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借りぐらしのアリエッティ
遅くなってしまいましたが、先日、『借りぐらしのアリエッティ』を観てきました。私の関心は、スタジオ・ジブリの中にとどまりながら、スタジオ・ジブリを破壊し、新たな創造を図るという難題に、米林宏昌監督がいかに取り組んだのかという点にありました。よくも悪くも、スタジオ・ジブリは宮崎駿氏が自らのイマジネーションの具現化をスタッフに強制することで成り立っていました。宮崎氏が自らそれに気づき、新たな道へ踏み出したことは、組織論的にも興味がもたれるところです。

宮崎氏に押しつけられた作品のアニメ化ですから、米林監督もやりづらかったろうと思いますが、「脱宮崎」は成功し、限りなくジブリ風でありながら、ジブリではない作品が出来上がりました。私がとくに監督の意気込みを感じたのは、アリエッティの家の内装をはじめとする背景画への尋常ではないこだわりです。宮崎氏以上にディテールに執着したいという監督の宣言のようにも感じられます。また、主人公のアリエッティも、『カリオストロの城』のクラリス以来見なれてきた少女の面影は残していますが、よく見ると別人です。作品の最後近く、旅立ちを決意したアリエッティの毅然とした表情は、宮崎アニメへの決別を告げているかのようでした。

そのような意図はなかったかもしれませんが、この作品が国際生物多様性年に公開されたことは、それなりの意味のあることなのではないでしょうか。なぜなら、アリエッティたちの「借りぐらし」の生活とは、人間と小人との共生の関係が、おそらく人間側の勝手な事情によって崩壊してしまったためにもたらされたものだからです。絶滅に向かう種は、私たちのすぐ身近にもいます。アリエッティたちは新しい家を求めて引っ越していきますが、メアリー・ノートンが原作を書いた1950年代のイギリスの地方都市であれば、アリエッティたちは新しい家を手に入れることもできたでしょう。しかし、2010年の東京では、住むべき場所を見つけることはとても困難になっています。

超自然的な力をもはや失ってはいるものの、アリエッティたちが妖精たちの末裔であることは間違いありません。彼らの世界はどこか別の場所にあるのではなく、私たちの世界に直接つながっています。しかし、その妖精たちも、W・B・イェイツがその物語を採集していた19世紀末でさえ、イングランドからは姿を消しており、アイルランドの古老しか、妖精たちの話をしてくれるものはいなかったのです。

「もし妖精がいなかったなら、アイルランドの農民は、これほど豊かな詩情を持ちえたであろうか」とイェイツは書いています(『ケルト妖精物語』)。私たちにはほとんど見えないけれども、私たちのすぐ近くにある妖精たちの世界は、新しいものをつくりあげようという人に力を与えてくれるのでしょう。米林監督の『借りぐらしのアリエッティ』は妖精たちにも祝福されて、人々の心を打つ作品となりました。

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