口蹄疫:10年前の教訓生かされず感染拡大
5月17日、鳩山内閣は鳩山首相を本部長とする口蹄疫対策本部を発足させました。4月20日に口蹄疫の発生確認と同時に、農水省は赤松農林水産省を本部長とする口蹄疫防疫対策本部を設置していましたが、事態の深刻さにかんがみ、これを「昇格」させたことになります。一方、鹿児島県の東国原知事は18日、同県での感染拡大を止められない状況だとして「非常事態」を宣言しました。どちらも、あまりに遅すぎる対応でした。

事態はすでに、これまでの方法では感染拡大を防止できないところにまで来ており、専門家は、ワクチン接種という、できれば使いたくない選択肢を提案せざるを得ませんでした。19日、政府の口蹄疫対策本部は、発生地の半径10km 以内の家畜にワクチンを接種し、最終的には全頭を殺処分するという対策を発表しました。

宮崎県では10年前に口蹄疫が発生しています。今回の最大の問題点は、このときの教訓が生かされなかったところにあります。

日本で「92年ぶり」という口蹄疫が宮崎県で発生したのは2000年3月のことでした。長い間、発生がなかったにもかかわらず、家畜伝染病の防疫関係者はすでに準備を整えており、3月21日に宮崎県から第一報が入ると同時に、国や県、畜産関係者、獣医師などによる迅速な対応がはじまりました。特に動物衛生研究所は、診断、抗体検査、ウイルスの分離、疫学調査など、防疫対応に重要な役割を果たしました。

2000年3月25日、第1例10頭を「偽似患畜」と診断、翌26日に通行遮断、殺処分、汚染物品埋却を完了。
4月3日、第2例9頭を「偽似患畜」と診断、同日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。
4月9日、第3例16頭を「偽似患畜」と診断、翌10日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。
5月11日、全国のサーベイランスで発見された北海道の第4例705頭を「偽似患畜」と診断、翌12日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。

こうして、口蹄疫の発生は6月9日に終息し、9月26日には、発生からわずか6か月というスピードで、日本はOIE(国際獣疫事務局)からの「口蹄疫に関する清浄国」としての認定を回復しました。このときの教訓として得られたことは、ウイルスの伝染力が弱かったこと、豚に感染しなかったことなど幸運が重なったものであり、今後の口蹄疫発生に十分な準備をしなければならないということでした。

今回も最初の報告とともに対応がはじまり、4月20日に第1例目がPCR 検査で陽性が確認され、家畜伝染病予防法にもとづく防疫措置の対象となる偽似患畜と判断されました。その後の経過をみると、翌21日に第2例目、第3例目が、22日には第4例目が、23日には第5例目、第6例目が偽似患畜と判断されました。特に第6例目には豚2頭が含まれていました。この時点で、発生が間隔を置いており、豚への感染もなかった2000年とは様相が異なり、すでに水面下で感染が拡大していると判断すべきであったでしょう。

しかし、宮崎県や国は対応を現場にまかせ、強力な措置をとるという決断をしませんでした。むしろ、このころ、風評の拡大防止や「人間には感染しない」という国民を安心させるための対応に力点を置いていたようにも見受けられます。その間に、国民の財産が失われる事態が進行していたわけです。4月28日に第2回口蹄疫防疫対策本部が開催されました。ここが、国家的危機管理を発動する最後のチャンスだったかもしれません。

こうした経過で、私が一番気になっているのは、事例発生と同時に、国が、知識や経験が豊富な専門家の協力を積極的に仰ぐことがなかったのではないかということです。昨今、政治主導という言葉がよく使われますが、政治主導で口蹄疫を防ぐことはできません。ワクチン接種にふれた18日の牛豚等疾病小委員会の寺門誠致委員長代理は、2000年の発生時、家畜衛生試験場長として陣頭指揮に当たった人です。こうした専門家の意見を、国が早い段階で受け入れていたら、事態はもっと変わっていたでしょう。

口蹄疫は発生すると経済的な影響が大きいこともあり、OIE では、最も重要な家畜の伝染病と位置付けています。中国、香港、台湾、韓国など日本をとりまく国では最近、口蹄疫が発生しており、日本でも感染牛が発生することは十分予測できました。ウイルスはいくつかの経路で日本に入ってきます。2000年の発生は、中国から輸入された飼料用の藁にふくまれていたウイルスが原因と考えられています。

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