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ブリューゲルの『バベルの塔』:天空に伸びるアーチ
Bruegel’s “The Tower of Babel”:Arches toward the sky

24年ぶりに来日したボイマンス美術館の『バベルの塔』を見てきました。ウィーン美術史博物館の『バベルの塔』が、建設がはじまってからそれほどたっていない時期を描いているのに対して、ボイマンス美術館の『バベルの塔』ではすでに長い年月にわたって工事が行われてきたことは、以前ここにも書きました。下層の煉瓦の色がすでに風化してくすんでいるのに対して、工事中の最上部では煉瓦の色がまだ赤いことが、それを示しています。

この作品を改めて見ると、その細部の描きこみに驚かされます。会場には東京藝術大学によって約3倍に拡大された複製も展示されていました。そのサイズにしてようやくわかるほどの細かい描写です。

今回、この作品の細部を見て特に印象に残ったのは、塔最上部での工事風景でした。

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ブリューゲルの『バベルの塔』は、彼がローマで実際に見たコロッセウムのアーチ構造を参考にしていることは間違いありません。コロッセウムのアーチは3層ですが、『バベルの塔』では第7層が工事中で、さらに天空に伸びようとしています。また塔の内部を見ると、このアーチ構造は同心円状になって塔全体の構造を支えていることがわかります。

ブリューゲルはアーチをつくるための木組みや多数の作業員を描いており、塔はさらに上に伸びようとしています。無限に増殖を続けるかのようなアーチの集積を描くことによって、彼は天空を目指す人間の欲求、あるいは業というべきものを表現しているように思われます。
ユベール・ロベール:時間の庭
Hubert Robert:Les Jardins du Temps:Arcadia seen through ruins

国立西洋美術館の「ユベール・ロベール――時間の庭」展を見てきました。

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今でこそ、「廃墟のロベール」を知る人は多くなりましたが、廃墟についての書籍が出版されたり、研究論文や評論が発表されるようになる前は、多くの人が私と同じように、建築関係の本からピラネージを知り、彼との関連でパニーニやクロード・ロランなどとともにロベールの名前とその作品の一部を知るにとどまっていたのではないでしょうか。クロード・ロランはすでに国立西洋美術館で立派な展覧会がおこなわれていますが、ロベールの作品が日本でこれだけ体系的に展示されるのは、はじめてのことです。

ロベールは絵画の勉強のために1754年から11年間ローマに滞在し、古代からの建築物や草木に埋もれた遺跡を描いてまわりました。今回の展示では、この時代の素描が数多く展示されており、彼の廃墟画の原点を確認することができます。

クリストファー・ウッドワードの『廃墟論』(青土社)によると、フランスにもどったロベールが次々と発表する廃墟画に、ディドロは時間と世界に関する深遠な意味を見出しました。しかし、ロベールは「もともとが暖かい心の持ち主で、人好きのする男だった。そのために、ディドロが廃墟に対して抱いた哲学的な意味合いを、ともに分けもつことなど、とてもできる男ではなかった」と、ウッドワードは書いています。ロベールが量産する作品は、イタリアで見てきたティヴォリのシビラ神殿をさまざまにモディファイし、さらにまわりの風景や人物にも多様なバリエーションを加えるといったものでした。「彼にとって朽ち果てていく壮大な風景を描くことはひとえに、夕方、妻が舞踏会に着ていくシルクのドレスを新調するお金を稼ぎ出すためだった」。

もちろん、これは彼の作品に対する否定的な見解ではありません。むしろ、彼自身の廃墟のコンセプトがすでに確立していたことを示すエピソードといえます。今回出品されている≪マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観≫などには、彼の廃墟に関する深い考察が秘められているように思われます。また、≪古代の廃墟≫や≪アルカディアの牧人たち≫からは、彼にとっての廃墟とは、朽ち果てていく古代の建築物の姿ではなく、時間の経過の中で人工物と自然、神話の世界と現実の人間世界が調和したアルカディア(理想郷)であったことを知ることができます。それがゆえに彼の作品は、古代からの石づくりの廃墟をもたない私たち日本人にも、どこかなつかしい印象を与えるのでしょう。

「ロベールの廃墟に暗い低音が導入されるようになるのは、フランス革命の時期まで待たなくてはならない」と、ウッドワードは書いています。ロベールは1793年に革命政府によって捕えられ、1年近く投獄されてしまいます。今回の展覧会には、ロベールが獄中で皿に描いた絵も展示されています。

投獄された時期をはさんで、ロベールはルーヴル宮殿が美術館になるために大きな役割を果たしました。今回の展覧会には出品されていませんが、ロベールは1796年に≪廃墟となったグランド・ギャラリーの想像上の光景≫を発表しました。これは自らがかかわっていたルーヴル美術館のグランド・ギャラリーが、未来に廃墟となった姿を描いたものです。彼がこの絵にどのような思いをこめたかはわかりませんが、ここにはウッドワードのいう「暗い低音」が響いているのかもしれません。ロベールはこの作品で、廃墟の概念に、現在から未来へいたるベクトルを加えました。

ロベールは庭園の設計も行っています。彼の描いた廃墟(あるいはアルカディア)は実際に庭園となり、その庭園がふたたび絵画になりました。≪メレヴィルの城館と庭園≫はそのような作品であり、私はこの絵の前でしばらくたたずんでしまいました。穏やかな色彩の中に庭園が広がり、画面の右手奥にはシビラ神殿をモチーフにした神殿が見えています。そこはまさに、この展覧会の題名となった「時間の庭」でした。

なお、版画素描展示室ではピラネージの『牢獄』展も開かれていて、ロベール展の入場券で入ることができます。
ブリューゲル(2):構図の幾何学的中心について
Brueghel (2):Geometric centering in composition

ペーテル・ブリューゲル(父)はバベルの塔を少なくとも3度描いたといわれています。最も知られているのはウィーンの美術史美術館所蔵の『バベルの塔』で、ブリューゲルの画集でも、まず収められるのはこの作品です。2つ目は、ロッテルダムのボイマンス美術館に所蔵されている『バベルの塔』です。3つ目は記録だけで、作品自体は残っていません。

ウィーン版の『バベルの塔』は1563年に描かれたもので、サイズは114×155cm です。バベルの塔は建設途上にあり、画面の左下には天に届く塔の建設を命じたバビロンのニムロデ王が描かれています。画面右下には大型の船がつく港があります。雄大なバベルの塔は巨大な岩山を基礎にしてつくられているのがわかります。建設には長い年月がかかっているため、上層の煉瓦はまだ赤い色ですが、下層の煉瓦はすでに変色しています。建設の様子が細かく描きこまれていて、それを見ているだけでもあきません。

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ロッテルダム版の『バベルの塔』は1568年頃の制作とされていて、ウィーン版に比べると建設工事はかなり進んでいます。ニムロデ王の姿はすでになく、画面のほとんどを塔の偉容が占めています。ブリューゲルの頭の中には、バベルの塔とその周囲の風景についてのきわめて具体的なイメージがあったに違いありません。よく見ると、ウィーン版とはアングルが少し変わっていて、ウィーン版より少し左側から描いたものであることがわかります。そのため、塔の左側の背景にも海が見えてきて、遠近感が増しています。ただし、ウィーン版で描かれていたバビロンの町は描かれていません。

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1993年に池袋のセゾン美術館で「ボイマンス美術館展」が開催された際、このロッテルダム版の『バベルの塔』が特別出品されました。60×75cm とウィーン版にくらべて小ぶりであるにもかかわらず、驚くほど細密に描きこまれたこの作品を間近からじっくりのぞきこんだとき、私にはブリューゲルという画家は構図に非常に厳格で、特に画面の幾何学的中心を重視していたのではないかという疑問が浮かびました。その疑問に対する答を追求することなく18年がたってしまったのですが、『ブリューゲルの動く絵』を見て、十字架を運ぶキリストが画面の中心に小さく描かれているのを再認識したとき(もちろん私はそれまで何度も『十字架を担うキリスト』を見ていたのですが)、18年前の疑問を思いだしたというわけです。

ロッテルダム版の『バベルの塔』の画面中心には小さく、赤い天蓋の行列が描かれていました。下の画像ではうまく表現されていませんが、天蓋の赤はきわめて鮮やかです。

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ウィーン版の『バベルの塔』では塔はまだ建設途上ですが、ロッテルダム版ではすでにスロープを登っていく人たちがいます。つまり、人間が天に足を踏み入れようとする時代に入っているのです。とすれば、これは、神が人間の言葉をばらばらにして、塔の建設を止めさせる直前の光景であるといえます。バベルの塔は人間の傲慢をあらわす象徴とされています。赤い天蓋の行列は聖職者(ローマ教皇)の一行と考えられ、当時のカトリック教会に対するブリューゲルへの批判がこめられていると指摘する人もいます。それが正しいかどうかは別にしても、ブリューゲルがこの赤い天蓋の行列に特別の意味をこめているのは間違いないでしょう。

いくら小さくとも、ブリューゲルの絵画の主題は画面の中心に描かれているという視点から他の作品を見てみると、いろいろ気づくことがあります。ここでは、いくつかの例を示しましょう。

下は『死の勝利』で、中心に痩せた馬に乗り、大きな鎌をふるう「死」そのものが描かれています。

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下は『反逆天使の転落』で、画面の中心にはこの絵の主人公の大天使ミカエルがいますが、正確な中心は剣を振り上げたミカエルのすぐ前の空間にあります。このわずかなずれが画面全体に動きを与えています。

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下は『ベツレヘムの戸籍調査』です。この作品の中心は明らかに雪の中で動けなくなった荷車であり、ここにブリューゲルの何らかのメッセージがこめられているはずです。

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下は、ブリューゲルの最後の作品とされている『絞首台の上のかささぎ』です。中心は絞首台にあります。

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伝えられている原タイトルにもかかわらず、ブリューゲルが描きたかったのは、エッシャー風に現実にはあり得ない形にねじれた「絞首台」そのものであり、かささぎは絞首台に効果的なアクセントを与える存在だったのではないでしょうか。
ブリューゲル(1):『ブリューゲルの動く絵』
最近観た映画の中で特に印象に残ったのはレフ・マイェフスキ監督の『ブリューゲルの動く絵』でした。

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キリストの受難を題材にしたペーテル・ブリューゲル(父)の『十字架を担うキリスト』は、キリストの生きていた時代と場所と、ブリューゲルが生きた16世紀のフランドル地方という2つの時空を重ね合わせた作品です。『ブリューゲルの動く絵』はその世界が動き出し、それを21世紀の私たちが見るという3重構造になっています。

『十字架を担うキリスト』は124×170cm というサイズで、ここにブリューゲルは数百人もの人物を描きこみました。キリストがゴルゴダの丘にひかれていくというのに、それに関心のない人たちも多くみられます。宗教画で何度も描かれてきた主題と、農民たちの日常が入り組む世界は、おそらくこの作品にこめられたメッセージと密接に結びついているのでしょう。

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手前に描かれている岩と植物、馬の頭骨、そしてブリューゲルの時代よりも少し古い中世風の服装をした聖母マリアたちには、その向こうに広がる世界を俯瞰し、何らかの意味づけをする役割が与えられているようです。頂上に風車のある岩山は、ブリューゲルがイタリアを旅行したときに見たアルプスの山岳風景が参考になっています。画面の一番右にはブリューゲル自身と彼の作品を集めていた画商ニクラース・ヨンゲリンクが描きこまれています。この作品にはブリューゲルのさまざまな意図が隠されていて、それがこの作品の魅力になっています。

映画の原タイトルは “The mill & the cross” で、岩山の上の風車が重要な意味をもっています。風車の形状自体が十字架であり、高みから地上を見下ろす神の視点を表現しています。また風車によって動かされる巨大な木製の歯車が、時の流れを駆動しています。

マイェフスキ監督は絵画に登場する人物の日常生活を描きながら、キリストの受難を描いていきます。絵を動かすためには、実写に加え、ブルーバックで撮影した俳優たちの演技、マイェフスキ自身が描いた背景画の前での演技をコンピューター上で合成する方法がとられました。このポスト・プロダクションには2年半がかかり、クライマックスのシーンでは147のレイヤーが用いられたとのことですから、ブリューゲルの描いた1枚の絵を自然に動かすには、最新のテクノロジーをもってしても、驚くほどの作業量が必要だったことになります。

『ブリューゲルの動く絵』が映画としてすぐれた作品であることは言うまでもありませんが、「絵画に描かれた世界に入りこんでみたい」という多くの人がもつ願望に応えるものでもあり、絵画を楽しむ新しい手法としても興味深いものです。

『十字架を担うキリスト』では、キリスト自身はきわめて小さく描かれていて、一見すると、どこにいるのかわからないほどです。しかし、その位置は画面の正確な中心にあり、その小さな1点からすべての物語がくり広げられていく構図となっています。

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『ブリューゲルの動く絵』では、ブリューゲルがこうした構図のアイデアを得るシーンが描かれています。そして、このシーンを見た瞬間、私は18年前に抱いた疑問を、突然思い出したのでした。
ヒエロニムス・ボス『快楽の園』:あらゆるものが描かれた時代
『快楽の園』に限ったことではありませんが、ボスの作品では現実の生物があらゆる変容を遂げてあらわれてきます。トカゲやカエルのようにもともと不吉な存在と考えられていた生物だけでなく、家畜や鳥や昆虫、ときには人間までもが悪夢のような姿に変身してしまいます。しかも、こうした生物は驚くほどの存在感をもっています。

下の写真は、以前、アムステルダム空港のショップで買った『快楽の園』に登場する奇怪な植物や動物たちのフィギュアの一部ですが、まるで本当に絵画から飛び出してきたかのようで、3次元の物体になっても、何の違和感もありません。

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ボスは、カトリック教徒として、地上のあらゆるものが邪悪なものに変容する可能性を秘めていると考えていたのではないでしょうか。奇形やキメラの産物であるボスの生物たちは、誤った発生の過程をたどったために生じたものですが、それは外部の何者かの操作の結果ではなく、生命自身が内包する因子によってあらわれたのです。ボスにとっては単なる空想の産物ではなく、実際に存在し得る生命の一形態と考える方がいいかもしれません。

これだけのイマジネーションは、いかにして可能になったのでしょうか。それは『快楽の園』の明るい色彩と無関係ではありません。珊瑚色の植物も、男女の白い裸体も赤い果実も、どれもが中世の暗い雰囲気を脱した色をもっています。しかしこれも、ボスがレオナルド・ダ・ヴィンチとほぼ同じ時代を生きた人物だということを考えれば、容易に理解できるでしょう。イタリアでルネッサンスが花開く時代、ヨーロッパの辺境でも北方ルネッサンスがはじまろうとしていたのです。ボスの描く裸体が、ボッティチェリの『春』の女神たちに負けない輝きを放っているのも当然といえるでしょう。

ボスが生きたのは、長く続いた中世が衰えていく時代でした。ホイジンガが『中世の秋』に書いた時代です。教会の支配は続いていましたが、新しい価値観が少しずつ力を蓄えつつあり、宗教改革が間近に迫っていました。一つの時代が終わろうとしているときにあっては、古い時代の観念を新たな想像力で視覚化することが可能でした。ボッスの作品は幻想絵画として比類ないものですが、おそらく彼の時代にあっては確固たるリアリティーをもっていたに違いありません。一見すると異端のようでありながら、実は歴史の必然でした。

「まさに、爛熱の季節、凋落の時であった」と、ホイジンガは書いています。「思考は、まったく想像力によりかかり、・・・およそ、ありとあらゆる想念が、かたちに刻まれ、絵に描かれたのである。」(中公文庫『中世の秋』、堀越孝一訳)
ヒエロニムス・ボス『快楽の園』:あり得たかもしれない遠い時代の記憶
昨日のテレビ東京の「美の巨人たち」ではヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を取り上げていました。

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ボスがどのような画家だったのか、あまりよくわかってはいませんが、彼はその生涯をネーデルランド、ブラバント地方のス・ヘルトーヘンボスという町で送りました。生れたのは1450年ごろ、没年は1516年とされています。彼の祖父も父も画家でした。中世の伝統的な工房で、彼は絵画の手法を学んだのでしょう。

ボスの作品として現在残っているものは40点ほどですが、その中で最も有名で、かつ美術史上の最大の謎とされているのが、『快楽の園』です。マドリッドのプラド美術館所蔵のこの祭壇画は、中央および左右のパネルからなる三連画です。おびただしい数の人間と不思議な生物、そして異様な風景が描かれており、まるでフラクタル図形のように、細部をいくら拡大しても、その豊饒なイメージがつきることはありません。ボスの他の作品と同じように、全体の構成からディテールにいたるまで、そこには数えきれない暗喩がこめられていて、現代においてはもはやすべてを解読することは不可能です。

左パネルのエデンの園では、創造主がアダムのためにイブをつくるシーンが描かれています。しかしその足元には暗い池があり、異形の動物たちがはい上がってきています。池の中に浮いている真っ黒な生物は書物を読んでおり、おそらくは異端の思想を象徴しています。珊瑚色をした「生命の泉」のある池からも、不気味な両生類がはいだしています。背後の不思議な山の空洞からは黒い鳥の群れが飛び立ち、画面全体に不吉な予感を加えています。

中央パネルでは、裸の男女の群れが動物や植物の間でたわむれています。彼らがアダムとイブの末裔であることは間違いないでしょう。この中央パネルに描かれているすべてが、欲望の罪の暗喩であるはずです。しかし、すべてが罪であるとすれば、この無垢の明るさは何なのでしょうか。人々の表情はむしろ安らかで、何かを夢みているようにさえ見えます。はげしい感情や欲にとらわれた人間の表情を、あれだけたくみに描くことのできるボスが、なぜ、ここでは人々をまるで罪を知らないかのように描いたのでしょうか。『快楽の園』の最大の謎はここにあります。

右パネルは地獄の光景で、ここではボスの作品でおなじみの、ありとあらゆる奇怪な生物が登場します。

ボスは『快楽の園』で何を描きたかったのでしょうか。手がかりはいくつかあります。1つは中央パネルの風景が(そしておそらくは右パネルの風景もが)左パネルにそっくりなことです。もう1つは、ボッスの他の三連画『最後の審判』や『乾草車』の左パネルには描かれている楽園追放のシーンが、この作品の左パネルでは描かれていないことです。さらに中央パネルの男女が自らの裸体に羞恥を感じていないことにも注意すべきでしょう。

彼らはまだ禁断の果実を食べていないのです。つまり、『快楽の園』の舞台は、アダムとイブが追放されることのなかったエデンの園であり、原罪を知らずに地に満ち、ノアの洪水を経験することのなかった人間のもう一つの歴史が描かれていると、私は考えています。

ボスが描きたかったのは、人間世界の多様なありようだったのではないでしょうか。私たちの知っている歴史はひと通りしかありませんが、別の歴史もあり得たはずです。まして真実と罪とが未分化だった人類の神話時代にあっては、どのような世界を考えることも可能なはずです。そこでは人間はずっと楽園で暮らしていたかもしれないし、その楽園に突然おそろしい終末が訪れることがあったかもしれません。『快楽の園』はボスにとって、消えかけた人類の記憶の再現、あるいは別の歴史のシミュレーションだったのではないかと、私は考えています。そうであればこそ、この祭壇画を閉じた扉に、きわめて印象的な天地創造の場面が描かれたのではないでしょうか。

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透明な球の中で今、海と陸地が分かれつつあります。人類が登場するにはまだ相当の時間がかかる、太古の地球の姿です。
新しい塔、新しい時代
墨田区に建設中の東京スカイツリーはすでに高さ318m に達し、間近からは、すでに1枚の写真には収められなくなっています。

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映画『ALWAYS 三丁目の夕日』では、建設中の東京タワーが登場していました。人々が暮らす街の向こうで、次第に高さを増すに東京タワーは、日本が戦後の復興から高度成長へと入っていく時代の象徴でした。人々は空に向かって伸びていく東京タワーに明日への希望を重ね合わせていたのです。今、私たちは東京スカイツリーにどのような思いを託そうとしているのでしょうか。

都市に新しく登場する塔は、いつも、新しい時代の象徴という役割をになってきました。

1987年、パリのマルス広場に巨大な鉄の構造物が建ちはじめたとき、やがてこの塔がパリのシンボルになると予想した人は、それほど多くはなかったようです。ほとんどの人にとって、この塔は長い歴史をもつ文化都市パリには相いれないもののように思え、芸術家たちは「無益にして醜悪」「パリの恥」「めまいがするほどに愚劣な塔」と、建設に反対しました。

当時の写真が残っていますが、これを見ると、工事中のエッフェル塔は19世紀に突然出現したバベルの塔にも似ています。誰もがはじめて見る光景でしたから、人々の反応は当然ともいえます。

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しかし、設計者のギュスタヴ・エッフェルにはいまだ姿を現さないものが見えていたのです。エッフェル塔がパリの景観を壊すという批判に対して、新しい技術は新しい美をもたらすのだと、エッフェルは反論しました。「皆さんよろしいですか。その塔は、まだ出来上がっていないのですよ。誰もまだ、実際に見ていないのですよ・・・」

当時、エッフェル塔は人々の想像を絶する構造物でした。まず、その高さです。エッフェル塔が目指したのは300m という、それまでどのような人工の構造物も到達したことのない高さでした。クフ王のピラミッドの高さは146m、ローマのサンピエトロ大聖堂は138m、ロンドンのセントポール大聖普は110m、ケルンの大聖堂は159m。エッフェル塔の少し前に完成したワシントンのオベリスクは高さ183mを目指しながらも169m にしか届きませんでした。高さ200m の塔も実現できていない時代に、エッフェル塔は、一挙に300m を目指していたのです。

エッフェル塔は1889年に開かれたパリ万博のためにつくられたものです。この年はフランス革命100年を祝う年にもあたっていました。フランス国家の力と栄光を示すには、超弩級のモニュメントがどうしても必要でした。

エッフェル塔のもう1つの特徴は、それが「鉄」の構造物だったことです。産業革命は「鉄による革命」でした。安く大量に生産される鉄が、中世以来のヨーロッパ社会を根底から変えていきました。構造材としての優れた特長によって、鉄は建築や土木の分野にも進出していきます。そのような時代の到来を告げるものが、世界最初の万国博覧会である1851年のロンドン万博に登場したクリスタル・パレス(水晶宮)でした。鉄とガラスの建築クリスタル・パレスは、石造りの建築では不可能だった広く明るい空間を初めて実現したのです。

鉄を使えば、石造りでは不可能な高さの追求も可能と考えられました。石の構造物は高さが増すにつれて自重が増大し、最後には自分自身を支えきれなくなってしまいます。300m の塔をつくるとしたら鉄を使うしかないことは明らかでした。エッフェルは、鉄骨構造物の分野で幾多の実績をもつ技術者として知られていました。彼はドゥロ橋とギャラビ橋という2つの長大橋を完成させ、鉄骨のアーチによって大空間をまたぐ技術を獲得しました。この技術を垂直方向に応用すれば、世界一の塔が可能となります。

完成したエッフェル塔は大きく3つの部分に分けられます。まず1辺125m の正方形の4隅からのびる4本の巨大な脚柱が、高さ55m の第1テラスに達する部分。次に第1テラスから、高さ110m の第2テラスに達する部分。ここから先、4本の脚柱は一体となり、天空を目指します。大小1万8000個におよぶ鉄骨の組み合わせは、塔のディテールに千変万化する繊細な陰影を与え、「鉄のレース」とたとえられました。

エッフェル塔は万国博が終われば20年後には解体されるはずでしたが、そのようなことは起こりませんでした。人々は、「鉄の時代」が始まることを理解したのです。

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