ナスカのミステリー(2):地上絵に一生をささげた女性研究者
Nazca’s Mystery (2):The Lady Who Saved the Lines
ナスカの地上絵は長い間知られずにいましたが、1926年に、この地域の上空を飛んだパイロットによって発見されました。1941年にアメリカ、ロングアイランド大学の歴史学者ポール・コソックが古代の灌漑システムを調査するため、この地を訪れ、地上絵と出会いました。コソックが帰国する際、彼の研究を引きついだのが、当時リマの国立博物館で働いていたマリア・ライヘでした。
マリア・ライヘは1903年、ドイツのドレスデンに生まれました。大学では数学を学び、27歳のときにペルーにやってきました。家庭教師などで生活費を稼ぎ、1937年にリマの国立博物館で働きはじめました。コソックが調査に来たとき、彼女はコソックの現地助手をつとめたのです。1946年、マリアは地上絵の調査を開始し、以後、地上絵の研究と保存に一生をささげました。マリアの研究とその著書“Mystery on the desert”によって、ナスカの地上絵は世界に知られることになりました。
“Mystery on the desert”で彼女はこう書いています。「インカの時代の数世紀前、南ペルーの海岸近くに住んでいた人々は、とても独特なモニュメントをつくった。その大きさと正確な直線は、エジプトのピラミッドを連想させる。しかし、それはピラミッドのように高くそびえているのではなく、幾何学模様が数マイルにわたって平原に広がっているのである。まるで巨人が特大の物差しを使って描いたかのように」。
また、こうも書いています。「リマからチリあるいはアレキパに向かうプロペラ機は、運がよければ、途中でコルディレラ山脈の西斜面に沿って飛んでくれる。地上を見下ろすと、そこには褐色の大地に明るい色で描かれた三角形や四角形、台形などが見える。その多くは飛行場によく似ている。小型機かヘリコプターでもっと低空を飛べば、さらにたくさんの直線や三角形、四角形からなる模様が見えてくる。直線は交差したり、並行に走ったり、放射状に広がったりしながら複雑なネットワークをつくっている。そしてそれらの直線的な模様の間に、動物をあらわす模様がある。それらは高度1500フィートからも明瞭に認められ、その大きさをうかがい知ることができる。これらの線や形が人工的なものであることは明らかだ。それらは何世紀もの間、昔のままで、誰にも発見されずにきた。サイズがあまりに大きいため、地上から見つけることができなかったのだ」。
巨大な地上絵を描くためには、古代人には不可能な高度な技術が必要だという意見もありますが、実際はそれほどむずかしくはありません。まず小さな絵を描き、これを拡大していく方法で描いたのだと、マリアは説明しています。実際、その作業に使われたと考えられる古い杭が埋まっているのが発見されています。
ナスカの人々は、いったい何の目的のために地上絵を描いたのでしょうか? いくつかの考えがあり、中には異星人の宇宙船の発着場という荒唐無稽の説さえあります。マリアは、地上絵は天文現象と関連があり、古代のカレンダーだったのではないかと述べています。その根拠の1つとしてマリアは、描かれた直線の中に、夏至や冬至の日の出、日の入りの方角を示すものがあることを上げています。農耕をいとなんでいた古代ナスカの人々にとって、農作業をはじめる時期を知ることは重要だったと考えられます。
このアイデアは、コソックが調査で訪れた6月21日、南半球の冬至の日に、ある線の延長上に太陽が沈むのを目撃したことにさかのぼります。マリアはさらに、おおぐま座やオリオン座などの星座に関連した線もあるとしています。ただし、無数といってよい線からは、任意の方向の線を選ぶこともでき、この説には困難な面もあります。現在では、研究者の多くは、地上絵は儀式の時に用いた聖なる道ではないかと考えています。また、地上絵の一部は地下水脈の位置を示すものだという研究もあります。
マリアは地上絵を保存するため、ほうきで線をはいてきれいにしていました。いつもほうきを持っていたため、マリアは魔女であるという噂がでるほどでした。
1994年、ナスカの地上絵は世界遺産に登録されました。マリア・ライヘは1998年に95歳で亡くなり、遺体は地上絵の近くに埋葬されました。
- 2018.01.17 Wednesday
- 古代文明・考古学
- 14:55
- -
- -
- by Kazuo Terakado