世界の七不思議:アレクサンドリアの灯台があった場所
世界の七不思議の1つとして有名なアレクサンドリアの灯台は、アレクサンドリアの東の湾(東港)の入口部分にあるファロス島に建てられていました。灯台を英語でpharos、フランス語でphare、ドイツ語でPharus、イタリア語でfaro といいますが、これらはみなファロス(Pharos)を語源としています。
アレクサンドリアの灯台は紀元前300年ごろに、プトレマイオス1世の命令によって建設がはじまり、紀元前250年ごろ、プトレマイオス2世の時代に完成しました。以後、1000年以上にわたって海上を照らし、岩礁の多い湾を航行する船の安全を守りました。

当時の建築技術の粋を集めて建設されたこの灯台は、高さが130m に達していたといわれています。石油や薪を燃やし、金属製の鏡で炎を反射させたため、その光は50km 先からでも確認できたと伝えられています。確かに、計算してみると、灯台の頂部が水平線から顔をのぞかせるのは40km 以上先になりますから、この表現はそれほど誇張されたものではないようです。水平線から次第に姿をあらわす灯台を見て、船乗りたちは地球が丸いことを実感したことでしょう。
現在のファロス島は本土とつながっていますが、当時は海に浮かぶ島で、本土とは長い桟橋で結ばれていました。東港には王宮のための船がつく王室専用港もありました。灯台は当時の王宮地区のちょうど対岸にあったので、宮殿からも海上を照らす灯台の光がよく見えたにちがいありません。
796年、この地を襲った地震によって灯台は倒壊してしまいました。その後1480年にスルタンのカイト・ベイによって、廃墟となった灯台の場所に要塞が建設されました。これが現在海軍博物館になっている「カイト・ベイ要塞」で、この砦の基礎は灯台の基礎をそのまま使っているのではないかと考えられています。周辺の海底からは多くの石材や彫像が発見されており、これらが灯台の一部だった可能性もあります。
一方、アレクサンドリア東港の海底調査をしているフランク・ゴディオのチームは、これまでの調査結果から、灯台はカイト・ベイ要塞のある場所よりもさらに先にあった可能性について触れています。東港の入口のちょうど真ん中あたりにある島に、灯台があったのではないかというのです。今後の海底調査で明らかになっていくかもしれません。
1月26日の、東京ミッドタウンのスルガ銀行 d-labo セミナー「古代アレクサンドリアの天文学」でも、この件について少し話をするつもりです。
スルガ銀行 d-labo セミナー
アレクサンドリアの灯台は紀元前300年ごろに、プトレマイオス1世の命令によって建設がはじまり、紀元前250年ごろ、プトレマイオス2世の時代に完成しました。以後、1000年以上にわたって海上を照らし、岩礁の多い湾を航行する船の安全を守りました。

当時の建築技術の粋を集めて建設されたこの灯台は、高さが130m に達していたといわれています。石油や薪を燃やし、金属製の鏡で炎を反射させたため、その光は50km 先からでも確認できたと伝えられています。確かに、計算してみると、灯台の頂部が水平線から顔をのぞかせるのは40km 以上先になりますから、この表現はそれほど誇張されたものではないようです。水平線から次第に姿をあらわす灯台を見て、船乗りたちは地球が丸いことを実感したことでしょう。
現在のファロス島は本土とつながっていますが、当時は海に浮かぶ島で、本土とは長い桟橋で結ばれていました。東港には王宮のための船がつく王室専用港もありました。灯台は当時の王宮地区のちょうど対岸にあったので、宮殿からも海上を照らす灯台の光がよく見えたにちがいありません。
796年、この地を襲った地震によって灯台は倒壊してしまいました。その後1480年にスルタンのカイト・ベイによって、廃墟となった灯台の場所に要塞が建設されました。これが現在海軍博物館になっている「カイト・ベイ要塞」で、この砦の基礎は灯台の基礎をそのまま使っているのではないかと考えられています。周辺の海底からは多くの石材や彫像が発見されており、これらが灯台の一部だった可能性もあります。
一方、アレクサンドリア東港の海底調査をしているフランク・ゴディオのチームは、これまでの調査結果から、灯台はカイト・ベイ要塞のある場所よりもさらに先にあった可能性について触れています。東港の入口のちょうど真ん中あたりにある島に、灯台があったのではないかというのです。今後の海底調査で明らかになっていくかもしれません。
1月26日の、東京ミッドタウンのスルガ銀行 d-labo セミナー「古代アレクサンドリアの天文学」でも、この件について少し話をするつもりです。
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