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グーテンベルク・エレジー
今年は「電子書籍元年」といわれています。出版界では電子メディアに対する動きが活発になっており、これに関連した書籍も次々と出版されています。私も最近出版された電子書籍やネットに関する本を何冊か読んでみました。

そんな中で、多くの人に読んでほしいと思った本は、岸博幸氏の『ネット帝国主義と日本の敗北』(幻冬舎文庫)です。この本で書かれているアメリカ企業によるプラットフォームの独占や日本におけるジャーナリズムと文化の衰退の危機などは、これまで個別には指摘されてきたことですが、不思議なことに、まとまった形で本になったものは、これまでなかったのです。これらの問題が今までほとんど議論されてこなかったのは、岸氏によれば、「ネット・メディアではネット寄りの報道ばかり」で、「登場する人もネット擁護派の人ばかり」、そして「ネットの自由を拒否する産業や制度は抵抗勢力扱い」といった状況があり、一方、「ジャーナリズムや文化の専門家は、ともするとネットを敵視する主張ばかりを展開」して前向きの議論をしてこなかったからです。ネットは目的ではなく手段なのであるから、ネットを取り込む社会のシステムがどう変わっていくべきかを冷静に考える必要があると、岸氏は主張しています。

ネットにとって都合の良いことばかりが並んだ「ネット擁護派」の本の典型が、佐々木俊尚氏の『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー携書)でしょう。「ネットは目的ではなく手段」という基本認識が欠落し、目前の出来事にとらわれすぎているという印象を受けました。

今、私が読んでいるのは、友人から借りた “The Gutenberg Elegies” という本です。著者はアメリカの批評家スヴェン・バーカーツです。サブタイトルに “The Fate of Reading in an Electronic Age” とあるように、ネットワーク化が進む社会において「読書」や「物を書く」といった、思索と最も緊密に結びついた行為がどのように変容していってしまうのかを考察したものです。

The Gutenberg Elegies

バーカーツは、電子メディアが急速に進歩し、すべてがネットワークで結ばれていくにつれて、世界と私たちとの関係は「広く、しかし浅く」なり、物事について深く考えることが少なくなるのではないか、と指摘しています。画面に表示される文章が、ハイパーテキストによって様々な情報と結びついていく社会は、一見、とても便利に思えますが、紙の本を読む習慣が失われることによって、言語能力の低下、歴史認識の希薄化、アイデンティティーの喪失といった状況がもたらされることを、バーカーツは懸念しているのです。

この本が出版されたのは、1994年のことでした。1994年といえば、インターネットの爆発的な普及のきっかけとなったネットスケープ・ナビゲーターが発売された年です。私たちはまだ電子メールのやりとりをコンピュサーブのようなパソコン通信で行っていました。すなわち、上に述べたバーカーツの懸念は、インターネット時代の前夜に書かれたものなのです。本書でインターネットという言葉が登場するのは、最後のまとめの部分のみです。

「ネット擁護派」の中には、バーカーツの指摘は古い時代へのノスタルジアでしかなく、時代は後戻りすることなく進んでいくと批判する人もいるかもしれません。しかし、私は少し違った考えをもっています。この本が出版されてからというもの、私たちはインターネットや電子メディアの利便性を追求することには熱心であっても、バーカーツの問いを検証し、その答えを出すことはまったくしてこなかったのではないか、ということなのです。そして今年、読書の形態を大きく変えるかもしれない電子書籍の出現を前にして、読書とはいったい何かという根源的な問いに、私たちは直面しているといえるでしょう。

インターネットも電子書籍リーダーも所詮、道具です。黒船のようにやってきた電子書籍それ自体を目的化するのではなく、読書というきわめて知的な行為のネット社会におけるありようをじっくり考えてみるべきです。そうでなければ、グーテンベルク以来の人類の財産は、バーカーツに指摘されるまでもなく、急速に失われていくでしょう。

“The Gutenberg Elegies” は青土社から邦訳が出ていました。『グーテンベルクへの挽歌』(船木裕訳)です。

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