アポロ13号:ヒューストン、問題が発生した
Apollo 13:Houston, we’ve had a problem
今から48年前の1970年4月11日、フロリダのケネディ宇宙センターから、アポロ13号が打ち上げられました。アメリカは前年の1969年7月に、アポロ11号による人類初の月着陸を成功させていました。次の12号も1969年12月に月着陸を成功させており、13号が打ち上げられたときには、すでに人々は月着陸に以前ほどの関心を示すことはなく、新聞の見出しも大きな扱いではなくなっていました。それだけに、ジェームズ・ラベル船長の ”Houston, we’ve had a problem” ではじまる危機的状況は、大きな衝撃でした。
上の画像は、事故発生後のヒューストンのミッション・コントロール・センター内の様子です。新聞やテレビもアポロ13号の事故を一斉に報道し、世界中の人々がかたずを飲んで地球への帰還を見守りました。
アポロ13号の事故の原因は、液体酸素タンクの爆発でした。この液体酸素タンクはアポロ司令船・機械船(CSM)のプライム・コントラクターであるノースアメリカン・ロックウェル社の下請けのビーチエアクラフト社が製造したものです。液体酸素タンクにはサーモスタット付きのヒーター、攪拌ファン、温度計などが内蔵されています。タンクは2基が1セットになって液体酸素タンク棚に置かれ、機械船(SM)のベイ4という部分に設置されます。
アポロ13号で爆発事故を起こした液体酸素タンク2(シリアル番号10024XTA0008)は、ビーチエアクラフト社で検査後、1967年5月にロックウェル社に出荷されました。10024XTA0008はもう1つの液体酸素タンク10024XTA0009と一緒に、1968年6月、アポロ10号の機械船SM 106に取り付けられました。しかし、その後の検査で不具合が発見されたため、SM106の液体酸素タンク棚は改修のために取り外されることになりました。ところがその際に、タンクの一部が変形してしまったのです。ただし、この変形は深刻なものとは考えられず、1968年11月、問題のタンク棚はアポロ13号の機械船SM109に取り付けられ、1969年6月にケネディ宇宙センターに運ばれました。
SM109に取り付けられた液体酸素タンクには、もう1つ問題がありました。ヒーターについているサーモスタットは当初、28ボルトで作動するものが使われていましたが、その後、設計変更が行われ、65ボルトで作動させることになりました。ロックウェル社はビーチエアクラフト社に65ボルト用のサーモスタットに交換するよう指示していましたが、交換は行われていなかったのです。
ケネディ宇宙センターでは1970年3月16日に、アポロ13号のカウントダウン・デモンストレーション・テスト(CDDT)がはじまりました。このテストはタンクに実際に液体酸素を充填して行います。テスト終了後、液体酸素タンク2から液体酸素を抜く際に問題が発生しました。タンク内のパイプが変形していたため、液体酸素を十分に抜くことができなかったのです。そこで、タンク内のヒーターで液体酸素を暖め、気化させて抜くという方法がとられることになりました。
サーモスタットは、タンク内の温度が80度F(27度C)になると、ヒーターに流れる電流を遮断し、それ以上温度が上がらないようにするはずでした。ところが、28ボルト用のサーモスタットは65ボルトの電圧では作動しませんでした。このため、タンク内の温度は上昇を続け、作業中に1000度F(538度C)に達したとみられています。その結果、電線を被覆していたテフロンがダメージを受け、電線の一部がむき出しの状態になってしまいました。
タンク内がこうした状態になっていることは、当時、誰も気づきませんでした。アポロ13号の打ち上げ予定日は目前に迫っており、酸素タンク棚の交換は不可能でした。そこで、そのまま打ち上げの準備が進められ、4月11日、アポロ13号は発射台を離れました。
地球から32万kmも離れ、月に接近しつつあったアポロ13号から、「ヒューストン、問題が発生した」というラベル船長の通信が送られてきたのは、打ち上げから55時間55分が経過したときのことでした。このとき、以下のようなことが起こっていたことが、事故調査委員会で明らかになっています。
打ち上げ後55時間52分30秒、液体水素タンク1の圧力が低下しました。そこでヒューストンのミッション・コントロールは、このタンクのファンとヒーターのスイッチを入れるように指示しました。司令船パイロットのジョン・スワイガートはこの指示を確認し、スイッチを入れましたが、55時間53分20秒、電流は液体酸素タンク2のファンをまわすモーターに流れたのです。この瞬間、むき出しの電線がショートして火花が散りました。液体酸素の急激な燃焼がはじまりましたが、この燃焼はテフロンが燃えることでさらに加速されたとみられます。
55時間53分36秒、液体酸素タンク2内の圧力が上昇しはじめました。55時間54分31秒、液体酸素タンク2内の温度も急激に上昇しはじめました。55時間54分45秒、液体酸素タンク2内の圧力は1008psia(約70気圧)に達しました。これらの現象は、液体酸素タンク2内で燃焼が進み、タンク内の温度と圧力が急激に上昇したことを示すものです。
55時間54分53.182秒、X、YおよびZ軸方向の異常な加速が生じました。55時間54分53.555秒から1.8秒間、アポロ13号からのテレメトリー・データが失われました。55時間54分56秒、液体酸素タンク2の圧力を示す目盛はゼロを示しました。宇宙船の異常な加速とその後のデータの喪失は、タンクの爆発によるものです。ラベル船長たちが爆発音を聞き、異常事態に気づいたのも、このときでした。爆発は機械船のベイ4の外側のパネルを吹き飛ばし、液体酸素タンク1にも損傷を与えるほど激しいものでした。
爆発が起こったとき、スワイガートは自分の座席で計器盤を見ていましたが、ラベル船長は司令船の下部収納庫でテレビカメラをしまう作業をしていました。月着陸船パイロットのフレッド・ヘイズは月着陸船から司令船に戻るところでした。液体酸素タンク2の酸素は一瞬にして失われ、液体酸素タンク1の圧力もどんどん低下していました。機械船の酸素が失われるということは、生命維持および燃料電池による電力供給が不可能になることを意味します。こうして、地球帰還まで司令船の機能を停止させ、月着陸船を救命艇として使うことになりました。
月をまわって地球に帰還する自由帰還軌道にアポロ13号を入れるための最初の軌道修正MCC-4(Midcourse Correction No.4)は、61時間30分に行われました。アポロ13号が月をまわった後、アポロ13号の地球帰還を2時間早めて太平洋に着水させるための噴射PC+2hrが79時間28分に行われました。105時間18分には軌道修正MCC-5が行われました。これらの軌道変更には月着陸船の降下用エンジンが用いられました。137時間40分、大気圏再突入のために最後の精密軌道修正MCC-7が月着陸船の姿勢制御エンジンを用いて行われました。
司令船に戻ったクルーはまず138時間2分に機械船を切り離して破損の状態を撮影し、次に141時間30分に月着陸船を切り離して、142時間41分に大気圏に再突入しました。こうしてアポロ13号は142時間54分41秒(4月17日午後1時7分41秒EST)に無事、太平洋に着水したのです。
大気圏に再突入したアポロ宇宙船が、雲の合間からパラシュートで降りてくるシーンをテレビで見たときの強烈な印象を、私は今でも覚えています。
- 2018.04.10 Tuesday
- 宇宙開発
- 20:45
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- by Kazuo Terakado