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野口聡一宇宙飛行士、帰還への準備進む
国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在中の野口聡一宇宙飛行士は、ソユーズTMA-17での6月2日の帰還に向けて準備を進めています。

宇宙船の大気圏再突入は、きわめてクリティカルなイベントであり、宇宙船の信頼性が問われます。ソユーズ宇宙船は大気圏再突入後、最大重力加速度が4〜5G になるよう姿勢を制御しながら降下していきますが、姿勢制御を行わない「弾道モード」での帰還もあります。この場合、着陸地点は通常の着陸地点より約450km 手前(西方)になります。最近では2007年のソユーズTMA-10、2008年のソユーズTMA-11での帰還が弾道モードで行われました。弾道モードの場合、宇宙飛行士には10G 程度がかかるようですが、弾道モードだからといって、それ自体が危険な帰還であったということにはなりません。ロシアもNASA も、弾道モードを通常用いられる帰還モードの1つとして位置づけています。ソユーズ宇宙船はいくつもの帰還モードを用意し、宇宙船の信頼性を高めているわけです。

野口宇宙飛行士はソユーズ宇宙船のフライトエンジニアとして、帰還に臨みます。ソユーズ宇宙船に搭乗するためには、フライトエンジニアの資格が必要で、若田光一宇宙飛行士、古川聡宇宙飛行士、星出彰彦宇宙飛行士、山崎直子宇宙飛行士も資格を取得しています。今後、ISS に行くためにはソユーズ宇宙船を使わなければならず、フライトエンジニアの資格は必須です。フライトエンジニアの訓練はハードで、特に試験官を前にして行われる「最後の口頭試問」の厳しさは、宇宙飛行士の人たちから何度も聞いたことがあります。

野口宇宙飛行士のフライトエンジニアとしての経験は、今後ソユーズ宇宙船に搭乗する日本人宇宙飛行士にとって、さらには、これからの日本の有人宇宙計画そのものにとって貴重なものとなるでしょう。見事な着陸を期待したいと思います。

野口宇宙飛行士の今回の飛行は、日本人宇宙飛行士がソユーズ宇宙船での打ち上げから着陸まで一連のミッションを行った最初の飛行として、歴史に記録されるべきだと私は思います。
野口宇宙飛行士の帰還をJAXAi で中継
国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在している野口聡一宇宙飛行士は、ソユーズTMA-17で6月2日(水)に帰還する予定です。JAXA では帰還の模様をインターネットでライブ中継しますが、丸の内のJAXAi でもパブリックビューイングを行います。マンスリートークはいつも午後6時30分から行っていますが、着陸が日本時間のお昼ごろに予定されているため、この日は午前11時からはじめる予定です。映像はNASA TV を経由して送られてきます。JAXA の村木祐介をおよびし、私が進行役をつとめます。

日本人宇宙飛行士によるソユーズ宇宙船での着陸は今回が初めてです(秋山豊寛氏は宇宙飛行士ではなく、NASAの表現で言えばspaceflight participant=同乗者でした)。野口宇宙飛行士の元気な姿が見られることを期待しています。

ソユーズ宇宙船の帰還は以下のようにして行われます。ISS からの分離(アンドッキング)は、着陸の3時間23分前に行われます。ISS とソユーズの結合機構が外れると、ソユーズは秒速10cm ほどの速度でISS から離れていきます(1)。アンドッキングから6分後、ISS から約20m 離れたところで、ソユーズは15秒間エンジンを噴射し、ISS から遠ざかっていきます(2)。アンドッキングから2時間29分後、ISS から約20km 離れたところで、ソユーズは4分21秒間の軌道離脱噴射を行います(3)。

soyuz_landing

アンドッキングから2時間57分後、ソユーズの軌道モジュールと機器/推進モジュールが帰還モジュールから切り離されます(4)。3分後、帰還モジュールは高度約120km で大気圏に再突入します。帰還モジュールは高温のプラズマに包まれ、高度40km あたりで最大G(4〜5G)に達します(5)。2つのパイロット・パラシュートが開き、続いてドラッグシュートが開きます。これによって、降下速度は秒速約230mから秒速約80m に減速されます。さらにメイン・パラシュートが開き、降下速度は秒速約7m にまで落ちます(6)。パラシュートのハーネスは最初、帰還モジュールを30度の傾きで吊り下げていますが、やがて垂直に吊り下げるような位置に移動します。

soyuz_landing

帰還モジュールは降下していきます(7)。モジュールが着地する2秒前、高度80cm のところで軟着陸用の6基のエンジンを噴射します。これによって降下速度は秒速1.5m まで減速され、着地時の衝撃が緩和されます(8)。モジュールは着地し、回収チームが到着します(9)。

soyuz_landing

ソユーズの着陸に関しては、これまでも印象的なシーンがとらえられています。下は、2009年4月8日、ソユーズTMA-13 の着地の瞬間です。

NASA

下は2006年9月29日、ソユーズTMA-8 着陸後の回収シーンです。

NASA
アトランティスが帰還
スペースシャトル、アトランティスが26日午前8時49分18秒(アメリカ東部夏時間、日本時間午後9時49分18秒)、ケネディ宇宙センターに帰還しました。アトランティスにとって、これが予定されている最後の飛行でした。

NASA

いつもと同じように、アトランティスは見事な着陸を見せました。着陸から約1時間後、STS-132のクルーは滑走路に元気な姿を見せ、アトランティスの機体を見てまわる「ウォークアラウンド」を行いました。これもまた、いつも行われているものですが、これが最後の飛行のためでしょうか、この日は少し特別で、カメラの数がいつもより多かったようです。

NASA

クルーはアトランティスの前にならび、コマンダーのケネス・ハム宇宙飛行士が短いスピーチを行いました。「無事に帰ってこれてうれしい。ミッション期間中を通じて、アトランティスはパーフェクトだった」というハム宇宙飛行士の言葉には、25年にわたる任務を全うしたアトランティスへの愛着と敬意がこめられているように思えました。
口蹄疫:ウイルスはどこから来たか?
口蹄疫のウイルスは遺伝情報をRNA の1本鎖としてもち、これがキャプシドとよばれる殻の中に入っています。キャプシドは球形で、4種類のタンパクが規則的に並んでいます。下のCG は、その様子を視覚化したものです。ウイルスの直径は21〜25nmです。

Oxford University

口蹄疫ウイルスにはいくつかのタイプがあり、アジアで流行しているのはO 型、A 型、Asia 1型です。ウイルスは牛のほか、豚、水牛、羊、山羊、鹿などにも感染します。特に豚は感染しやすく、感染すると大量のウイルスを放出するので、口蹄疫の感染拡大防止には、感染した豚の殺処分を迅速に行う必要があります。

ウイルスは感染した家畜の呼気中に含まれ、他の家畜に経口感染するほか、水泡や糞尿、乳にもウイルスが含まれます。ウイルスに汚染された物品が人間と一緒に移動することによって感染が拡大するほか、動物によってもウイルスは運ばれます。ウイルスを含む糞便などの粒子が風に乗って長距離を移動することもあるといわれています。ウイルスに感染した場合、症状があらわれるまでの潜伏期間は、牛の場合、約1週間です。

動物衛生研究所は、宮崎県の第1例のウイルスを分離し、遺伝子解析を行いました。このデータはイギリスの家畜衛生研究所に送られ、他のウイルスとの近縁関係が調べられました。同家畜衛生研究所はOIE(国際獣疫事務局)とFAO(国連食糧農業機関)が設置した口蹄疫の確定診断機関となっており、世界各地で発生したウイルスの解析を行っています。ウイルスはO 型であり、分離株はO/JPN/2010と名づけられました。

下は、O/JPN/2010に近縁なウイルスのトップ10です。一番左の欄が順位、次の欄がウイルス株の名前で、最初の「O」はO 型であることを示しています。その次はウイルスが分離された国や場所を示しており、「HKN」は香港、「Ganghwa/SKR」は韓国、江華島を示しています。その次は分離株の番号、そして分離された年です。一番右の欄の数値は、それぞれのウイルスがどれだけO/JPN/2010に近縁かを示しています。O 型のウイルスの場合、近縁関係の解析にはキャプシドタンパクの1つであるVP1の塩基配列を用います。

fmd

ウイルス株の近縁関係の解析は、ウイルスがどこからやってきたかを明らかにする上で、重要な材料になります。上のデータを見ると、O/JPN/2010は香港の豚から分離された9つのウイルス株と99%以上同じという結果になりました。香港での豚の口蹄疫は、香港内の牧場で発生したものではなく、中国本土から入ってきた豚によるものです。したがって、香港の口蹄疫のデータは、中国本土での口蹄疫発生の状況を知るてがかりとなっています。

中国でこのところ流行していたのはA 型とAsia 1型でした。O 型は1999年に発生して以来ずっとなかったのですが、今年2月に広東省で発生したのを皮切りに、3月、4月に中国各地で発生しています。香港では2月と3月に豚でO 型の口蹄疫が発生しました。香港のウイルス株の近縁関係を、系統樹でみると下のようになります。ウイルス株の系統樹は、ウイルスの伝播経路を解明する上で重要です。

fmd

現在、東アジアに存在しているO 型の口蹄疫ウイルスは、1998年にミャンマーで最初に分離された株(Mya-98)に属しています。上の系統樹を見ると、今年、香港で分離されたウイルス株は2009年にミャンマー(MYA)で発生した株からもたらされたもののようです。この株からは、2009年にタイ(TAI)で分離された株も派生しています。ミャンマーに存在していたウイルスが、今年初めに中国にもたらされ、それが香港に伝わったと考えられます。台湾でも今年2月、中国本土から輸入された豚でO 型の口蹄疫が発生しています。

それでは、日本のO/JPN/2010は、系統樹上でどのような位置にあるのでしょうか。下がそれです。枝分かれが少し複雑になっていますが、上に示した香港のウイルス株の位置を頭に入れておけば、その意味を簡単に読み取ることができます。

fmd

O/JPN/2010は香港のウイルス株の間に位置しており、香港のウイルスと同じように、何らかの形で中国からもたらされたのではないかと考えられます。この系統樹にはO/JPN/2010とも近縁であった韓国の株も示されています。このウイルスも同様に中国から伝播したのでしょう。韓国では今年初め、A 型の口蹄疫が発生しましたが、3月に終息しました。ところが4月になって、仁川広域市江華島でO 型のウイルスがあらわれ、現在も発生が続いています。

系統樹からみると、今年初めに中国に伝わったミャンマー株が、2月〜3月に周辺国および中国各地に広がったというのが、今回のO 型流行のごくおおまかな構図といえそうです。ただし、実際にそうであったか、あるいは何を媒介にしてウイルスが伝播していったのかは、詳細な疫学調査の結果をまたなくてはなりません。今後の口蹄疫発生を防止する意味で、これは非常に大事なことです。
口蹄疫:10年前の教訓生かされず感染拡大
5月17日、鳩山内閣は鳩山首相を本部長とする口蹄疫対策本部を発足させました。4月20日に口蹄疫の発生確認と同時に、農水省は赤松農林水産省を本部長とする口蹄疫防疫対策本部を設置していましたが、事態の深刻さにかんがみ、これを「昇格」させたことになります。一方、宮崎県の東国原知事は18日、同県での感染拡大を止められない状況だとして「非常事態」を宣言しました。どちらも、あまりに遅すぎる対応でした。

事態はすでに、これまでの方法では感染拡大を防止できないところにまで来ており、専門家は、ワクチン接種という、できれば使いたくない選択肢を提案せざるを得ませんでした。19日、政府の口蹄疫対策本部は、発生地の半径10km 以内の家畜にワクチンを接種し、最終的には全頭を殺処分するという対策を発表しました。

宮崎県では10年前に口蹄疫が発生しています。今回の最大の問題点は、このときの教訓が生かされなかったところにあります。

日本で「92年ぶり」という口蹄疫が宮崎県で発生したのは2000年3月のことでした。長い間、発生がなかったにもかかわらず、家畜伝染病の防疫関係者はすでに準備を整えており、3月21日に宮崎県から第一報が入ると同時に、国や県、畜産関係者、獣医師などによる迅速な対応がはじまりました。特に動物衛生研究所は、診断、抗体検査、ウイルスの分離、疫学調査など、防疫対応に重要な役割を果たしました。

2000年3月25日、第1例10頭を「偽似患畜」と診断、翌26日に通行遮断、殺処分、汚染物品埋却を完了。
4月3日、第2例9頭を「偽似患畜」と診断、同日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。
4月9日、第3例16頭を「偽似患畜」と診断、翌10日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。
5月11日、全国のサーベイランスで発見された北海道の第4例705頭を「偽似患畜」と診断、翌12日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。

こうして、口蹄疫の発生は6月9日に終息し、9月26日には、発生からわずか6か月というスピードで、日本はOIE(国際獣疫事務局)からの「口蹄疫に関する清浄国」としての認定を回復しました。このときの教訓として得られたことは、ウイルスの伝染力が弱かったこと、豚に感染しなかったことなど幸運が重なったものであり、今後の口蹄疫発生に十分な準備をしなければならないということでした。

今回も最初の報告とともに対応がはじまり、4月20日に第1例目がPCR 検査で陽性が確認され、家畜伝染病予防法にもとづく防疫措置の対象となる偽似患畜と判断されました。その後の経過をみると、翌21日に第2例目、第3例目が、22日には第4例目が、23日には第5例目、第6例目が偽似患畜と判断されました。特に第6例目には豚2頭が含まれていました。この時点で、発生が間隔を置いており、豚への感染もなかった2000年とは様相が異なり、すでに水面下で感染が拡大していると判断すべきであったでしょう。

しかし、宮崎県や国は対応を現場にまかせ、強力な措置をとるという決断をしませんでした。むしろ、このころ、風評の拡大防止や「人間には感染しない」という国民を安心させるための対応に力点を置いていたようにも見受けられます。その間に、国民の財産が失われる事態が進行していたわけです。4月28日に第2回口蹄疫防疫対策本部が開催されました。ここが、国家的危機管理を発動する最後のチャンスだったかもしれません。

こうした経過で、私が一番気になっているのは、事例発生と同時に、国が、知識や経験が豊富な専門家の協力を積極的に仰ぐことがなかったのではないかということです。昨今、政治主導という言葉がよく使われますが、政治主導で口蹄疫を防ぐことはできません。ワクチン接種にふれた18日の牛豚等疾病小委員会の寺門誠致委員長代理は、2000年の発生時、家畜衛生試験場長として陣頭指揮に当たった人です。こうした専門家の意見を、国が早い段階で受け入れていたら、事態はもっと変わっていたでしょう。

口蹄疫は発生すると経済的な影響が大きいこともあり、OIE では、最も重要な家畜の伝染病と位置付けています。中国、香港、台湾、韓国など日本をとりまく国では最近、口蹄疫が発生しており、日本でも感染牛が発生することは十分予測できました。ウイルスはいくつかの経路で日本に入ってきます。2000年の発生は、中国から輸入された飼料用の藁にふくまれていたウイルスが原因と考えられています。
アジアの生物学研究の中心は蘇州に
CSH Asia opened in Suzhou, Chiana

昨年11月と今年4月の事業仕分けで、多くの人が、日本の科学研究予算が削減されるのではないかと危惧を抱いている間にも、世界ではいろいろなことが起こっています。

去る4月6日、中国の蘇州に、コールド・スプリング・ハーバー・アジアのカンファレンス・センターがオープンしました。開幕式には、DNA の二重らせん構造の発見者であり、長い間、コールド・スプリング・ハーバー研究所の所長であったジェームス・ワトソンも出席しました。ワトソンは今年82歳、すでに研究所の仕事の第一線を退いているにもかかわらず、彼が式典に出席したことは、この事業の重要さを示すものです。

CSH_Asia

現地の新聞も次のように伝えていました。

「世界生命科学の聖地」と称される米コールド・スプリング・ハーバー研究所のアジア提携プロジェクト――コールド・スプリング・ハーバー・カンファレンス・アジアの開幕式が蘇州独墅湖会議センターで開催された。・・・コールド・スプリング・ハーバー研究所の名誉首席・「DNA の父」・ノーベル賞受賞者であるジェームス・ワトソン博士および世界各国から生物医薬学者たちが集まった。

マンハッタンから車で約2時間、ロングアイランドにあるコールド・スプリング・ハーバー研究所は、世界の生物学研究にとって特別な意味をもつ研究所です。小さな湾に面した美しい自然の中にコテージのような研究棟やオフィス、図書館、会議場などが点在する風景は、巨大なビルが立ち並ぶ研究施設とは趣を異にしています。その構内を少し歩いてみれば、そこが自由で創造的な研究の場であり、新しいサイエンスが次々に生まれてくる場所であることがわかります。うまくすれば、駐車場で車から下りてきたワトソンとすれちがうこともあるでしょう。

この研究所が生物学の分野で、「世界で最も影響力のある研究所」とされているのは、ノーベル賞受賞者を何人も輩出しているというだけではありません。ここで開かれる質の高い会議やセミナーが世界中から研究者を集めているのです。年に1回開催される「シンポジウム」は、その中でも特に重要なもので、生物学の一番ホットなトピックスや今後急速な成長が予想されるテーマが取り上げられ、世界の第一線の研究者が活発な議論を交わします。最近、遺伝子発現の制御を研究するエピジェネティクスという分野が急速に話題を集めていますが、コールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムでこのテーマが取り上げられたのは2004年のことでした。また、2006年には制御RNA が取り上げられましたが、まさにこの年のノーベル医学生理学賞は、RNA 干渉を発見した2名のアメリカ人研究者に対して与えられたのです。

コールド・スプリング・ハーバー研究所は、ニクソン政権が打ちだしたがん制圧政策や、国際協力によるヒトゲノム解析計画の推進にあたっても、重要な役割を果たしました。

私もこの研究所を訪問していて、世界の動きを実感したことがあります。それは、ワトソン所長と打ち合わせをしていたときのことでした。彼は突然、席を外し、電話をかけるために隣の部屋に行ってしまいました。それは、ちょうどクレイグ・ベンターのひきいるセレラ・ジェノミックス社が独自のヒトゲノム解析計画を立ち上げると発表した直後だったのです。ワトソンはイギリスのウェルカム・トラストと連絡をとって新たな資金を導入し、国際チームの解析作業のスピードアップを図ろうとしているのだと、同席していた人がそっと教えてくれました。

私がDNA チップを初めて知ったのも、この研究所でした。研究者たちが当たり前のように話しているこの技術は、当時、日本ではほとんど知られていませんでした。それから1年ほどの間に、DNA チップに関する情報は怒涛のように日本に流れこんできました。

コールド・スプリング・ハーバー研究所のアジア法人であるコールド・スプリング・ハーバー・アジアでは、今後、世界中から科学者を集めたシンポジウムや会議を蘇州のカンファレンス・センターで開催していく予定です。4月6日の開幕式の後、カンファレンス・センターのワトソン会議場では第1回ジェームス・ワトソンがんシンポジウムが11日まで開かれました。日本からは東京大学大学院の谷口維紹教授がキーノート・スピーカーの1人として招かれました。

これにつづいて4月12日〜17日にはフランシス・クリック神経科学シンポジウムが開催されました。その後も膜タンパク、エピジェネティクス、ヒトゲノム、幹細胞、エマージング感染症、RNA 生物学など重要なテーマの会議が予定されており、夏には神経科学のサマースクールも行われます。コールド・スプリング・ハーバー・アジア代表のデイビッド・スチュアートは、コールド・スプリング・ハーバー研究所の会議とセミナーの責任者でもあり、研究所で行われるのと同じ、レベルの高い会議が開催されるものとみられます。「蘇州のカンファレンス・センターをアジア全域の科学者のためのハブにしたい」をスチュアートは語っています。蘇州は上海から鉄道で約2時間、日本や韓国などからもアクセスが容易な場所にあります。

カンファレンス・センターは中国・シンガポール蘇州工業パーク内に設置されました。中国とシンガポール政府が共同で開発しているこの工業パークは、「最も発展のスピードが速く、国際的な競争力を持つハイテク工業パーク」(JST 資料)になることを目指しています。シンガポールの科学技術研究庁(A*STAR)は世界最高レベルの人材を集めた研究活動を積極的に推進しています。中国とシンガポールという強力な科学新興国のシンボルといえる場所に、今世紀、爆発的な進歩が予想される生物学研究のハブが置かれるというのは、ある意味では歴史の必然なのかもしれません。これだけのエネルギーや吸引力が、今の日本に感じられないのは、さびしい気がします。

CSH_Asia

蘇州は昔から「東洋のベニス」とよばれた水の都であり、カンファレンス・センターが位置する独墅湖の湖畔は、環境がどことなくロングアイランドの研究所に似ています。これもまた、コールド・スプリング・ハーバー研究所にとって、アジア・太平洋地域の拠点を蘇州に置く理由の1つだったのではないかと、私はひそかに考えています。
アトランティス、最後の旅に出発
スペースシャトル、アトランティスが宇宙へ向かいました。今回のSTS-132 ミッションでは、ロシアのモジュールMRM-1 および補給物資を国際宇宙ステーション(ISS)に運びます。スペースシャトルは、3機のオービターが各1回ずつのフライトを残すのみとなっており、アトランティスはこれが最後のフライトとなります。

NASA

アトランティス(OV-104) は1985年10月に初飛行しました。1989年5月には金星探査機マゼラン、10月には木星探査機ガリレオを打ち上げ、1995年6月にはミール宇宙ステーションに初めてドッキングしたスペースシャトルとなりました。昨年5月には、ハッブル宇宙望遠鏡の最後の修理ミッションを行いました。今回が32回目のフライトになります。

STS-132のミッションパッチのデザインは下のようなものです。夕日に向かって飛んでいくアトランティスは、シャトル計画の終了が間近に迫っていることを示しています。

NASA

ケネス・ハム船長をはじめ6名のクルーも、ケネディ宇宙センターの技術者たちや打ち上げチームも、プロフェッショナルらしくふるまい、いつもと同じように打ち上げを成功させましたが、アメリカの有人計画の将来がどうなるかは不透明の中での打ち上げとなりました。オバマ大統領はコンステレーション計画をキャンセルし、NASA の宇宙飛行士を民間企業の開発した有人宇宙船でISS へ運ぶことを考えています。しかし、これについては、相変わらず反対意見も強い上、民間の有人宇宙船が、期待されているほど早い時期に宇宙を飛ぶことができるのかどうか、確たる保証はありません。
ネモフィラの丘
茨城県の阿字ケ浦海岸は、私が子供のころ、夏になると毎年のように訪れていた場所です。海岸のずっと北を見ると、そこには太平洋の波がはげしく打ちつける黒い桟橋があり、私はいつも、その向こうには何があるのだろうと思っていたものでした。

その向こう側は、かつては旧日本陸軍の水戸飛行場であり、戦後はアメリカ軍の対地射爆撃場として利用されていました。しかし、今は、国営ひたち海浜公園となり、海をのぞむみはらしの丘は、450万本のネモフィラによって一面が青く染められています。

hitachi

ネモフィラはハゼリソウ科の1年草で、みはらしの丘に植えられているのは淡い青の花をつけるインシグニスブルーです。

hitachi

土地の古い人に聞けば、ここに飛行場があったことや、長い間、一般人が立ち入ることができない場所であったことを教えてくれますが、ほとんどの来園者はそのようなことに気づかないほど、ここには穏やかな風景がひろがっています。しかし、同公園の歴史をみてみると、この場所が日本に返還されてから、公園が開園し、次第に施設が拡張されて今の姿になるまでにはずいぶん時間がかかったようです。

戦争の記憶が残る土地を、美しい花が咲く公園にするためには関係者の多くの努力があったことでしょう。射爆の標的となっていたまさにその場所には建設発生土が盛られて、みはらしの丘がつくられました。その一番高い場所には、平和への願いをこめたみはらしの鐘が立っています。

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