フォトンベルトの源流(1)

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    Origin of Photon Belt Fantasy1

     

    今夜のあるテレビ番組に「フォトンベルト」が登場しました。久しぶりのことです。2004年頃には、書店に行くとフォトンベルト関連の本がたくさん並んでいたものです。このときには、フォトンベルトは古代マヤの暦が予言する2012年の世界の終末と関連付けられて話題になっていました。もちろん、フォトンベルトは荒唐無稽なつくり話です。下は「ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したフォトンベルト」とされた画像ですが、それは間違いで、13000万光年彼方の銀河NGC4650Aです。

     

    20180518_01.jpg

     

    私は以前、フォトンベルトというつくり話がいかにして出来上がっていったかを調べたことがあります。その結果をご紹介しましょう。現在、フォトンベルトについて語っている人々の多くは、この話がどこから来たかを知らないと思います。

     

    「フォトンベルト」とは次のようなものだとされています。

    ・フォトンベルトはプレアデス星団にある。プレアデス星団の星々は、星団で最も明るい星であるアルシオーネを中心にまわっており、太陽もこの星系に含まれる。すなわち太陽もアルシオーネのまわりをまわっている。これを発見したのは、天文学者ホセ・コマス・ソラである。

    ・フォトンベルトは1961年に、「科学者パウル・オットー・ヘッセ」によって発見された。

    ・ドーナツ状のフォトンベルトは、アルシオーネを中心とする星系の公転面と直交しており、ちょうど太陽の軌道のあたりを通っている。太陽はアルシオーネを26000年かけて1周しているので、太陽は13000年ごとにフォトンベルトに入ったり出たりする。太陽がフォトンベルトに入ってからぬけるのに2000年かかる。

    ・フォトンベルトに入らないときは闇の時代であり、ベルトに入ると光の時代がおとずれる。太陽系が完全にベルトの中に入るのは2012年である。

    ・フォトンベルトに入ると、人間や地球は大きな影響を受ける。たとえば、フォトンは生命体を原子レベルから変えてしまい、進化を促進させる。人類は生まれかわり、新しい段階に達する。

     

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    上は、フォトンベルトを説明する際に必ずでてくる図です。真ん中にあるのがアルシオーネで。そのまわりをプレアデス星団の6個の星がまわり、一番外側を太陽がまわっています。これらの星の公転面と直交するリング状のものがフォトンベルトです。太陽がフォトンベルトを出たり入ったりする様子がよくわかる図です。

     

    この図は、オーストラリアのニューエイジ団体が発行していた雑誌『NEXUS19912月号のフォトンベルトに関する記事“THE PHOTON BELT STORY”の中に掲載されていたものです。フォトンベルトという言葉はこの記事によって世界中に広まりました。

     

    この記事はオーストラリアのUFO研究団体AIUFOFSRが発行していた機関誌の19818月号から転載されたものでした。その時の記事のタイトルは“And So Tomorrow”でした。私はAIUFOFSRの主宰者だったコリン・ノリス氏に連絡をとり、この記事の著者である「シャーリー・ケンプ」という女性についてたずねてみました。するとノリス氏から、実際はシャーリー・ケンプという中年女性と大学生の共作であったという返事がきました。フォトンベルトの原稿は、この2人によってノリス氏のもとに持ちこまれたものだったのです。ノリス氏によると、このうち大学生は当時ノリス氏のUFO団体のメンバーでしたが、その後、オーストラリアの原子力研究機関に勤める研究者になったとのことでした。フォトンベルトの記事は物理学に関する部分だけは科学的に正確なのですが、その理由は物理学がこの大学生の専門だったからなのです。彼はこの記事に関わったことを認めていますが、自分の立場もあり、本名を明らかにすることは断りました。もう一人の女性については、ノリス氏は彼女がどうしているかは知らないということでした。なにしろ20年以上も前のことであるからと、同氏は語っていました。

     

    「シャーリー・ケンプ」のオリジナルの記事を読むと、「太陽がアルシオーネのまわりをまわっているのを発見したのは、天文学者ホセ・コマス・ソラである」という個所があります。銀河系の構造を少しでも知っていれば、こんな考えがナンセンスであることはすぐに気がつくでしょう。しかし、宇宙の中心がアルシオーネであり、プレアデスの他の星や太陽がそのまわりをまわっているとする説は、実際に存在したのです。ドイツのヨハン・ハインリッヒ・フォン・メドラー(17941874)が1846年に発表した説です。

     

    メドラーは月面の観測で有名な天文学者で、銀行家ウィルヘルム・ベーアの援助のもとにつくられた「ベーアとメドラーの月面図」(1837年発表)は、当時最もくわしく正確な月面図でした。そのメドラーは1840年、エストニアのドルパト天文台の台長になります。ここでプレアデス星団を観測し、アルシオーネがプレアデス星系の中心だとする説を発表するのですが、もちろん、これは正しくはありませんでした。ロバート・バーナム・ジュニアは『星百科大事典(改訂版)』(地人書館)の中で、これを「天文学史上最も奇妙な誤った解釈の一つ」と説明しています。「アルキオネが宇宙の“中心太陽”だという考えは、いくぶん人気を呼んだが、銀河の構造がわかってくるとともに、2030年の間に、この考えは見向きもされなくなってしまった」と、バーナムは書いています。ホセ・コマス・ソラ(18681937)は小惑星などを観測したスペインの天文学者です。「シャーリー・ケンプ」はメドラーとコマス・ソラを間違えてしまいました。そのため、コマスは不名誉な名前の使われ方をされてしまったのです。



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