武漢ウイルス研究所で何が行われていたか
新型コロナウイルスが人工のウイルスであるかどうかは結論がでていません。しかし、この説の真偽とは別に、武漢ウイルス研究所でヒトに効率的に感染するSARS関連ウイルスが研究されていたことは間違いありません。発表されている論文から、どんな研究だったかを考察してみましょう。
考察の出発点となるのは、2015年11月9日に『ネイチャー・メディシン』誌のサイトで発表された”A SARS-like cluster of circulating bat coronaviruses shows potential for human emergence”(コウモリのコロナウイルスのSARSに似た集団は、人間界への出現の可能性を示す)という論文です。この論文は武漢ウイルス研究所の石正麗(Shi Zhengli)らと、ノースカロライナ大学のラルフ・バリックのグループとの共同研究の成果を述べたものです。論文投稿日は2015年6月12日ですので、研究はそれから数年前にさかのぼって開始され、おそらく2014年中には終わっていたと推測されます。
SARSウイルスや新型コロナウイルスは、表面にスパイクとよばれるタンパク質の突起をもっています。これがヒトの細胞のACE2という受容体に結合します。この研究では、SARSウイルスをベースに、SARSウイルスによく似たSHC014-CoVというウイルスのスパイクタンパク質を挿入して、キメラウイルスを作成しました。培養されているヒトの細胞にこのキメラウイルスを作用させたとこと、ウイルスはヒトの細胞に感染し、ウイルスの増殖がみられました。また、ヒト化マウス(SARSウイルスが結合するヒトのACE2受容体をもたせた実験用マウスのこと)に作用させたところ、マウスの肺にSARSと同じような症状があらわれたと報告されています。こうした結果から、論文は、現在コウモリの集団で循環しているウイルスから新たなSARSウイルスが出現する可能性があると述べています。
この研究で用いられたのが、ゲイン・オブ・ファンクション(機能獲得)でした。将来パンデミックをもたらす危険性のあるウイルスをあらかじめ人工的に作成し、その性質や予防手段を研究するのです。
ゲイン・オブ・ファンクションでウイルスの感染性を高める研究では、ACE2に効果的に結合するスパイクを見つけることに焦点が集まっています。この論文の研究では、ベースとなるSARSウイルスのスパイクタンパク質を別のさまざまなウイルスのスパイクタンパク質に置き換える実験が行われました。SARSウイルスと他のコロナウイルスのスパイクとの多数の組み合わせを細胞培養で継代を繰り返し、より効果的にヒトに感染する組み合わせを選別していきます。こうした研究では、おそらく、SARSウイルス以外のSARSに似たウイルスをベースにした実験も行われたでしょう。
この研究に至るまでにはどういう経緯があったのでしょうか。
2002〜2003年に流行したSRASが収まった後、武漢ウイルス研究所の石ら中国の研究者はヒトに感染する新しいコロナウイルスの研究に着手しました。2008年に発表された論文では、研究者たちはSRASに似たコウモリのコロナウイルスに、SARSウイルスのスパイク部分のタンパク質を挿入する実験を行いました。すると、このキメラウイルスはヒトのACE2に結合して細胞に侵入することができることが示されたのです。
また2010年に発表された論文では、他のコウモリのウイルスについても、ヒトへの感染能力が調べられました。こうした研究はSARSウイルスの前駆ウイルスを探す上でも有効と述べられています。
一方、バリックのグループは2008年に、SARSによく似たコウモリのウイルスのゲノムを用い、そのRBDの部分をSARSウイルスのRBDの配列に置き換える実験を行った結果を発表しています。RBDとはウイルスのスパイクのうち、ACE2受容体に結合する部位のことです。実験の結果、バリックらは、このゲノムがヒトに感染する能力をもったと報告しています。
上に紹介した3つの研究はどれも、その目的がSARSよりも感染力の高いウイルスを人工的につくろうという点で共通しており、2015年に論文となった研究の先駆的な研究といえます。こうした経緯があって、武漢ウイルス研究所とバリックのグループの共同研究が行われたのでしょう。研究資金の一部はNIAID(国立アレルギー感染症研究所)から出されていました。
ところで、この2015年の論文の終わりの部分には、きわめて興味深い記述があります。すなわち、「こうしたアプローチは、合衆国政府のゲイン・オブ・ファンクション研究のモラトリアムの文脈の中で語られるものである」というのです。明らかに、この研究の続きをアメリカ国内で行うことはできませんでした。
そこで、石らがその後の研究を武漢ウイルス研究所内で行うことになったのです。バリックらとの共同研究で、石らは研究に必要な技術をすべて学んでいました。NIAID所長のアンソニー・ファウチはNIAIDの研究資金をピーター・ダシャックのエコヘルス・アライアンスを通じて提供することにしました。
その後、武漢の研究所でどのような研究が行われたのか、詳細を知ることは困難です。おそらく、研究資料やウイルスサンプルなどはすべて他の場所に移され、サーバーに載っていた関連資料もすべて削除されているでしょう。
しかし、そうであっても、武漢ウイルス研究所の研究者以外で、研究の詳細を知っているはずの人物が少なくとも1人います。それはダシャックです。彼は2019年12月、まさにパンデミックがはじまる直前に行われたインタビューで、次のように語っています。「われわれはSARSに非常に近い100を超える新しいSARS関連コロナウイルスを発見しました・・・それらのいくつかは実験室でヒト細胞に入り、それらのいくつかはヒト化マウスのSARS疾患を引き起こすことができます」。ダシャックはさらに、スパイクのタンパク質を他のウイルスに入れる実験についても触れています。
武漢ウイルス研究所で、できる限り人間に危険なウイルスをつくる研究が行われていたことは間違いありません。ただし、新型コロナウイルスがその産物なのか、それとも自然界のコウモリからやってきたものなのかは明らかになっていません。
- 2021.06.03 Thursday
- 生物学・医学
- 02:22
- -
- -
- by Kazuo Terakado