオーシャン・モデルの解析に重要な役割を果たすと思われます。

月は原始地球に火星サイズの天体が衝突してできたとする説が有力です。誕生直後の月は、全球にわたって、かなり深いところまで溶けていたと考えられます。その後、このマグマの海が冷却するにつれて、地殻やマントルへの分化がおこったと考えられます。マグマオーシャンの概念は、アポロ計画によって得られた重要な科学的成果の1つです。マグマオーシャンを説明する図として、よく用いられている図は以下のようなものです。

magma_ocean

すなわち、かなり深い部分まで溶けていたマグマの海が冷却するにしたがって、岩石が析出してきます。斜長石のような密度の小さな岩石は浮上して地殻となり、カンラン石や輝石のような密度の大きな岩石は下降してマントルを構成するようになりました。「嵐の大洋」や「雨の海」付近には、カリウム、希土類元素、リンに富むKREEP とよばれる岩石が分布しています。ここにはトリウムやウランなどの元素が濃集しています。KREEP はマグマオーシャンが固結していく過程で最後まで液相で残った部分と考えられます。

しかしながら、マグマオーシャンの固結過程がどのように進んだのか、まだ詳しくは分かっておらず、いくつものモデルが提唱されています。月の地殻はなぜ表側が薄く、裏側は厚いのか、KREEP はなぜ局地的にしか存在しないのかといった問題にも答は出ていません。また、一度固化した月のマントルは、上部の方が密度が大きかったため、上下が逆転するマントル・オーバーターンが起こったとする考えもあります。今回、マントルの物質と考えられるカンラン石が表面で発見されたのは、このオーバーターンによって、カンラン石が表面に近いところまで上昇していたためと考える研究者もいるようです。

もしも、実際のマントル物質が手に入れば、こうした未解明の問題の解明に役立つでしょうが、「かぐや」のデータからでも、多くのことがわかるはずです。たとえば、月の研究者はKREEP の分布に関しては、1998〜1999年に月を観測したルナ・プロスペクターのデータを使ってきましたが、今では「かぐや」によって月の表面物質の分布について、きわめて精度の高いデータが得られています。

「かぐや」のデータはすでに公開されていますが、海外の研究者の論文はまだ少ないようです。今後、「かぐや」の成果が海外でも活用され、月の科学がさらなる発展を遂げることを期待したいと思います。
グーテンベルク・エレジー
今年は「電子書籍元年」といわれています。出版界では電子メディアに対する動きが活発になっており、これに関連した書籍も次々と出版されています。私も最近出版された電子書籍やネットに関する本を何冊か読んでみました。

そんな中で、多くの人に読んでほしいと思った本は、岸博幸氏の『ネット帝国主義と日本の敗北』(幻冬舎文庫)です。この本で書かれているアメリカ企業によるプラットフォームの独占や日本におけるジャーナリズムと文化の衰退の危機などは、これまで個別には指摘されてきたことですが、不思議なことに、まとまった形で本になったものは、これまでなかったのです。これらの問題が今までほとんど議論されてこなかったのは、岸氏によれば、「ネット・メディアではネット寄りの報道ばかり」で、「登場する人もネット擁護派の人ばかり」、そして「ネットの自由を拒否する産業や制度は抵抗勢力扱い」といった状況があり、一方、「ジャーナリズムや文化の専門家は、ともするとネットを敵視する主張ばかりを展開」して前向きの議論をしてこなかったからです。ネットは目的ではなく手段なのであるから、ネットを取り込む社会のシステムがどう変わっていくべきかを冷静に考える必要があると、岸氏は主張しています。

ネットにとって都合の良いことばかりが並んだ「ネット擁護派」の本の典型が、佐々木俊尚氏の『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー携書)でしょう。「ネットは目的ではなく手段」という基本認識が欠落し、目前の出来事にとらわれすぎているという印象を受けました。

今、私が読んでいるのは、友人から借りた “The Gutenberg Elegies” という本です。著者はアメリカの批評家スヴェン・バーカーツです。サブタイトルに “The Fate of Reading in an Electronic Age” とあるように、ネットワーク化が進む社会において「読書」や「物を書く」といった、思索と最も緊密に結びついた行為がどのように変容していってしまうのかを考察したものです。

The Gutenberg Elegies

バーカーツは、電子メディアが急速に進歩し、すべてがネットワークで結ばれていくにつれて、世界と私たちとの関係は「広く、しかし浅く」なり、物事について深く考えることが少なくなるのではないか、と指摘しています。画面に表示される文章が、ハイパーテキストによって様々な情報と結びついていく社会は、一見、とても便利に思えますが、紙の本を読む習慣が失われることによって、言語能力の低下、歴史認識の希薄化、アイデンティティーの喪失といった状況がもたらされることを、バーカーツは懸念しているのです。

この本が出版されたのは、1994年のことでした。1994年といえば、インターネットの爆発的な普及のきっかけとなったネットスケープ・ナビゲーターが発売された年です。私たちはまだ電子メールのやりとりをコンピュサーブのようなパソコン通信で行っていました。すなわち、上に述べたバーカーツの懸念は、インターネット時代の前夜に書かれたものなのです。本書でインターネットという言葉が登場するのは、最後のまとめの部分のみです。

「ネット擁護派」の中には、バーカーツの指摘は古い時代へのノスタルジアでしかなく、時代は後戻りすることなく進んでいくと批判する人もいるかもしれません。しかし、私は少し違った考えをもっています。この本が出版されてからというもの、私たちはインターネットや電子メディアの利便性を追求することには熱心であっても、バーカーツの問いを検証し、その答えを出すことはまったくしてこなかったのではないか、ということなのです。そして今年、読書の形態を大きく変えるかもしれない電子書籍の出現を前にして、読書とはいったい何かという根源的な問いに、私たちは直面しているといえるでしょう。

インターネットも電子書籍リーダーも所詮、道具です。黒船のようにやってきた電子書籍それ自体を目的化するのではなく、読書というきわめて知的な行為のネット社会におけるありようをじっくり考えてみるべきです。そうでなければ、グーテンベルク以来の人類の財産は、バーカーツに指摘されるまでもなく、急速に失われていくでしょう。

“The Gutenberg Elegies” は青土社から邦訳が出ていました。『グーテンベルクへの挽歌』(船木裕訳)です。

▲PAGE TOP