東日本大震災:地震学者の責任(4)

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    これまで書いてきたように、日本の地震学者は3000億円以上を使っても地震予知を行うことができず、マグニチュード9の巨大地震を想定できず、貞観地震と同じ規模の巨大津波が襲来することを社会に警告できず、東北地方が大津波に襲われる確率は今後10年以内に2%という予測を2002年に行って、2011311日の東日本大震災を迎えてしまいました。

     

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    島崎氏も述べているように、貞観地震に関しては201123月に地震調査会で審議し、4月に公表の予定でした。貞観地震クラスの巨大津波の可能性について、ようやく地震学者の間でコンセンサスが得られ、国の地震対策・津波対策に反映されるというプロセスがはじまろうとしていた矢先に、東北地方太平洋沖地震が起きてしまったわけです。間に合わなくて残念だったという考えもありますが、貞観地震は江戸時代からよく知られていたわけですから、この地震にちゃんと向き合ってこなかった地震学者の怠慢と私は考えています。

     

    地方自治体や民間の防災対策は、国が定めた安全基準や設計基準などにしたがって実施されます。したがって、たとえば東京電力が2011年以前の段階で、科学的評価が不十分なマグニチュード9の地震を想定し、有効な対策を取ることは事実上不可能でした。20111月時点で、福島原発の位置で震度6強以上の揺れになる地震が発生する確率を、地震学者は30年間で0%としていました。2011512日の記者会見で、この件に関する質問があり、島崎氏は次のように答えています。

     

    「地震学者は当時、福島県や房総沖では、太平洋プレートは地震を起こさずにゆっくり動いてユーラシアプレートの下に沈みこんでいると考えていた。福島沖では過去400年間のうち、1938年にだけマグニチュード7前後の地震が3回起きた。それ以外の400年間、マグニチュード7を超える地震は1回も起きていなかった。これをわれわれは、福島県沖ではプレートがするするともぐり込んでおり、ときどきひっかかって地震を起こすと解釈した。それが1938年の3回の地震である。400年間に1回しか起きないわけであるから、30年間の発生確率を計算するとほとんど0%という非常に低い数字になってしまった。ところは、実際はその解釈とはまるっきり反対に、プレートは400年間がっちりとくっついており、エネルギーがたまって、それが今回の地震になった。当時の考えは誤りであった。発生確率0%というのは非常に基本的な誤りの結果であった」

     

    このように、島崎氏は地震学者が福島第一原発を襲う大地震や巨大津波を予測できなかったことを認めました。ところがその後、島崎氏だけでなく、他の地震学者も「東京電力は巨大津波を予測できた」という主張を繰り広げることになりました。

     

    たとえば、津波研究が専門で「長期評価」にも参加した元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣氏は、国と東電に損害賠償を求める裁判で原告側証人として出廷し、「事故の9年前には予測が可能であった。事前の対策は実施できた」と述べています。巨大津波に乗り越えられてしまった東北沿岸の防潮堤の中には、都司氏がアドバイスしたり、設計に参加したものがあったはずです。もしも予測できていたのなら、まずそれらの防潮堤の改修を提案すべきでした。

     

    東日本大震災から7年の節目に、これまで書いてきたような経緯を振り返ると、日本の多くの地震学者は自らの社会的責任を果たすことも、未曾有の大震災に真摯に向き合うこともなかったと、私は考えています。



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