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『シン・ゴジラ』:エヴァのいない東京
Shin Godzilla:Hideaki Anno’s new movie

『シン・ゴジラ』を観てきました。ゴジラ・シリーズの第一作『ゴジラ』(1954年)以降、最も見ごたえのあるゴジラ映画といえるでしょう。TV版『新世紀エヴァンゲリオン』第25話と最終話の、あの痛々しい最終2話から劇場版『Air/まごころを、君に』にたどりつき、さらに21世紀になって新劇場版もようやく『Q』までを完成させた庵野秀明監督がどんなゴジラ映画をつくってくれるのか、楽しみにしていましたが、期待は裏切られませんでした。ネタバレになるので、あまり書きませんが、「ヤシマ作戦」の311バージョンでゴジラの活動を停止させるところも納得です。

今回の作品はゴジラ第一作に原点回帰し、ゴジラがはじめて襲来する東京を描いています。同時にそれは、セカンドインパクトがなかった、使徒もエヴァもいない東京でもあります。過去を引きずらないこのスタンスが、『シン・ゴジラ』の魅力であり、1954年の『ゴジラ』をほうふつとさせる場面がでてきても、素直に楽しむことができました。私は『ゴジラ』が公開された時、親に連れられて劇場で観ましたが、火の海を背景にゴジラの姿がシルエットで浮かびあがるシーンが忘れられませんでした。うれしいことに『シン・ゴジラ』でも同じシーンが登場します。

ただし、今回のゴジラのデザインにはあまり納得できていません。CG で制作するにもかかわらず着ぐるみに似せたデザインにしたのは賛成ですが、尻尾の、特に付け根のサイズは異常です。これではゴジラの重心の位置は脚の真上ではなく、尻尾にきてしまいます。つまり、ゴジラは全体重を両脚で支えることはできず、二足歩行も、尻尾を自由に動かすこともできないのではないかと思われます。

『シン・ゴジラ』には、2011年3月11日の東日本大震災と福島原子力発電所事故が色濃く影を落としています。ある人はこの作品のゴジラを、原発事故のメタファーとしてとらえるかもしれません。しかし、ゴジラが破壊した街のシーンには、911同時多発テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルの瓦礫をモチーフにしたシーンが挿入されていました。現代の社会を破壊するのが地震や原発事故だけでないことがさりげなく示されています。

ゴジラ映画にとって、社会背景は味付けでしかありません。ゴジラは人知を超えた荒ぶる神であり、ゴジラに何らかのメッセージを求めるのは間違っています。難しいことは考えず、スクリーンで暴れまわるゴジラを楽しむのが、ゴジラ映画の正しい鑑賞法だと私は思っています。

とはいえ、この『シン・ゴジラ』で、官邸や各省庁から集められたゴジラ対策チームが未曾有の危機に立ち向かう姿を観ていると、「東日本大震災が起こった時に民主党が政権を取っておらず、その代わりに彼らがいてくれたら…」と考えてしまうのは、私だけではないでしょう。
『ホドロフスキーのDUNE』:B級映画とブロックバスターの間
Jodorowsky’s DUNE:B movies and brockbusters

『ホドロフスキーのDUNE』を観てきました。

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『エル・トポ』のアレハンドロ・ホドロフスキーは1975年、フランク・ハーバートの『デューン/砂の惑星』(1965年)の映画化を考えます。彼の構想はあまりにも壮大かつ破天荒で、ハリウッドにはなじまず、企画は実現せずに終わります。しかし、幻の作品となったが故に、彼のアイデアやメビウスの描いたコンテ、クリス・フォスやH・R・ギーガーのイラストレーションなどは、その後のSF映画に大きな影響を与えました。

1950年代のアメリカのSF映画に長く親しんできた私にとって、「B級」という形容詞がつけられることが多かったSF映画が、ハリウッドでブロックバスター映画になっていく歴史は、非常に興味があるものです。と、同時にいくつかの疑問もありました。その一部が『ホドロフスキーのDUNE』を観て解決した気がします。

B級映画とは低予算でつくられ、内容もいまいちで質の落ちる映画と解釈されていますが、もともとはハリウッドで制作された映画の配給方式にもとづく「B movie」あるいは「B picture」から来ています。当時、劇場での公開は2本立てで行われていたため、予算をかけたメインの作品と同時に、低予算の作品をもう1本制作して配給する必要がありました。それがB movieです。

1950年代に制作されたたくさんのSF映画の中には、『禁断の惑星』や『宇宙水爆戦』など優れた作品もありますが、確かにその多くがいわゆるB級とよばれるものであったのは事実です。しかし、そこにこそ、この時代のSF映画の魅力があり、低予算であるが故に行われたさまざまな試みが、将来ハリウッドを席巻するパワーの源泉となったのです。

1950年代のSF映画は1960年代前半にその輝きを失っていきます。テレビの普及や時代の雰囲気の変化など、いくつもの原因があったのでしょう。1968年に公開された『猿の惑星』は、SF映画がハリウッドのメインストリームへ向かう画期的な出来事でした。この年にはキューブリックの『2001年宇宙の旅』も公開されました。

その後1970年代後半になると、『スターウォーズ』(1977年)、『未知との遭遇』(1978年)、『エイリアン』(1979年)などが次々と公開されていきます。少年時代に1950年代のSF映画を観て育った世代がこうしたSF大作をつくるようになったとき、そこにはSF映画の黄金時代とは異質のテイストが、いくつも加わっているように私には感じられたものです。おそらく、その1つがホドロフスキーの『DUNE』だったのでしょう。
ジョルジュ・メリエス『月世界旅行』のカラー復元版
Marie Georges Jean Méliès:A Trip to the Moon in colors

渋谷のシアター・イメージフォーラムで、ジョルジュ・メリエスの映画『月世界旅行』のカラー復元版を観てきました。

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メリエスの『月世界旅行』は、史上初のSF 映画といっていいでしょう。この作品の彩色版は長い間、幻の存在だったのですが、スペインで発見され、昨年、最新のコンピューター技術を駆使した復元版が完成したのです。メリエスの生涯と、フィルムの発見から復元までのスリリングな過程は、同時に上映された『メリエスの素晴らしき映画魔術』で紹介されています。

モノクロのフィルムに1枚1枚、手作業で着色してつくられた彩色版は、驚くほどの美しさでした。鮮やかな赤や緑色が登場人物を引き立てる一方、背景の淡い色彩がモノクロ版にはなかった奥行感を生み出していました。人工的な色彩とその濃淡が、カラーフィルムで撮影した作品とはまったくことなる世界を出現させています。『メリエスの素晴らしき映画魔術』の中で、ミシェル・アザナヴィシウスが語っているように、それは動く絵画といえるものです。

1889年、アメリカの発明王トーマス・エジソンは「キネトスコープ」とよばれる箱型の装置をつくりました。コインを入れて小窓から覗きこむと、箱の中に動く映像が再生される仕組みです。フランスでは、リュミエール兄弟が室内のスクリーンに映像を投影するシステム「シネマトグラフ」を開発し、1895年に公開しました。キネトスコープは1人でしか見ることができませんが、シネマトグラフは劇場で、大勢の人が同時に見ることができました。この生まれたてのテクノロジーの可能性にいち早く気づき、驚くべき作品をつくり続けたのが「映画の魔術師」とよばれたメリエスでした。

メリエスは1861年、パリで生まれました。父親は市内で有名な靴屋を営んでいましたが、メリエスには、兄たちのように家業を継ぐ意思はありませんでした。美術の道を志し、ギュスターブ・モローに絵画の指導を受けました。モローの作風は、のちにメリエスがつくる映画に大きな影響を与えたといわれています。

ロベール・ウーダン劇場の支配人となった若きメリエスは、この小劇場で自らマジックを行って人気を博しただけでなく、『月の戯れあるいはノストラダムスの災難』などの幻想的な舞台を次々と生み出していきました。やがて、彼はリュミエール兄弟の映画と出会います。当時上映されていた作品は、その多くが人々の日常生活や街の風景を題材にしたものでした。しかしメリエスはスタジオをつくり、物語性をもつ独自の世界を次々と映像化していきました。『シンデレラ』『クリスマスの夢』『赤ずきん』『青ひげ』『月世界旅行』『ロビンソン・クルーソー』『妖精たちの王国』『地獄のファウスト』『ファウスト博士の断罪』など、タイトルだけで、メリエスがどのような世界をスクリーンに描こうとしたかがわかるでしょう。

1902年に制作された『月世界旅行』は、彼のもっとも有名な作品になりました。ジュール・ベルヌの『地球から月へ』『月世界へ行く』、H・G・ウェルズの『月世界旅行』からアイデアがとられており、6人の男が弾丸型のカプセルに乗りこみ、巨大な大砲によって月へと打ち出されます。わずか15分の作品ですが、予算や制作期間からいって、当時の超大作でした。メリエスはこの頃すでに、現在も使われている特撮技術の基本をほとんどすべて考え出していました。

メリエスは、映画の世界にはじめてスタジオ・システムをもちこんだだけではありません。脚本をつくって映画を撮ったのも彼が最初でした。ドキュメンタリー手法の作品もつくったし、コマーシャル・フィルムもつくりました。彼の頭の中にはつきることなく新しいアイデアが生まれ、映画が誕生してからわずか10年あまりの間に、彼はこうしたアイデアを次々と実現していったのでした。

しかし、映画産業が勃興してくると、メリエスの職人気質の仕事は急速に時代遅れになっていきます。ついに彼は破産し、彼がつくりだしたフィルムをすべて焼いてしまいました。『月世界旅行』の彩色版が失われたのも、そのためでした。ですから、今、私たちがその彩色版を観ることができるのは、奇跡に近いことなのです。

ところで、『月世界旅行』のカラー復元版を観るにあたって、私には、「あれはどんな色になっているんだろう」と楽しみにしていたシーンがありました。それは、月世界に到着して喜ぶ主人公たちの向こうに、地球が昇っていくシーンです。1968年、アポロ8号によって人間がはじめて見ることになる月の地平線から昇る地球、「アースライズ」を、メリエスはこの作品ですでに描きだしていました。驚くべきイマジネーションといえます。

地球がどんな色であったのか。それは、この作品をまだ観ていない方のために、ここでは書かないでおきましょう。
『ナチス、偽りの楽園』
今日から新宿の K’s cinema で公開されている『ナチス、偽りの楽園』を観てきました。監督はマルコム・クラーク。2003年にアカデミー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた作品です。

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ホロコーストを描いた作品はこれまでいくつもありましたが、それらとはまた別の鮮烈な印象を残す作品です。当時の映像や関係者のインタビューをまじえながら、第二次世界大戦直前の爛熟したベルリンから、大戦末期のテレージエンシュタット強制収容所へ、ユダヤ系ドイツ人の俳優・映画監督であったクルト・ゲロンの運命を描いていくマルコム・クラークの映像の手際良さは、彼自身がすぐれたジャーナリストでもあるからでしょう。

マルコム・クラークが現在撮影を進めているのは、日本のドリームワンフィルムとカナダのメディア・ヴェリテの共同製作になる『World Without War ―戦争のない世界へ―』です。この作品のテーマは「紛争の解決」で、世界的に影響力のある指導者や政治家、平和を提唱する人々にインタビューしなから、紛争のない世界への道を探っていきます。公式HPはこちらです。
ヴィクトリア州立図書館
今、メルボルンに来ています。以前、シドニーに住むオーストラリア人に、メルボルンとはどういう町かと聞いたことがありました。彼の答は、次のようなものでした。「世界の果てさ。昔、なんといったっけ、あの映画がつくられたくらいだから」 その映画とは、スタンリー・クレーマー監督の『渚にて(On the Beach)』(1959年)です。

日本古典SF 研究会の『未来趣味』第10号に書いたことがありますが、東西冷戦と原水爆実験の時代であった1950年代には、核戦争による世界の滅亡をテーマにした映画が何本も制作されています。『渚にて』はその最初のものではありませんが、メジャーが制作した映画として、それらの中で最もよく知られています。多くのリメイクもつくられました。

『渚にて』の原作はネビル・シュート。米ソの核戦争で世界は滅亡し、唯一、オーストラリアだけがまだ破滅をまぬがれています。とはいっても、放射能の灰はここにも確実にやってくるので、人々は死を待つほかはありません。核戦争勃発時に潜航中だったために生き残ったアメリカの原子力潜水艦「ソードフィッシュ」はメルボルンにやってきます。「ソードフィッシュ」の艦長タワーズを演じているのがグレゴリー・ペック、タワーズと出会う女性モイラを演じているのがエヴァ・ガードナーです。

メルボルンを舞台にしたこの映画のラストシーンはとくに印象的です。無人となった市街の光景が映し出され、ある建物の前に「まだ時間はある」という横断幕が静かに風にゆらいでいるところで、映画は終わります。

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この最後のシーンの撮影は、メルボルン市内にあるヴィクトリア州立図書館で行われました。下の写真は、私が空港からホテルに向かう途中、タクシーの窓から撮影した州立図書館です。

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ちなみにこの『渚にて』はアメリカ海軍の協力は得られず、オーストラリア海軍の協力によってつくられました。当時のアメリカには、核戦争が起こっても自分たちは生き残れるという楽観論があり、この映画のメッセージには批判的な風潮があったようです。しかし、映画公開から間もない1962年10月にキューバ危機がおこり、アメリカは本物の核戦争の恐怖に直面することになったのです。これをきっかけに米ソ間にホットラインが設けられ、両国とイギリスは部分的核実験停止に合意することになりました。
借りぐらしのアリエッティ
遅くなってしまいましたが、先日、『借りぐらしのアリエッティ』を観てきました。私の関心は、スタジオ・ジブリの中にとどまりながら、スタジオ・ジブリを破壊し、新たな創造を図るという難題に、米林宏昌監督がいかに取り組んだのかという点にありました。よくも悪くも、スタジオ・ジブリは宮崎駿氏が自らのイマジネーションの具現化をスタッフに強制することで成り立っていました。宮崎氏が自らそれに気づき、新たな道へ踏み出したことは、組織論的にも興味がもたれるところです。

宮崎氏に押しつけられた作品のアニメ化ですから、米林監督もやりづらかったろうと思いますが、「脱宮崎」は成功し、限りなくジブリ風でありながら、ジブリではない作品が出来上がりました。私がとくに監督の意気込みを感じたのは、アリエッティの家の内装をはじめとする背景画への尋常ではないこだわりです。宮崎氏以上にディテールに執着したいという監督の宣言のようにも感じられます。また、主人公のアリエッティも、『カリオストロの城』のクラリス以来見なれてきた少女の面影は残していますが、よく見ると別人です。作品の最後近く、旅立ちを決意したアリエッティの毅然とした表情は、宮崎アニメへの決別を告げているかのようでした。

そのような意図はなかったかもしれませんが、この作品が国際生物多様性年に公開されたことは、それなりの意味のあることなのではないでしょうか。なぜなら、アリエッティたちの「借りぐらし」の生活とは、人間と小人との共生の関係が、おそらく人間側の勝手な事情によって崩壊してしまったためにもたらされたものだからです。絶滅に向かう種は、私たちのすぐ身近にもいます。アリエッティたちは新しい家を求めて引っ越していきますが、メアリー・ノートンが原作を書いた1950年代のイギリスの地方都市であれば、アリエッティたちは新しい家を手に入れることもできたでしょう。しかし、2010年の東京では、住むべき場所を見つけることはとても困難になっています。

超自然的な力をもはや失ってはいるものの、アリエッティたちが妖精たちの末裔であることは間違いありません。彼らの世界はどこか別の場所にあるのではなく、私たちの世界に直接つながっています。しかし、その妖精たちも、W・B・イェイツがその物語を採集していた19世紀末でさえ、イングランドからは姿を消しており、アイルランドの古老しか、妖精たちの話をしてくれるものはいなかったのです。

「もし妖精がいなかったなら、アイルランドの農民は、これほど豊かな詩情を持ちえたであろうか」とイェイツは書いています(『ケルト妖精物語』)。私たちにはほとんど見えないけれども、私たちのすぐ近くにある妖精たちの世界は、新しいものをつくりあげようという人に力を与えてくれるのでしょう。米林監督の『借りぐらしのアリエッティ』は妖精たちにも祝福されて、人々の心を打つ作品となりました。
3D 映像の未来
『アバター』を観てきました。

映像の技術が進歩すればするほど、それを使いこなすだけのイマジネーションが必要になる。それがなければ、映画は技術のしもべとなってしまう。衛星パンドラの森の中のシーンが登場し、この作品が『もののけ姫』の3D 版だということが分かってからというもの、私は最後までそれを考えながら観続けました。

SF としての設定の陳腐さ、かわり映えしないメカ、木星の大赤斑を青に変えただけの惑星ポリフェマスのチープさ、どこかで見たような風景。結局、新しいものは何もなく、3D 映像の可能性について認識させられたのみに終わりました。

『ジュラシックパーク』が登場したとき、CG は、古生物学者の頭の中にしかなかった恐竜の動く姿を再現しようというスピルバーグの意思を実現するための、強力なツールとなりました。CG を道具にするだけのタフなイマジネーションが制作側にあったわけです。その映画制作におけるCG の利用は、『ロード・オブ・ザ・リング』3部作によって、なすべきことはすべてなされてしまったような気がします。

3D は、次の映像表現技術として注目されています。確かに、『アバター』の3D 表現は、これまでの3D 技術から大きな飛躍がなされている感じがします。技術の改良はこれからも進み、制作コストもどんどん下がるでしょう。私自身も、3D 技術の今後には大きな期待をもっています。それだけに、観るものを感動させるソフトの開発が大きな課題です。

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