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ソ連邦の歴史:共産党と宗教
History of the Soviet Union:Communist party and religion

下斗米伸夫氏の『ソビエト連邦史』(講談社学術文庫)を読み終えたところです。

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本書は書名の通り、ロシア革命からソ連崩壊にいたるまでの歴史過程をまとめたもので、ビャチェスラフ・モロトフという革命家の軌跡をたどりながら、ソ連とは何であったかを検討していきます。モロトフは火炎瓶を示す「モロトフ・カクテル」でしか一般には知られていない(今ではそれさえも忘れられている)人物ですが、1890年に生まれ、1906年にボリシェビキに入党、1917年にロシア革命に参加し、以後ソ連共産党中枢にとどまり、スターリンに粛清されることなく生き延びました。1961年に共産党から除名されましたが、1984年に復党し、ゴルバチョフの登場を見守り、ソ連崩壊5年前の1986年に没しています。まさにソ連の歴史とともに歩いた人生といえるでしょう。

本書はこのモロトフを縦軸に、レーニンやスターリン、フルシチョフなどをめぐる人間関係が説明され、私がこれまで知らなかった事実がたくさん書かれていました。特に、ロシア正教の非主流派である「古儀式派」とロシア革命やソ連共産党との関係は興味深いものです。

この古儀式派については、下斗米氏は昨年出版された『宗教・地政学から読むロシア』(日本経済新聞社)において、そのはじまりから現在にいたる歴史やロシア革命との関係などを詳細に説明しています。「ロシアとは何か」を宗教と地政学から読み解くこの本は、現在のウクライナ問題を理解する上でも非常に重要です。2013年にロシアに併合されたクリミアは1954年に、ウクライナ出身のフルシチョフによる1片の文書でロシア領からウクライナ領となり、ソ連崩壊の際からその帰属が問題になっていた経緯がありますが、さらにこれにさきだつ10世紀末からの複雑な歴史的経緯が説明されています。この本はプーチン大統領の「東方シフト」を理解する上でも、非常に重要です。

現在のプーチンの戦略を理解する上では、小泉悠氏の『プーチンの国家戦略』(東京堂出版)も参考になります。
ボリス・アクーニン:『トルコ捨駒スパイ事件』
Boris Akunin:Turetskiy Gambit

ボリス・アクーニンの『トルコ捨駒スパイ事件』(奈倉有里訳、岩波書店)を読み終えたところです。

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本書は「ファンドーリンの捜査ファイル」シリーズの第2作目になります。前作『堕天使殺人事件』の悲劇的結末のため暗い影をもつ若者に変貌したファンドーリンが、持ち前の明晰な頭脳で事件を解決する舞台は1877〜1878年の露土戦争の戦場である現在のブルガリア、プレヴェン(プレヴナ)のあたり。ロシア軍とオスマン帝国軍の間ではげしい攻防が繰り広げられた場所です。最後の場面は、イスタンブールの街の灯が見えるサン・ステファノ。戦争の最終局面でロシア軍が攻め込み、「サン・ステファノ」条約が結ばれた小さな町です。

「ファンドーリンの捜査ファイル」シリーズは、単なる推理小説や歴史小説ではありません。文句なしに楽しめるエンターテイメント性を持ちながらも、19世紀のロシア文学の香りがいたるところから漂ってくるところが魅力といえるでしょう。

『トルコ捨駒スパイ事件』の舞台となった時代だけでなく、歴史上、ロシアとトルコ(オスマン帝国)はたびたび戦争をしていました。現実の世界では、今、トルコによるロシアの戦闘爆撃機撃墜で両国は緊張関係にあります。しかし、ロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領はこれまで友好な関係にありました。こうしたロシアとトルコの微妙な関係を読み解くには、歴史に学ぶことも大事です。本書を読みながら、そんなことを考えていました。
レニングラード封鎖:生き延びた人々の遺伝子
Leningrad siege and genes

『サイエンス』誌の6月5日号に、「レニングラード封鎖」に生き残った人々と遺伝子の関係についての記事が載っていました。「レニングラード封鎖」とは第二次世界大戦中に、ナチスドイツ軍がソ連のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を約900日間にわたって包囲した時のことをいいます。砲撃と飢えと冬の寒さで、300万人の市民のうち100万人以上が命を落としました。

『レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44』(マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳、白水社)は、私が近年読んだ本の中で最も心をゆすぶられた本の1つです。

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カニバリズムさえ行われた絶望的な状況の中でも、多くの人々は人間としての尊厳と希望を失いませんでした。それを示すエピソードとして、本書ではドミトリー・ショスタコーヴィッチの交響曲第7番のエピソードが紹介されています。

レニングラード封鎖は1941年9月に始まりました。レニングラード生まれのショスタコーヴィッチは、その1か月後に、スターリンの命令で疎開させられました。この時書いていた交響曲第7番は12月に完成。翌1942年3月に盛大な初演が行われました。その楽譜は包囲網を突破した軍用機によってレニングラードに投下され、レニングラード放送交響楽団は1942年8月9日に演奏を行いました。人々は盛装してホールに集まりました。演奏はラジオ放送され、包囲していたドイツ軍も聞いていました。それを聞いたドイツ軍兵士は、「われわれはレニングラードを落とすことはできない」と悟ったといいます。

私が最初にレニングラードを訪れたのは1983年のことでした。戦争が終わって40年もたっていましたが、砲撃による破壊の跡が残る建物もまだあり、封鎖の悲惨な体験を話してくれる人もいました。

さて、『サイエンス』誌の記事によると、サンクトペテルブルク、オット研究所のオレグ・グロトフらの研究グループは、ロシアで刊行されている『Advances in Gerontology』誌に論文を発表しました。グロトフらはレニングラード封鎖を生き残った206名と、封鎖を経験していない同年齢の139人について、代謝に関係している5つの遺伝子を調べたのです。その結果、封鎖を生き残った人の30%には、3つの遺伝子について、代謝を活発にする変異が起こっていたとのことです。

サンプル数が少ないこともあり、グロトフ自身も研究が初期段階にあることを認めています。グロトフは閉鎖を生き延びた人々のバイオバンクをつくり、将来の研究に資することを考えているとのことです。そのあまりの悲惨さゆえに、ロシアでもある種のタブーになっているこの出来事は、極限状態を経験した人間のエピジェネティクスに関して貴重な知見をもたらしてくれるかもしれません。
プーシキン:死んだ王女と七人の勇者
Alexander Pushkin:The Tale of the Dead Princess and the Seven Knights

モスクワ市内で一番大きい書店ドム・クニーギで、プーシキンの『死んだ王女と七人の勇者』の絵本を見つけました。エフゲニー・アントニエンコフという人のイラストがとても気に入りました。

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『死んだ王女と七人の勇者』は、グリム童話の『白雪姫』をベースにプーシキンが書いた詩です。継母の王妃に殺されそうになった王女は、森に住む7人に騎士の家で暮らします。老婆がもってきた毒りんごを食べて死んでしまいますが、婚約者のエリセイ王子によって生き返るという話です。

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ソ連の時代から、ロシアでは児童向けの出版活動が活発でした。久々にモスクワに来て地下鉄に乗ってみると、日本と同じように若い人たちはスマホやiPad を見ています(ゲームをしている人はいませんが)。Kindle で本を読んでいる人もよく見かけました。電子化された情報を携帯端末で見る時代になっていますが、こうした大判の美しい絵本が出版されているのを見ると、紙のメディアにもまだ役割が残っているという気がします。
画家たちが描いたチェリヤビンスクの隕石爆発
Meteorite inspired Russian painters

今、モスクワにいます。2013年2月15日にチェリヤビンスク上空で爆発した隕石は、こちらでは今でも時々話題になっているようです。

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上は、昨日の新聞の第1面です。地下鉄の駅で無料配布している新聞で、上空を通過していく隕石を描いた画家の作品が紹介されています。

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第5面には、隕石落下に触発されたその他の作品も紹介されています。ツングースカ事件以来の規模の衝撃波が発生した今回の隕石爆発は、多くの画家にインスピレーションを与えたようです。
レーニンの墓
『レーニンの墓』(デイヴィッド・レムニック著、三浦元博訳、白水社)はソ連邦最後の日々を描いた作品です。著者は『ワシントン・ポスト』紙の特派員として1988年からモスクワに滞在し、ソ連邦崩壊の過程をつぶさに取材しました。

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1991年のソ連邦崩壊前後にモスクワを訪れたことのある方には、本書はとくに興味をもって読めるはずです。私自身も1983年から何度も社会主義体制下のモスクワやレニングラードを訪れたことがあります。あのころ、ソ連経済はすでに末期的状況にあったのでしょうが、ミハイル・ゴルバチョフが登場するまでのモスクワは、私には奇妙に明るく静穏に感じられたものです。赤の広場に面した百貨店グムは人でごったがえし、モスクワで一番大きい書店であるドーム・クニーギには、多数の本が並んでいました。夜のカフェには若者たちがたくさん集まっていました。おそらく私がそのように感じたのは、社会主義の矛盾があらわれている場所には案内されなかったからでしょう。それでも、モスクワ大学の総長室での豪華な昼食会の際に、計画経済の専門家が「社会主義経済はまだ若く弱いので、大事に育てなくてはいけないのです」と語ったのは印象的でした。彼らも実は深刻な状況に気づいていたのに違いありません。

ソ連崩壊の1年前、1990年にモスクワを訪れたときには、町の様子が少し違っていることに気がつきました。以前は商品が並んでいた店のウインドウは空っぽでした。休日に私の案内役になってくれた若者は、「ゴルバチョフは暗殺されるかもしれない」と私にささやいたものです。当時の私には、その意味がよく理解できなかったのですが、本書を読んで、翌年の「八月クーデター」にいたるソ連共産党内部の権力闘争について再認識しました。モスクワ市民もそうした動きを知っていて、当時いろいろな噂が飛び交っていたのでしょう。

1995年にモスクワを訪れたときには、すべてが変わっていました。地下鉄の駅の近くには、お金をねだる老婆がいました。庶民的な百貨店であったはずのグムは、ヨーロッパのブランド商品であふれた近代的なショッピングモールに改装されていました。若者の街だったアルバート通りには高級ブティックやジュエリーショップが並び、店に入ると、おそらくはアフガン帰りのガードマンが自動小銃をもって警備していました。

1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは、結果的にはパンドラの箱を開けてしまったわけですが、彼が目指していたのは、社会主義下での規律ある経済発展でした。本書でもふれられているように、その源流は1982年に共産党書記長になったユーリー・アンドロポフにあります。彼はKGB 議長としてソ連経済の停滞や非効率性、特権階級による汚職の弊害などについてよく知っていました。彼自身は病気のために1984年に死去してしまい、改革を進めることはできませんでしたが、彼が後継者として強く推したのがゴルバチョフでした。そして現在、ロシアの政治、経済を動かしているのは旧KGB 人脈であり、その頂点にいるのがウラジーミル・プーチンです。レムニックがモスクワで取材したちょうど頃、ソ連社会は激動の局面を迎え、1917年のロシア革命以来の社会主義が崩壊していきましたが、現在のロシアにいたる伏流は、実はそれ以前からあったわけです。

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