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「はやぶさ」帰還、そして後継機への期待
2007年4月にはじまった小惑星探査機「はやぶさ」の地球への帰還の旅は、最後の局面を迎えようとしています。「はやぶさ」のカプセルは、6月13日午後11時(日本時間)頃に大気圏に再突入する予定です。カプセルの着陸場所はオーストラリア南西部のウーメラ立入制限区域です。

「はやぶさ」のイオンエンジンによる第2期軌道変換は3月27日に終了、4月6日にはTCM-0を実施して、地球外縁部への初期誘導を行いました。TCM とは軌道修正(Trajectory Correction Maneuver)のことです。今後、さらに4回のTCM が行われます。
TCM-1:再突入39日前頃までに実施。地球外縁部への誘導。
TCM-2:再突入15日前頃までに実施。地球外縁部への誘導。
TCM-3:再突入7日前頃までに実施。オーストラリア、ウーメラへの誘導。
TCM-3:再突入3日前頃までに実施。オーストラリア、ウーメラへの精密誘導。
カプセルは再突入3時間前頃に「はやぶさ」本体から分離されます。再突入後、1時間で着陸の予定です。

JAXA

「はやぶさ」ミッションの目的は、以下の5つにまとめられます。
(1)イオンエンジンを用いた地球と小惑星との往復飛行
(2)イオンエンジンでの加速と地球スイングバイの併用
(3)自律航法の実現
(4)イトカワのサンプル採取
(5)サンプルを積んだカプセルの回収

このうち(1)〜(4)はすでに達成されました。
(1)イオンエンジンを用いた地球と小惑星との往復飛行
「はやぶさ」のイオンエンジンは、マイクロ波によるプラズマ生成や炭素複合材を用いた電極の採用など、これまでのイオンエンジンにない特徴をもつ先進的なエンジンです。エンジンの寿命もこれまでに比べて飛躍的に向上しました。「はやぶさ」はこのエンジンを合計4万時間作動させ、イトカワとの往復を実現させました。
(2)イオンエンジンでの加速と地球スイングバイの併用
地球の重力を利用して探査機を加速する地球スイングバイは、これまでの探査機でも行われていますが、イオンエンジンで加速しながらの地球スイングバイは初めてのことでした。イオンエンジンでの加速はゆっくりしているため、地球スイングバイには精密な誘導が必要でした。
(3)自律航法の実現
イトカワ付近にいる「はやぶさ」と地球との交信には往復で40分間もかかってしまいます。そのため、「はやぶさ」は自分で自らの位置を知り、自分の判断でイトカワに接近していかなくてはなりません。「はやぶさ」はこのような自律航法を行ってイトカワに着陸しました。
(4)イトカワのサンプル採取
イトカワの重力はきわめて小さいため、サンプル採取にあたって、「はやぶさ」をイトカワ表面に固定することはできません。そこで、「はやぶさ」の底部に伸びているサンプラーホーンがイトカワ表面に接触すると、弾丸が撃ちこまれ、飛び散った破片を回収するという方法がとられました。弾丸が実際に発射されたかどうかは確認されていませんが、少量ではあれ、サンプルは採取されたと考えられています。

「はやぶさ」はこれから(5)に挑戦することになります。最後までの最後まで、難関が続きますが、私はそろそろ「はやぶさ」の後継機も応援したいと思います。少し気が早いといわれそうですが、「はやぶさ」はあくまで、イオンエンジンを使ったサンプルリターンの工学実証ミッションであり、小惑星の本格的探査はこれからはじまるのです。

イトカワのサンプルは太陽系の起源を解明する貴重な材料となるでしょうが、小惑星についてはまだわからないことがたくさんあります。小惑星はどのような母天体からつくられたのか、太陽系の誕生以来どのような歴史をたどってきたのか。こうしたことは、これから何度も探査機を送らなくては解明することはできません。

「はやぶさ」の後継機はすでに検討が進められています。イトカワはS型というグループに含まれる小惑星ですが、「はやぶさ」後継機は、より始原的なタイプの小惑星の探査を考えています。「はやぶさ」の成果をふまえた後継機のミッションは、「はやぶさ」と同じようにきわめてチャレンジングなものになるでしょう。
コマロフの墜落
EMI クラッシクスの『惑星』を購入しました。指揮はサイモン・ラトル、演奏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団です。クライド・トンボーにより冥王星が発見されたのは、グスターヴ・ホルストの死の4年前の1930年のことで、ホルスト自身は冥王星を『惑星』に追加することはできませんでした。2006年3月録音のこの『惑星』には、コリン・マシューズ作曲の「冥王星」が収録されています。皮肉なことに、この年の8月にプラハ開かれた国際天文連合(IAU)総会で、冥王星は惑星ではなくなり、新たにつくられた「準惑星」というカテゴリーに含めることが決定されました。

EMI_Planet

私がこの『惑星』を選んだ理由は、冥王星ではありません。CD2に入っているブレット・ディーン作曲の「コマロフの墜落」を聴きたいと前から思っていたからです。CD2にはこのほか、カイヤ・サーリアホ作曲「小惑星4179〜トゥータティス」、マティアス・ピンチャー作曲「オシリスに向かって」、マーク=アントニー・ターネイジ作曲「セレス」が入っています。

ソ連の宇宙飛行士ウラジーミル・コマロフは1960年に宇宙飛行士に選抜され、1964年にボスホート1号で初飛行をしました。世界初の有人宇宙飛行を行ったユーリー・ガガーリンの親しい友人でもありました。

Komarov

1967年4月23日、コマロフの乗ったソユーズ1号がバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。コマロフにとっては2回目の飛行でした。当時、アメリカとソ連は月着陸一番乗りの競争を展開していました。月への有人飛行のためにソ連が開発した宇宙船がソユーズです。

ソユーズ1号が予定の軌道に入ると、コマロフの妻ワレンチナは同僚の宇宙飛行士パベル・ポポビッチから、夫が宇宙にいることを知らされました。当時のソ連では、有人宇宙船の打ち上げは国家機密であり、コマロフは宇宙に行くことを事前に妻に告げてはいませんでした。

打ち上げは順調に行われましたが、すぐにトラブルが発生しました。2枚の太陽電池板のうち左側の1枚が開かず、十分な電力が得られなかったのです。おまけにスターセンサーが働かず、姿勢制御ができない状態でした。宇宙船は制御不能におちいりました。コマロフは宇宙船のコントロールを回復しようと試みましたが、うまくいきませんでした。

ソユーズ1号は7周目から13周目まで、ソ連の追跡局の交信範囲を外れてしまいます。管制室からは交信が回復するまで、就寝するようにという指示が出されましたが、おそらくコマロフはその間も宇宙船と格闘していたと思われます。13周目で交信が回復したとき、コマロフは宇宙船がまだ制御不能であることを報告してきました。

ソユーズ1号は翌日に打ち上げられるソユーズ2号とドッキングすることになっていました。月への飛行に必要なドッキングと船外活動による宇宙飛行士の移乗をテストするためでした。しかし、ここにいたって、ソユーズ2号の打ち上げはキャンセルされ、コマロフは緊急帰還することになりました。16周目、コマロフは大気圏再突入を試みましたが、うまくいきませんでした。17周目での試みも、不成功に終わりました。

事態はきわめて深刻でした。急きょ、コマロフの妻ワレンチナのもとに、管制室から迎えの車が差し向けられました。コマロフとワレンチナは数分間、2人だけで話をすることができました。

18周目、コマロフはなんとか宇宙船の姿勢を制御し、大気圏突入を成功させました。しかし降下の最終段階で問題がおこりました。メインパラシュートを引き出すためのドラッグシュートがからまってしまったのです。そのため、メインパラシュートは開きませんでした。宇宙船は地上に激突し、コマロフは宇宙飛行で死亡した最初の人間となったのです。

ソユーズ宇宙船のパラシュートには開発当初から問題があり、ソユーズ1号の打ち上げ時にも、問題は完全には解決していなかったとみられます。ソユーズ1号の搭乗者はプライムがコマロフ、バックアップはガガーリンで、コマロフが搭乗を断れば、ガガーリンが搭乗することになっていました。しかしコマロフはソユーズ1号の飛行の危険性を知っており、友人であり、国家的にも重要な人物であるガガーリンを危険にさらすわけにはいかないと判断し、搭乗を引き受けたといわれています。コマロフの遺体はクレムリンの壁に埋葬されました。

ブレット・ディーンは「コマロフの墜落」を作曲するにあたり、コマロフとワレンチナの最後の会話の場面に強い印象を受けたようです。確かにそれは、ソ連の有人宇宙計画の歴史の中でも他に例のない特別なエピソードでした。「この情景はこの作品の中ほどの、短いながらも抒情的な部分で表現されている」と、ディーンは述べています。
太陽観測衛星SDO の初画像
今年2月11日に打ち上げられたNASA の太陽観測衛星SDO(Solar Dynamics Observatory)の最初の観測画像が公開されました。

SDO は3つの観測装置を搭載しています。太陽の内部構造を知ることができる太陽振動と太陽表面の磁場を観測するHMI(Helioseismic and Magnetic Imager)、太陽の大気であるコロナを多波長で観測するAIA(Atmospheric Imaging Assembly)、太陽からの極端紫外線(EUV)の放射を観測するEVE(Extreme ultraviolet Variability Experiment)です。SDO はこれらの観測装置で太陽を高分解能で同時観測します。

下の画像はSDO の初画像の中の1枚で、AIA がとらえたプロミネンスです。太陽表面からの磁力線にそって巨大なループが生じています。左下の白い丸が地球の大きさを示しています。

SDO

太陽活動は約11年の周期をもっており、現在は、極小期からの立ち上がりの時期にあたっています。下の図は、ベルギー王立天文台のSIDC(Solar Influences Data Analysis Center)が発表している黒点数の推移です。黄色い線は毎日の黒点数、青い線は月毎の黒点数、赤い線はその推移を滑らかにした線です。2008年から2009年にかけては黒点が出現しない日が続いていましたが、最近では黒点数が少しずつ増えているのがわかります。

SIDC

SDO の運用年数は5年間で、さらに5年間の運用延長の可能性があります。SDO は極大期へ向かう太陽のダイナミックな姿をとらえてくれるでしょう。運用期間が延長されれば、太陽活動のほぼ1周期についてのデータが得られることになります。
STS-131ミッション終了
山崎直子宇宙飛行士を乗せたスペースシャトル、ディスカバリーは、4月20日午後10時8分(日本時間)、ケネディ宇宙センターに着陸し、STS-131ミッションは終了しました。飛行時間は15日2時間47分10秒でした。

NASA

日本人宇宙飛行士のスペースシャトル搭乗ミッションは、これで終わりました。スペースシャトルを初飛行から取材し、日本人宇宙飛行士のシャトル搭乗をずっと見守ってきた私としては、少しさびしい気分です。

スペースシャトルの飛行はあと3回、それぞれのオービターが最後の飛行をすることになります。すでにケネディ宇宙センターではアトランティスによるSTS-132の打ち上げ準備がはじまっています。現在のところ、打ち上げは5月14日に予定されています。通算34回目の国際宇宙ステーション(ISS)組み立てミッションで、ロシアの小型研究モジュールMRM1をISS に運びます。
STS-131、本日の着陸機会
ディスカバリーのケネディ宇宙センターへの着陸は、本日(20日)の午後8時34分(日本時間、以下同じ)の予定です。下は、その237周目の着陸までの経路図です。

NASA

次の238周目では、ケネディ宇宙センターとエドワーズ空軍基地の両方に着陸可能です。着陸予定時刻は、エドワーズ空軍基地の場合が午後10時1分、ケネディ宇宙センターの場合が午後10時8分です。

NASA

NASA

239周目と240周目の着陸場所はエドワーズ空軍基地になります。着陸予定時刻は239周目の場合が午後11時35分、240周目の場合が21日の午前1時11分になります。

NASA

NASA

なお、ディスカバリーは本日の着陸が不可能でも、明日まで軌道上にとどまることに問題はありません。
STS-131、着陸は明日に延期
ケネディ宇宙センターは雲におおわれ、降雨の可能性もあるため、2回目の着陸機会も見送られて、ディスカバリーの着陸は明日に延期されました。

NASA

明日の最初の着陸機会は237周目で、着陸予定時刻は午後8時34分(日本時間、以下同様)です。2回目の着陸機会の着陸予定時刻は10時8分です。スペースシャトルの軌道は1周ごとに経度で22.5度、西にずれていきます。そのため、この周回ではカリフォルニアのエドワーズ空軍基地へも着陸可能になります。次の周回からは、着陸場所はエドワーズ空軍基地のみです。エドワーズ空軍基地への2回目の着陸機会の着陸予定時刻は11時36分です。そして最後の着陸機会の着陸予定時刻は午前1時11分です。ディスカバリーはこれら4回の着陸機会のいずれかで帰還します。
STS-131、フロリダへ
今のところ、スペースシャトル、ディスカバリーは今夜9時48分(日本時間)にケネディ宇宙センターに着陸の予定です。

予定通りであると、ディスカバリーは222周目に軌道を離脱し、帰還します。下は、ケネディ宇宙センターまでのディスカバリーの経路です。

NASA

現在の予報では、着陸時のケネディ宇宙センターの天候は必ずしも良好ではありません。したがって、ディスカバリーはもう1周、地球を周回し、223周目に帰還する可能性もあります。この場合、軌道離脱は午後10時17分、着陸は午後11時23分(いずれも日本時間)になります。

NASA

ケネディ宇宙センターの天候が不順のままの場合、着陸は明日に延期されます。また、明日の着陸の場合、着陸場所がエドワーズ空軍基地に変更される可能性もあります。
STS-131、いよいよ帰還
山崎直子宇宙飛行士を乗せたスペースシャトル、ディスカバリーは約14日間のミッションを終え、ケネディ宇宙センターに4月19日(月)午後9時48分(日本時間)に着陸の予定です。現地時間では同日午前8時48分(アメリカ東部夏時間)で、朝方の帰還となります。

着陸の様子は午後9時からのライブ中継で視聴できるほか、丸の内のJAXAi でも開館時間を延長して、午後9時から10時30分までパブリック・ビューイングが行われます。私もJAXAi で山崎さんの帰還を見守りたいと思っています。

スペースシャトルの帰還は、次のように行われます。

着陸の5時間ほど前から、クルーは着陸のための準備をはじめます。シャトルのラダーやエアブレーキ、エレボンを動かすAPU(補助動力装置)も起動されます。着陸4時間前に、ペイロードベイ・ドアを閉じます。着陸3時間前、クルーはオレンジスーツを着て、座席につきます。

着陸のGO / NO GO の決定は着陸2時間前になされます。したがって、予定時刻に着陸が行われるかどうかは、午後8時前にNASA TV やNASA のLanding Blog などで確認することができます。ケネディ宇宙センターの天候などによっては、着陸までにもう1周したり(この場合には着陸時刻は約90分遅くなります)、着陸地がカリフォルニアのエドワーズ空軍基地に変更されたりします。

すべての条件が整えば、ディスカバリーにはヒューストンのミッション・コントロールから、こんなふうに軌道離脱の指示が送られてくるはずです。
“Discovery Houston, good news. You are GO for the deorbit burn.”

軌道操作エンジン(OMS)による軌道離脱のエンジン噴射は、着陸約1時間前に行われます。今回は午後8時43分に予定されています。エンジン噴射は3〜4分間、場所はインド洋の上空あたりです。ケネディ宇宙センターからは、ちょうど地球の反対側にあたります。

軌道を離脱し、高度を下げてきたディスカバリーは、着陸約30分前、高度120km あたりで、大気の抵抗を受けはじめます。このポイントをエントリー・インターフェイスといいます。大気圏に突入すると、ディスカバリーの機体は大気との摩擦熱によって、高温のプラズマに包まれます。この間、地上との交信状態は悪くなります。かつては通信が途絶するブラックアウトの状態になりましたが、現在では、静止軌道上の衛星を経由した通信が行えるため、完全な通信途絶になることはあまりないようです。ディスカバリーは高温に包まれながら、S 字ターンを行います。空気抵抗を利用して減速するためで、機体のバンク角度は80度に達します。このバンクを4回行います。

爆発音のような2回のソニックブームをとどろかせてフロリダに帰ってきたディスカバリーは、いよいよ滑走路へのアプローチを開始します。この時点ではコマンダーが手動でシャトルを操縦しています。進入角度は約19度です。通常の航空機の場合、進入角度は3度程度ですから、ディスカバリーはまるで空から落ちてくるような感じで降りてきます。

NASA

滑走路の手前、高度600m でコマンダーは機首を引き上げ、着陸の態勢に入ります。着陸15秒前、ランディングギアが引き出されます。滑走路にまずメインのランディングギアが着地します。タッチダウンの瞬間です。次に減速用のドラッグシュートが開き、続いて機首部分のランディングギアが着地します。

NASA

滑走路で停止すると、ディスカバリーはミッション・コントロールに連絡します。
“Houston Discovery, wheels stop.”
ヒューストンからは、こんな返事が返ってくるはずです。
“Roger wheels stop Discovery. Welcome home.”

NASA

ディスカバリーが停止した「ホイール・ストップ」の時刻が、STS-131のミッション終了時刻となります。
続・クライメートゲート事件:IPCCは間違っているか?
昨日の記事で取り上げた『化学』2010年5月号の渡辺正氏の記事について、気候変動・千夜一話というブログで、masudako 氏が専門家の立場から、より詳しい記事を書いています。また、コメントの欄で、私の記事についての補足的な解説もしていただいています。

昨年11月に端を発した「クライメートゲート事件」をきっかけに、日本でもIPCC に批判的な記事がいろいろな雑誌に掲載されるようになりました。「気候変動・千夜一話」は、気候変動や地球温暖化について研究者が語っているブログで、懐疑論を批判するための場所ではありませんが、こうした記事に対する科学的立場からのコメントがほかにも投稿されています。ぜひ読んでみてください。
クライメートゲート事件:IPCCは間違っているか?
発売されたばかりの『化学』2010年5月号に、東京大学生産技術研究所教授の渡辺正氏が「続・Climategate 事件――崩れゆくIPCC の温暖化神話」という記事を書いています。渡辺氏は同誌2010年3月号で「Climategate 事件――地球温暖化説の捏造疑惑」という記事を書いており、今回はその続編ということになります。いわゆる「クライメートゲート」事件によって、IPCC の主張に根拠はなくなりつつあるという話を次々と展開しています。同氏の記述は、科学者として事実をきちんと検証したIPCC 批判ではなく、どこか意図的なものを感じさせます。

例えば、記事の最後のページは「Climategate 事件の余震(2010年2月〜3月)」という表になっており、「クライメートゲート事件」に関する(IPCC に批判的な)出来事が時系列で並べられています。この表は3月29日で終わっていますが、先日の「クライメートゲート事件:データ捏造はなかった」で書いたように、3月31日に、イギリス下院科学技術委員会の報告書が発表され、懐疑派の人たちが騒いできたようなIPCC のデータ捏造はなかったことが明らかにされました。これが抜けているのはどうしてでしょう。3月号の同氏の記事も、最後は同じような表「Climategate 事件後の流れ」となっており、「1月22日 イギリス議会下院がCRU の調査開始を発表」と明記されています。それなのに、この調査結果について触れていないのは、意図的といわれても仕方ないでしょう。それとも、締め切りに間に合わなかったということなのでしょうか。

海外には、懐疑派のサイトがいくつもあり、IPCC に対してさまざまな批判をしています。これらの批判については、それが本当に科学的に正しいかどうかの検証が必要です。しかし、渡辺氏が「気温データは闇なのか?」の項で紹介している都市と田舎のデータの比較は、Watts Up With That? という懐疑派サイトの記事をそのまま引用したものです。

渡辺氏が取り上げているこの記事は、Science & Public Policy Institute という懐疑派団体の “SPPI Original Paper” として発表された文書が出典です。“Paper” とはいっても、査読を経て学術ジャーナルに発表された論文ではありません。著者はエドワード・ロングという人物で、元NASA の物理学者だそうです。ロングはNOAA(アメリカ海洋大気局)のNCDC(国立気候データセンター)が提供しているデータを用いて、NCDC は観測データの「補正」といいながら、田舎の観測点の気温データを、都市化によって昇温している都市の観測点の気温データに合わせるという「上向きの」データ操作を行っており、地球温暖化を捏造していると主張しています。

ロングはNCDC の都市と田舎のデータを比較するために、アメリカ48州からそれぞれ都市と田舎の観測点を1か所ずつ選びました。下の図は、これらの観測点の「補正前」の元データを用いたグラフです。紫色が都市、紺色が田舎のデータです。1965年ごろから都市の気温は次第に上昇していますが、田舎の気温は最近までほぼ横ばいです。

long

下の図は、同じ観測点の「補正後」のデータを用いたグラフです。都市の気温の傾向は上のグラフとあまり変わっていませんが、田舎のグラフは都市の気温と同じような上昇傾向を見せています。

long

観測点の元データと補正後のデータをくらべると、田舎のデータを都市のデータに合わせるような補正が行われているように見えます。「IPCC の政治路線に沿った小細工を匂わせる」と渡辺氏は書いています。

しかし、NCDC のデータには、本当にそのような操作が加えられているのでしょうか。よく考えてみると、ロングが行ったことは、そもそもの前提がおかしいことに気がつきます。都市と田舎の気温を比較するために、なぜ48州から1か所ずつ観測点を選ぶ必要があったのでしょうか? それらの場所はどのような基準で選ばれたのでしょうか? この文書が科学論文として査読にまわされたら、査読者からはまずその点についての指摘があるでしょう。アメリカ中の多数の観測点から、ロングが希望する結果が得られる観測点を作為的に選んだのではないでしょうか?

ネットで検索すると、私と同じようなことを考えた人がいることがわかりました。RESIDUAL ANALYSIS というブログで、ジョセフ氏は私と同じような点を指摘し、これは ”cherry-picking”(いいとこ取り)ではないかという疑問を投げかけています。そしてジョセフ氏はロングの主張が正しいかどうかを検証するため、GHCN プロセッサーを使って、全米の都市と田舎のデータを比較してみました。GHCN というのは、NCDC が一般に公開している世界の気温のデータベースで、気象庁も2000年まではこれを使って世界平均気温を算出していました。GHCN プロセッサーはこのデータを解析するためのソフトウエアです。

さて、GHCN プロセッサーは全米117か所の都市の観測点と、867か所の田舎の観測点の、補正後のデータを解析した結果を出してくれました。下の図がそれです。

joseph

青色が都市、赤色が田舎のデータです。これを見ると、都市と田舎のデータは同じ傾向を示しています。それでは、補正前のデータではどうでしょうか? 下の図は、補正前の、全米392か所の都市の観測点と、1046か所の田舎の観測点のデータをGHCN プロセッサーで解析した結果です。

joseph

結果は、こちらも、都市と田舎のデータは同じ傾向を示しており、ロングとは異なった結果がでています。ロングの観測点の選び方にはやはり問題があるようです。

NCDC では、観測点で記録されたデータに整合性をもたせ、長期的なトレンドを見ることができるように、データの品質をチェックし、補正を行っています。どのような補正を行っているかは、このページで詳しく説明されています。なぜ、補正が必要かというと、観測時刻が変更されたり、観測機器が交換されたり、観測点のまわりの環境が変化したり、観測点そのものが移転したりすることがあるからです。さらに、都市化による昇温の影響も補正する必要があります。

このNCDC のページによると、NCDC が提供するデータセットには4つのバージョンがあります。Raw(観測点の生のデータ)、TOB(観測時刻を補正したもの)、Adjusted(上に述べたような観測点の変化に関する補正を行ったもの)、Urban(最後に、都市化による昇温を補正したもの)です。ここで、ロングの文書に対するもう1つの疑問が出てきます。彼はNCDC の “Raw” と “Adjusted” のデータを比較しているのですが、彼のいう“Adjusted”(補正済みの)のデータは、NCDC のいっているUrban のデータなのでしょうか。もしも、NCDC のいう Adjusted のデータを使っていたとしたら、彼が導きだしたグラフは、そもそもまったく意味がないことになります。

渡辺氏はこうした点もチェックした上で、ロングの結果を『化学』誌上で引用しているのでしょうか?

渡辺氏はロングの結果を用いてNCDC の「データ操作」を指摘した後、「実のところNCDC の上部組織NASAも、地表気温データに同様な補正を施し、温暖化を演出してきた」と書き、あるURL を参考文献として上げています。渡辺氏は、NCDC とは別に世界気温データを提供しているNASA も、同じようなデータ操作をしていると言いたかったのでしょう。渡辺氏の気持ちはわかりますが、それは、2つの理由で不可能です。まず、NCDC の上部組織はNASA ではなくNOAA です。

さらに、渡辺氏が参考文献としているURL は、文献自体ではなく、ある図版を示すものです。そして、渡辺氏は気がつかなかったかもしれませんが、実は、このURL でリンクされている図版は、私がさきほど紹介したNCDC のデータ補正を説明したページにあるものなのです。つまり、この図版は、渡辺氏が主張するようなNASA(あるいはNOAA)のデータ操作の証拠ではなく、NCDC がいかに厳密にデータの補正をしているかを示すものです。渡辺氏はこの図版が掲載されているオリジナルのページを参照することなく、Watts Up With That? の記事で、ロングのグラフの下にこの図版とURL が載っていたために、これを参考文献としたのでしょう。

繰り返しになりますが、懐疑派サイトに書かれていることをすべて否定するわけではありませんが、科学的事実よりも政治的立場が優先されるこれらのサイトの情報を引用する場合には、きちんとした検証が必要です。

世界平均気温に与える都市化による昇温の影響は、ほとんど無視することができることについては、いくつもの査読付き論文で明らかにされています。

渡辺氏はさらに「IPCCgate あれこれ」という項で、IPCC 第4次評価報告書について最近指摘されているいくつかの話題を取り上げています。これについては、また別の機会に書くかもしれませんが、以下の点だけは指摘しておくことが必要でしょう。確かに、IPCC の報告書に間違いはありましたが、そうであっても、人為的に放出される温室効果ガスによって温暖化が進んでおり、このまま温暖化が進めば多くの影響が出るというIPCC の報告書の結論がゆるぐことはありません。
速度制限1万7500マイル
国際宇宙ステーション(ISS)には、現在、13名の宇宙飛行士が滞在しています。ISS の長期滞在クルー6名と、STS-131のクルー7名です。スペースシャトルがドッキングしている間、ISS 上での毎日は特に多忙ですが、そのような中、食事の時間はクルーにとって大きな楽しみの1つです。ISS での楽しそうな食事の光景が送られてきています。

nasa

一番奥にいるのはSTS-131のパイロットのジェームズ・ダットン、右側の3人は奥から野口聡一(ISS 長期滞在クルー)、トレーシー・カードウェル(ISS 長期滞在クルー)、ステファニー・ウィルソン(STS-131クルー)、真ん中はクレイトン・アンダーソン(STS-131クルー)、左の2人はオレッグ・コトフ(ISS 長期滞在クルー)、ミカエル・コニエンコ(ISS 長期滞在クルー)各宇宙飛行士です。

皆が食事をしているのは、ユニティー・モジュールです。ここがユニティーであることをすぐに見分けるこつは、一番奥に見えている黄色の「交通標識」です。

nasa

「工事中注意!」の標識は、現在ISS が建設途上であることを示しています(もうすぐ完成しますが)。その下には、工事中のため「速度制限17500マイル」と書かれた標識があります。これは、ISS の飛んでいる速度を示しています。右側の「28000km/h」はこれをkm 表示に直したものです。アメリカのモジュールではありますが、「マイル」だけでなく「km」でも表示されているのは、いかにも国際宇宙ステーションらしいところです。この速度を秒速に直すと、約7.8km となり、マッハ数では約23になります。
Apollo 13: 40 Years Later
NASA のアポロ13号のページです。
アニメーションでの説明、当時の映像、写真を見ることができます。

nasa_apollo_13
アポロ13号:Failure is not an option
アポロ13号の劇的な帰還に関しては、ヒューストンのミッション・コントロール・センター(MCC)が大きな役割を果たしました。アポロ13号ミッションで、主任フライト・ディレクターとしてMCCのホワイトチームを率いたジーン・クランツは、アポロ13号のクルーとともに大統領自由勲章を授与されています。彼のトレードマークはクルーカットの髪と、ミッションにかかわる人々に敬意を表して着用していたベストでした。

アポロ13号にまつわる言葉として有名なのが ”Failure is not an option”(失敗という選択肢はない)です。この言葉はヒューストンではとても有名で、スペースセンター・ヒューストンに行くと、Tシャツやポストカードなどにこれを使ったスーベニアーがたくさん並んでいます。

”Failure is not an option” は時としてジーン・クランツの言葉とされますが、実際はトム・ハンクス主演の映画『アポロ13』(1995年公開)の制作時に誕生したものです。『アポロ13』は、アポロ13号の船長だったジェームズ・ラベルの著書『Lost Moon』の映画化でした。細部に事実と異なるところがあったり、ハリウッド流の演出が気になる点はあるものの、よくつくられた映画だと思います。私が一番気になったのは、トム・ハンクスが実際のラベル船長にぜんぜん似ていないことでした。

さて、『アポロ13』がつくられる前、2名の脚本家がヒューストンを訪れ、アポロ13号当時のフライト・コントローラーであり、『アポロ 13』のテクニカル・アドバイザーをつとめたジェリー・ボスビックに取材しました。「MCCの人たちというのは、どのような人種なのですか」「パニックになることはあるのですか」といった質問に、ボスビックは「何か悪いことが起きたとき、私たちは冷静にすべての選択肢を考えました。失敗はそれらの選択肢の中にはありませんでした。私たちはパニックになることはありません。解決策を見つけることをあきらめたことはありませんでした」と答えました。

ボスビックの言った ”we just calmly laid out all the options, and failure was not one of them” は、いたく彼らを刺激したようです。「映画のキャッチフレーズはこれだ!Failure is not an option。あとはこれを誰の台詞にするかだ」。こうして『アポロ13』で、ジーン・クランツを演じたエド・ハリス(こちらは本人に似ていました。もっと似ていたのはディーク・スレイトン役のクリス・エリスでしたが)が、”We’ve never lost an American in space and we’re sure as hell not gonna lose one on my watch! Failure is not an option!” と皆に檄を飛ばすシーンが誕生したのです。

”Failure is not an option” が多くの人に勇気を与える言葉であることは間違いないでしょう。ジーン・クランツ自身も、ミッション・コントロールの任務を的確に表現する言葉として ”Failure is not an option” が気に入ったようで、2000年に出版された彼の著書のタイトルに使っていますし、本の中でも、3か所にこの言葉が出てきます。ヒューストンでは、実際には “option” ではなく ”workaround” という言葉が使われますが、この ”workaround” とは「選択肢、別の方法、マニュアルや説明書類には載っていない問題の解決策」であると、クランツはこの本の中で語っています。

Failure is not an option

“Failure Is Not An Option” にはジェット戦闘機のパイロットからNASAの管制官に転身し、多くの有人ミッションを経験したクランツの半生が書かれています。ジョン・グレンのフレンドシップ7 の帰還の際に緊迫した状況があったことを先日書きましたが、この本で、クランツはこのとき地上でどのような動きがあったかをくわしく書き、このミッションはミッション・コントロールにとって大きな転換点になったと書いています。
アポロ13号事故から40年
今から40年前の1970年4月11日、フロリダのケネディ宇宙センターから、アポロ13号が打ち上げられました。アメリカは前年の1969年7月に、アポロ11号による人類初の月着陸を成功させていました。次の12号も1969年12月に月着陸を成功させており、13号が打ち上げられたときには、すでに人々は月着陸に以前ほどの関心を示すことはなく、新聞の見出しも大きな扱いではなくなっていました。

それだけに、ジェームズ・ラベル船長の ”Houston, we’ve had a problem” ではじまる危機的状況は、大きな衝撃でした。新聞やテレビは、アポロ13号の事故を一斉に報道し、世界中の人々がかたずを飲んで地球への帰還を見守りました。私もその1人でした。4月17日、無事に大気圏に再突入したアポロ宇宙船が、雲の合間からパラシュートで降りてくるシーンをテレビで見たときの強烈な印象は、今でも覚えています。

Apollo_13

アポロ13号の事故の原因は、液体酸素タンクの爆発でした。この液体酸素タンクはアポロ司令船・機械船(CSM)のプライム・コントラクターであるノースアメリカン・ロックウェル社の下請けのビーチエアクラフト社が製造したものです。液体酸素タンクにはサーモスタット付きのヒーター、攪拌ファン、温度計などが内蔵されていました。タンクは2基が1セットになって液体酸素タンク棚に置かれ、機械船(SM)のベイ4 という部分に設置されます。

爆発事故を起こした液体酸素タンク2(シリアル番号10024XTA0008)は、ビーチエアクラフト社で検査後、1967年5月にノースアメリカン・ロックウェル社に出荷されました。10024XTA0008はもう1つの液体酸素タンク10024XTA0009と一緒に、1968年6月、アポロ10号の機械船SM 106 に取り付けられました。しかし、その後の検査で不具合が発見されたため、SM106 の液体酸素タンク棚は改修のために取り外されることになりました。ところがその際に、タンクの一部が変形してしまったのです。ただし、この変形は深刻なものとは考えられず、1968年11月、問題のタンク棚はアポロ13号の機械船SM109 に取り付けられ、1969年6月にケネディ宇宙センターに運ばれました。

SM109 に取り付けられた液体酸素タンクには、もう1つ問題がありました。ヒーターについているサーモスタットは当初、28ボルトで作動するものが使われていましたが、その後、設計変更が行われ、65ボルトで作動させることになりました。ロックウェル社はビーチエアクラフト社に65ボルト用のサーモスタットに交換するよう指示していましたが、交換は行われていなかったのです。

ケネディ宇宙センターでは1970年3月16日に、アポロ13号のカウントダウン・デモンストレーション・テスト(CDDT)がはじまりました。このテストはタンクに実際に液体酸素を充填して行います。テスト終了後、液体酸素タンク2 から液体酸素を抜く際に問題が発生しました。タンク内のパイプが変形していたため、液体酸素を十分に抜くことができなかったのです。そこで、タンク内のヒーターで液体酸素を暖め、気化させて抜くという方法がとられることになりました。

サーモスタットは、タンク内の温度が80度F(27度C)になると、ヒーターに流れる電流を遮断し、それ以上温度が上がらないようにするはずでした。ところが、28ボルト用のサーモスタットは65ボルトの電圧では作動しませんでした。このため、タンク内の温度は上昇を続け、作業中に1000度F(538度C)に達したとみられています。その結果、電線を被覆していたテフロンがダメージを受け、電線の一部がむき出しの状態になってしまいました。

タンク内がこうした状態になっていることは、当時、誰も気づきませんでした。アポロ13号の打ち上げ予定日は目前に迫っており、液体酸素タンク棚の交換は不可能でした。そこで、そのまま打ち上げの準備が進められ、4月11日、アポロ13号は発射台を離れました。

地球から32万km も離れ、月に接近しつつあったアポロ13号から、「ヒューストン、問題が発生した」というラベル船長の通信が送られてきたのは、打ち上げから55時間55分が経過したときのことでした。このとき、以下のようなことが起こっていたことが、事故調査委員会で明らかになっています。

打ち上げ後55時間52分30秒、液体水素タンク1 の圧力が低下しました。そこでヒューストンのミッション・コントロールは、このタンクのファンとヒーターのスイッチを入れるように指示しました。司令船パイロットのジャック・スワイガートはこの指示を確認し、スイッチを入れましたが、55時間53分20秒、電流は液体酸素タンク2 のファンをまわすモーターに流れたのです。この瞬間、むき出しの電線がショートして火花が散りました。液体酸素の急激な燃焼がはじまりましたが、この燃焼はテフロンが燃えることでさらに加速されたとみられます。

55時間53分36秒、液体酸素タンク2 内の圧力が上昇しはじめました。55時間54分31秒、液体酸素タンク2 内の温度も急激に上昇しはじめました。55時間54分45秒、液体酸素タンク2 内の圧力は1008psia(約70気圧)に達しました。これらの現象は、液体酸素タンク2 で燃焼が進み、タンク内の温度と圧力が急激に上昇したことを示すものです。

55時間54分53.182秒、X、YおよびZ 軸方向の異常な加速が生じました。55時間54分53.555秒から1.8秒間、アポロ13号からのテレメトリー・データが失われました。55時間54分56秒、液体酸素タンク2の圧力を示す目盛はゼロを示しました。宇宙船の異常な加速とその後のデータの喪失は、タンクの爆発によるものです。ラベル船長たちが爆発音を聞き、異常事態に気づいたのも、このときでした。爆発は機械船のベイ4 の外側のパネルを吹き飛ばし、液体酸素タンク1 にも損傷を与えるほど激しいものでした。

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爆発が起こったとき、スワイガートは自分の座席で計器盤を見ていましたが、ラベルは司令船の下部収納庫でテレビカメラをしまう作業をしていました。月着陸船パイロットのフレッド・ヘイズは月着陸船から司令船に戻るところでした。液体酸素タンク2 の酸素は一瞬にして失われ、液体酸素タンク1 の圧力もどんどん低下していました。機械船の酸素が失われるということは、生命維持および燃料電池による電力供給が不可能になることを意味します。こうして、地球帰還まで司令船の機能を停止させ、月着陸船を救命艇として使うことになりました。

月をまわって地球に帰還する自由帰還軌道にアポロ13号を入れるための最初の軌道修正MCC-4(Midcourse Correction No.4)は、61時間30分に行われました。アポロ13号が月をまわった後、地球帰還を2時間早めて太平洋に着水させるための噴射PC+2hr が79時間28分に行われました。105時間18分には軌道修正MCC-5 が行われました。これらの軌道変更には月着陸船の降下用エンジンが用いられました。137時間40分、大気圏再突入のために最後の精密軌道修正MCC-7 が月着陸船の姿勢制御エンジンを用いて行われました。

司令船に戻ったクルーはまず138時間2分に機械船を切り離して破損の状態を撮影し、次に141時間30分に月着陸船を切り離して、142時間41分に大気圏に再突入しました。こうしてアポロ13号は142時間54分41秒(4月17日午後1時7分41秒EST)に無事、太平洋に着水したのです。
スーパー薬剤耐性菌アシネトバクター
すべての抗生物質が効かない細菌が千葉県の船橋市立医療センターで見つかっていたことがわかり、大きく報道されました。この細菌はアシネトバクターの仲間で、患者は昨年7月、アメリカの病院から転院してきました。すでに退院し、院内感染もなかったとのことです。

アシネトバクターはグラム陰性菌とよばれる細菌のグループに属し、土壌や水などの環境中、あるいは人間の皮膚などに常在しています。いわゆる日和見感染を起こす細菌で、健康な人には影響を与えませんが、重症者や糖尿病患者など免疫力の低下した人に感染すると、肺炎や敗血症などの深刻な症状をもたらし、死に至ることもあります。

acinetobacter_baumannii

アシネトバクターは従来、多くの抗生物質で治療が可能でしたが、近年、複数の抗生物質に耐性を示す多剤耐性株が出現しつつあり、アメリカでは10年ほど前から問題になってきました。この耐性菌の存在を世間に知らしめたのは、イラク戦争に参加した兵士がアメリカ軍の医療施設で集団感染した事件でした。

アシネトバクターによる院内感染は、主に人工呼吸器などにより広がるようです。昨年の末、アメリカの300の病院でアシネトバクターによる院内感染を調査した結果が発表されました。それによると、1999年から2006年の間に、アシネトバクターによる院内感染の発生件数は3倍に増加していました。院内感染というと、多くの病院で感染例が報告されるMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が有名ですが、専門家はアシネトバクターのような新しいスーパー耐性菌が登場することを懸念しています。

院内感染を起こすアシネトバクターのうち、発生例の約80%を占めているのは、アシネトバクター・バウマニという株です。福岡大学病院では2008年10月から2009年1月にかけてアシネトバクター・バウマニによる院内感染が発生しました。この事例では、合計23名が感染しました。韓国で肺炎を発症し、帰国直後に入院した患者から感染が始まり、集中治療室の人工呼吸器を介して感染が広がったとみられています。患者から分離したアシネトバクター・バウマニは、ミノサイクリン、イセパマイシンの2つの抗菌薬では治療可能でしたが、それ以外のほとんどすべての抗菌薬に耐性を示したと報告されています。

今回のアシネトバクターがどのような耐性株であるのか、私はまだくわしいことを知りませんが、おそらくアメリカからもちこまれたのでしょう。同じような事態は今後も起こる可能性があります。こうした強力な耐性菌による感染が発生してしまうと、治療は非常に困難です。院内感染防止のための十分な対策が必要です。
地球中心部の超高圧・超高温状態を実現
海洋研究開発機構(JAMSTEC)、東京工業大学、高輝度光科学研究センター(スプリング8)の研究チームは、レーザー加熱ダイヤモンドアンビル装置を用いて、地球中心に相当する364万気圧、5500℃を実験室内で実現することに成功しました。地球内部を調べるために、これは画期的な成果といえます。

人間が手に入れている地球内部の物質はせいぜい地下200kmくらいまでの岩石です。地球内部の物質がどのような組成をもち、どのような構造になっているかを知るには、超高圧実験がどうしても必要です。2つのダイヤモンドの間に試料を挟んで加圧し、地球内部の物質を実験室内で人工的につくる実験には長い歴史がありますが、深さ2900km以上の金属コアの部分に相当する超高圧かつ超高温を達成するのは困難でした。

レーザー加熱ダイヤモンドアンビル装置は、ダイヤモンドを通してレーザー光を試料に照射し、超高圧・超高温を実現することができます。今回の成功で、地球中心での条件が達成されたわけで、地球内部のあらゆる場所の物質をつくりだすことができるようになりました。ただし、得られる試料は微量なので、分析にはスプリング8 が必要です。

地球深部やコアの物質の状態をくわしく調べる実験は、地球の起源を研究する上で非常に重要な意味をもっています。さらに他の惑星の内部を知る上でも、貴重な情報を提供することになるでしょう。
STS-131、打ち上げ成功
山崎直子宇宙飛行士が搭乗したスペースシャトル、ディスカバリーの打ち上げが予定通り行われました。現地時間6時21分の未明、日本時間では午後7時21分の打ち上げでした。今回のSTS-131ミッションは、スペースシャトルとして通算131回目、ディスカバリーとしては38回目の飛行で、ISS 組み立てミッションとしては33回目になります。

sts-131

いつものように、丸の内オアゾのJAXAi で解説をしましたが、今回は280名の方が来場し、皆さんの関心の高さがうかがわれました。山崎宇宙飛行士にとっては待ちに待った宇宙です。これから2週間、忙しい毎日が続きますが、宇宙を十分満喫してきてほしいと思います。

ISS では3月18日に第22次長期滞在クルーのジェフリー・ウィリアムズとマキシム・ソレオブ両宇宙飛行士が地球に帰還し、かわりに第23次/24次長期滞在クルーのアレクサンダー・スクボルソフ、トレイシー・カードウェル・ダイソン、ミカエル・ユニエンコの3名の宇宙飛行士が4月4日に到着し、6人体制になっています。ここにSTS-131のクルー7名が合流すると、ISS 上に13名の宇宙飛行士が滞在することになります。これは昨年7月の若田光一宇宙飛行士が地球に帰還する際のSTS-127ミッションのときと同じ、ISS での最多人数となります。
クライメートゲート事件:データ捏造はなかった
いわゆる「クライメートゲート」事件に関して調査を行っていたイギリス下院科学技術委員会の報告書が、3月31日に発表されました。結論を先に言ってしまうと、懐疑派の人たちが騒いできたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書のデータ捏造などの事実はありませんでした。

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科学技術委員会の調査は、流出した電子メールの内容の検討や、渦中の人であるイーストアングリア大学気候研究ユニット(CRU)所長のフィル・ジョーンズらからの聞き取りを含めて行われました。報告書は以下の点を結論としています。

・フィル・ジョーンズのメールの中で使われていた「トリック」や「ハイド」という
 ような言葉は、個人的なメールで用いられたいわば業界用語のようなものであり、
 さまざまな事実から判断して、データの捏造や隠ぺいを示すものではない。
・フィル・ジョーンズが、地球温暖化に懐疑的な研究者の論文が学術雑誌に掲載され
 るのを邪魔したという事実はない。
・フィル・ジョーンズらCRU は、自らのデータを他の研究者に公開することを拒ん
 できた。こうした対応は科学界一般に見られることではあるが、気候変動が人類に
 とってきわめて重要な問題であることを考えれば、観測データやそれを解析するた
 めのソースコードは公開されるべきである。研究がイギリス国民の税金を使って行
 われているという点からも、情報は公開されなければならない。

報告書は以上のように、懐疑派の主張には根拠がないと否定する一方、気候変動を研究する科学者の社会的責任はきわめて大きく、情報の透明性を高くすることが重要であり、この点で、イーストアングリア大学やCRU のこれまでの対応には問題があったという点を指摘しています。

LHC での衝突実験はじまる
3月30日13時06分(現地時間)、CERN(欧州合同原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)で衝突実験がスタートしました。「今日は素粒子物理学者にとって素晴らしい日だ」というロルフ・ホイヤー所長の言葉のとおり、これは世界中の多くの科学者にとって、待ちに待った瞬間でした。

LHC は、2000年に実験を終了したLEP(電子陽電子衝突型加速器)の全周約27km、地下100mのトンネルを使用し、超伝導磁石を用いた陽子と陽子を正面衝突させる加速器に改造した装置です。2008年に完成し、9月10日に運転を開始しましたが、同月19日にヘリウム漏えい事故が起こり、運転が再開されたのは2009年11月20日のことでした。同年11月30日には、アメリカのテバトロンがもっていた0.98TeV(テラ・エレクトロン・ボルト)という世界最高エネルギーを更新する1.18TeV が得られました。今年に入って、3月19日に2本の陽子ビームを3.5TeV まで加速することに成功し、30日に、このビームを正面衝突させる7Tev(3.5TeV+3.5TeV)での実験がスタートしたというわけです。

KEK(高エネルギー加速器研究機構)や東京大学ICEPP(素粒子物理国際研究センター)など日本の研究機関は、LHC の2つの大型汎用測定器のうちの1つであるATLAS での実験に参加しています。ATLAS は直径25m、長さ44m、重量約7000tの巨大な測定装置です。

atlas_black

下の写真は建設中のATLAS 測定器です。作業員と比較すると、その巨大さがわかります。

atlas

下の画像は30日にATLAS で観測された陽子衝突現象です。

7tev_event

LHC はこれから18〜24か月間、このエネルギーで連続運転をします。その後、1年ほどの休止期間に入り、その間に2008年9月に起きた事故に関する最後の修理と、最終目標である14TeV(7TeV+7TeV)での運転のための準備を行うことになっています。

LHC での実験の当面の目標は、ヒッグス粒子の検出です。標準理論によれば、素粒子に質量を与えるヒッグス粒子の存在が予言されていますが、これまで見つかっていません。もしもヒッグス粒子の質量が160GeV 付近にあれば、7TeV での実験期間中に発見できるとされています。この実験期間中に超対称性粒子を発見できる可能性もあります。超対称性粒子は宇宙の質量の4分の1を占めるダークマターの有力候補です。

LHC で実験を行うエネルギー領域は、ビッグバン後1兆分の1の状態に相当するといわれています。人類がはじめて足を踏み入れたこの領域で、20世紀の物理学が到達した標準理論は最終的に検証され、標準理論を超えた21世紀の物理学が生み出されていくことになります。

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