バイコヌール宇宙基地の建設

0

    Construction of Baikonur Cosmodrome

     

    123日、ソユーズMS-11がバイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。1011日の打ち上げ失敗以来、初の打ち上げとなりました。搭乗していた第58/59次長期滞在クルークルーはロシアのベテラン宇宙飛行士オレッグ・コノネンコさん、カナダのダビッド・サン・ジャックさん、そしてNASAのアン・マクレインさんです。

     

    20181215_01.jpg

     

    JAXAの種子島宇宙センターは今年で初のロケット発射から50周年を迎えましたが、バイコヌール宇宙基地はすでに63年の歴史をもっています。

     

    現在、ソユーズ宇宙船やプログレス補給船を打ち上げているソユーズ・ロケットは、セルゲイ・コロリョフが開発した大陸間弾道ミサイルR-7がオリジンです。そのR-7のために、1954年、ソ連は新しい打ち上げ実験場を建設することにしました。多くの候補地が検討された結果、現在バイコヌール宇宙基地のあるカザフスタンのチュラタムが選ばれました。当時のチュラタムはモスクワとタシケントを結ぶ鉄道の駅とそれに付随した小さな建物が数棟あるだけで、周囲には広大なステップが広がっていました。チュラタム駅からはかつて銅の採掘のために敷設された鉄道が北に伸びていました。

     

    この場所が選ばれた理由は次のようなものでした。

    ・アフガニスタンやイランとの国境から1600km以上も離れていて、西側のスパイが侵入することは不可能。

    ・降水量が少ない。

    ・無人の土地が広がっており、打ち上げたロケットの第1段や第2段の落下場所を確保できる。またロケットが制御不能になって落下しても安全。

    ・ロケット打ち上げ時に追跡管制を行う地上局を打ち上げ場から400km以上離れた場所に設置可能。

    ・鉄道がすでに敷設されていて、輸送が容易。

    ・他の候補地より南にあり、その分だけ打ち上げ時に地球の自転力をよけいに利用できる(これは、特にコロリョフが強調した点でした)。

     

    19551月、先遣隊がチュラタムに到着し、工事が開始されました。工事はまず、サイト1(現在のソユーズ・ロケットの発射台のある場所)へ通じる道路を建設することからはじまりました。195562日、ソ連国防省はチュラタムを新しいロケット打ち上げ実験場とすることを正式決定しました。これがバイコヌール宇宙基地の公式の設立日となったのです。

     

    ロケット発射台のための掘削工事は19556月にはじまりました。この場所を見学した方ならお分かりと思いますが、発射台の場所には巨大なピットが掘削されており、そこに「スタジアム」とよばれた鉄骨とコンクリートの発射台が設置されています。打ち上げの際、ロケットの噴射はこのピットから横方向に曲げられて逃がされます。人類が掘った最大の穴といわれたこのピットの掘削はわずか3か月で完了しました。

     

    20181215_02.jpg

     

    20181215_03.jpg

     

    発射台自体の工事は19557月からはじまりました。打ち上げの際にロケットを支持している構造物が花びらのように開くこの発射台を設計したのはウラジーミル・バーミンです。打ち上げ時の振動テストなどは現地でできないため、バーミンはすべての試験をレニングラードで行い、その後部材を分解して、195610月に鉄道でチュラタムに運びました。同じ頃、チュラタムからサイト1への道路工事も完成しました。

     

    工事は過酷な自然条件の中で行われました。チュラタムの夏は50Cもの高温、冬はマイナス25Cという寒さになります。工兵たちは最初テント暮らしでしたが、数年後にはチュラタム駅の南側、シルダリア川に面した場所に居住用の建物が建設されていきました。ここが発展して、やがてレーニンスクの町ができあがりました。当時は「ザーリャ」(夜明け)とよばれていました。

     

    20181215_04.jpg 

     

    19574月、打ち上げ実験基地は完成しました。発射台、ロケットの最終組み立てを行うMIK、液体酸素用プラント、2か所の追跡ステーション(ヴェガとサターン)などが揃いました。R-7の打ち上げ実験は19575月から始まりましたが、失敗が続きます。R-7はケロシンと液体酸素を使う液体燃料ロットであり、核弾頭ミサイルとして実戦配備するのは困難でした。しかし、R-7195710月にスプートニク1号を打ち上げます。1961年には、ユーリー・ガガーリンを乗せたヴォストーク1号を打ち上げます。こうして、R-7は現在のソユーズ・ロケットへと改良を重ねていきます。

     

    ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行が成功した際、ソ連は打ち上げ基地の場所をチュラタムではなく、「バイコヌール」と発表しました。実際のバイコヌールはチュラタムの北東約370kmにある町でした。当時の地図が下です。ソ連は実際の場所を西側に知られないようにしたのです。もっとも、アメリカはそれ以前に、U-2偵察機によってその場所を正確につかんでいました。

     

    20181215_05.jpg

     

    レーニンスク市は、ソ連崩壊後の1995年にバイコヌール市と名称を変えました。



    calendar

    S M T W T F S
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31      
    << March 2019 >>

    selected entries

    categories

    archives

    links

    profile

    書いた記事数:106 最後に更新した日:2019/02/22

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM