最近のエントリー
カテゴリー
過去のエントリー
カレンダー
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>
ブログ内を検索


PROFILE
モバイル
OTHERS
STAP 細胞問題:小保方さんと瀬戸内寂聴さんの対談
『婦人公論』誌に掲載された小保方さんと瀬戸内寂聴さんの対談に関し、いくつかのテレビ番組やラジオ番組からコメントを求められました。

STAP 細胞問題について、私が語るべきことはもはやほとんどないのですが、対談を読んだ私の率直な感想は、「小保方さんはSTAP 細胞の呪縛から逃れられなくなっている」ということでした。STAP 細胞が存在しないことはすでに科学的に検証されています。また、小保方さんがSTAP 細胞としていたものの正体がES 細胞であったことも明らかになっています。科学の世界ではすべてが明白になっているにもかかわらず、小保方さんはSTAP 細胞が存在しないという現実に直面することができず、雑誌に掲載された写真から推察するに、精神的なトラブルにおちいっているようにも見受けられます。

私は昨夜、STAP 細胞問題を最初からウォッチしてきたカリフォルニア大学デービス校のポール・ノフラーさんとこの件でメールのやりとりをしました。ノフラーさんの結論は、小保方さんはSTAP 細胞以外の人生の目標を見つけるべきだということでした。私もこの考えに全面的に賛成です。

おそらく小保方さんの周囲には、適切なアドバイスをする人がいないのでしょう。そのような環境下で1月に講談社から出版された書籍『あの日』や、今回の『婦人公論』誌の対談は、小保方さんをSTAP 細胞という深みにますます引きずり込んでいくものでしかありません。書籍や雑誌は売れるかもしれませんが、日本を代表する出版社がこうした出版を行うことを、私は残念に思います。

小保方さんが元気になり、科学コミュニティーの人たちとSTAP 細胞について率直に語れる日が来るのを期待したいと思います。
STAP 細胞は存在せず
Final conclusion on STAP cells

『ネイチャー』誌に発表された2本の論文によって、STAP 細胞の存在は完全に否定されました。STAP 細胞が存在せず、その正体がES細胞であったことがほとんど間違いないことは、2014年末の理研調査委員会で報告されました。今回の論文は、この結論を厳密な研究論文の形で証明したことになります。

今回の論文では、STAP 細胞といわれていたものはFES1 とよばれるES 細胞からつくられたものであること、厳密な再現実験を133回行ったが、成功しなかったことなどが報告されています。

科学の研究も人間のすることですから、いろいろな間違いは起こります。それを実験で正していくことが科学であることを、今回の論文は示しているといえるでしょう。

私はSTAP 細胞の論文をはじめて読んだ時のことを思いだしました。もう1年8か月以上前のことになります。論文は「アーティクル」と「レター」の2本に分かれていました。STAP 細胞の作製を報告したアーティクル論文は、次のような文章ではじまっていました。

「ワディントンのエピジェネティック・ランドスケープによれば、体細胞の運命は、分化が進むにつれて決まっていく。ちょうど丘を下るように」

30歳の若い研究者である小保方晴子さんが書いたとは思えない格調高い書き出しでした。後に、STAP 細胞の実験を行ったのは小保方さんと若山照彦氏だが、論文の文章自体は笹井芳樹氏が書いたことが明らかにされました。そういわれてみると、発生生物学が専門で、論文執筆にたけた笹井氏らしい文章であることがわかります。

この書き出しを少し説明しましょう。コンラッド・ワディントンはイギリスの発生生物学者です。彼が1957年に発表した有名な概念図が「エピジェネティック・ランドスケープ」です。このランドスケープでは、細胞の分化が、丘の上から低いところへ下っていくことにたとえられています。丘の斜面にはいくつもの谷が刻まれており、それぞれの細胞はそれらの谷の1つを下っていきます。つまり、細胞は丘の上ではどんな細胞にもなれる能力を持っているのですが、丘を下るにつれて、ある特定の役割をもった細胞に分化していきます。谷は下るにつれて深くなり、細胞は隣の谷に移動することができなくなる。また、斜面をさかのぼって元の細胞になることもできない。これが、体細胞がたどる運命なのです。

「エピジェネティクス」とは、遺伝子の働きをコントロールする仕組みのことをいいます。分化したそれぞれの体細胞は、みな同じ遺伝情報をもっていますが、自分の役割をはたすために必要な遺伝子だけを発現させています。一方、必要のない遺伝子の働きは抑えられています。細胞分化とは、各細胞にエピジェネティクスが働いて、後戻りができなくなるプロセスということができます。

論文冒頭の文章は次のように続いていきます。

「分化した状態を逆に戻すためには、核移植のような物理的操作か、複数の転写因子の導入という遺伝的操作が必要と考えられている」

前者の「核移植」は、イギリスの発生生物学者ジョン・ガードンの仕事をさしています。1962年にガードンはカエルの体細胞の核を移植して、クローンカエルを誕生させました。これによって分化した体細胞が初期化されることが明らかにされたのです。核移植技術を使ってクローンマウス作製に世界で初めて成功したのが、当時ハワイ大学にいた若山氏でした。後者の「遺伝的操作」は、もちろん山中伸弥教授のiPS 細胞をさしています。

文章はさらに続きます。

「ここでわれわれは、核の直接的操作を行わなくても、単に外部からの刺激に対する応答によって、体細胞が初期化されるかどうかを調べてみる」

わずか3つのセンテンスで、これまでの生物学の歴史が的確にまとめられ、この論文がいかに画期的であるかが示唆されています。「読んでみなければ」と思わずにはいられない、魅力的な導入部でした。これらの文章からも分かるように、笹井氏は世界の発生生物学のメインストリームに早い時期から身を置き、自らの研究を大きなパースペクティブの中に位置づけていた研究者でした。その笹井氏を失ったことは、一連のSTAP 細胞問題の中で最大の悲劇でした。

『ネイチャー』誌の2012年8月23号には、笹井氏を取材した「ブレイン・メーカー」(脳をつくる人)という記事が掲載されています。笹井氏はその前年に、ES 細胞から「眼杯」を作ったという論文を『ネイチャー』に発表し、世界中から注目されていました。眼杯とは目のもととなる組織のことです。『ネイチャー』誌の記事では、医者としての道を歩み始めた笹井氏が、多くの病気、特に神経系の病気の基礎がわかっていないことに気付き、研究の道に転身したことが紹介されています。

笹井氏は、ES 細胞を使えば、外から影響を排除した環境で、細胞自らが体のさまざまな組織になっていくプロセスを調べることができる点に着目し、「自己組織化」とよばれる研究に取り組み、成果をあげていきました。笹井氏は、『ネイチャー』誌のインタビューで、自己組織化を次のようにたとえています。「男の子が女の子に会えば、彼らは自分たちの物語をつくりはじめる。まわりに人がいなくても。あなたは、二人を海辺かディスコに連れていくだけでいい。私たちのシステムは、そのような環境をつくるものだ」。

笹井氏にとって、自己組織化は自らのライフワークと考えている研究でした。STAP 研究がいかに魅力的であっても、笹井氏にとってメインの研究テーマになることはなかったでしょう。一方、自己組織化の研究をしていたがゆえに、笹井氏はSTAP 現象に興味をもったともいえるかもしれません。細胞が自らの力で分化していく生命の不思議を誰よりもよく知っていたが故に、外から遺伝子を導入しなくても、細胞内の未知の能力によって自らを初期化するSTAP 細胞に、笹井氏は特別の関心をもったのかもしれません。
代理出産、そして生殖補助医療の未来
Surrogate birth and the future of assisted reproductive technology

代理出産における母親の問題を考えてみると、「母子の関係は分娩によって生じる」という民法の規定は、もはや時代遅れになっていると私は考えています。本来、この考え方は、子を産んだ女性が母親であることと、子と遺伝的につながっている女性が母であることの両方を含んだものであったはずです。しかし、向井亜紀さんと高田延彦さんの子をめぐる最高裁の判断では前者のみを母親の要件としました。現在の法解釈ではそうなってしまうのでしょう。

しかしその最高裁も、「明治時代に制定された民法は代理出産を想定していない。遺伝的なつながりのある子をもちたいという真摯な気持ちを考え、立法による速やかな対応がのぞまれる」と指摘しています。

代理出産は、それ以外に子をもつ方法がない夫婦にとって、最後の選択肢として認められるべきと私は考えています。最近は同性婚さえ認められるようになりました。アメリカでは同性のカップルが精子や卵子の提供を受けて、自分たちの子をもつことも行われています。親子の関係を改めて考える必要がでてきています。その際、生物学的母親および生物学的父親の位置づけが、今後の親子関係で非常に重要になってくると思われます。

代理出産を含め、生殖補助医療は人間の生命をあつかうものであり、慎重な議論が必要です。代理出産はドイツやフランスでは禁止されています。イギリスでは商業的な代理出産は禁止されています。アメリカでは州によってまちまちで、カリフォルニア州、ネバダ州などは代理出産を認めています。ニューヨーク州、ワシントンDCなどでは禁止されています。何も規定がない州もあります。

代理出産をビジネスとして行う業者があり、さまざまなトラブルが生じているのも事実です。こうした問題も解決しなくてはなりません。

しかしながら、生殖補助医療は最新の科学の成果を取り入れ、進歩を続けています。不妊に悩む夫婦が子供を授かるより良い方法を提供し、妊娠にともなうリスクを低減し、健康な子供の出産を手助けします。子供たちが先天異常を持って生まれこないようにすることも可能になるでしょう。こうした高度な生殖補助医療サービスは今後めざましい成長を遂げていくはずです。代理出産もそのようなサービスの一環として位置づけられるべきです。
代理出産:母親は誰か?
Legal issues with surrogate birth

卵子提供や代理出産など第三者が関わる生殖補助医療法案を議論している自民党のプロジェクトチームが、生まれた子との親子関係を規定する民法の特例法案の骨子を了承、今国会に提出する方針を確認したという報道が先日ありました。卵子提供や代理出産で出産した場合、産んだ女性を母親と規定するなどの内容です。民法が想定していなかった親子関係について早急に法制化が必要だと判断したとのことです。

一方、卵子提供や代理出産の是非やルールを定める生殖補助医療法案については、超党派による議論を行い、2年以内に議員立法として法案提出を目指し、代理出産を認める場合には、依頼者夫婦を親とする制度も検討するとしています。

民法では「母子の関係は分娩によって必然的に生じる」という考え方をとっています。その子を産んだ女性が母親であるということです。しかしこれは、母子の間に遺伝的関係があること(生物学的母親)と出産が不可分に結びついていた時代、すなわち代理出産が登場する以前の時代に定められたものです。代理出産では、出産した女性と生物的母親がことなります。このようなケースの母子の関係、さらには夫をふくめた親子の関係をどう考えるべきなのでしょうか。代理出産の問題には多くの議論があり、また国によってルールがことなっています。

日本には代理出産に関する法律はありませんが、日本産婦人科学会は代理出産を禁止することを決めています。また、厚生省厚生科学審議会は2003年に代理出産を禁止する報告書をまとめています。そのため、日本国内で代理出産を行うことはできませんが、この方法以外に子供をもつことができない夫婦が海外で代理出産をするケースが見られます。高田延彦さんと向井亜紀さん夫妻の双子の子について、東京高裁は夫妻が親であることを認める判断を下しました。ところが最高裁は向井さんが子の母親であることを認めない判決を出しました。高田さんと向井さんがなぜ親として認められないのか、疑問をもった方も多いと思います。

代理出産の場合に誰が母親なのかが最初に問題になったのは、1986年にアメリカで起きた「ベビーM事件」でした。ニュージャージー州に住むスターン夫妻は、メアリー・ホワイトヘッドに代理出産を依頼し、メアリーは女児を出産しました。このケースでは精子は夫のものでしたが、卵子はメアリーのものでした。夫の精子を妻以外の女性に人工授精し、その女性が出産する、日本で「サロゲート型代理出産」とよばれるものでした。出産後、メアリーは自分の子でもある女児に愛情がわき、引き渡すことを拒否し、裁判となりました。1987年にニュージャージー州上位裁判所は、代理出産契約を有効として、スターン夫妻が親であることを認めました。ところが1988年の同州最高裁判所は代理出産契約を無効とし、母親はメアリー、父親はスターンとする判決を下しました。さらに、子の養育権はスターンに与えられ、メアリーには訪問して子に面会できる権利が認められました。

ベビーM事件では、卵子は出産した女性のものでした。しかし今では、日本で「ホスト型代理出産」とよばれる、夫婦の精子と卵子を体外受精させ、その受精卵を他の女性に移植して出産してもらう代理出産が一般的です。1993年にカリフォルニア州でおこった「カルバート対ジョンソン事件」では、ホスト型代理出産での親子関係が争われました。アナ・ジョンソンは代理出産を依頼したカルバート夫婦の受精卵で妊娠・出産しました。生まれた子とアナの間に生物学的関係はありませんが、アナは子を育てたいとして養育権を求める裁判を起こしました。一審はカルバート夫妻が親であるとしました。同州最高裁も一審を支持しました。

ネバダ州に住む女性に代理出産を依頼した向井さんと高田さんのケースでは、東京高裁と最高裁がまったくことなる判断を示しました。まず、簡単に経緯を説明すると、次のようになります。代理出産を依頼した女性が2003年に双子の子を出産すると、夫妻はネバダ州の裁判所で親子関係を確認してもらい、出生証明書を取得しました。帰国後、品川区役所に出生証明書を提出したところ、区役所は受理を拒否しました。向井さんが出産したという事実がないため、親子の関係は認められないという理由でした。すなわち、「分娩によって母子の関係が生じる」という民法の規定が適用されたのです。夫妻はこの処分を取り消すことを求めて家庭裁判所に提訴しましたが、2005年、東京家裁は申し立てを却下しました。

東京高裁では、2006年、本件をさまざまな角度から検討した結果、夫妻の子であることを認めたネバダ州裁判所の判決は日本の公序良俗に反しないと判断しました。夫妻が親であることを認め、出生届の受理を命じたのです。この判決に対して品川区は最高裁に抗告しました。

2007年の最高裁の判断は、親子関係を定める基準は「一義的に明らか」でなくてならないという立場をとっていました。一義的ということは、どのような場合も、分娩によって母子の関係が生じるという民法の原則は守られなくてはならないということです。ネバダ州裁判所の判決は、民法で認められていない者の間に親子関係を認めるものであり、日本の公序に反するので、日本において効力を有しないというものでした。夫妻が親であることは認められませんでした。

結局、代理出産そのものの是非を別にすれば、代理出産には、分娩によって母子の関係が生じるという民法の規定を現代においてどう考えるかという大きな問題が横たわっています。さらに言えば、生物学的な親の立場を今後どのように位置づけたらよいのかという課題もあります。
ゲノム編集技術(4):ホワイトハウスも声明を発表
White House’s note on genome editing technology

CRISPR/Cas9 などのゲノム編集技術を用いたヒト生殖細胞の遺伝子改変研究に関し、5月26日にホワイトハウスも声明を発表しました。以下がホワイトハウス科学顧問のジョン・ホールデン氏の声明文(一部)です。

「先週、米国科学アカデミー(NAS)と米国医学アカデミー(NAM)は、ヒト生殖細胞ゲノム編集の基礎研究および臨床での利用に関して、研究者、倫理学者、その他の専門家による国際会議をこの秋に開催すると発表した」
「ホワイトハウスは、この会議を招集したNAS とNAM に拍手をおくり、ゲノム編集技術をヒト生殖細胞に用いることの倫理面での検討をフルに支援する。政府は、治療目的でのゲノム編集技術の利用は、現時点では超えてはならない一線であると考えている。」

NAM はNAS の構成組織の1つで、この4月まで米国医学研究所(IOM)という名称でした。

CRISPR/Cas9 を用いて中国で行われたヒト受精卵での遺伝子改変実験の論文が発表されて以来、アメリカでは問題がさらに大きくなっています。日本では、「冷静に議論すべき」といった研究者の意見が聞かれるだけですが、アメリカではホワイトハウスが声明を発表するまでになっています。この違いはどこにあるのでしょうか?

ゲノム編集技術は、子供が遺伝的疾患をもって生まれてくるのを未然に防ぐことができる可能性をもっています。生まれてきた子供の遺伝的疾患を治療する方法として遺伝子治療の研究が進んでいますが、成果はなかなかみられません。しかし、ゲノム編集技術を用いて親の精子や卵子の遺伝子をあらかじめ修復しておけば、この問題を解決することができます。実はこの点こそが、ゲノム編集技術が注目されている理由の1つなのです。

遺伝的疾患をもった子供が生まれてくるのではないかと懸念している夫婦にとって、ゲノム編集技術は希望を与えてくれます。現在、不妊治療は世界で巨大なビジネスになっています。さらに不妊治療だけでなく、健康な子供を産むためのサービスを加えた生殖医療ビジネスへと成長を遂げようとしています。つまり、今後の生殖ビジネスにとって、ゲノム編集技術はなくてはならない技術と考えられているのです。

アメリカではすでにその動きが始まっています。ゲノム編集技術を扱うベンチャー企業が設立され、生殖医療サービスを行う企業がこれらのベンチャーと提携し、さらにこうした企業が不妊治療を行っている巨大なビジネスに結びつこうとしているのです。アメリカでは、科学の基礎研究の分野で大きなブレークスルーがあると、それがベンチャー企業を媒介としてすぐに応用分野にまで結びつく道筋がつくられ、そこに大きな資金が投下されていきます。つまりアメリカでは基礎研究分野の出来事が、同時に臨床応用の問題にもなるわけです。歯止めをかけなければ、研究は臨床応用に向かってどんどん進んでいきます。

日本では、基礎研究→実証→応用と段階を踏むのが研究開発の一般的なプロセスと考えられています。基礎研究と応用研究が同時に進んでいくアメリカの方式は、日本とは決定的にことなっています。この違いが、研究者の発言にとどまっている日本と、ホワイトハウスが声明を発表するアメリカとの違いにあらわれていでます。

生殖医療はアメリカやヨーロッパだけでなく、今後はアジアや中東諸国などでも巨大ビジネスになっていくと予想されています。中国や韓国がゲノム編集によるヒト遺伝子改変研究に力を入れているのには、そうした背景があるのも事実です。

ゲノム編集技術というと、理想の子供をつくる「デザイナーズ・ベイビー」の話題に結びつけられますが、そのようなSF的な話よりも前に、生殖医療サービスとしての応用がすでに目前の検討課題になっているのです。

CRISPR/Cas9 のCRISPR とはゲノム上の反複配列のことで、1987年に、当時大阪大学にいた石野良純氏が古細菌の免疫獲得メカニズムに関連して発見したものです。ゲノム編集技術の成立には日本人研究者も貢献しているわけですが、今や、日本はその分野で世界に立ち遅れてしまっているようです。
ゲノム編集技術(3):ミトコンドリア病の防止に利用
Gemone Editing:Elimination of Mitochondrial mutations

ミトコンドリア病の発症を防ぐためにゲノム編集技術を使う実験が行われ、その論文が『セル』誌に発表されました。

私たちの細胞の中にはミトコンドリアという小器官があり、ここで細胞が使うエネルギーが作られています。ミトコンドリアにもDNA があります。このDNA に変異が起こり、ミトコンドリアの働きが低下するとさまざまな症状が生じます。アメリカ、ソーク研究所のJuan Carlos Izpisua Beomonte らは、このミトコンドリア病を防ぐために、変異を起こしたミトコンドリアDNA を除去する実験を行いました。

1つの細胞内には数百のミトコンドリアがあり、それぞれのミトコンドリアには10個ほどのDNA があります。細胞内には多数のミトコンドリアDNA が存在しているわけですが、変異DNA をすべて除去する必要はありません。変異したDNA の数が相対的に減ってしまえば、ミトコンドリア病は防げると考えられています。変異ミトコンドリアDNA を除去するために使われたのは、TALEN とよばれるゲノム編集技術です。変異DNA を効率的に減少させることができたと、Izpisua らは報告しています。

ミトコンドリア病の予防として、変異をもつ母親のミトコンドリアを、他の女性のミトコンドリアと交換してしまう方法がイギリスで認可されています。しかしこの方法では、生まれてくる子供は3人からのDNA をもつことになり、倫理的に問題があると反対する研究者も多くいます。Izpisua らは、今回の方法でこの問題を回避できると述べています。

実験は大きく2つに分かれ、1つはマウスの細胞で行われました。もう1つの実験ではマウスの卵母細胞と、変異したミトコンドリアDNA をもつヒトの細胞を融合させた細胞が使われました。『ネイチャー』誌によると、Izpisua らは同様の実験を、次にはヒトの卵子や受精卵で行いたいと考えているようです。

中国で行われた実験と、今回のミトコンドリアの実験を一緒にしてしまうのは間違いかもしれませんが、ゲノム編集技術はさまざまな可能性を持っているだけに、ヒトの生殖細胞への適用には、もう少し時間をかけた方がいいようです。
ゲノム編集技術(2):中国で行われたヒト受精卵の遺伝子改変実験の論文
Genome Editing:Chinese scientists genetically modify human embryos

ゲノム編集技術を用いて、ヒトの受精卵の遺伝子改変実験を行ったという論文が発表されました。この実験は、中国、広州にある中山大学のJunjiu Huang らの研究チームによって行われたものです。

20150423_01

CRISPR/Cas9 というゲノム編集技術をヒトの生殖細胞に用いる実験が、複数、中国で行われたという噂をきっかけに、アメリカの科学者の間では、こうした実験を自主的に一時中止し、そのリスクや研究の進め方を議論しようという動きがはじまった矢先のことでした(ここ)。

ヒト生殖細胞へのゲノム編集を報告する世界最初の論文は「ヒトの3前核卵におけるCRISPR/Cas9 による遺伝子編集」というタイトルで、『プロテイン&セル』誌に掲載されました。『プロテイン&セル』誌は学術出版大手のシュプリンガー社が中国をベースに発行している月刊の学術ジャーナルです。オープンアクセスで、誰もが閲覧できます。『ネイチャー』誌によると、この論文は『ネイチャー』誌や『サイエンス』誌に投稿されましたが、倫理的問題もあり、リジェクトされたとのことです。『プロテイン&セル』誌には3月30日に投稿され、4月1日に受理されました。十分な査読が行われたかどうか、疑問視する向きもあります。

「3前核卵」とは、2つの精子が入った受精卵(3PN卵)のことで、不妊治療でおこなう体外受精でできてしまいます。この異常受精卵は発生のプロセスをたどることはないとされ、廃棄されてしまうので、Huang らは中国の規制ガイドラインに抵触しないと考えたのでしょう。Huang らはこの受精卵を使って、ベータグロビン遺伝子の異常を修復する実験を行いました。この遺伝子の異常はサラセミア(地中海貧血)という貧血症を起こします。

Huang らは、実験は中山大学の倫理委員会の許可を得ており、受精卵を提供した両親には十分なインフォームドコンセントが行われたとしています。

論文によると、ベータグロビン遺伝子の修復は効率的に行えなかったようです。しかもオフターゲットが多かったと報告されています。オフターゲットとは、DNA の標的としていた個所以外のところでCRISPR/Cas9 のシステムが働いてしまうことです。CRISPR/Cas9 はゲノム編集の強力なツールとなっていますが、ある頻度でオフターゲットが起こることが、1つの課題となっています。

CRISPR/Cas9 をヒトの生殖細胞に用いる実験には、まだ多くの議論やリスクの検討が必要です。

中国ではゲノム編集技術によるヒト生殖細胞の遺伝子改変実験が他にも行われており、さらに別の論文が発表される可能性もあります。


ゲノム編集技術(1)
Genome Editing Technology(1)

アメリカの生物学者の間で、ゲノム編集技術に関する議論が高まりつつあります。

ゲノム編集技術とは、DNA の二重鎖の任意の個所を削除したり、別の配列に置き換えたり、挿入したりする技術で、文字通り、遺伝情報の「編集」を行う技術です。2年ほど前に登場したCRISPR/Cas9 という新しい技術によって、ゲノム編集は容易に、かつ効率的に行うことができるようになりました。

CRISPR/Cas9システムは、Cas9タンパク質とガイドRNAからなり、DNA のターゲットとなる個所を切断します。

20150419_01

この技術は、例えば実験用の遺伝子改変マウスの作成、医薬品開発、家畜や作物の改良などに利用できます。また、ヒトの体細胞に用いて遺伝子治療を行うこともできるでしょう。同時にこの技術は、ヒトの生殖細胞や初期胚に用いることにより、生まれてくる赤ん坊の遺伝子をあらかじめ改変する時代への道を開くものでもあります。これまではSFの世界で語られてきた「デザイナーズ・ベイビー」が実現する可能性がでてきたのです。

今年の1月24日、カリフォルニアワインの産地として有名なナパで、生命倫理に関する会議が開かれ、CRISPR/Cas9 をヒト生殖細胞に用いる実験について話し合いが行われました。ヒト生殖細胞の遺伝子改変は倫理的に問題があるばかりでなく、まだその安全性や子孫へのリスクが明らかにされていません。

ナパの会議をよびかけたのは、CRISPR/Cas9 の開発者であるカリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダードナでした。この会議には、1980年のノーベル化学賞を受賞したポール・バーグも参加しました。バーグは1975年に開催されたアシロマ会議の主催者の1人です。アシロマ会議では、当時、急速に台頭してきた遺伝子組み換え技術の潜在的なリスクの検討や研究の進め方が話し合われました。ナパの会議は、いわば「アシロマ会議のゲノム編集技術版」といった位置づけで行われたものです。

この会議が開催され背景には、CRISPR/Cas9 をヒトの胚ないし生殖細胞に用いた実験が昨年中国で行われ、その論文が近く発表されるという噂がありました。この噂によると、実験は複数行われているようです。また、その1つは、ハーバード大学メディカルスクールの遺伝学者ジョージ・チャーチ教授の研究室に所属する若い研究者によって行われたと伝えられています。卵巣がんの手術で摘出された卵巣細胞を培養し、これにCRISPR/Cas9を用いてBRCA1 という遺伝子の修復を行ったとのことです。BRCA1 はがん抑制遺伝子の1つで、これに変異が起こると卵巣がんや乳がんを引き起こします。

論文はまだ出版されていないため、以上の内容はもちろん不正確な点もあると思われます。日本を含め多くの国では、生殖細胞の遺伝子改変は法律やガイドラインで禁止されています。

ハーバード大学の研究者はメディアからの問い合わせに答えていません。チャーチ教授は、「実験は基礎的なものだ」とメディアに答えており、このような実験が行われたことを暗に認める発言をしています。
STAP 細胞問題:ES 細胞混入と理化学研究所の説明責任
STAP 細胞論文の不正に関する調査委員会の報告によって、論文中でSTAP 細胞とされたものがES 細胞であると断定されました。調査委員会は酸処理した細胞を1週間培養している間に、過失または意図によってES 細胞が「混入」した可能性を述べていますが、実験プロセスのどこかでES 細胞への「すりかえ」が行われたことも考えられます。

ES 細胞の混入あるいはすりかえがどのようにして起きたのか、理化学研究所はさらに検証を進めるべきです。昨日の記者会見では「できる限りの調査は行った」と述べていましたが、理化学研究所に残っている当時の記録、例えば若山研究室あるいは小保方研究室でのマウスの使用記録、試薬等の購入記録、スタッフの実験ノートや出勤状況の確認、CDB の他の施設や装置の使用実績などを調べることや、関係者への聞き取りによって、ES 細胞がなぜ混入したかは明らかになってくるはずです。もちろん、実験で使われた4種類のES 細胞が小保方研究室にもたらされた経緯も、もっと詳しく調べるべきです。

理化学研究所は税金を使って研究をしており、今回の研究不正の全容を国民に明らかにする義務があります。このままでは、理化学研究所が十分に説明責任を果たしたとはいえず、ガバナンスの欠如が改めて問われることになるでしょう。
STAP 細胞問題:調査委員会の報告
STAP 細胞論文の不正問題を調べていた調査委員会の報告がありました。しばらくお会いしていない桂勲さんが調査委員長でした。

桂さんの報告はさすがに理路整然としており、説得力のあるものでした。遺伝子解析等による厳密な検証により、STAP 細胞といわれたものがES 細胞であることがはっきりしました。これまで由来がよくわからなかったテラトーマの画像に関して、小保方研究室に残されていたサンプルからDNA 断片を抽出し、ES細胞由来であることを明らかにした仕事も素晴らしいものでした。

調査委員会の報告によって、STAP 細胞という新しい万能細胞を作製したという『ネイチャー』論文の主張は完全に否定されました。

論文中のデータに関して多くの疑義が提出されていましたが、そのうち2点が不正(捏造)と認定されました。そのうちの1つは、STAP 細胞の増殖を示すグラフです。iPS 細胞を報告した有名な山中論文中のグラフのようなデータが欲しいといわれ、ほとんど同じグラフを捏造してしまう小保方さんの考え方は、私には理解できません。

その他の疑義に関しては、オリジナル・データが残っておらず、また小保方さんに要請してもデータが提出されませんでした。そのため、調査委員会としては不正の有無を判断することができませんでした。この問題は今後、何らかの対応が必要です。研究不正を行っても、データを廃棄してしまえば、不正を問われることがないという前例になってしまってはいけません。オリジナル・データを提出できない場合は不正とみなすという規程が必要です。この規程は文部科学省のガイドラインには明記されていますが、理化学研究所の規程ではふれられていません。

ES 細胞の「混入」について、調査委員会はそれが過失か、意図的であったか、意図的なら誰がそれを行ったかを判定することはできませんでした。この判定は、調査委員会の役割を超えているといえるでしょう。
STAP 細胞はなかった:検証実験結果の意味
STAP 細胞検証実験に関する12月19日の理化学研究所の発表により、多くの人が知りたいと考えていた「STAP 細胞はあるか、ないか」という疑問には、「STAP 細胞はなかった」という結論が得られました。科学的な厳密性の上からは、検証チームリーダーの相澤氏の「STAP 細胞を再現することはできなかった」あるいは「STAP 現象を確認することができなかった」という表現が正しいわけですが、社会的にはこれで、STAP 細胞が存在しないことが確認されたといっていいでしょう。

科学の世界でいえば、7月にSTAP 細胞論文が撤回された時点で、STAP 細胞はなくなっていました。STAP 細胞の存在を証明するものが論文であり、それが取り下げられた以上、STAP 細胞が存在するという主張の根拠は、どこにもなくなったわけです。理化学研究所の検証実験はSTAP 細胞があるかもしれないことを確認するための実験だったわけです。しかし、丹羽氏のチームがいくら厳密な実験を行っても、また、「こつ」や「レシピ」をもっているという小保方さん自身が実験を行っても、STAP 細胞は再現できず、「STAP 細胞が存在する」という証拠を得ることはできませんでした。

同じ日に発表された小保方さんのコメントによれば、小保方さんは再現実験に成功しなかったという結果に対して「困惑」を覚えているとのことです。しかし、「予想をはるかに超えた制約」のために、再現実験に成功しなかったという主張は説得性を持ちません。あまりのプレッシャーのために、「こつ」や「レシピ」を発揮することができなかったというのでしょうか。これは、検証者立会いの下での実験に失敗した超能力者のいいわけに近いものです。STAP 現象が真正なものであれば、どのような環境下においても、適正なプロトコールで実験を行うことによって再現は可能なはずです。

丹羽氏は、研究不正を防ぐにはどうしたらよいかという質問に対し、「共同研究者が出したデータをすべて信じずに、一から自分の手でやってしか論文を出さないという状況が科学にのぞましいかというと、なんとも判断がしがたい」と語りました。「科学者それぞれの良心と、お互いの信頼の度合いに依存するしかないことだと思う」という丹羽氏の言葉は、その通りです。そして、科学の世界でごく当たり前のこの考えが危機にさらされていることを明らかにしたのが、STAP 細胞問題でした。

小保方さんの退職に関する野依理事長のコメントに、違和感を覚えた人も多かったでしょう。再現性のない論文を捏造した小保方さんが、なぜこれほど特別扱いされるのか不思議です。自分の研究ができる場を探しているポスドクの方や、地道に実験をくり返している若い研究員の方の多くは、納得できないのではないでしょうか。
STAP 細胞:小保方さん再現できず
各メディアの報道によると、11月末を期限に理化学研究所で行われていた小保方さんのSTAP 細胞再現実験は「再現できず」という結果に終わったようです。

理化学研究所からはまだ正式な発表がないので、あまり多くを書くことはできません。この時点でいえることは、「過去200回つくることに成功したというSTAP 細胞を、今回は小保方さん自身もつくることができなかった」ということです。『ネイチャー』論文で書かれていた方法以上に、どのくらい小保方さんのいう「こつ」や「レシピ」が入った実験だったかは、今のところわかりません。

「STAP 細胞が存在するのか? 存在しないのか?」。これは多くの方が一番関心をもっていることですが、STAP 細胞が存在する可能性はほとんどゼロになったといっていいでしょう。

しかしながら、STAP 細胞あるいはSTAP 現象というものを科学的に検証するという立場からすれば、小保方さんの再現実験の結果はあまり大きな意味をもちません。にも書いたように、小保方さんの再現実験自体が科学的にみてどこまで厳密な実験なのかが、わからないからです。テレビカメラを設置した密室で、立会人のもとに行う小保方さんの再現実験は、どこか超能力の検証実験に近いものがあります。実際にどのような実験を行ったのか、理化学研究所に詳しく聞きたいところです。

STAP 細胞問題は、まだ全容が見えていません。理化学研究所では、相澤・丹羽チームによる検証実験が続いているはずです。こちらの実験の方が、STAP 細胞を再現できるかどうかを客観的に検証してくれるでしょう。また、撤回された2本の『ネイチャー』論文の不正問題再調査の報告と、CDB に残されたSTAP 細胞関連サンプルの分析結果もまだ発表されていません。

STAP 細胞問題は、理化学研究所だけでなく、日本の科学研究全体に対して多くの人が不信感をもつきっかけになってしまいました。理化学研究所は今回の実験結果でSTAP 細胞問題の幕引きを図るのではなく、理化学研究所の失われた信頼を取り戻すために、STAP 問題の科学的検証を最後まで続けてほしいと思います。
小保方さんのSTAP 細胞再現実験の結果は?
11月末とされていた小保方さんのSTAP 細胞再現実験の期限が過ぎ、理化学研究所は実験が終了したと発表しました。結果はどうなったのでしょうか? 理化学研究所からは近々発表があると思われますが、ここで、以下の点を確認しておいた方がいいでしょう。

これまで明らかにされたさまざまな事実、あるいは丹羽チームの検証実験の途中結果等を総合すると、STAP 細胞が存在する可能性は限りなくゼロに近づいているというのが私の印象です。

そのような中で、小保方さんの再現実験は、結果の如何にかかわらず、STAP 細胞の科学的検証には何の役にも立たないということが言えます。なぜかといえば、全体の実験計画があらかじめ示されておらず、対照実験をどう行うかなどが明らかになっていません。小保方さん自身もSTAP 細胞作製の詳細なプロトコール(論文で発表されたものに加え、彼女自身が「こつ」あるいは「レシピ」といっているもの)を発表していません。これでは、仮に小保方さんが何らかの形で再現実験に成功し、緑色に光る細胞が出現しても、論文発表当時からの「第三者には再現不可能」という状況は何も変わりません。再現実験に関する議論がどうどう巡りするだけです。また、何らかの「STAP 現象」を示唆する結果が出たとしても、それを検証することができません。理化学研究所にとって、小保方さんの再現実験は、科学的検証とは別の事情があってのことと考えるしかありません。

一方、理化学研究所では、STAP 細胞を科学的に検証するための作業が、小保方さんの再現実験とは別に行われていることを忘れてはいけません。

1つは、CDB に残されていたSTAP 細胞関連株の解析です。理化学研究所は今年の6月16日に、その結果の一部を発表し、7月22日にその訂正版を発表していますが、その後の発表はありません。

もう1つは、撤回された『ネイチャー論文』2本の新たな調査です。これに関しては、理化学研究所は今年の9月4日に「研究論文(STAP 細胞)の疑義に関する本調査の実施について」という文書を発表し、外部有識者のみによる調査がはじまることを公表しました。この調査結果はまだ公表されていません。

上の2つが厳密な科学性をもって行われれば、STAP 細胞とはいったい何であったのか、なぜ『ネイチャー』論文のようなもの出来上がってしまったのかが明らかになり、科学界のみならず、社会を騒がせたSTAP 細胞問題に科学的決着がもたらされるでしょう。
日本列島の温暖化で、デング熱は今後も発生
Global warming and Dengue fever in Japan

日本でのデング熱の発生は、地球温暖化の影響の1つとして、以前から懸念されていました。平均気温の上昇によって、感染症を媒介する蚊などの活動が活発になるからです。今後、日本各地でデング熱が発生する可能性があります。

温暖化が進む日本で特に懸念されているのは、日本脳炎とデング熱です。日本脳炎は日本ではコガタアカイエカが媒介します。現在、日本では、日本脳炎の患者発生は年間わずかです。

日本でこれまで約70年間患者が発生していなかったデング熱は、いずれ大都市で発生すると予想されていました。デング熱を媒介するヒトスジシマカは人口密集地およびその郊外で主に生息します。大都市周辺では、地球温暖化以外にヒートアイランド現象によっても年間の気温が上昇し、ヒトスジシマカの活動しやすい環境になっています。したがって、今回の東京でのデング熱発生は、専門家の予想通りだったわけです。

20140908_01

日本列島の温暖化が進み、ヒトスジシマカの生息域は拡大しています。ヒトスジシマカは年平均気温が11度C 以上であれば定着可能といわれています。戦後、進駐軍による1946〜1948年の調査では、ヒトスジシマカの生息域の北限は栃木県北部でした。しかし、最近では東北地方まで広がっています。とはいえ、東北地方全体でヒトスジシマカが定着しているわけではなく、年平均気温が11度C 以上の地域や都市に限られます。ヒトスジシマカの生息域拡大には、東北自動車道や東北新幹線の開通による人と物の移動の活発化、東北地方都市部でのヒートアイランド現象の進行なども大きく影響しているはずです。いずれにしても、デング熱に感染するリスクのある地域が増えているのは事実です。

一番問題なのは、気温上昇によってヒトスジシマカの活動が活発になることです。ヒトスジシマカは気温が25〜30度C だと繁殖活動が活発になり、どんどん増えていきます。ですから、今後、デング熱の発生に気をつけなくてはいけないのは、やはり、年平均気温の高い日本列島の南の地域、さらにヒートアイランド現象によって1年中いつも気温が高い大都市です。

これらの地域では、ヒトスジシマカの個体数や世代数が増加し、生息密度が増加することになるでしょう。夏の気温が高いと、ヒトスジシマカの体内でのウイルス増殖が活発になる可能性があります。また、冬が暖かいため、幼虫や、場合によっては成虫が越冬できるようになります。このため、冬期に死ぬ個体数が低下し、それが翌年の個体数増加につながる可能性があります。都会の雨水マスは冬期も凍結せず、幼虫が越冬できます。こうした状況でデング熱ウイルスが入ってくれば、爆発的に感染が拡大する可能性があります。

ヒトシジシマカは公園、林、墓地、庭先など、人口が集まった地域の周辺で繁殖します。卵を産みつけるのは、雨水がたまった古タイヤやプラスチック容器、空き缶、墓石の花立て、竹やぶの切り株などです。雨水マスにも卵を産みつけます。こうした場所でボウフラが発生しないようにすることが大事です。

温暖化が進むと、日本列島の南の地域では、デング熱を媒介するもう1つの蚊であるネッタイシマカの発生にも注意しなくてはなりません。

日本列島の温暖化は、今後どんどん進んでいき、感染症の増加という面でも、私たちの健康に大きな影響を与えると考えられます。今回の流行を食い止めることが当面の課題ですが、デング熱の発生はこれで終わりになることはなく、長期的な取り組みが必要になります。
デング熱ウイルスはどうやって日本に来たか?
Dengue virus:How does it come?

現在のところ、デング熱感染者は皆、代々木公園あるいはその周辺でヒトスジシマカに刺されたとみられています。

20140904_01

デング熱ウイルスはどのようにして日本にやってきたのでしょうか?

デング熱の流行地で感染した人間が日本に運んできた可能性がありますが、デング熱ウイルスが日本にやってくるルートは、それ以外にもあります。感染蚊が飛行機でそのまま運ばれてくることも考えられます。また、日本への輸出品、あるいはそれを載せた貨物船と一緒にやってくる可能性もあります。ヒトスジシマカは水のたまった古タイヤやプラスチック容器などで繁殖します。現在、アメリカに生息しているヒトスジシマカは、かつて日本から輸出された古タイヤと一緒にアメリカに渡ったものです。

人と物の国際間の動きがこれまで活発になっている今日、ウイルスを水際で食い止める作戦には限界があります。空港には検疫体制が整備されており、発熱した人に対してはすぐに検査が行えるようになっていますが、潜伏期間を考えると、本人が感染に気付かずにゲートを通過してしまうこともあります。まして、貨物船でやってくる感染蚊を完全に駆除することは難しいでしょう。

これからも、何度となくデング熱ウイルスは日本にやってくるでしょう。

現在、代々木公園では駆除作業が行われています。ヒトスジシマカの個体が移動する距離は100メートル程度とみられているので、とりあえずデング熱ウイルスの拡散を封じこめることはできるかもしれません。しかし、代々木公園以外の場所にも、ウイルスを保有したヒトスジシマカのコロニーがつくられているかもしれません。また、ウイルスを感染した動物が遠くまで移動することや、感染者が自宅周辺でヒトスジシマカに刺されることによって、ウイルスが拡散しているかもしれません。

今回のような感染者の突然の発生は、今後も起こる可能性があることを前提に対処することが大事です。
デング熱:ウイルスをもつ蚊は以前から生息していた?
When Dengue virus established in Japan?

デング熱の国内感染者は34名になっています。デング熱ウイルスをもったヒトスジシマカに刺されたのは、いずれも東京の代々木公園内あるいはその周辺のようです。これだけの感染者が出ているということは、ウイルスを保有するヒトスジシマカがそれなりの数、生息していたことを意味しており、代々木公園にはデング熱ウイルスを保存するヒトスジシマカの生活環がすでにできていたと考えられます。推測の域を出ませんが、デング熱を保有するヒトスジシマカは、すでに数年前から日本に生息していた可能性があります。

20140903_01

ヒトスジシマカはいわゆる「やぶ蚊」で、産卵に必要な栄養を取るために、雌だけが吸血します。吸血の対象は人間だけでなく、イヌ、ネコ、ネズミ、両生類、カモ、スズメなど多岐にわたっていることが、国立感染症研究所の調査で明らかになっています。デング熱のウイルスは、ヒトスジシマカ→人間・動物→ヒトスジシマカというサイクルで伝播していきます。

ヒトスジシマカが人間を刺すとき、血液を凝固させない物質を含む唾液を注入します。蚊に刺されるとかゆくなるのは、このときに起こるアレルギー反応のためです。唾液の中にデング熱ウイルスが含まれていると、ウイルスは人間の体内に入っていきます。デング熱の潜伏期間は3〜10日とされています。その後、突然発熱して症状があらわれてから4〜5日間、患者は血液内にウイルスが存在する「ウイルス血症」の状態になります。このウイルス血症の患者を別のヒトスジシマカが吸血すると、ウイルスはそのヒトスジシマカに感染します。ウイルスはヒトスジシマカの中で増殖し、10日〜2週間で唾液腺に含まれるようになります。こうして新たな「感染蚊」(ウイルスを感染させる可能性をもつ蚊)が生まれます。感染蚊は死ぬまで感染力をもち続けます。このようなサイクルでデング熱ウイルスは伝播し、保存されています。代々木公園では、このデング熱ウイルス感染蚊の生活環ができていたわけです。

ヒトスジシマカの卵は数日で孵化して幼虫(ボウフラ)になります。それから2週間ほどで成虫になり、30日ほど生きている間に何度も産卵します。3月から10月くらいまでに、ヒトスジシマカはこうしたサイクルを7〜8回くり返します。冬は卵の状態で越冬しますが、気温が十分に高い場合は、幼虫で越冬することもできます。一部では、ウイルスは卵の状態で保存され、次の世代に引き継がれると報道されていますが、実験室ではそのような可能性はあるものの、自然界ではないようです。

デング熱が流行している国から帰ってきた日本人、あるいは流行している国からの旅行者が現地で感染し、たまたま代々木公園でヒトスジシマカに刺された。そこからウイルスが急速に広がって、これだけの感染者が出たとは、私にはあまり考えられません。いずれにしても、今回の患者から採取したウイルスのゲノムを解析すれば、ウイルスの由来が分かってくるでしょう。
エボラウイルス:ヒト間で伝播しながら変異
Ebola virus:Origin and transmission in Sierra Leone

西アフリカでのエボラ出血熱の感染拡大が止まりません。新たにセネガルでも感染者が確認されました。

『サイエンス』誌の8月28日付けの電子版で、エボラウイルスのゲノム解析にもとづいたシエラレオネでのウイルス伝播に関する論文が発表されました。

今回の流行は2014年2月にギアナで始まり、3月にリベリア、5月にシエラレオネ、ナイジェリアに広がりました。論文は、5月下旬から6月半ばまでの間に、シエラレオネのエボラウイルス感染者78名から採取した99個のサンプルを、ハーバード大学のStephen K. Gire らのグループが解析し、報告したものです。

論文ではまず、今回流行しているエボラウイルスの起源を、過去に流行したエボラウイルスのゲノムと比較して検討しています。それによると、今回流行しているウイルスは、2007〜2008年にコンゴ民主共和国で流行したウイルスと共通の祖先をもち、2004年頃に分岐したものであることがわかりました。また、これらのウイルスは、2001年〜2005年にガボンとコンゴ共和国で流行したウイルスと共通の祖先をもち、1999年頃に分岐したことが明らかになりました。

20140831_01

最近の3回の流行のウイルスは共通の祖先をもっていたわけです。このことは、今回流行しているウイルスが、過去の流行と共通の自然界のウイルス貯蔵庫(宿主)からもたらされたものであることを意味しています。

また、ギアナでの感染者のウイルスとシエラレオネでの感染者のウイルスは、2014年2月に共通の祖先にたどりつくことから、ウイルスはヒト間の感染で広まっており、流行の間に、自然界からの新たな感染があったわけでないこともわかりました。

20140831_02

シエラレオネでの最初の感染者のうち12名は、皆、ギナアにおいてエボラ出血熱で死亡した患者の葬式に参加した際に、ウイルスに感染したと、論文は報告しています。葬儀の際に死者を火葬せず、遺体に触る習慣があることから、感染が起こった可能性があります。

論文はまた、今回流行しているウイルスゲノムの塩基の置換速度は、これまでに出現したウイルスの約2倍のスピードであることを報告しています、

20140831_03

ヒトの間で伝播しながら、ウイルスは変異を続けています。

この論文の58名の著者のうち5名は、論文が発表されたときにはエボラ出血熱で命を落としていました。

20140831_04

論文の解析に用いられたサンプルの多くは、シエラレオネのケネマ国立病院で採取されました。亡くなった5名はいずれも同病院のスタッフでした。同病院では、20名以上の医師、看護師、支援スタッフがエボラ出血熱で亡くなっています。エボラ出血熱とのきびしい闘いの中で生まれた論文です。
STAP細胞、再現できず
Riken failed to reproduce STAP cells

理化学研究所が4月から行ってきたSTAP 現象検証実験の中間報告がありました。丹羽仁史氏の報告によると、C57BL/6 という系統のマウスを使い、『ネイチャー』論文に書かれていた通りの方法で実験を22回行いましたが、STAP 現象は確認できなかったとのことです。

丹羽氏によると、STAP 細胞ができたかどうかを、3つの方法で調べたとのことです。1つは、細胞が多能性をもつと緑色に光る遺伝子を入れたマウスの細胞を用い、緑色の蛍光を発するかどうかを調べました。この緑色の蛍光は、早い時期から、細胞が死んでいくときの発光ではないかと指摘されていたものです。検証チームの実験でも、緑の蛍光が確認しました。下の図版は、今日の中間報告で発表されたもので、この蛍光を調べたものです

20140827_01

この図版で、左上の画像は、酸処理によってできた細胞塊です。右上の画像は、この細胞塊を緑色のフィルターで観察したもので、緑色の発光が認められます。右下の画像は、同じ細胞塊を赤色のフィルターで観察したものです。緑の蛍光が、細胞が多能性をもったためとすると、その光は特定の波長をもつため、赤色のフィルターでは発光が観察されないはずです。ところが、右下の画像では光が認められます。どうやら、STAP 細胞ができた証拠とされてきた緑色の蛍光は、細胞が死ぬ時の自家蛍光だったようです。

STAP 細胞ができたかどうかは、この緑色の蛍光以外に、細胞内で多能性をもつと働き出す遺伝子の発現量を、定量PCR という装置で計測する方法と、多能性をもつと働き出す遺伝子がつくりだすタンパク質が存在するかどうかを調べるという方法でもチェックされました。

しかしながら、どの方法においても、STAP 現象が起こっていることを認めることはできませんでした。STAP 細胞が存在するのか、しないのか、最終的な結論を出すのはまだ早いかもしれませんが、今日の中間報告を聞く限り、小保方さんがつくったと主張するSTAP細胞が存在する可能性は限りなく小さくなったといわざるを得ないでしょう。

検証チームは今後、別の系統のマウスを用いる実験や、細胞に酸処理以外の刺激を与える実験も行うとのことです。

多能性細胞実験のプロ中のプロである丹羽氏は、小保方さんが論文に書いていた方法でSTAP 細胞を作製することはできませんでした。一方、小保方さんは200回も作製に成功したと言っています。そうすると、もしも本当のSTAP 細胞が存在するとすれば、そこには小保方さんのみがもつ「こつ」や「レシピ」が存在すると考えなくてはいけません。小保方さんはこれから自ら再現実験を行うわけですが、にも指摘したように、小保方さんは自分で実験する前に、その「こつ」や「レシピ」を明らかにする必要があります。そうでなければ、小保方さんの再現実験は見世物の域を出ず、科学的に行われた実験ということはできません。
エボラ出血熱:開発中のワクチンと治療薬
Ebola outbreak:vaccines and drugs in development

エボラ出血熱の感染が拡大しています。承認を受けたエボラ出血熱の治療薬やワクチンはまだ存在しません。WHO は未承認の薬を患者に使用することを認める決定を行いました。

リベリアでエボラ・ウイルスに感染し、アメリカに緊急輸送された2人のアメリカ人にはZMapp という治療薬が投与されました。ZMapp はカリフォルニア州サンディエゴのバイオ企業Mapp Biopharmaceutical 社が開発した治療薬で、3種類のヒト化モノクローナル抗体を混合したものです。タバコの仲間の植物ニコチニアの細胞が産生系に使われています。エボラ・ウイルス表面の抗原にモノクローナル抗体が結合し、細胞への侵入を阻止します。ZMapp はまだ研究段階で、ヒトでの安全性や効果は試験されていません。その薬が使われたのはきわめて異例のことです。

ZMapp のほかにも、以下のような治療薬やワクチンが開発中です。

モノクローナル抗体を用いた治療薬は、多くの研究機関や企業でも研究されています。カナダのTekmira 社が開発したTKM-Ebola はRNA 干渉を利用した治療薬で、フェイズI の臨床試験が開始された唯一の薬です。

カナダ公衆衛生局とニューヨーク州のProfectus Biosciences では水疱性口内炎ウイルス(VSV)をベースにしたワクチンを開発中です。このワクチンは動物実験で、ザイール株のエボラ・ウイルスに対して効果を発揮しています。アデノウイルスをベースにしたワクチンは、少なくとも3つの研究機関や企業で開発中です。

アメリカ陸軍感染症医学研究所ではヌクレオシド類似体の治療薬の研究を進めています。Sarepta Therapeutics では、AVI-7537 というアンチセンス治療薬を研究しています。また、富山化学工業のインフルエンザ治療薬のファビピラビルも、エボラ治療薬の候補に上がっています。

Mapp 社はZMapp を現地に提供する準備をしています。また、TKM-Ebola を試験中のTekmira 社にアプローチしている国もあるようです。
エボラ出血熱、これまでで最大の流行
Ebola Hemorrhagic Fever Outbreak in West Africa


西アフリカでこれまでで最大規模のエボラ出血熱の流行が続いています。WHO の報告によると、7月30日段階で、エボラウイルスの感染者・感染の疑いのある患者の総数は1440名、うち死亡が826名です。うちわけは、ギニアで感染者472名、うち死亡346名、シエラレオネで感染者・感染の疑いのある患者574名、うち死亡252名、リベリアで感染者391名、うち死亡227名、ナイジェリアで感染の疑いのある患者3名、うち死亡が1名です。

エボラウイルスはひも状の形をしており、きわめて病原性の高いウイルスです。

20140804_01

エボラウイルスには、ザイール株、スーダン株、タイフォレスト株、バンディブジョ株、レストン株が確認されています。このうち、レストン株はサルには感染しますが、ヒトには感染しません。ウイルスの遺伝子解析の結果、今回流行しているのはザイール株であることがわかっています。

エボラウイルスの自然宿主は野生のコウモリと考えられています。ウイルスはコウモリの仲間の間で保存されていますが、森の中でサルやその他の野生生物に感染を繰り返しています。こうした動物の臓器や血液にヒトが接触すると、ウイルス感染がおこります。

20140804_02

エボラウイルスの今回の流行は、都市部に近い場所で起こっているため、感染者が増えているとのことです。また、医療関係者にも感染者がでています。リベリアで感染したアメリカのケント・ブラントリー医師はジェット機で8月2日にアメリカに搬送され、アトランタのエモリー大学病院に入院しました。一緒に感染した助手のアメリカ人女性も近々搬送される予定です。
STAP 問題:小保方さんの再現実験の問題点
『ネイチャー』誌に掲載されたSTAP 細胞に関する2本の論文が撤回されました。2本の論文にかかわる多数の疑義、遺伝子データの解析結果、残されていた細胞の由来などを総合的に考えれば、STAP 細胞というものはどこにもなかったと言わざるをえず、すべてはES 細胞で説明がつくという事態になっています。それにもかかわらず、理化学研究所は、小保方さんによるSTAP 細胞再現実験の計画を発表しました。しかしながら、この実験は科学的にはまったく意味を持たず、こんな計画しか立案できない理化学研究所に、私は失望しています。

理化学研究所は、不正防止のために実験室に監視カメラを設置し、立会人を置くことで実験の透明性が確保できるとしていますが、この程度の監視体制であれば、有能なマジシャンならいくらでもトリックが可能でしょう。

小保方さんを密室に閉じ込めて実験をさせても、科学的にはまったく意味はありません。大事なのは、事前に厳密な実験計画を立てることです。にも書いたように、小保方さんは実験をはじめる前に、詳細なプロトコールを提出しなければなりません。STAP 細胞の再現実験に成功していない丹羽チームの方法と、どこが違うかをはっきりさせる必要があるからです。理化学研究所はその上で、小保方さんの実験を許可すべきです。小保方さんとまったく同じことを他の人が同時に行う対照実験も必要です。また、実験に立ち会う「第三者」は、理化学研究所が選ぶのではなく、日本学術会議なり、日本分子生物学会なりに人選をまかせるべきです。

理化学研究所がこうした準備もせずに、小保方さんに実験をさせるとすれば、「理化学研究所は小保方さんの助けを借りてでも、STAP 現象がまったく否定されないか、数年間はその存在の有無をあいまいにできるなんらかの結果を出したいと考えている」という海外の見方を払拭することはできないでしょう。
STAP 問題:小保方さんの再現実験参加に必要なこと
理化学研究所は、「STAP 現象の検証計画」に小保方さんを参画させると発表しました。理研CDB(発生・再生科学研究センター)では丹羽チームが検証実験を行っていますが、5月末から小保方さんがCDB に来て、実験のアドバイスをしていると報道されています。検証実験への、このなしくずしの小保方さんの参加には釈然としないものを感じている人も多いでしょう。

検証実験に小保方さんが参加することになった以上、少なくとも以下のことをまず行うべきです。

丹羽チームの検証実験はこの段階で中止し、STAP 現象を再現できなかったこれまでの結果を詳細に公表すべきです。次に、小保方さんはより詳細なプロトコールを公表しなければなりません。単なる「こつ」では、サイエンスにならないからです。この2つが明らかにされた後、小保方さんが参加して行う実験計画を立てるべきです。さらに私は、小保方さんが再現実験を行う場合、対照実験として別の人が、小保方さんとまったく同じことを並行して行うべきと考えています。

検証実験には第三者を立ち会わせる、映像による監視を行う等の措置がとられると、理化学研究所は発表していますが、以上が明らかにされてから検証実験が行われなければ、実験の公正性は保たれず、私たちには何も知らされない密室での実験が繰り返されるだけです。
STAP 細胞はどこからきたか
本日、山梨大学の若山先生が記者会見を行い、小保方さんから預かっていたSTAP 幹細胞を第三者機関が解析した結果を発表しました。その結果、小保方さんがSTAP 細胞であるとして若山先生に渡した細胞は、若山先生が小保方さんに提供したマウスからつくられたものではなかったことが明らかになりました。

若山先生がSTAP 細胞の実験のために提供したマウスは「129「と「B6」という2つの系統のマウスをかけ合わせた129B6F1 というマウスでした。ARTICLE の最初の部分にもそう書かれています。ところが、FLS とよぶSTAP 幹細胞では、由来するマウスは129B6F1 だったものの、GFP 遺伝子が挿入された染色体が異なっていました。つまり、若山先生が提供したものとは別のマウス由来だったのです。また、AC129 とよぶ別のSTAP 幹細胞では、129 の系統のマウスを提供したにもかかわらず、実際は129B6F1 に由来していました。

小保方さんがつくったとされるSTAP 細胞の由来が、若山研究室から提供されたマウスでないとすると、STAP 細胞はどこから来たのでしょうか? 今やこれがきわめて大きな問題になってきました。現在、発生・再生科学研究センター(CDB)では、小保方研究室に保管されている細胞や組織片の解析を進めているようですから、近い将来、STAP 細胞がどこからやってきたのか、明らかになるのではないでしょうか。
STAP 細胞問題:理研はこれからが正念場
研究不正再発防止のための改革委員会は、6月12日、「研究不正再発防止のための提言書」を理化学研究所に提出しました。その内容は、なぜこのような問題が起こったのかの背景まで分析したものになっています。

発生・再生科学研究センター(CDB)でSTAP 細胞問題が起きた原因として、提言書は以下の点を指摘しています。
・小保方さんにはユニットリーダーとしての能力も実績もなかったが、通常の手続き
 を省略した異例の採用となった。その背景にはiPS 細胞研究を凌駕する成果を獲得
 したいというCDB の強い動機があった。
・STAP 細胞論文は、十分に生データを検討することなく拙速に作成された。
・小保方さんのデータ管理はきわめてずさんであった。
・CDB には研究不正を抑止できない構造的欠陥があった。

改革委員会は小保方さんに「極めて厳しい処分」を求めています。小保方さんの上司であり、論文作成にも深くかかわった笹井副センター長も、小保方さんとならび「厳しくその責任が問われるべき」としています。また、今回の問題は笹井副センター長主導で行われたものの、竹市センター長の組織上の責任も厳しく問われるべきとしています。さらに、改革委員会はCDB の解体も提言しています。

改革委員会は、STAP 現象の有無を明らかにするために、科学的に正しい再現実験を行うことも提言しています。現在、相澤・丹羽チームが行っている実験は、小保方さんがSTAP 細胞をつくったかどうかを検証するには問題があるとし、外部の専門家を参加させた体制で行うべきとしています。

改革委員会はさらに「第2論文」(LETTER)についても徹底的な検証を行うことを提言しています。

改革委員会の提言内容はどれも説得性があり、きわめてまっとうなものです。理化学研究所がこの提言をどこまで実現し、失われた信用を回復できるのか、これからが正念場といえるでしょう。
STAP 細胞はES 細胞だった?
どうやらSTAP 細胞はES 細胞だった可能性が高いようです。理化学研究所統合生命医科学研究センター上級研究員の遠藤高帆氏らは、データベースで公開されたSTAP 細胞関連の遺伝子配列データを解析し、その結果を論文として投稿しました。遠藤氏はバイオインフォマティックスの専門家です。論文自体はまだ出版されていませんが、その内容の一部が報道されています。

それによると、遠藤氏らがSTAP 細胞の遺伝子配列データとされるものを解析したところ、ほぼすべての細胞で、8番染色体が3本ある「トリソミー」が見られることがわかりました。トリソミーという染色体異常をもつマウスは生まれてくることはできません。したがって、生まれて1週間後のマウスの脾臓から採取した細胞からSTAP 細胞をつくったという論文の主張が根底から崩れてしまいます。トリソミーはES 細胞でよく起こっていることが知られています。そのため、STAP 細胞は生きたマウスの細胞からではなく、ES 細胞を培養してつくられた可能性があるというわけです。

東京大学の2つのグループも、遠藤氏らとは独立に同じ結果を得ていると伝えられています。

STAP 細胞がES 細胞ではないかという疑問は、多くの人がずっと前から抱いていました。遠藤氏自身もすでに3月の段階で「STAP 細胞の非実在」や、STAP 細胞がES 細胞に非常によく似た特徴をもっていることをネット上で指摘していました(当時は名前は明かしていませんでした)。

先日報道されたように、遠藤氏らは、STAP細胞を培養して作製したとされるFI 細胞の遺伝子配列データも解析しました。FI 細胞は胎盤に分化できる性質をもった細胞で、これまで知られているTS 細胞と似ています。遠藤氏らの解析によると、FI 細胞が由来するマウスは、論文でSTAP 細胞を作製したとされるマウスとは別の系統のものでした。2種類の系統が混じっており、遺伝子配列データにはES 細胞とTS 細胞によく似た特徴が見られたとのことです。したがって、FI 細胞の遺伝子配列データの解析に使われたサンプルはES 細胞とTS 細胞が混合したものであると推測されます。

小保方さん側は『ネイチャー』誌の編集部からNGS(次世代シーケンサー)による遺伝子配列データを求められました。そのとき、何らかの事情で、小保方さんはES 細胞とTS 細胞が混合されたサンプルを解析にまわしてしまったのではないでしょうか。

STAP 細胞の正体が何であるにしろ、やはり小保方さんの行った実験の全容解明が必要です。STAP 細胞問題は科学史に残るスキャンダルになってしまう可能性があります。理化学研究所は自らすべてを明らかにし、反省すべき点については反省し、失われた信頼を取り戻す努力をすべきです。
STAP 細胞はなかった:ネイチャー論文2本撤回へ
小保方さんは『ネイチャー』誌に掲載された2本の論文のうち、ARTICLE についても撤回に同意したとのことです。小保方さんはすでにもう1本のLETTER の撤回には同意しています。小保方さんはこれまで、ARTICLE を撤回する意思はないことを表明してきました。それがなぜ、急に撤回に同意したのか。

これは私の推測でしかないのですが、『ネイチャー』誌側から、ARTICLE 取り下げの意向が伝えられたのではないでしょうか。『ネイチャー』誌はSTAP 細胞論文に関して調査を進めており、論文に書かれた内容を支えるだけの根拠がなくなれば、同誌独自の判断で論文を取り下げる可能性もあるとしてきました。ここに至って小保方さんも、自ら論文を撤回するという、不名誉ではあるけれども、『ネイチャー』誌の判断で論文を撤回されるよりは、その程度が少しは小さい方法を選択せざるを得なかったのではないでしょうか。

ここ数日、キメラマウス作製に使ったSTSP 細胞の由来に関する新たな事実が次々と明らかになっています。山梨大学の若山先生が外部に依頼していたSTAP 幹細胞の遺伝子解析の結果によると、STAP 幹細胞作製に使用したSTAP 細胞は、論文に書かれた系統のマウスではなく、ES 細胞およびTS 細胞の作成によく使われる系統のマウスだったとのことです。TS 細胞は胎盤をつくることができる細胞です。「胎児にも胎盤にもなれる」というふれこみのSTAP 細胞でしたが、もちかしたら、ES 細胞とTS 細胞の混入によるものだったかもしれません。

キメラマウスの実験結果は主にLETTER で述べられていますが、STAP 細胞が胎盤もつくる能力を持っていることはARTICLE でも述べられています。そしてその説明に使用したES細胞由来の胎児の写真とSTAP 細胞由来の胎児と胎盤の写真が、実は同じ細胞由来のものであることも明らかになっています。こうして、ARTICLE の内容を支持する材料は次々となくなっていました。

2本の論文が撤回されると、STAP 細胞が存在する根拠はなくなり、STAP 細胞はなかったという結論になるわけです。しかし、論文撤回によって、今回の問題が幕引きになるわけではありません。なぜ、こんなことが起こってしまったのか、事実の解明が今後の課題になります。

STAP 細胞問題:CBD で何が起きていたのか?
最近の報道によると、『ネイチャー』誌に掲載されたSTAP 細胞に関する2本の論文のうち、LETTER についても画像に疑義が指摘されました。Figure 1 のa とb に掲載されたマウスの胎児の画像です。

20140527_01

a はES 細胞から作製したキメラマウスの胎児、b はSTAP 細胞から作製したキメラマウスの胎児です。a とb のそれぞれ真ん中の画像を比較すると、STAP 細胞由来の胎児は、胎児も胎盤も光っており、STAP 細胞が胎児にも胎盤にもなれる性質をもっていることを示しています。これこそが、STAP 細胞の存在なしには説明できない現象とされてきました。

ところが、発生・再生科学総合研究センター(CDB)の内部調査により、この2枚の画像は同じ日に、同じ細胞由来の胎児を撮影したものであることが明らかになりました。画像のファイルを管理していたのは小保方さんです。これが事実なら捏造の疑いが生じます。

しかしながら、理化学研究所はこの論文がすでに著者によって撤回の意志があるため、不正の有無の調査は行わないと発表しました。この理研の判断には疑問が残ります。

2本のSTAP細胞論文で述べられている実験が本当に行われたことを証明する材料は、どんどんなくなっています。華々しく登場した2本の論文は、もはや世界の誰も相手にしないものになってしまったといっていいでしょう。ただし、これまで何度も述べたように、小保方さんが一体どのような実験を行ったのかは検証されるべきです。また、CDB ですでに行われた調査結果を理化学研究所は公表すべきです。

STAP 細胞についての問題が起こった当初から、私には1つの大きな疑問がありました。CDB センター長の竹市雅俊先生は、細胞接着分子の研究で世界的な業績をあげた研究者です。私はずっと以前、京都大学の岡田節人研究室で、発見したばかりの細胞接着分子の話を、若かりし頃の竹市先生から聞いたことがあります。竹市先生は、科学者の良心のかたまりのような人でもあります。その竹市先生がセンター長を務めるCDB で、なぜ、このような問題が起こってしまったのか?

STAP 細胞問題は、小保方さんという特異なキャラクターなしには語れませんが、それだけでは説明できない何かが、CDB 内で起こっていたに違いありません。
STAP 細胞論文:理化学研究所、再調査せず
STAP cells paper:RIKEN decided not to reinvestigate

5月8日、理化学研究所はSTAP 細胞論文に関する再調査を行わないと発表しました。再調査を行って、論文全体を改めて調査すべきと考えていた私にとって残念な結論ですが、結局、小保方さん側が、再調査に値する新たな材料を提出できなかったことが、この結論の理由になっています。

調査委員会が発表した文書「不服申立てに関する審査の結果の報告」に関しては、別にまとめたいと思いますが、STAP 細胞問題のうち、論文の不正問題はひとまず決着をみました。一方で、STAP 細胞論文に関する疑義の多くが、まだ明らかになっていないことを忘れてはいけません。今後の再発防止策に役立てる上からも、小保方さんが行った実験自体の検証を、理化学研究所が改めて行うことを期待します。
STAP細胞問題:「石井論文」の図が改ざんでない理由
STAP細胞論文に関する調査委員会の委員長だった石井俊輔氏がかかわった2本の論文に対して、データの「切り貼り」や「使い回し」の疑義が出されました。石井氏は指摘された2本の論文に関する実験ノートを公開し、いわゆる不正行為はなかったと説明しています。実際、これらの論文で行われている画像の加工は、改ざんにあたるものではないと、私も考えます。

2本の論文で指摘されたのは、電気泳動に関する画像です。電気泳動を行う場合、条件を変えたサンプルをいくつものレーンに流すことになります。論文を作成する際には、ゲル全体の画像を示すことはスペースの都合からも不可能で、必要な部分を切り取って使用することになります。例えば、指摘された論文の1つ、2008年の『オンコジーン』誌に掲載された論文の図5では横に16個のサンプルが並び、それらのサンプルについて5種類の遺伝子の発現状態が示されています。

この図を作成するために12枚の電気泳動のデータが用いられたことが、石井氏が公開した資料で示されています。その中から必要な部分を切り取って並べる際、必要のないレーンを削除するだけでなく、一部の遺伝子のデータについては他のデータのサンプルの順番と合わせるために、レーンの順番を入れ替えています。

電気泳動の結果の一部を使用することや配置の順番を変えることは、それ以前も、今でも行われていることです。かつては、プリントした写真を実際に切って配置したため、誰でもそれが分かりました。ところが1998年頃からフォトショップなどの画像加工ソフトが使われるようになると、画像の切れ目が分からなくなりました。そこで、2005年頃から各ジャーナルは、一部を使用したり順番を入れ替えた場合には、線を入れたり、枠で囲うことを求めているのです。電気泳動画像の一部使用や順番の入れ変え自体は認められており、画像の改ざんとはされていません。

『オンコジーン』誌の論文は、論文投稿時に以上のような投稿規定が存在していたとすれば、それに違反している可能性があります。そのため、石井氏らは以下のように画像の間に線を入れる訂正をしたのです。オリジナルの画像では、一部に間違った画像が配置されていたため、それも同時に訂正されました。『オンコジーン』誌の編集部は不正でないことを認め、訂正を受諾しています。

2004年に掲載された『JBC』誌の論文中の図も同様で、いずれも画像の改ざんに当たるものではないと、私は考えます。
小保方さんは本当にSTAP 細胞を作ったのか?
STAP cells:Her research result is real?

STAP 細胞論文に対する疑義が話題になってから、かれこれ2か月以上になります。さまざまな議論がありますが、問題は大きく3つに分けられると思います。1つ目は「論文に不正行為があったかどうか」、2つ目は「STAP 細胞はあるのか、ないのか」、そして3つ目は「小保方さんは本当にSTAP 細胞を作ったのか」です。

理化学研究所の調査委員会は、論文に「改ざん」と「捏造」があったと認定しました。今回のSTAP 細胞問題で、理化学研究所に対して研究者からもいろいろな批判が出ました。それらに関して理化学研究所は真摯に受け止める必要があるでしょう。しかしながら、調査委員会の不正認定に関して異論を唱える研究者はいません。小保方さんは不服申し立てをしていますが、これらが明らかに不正に当たることは誰もが認めているのです。

多くの人が、STAP 細胞があるのか、ないのかを知りたいと考えていますが、今のところ、どちらかはわかりません。しかし、この問題はいずれ科学の世界で結論が出るでしょう。

最後に残るのは、STAP 細胞が存在するにしても、小保方さんが本当にSTAP 細胞をつくったのかどうか、という問題です。『ネイチャー』論文に多くの不備が見つかり、信頼性が揺らいでいるということは、小保方さんが実際にどのような実験を行い、どのような結果を得ていたのかも、はっきりしていないことを意味しています。私はSTAP 細胞捏造説を展開したいわけではありません。小保方さんが行った実験自体と、論文が成立したプロセスを検証しない限り、今回のような問題が起こった原因を知ることはできず、「再発防止」を語ることもできないのです。

この件に関しては、3月19日に発表された日本学術会議会長である大西隆氏の談話「STAP 細胞をめぐる調査・検証の在り方について」でも、「本論文の核心であるSTAP 細胞を作製したという科学的主張の妥当性について、必要に応じて新たな態勢をとって検証すること」と明記されています。

先日の笹井さんの記者会見で、論文ができ上がるプロセスについて説明がありました。笹井さんが話したことが事実から大きく離れていることはないでしょう。しかし、笹井さんが話さなかったところに、まだ大きな謎が残っています。捏造とされた画像が論文に掲載された経緯に関しても、納得のいく説明はされていません。

理化学研究所は信頼できる第三者を加えて、すべての実験ノートやハードディスク内のデータのチェック、関係者全員からの聞き取り、マウスや試薬等の購入・使用の実績、残されているSTAP 細胞、STAP 幹細胞、キメラマスス、テラトーマ組織片などの分析を行い、報告すべきであると私は考えます。問題がここまで大きくなってしまった以上、国民や科学界の信頼を回復するためにも、それが必要です。

本来、これは調査委員会で行われるべきものでした。アメリカでは、通常こうした調査が行われれば、膨大なページ数の報告書が作成されます。先日発表された理化学研究所の調査報告書は、サマリー程度のページ数しかありませんでした。再調査を行うのであれば、上のような全体的な調査を改めて行い、その中で改ざんと捏造の有無を検討すべきでしょう。それをしないのであれば、調査委員会とは別の検証チームを立ち上げる必要があります。
STAP 細胞論文:小保方さん弁護団の追加資料
STAP cells paper mess:Obokata’s appeal

小保方さんの弁護団は、不服申立書を補足する「不服申立についての補充書」を理化学研究所に提出し、受理されました。この「補充書」の要約版を読む限り、不服申立書をまさに補充するだけのもので、何ら新しい情報は含まれていません。理化学研究所が再調査を行うに足る材料にはならないと思われます。

「補充書」の内容は、主に「捏造」と認定された「画像A2」に関するもので、本来掲載すべき「画像B」が存在する以上、小保方さんが『ネイチャー』論文にこれを意図的に掲載することは「経験則上ありえない」と述べています(私には、1年前の博士論文で使用した画像を間違えることの方が経験則上ありえないと思いますが)。今回の補充書では、2012年6月9日に撮影されたとされるこの画像B が、マウスの脾臓由来のSTAP 細胞で作成したテラトーマの画像であることを示す資料が提出されていると思われます。

補充書では、改めて「掲載すべき画像B」が存在する以上、捏造には当たらないと主張し、調査委員会の報告書が「画像B が提出されたことについて何らの記載はなく、また、その提出された画像B が脾臓由来の酸処理することにより得られたSTAP 細胞が用いられたテラトーマの免疫染色データであるか否かについての調査の結果について、何らの記載もない」と批判しています。しかしここで述べたように、この主張は捏造の定義を誤って解釈しているのであり、画像B の有無にかかわらず、画像A2 を掲載したこと自体が捏造にあたるのです。

弁護団は、「真正な画像が存在すれば捏造ではない」という主張を、メディアを通じて世間に広める戦術のように思われます。これまで科学の世界が守ってきたルールがこうした形で捻じ曲げられてしまうことが心配です。

先日の記者会見で、小保方さんはこれからも研究を続けたいと語りました。私はその心情に嘘はないと思います。その小保方さんが、科学のルールを否定する主張にくみしていることに、私はがっかりしています。
STAP 細胞論文:小保方さんの主張 の問題点(3)
STAP cells paper:Questions about Obokata’s appeal (3)

小保方さんの不服申立書で行われている主張の3つ目の問題点は、調査委員会が「捏造」と認定したFigure 2d および2e の免疫染色の画像にかかわるものです。

不服申立書では、理化学研究所の規程において、捏造とは「データや研究成果を作り上げ、これを記録または報告すること」と定義されていること、また文部科学省のガイドラインでは、捏造とは「存在しないデータ、研究結果等を作成すること」となっていると述べています。もちろん、これが捏造の正しい定義です。不服申立書では、本件の画像は取り違えにより論文に掲載されてしまっただけであり、掲載すべきであった画像は別に存在しているので、「事実でない事を事実のようにこしらえ」る行為はなく、「存在しないデータや研究結果を作り上げ」た行為も存在しないことは明らかなので、捏造に当たるものではないと主張しています。

不服申立書は、「存在しないデータ」を拡大解釈し、どこかにしかるべきデータが存在すれば、論文にどんなデータを使用しても捏造には当たらないという理屈を展開しています。

調査委員会が報告しているように、Figure 2d と2e は、実験条件も、使用した細胞も異なるものです。すなわち、STAP 細胞の実験においては存在しないデータを使用して、STAP 細胞は体のどの細胞にも分化することを説明しているのですから、このこと自体が「存在しないデータや研究結果を作り上げ」ていることになり、調査委員会は「掲載すべきであった画像」に触れることなく、これを捏造と認定したのです。画像の中の説明をつくり直していることから、『ネイチャー』論文掲載にあたって、小保方さんの意図が働いていたことは明確です。

『ネイチャー』誌に掲載された画像の由来に関する小保方さんの説明も、むしろ「捏造」の事実を示すものになってしまいます。不服申立書では、『ネイチャー』誌論文に掲載された画像は、内部のラボミーティング用に作成されたパワーポイントに使用されたものであるとしています。このパワーポイントは2011年11月24日に作成された後、何度もバージョンアップがなされており、どのバージョンの画像が論文に掲載されたかは特定できないとしています。そもそも、このパワーポイントは、STAP 細胞実験にかかわる報告を行うもので、この中でSTAP 細胞が体のいかなる細胞にも分化できることの説明に使われたとのことです。とすると、このパワーポイント作成の段階で実験結果の「捏造」が行われていたと考えなくてはなりません。

論文が『ネイチャー』誌に最初に投稿されたのは2012年4月です。『ネイチャー』編集部から不受理で戻ってきたこの論文で、すでにこの画像は使われていました。したがって時系列でいうと、小保方さんはこの画像について、まずラボミーティング用のパワーポイントで「捏造」を行い、それをそのまま『ネイチャー』論文に使用したと考えることができます。パワーポイント画像の説明文を加工しているわけですから、小保方さんはこの画像がSTAP 細胞実験によるものでないことを認識した上で、この画像を論文に使用しました。

小保方さんが「掲載すべきであった」とする画像についても、疑問が残ります。小保方さんは調査委員会に対して、「掲載すべきであった画像」として「画像B」と「画像C」を調査委員会に提出しています。画像B は2012年6月9日に撮影されたもの、画像C は2014年2月19日に「念のため」撮影したとのことです。

不服申立書では、「掲載すべきであった」画像B がずっと存在しており、単なる間違いのために差し替えられていなかっただけなので、「存在しないデータや研究結果を作り上げ」た捏造には当たらないと主張しています。ところが、この主張を受け入れたとしても、少なくとも、『ネイチャー』論文が最初に投稿された2012年4月には画像B は存在していなかったわけですから、この時点で「存在しないデータや研究結果を作り上げ」た「捏造」が行われていたことが、逆に明らかになってしまいます。問題の画像は再投稿された論文でもそのまま掲載されていたわけですから、この「捏造状態」は最近まで続いていたわけです。

また、画像B が撮影された2012年6月9日という日付に関して、調査委員会は実験ノートの記述等が不十分で、画像の作成日を特定することはできなかったとしています。この画像が小保方さんが主張する日に撮影されたのであれば、小保方さんはそれを証明しなければなりません。証明ができなければ、小保方さんの理屈によっても、「捏造状態」は論文の初投稿日から2014年2月19日まで続いていたことになってしまいます。

画像C が撮影された経緯も不自然です。2012年6月9日に撮影された画像があったなら、なぜ、撮り直したのでしょうか。不服申立書は「データの正確性を確保する目的で、念のため撮影した」と述べていますが、説得性に欠けます。

さらに不服申立書では、この画像の間違いは「申立人自らが発見して、自ら申告したもの」と主張しています。調査委員会は、これに関する経緯について、調査委員会が小保方さんから聞き取りを行った2月20日の数日前に、小保方さんから笹井さんに「画像の取り違い」について報告があり、笹井さんに指示されて小保方さんが2月19日に画像を撮影したと書かれています。この2月20日の数日前には、この画像が博士論文から流用された疑いがあるということは外部から指摘されておらず、自分から申告したと小保方さんは主張しているわけですが、実際には、この疑惑がネット上にアップされたのは2月13日であり、小保方さんはそれを知って、笹井さんに「間違い」を報告した可能性も否定できません。

事実関係で不明の点が、まだたくさんあります。実際のデータにもとづいて検証が行われなければなりません。

STAP 細胞論文:小保方さんの主張 の問題点(2)
STAP cells paper:Questions about Obokata’s appeal (2)

小保方さんの不服申立書で行われている主張の2つ目の問題点は、「改ざん」の定義に関するものです。

理化学研究所の規程では、「改ざん」とは「研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略により、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること」とされています。不服申立書では、ここで「真正でない」とは「虚偽」と同意であり、「真正でないものに加工する」ことが、「虚偽のものに加工する」ということであると主張します。そして、「その虚偽のものに加工する」対象は、「研究活動のよって得られた結果等」であって、「研究資料、試料、機器、過程」や「データや研究結果」ではない。いいかえると、「研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略」が行われても、そのために「研究活動によって得られた結果等」が虚偽のものに加工されたのでない場合には、「改ざん」には当たらないと主張しています。

ゲル1のレーン3には、T細胞受容体の遺伝子再構成を示すデータがありました。結果を「見やすいようにするために」挿入されたゲル2のレーン1の画像も遺伝子再構成を示すデータであり、結果が虚偽のものに加工されたのではないから、改ざんではないというのです。

小保方さんの主張では、「真正でないもの」を「虚偽のもの」とする「すりかえ」が行われています。理化学研究所の規程や文部科学省のガイドラインをきちんと読めば、「真正なもの」とは「本物であるもの」、そして「真正ではないもの」とは「本物ではないもの」を意味することは明らかです。本件の場合、「真正なもの」とは、ゲル1のレーン1から5までの画像のことです。これにゲル2のレーン1の画像を挿入し、あたかも、それがゲル1の画像であるように加工した時点で、ゲル1のデータは本物ではなくなっているのです。すなわち、これが改ざんに当たります。「研究活動によって得られた結果」(この場合はゲル1のレーン1〜5の画像)を「真正でないものに加工」しているからです。

ゲル2のデータをゲル1に挿入しても、結果は変わらないので虚偽ではなく、したがって改ざんではないというのは、きわめて乱暴な理屈で、社会通念上も通らないでしょう。科学論文の世界でこんなことが許されたら、論文の信頼性は保証されなくなってしまい、科学の公正性は失われます。「見やすい結果が得られなかったのなら、見やすい結果が出るまで、何度でも実験するべき」という、まじめに実験を行っている研究者の方々からの声が聞こえてきそうです。
STAP 細胞論文:小保方さんの主張の問題点(1)
STAP cells paper:Questions about Obokata’s appeal (1)

小保方さんが4月8日に提出した不服申立書には、きわめて重要な問題点が3つあります。1つずつ検討して見ましょう。

第1点は、「申立人への聴取が不十分であった」と主張している点です。不服申立書は「中間報告書の作成(3月13日)から本報告書の作成(3月31日)まで、約2週間という短期間の調査であることに加え、申立人に対し1回の聞き取りがあっただけである」と述べています。しかしながら、調査委員会は2月17日の調査開始から中間報告までに3回の聞き取りを行っており、この際に小保方さんには十分説明を行う機会があったはずです。

「改ざん」とされた電気泳動の画像について、不服申立書は「申立人によるレーン挿入の手順を正確に聞き取ることなく、調査委員会が独自に検証して(結果的には異なる手順を検討している。)判断をしてしまっている」と述べています。この画像に関しては、小保方さんはゲル2の画像の一部をゲル1の画像に挿入したことを調査委員会に説明しましたが、ゲル2の画像を右に2度回転させたことは説明しませんでした。不服申立書は「調査委員会が、申立人に対して、具体的な挿入手順について積極的なヒアリングを行い、弁明の機会を与えたならば、申立人は「2°の傾きの補正」を説明できたにもかかわらず、その機会を与えられ」なかったと、調査委員会を批判しています。しかしながら、小保方さんはゲル2の画像をゲル1に挿入したことを調査委員会に説明しているのですから、その際に自らすべてを説明すべきでした。それをしないで、調査委員会を批判するのは、言いがかりとしか考えられません。

「捏造」とされた免疫染色の画像について、不服申立書は、『ネイチャー』論文の画像はラボミーティング用のパワーポイントの画像を使用したと述べています。一方、調査委員会は小保方さんの博士論文の画像と酷似した画像が『ネイチャー』論文に使用されたと判断しました。これに対して不服申立書では、「調査委員会が、このような解析をなし、「異なる画像を誤って掲載した」という申立人の説明に疑問を持つに至ったのであれば、改めて、論文の画像は、どのように加工したのか、あるいは、どのような状態で保管していた画像を使用したのかについて、申立人に確認を求めるべきであった」としています。そして「申立人としても、調査委員会から、そのような質問を受けていたならば、パワーポイントの資料に掲載された画像を使用したことを説明できたのである」と述べています。

しかしながら小保方さんは、調査委員会がこの画像について質問した際、この画像が博士論文で使用した画像に酷似していることも、パワーポイントの画像から使用したことも説明しませんでした。それどころか、元画像のファイル名がまぎらわしかったため間違えたという虚偽の説明をしています。

このように、小保方さんは調査委員会の聞き取りに対して十分な説明をしておらず、調査を妨害した可能性があります。それにもかかわらず、調査委員会の聴取を不十分と主張するのは当たっていません。
STAP 細胞論文:これからどうなる?
STAP cells paper:What’s next?

理化学研究所の調査委員会による不正認定に対して、小保方さんは4月8日に不服申し立てを行い、9日には小保方さん自らが代理人とともに記者会見に臨みました。

不服申し立ての書面で、小保方さんは、調査委員会の調査は不十分であり、再調査を行って、不正ではないという認定を下すことを求めています。これが認められず、小保方さんに何らかの処分が下された場合、小保方さん側は理化学研究所に対して裁判を起こすことになるでしょう。小保方さんの4月1日のコメントも、不服申し立ての書面内容も、9日の記者会見で小保方さんが最初に読み上げたコメントも、すべてそうした事態を想定した上で、代理人が準備したものです。

今後、再調査が行われたとしても、今回の「改ざん」と「捏造」の認定が覆ることはないと思われます。ノーベル賞受賞者が理事長をつとめる日本有数の研究所である理化学研究所が研究不正行為を見逃すことになれば、理化学研究所のみならず、日本の科学の国際的信用は失墜します。優秀な人材が日本で研究をしたいとは思わなくなり、日本の科学の発展にきわめて深刻なダメージがもたらされる可能性があります。

しかしながら、小保方さんの代理人は、科学の世界での研究倫理の問題を、法廷の場に引きずり出すことができれば、十分に勝ち目があると判断しています。一方、理化学研究所はこうした事態を想定することなく調査を行ってしまいました。この混乱はまだしばらく続くでしょう。

理化学研究所は当初、論文の不備がこれほど大きな問題になるとは認識しておらず、論文の訂正で済むと考えていたと思われます。その後、事態が深刻であることがわかってからは、論文の調査→不正の認定→論文撤回→将来の論文再投稿という道筋で早期解決を図ろうとしていたふしがあります。他の論文からの流用が行われているメソッドのBisulphite sequencing の部分などを調査対象から外したこと、調査項目1-3の核型解析に関する部分に対して最終的に「盗用」という不正判定を行わなかったことなどをみると、調査委員会は不正の数をできるだけ少なく抑えたかったのではないか、そのために、小保方さんに対して手心を加えていたのではないかとさえ感じてしまいます。

理化学研究所は小保方さんが不正を認め、論文撤回に同意するものと勝手に判断していました。ところが、小保方さんは自分が行ったことを不正と認める気はまったくなく、論文撤回も考えていなかったことが、不服申し立て書面や記者会見で明らかになりました。

小保方さんの代理人が完璧に演出された記者会見を行ったため、理化学研究所が不服申し立てを認めず、再調査の必要なしと判断を下すと、世間からは、小保方さん1人をいじめているという印象をもたれています。そうかといって、再調査を行うには、そのための理由が必要です。再調査を行っても、結果が変わることはないでしょうから、その先には法廷での時間のかかる争いが待っています。

STAP 細胞論文に関する理化学研究所の危機管理能力のなさが、大きなつけになってまわってきています。世界のRIKEN にはもう少ししっかりして欲しいと思います。
STAP 細胞論文:悪意のない間違い?
STAP cell paper:Honest error?

STAP 論文に関する理化学研究所の調査委員会が、2項目について「改ざん」「捏造」の不正判定をしたことに対し、小保方さんは不服申し立てをするようです。小保方さんは理化学研究所の規程で不正行為に当たらない「悪意のない間違い」だと主張しています。

しかしながら、「悪意のない間違い」とは、本人が気付かずに冒してしまった間違い、いわば「うっかりミス」や「単純ミス」のことです。文部科学省の研究不正防止のガイドラインでいえば「故意ではない間違い」、アメリカのガイドラインでいえば ”honest error” のことで、これが世界共通の考え方です。本人に悪意があるかないかにかかわらず、そこに何らかの作為があれば、それは改ざん、捏造、盗用といった不正行為に当たります。

調査委員会が「改ざん」「捏造」と判定した2項目が、小保方さんのいう「悪意のない間違い」なのかどうか、もう一度、みてみましょう。

まず、Figure 1i の電気泳動の画像です。この画像は、STAP 細胞がT 細胞由来であることを示すためのものです。

20140406_01

この画像では、ゲル1のレーン1〜5の画像のレーン3に、ゲル2のレーン1の画像を貼りつけたことを小保方さんも認めています。レーン3の縞模様がはっきり見えず、レーン4と5の縞模様と同じであることを示しづらかったため、ゲル2のデータを貼りつけたとのことです。調査委員会によると、ここでは次のような加工が行われていました。

まず、ゲル1の画像は縦方向に1.6倍引き伸ばされていました。これは、ゲル1と2では電気泳動を行った時間が異なり、上下のスケールが一致しないためです。また、ゲル2の画像をはめ込む際、それぞれのゲルについている基準位置情報を合わせる形で貼りつけたのではなく、レーン4の縞模様と合うように貼り付けていました。このFigure 1i では、レーン3の縞模様がレーン4、5の縞模様と一致することに意味があるのですが、最初から位置が一致するようにゲル2のデータを配置してしまったのでは、意味はなくなります。きわめて意図的な加工が行われたことになります。

20140406_02

調査委員会はこのような加工は「その手法が科学的な考察と手順を踏まないものであることは明白」とし、「改ざん」に当たると判断したのです。

一方、小保方さんは、この操作は「元データをそのまま掲載した場合に得られる結果と何も変わ」らないものであり、「見やすい写真を示したい」と考えただけ主張しています。確かに、ゲル1のレーン3の元の縞模様はゲル2から切り貼りされたデータと同じなのですが、こうした操作を行うと、仮にレーン3に別の結果を示すデータが示されており、それを隠すために別のレーンのデータを切り貼りしたとしても分からなくなってしまいます。そのため、こうした加工は論文の信頼性を著しく損なうものであり、不正な「改ざん」行為とみなされます。それが善意から発したことなのか、あるいは最初から悪意をもっていたのかということは、研究者個人の心情に属することであって、不正判定に影響を与えるものではありません。

「改ざんをするメリットは何もなく」、改ざんの意図を持ってこの図を作成する必要はまったくなかったと小保方さんは主張していますが、この図を作成した行為自体が改ざんに当たるのです。画像の切り貼りをしたという作為が存在しますから、「悪意のない間違い」には該当しません。

Figure 2d および2e の免疫染色の画像に関しては、赤枠で囲った以下の4点の画像が、小保方さんの博士論文の画像と酷似していると指摘されていました。これらの画像は、STAP細胞が三胚葉由来のどの細胞にもなることを示す実験で、2d は試験管内での実験、2e はマウスにテラトーマ(奇形腫)をつくる実験での画像です。

20140406_03

調査委員会では、『ネイチャー』論文の画像が博士論文で使用された画像と完全に同一とは確認できず、「学位論文の画像に酷似するもの」を使用したと判断しました。『ネイチャー』論文では、この「博士論文の画像に酷似する」画像に挿入されていた文字の上に黒枠を置き、その中に改めて文字を入れるという加工を行っていることが明らかになりました。したがって、小保方さんは博士論文作成の際に得られていた画像であることを明確に認識した上で、その画像を加工し、『ネイチャー』論文に使用していたことになります。

20140406_04

小保方さんが博士論文で行っていた実験は、マウスの細胞塊を細いピペットに通すという方法で幹細胞を探索するというものでした。STAP 細胞の実験とは異なる方法の実験です。また、STAP 細胞の実験では、マウスの脾臓から採取したリンパ球を使用していますが、博士論文の画像はマウスの骨髄細胞を用いていました。

このように、STAP 細胞実験とは実験方法も細胞も異なることを小保方さんが認識していた上で、博士論文の画像を使用したため、調査委員会はこれを「捏造」と判定したのです。

一方、小保方さんは、この画像に関して最初から単純なミスによる「取り違え」と説明してきました。調査委員会の石井委員長は、3月14日の中間報告の席上で、小保方さんと笹井さんは2月20日のヒアリングの際に、この画像は取り違えてしまったものであるので、正しいものに差し替えたいと申し出たと述べました。「正しい画像」とされるものも提出されました。下の画像がそれです。

20140406_05

どちらの実験画像も同じ「ヘマト」というファイル名がついていたため、間違えてしまったというのです。しかし、小保方さんは、この際、『ネイチャー』論文の画像が博士論文の画像に使用されたものであるとは説明しませんでした。調査委員会がそれを知ったのは、その後とされています。

小保方さんは今回のコメントでも、これを「単純なミス」とし、「不正の目的も悪意も」なかったとしています。そして、「真正なデータが存在していることは中間報告書でも認められています」としています。中間報告の際、石井委員長は「真正な」画像のタイムスタンプ(画像作成日)について、『ネイチャー』誌に論文が投稿された2013年3月の数か月前であったと説明しました。しかし、その後、この4点の画像のうちの1枚(上の画像の一番左)は、理化学研究所が2012年4月に特許を出願した際の書類の中に使われている画像と酷似していることが明らかになりました。小保方さんは調査委員会に対して、画像作成日に関して虚偽の説明をした可能性があります。

また、小保方さんは今回のコメントで、「そもそも、この画像取り違えについては、外部から一切指摘のない時点で、私が自ら点検する中でミスを発見」したとしていますが、2月20日頃にはすでにネット上でこの件が指摘されていましたから、小保方さんの主張に説得性はありません。

小保方さんが訂正したいという画像に関しては、4月1日の最終報告で新しい説明がありました。それによると、笹井さんは2月20日のヒアリングの数日前に、小保方さんから画像の「取り違え」の報告を受け、すぐにデータの取り直しを指示したのだというのです。「訂正のために提出されたテラトーマに関する画像の作成日の表示は2014年2月19日であった」と、最終報告書には書かれています。とすると、中間報告で説明された「2013年3月の数か月前」という画像作成日はいったい何だったのでしょうか? また、「テラトーマに関しては2012年7月に得られたデータがある」と、小保方さんは説明しているようですが、それなら、なぜ、データを取り直したのでしょう。わずか1日か2日で、テラトーマの免疫染色画像をつくり直したというのも、少し不自然です。テラトーマはちゃんと保存されていたのでしょうか?

4月1日に発表された調査委員会最終報告書のこの画像に関するページ(下の画像の上)は、4月4日に修正され(下の画像の下)、「真正なデータ」とされてきた画像が削除されてしまいました。2月19日に作成された画像というのは、以前に示されていた画像と異なるのでしょうか?

20140406_06

20140406_07

理化学研究所広報室はその後、「未公表のデータなので、公開するのは適切ではないと調査委員会が判断した」と説明しています。

いずれにしても、「真正なデータ」のあるなしにかかわらず、小保方さんが博士論文の画像と認識しながら『ネイチャー』論文に使用したという事実のみで、これは「捏造」に当たります。

現在、ネット上では、多能性の指標となる遺伝子の発現量を示すグラフに関する不審な点が指摘されはじめています。調査委員会が対象とした6項目だけでなく、論文全体の検証がぜひとも必要です。
STAP 細胞論文:小保方さんの反論
STAP cell paper investigation:Lead author disputed the conclusion

STAP 細胞論文に不正行為があったとする調査委員会の報告に対して、小保方さんは「驚きと憤りでいっぱい」であり、不服申し立てをするというコメントを発表しました。研究不正と認定された2点については、理化学研究所の規程で「研究不正」の対象外となる「悪意のない間違い」であるというのが、その理由のようです。

私は調査委員会の中間報告についてここに書いた際、同じ胎盤の画像が2度使われていた点に関して、調査委員会が「悪意があったと認定することはできず、研究不正であるとは認められない」としたのは、今後の不正認定に大きな意味を持ってくるかもしれないと書きました。「改ざんや捏造と考えられるケースでも、悪意がなければ不正ではない」という理屈が成り立つからです。小保方さんのコメントで、この予想が当たってしまいました。

文部科学省の研究不正防止のためのガイドラインでは、捏造、改ざん、盗用であっても、それが「故意によるものではない」場合は不正行為には当たらないとしています。この「故意によるものではない」という部分が、理化学研究所の規程では「悪意のない間違い」となっています。「故意によるものではない」=「悪意がない間違い」と解釈すべきなのですが、理化学研究所の規程だけを読めば、捏造、改ざん、盗用にあたる意図的な行為があっても、「悪意がなければ不正行為ではない」という解釈が成立してしまうのです。調査委員会の中間報告で、調査委員会側がこの理屈を使ってしまったために、今回、小保方さんからこの点を突かれてしまいました。

小保方さんは不服申し立てで自分の主張が通らなかった場合、理化学研究所を訴える裁判を起こす可能性があります。そうした事態になった場合、理化学研究所側は苦戦することになるかもしれません。

一般論で言うと、研究に不正が発覚したケースでも、本人は最後まで不正を認めないことがあります。調査委員会のメンバーには弁護士の先生も含まれていたようですが、最後には法廷闘争になることまで想定して調査を行い、調査結果の文言を検討したかどうか疑問です。理化学研究所の立場から言えば、危機管理能力が不足していたと言わざるを得ないでしょう。一方、「悪意のない間違い」だったという小保方さんの主張も納得できるものではありません。
STAP 細胞論文:調査委員会が「不正」と認定
STAP cell paper:Falsification and fabrication

STAP 細胞論文の疑義に関する調査を行っていた理化学研究所の調査委員会は最終報告をまとめ、本日発表しました。それによると、3月14日の中間報告ではまだ結論が出ていなかった調査対象の4つの項目に関し、2つについて「研究不正行為があった」という結論を下しました。

3月14日の中間報告では、調査委員会が調査の対象とした6項目のうち、「論文1」のFigure 1f の2d とd3 の画像が不自然に見える点、および「論文2」に同じ胎盤の蛍光画像が掲載されている点の2つに関しては、「研究不正には当たらない」としていました。今回は残っている4項目に関して、以下のような調査結果が発表されました。

論文1:Figure 1i の電気泳動の画像においてレーン3が挿入されているように見える点。
 この画像は、T細胞が初期化されてSTAP 細胞になったことを示す大事な画像ですが、中間報告の時点で、レーン3に別のゲルの画像を挿入したことを、小保方さん自身が認めていることが明らかにされました。今回の調査結果で、調査委員会は、「データの誤った解釈へ誘導する危険性について認識しながらなされた行為」であるとし、「改ざんに当たる研究不正」と判断しました。

論文1:メソッドの核型解析に関する記述が他の論文からの盗用である可能性。
 この部分の記述はドイツの研究者が発表した論文と酷似していることが指摘されていました。中間報告では、小保方さんは他の研究者の論文をコピーしたことを認めたものの、どの論文だったかははっきり覚えていないと説明していることが明らかにされました。今回の調査結果で、調査委員会はこの部分の記述がGuo et al. の論文をコピーして、その出典を記載しなかったことを確認しましたが、何らかの意図をもって行ったと直ちに認定することはできず、「研究不正であったと判断することはできない」としました。

論文1:メソッドの核型解析の記述(上記△汎韻孤分)の一部に、実際の実験手順とは異なる記述があった点。
 この部分には若山先生の研究室で行われた実験の手法が記述されていますが、実際に若山研究室で行われたものとは異なる記述が一部にありました。この点に関し、調査委員会では実験は行われたことを確認し、小保方さんが実験手順を確認せずに論文を発表してしまったとしました。小保方さんの過失によって引き起こされたであり、「研究不正とは認められない」というのが結論です。

論文1:Figure 2d、2e の画像の取り違えがあった点。および調査の過程で、これらの画像が小保方さんの博士論文に掲載された画像と酷似することが判明した点。
 これらの画像はSTAP 細胞がどんな細胞にも分化できることを示す重要な証拠です。これらの画像について、小保方さんと笹井さんはプレヒアリングの段階で、「『ネイチャー』論文ではマウスの脾臓の血液細胞の画像を使うつもりだったが、間違って骨髄の血液細胞の画像を使ってしまった。正しい画像に取り換えたい」という説明があったとのことでした。血液細胞は英語で「ヘマトポエティック」といい、どちらの画像もファイル名が「ヘマト」と書いてあってまぎらわしく、間違えてしまったというのが、小保方さん側の説明でした。しかし、その後、これが小保方さんの博士論文に掲載されていた画像と酷似していることを調査委員会も把握しました。
 しかし、この画像に関する小保方さん側の説明には、事実を意図的に隠そうとしていたと考えざるを得ない点がいくつもあります。まず、小保方さんと笹井さんは、プレヒアリングの際に、この画像が博士論文で使われたものであることを明らかにしませんでした。また、小保方さんが博士論文で行った実験は、STAP 細胞をつくる実験とは異なる実験であったにもかかわらず、これをSTAP 細胞実験で行った骨髄細胞の画像のように説明している点も問題です。さらに、Figure 2a の画像は、博士論文に掲載された文字入りの画像そのものを、さらに加工して文字を入れ直したと考えられる痕跡があることが指摘されています。すなわち、この画像の使用に関しては、単なる間違いではなく、「確信犯」であることが濃厚な状況でした。
 今回の調査結果では、調査委員会は『ネイチャー』論文に掲載された画像が博士論文に掲載されたものと完全に同じものとは断定できず、「酷似するもの」を『ネイチャー』論文に使用したと判断しました。その上で、この2つの論文では実験条件が異なり、「この明らかな実験条件の違いを認識せずに切り貼り操作を経て論文1の図を作成したとの小保方氏の説明に納得することは困難である」としました。そして、これは「データの信頼性を根本から壊すものであり、その危険性を認識しながらなされたもの」で、「捏造に当たる研究不正」と結論付けました。

,硫ざんとい隣埖い糧縦蠅砲弔い討賄然です。△明らかに盗用であるにもかかわらず、「研究不正であったと判断することはできない」としたのは、甘い判断だったのではないかというのが私の感想です。
STAP細胞:バカンティ教授が「詳細な」作製方法を発表
Dr. Vacanti posted “refind” STAP cell production protocol

ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授は、STAP 細胞の「詳しい」(refined)作製方法(プロトコル)をウェブ上で発表しました。

201403201_01

STAP 細胞をつくるには、「このプロトコルに書かれているステップを正確に行っていくことが非常に重要」で、「どのステップもスキップしてはいけない」と述べられています。また、「方法は非常に単純であるが、細胞や組織のタイプによって少しずつ変わって来る」とも述べられています。

詳しい内容については専門家のコメントを待ちたいと思いますが、『ネイチャー』論文や理化学研究所が3月5日に発表したプロトコルとまず異なるのは、細胞に酸でストレスを与える前に、細いピペットに細胞塊を通して、細胞をばらばらにする操作が必要としていることです。

この操作を具体的に述べると、まず内径0.9mm の普通のパスツール・ピペットを用意し、さらに、その先端をバーナーで熱して伸ばして作った内径の細いピペットも用意しておきます。最初に普通のパスツール・ピペットを使って、5分間、細胞を出したり入れたりします。そして、この次が「きわめて重要」なのですが、内径を100〜150μm にしたピペットで10分間同じ操作を行います。その後さらに、内径50〜70μm という非常に細いピペットで同じ操作を15分間行います。この操作の部分は、ゴシック体で「This is a very important step. Do not skip this step, or take a shortcut.」と再び強調されており、バカンティ教授のSTAP 細胞作製法の肝ともいえる部分のようです。

このプロトコルはバカンティ教授が所属するハーバード大学 Brigham & Women’s Hospital のDepartment of Anesthesiology のウェブサイトで公開されたものです。筆者名は表記されていません。これに関するバカンティ教授のコメントを聞きたいところです。
STAP 再現実験をより明解にするための1つの提案
A simple proposal to make STAP protocols clearer

Knoepfler のブログに、スタンフォード大学幹細胞生物学再生医療医学研究所のJun Seita 博士が寄稿し、「STAP 再現実験をより明解にするための1つの提案」を発表しています。日本語でも英語でも読むことが出来ます。

STAP 細胞の実験では、細胞が多能性を獲得したことを確認するために、Oct3/4 という遺伝子を使っています。Oct3/4 は多能性を獲得した細胞に特異的な遺伝子の1つで、これが発現すると緑色の蛍光タンパク質(GFP)が発光するように遺伝子操作したマウスのリンパ球を用いています。つまり、培養している細胞が多能性をもつと、細胞はGFP によって緑色に光るわけです。Seita 氏が提案しているのは、この培養された細胞のGFP 発光を検出する実験の部分です。

Seita 氏は、ストレスや障害を受けた細胞が自家蛍光発光することはよく知られており、これをGFP の発光と区別することは難しいと述べています。緑色の発光があったと言っても、これをもって終末分化細胞が酸処理によって初期化され、Oct3/4-GFP を発現する細胞に変化したとは言えないというのです。

そこでSeita 氏は、プロトコルに書かれた実験に、1つのコントロール(対照実験)を追加することを提案しています。すなわち、Oct3/4-GFP 遺伝子改変マウスから採取した細胞だけでなく、野生型マウスからも細胞を採取し、酸処理・培養実験をし、同じ条件で解析するというものです。Seita 氏によると、これが、Oct3/4-GFP シグナルと自家発光を区別する唯一の方法であり、今日、最も信頼のおける方法とのことです。また、この方法はもとのプロトコルを改変するものでないとも述べています。

「この1つの、しかし重要なコントロールの追加はSTAP 細胞の再現実験の結果をより明解にすると考えます」と、Seita 氏は結んでいます。小保方さんの実験では、こうした対照実験も行われていなかったわけですね。
STAP 細胞問題:7年前に予言されていた?
STAP cell papers and research ethics

文部科学省の「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」では、研究活動での不正行為の定義から始まり、不正行為の告発があった場合にどのように調査を行うべきか、不正と認められた場合、どのような措置をとるべきかなどがまとめられています。

このガイドラインを作成した科学技術・学術審議会の「研究活動の不正行為に関する特別委員会」の報告書『研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて』では、このガイドラインが定められるに至った背景が述べられています。STAP細胞をめぐる問題が社会の注目を集めている現在、この報告書を読み直してみると、きわめて興味深い点が多々あります。以下、引用が多くなってしまい、申し訳ありませんが、紹介させていただきます。興味のある方は、ここで全文をお読み下さい。

報告書では、不正行為が起こる背景として、次のように述べています。まず、「研究現場を取り巻く現状」では、21世紀に入って、先端的な分野を中心に研究成果を少しでも早く世に出す先陣争いが強まっているほか、研究評価や各研究機関・研究者等の特許など知的財産戦略への取り組み等、研究現場を取り巻く状況が変化していると指摘しています。その中で、「多額の研究費が獲得できる研究が優れた研究とみなされやすく、また、成果が目立つ研究でなければ、研究費が獲得できないのではないかという懸念が増大し、・・・競争の激化と性急な成果主義を煽る側面もあることが指摘されている」としています。

さらに、研究者の任期付任用の増加等により、研究者の流動性が高まり、それにともなって、「ポスト獲得競争が激化し、特に若手研究者にとっては任期付きでないポストを早く得るために、優れた研究成果を早く出す必要性に迫られる状況も一部で醸し出されてきており、それが極端な場合、不正行為につながる可能性があるとの指摘もなされている」としています。

一方、「研究組織や研究者側の問題点」としては、「研究者の間に功名心が広がる反面、真理を探求するという研究そのものに対する使命感が薄れてきている」ことや、研究者論理について「研究者を目指す学生や若手研究者が十分教育を受けていない状況」があり、「そのことについて教えるべき指導者の中には、その責務を十分に自覚していない者が少なからずあるように見受けられる」としています。さらに、「指導者の中には、結果を出すことを最重要視する考えに傾き、研究倫理や研究プロセスの本来のあり方を十分に理解していない者が存在する」。さらに、「競争的環境の急速な進展とともに、実験等で出たデータの処理や論文作成のスピードを上げようとするあまり、研究グループ内で生データを見ながらじっくり議論して説を組み立てていくという、研究を進めていく上で通常行われる過程を踏むことをおろそかにする傾向が一部の研究者に見られる」とも指摘しています。

研究組織における問題として、「自浄作用が働きにくい」という指摘もしています。その原因として、「競争的環境の急速な進展の結果、秘密主義的傾向が蔓延し、組織の中で研究活動に関して議論が活発に行われにくくなっていること」、そして「そうした活性を失った組織にありがちな悪しき仲間意識・組織防衛心理が事なかれ主義に拍車をかけることも考えられる」。さらに、「他の研究室はもとより、同じ研究室においても、他の研究者がどういう研究をどのように行っているのかわからないという状況さえ現出し」、「重症に陥るまで放置される傾向がある」。加えて、「自浄作用が働きにくい研究組織の中では、些細なことではあっても見逃してはならない、研究活動の本質や研究活動・研究成果の発表の作法ともいうべき決まりごとに抵触するような行為が見逃されがちであり、それが重なって、重大な不正行為につながることがあるのではないかと思われる」と指摘しています。

さらに、「若くして主任研究者」になったような研究者の場合、「常に目覚ましい研究成果を出すことに追われ、焦りが生じたり、研究室のスタッフ等への圧力が強くなることがあり、その結果として不正行為が起きる場合がある」という点も指摘しています。

一方、研究開発プロジェクトに多額の国費が充てられる場合、研究組織側も「どの程度研究成果が上がっているかなど、個々の研究評価の積み重ねが組織全体の評価につながり、研究成果について数値目標を設定することもある。このような研究評価の進展に伴い、雑誌の影響度を測る指標であるインパクトファクターが論文それ自体の評価指標と混同される場合があって、評価者や研究者が著名な科学雑誌に論文が掲載されることを過度に重要視する傾向が見られ、それが不正行為を助長する背景になっているとも指摘されている」としています。

このように読んでくると、この報告書は、今回の出来事の背景をほとんど説明しているように思えます。まるでSTAP 細胞論文が『ネイチャー』誌に掲載されることを、7年前に予言していたかのようです。私にとっても、STAP 細胞論文は研究倫理の問題をもう一度考えてみるきっかけになりました。
STAP 細胞論文:「不正行為」とは何か?
STAP cell papers:RIKEN's investigation

文部科学省は2006年8月8日に、「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」を発表しています。このガイドラインでは研究活動の不正行為を、以下のように定義しています。

捏造:存在しないデータ、研究結果等を作成すること
改ざん:研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること
盗用:他の研究者のアイデア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又は用語を、当該研究者の了解もしくは適切な表示なく流用すること

ただし、「故意によるものではないことが根拠をもって明らかにされたものは不正行為には当たらない」としています。また、以上の他に、論文の二重投稿や不適切なオーサーシップ(論文の著者に関係のない人が含まれていたり、逆に共同著者になるべき人が抜けていたりすることなど)も不正行為に含まれます。

理化学研究所の「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」もこのガイドラインに沿ったものです。不正行為として「捏造」「改ざん」「盗用」が同じ内容で定義されており、「ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする」とされています。

一般論として言えば、「捏造」「改ざん」「盗用」の要素が複合し、これらを明確に区別することができないケースもあります。

3月14日の記者会見で、理化学研究所の調査委員会は、ARTICLE の論文(報告書では「論文1」)の5個所、LETTER の論文(報告書では「論文2」)の1個所、合計6つの項目を調査してきたことを明らかにしました。これらを1つ1つみていきましょう。

まず、論文1 の第1点、Figure 1f のd2 およびd3 の色付きの細胞の画像が不自然に見える件ですが、これは『ネイチャー』誌編集部での作業中に生じたものと推定され、「不正行為はなかった」とされました。

論文2 の、同じ胎盤の画像が2度使われている件に関しては、2枚の画像は同じキメラマウスを異なる角度から撮影したものであることが確認されました。Figure 2g の画像は本来削除されるべきものが誤って残ってしまったものであり、理化学研究所の規程に定める「改ざん」の範疇にあるが、「その行為について「悪意」があったと認定することはできず、研究不正であるとは認められない」というのが調査委員会の結論でした。報告書のこの個所は、今後の不正認定に大きな意味をもってくるかもしれません。つまり、「改ざん」という不正の範疇に入っても、「悪意」がなければ、調査委員会は不正とは認めないのかという点です。

論文1 の第2点、Figure 1i の電気泳動の画像に関しては、レーン3 に別のデータを切り貼りしたことが明らかになりました。この事実を小保方さんも認め、「やってはいけないことだとは知らなかった。すみませんでした」と述べたそうです。この件は明らかな「改ざん」ですが、上の論文2 のケースを考えると、「本人が悪いことだと知らなかったから、不正にはならない」という理屈が成り立ちます。この点、文部科学省のガイドラインは「故意によるもの」であれば不正になるという考えです。調査委員会としては何をもって「悪意がある」というのか、「故意によるもの」と「悪意によるもの」は同一なのか、それとも異なるのかを、記者会見の場で説明してほしかったと思います。

論文1 の第3点は、実験手法を述べた「メソッド」の一部に、他の研究者が書いた論文と同一とみられる個所があることです。調査委員会はこの論文が他からコピーされたものであることを確認しています。したがって、この部分は「盗用」にあたるでしょう。

論文1 の第4点は、上記と同じ個所について、実際に行われた実験と異なる方法が書かれているという問題です。この個所では、前半は小保方さんが行った実験、後半は若山研究室で行った実験の手法が書かれています。しかし、後半部分は、実際に若山研究室で行った実験方法とは異なることが明らかになりました。この点について、若山先生は、小保方さんが実験全体をよく把握していなかったためと言っているようです。事実と異なることが書いてあるとすれば、後半部分は「盗用」だけでなく、「捏造」の可能性もあります。

論文1 の第5点は、Figure 2d と2e の画像に関するものです。すでにメディアでも大きく取り上げられているように、2d の1枚と2e の3枚の画像は、小保方さんの博士論文の画像と酷似しており、これが同一の画像であることを調査委員会も確認しました。小保方さんと笹井さんはプレヒアリング(調査を始める前の事前聴取)の時点で、「この画像については間違っていた。『ネイチャー』誌の論文では脾臓の血液細胞を使うつもりだったが、間違って骨髄の血液細胞の画像を使ってしまった。正しい画像に交換したい」と説明したようです。しかし、この時点で、2人は「骨髄の血液細胞の画像も、STAP 細胞の実験で得たもの」と述べていたようです。

ところが、その後、これが小保方さんの博士論文に掲載された画像だと分かりました。つまり、小保方さんはプレヒアリングの時点で、調査委員会に「これは自分の博士論文の画像でした」は言わなかったわけです。この画像に関しては、博士論文に掲載された文字入りの画像そのものを、さらに加工して文字を入れ直した上で『ネイチャー』論文の画像にしたと考えられる痕跡があるとの指摘もあります。そうだとすれば、この画像の使用に関しては「確信犯」の可能性も出てきます。調査委員会もこうしたディテールをさらに検証していくことになるでしょう。

小保方さんが博士論文のためにしていた実験は、細胞を細いピペットを通す実験で、細胞を酸のストレスにさらすSTAP 細胞の実験とはことなるものです。STAP 細胞の実験に関して、この骨髄からの血液細胞の画像は存在しないわけですから、これは「存在しないデータ」を作成した「捏造」に該当する可能性が濃厚です。

STAP 細胞論文をめぐる今回の出来事は、研究活動における「不正」の問題にスポットライトを当てることになりました。調査委員会がどのような結果を出すのか、注目していきたいと思います。
STAP 細胞論文:理化学研究所の調査中間報告会
STAP cells mess:RIKEN held a press conference

3月14日の午後、STAP 細胞論文に関する理化学研究所の調査の中間報告会が4時間にわたって行われました。当日、私は所用で中継を見ることが出来ず、その様子を、ネット上の動画でようやく見終えたところです。

冒頭、理化学研究所が行っている調査は、同研究所の監査・コンプライアンス室に寄せられた『ネイチャー』論文の疑義に関する通報に対応して行われているものであることが説明されました。論文のテキストおよび画像に「不正」があったかどうかを調査するのがミッションであり、「STAP 細胞が本当に存在するのか?」を科学的に検証することは含まれていません。

石井俊輔調査委員会委員長からの報告により、現在の調査対象項目は『ネイチャー』誌のARTICLE の論文の5か所、LETTER の論文の1か所であることが明らかにされました。調査項目は今後、さらに追加される可能性もあります。これら6つのうち、ARTICLE に掲載された、培養細胞が多能性を獲得していく様子を示す画像の不自然さに関しては、実験で得られたライブイメージング画像を『ネイチャー』編集部で作業した際に生じた歪みであり、「不正行為はなかった」と結論されました。また、LETTER に掲載された2枚のマウスの胎盤の画像が同じものである点に関しては、著者が片方を削除するのを忘れてしまったために起こったものであり、「不正であるとは認められない」としました。

残りの4つはまだ調査中です。その中の1つに、今回の一連の出来事で最初に指摘されたFigure 1i があります。この電気泳動の画像には、レーン3の場所に画像合成疑惑が生じています。

20140316_01

これまでの調査によると、この電気泳動の元画像は、サンプルを電気泳動にかけたゲル1のレーン1からレーン14のうち、1〜5レーンの画像でした。しかし、レーン3のコントラストが低くてよく見えないので、小保方さんは同時に行った電気泳動のゲル2のレーン15からレーン29のうち、レーン15の部分を切り取り、天地のスケールを合わせるために、ゲル1の画像を縦方向に1.6倍拡大し、コントラストを調整したレーン15の画像を挿入したとのことです。

20140316_02

しかしながら、調査委員会が同じ操作をしてみたところ、論文の画像とまったく同一とはならず、小保方さんの説明が事実かどうかはまだ確認されていません。調査委員会はさらに調査を進めるとしています。このFigure 1i は、T 細胞まで分化した細胞が初期化されてSTAP 細胞になったことを示す根拠となっています。

多能性をもつSTAP 細胞が誕生したことを示す重要な根拠となっているのが、Figure 2d と2e です。2d は試験管内での実験、2e はSTAP細胞をマウスに注射した実験の結果で、STAP 細胞が三胚葉由来のどの細胞にもなれることを示すものです。これらのうち、2d の1枚、2e の3枚が、小保方さんの博士論文で使われた画像であることが確認されました(赤枠で囲まれた画像)。

20140316_03

20140316_04

小保方さんらは、これらの画像は間違って論文に掲載されてしまったもので、正しい画像に差し替えたいと述べているそうです。ただし、小保方さんが調査委員会にこの経緯を説明した際、この画像が博士論文に掲載されていたことを説明していませんでした。

この他、ARTICLE の「メソッド」について、ドイツの研究者の論文が流用されている個所、および実際の実験手順と異なる記載があった個所について調査が進んでいます。前者に関して、小保方さんは他の著者の論文をコピーしたことを認めたものの、どの論文からコピーしたかの記憶は曖昧であると述べているようです。

私は仕事柄、アメリカのNIH(国立衛生研究所)やその他の生物学・医学分野の研究所をずいぶん訪問し、そこで起こった出来事を色々聞きました。そうした経験からすると、こうした事態が起こった場合、研究者は研究室への入室を禁止され、実験ノートやPC 内のデータ等がすべて保全された上で調査が行われるのが普通と思われます。説明会で配布された理化学研究所の「科学研究上の不正行為の防止等に関する規定」でも、第13条第2項に、そのような措置をとることができることが明記されています。

しかしながら、今回の調査ではそうした措置はとられず、必要に応じて小保方さん側から説明や資料の提供を求めています。理化学研究所の調査は公正に行われていると思いますが、日本だけでなく、世界中の話題になってしまった論文の調査が内輪での馴れ合いで行われていないことを外部に示すためにも、そうした措置がとられるべきであったと思います。この措置は、調査の厳正性を担保し、調査対象となっている研究者を守る意味でも大切です。

さて、STAP 細胞は本当に存在するのでしょうか? この問いの答を多くの人が知りたいと考えています。しかしながら、これに関しては「第三者が再現して確認するしか方法がない」とされました。確かにその通りですが、論文自体の正当性が揺らいでいる現在、STAP 細胞はES 細胞ではないかといった指摘さえ出ています。STAP 細胞の再現実験とは別に、小保方さんが行った実験がどのようなものであったかの検証も必要です。そのためには、理化学研究所はしかるべき段階で、実験にかかわるすべての資料や、作製された「STAP 細胞」、「STAP 幹細胞」、STAP 細胞で作成したマウス等を外部の検証にかけるべきです。

3月14日の説明会を、『ネイチャー』誌のブログが伝えています。その中で、著者から論文撤回の意思表示があれば同誌は対応すること、著者全員が撤回に同意していなくても、論文の正当性に根拠がないと編集部が判断すれば、『ネイチャー』誌側が論文撤回の決定を行うと述べています。
STAP 細胞論文:いったい何が起こったのか?
STAP cell papers:Why this happened?

なぜ、こんなことが起こってしまったのか? STAP 細胞論文が発表されたときの、あの興奮は消え失せ、今では毎日のように明らかになる事実に、ひどくさびしい気分になっています。”RIKEN” といえば、世界中に知らない研究者はいない、その理化学研究所から、なぜ、このような論文が発表されてしまったのか?

現在、理化学研究所では論文に対する調査が進んでいますが、この問題を1人の研究者によって行われた特異なケースとしてとらえるべきではありません。事実関係の調査は、何人もの人にとって苦痛を伴うものになるでしょうが、なぜこの論文が生まれたのかを検証し、私たちはそこから学ばなくてはなりません。

小保方さんはまだ研究キャリアの浅い、若い研究者です。彼女は研究論文を書く作法さえ、きちんと教えてもらっていなかったことが明らかになりました。誰も文句をつけることのできない厳密な細胞培養実験を行うためのテクニックも、完全には指導されていなかったかもしれません。『ネイチャー』誌の論文の共著者の中には、小保方さんの博士論文を指導し、審査にかかわった人が2人います。また、彼女の上司にあたる人も、経験豊富な同僚も含まれています。そういった人たちが論文作成にかかわりながら、なぜこのような問題が出てきてしまったのでしょうか。

日経バイオテクの宮田満氏は書いています。「トカゲのシッポ切りだけでは問題は解決しそうにありません。理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)の研究体制にもメスを入れなくてはなりません」。こうしたシビアな意見も出てくる中、理化学研究所は明日、調査の途中経過を発表します。
STAP 細胞論文:若山教授が取り下げ求める
STAP cells:Co-author asks for retraction

NHK は、問題になっているSTAP 細胞論文の著者の1人である山梨大学の若山照彦先生が、論文の取り下げを他の著者に求めていると報じました。若山先生はNHK のインタビューの中で、「全体としていろいろ分からなくなってきているとことが多すぎる。少し確証が持てなくなってきている」と述べ、論文の正当性を調べるためにも、一度論文を取り下げて調べるべきという考えを述べています。

若山先生は、STAP 細胞が多能性を持つことを証明するために、小保方さんらが作製したSTAP 細胞をマウスの胚盤胞に注入し、STAP 細胞由来の細胞をもつキメラマウスをつくる部分を担当しました。若山先生が論文取り下げの考えに至ったきっかけは、理化学研究所が3月5日に公表したプロトコルに、STAP 幹細胞ではTCR 再構成がなかったと書かれていたことだったようです。

また、山梨大学で行われた会見では、STAP細胞が様々な細胞になることを説明している『ネイチャー』誌掲載の写真が、小保方さんの博士論文掲載の写真の使い回しであったことが、確証を持てなくなる上で決定的であったと語っています。

若山先生は、実験ノートや得られたデータをすべてオープンにして、外部に検証してもらうという考えです。「もし間違いだったら、なんでこんなことが起こったのかというのを明らかにしなければいけないと思っています」という若山先生の言葉を、理化学研究所も重く受け止める必要があります。

若山先生は『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の取材にも応じ、論文取り下げを求めていると電子メールで述べました。同紙の記事によると、理化学研究所は若山先生が論文取り下げを求めている事実は認めましたが、それ以上はコメントできないとしているとのことです。
STAP 細胞論文、取り下げ?
STAP papers retraction?

Knoepfler さんは昨日のブログで、複数からの情報として、理化学研究所や国内に、『ネイチャー』誌に掲載されたSTAP 細胞論文の取り下げに向けた動きがあるようだと書いています。

正直なところ、この問題はすでにいろいろな面で深刻な事態に陥ってしまいました。論文の取り下げが、そうした問題をすべて解決してくれることはないでしょう。そうかといって、現在のままでは、事態はより深刻になりかねません。

理化学研究所は今こそ、野依良治理事長以下のガバナンスを発揮し、危機管理に取り組むべきです。日本だけでなく、世界から問われているのは、もはや2本の論文ではありません。Knoepfler さんも書いているように、「日本の科学、『ネイチャー』という科学誌、そして幹細胞研究そのもの」が、正しい道を歩んでいるかが問われているのです。
STAP細胞論文:理化学研究所の対応のまずさ
STAP cells controversial

理化学研究所はいうまでもなく日本有数の研究機関であり、多くの研究者がここで素晴らしい成果を上げています。広報活動や情報公開も積極的に行ってきました。それだけに、STAP 細胞論文に関する理化学研究所の対応のまずさが目立ちます。

STAP 細胞論文に対していくつもの指摘がなされてから、かれこれ1か月たっています。理化学研究所は2月13日に調査を開始しましたが、まだ何の発表もありません。3月5日にプロトコルを公表した際に、添え物のように「なお、研究所では、Nature 誌に掲載された論文に関し、様々な指摘があることを真摯に受け止め、所内外の有識者による調査を行っています。調査の結果が出た時点で速やかに公表します。」と述べるにとどまっています。

プロトコルの発表は内外の研究者からの問い合わせに対応したもので、いわば研究コミュニティーの中での対応にすぎません。理化学研究所の研究は税金でまかなわれているわけですから、国民に対する説明も必要です。京都大学iPS 細胞研究所所長の山中伸弥先生は、実験用マウスが逃げ出してしまった問題で、すぐに記者会見を行いました。このような誠実かつ率直に国民と語り合う対応が、理化学研究所に求められます。

STAP 細胞に関しては、論文発表にともなう理化学研究所のプレスリリースからして、問題がありました。

1月29日から30日にかけて、STAP 細胞成功のニュースをメディアは一斉に報じ、STAP 細胞とiPS 細胞を比較して、「iPS 細胞より簡単につくれる」「iPS 細胞より成功率が高い」といったSTAP 細胞の特長が強調されました。こうした報道に関して、池上彰氏は『STAP 細胞発見とiPS 細胞 「新しさ」の強調、冷静に』(朝日新聞、2月28日)で、「果たしてバランスのとれた報道だったのか」「念には念を入れた取材が求められている」と指摘していますが、これは「後出しじゃんけん」的な意見でしかありません。速報性を求められる報道の現場では、十分な取材を行うには時間的制約があり、そのためにプレスリリースが用意されるのです。上記のような、あまり適切ではない比較は、理化学研究所が発表したプレスリリースに書かれていました。したがって、この件はメディア側の落ち度ばかりとはいえないでしょう。

1月29日付の理化学研究所のプレスリリース『体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見』では、「iPS 細胞の樹立とは違い、STAP による初期化は迅速に起こります。iPS 細胞では多能性細胞のコロニーの形成に2〜3週間を要しますが、STAP の場合、2日以内にOct4 が発現し、3日目には複数の多能性マーカーが発現していることが確認されています。また、効率も非常に高く・・・」と書かれています。しかし、STAP 細胞はまだ、マウスでの作製が報告され、今後、世界の研究者による追試を待っている段階です。一方、ES 細胞やiPS 細胞はヒトの細胞で樹立されています。STAP 幹細胞がヒトの細胞で樹立されてはじめて、ES 細胞やiPS 細胞と同じ土俵に立て、比較が可能になるのです。

京都大学iPS 細胞研究所の山中先生は2月12日に『iPS 細胞とSTAP 細胞に関する考察』を発表しました。この中では、iPS 細胞の最近の誘導効率や作製期間が大幅に改善されていることにふれた後、「比較すべきはSTAP 細胞ではなく、STAP 幹細胞です」と述べています。池上氏は先ほどの記事で「山中教授から、iPS 細胞の研究に関する最新情報を取材していたら、こんな比較記事にはならなかったのではないでしょうか」と書いていますが、この言葉は記者よりも、理化学研究所のプレスリリースを書いた人に当てはまるでしょう。このようなプレスリリースを事前にチェックできなかったのは問題です。

山中先生はまた、「医療応用面から考えるとこのような単純な数字の比較はあまり意味がなく、再現性や互換性の検討が重要です」と書いています。
STAP 細胞とハーバード・コネクション
STAP cells and Harvard connection

前にも書きましたが、『ネイチャー』誌に小保方さんらの2本の論文が載ったとき、カリフォルニア大学デービス校で幹細胞を研究しているPaul Knoepfler は、すぐに自分のブログにSTAP 細胞に関するやや懐疑的なコメントをアップしました。STAP 幹細胞がES 細胞やiPS 細胞と並び立つ万能細胞となるのか疑問に思ったのが理由でしょう。

それとは別に、もう1つ理由があったのではないかと、私は推測しています。Knoepfler は2本の論文に何か「違和感」を覚えたのではないでしょうか。論文の著者にハーバード大学のチャールズ・バカンティが名を連ねていたからです。

バカンディらは2001年に、”spore-like stem cell” を発見したという論文を発表しました。バカンディらによると、この「芽胞様幹細胞」は体内のどの組織にも存在する、大きさ5マイクロメートル以下のきわめて小さな細胞です。この細胞は酸素や栄養分が欠乏した状態や、マイナス86度C までの凍結した状態でも生存が可能で、85度C の高温下でも30分以上生き延びることができます。この細胞は、組織が傷ついた時などには、それを修復する役割を果たしているというのです。

このspore-like stem cell は他の研究者による再現実験も成功せず、その存在は認められずに終わっていました。そのバカンディの研究室に小保方さんがやってきて実験をはじめたのは2008年でした。その目的は、spore-like stem cell を探索することでした。2010年の小保方さんの博士論文「三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索」もこの実験に関連したものです。

哺乳類の体は発生の過程でまず外胚葉、中胚葉、内胚葉に分かれ、外肺葉からは表皮や神経細胞などが、中胚葉からは骨格や筋肉などが、内胚葉からは肺や消化管などがつくられていきます。体の組織には、造血幹細胞や神経幹細胞のように、それぞれの組織をつくる幹細胞が存在していますが、それらの幹細胞は由来する胚葉を超える(例えば外肺葉由来の幹細胞が内肺葉由来の組織をつくる)ことはないとされています。小保方さんの博士論文の目的は、胚葉を超える幹細胞の探索です。

小保方さんの博士論文の概要には、「Vacanti らは2000年に、全身の生体の組織内には三胚葉由来によらず非常に強いストレスに耐性を有するspore-like stem cell が存在し体性幹細胞の補充に寄与している可能性を提唱してきた」とし、「本研究では、spore-like stem cell の仮説を証明する第一歩として、全身の組織に共通の性質を持つ幹細胞が存在することを証明することを目標とし」と書かれています。そのための方法として、細いガラスピペットの中を通すことなどにより小さな細胞のみを選別し、培養しました。その結果、細胞のコロニーである”sphere” が形成され、このsphere にはOct4 などの多能性マーカーの発現が見られたと報告しています。Sphere の細胞は三胚葉のどの組織にも分化することが確かめられました。さらに「幹細胞の万能性を証明するための最も重要な証明方法である」キメラマウスの作成を行ったと書かれてあります。

小保方さんが2011年に、『ティシュー・エンジニアリング・パートA』誌にバカンティらと一緒に発表した論文も、同様の内容です。

説明が長くなってしまいましたが、Knoepfler は『ネイチャー』誌の論文を読んで、2001年のバカンティの論文と、2011年の小保方さんとバカンティらの論文を思い浮かべたのでしょう。

実際、Knoepfler は2月6日のブログで、「STAP 細胞に懐疑的になる5つの理由」を述べ、この中で、「STAP チームは以前、spore-like stem cell を発見したと発表していたが、私が知る限り、これが第三者によって再現されたことはない」「バカンティ氏は最近私に、STAP 細胞とspore-like stem cell は同じものだと信じていると語った」と書いています。さらに、「バカンティ氏と小保方氏は2011年にびっくりする論文を発表し、成体組織内に存在する万能細胞を発見したと発表したが、私はそのような細胞を信じていない」とも書いています。

理化学研究所に移った後の小保方さんの実験は、体の中に残されている未分化の細胞の探索から、ストレスによる細胞の初期化へと方向を転換させました。しかし、実験の全体設計や使用した技術は、バカンティの研究室時代と本質的に違っていないようです。spore-like stem cell がSTAP 細胞に変わっただけではないかというのが、Knoepfler の第一印象だったのだと思われます。

ここで述べたように、小保方さんたちが細胞の初期化に成功したことへの疑問が生じています。細胞にストレスを与えることで細胞を初期化したのではなく、試料に最初から混じっていた未分化の細胞を選別したのではないかという考えもでてきています。それとも、小保方さんらはバカンティの研究室では見つけることのできなかったspore-like stem cell を発見してしまったのでしょうか?
STAP 細胞論文をめぐる問題(2)
STAP cells are real?

STAP 細胞論文をめぐる問題は、2つのポイントに分けて考えるべきと私は思っています。その1つは論文の執筆に関する問題、そしてもう1つが、論文に書かれている結果の「再現性」の問題です。現在、STAP 細胞に懐疑的な考えも存在します。発表された論文の内容が正しいか、STAP 細胞が本当に存在するかどうかは、他の研究者が同じ実験を行って、同じ結果が得られるかどうかで検証されます。

すでに多くの研究室で再現実験が行われていますが、STAP 細胞を作製できたという報告はありません。一般論としていえば、実験の再現には時間がかることもあるので、まだ誰もSTAP 細胞をつくれないとしても、おかしなことではありません。ただし、今回の場合は、発表された論文に付随している「マテメソ」(Materials and Methods)のみでは情報が不足しており、小保方さんと同じ実験を行うことが難しいという事情もあるようです。

理化学研究所は3月5日、研究者からの問い合わせに対応する形で、STAP 細胞作製に関する実験手技解説(プロトコル)を発表しました。このプロトコルは『ネイチャー・プロトコル・エクスチェンジ』誌に掲載の予定ですが、公開までには時間がかかるため、理化学研究所はまずウェブ上で発表しました。理化学研究所によると、さらに詳細なプロトコルを準備中とのことです。

STAP 細胞では、マウスのリンパ球に酸でストレスを与えて細胞の初期化を行いますが、こうしてつくられたSTAP 細胞は多能性をもつものの、試験管の中ではほとんど増殖しません。このSTAP 細胞を特別な培養液で培養することによって、自己増殖能力と多能性をもった「STAP 幹細胞」がつくられます。つまり、STAP 細胞はSTAP 幹細胞にまでならなければ、ES 細胞やiPS 細胞のような「万能細胞」になりません。今回発表されたプロトコルでは、STAP 細胞を作るための手順が8つのステップに分けて説明されています。さらにSTAP 幹細胞を樹立するためのステップが3段階で説明されています。

このプロトコルを読んでまず気が付くのは、「リンパ球を弱い酸に浸けておくだけで簡単に作れる」というふれこみだったはずのSTAP 細胞は、実は職人芸的な手技がなければ作製できないということです。「一見単純のように見えるが、この手順には細胞の扱いと培養の条件に細心の注意が必要である」と、プロトコルには書かれています。死んでしまう一歩手前のストレスを細胞に与え続けるためには微妙なコントロールが必要のようです(それでも80%の細胞は死んでしまいます)。また、STAP 細胞作製に用いる細胞も慎重に選ばなくてはなりません。リンパ球を取り出すマウスは生後1週間でなければならず、それ以上経ってしまったマウスでは、細胞初期化の効率が著しく低下すると書かれています。また、メスよりもオスの細胞の方が初期化の効率は高いとのことです。

プロトコルの各ステップには「IMPORTANT」という注意書きがあり、例えば「この段階では細胞の密度がきわめて重要で、培地上の細胞数を1平方cm 当たり10万〜100万個に維持しなくてはならない」という具合にこと細かく指示されています。IMPORTANT の数は全部で24にも及びます。これらを全部クリアしていかないと、STAP 幹細胞はつくれないようです。

このプロトコルを読んで、私が気になった点がありました。それは、STAP 幹細胞をつくるための2番目のステップのIMPORTANT に、「STAP 細胞から複数のSTAP 幹細胞株を樹立した。・・・そのうちの8種類のクローンについて調べたが、TCR の再構成は認められなかった」と書かれていたことでした。

TCR とはT 細胞レセプター(受容体)のことです。T 細胞にまで分化すると、TCR 遺伝子には再構成(組み換え)が起こり、元の細胞のTCR 遺伝子とは異なるものになってしまいます。『ネイチャー』誌に発表された論文では、細胞が初期化された証拠として、このTCR 遺伝子を調べています。つまり、STAP 細胞のTCR 遺伝子は再構成を起こしており、これは一度T 細胞に分化した細胞が初期化された証拠だとしたのです。

ところが、今回のプロトコルでは、STAP 細胞からつくったはずのSTAP 幹細胞にはTCR 遺伝子再構成はなかったと書かれています。TCR 遺伝子の再構成は一度起きてしまうと、元に戻ることはできません。とすると、これまで論文が主張してきた、初期化された細胞からSTAP 幹細胞ができたという論理展開は矛盾をきたしてしまいます。STAP 幹細胞はT 細胞以外の細胞が初期化されてできたのでしょうか? そうだとすると、そのT 細胞以外の細胞が初期化されたという事実はいかにして確かめられたのでしょうか?

調べてみると、この問題は私が指摘するまでもなく、ネット上にすでにいくつものコメントが発表されていました。慶応大学の吉村昭彦先生はブログ上に「T 細胞はSTAP 幹細胞にはなれない」という記事をアップし、「少なくとも終末分化した細胞のリプログラミングに成功したとは結論できないのではないか」と書いています。

TCR 遺伝子再構成に関しては、さらにDNA 解析データからの指摘もあります。また、『ネイチャー』誌の論文でTCR 遺伝子の再構成が起きていることを説明するために使われたのが、実は最初に「不自然さ」が指摘されたFigure 1i の電気泳動の写真でした。

こうして、STAP 細胞論文をめぐる問題は、今やその内容に関しても深刻な疑問が提出されるに至りました。私はSTAP 細胞論文を擁護する立場でも、否定する立場でもありません。ただし、本当のことを知りたいと思います。小保方さんら論文執筆者および理化学研究所が研究の詳細や事実関係を明らかにし、それが世界中の研究者によって検証されるのを待ちたいと思います。
STAP 細胞論文をめぐる問題(1)
STAP cells under investigation

理化学研究所の小保方晴子さんらのグループは、STAP 細胞に関する2本の論文(ArticleとLetter)を『ネイチャー』誌の1月30日号に発表しました。ここ2週間ほど、この2本の論文をめぐって、インターネット上でさまざまな情報が行き交っているのは、皆様ご存じの通りです。調査を開始したという理化学研究所からはまだ何の報告もなく、3月3日には、日本分子生物学会が異例の理事長声明を発表するに至りました。

私自身はこの件について、特別な情報を何ももっていないので、ネット上の議論のディテールには触れませんが、私なりにこの問題を整理してみました。

時系列的に何が起こったかを調べてみると、まず、論文が発表されると、カリフォルニア大学デービス校で幹細胞を研究しているPaul Knoepfler が、自分のブログにSTAP 細胞に関するやや懐疑的なコメントをアップしました(日付は1月29日)。その内容はすぐに、学術ジャーナルに発表された論文に関して議論を行うPubPeer というサイトに投稿されました。これも日付は1月29日です。以後、このPubPeer で議論が始まりました。最初は実験結果に関する議論でしたが、2月4日にはArticle の論文のFigure 1i の電気泳動の画像の3番目のレーンが不自然という指摘がなされ、以後、論文に掲載された画像に関して多くの指摘がアップされるに至りました。2月12日頃から、日本でもこの問題がネット上で議論されるようになり、理化学研究所は調査開始と発表しました。2月17日には『ネイチャー』誌も調査を開始したと発表しました。この時点で、今回の出来事は新たな段階に入ったといえるでしょう。

STAP 細胞論文に関する日本および海外での議論を見ると、この問題は大きく2つに分けて考えなくてはいけないと思われます。1つは、論文の執筆に関する問題です。画像の意図的な加工や他の論文からの流用などが行われていないかなど初歩的な問題から、塩基配列の解析データがしかるべきデータベースに登録されているかといった点まで、論文を執筆するにあたって当然守らなければいけないルールが守られているかどうかという問題です。

もう1つは、STAP 細胞自体に関するもので、極論すると、STAP 細胞は本当に存在するのかという問題です。これに関しては「再現性」が重要で、他の研究者が同じ実験を行ってSTAP 細胞を作製できれば、STAP 細胞の正しさが証明されることになります。

後者に関しては、別に書くとして、ここでは前者について、もう少し触れたいと思います。ネット上では、論文の一部画像の「不自然さ」のほか、他の研究者の論文の流用(本来は引用にすべき)なども指摘されています。一部には「それほど大きな問題ではない」という意見もあるようですが、これは研究者の倫理の問題だけでなく、科学研究の公正性を保つ意味でも非常に重要な問題です。『ネイチャー』誌に限らず、各学術ジャーナルは論文掲載にあたってきわめて厳密な条件を設けています。それは、「科学」を守るという使命を遂行するために絶対必要だからです。おそらく『ネイチャー』誌は徹底的な検証を行い、事実関係を明らかにしてくれるでしょう。

私が気になっているのは、理化学研究所の対応です。原則論からすると、今回の一件は、論文を執筆した研究者本人がまず対応すべき問題です。しかし、山梨大学の若山照彦先生とハーバード大学のヴァカンティ氏を除くと、小保方さんをはじめ、STAP 細胞の作製に中心的な役割を果たした研究者はこれまでまったく現れず、すべてを理化学研究所が取り仕切っているように見えます。その理化学研究所は調査を開始するにあたって「研究成果そのものについては揺るがない」というコメントを発表しているようです。もし、そうだとすると、理化学研究所は当時、今回の問題をあまり深刻に受け止めていなかったのかもしれません。理化学研究所は、調査が誰によって行われ、その結果をいつ公表するかも、発表していません。こうした対応は、理化学研究所の国際的な信用を傷付けることにもなりかねません。

一方、若山先生はこの間、メディアからの質問に対応してきました。Knoepfler のブログ上でもインタビューに応じ、Knoepfler の質問に誠実に答えるとともに、「私は逃げない」と言明しています。とても立派だと思います。
STAP 細胞:多能性獲得の新しい方法
STAP:Stem cell breakthrough

理化学研究所の小保方晴子さんのグループが発見したSTAP 細胞の話題が日本中を駆け巡っています。細胞を弱い酸に30分ほどさらすだけで、多能性が獲得されたという、これまでの常識では考えられなかった発見です。

小保方さんらの論文は『ネイチャー』誌の1月30日号に掲載されました。「外界からの刺激で体細胞が多能性を獲得した」という驚くべき結果を報告する論文がARTICLE に、さらに、「このSTAP 細胞は胎盤組織にもなる」という、もう1つの驚きの結果を報告する論文がLETTER に掲載されています。同じ著者の論文が2本同時に掲載されるのはあまりないことですが、さらに、これらの論文は同じ号のNEWS 欄とNEWS & VIEWS 欄の両方で紹介されています。これも異例のことで、この研究がどれだけ注目されているかを如実に示すものと言えるでしょう。

オンライン上の論文ページのSupplementary information からは、動画をダウンロードすることができます。弱い酸にさらしたマウスのリンパ球がSTAP 細胞に変身していく様子を見ることができます。

20140201_01

STAP 細胞を注入して作製されたキメラマウスの胎児の心臓が鼓動を打っている様子も印象的です。

20140201_02

私が2本の論文を読んで感じたのは、使用されている写真や図表の多さです。これまでの生物学の常識を覆す発見であるだけに、この実験が科学的に厳密に行われ、その結果も厳密に検証されていることを示すために、これだけ多数のカラー写真や綿密に制作された図表が必要だったのでしょう。

『ネイチャー』誌に最初に投稿した時には、レフリーの1人に「生物学の歴史を愚弄している」とまで言われてリジェクトされたそうですから、小保方さんは科学界を納得させる論文をつくるために工夫を重ねたのでしょう。その苦労がよくわかる論文です。

ヒトの細胞への応用を目指す競争がこれからはじまります。外的ストレスを加えただけで、なぜ細胞が多能性を獲得したのかを解明することも、今後の大きな課題です。万能細胞を作製する新しい方法の研究もヒートアップしていくでしょう。
ダン・ブラウン『インフェルノ』:後味が悪い理由
Dan Brown’s Inferno:Is it a utopia?

ダン・ブラウンの『インフェルノ』(越前敏弥訳、角川書店)を読み終えたところです。

20131209_01

今度はダンテの『神曲』にまつわるストーリーということで、期待して読み始めたのですが、その期待は裏切られるばかりでした。
・少し読み進むと、本書のネタがすぐにばれてしまう。
・肝心の『神曲』にからむ謎解きが少しも面白くない。
・歴史や美術に詳しくない私にも、次の展開が予想できる場面がいくつもある。
・物語の展開にいらいらさせられる。
などのためです。

しかし、何と言っても、この本を非常に後味の悪いものにしているのは、「トランスヒューマニズム」を扱っている上に、作者自身が、この思想を必ずしも否定していない点にあると思います。

私はトランスヒューマニズムに詳しいわけではありませんが、その発想の原点は優生学にあり、生物学テクノロジーの進歩を人間の進化と結びつけると言いながら、実は人種差別や弱者の切り捨て、人権侵害などにつながる危険性のある考え方であると理解しています。アメリカにはすでにトランスヒューマニズムの団体があって活動しているようですが、そのような活動に関係していなくても、最近は「超人類」や「不老不死」などをキーワードにした記事や著作や作品にいくつも出会います。

生物学者が進めている研究の成果や、そのために開発したテクノロジーは、すべての人が同じように恩恵を受けるような仕方で使われなければなりません。そのために世界の研究者は、間違った使い方にならないように、研究の進め方や応用について倫理問題も含めて慎重な議論を重ねています。生物学の最先端で、実際の研究がどのようなプロセスで進められているのか、ダン・ブラウンにはもう少し取材をしてほしかったと思います。
鳥インフルエンザ A(H7N9) ウイルスの起源
Genesis and source of the H7N9 influenza virus

鳥インフルエンザA(H7N9)ウイルスのヒトへの感染が中国で発生したのは2013年2月でした。WHO(世界保健機関)によると、10月25日現在で137名が感染し、45名が死亡しています。ほとんどの患者は重篤な肺炎にいたる呼吸器疾患を起こします。感染は鳥の肉などに接触して起こったとみられ、ヒト間での感染は確認されていません。

20131026_01

インフルエンザA(H7N9)ウイルスは、鳥の間で循環しているH7 亜型ウイルスのグループに属します。これまで、H7 亜型ウイルスでは、H7N2、H7N3、H7N7によるヒトへの感染が報告されていますが、H7N9 のヒトへの感染はこれがはじめてです。感染者の発生は3月末から4月に集中していました。その後の新しい感染者は少なく、アウトブレイクはひとまず収まったとみられますが、ウイルスの脅威がなくなったわけではありません。このウイルスが変異して、人間の世界で流行する新しいA型インフルエンザ・ウイルスが出現する可能性もあるのです。

『ネイチャー』誌の10月10日号には、このウイルスの起源に関する研究結果が発表されています。それによると、このウイルスでは短い期間に何度も遺伝子の交換、すなわち遺伝子再集合(リアソートメント)が起こっており、インフルエンザ・ウイルスの変わり身の早さが分かります。

この論文によると、H7N9 ウイルスの直接の祖先といえるアヒルのウイルスは、野生の水鳥の中に保持されていた2系統のH7 ウイルス(H7N3とH7N7)のウイルスが混じり合い、それにN9 ウイルス(H2N9、H11N9)の遺伝子がまじりあって出現したようです。その後、このウイルスはH9N2 ウイルスと遺伝子再集合を起こし、ヒトに感染を起こしたニワトリのウイルスが誕生したようです。これらの遺伝子再集合は2011年から2012年半ばまでの間に起こったとみられています。この研究では、さらにH9N2 の遺伝子をもつH7N9 に近縁の新しいH7N7 ウイルスも現れたことを明らかにしています。

20131026_02

研究者はH7N7 インフルエンザ・ウイルスが見つかったことは、H7 ウイルスが今回の感染発生以上の脅威をもたらす可能性を示唆しているとしています。ウイルスがヒト間で伝播する能力を獲得したり、病原性の高い変異株が発生するリスクがあります。
MERS ウイルスはヒト間で容易に感染する?
MERS virus spreads easily?

中東地域で発生しているMERS コロナウイルス(MERS-CoV)による感染者は、WHO によると6月20日現在で64名、うち38名が死亡しています。MERS コロナウイルスは2012年4月に初めて患者が報告された新種のコロナウイルスです。コロナウイルスは遺伝子をRNA でもつウイルスの仲間で、ウイルスの殻(エンベロープ)から長いとげ(スパイク)が出ており、電子顕微鏡で見ると、ウイルスの周囲がコロナのように見えることから、こうよばれています。

130623_01

MERS とは「中東呼吸器症候群」のことです。MERS ウイルスに感染すると、発熱やせき、息切れ、呼吸困難をともなう重篤な呼吸器症状があらわれます。さらに、ほとんどの患者が肺炎になっています。2002年に中国広東省に出現し、2003年にかけて8000人以上が感染したSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルスもコロナウイルスです。SARS の死亡率が9.6%であるのに対して、MERS ウイルスによる死亡率は今のところ約60%と高く、MERS ウイルスはSARS ウイルスよりも容易にヒトに感染し、症状も激しいのではないかと懸念されています。

患者はヨーロッパでも発生していますが、それらの患者はいずれも中東地域への渡航歴があるか、同地域の住民と接触した人であることから、今のところ、ウイルス感染は中東地域にとどまっているようです。ウイルス遺伝子の解析から、MERS ウイルスの起源はコウモリのウイルスにあるようです。コウモリからヒトに直接感染することは考えにくく、家畜などの中間宿主の存在が推測されていますが、ウイルスがどのような経路でヒトに感染しているのかは、まだわかっていません。各患者のウイルスの解析から、現在のウイルスの共通祖先ウイルスは、2011年の夏ごろに出現したようです。

『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』誌の2013年6月19日付の電子版に、2013年4月1日から5月23日にサウジアラビアの医療施設で起きたMERS ウイルスの院内感染事例の調査結果が、同国の研究チームから発表されています。調査対象となったのは23名の患者で、うち15名(65%)が6月12日現在で死亡しています。平均潜伏期間は5.2日。23名中21名がヒトからヒトへの感染であることが明らかになりました。

医療記録や関係者へのインタビューで、23名の患者の感染経路が明らかにされました。それが以下の図です。

130623_02

4月5日、患者A が病院A に入院しました。また4月4日には患者B が同病院のICU に運ばれていました。4月6日に患者C が病院A に入院し、患者A の隣の病室になりました。MERS ウイルスは患者A から患者C に感染し、そこから同病院の他の患者、さらに病院B 、C、D にも感染が広がりました。また、患者A からは息子と、病院の医療従事者も感染しています。病院D のICU でも医療従事者が感染しています。

この報告はMERS ウイルスが容易にヒト間で感染することを明らかにしており、研究チームは病院内での感染にも十分注意すべきとしています。
細胞の中にコンピューターをつくる
A computer inside a cell

3月28日の『サイエンス』誌電子版に興味深い論文が発表されました。細胞の中に、生物学的な材料で論理ゲートをつくることに成功したという論文です。スタンフォード大学のJerome Bonnet らが発表しました。細胞内にバイオ・コンピューターをつくることが可能になるのではないかと、期待されています。

Bonnet らは論理演算をするバイオ・トランジスターを「トランスクリプター」とよんでいます。トランスクリプターはインテグラーゼという酵素を利用してつくられています。インテグラーゼは、レトロウイルスが逆転写酵素でつくったウイルスDNA を宿主のDNA に組みこむときに働く酵素です。この論理ゲートはDNA 上を移動するRNA ポリメラーゼをコントロールします。RNA ポリメラーゼはDNA からメッセンジャーRNA への転写を行う酵素です。RNA ポリメラーゼが電気信号、DNA が電線にあたります。

Bonnet らはAND、NAND、OR、XOR、NOR、XNOR ゲートをつくることに成功しました。下の画像は、XOR(入力された2つの信号のどちらかが「真」だったときにのみ「真」となる)ゲートです。左側から入ってきた信号(RNA ポリメラーゼ)がXOR ゲートで判断され、出力されます。

130401_01

Bonnet らはすでに、DNA に書き変え可能メモリーをつくることや、細胞間で遺伝的信号をやりとりする「バイオロジカル・インターネット」をつくることにも成功しており、これらを統合すれば、細胞内で動くバイオ・コンピューターを実現できるとしています。

こうしたバイオ・コンピューターができれば、細胞内の現象をコントロールすることによって、新しい治療法が可能になるかもしれません。もちろん、生物学の基礎研究にも利用できそうです。Bonnet らはこうした動きが早まるように、今回開発された論理ゲートをパブリックドメインにして、すべての研究者が利用できるようにしています。
HBP とBAM:巨大プロジェクトで脳は解明されるか
Megaprojects:Breakthrough in brain research?

生物学がここまで進んだ現在でも、人間の脳はあいかわらず未知の大陸にとどまっています。細かい領域では多くの研究成果があがり、脳の機能を研究する新しい手法も開発されていますが、「人間の脳はなぜ高度な精神活動を行うことができるのか?」という基本的な問いに、現代の科学はまだ答えることができていません。

EC(欧州委員会)は2年間にわたって、「未来および発展期にある技術」プログラムを通して資金援助する大規模研究のコンテストを行ってきました。今年の1月28日、EC は脳に関する研究プロジェクト、HBP(Human Brain Project)を選びました。HBP のほか、2010年のノーベル物理学賞の対象となったグラフェン(炭素原子のシート)の研究も選ばれました。HBP には今後10年間に、総額約12億ユーロの研究資金が与えられることになります。

HBP は、脳について得られたこれまでの知識のすべてを、1台の巨大なスーパー・コンピューターに結集させるとともに、このスーパー・コンピューターの中に、人間の脳の機能をシミュレートするモデルをつくるという野心的な計画です。脳のモデルといっても、これまでのモデルとは次元がことなる、いわば人間の脳そのものといえる高度なモデルが考えられています。

HBP の提唱者であるスイス連邦工科大学ローザンヌ校のヘンリー・マークラムは、HBP が登場した背景を、以下のように語っています。「脳の研究者は最近では年間6万本もの論文を書いている。それらはみな素晴らしいが、非常に限られた領域に焦点を当てている。この分子、この脳の領域、この機能、この脳地図」。これらの論文にすべて目を通し、そこから脳の機能を解明するための戦略を立てるのは、もはや不可能になっています。そこで、マークラムは、それらの成果を統合しようというのです。

マークラムが構想する人間の脳のモデルは、ニューロンのイオン・チャンネルの構造にはじまり、分子のレベルから細胞、細胞のネットワーク、脳の各領域、そして脳全体のレベルに達するまでのいくつもの階層を、最新の知見をもとにボトムアップで再構築していくものです。この脳のモデルを実現するには、エクサ(10の18乗)フロップスの計算能力が必要とされています。世界のスーパー・コンピューターはまだペタ(10の15乗)フロップスの時代で、マークラムは彼の要求をみたすスーパー・コンピューターが登場するのは2020年と考えています。

マークラムのアイデアに批判的な脳科学者もいます。また、「脳研究のCERN」ともよばれる、こうした大がかりな計画の登場によって、それ以外の脳研究を行う研究者の資金が少なくなるのではないかという懸念もあります。

一方、アメリカではオバマ大統領が、脳の詳細かつ網羅的な活動地図をつくる計画、BAM(Brain Activity Map)を提唱しています。「脳のヒトゲノム計画」ともよばれるこのプロジェクトでは、脳の詳細かつ網羅的な活動地図をつくることをめざしているようです。国立衛生研究所(NIH)が中心になって進める計画です。BAM では、脳があることを行っているとき、脳のどこが活動しているかを、ニューロン単位で調べることを目的にしています。そのためには、個々のニューロンが発した電気信号を検出するナノ・オプトエレクトロニクスが必要と考えられており、このような人間の脳活動地図が完成するには10年以上がかかるといわれています。

両計画とも、どれだけの成果が上がるかは議論のあるところでしょう。しかしながら、脳研究がこうした大規模な研究計画によってブレークスルーをはかろうとしている時代に入っている点については、注目しておく必要があるように思われます。
ジェームス・ワトソン:がんとの闘いの次のターゲット
Watson takes aim at curing late-stage cancers

コールド・スプリング・ハーバー研究所のネットレターに、ジェームス・ワトソンが、がんに関する新しい論文を発表したという記事があったので、その論文を読んでみました。イギリス王立学会のオンライン・ジャーナル『Open Biology』誌に掲載された「Oxidants, antioxidants and the current incurability of metastatic cancers」という論文です。

130228_01

この論文で、ワトソンはまず、がん治療に関する現在の医学・生物学の状況を総括し、数々のがん細胞を攻撃する薬剤が開発され、使われるようになったが、がんの転移を防ぐ薬剤が開発されていないため、いまだに多くのがん患者が死亡していると述べています。実際のところ、現在の抗がん剤ではがん細胞の増殖を抑えることはできても、最終的にがん細胞は他の組織に浸潤・転移していき、患者の生命を奪っています。

それでは、がんの転移を抑制するのにどうしたらよいか。ワトソンはここである仮説を提示しています。それは、活性酸素(reactive oxygen species:ROS)の役割です。活性酸素はがんを引き起こす原因となっていることがわかっており、いわば「悪役」と考えられています。しかし、活性酸素は細胞をアポトーシス(プログラムされた細胞死)に導く働きをもっているため、がんの転移を防止する際に重要な存在になるのではないかというのです。

いまだに有効な抗転移薬が開発されていない現状で、ワトソンの提言は重要な意味をもっています。アメリカでは1971年に当時のニクソン大統領が国家戦略として「がんとの闘い」を宣言し、これががんの研究と治療法の開発を大きく前進させました。この「がんとの闘い」を提案したのが、ワトソンでした。ワトソンはいつも医学や生物学の研究の大きな流れを見ており、次の時代に何が重要であるかを見極める能力をもっています。その当時、がんの研究を推進することが国民の健康維持に大きな貢献をもたし、さらに生物学の進歩にもきわめて重要だと、ワトソンは考えたのです。

その後、やはりワトソンが提唱したヒトゲノム解析計画によって、がんの研究はさらに前進し、遺伝子やタンパク質が、がんとの闘いの主戦場となりました。この闘いは今も続いており、論文中でワトソンは、RNAi を用いて、抗転移薬のターゲットとなるタンパク質を網羅的に探索する計画を提案しています。

ワトソンは今、がんの転移抑制を「がんとの闘い」の次のターゲットと考えているわけです。
ワトソンの名著『二重らせん』のビジュアル版
The Annotated and Illustrated Double Helix

コールド・スプリング・ハーバー研究所のネットレターや『ネイチャー』誌で紹介されていたので注文していた “The Annotated and Illustrated Double Helix” が届きました。

121123_01

DNA の二重らせん構造を発見した経緯をジェームス・ワトソン自らが書いた名著『二重らせん』に、注釈と写真・図版をつけたものです。コールド・スプリング・ハーバー研究所のアレックス・ガンとヤン・ウィトコウスキー(この仕事にこの2人以上の適任者はいないでしょう)は、この本のために大規模な調査を行い、貴重な資料を見つけ出しました。

オリジナルのテキストに登場する建物や人物の当時の写真は、ケンブリッジ時代のワトソンの研究生活を生き生きと描きだします。また、当時の論文や手紙、メモなどが、ワトソンの記述を補完するともに、世紀の発見の物語に新しい視点を与えています。

この本は、『二重らせん』をはじめて読む人も、かつて『二重らせん』を読んだことのある人も楽しめます。60年近く前の出来事を回顧するために読むこともできますが、若い人たちには、ヒトゲノム計画やENCODE 計画にまで発展する最初の重要な発見が、どんな研究室でどのように行われたかを知ってもらうために、読んでもらいたいと思います。科学の素晴らしさを再認識してもらえるでしょう。

『二重らせん』はジェームス・ワトソンとフランシス・クリックの物語ですが、同時にモーリス・ウィルキンスとロザリンド・フランクリンの物語でもあります。二重らせん構造発見のきっかけになったフランクリンのX線回折写真、フォトグラフ51にまつわるエピソードも紹介されています。この記事に興味をもっていただいた方にもおすすめです。
ノーベル化学賞は、G タンパク質共役受容体の研究に
GPCR:Hottest area of research in medicine

今年度のノーベル化学賞は、G タンパク質共役受容体(GPCR)の研究に対し、デューク大学のロバート・レフコウィッツとスタンフォード大学のブライアン・コビルカに対して与えられることになりました。

GPCR は細胞の表面にある受容体(レセプター)で、細胞のシグナル伝達に重要な役割をはたしています。GPCR についてはここで少し紹介していますが、細胞外から刺激が与えられると、細胞内で結合しているG タンパク質を活性化させ、これが信号を伝えていきます。G タンパク質に関する発見に対しては、アルフレッド・ギルマンとマーティン・ロッドベルが1994年度のノーベル医学・生理学賞を受賞しています。

ヒトでは約800種類のGPCR がみつかっています。現在市販されている医薬品の30~50%はGPCR をターゲットにしたものです。さらに現在開発中の医薬品も、多くがGPCR をターゲットとしており、GPCR は基礎研究の分野だけでなく、創薬の現場でもきわめて注目されています。
iPS 細胞とENCODE:スモール・サイエンスの終わり?
The End of “Small Science”?

『サイエンス』誌編集長のブルース・アルバーツさんは、ENCODE 計画の終了に関して、同誌の10月5日号に、「スモール・サイエンスの終わり?」という文章を書いています。

ヒトゲノム計画によって、人間のゲノムは約30億の塩基対からなり、そのうち遺伝子として働いている領域は約3%であることが明らかになりました。その残りは、働きを失った遺伝子の残骸や無意味な配列の反復と考えられ、ジャンクDNA とよばれることもありました。しかしながら、9年間にわたる国際共同計画であるENCODE(Encyclopedia of DNA Elements:DNA エレメントの百科事典)によって、ヒトゲノムの80%の領域には、生命活動に関連した何らかの機能があることがわかりました。

アルバーツさんは、ENCODE は生命現象を網羅的に調べることに成功をおさめたが、これは生物学の分野でこれまで成功してきた「スモール・サイエンス」の時代が終わり、連邦政府が今後こうした巨大研究にしか予算を出さなくなることを意味しているのだろうかと、疑問を投げかけています。アルバーツさん自身は、自分はそうならないことを願っていると書いています。

ヒトゲノム計画、その後展開した「オミックス科学」、そしてENCODE と、生物学の基礎研究は、巨大な資金と組織力を投入する計画によって推進されてきました。それでもなお、細胞には基本的なことでまだわからないことが多いと、アルバーツさんは具体的な例をあげて説明しています。生命現象の総カタログづくりは大事です。しかし、一方で、こうした残された課題を解明するための、小さな研究室での革新的な研究が、生命現象のより深い理解につながっていくのだと、アルバーツさんは書いています。

京都大学の山中伸弥教授が、iPS 細胞の研究で今年度のノーベル医学・生理学賞を受賞しました。iPS 細胞の研究は、ES 細胞という巨大科学が成長していく時期に、それとは別の方法で再生医療をめざそうという発想のもと、山中教授の小さな研究室ではじまりました。アルバーツさんのいう、革新的なアイデアをもった小さな研究室での研究が大きく花開いたことを喜びたいと思います。
カロリー制限で寿命は延びない
Caloric restriction does not link to longevity

最近、アンチエイジングの方法としてカロリー摂取の制限が話題になっています。中には、1日に1食という極端な食生活を勧める医師もいるようです。しかしながら、『ネイチャー』誌の9月13日号に発表された論文によると、アメリカの国立老化研究所(NIA)で23年間にわたって行われてきたアカゲザルを使った実験で、カロリー制限による寿命の延長はみられなかったとのことです。

NIA では、アカゲザルを若齢グループ(1〜14歳で30%のカロリー制限開始)と老齢グループ(16〜23歳で30%のカロリー制限開始)に分けて実験を行いました。その結果、両方のグループとも、カロリー制限をしていないアカゲザルと比べて寿命の延長はみられませんでした。

この結果は、アカゲザルを使って同じような実験を行っているウィスコンシン国立霊長類研究センター(WNPRC)の結果とことなっています。WNPRC では成体(7〜14歳)のアカゲザルの30%で寿命が延びたという結果が得られています。しかし、この結果の解釈には疑義も出されており、寿命の延長は他の要因によるものである可能性があるとのことです。

NIA の実験では、アカゲザルの健康状態をみるため、血液採取も行われました。その結果、両グループのオスのサルでコレステロールの低下がみられましたが、メスのサルでは変化はみられませんでした。また老齢グループのサルでは中性脂肪も減り、グルコースも若干少なくなっていました。一方、若齢グループではグルコースの濃度に差はなく、中性脂肪はオスのサルでのみ若干低くなっていました。

この結果からすると、年齢が上がってからカロリー摂取の制限を行うと、寿命は延びないものの、代謝が改善され、発がんの可能性を低下させ、おそらく糖尿病の予防にも効果があるとみられます。

食餌制限が寿命を延ばすという実験結果は、これまでマウスやラットを含む多くの動物で得られてきましたが、霊長類においては、低カロリーと寿命の関係は単純ではないようです。

なぜカロリーの摂取を制限すると寿命を延びるのかについては、低カロリーによって「サーチュイン遺伝子」が活性化され、その結果つくられたサーチュイン・タンパク質が寿命を延ばすと考えられてきました。サーチュイン遺伝子は、「長寿遺伝子」とよばれることもあります。

サーチュイン遺伝子の寿命延長効果は、これまで酵母や線虫、ショウジョウバエなどで研究されてきましたが、昨年9月22日の『ネイチャー』誌には、これらの研究の多くには欠陥があり、サーチュイン遺伝子による寿命延長効果は酵母でしか確認されないという論文が発表されています。また、食餌制限でのショウジョウバエの寿命延長はサーチュイン遺伝子なしで可能であることが示されています。

どうやら、カロリー制限(空腹)→サーチュイン遺伝子(長寿遺伝子)の活性化→寿命延長という簡単なことではないようです。カロリーと老化の関係には、まだ科学的にはっきりしていないことが多くあります。過度のカロリー制限は絶対しないようにしましょう。健康に悪影響がでる可能性があります。

一方、ある年齢になったら、「腹八分目」という言葉の通り、若いときよりもカロリー摂取を控えめにし、バランスのとれた食事を規則正しくとることは、免疫力の向上や生活習慣病の予防などに効果があることはまちがいありません。
インフルエンザ研究のベネフィットとリスク
Influenza research:Lessons learned

『サイエンス』誌の6月22日号に掲載された鳥インフルエンザ・ウイルスに関する論文について書くのが遅くなってしまいました。

120711_01

バイオテロ等への悪用が懸念され、鳥インフルエンザ・ウイルスに関する2本の論文の発表が、NSABB(バイオ・セキュリティー国家科学諮問委員会)によって一時止められた問題に関するこれまでの経過は、ここここに書きました。2本の論文のうち、『ネイチャー』誌に投稿されていた東京大学医科学研究所およびウィスコンシン大学の河岡義裕教授のグループの論文は、5月3日の『ネイチャー』誌電子版に掲載されました。そして、もう1本の論文であるオランダ、エラスムス医療センターのロン・フーシェ教授のグループの論文も、投稿していた『サイエンス』誌にようやく掲載されたわけです。

ロン・フーシェ教授のグループは、2005年にインドネシアで分離されたH5N1 亜型鳥インフルエンザ・ウイルスを用い、これの3個所のアミノ酸を変異させたウイルスを作製しました。変異させた個所は、HA(ヘマグルチニン、血液凝集素)の2個所(Q222L:222番目のアミノ酸をグルタミンからロイシンに、G224S:224番目のアミノ酸をグリシンからセリンに)、そしてPB2(RNA ポリメラーゼのサブユニットの1つ)の1個所(E627K:627番目のアミノ酸をグルタミン酸からリシンに)です。これらはいずれも、哺乳類への感染を容易にすることが明らかにされている変異です。HA はウイルスの細胞への侵入に、PB2 はウイルスの複製に必要です。

このウイルスを、哺乳類でのウイルス伝播を研究するモデル生物であるフェレットに感染させ、フェレット間でのウイルスの伝播を調べたところ、ウイルスのHA にさらに2つの変異(H103Y:103番目のアミノ酸がヒスチジンからチロシンへ、T156A:156番目のアミノ酸がトレオニンからアラニンへ)がおこると、飛沫感染することがわかったのです。

フーシェ教授らは、H5N1 亜型鳥インフルエンザ・ウイルスは、わずか5個所が変異するだけで、ヒトの間で空気感染するウイルスに変身すると述べています。これらの変異は、別個に、あるいは一部の組み合わせで、すでに天然のウイルスで存在しています。これまで、鳥インフルエンザ・ウイルスがヒトに感染するようになるには、ブタの体内で他のウイルスとのゲノムの混合が行われなければならないと考えられてきました。ところが、フーシェ教授らの実験結果は、ウイルスが自然に変異するだけで、ヒトに飛沫感染可能になることを示しています。

こうした研究は、パンデミックを防止する対策をとる上で非常に大切ですが、悪用されれば、社会に大きな影響を与えるのは事実です。『サイエンス』誌は論文を掲載するにあたり、この問題についての大特集を組みました。編集長のブルース・アルバーツは、巻頭言で、「この論文掲載は8か月以上にわたった論争の終わりを意味するものであるが、生物学はDURC(dual-use research of concern)をどのように扱うを問われたのだ」と書いています。

DURC とは、科学の進歩や社会の発展に寄与する一方で、軍事やテロ目的で悪用あるいは誤用される懸念のある研究をいいます。感染性や病原性が高い病原体をあつかい、実験手法も急速に発展している生物学の分野では、DURC に対してどのような対応を取るかが大きな課題となってきました。アメリカでは2004年に有名なフィンク・レポート(「テロリズムの時代におけるバイオテクノロジー研究」)が発表され、問題点の整理と提言が行われました。ここでの提言から創設されたのがNSABB です。

アメリカ政府は本年3月29日にDURC に関する新政策を発表しました。ここでは、連邦政府が助成したH5N1 亜型鳥インフルエンザ・ウイルスを含む15の病原体や毒素についての研究が有するリスクの評価を連邦政府機関に求めています。リスクが高いと評価された研究については、リスクを低減させる対策が求められます。リスクが非常に高い研究については、論文発表の規制や研究成果を機密扱いとすることも求められます。

『サイエンス』誌6月22日号では、NIH(国立衛生研究所)のフランシス・コリンズらが寄稿し、今回の経過と、そこで何が学ばれたかを述べています。河岡教授らの研究およびフーシェ教授らの研究の両方をNIH は助成していました。コリンズらは研究のベネフィットとリスクを考慮することの重要性とともに、DURC をめぐる今後の議論に科学コミュニティーだけでなく、政策立案者、市民などの間での幅広い議論の必要性を強調しています。
鳥インフルエンザ・ウイルスの論文、『ネイチャー』誌に掲載
Nature magazine published flu paper finally

バイオテロ等への悪用が懸念され、論文発表が一時止められていた鳥インフルエンザ・ウイルスに関する2本の論文のうち、『ネイチャー』誌に投稿されていた東京大学医科学研究所およびウィスコンシン大学の河岡義裕教授のグループの論文が、5月3日の『ネイチャー』誌電子版に掲載されました。

鳥の世界で現在流行している高病原性鳥インフルエンザ・ウイルス(H5N1 亜型インフルエンザ・ウイルス)は、鳥からヒトへの感染例が発生していますが、ヒト間での感染はまだありません。河岡教授のグループが作製した変異H5N1 亜型ウイルスは、哺乳類でのウイルス伝播をしらべるモデル生物であるフェレット間で、飛沫によって伝播することが示されました。

インフルエンザ・ウイルスの表面にはHA(ヘマグルチニン、血液凝集素)とNA(ノイラミニダーゼ)という2種類のスパイクタンパク質があります。下の画像は東京大学医科学研究所の野田岳志特任準教授が撮影したH5N1 亜型ウイルスで、ウイルス表面のスパイクがよく見えています。

120505_01

HA には16の亜型があり、H5N1 亜型ウイルスは5型のHA をもっています。インフルエンザ・ウイルスの感染は、HA が細胞表面にある受容体(先端にシアル酸をもつ糖タンパク質や糖脂質)に結合することによってはじまりますが、鳥インフルエンザ・ウイルスとヒトインフルエンザ・ウイルスでは、結合のしかたが異なることが知られています。鳥のウイルスはガラクトース(糖タンパク質や糖脂質の一部)に「α2,3 」という結合をしたシアル酸を目標としますが、ヒトのウイルスはガラクトースに「α2,6 」という結合をしたシアル酸を目標にしています。この違いのために、鳥のウイルスはヒトの間で感染をくり返さないのです。

河岡教授のグループは、2009年に大流行したH1N1 亜型ヒトインフルエンザ・ウイルスのHA 遺伝子を鳥インフルエンザの5型に置き換えたハイブリッド・ウイルスを用い、210万種類もの変異ウイルスを作成しました。すると、その中の1つのウイルスがフェレット間に感染をおこしたのです。鳥のHA は本来、ヒトの受容体には簡単に結合しないはずです。どのような変異が起こったのでしょうか。

しらべてみると、このウイルスのHA では、受容体との結合部付近のアミノ酸配列で4か所に変異がおきていることがわかりました。具体的にいうと、N158D(158番目のアミノ酸がアスパラギンからアスパラギン酸に)、N224K(224番目のアミノ酸がアスパラギンからリシンに)、Q226L(226番目のアミノ酸がグルタミンからロイシンに)、T318I(318番目のアミノ酸がトレオニンからイソロイシンに)という変異があったのです。

120505_02

このうち、とくに重要なのはN224K とQ226L で、これによって変異ウイルスはα2,6 の結合を認識することができるようになり、哺乳類間での感染が可能になったのです。

H5N1 亜型の鳥インフルエンザ・ウイルスが、上の4つの変異を起こすと、ヒトの間で感染するウイルスに変身することになるわけですが、エジプトや中近東諸国のH5N1 亜型ウイルスは、すでにN158D の変異をもっているとのことです。

河岡教授はウィスコンシン大学から発表されたプレスリリースの中で、「ほんのわずかな変異で鳥のウイルスがヒトの世界で大流行をひきおこすウイルスになることがわかった」と語っています。また、ヒトのウイルスへの変異はこの論文で明らかになった変異以外にもあるはずで、河岡教授はさらなるインフルエンザ・ウイルスの研究が必要と強調しています。

論文の発表に懸念が示された理由は、変異の場所が明らかにされていることではなく、変異ウイルスの作製方法が詳しく述べられているからです。電子版に掲載された論文では、その方法が具体的に説明されています。世界中の研究者がこうした方法で研究を進めれば、新しいウイルスに備えるワクチンや治療薬の開発に寄与すると考えられます。

論文発表が止められていたもう1つの論文は、『サイエンス』誌に投稿されたオランダ、エラスムス医療センターのロン・フーシェ教授のグループによるものです。オランダ政府はこの論文の公表を許可しており、現在『サイエンス』誌で審査中です。
鳥インフルエンザ・ウイルスの論文公開へ
アメリカのバイオ・セーフティーに関する国家科学諮問委員会(NSABB)は、高病原性鳥インフルエンザ・ウイルス(H5N1 亜型インフルエンザ・ウイルス)の変異ウイルスに関する2本の論文の公開を認める勧告を発表しました。鳥の世界で流行している高病原性鳥インフルエンザ・ウイルスは1997年に香港ではじめて死者がでており、人間の世界での流行が懸念されています。

120401

2本の論文というのは、『ネイチャー』誌に投稿された東京大学医科学研究所およびウィスコンシン大学の河岡義裕教授のグループの論文、『サイエンス』誌に投稿されたオランダ、エラスムス医療センターのロン・フーシェ教授のグループの論文で、いずれも、哺乳類間で感染する変異H5N1 亜型ウイルスを作成したというものです。H5N1 亜型ウイルスは、まだ人間の間での感染は確認されていませんが、2つのグループが作製した変異H5N1 亜型ウイルスは、哺乳類でのウイルス伝播をしらべるモデル生物であるフェレット間で飛沫によって伝播することが示されました。

NSABB は昨年12月、2本の論文はテロなどに悪用される危険性があるとして、実験の詳細や結果を大幅に削除して掲載するよう求めました。これに対して、河岡教授らは情報を完全に公開することで、来るべきパンデミックに対する準備が可能になると主張しました。一方で、河岡教授やフーシェ教授ら39名のインフルエンザ・ウイルスの研究者は、H5N1 亜型ウイルスの哺乳類伝播に関する研究を60日間中断すると発表し、この間にH5N1 亜型ウイルスの研究と社会の安全保障について国際的な議論がなされることを要請しました。

NSABB の今回の勧告は、この60日間のモラトリアムの終了とタイミングを合わせて発表されたもので、テロなどに悪用されるリスクよりも、公衆衛生上のメリットの方が大きいとしています。WHO(世界保健機関)も2月に情報の全面公開を求める見解を発表していました。

変異H5N1 亜型ウイルスについて、このような議論が国際的に行われたことは、科学の世界にとって意義のあることだと私は思います。一方、今回の議論では、バイオ・セーフティー施設での実験についても問題になりました。エボラ・ウイルスなどきわめて危険なウイルスの実験は高度な閉じこめを行うバイオ・セーフティー・レベル4(BSL-4)で行われています。H5N1 亜型ウイルスの実験は、炭疽菌やSARS ウイルスなどとともにバイオ・セーフティー・レベル3(BSL-3)で行われています。スペイン風邪のパンデミックを起こした1918年のインフルエンザ・ウイルスの再現ウイルスはBSL-3 とBSL-4 の中間の施設で行われています。

こうした施設で実験を行うにあたっては、厳重な管理が必要ですが、『ネイチャー』誌によると、この10年の間に、中国本土、台湾、シンガポールのBSL-3 およびBSL-4 の施設でSARS の感染が起こりました。また、アメリカでも多くのバイオ・セーフティー規則違反が報告されているとのことです。テロによるウイルスの拡散よりは、規則違反によるウイルス流出の危険の方が現実性は高いといえます。
肥満の原因となる遺伝子が明らかに
私たちの細胞の表面にはG タンパク質共役受容体(GPCR)とよばれるセンサーがあります。GPCR は生体内のさまざまな生理活性にかかわっており、創薬のターゲットとしても非常に重要です。

GPCR は細胞膜を7回貫通する特徴的な構造をもっており、細胞膜の内側でα、β、γ の3つのサブユニットからなるG タンパク質に結合しています。GPCR に物質が結合すると、下の図のように、G タンパク質のαサブユニットに結合していたGDP(グアノシン二リン酸)が離れ、かわりにGTP(グアノシン三リン酸)がαサブユニットに結合します。これによってG タンパク質は活性化され、αサブユニット+GTP は信号を伝えるメッセンジャーとなります。GPCR はこのようにしてセンサーの役割をはたしています。

120320

GPCR の中には、肥満とも関係しているものもあります。京都大学大学院薬学研究科の辻本豪三教授らのグループが『ネイチャー』誌の3月15日号(電子版では2月19日)に発表した論文によると、GPR120 というGPCR の機能がそこなわれると、食事での高カロリー摂取が原因で発生する食事性肥満の原因となります。

GPR120 は、辻本教授らが以前に発見していた不飽和長鎖遊離脂肪酸の受容体で、いわば「脂肪センサー」といえるものです。辻本教授らのグループは、GPR120 の機能を失ったノックアウトマウスをつくって実験をしてみました。すると、このマウスでは脂肪細胞の分化や脂肪酸の生成が低下し、肥満、糖尿病、脂肪肝があらわれました。また、人間での肥満との関係を調べるために、ヨーロッパの約2万人の肥満患者の遺伝子を解析したところ、GPR120 をつくる遺伝子のアミノ酸配列が1個所変異すると、食事性肥満を発症する率が高くなることが明らかになりました。

これらの結果から、脂肪センサーGPR120 が食事性の肥満に深く関与していることが示されました。食事性肥満は先進国では深刻な問題になっています。GPR120 の遺伝子の変異は、肥満や糖尿病を予防するためのオーダーメイド医療に生かされていくかもしれません。また、GPR120 を標的とした肥満や糖尿病の治療薬への応用も期待されます。

新しいインフルエンザ・ウイルスが出現
すでに報道されていますが、アメリカのCDC(疾病管理センター)は新たな豚由来インフルエンザ・ウイルスの出現を報告しています。

最初の感染例はCDC の週報MMWR の2011年9月2日号で報告されました。インディアナ州とペンシルベニア州の幼児が、8月に豚由来のH3N2亜型インフルエンザ・ウイルス(A型)に感染したという報告です。下の写真は、そのとき分離されたウイルスです。

Influenza_A

アメリカでは過去2年間に豚由来のH3N2亜型ウイルスが8人から同定されていましたが、この2人から分離されたウイルスは、1つの遺伝子(M遺伝子)が、2009年に「新型インフルエンザ」として大流行した「インフルエンザ(H1N1)2009」に由来していることが、それまでのウイルスと異なっていました。ヒトのウイルス(インフルエンザ(H1N1)2009)と豚インフルエンザ(H3N2)のウイルスが豚に同時感染し、豚の中で遺伝子の入れ替え(これをリアソータントといいます)が起こったものと考えられます。

その後、同じような感染が5例発生しました。これらはいずれも豚との接触などによって、豚から直接感染したものです。MMWR の11月23日の速報(Dispatch)とMMWR の12月2日号では、さらにアイオワ州での3人の子供の感染例が報告されていますが、この3例ではじめてヒトからヒトへの感染が確認されました。いずれも症状は軽かったとのことです。

ヒトのインフルエンザ・ウイルスにはA型、B型、C型があります。このうち大流行するのはA型のウイルスです。A型インフルエンザ・ウイルスは直径が80〜120ナノメートルほどで、表面にはHA(ヘマグルチニン、血液凝集素)とNA(ノイラミニダーゼ)という2種類のスパイクがあります。HA はウイルスの細胞への侵入に、NA は細胞内で増殖したウイルスの遊離に関係しています。

Influenza_A

HA は16種類、HA は9種類あり、これらの組み合わせによってH1N1 あるいはH3N2などの亜型が生まれます。世界的に大流行した1918年の「スペイン風邪」のウイルスはH1N1亜型、1957年の「アジア風邪」はH2N2亜型、1968年の「香港風邪」はH3N2亜型でした。香港型は現在も流行しています。現在流行しているもう1つのウイルスはソ連型で、これはH1N1亜型です。

インフルエンザ・ウイルスの遺伝子は一本鎖のRNA で、8つの分節(HA、NA、PB1、PB2、PA、NP、M、NS)に分かれています。今回報告されている豚由来のH3N2亜型ウイルスでは、リアソータントによってM遺伝子が2009年に大流行したH1N1亜型ウイルスからもたらされました。それを示したのが下の図です。

Influenza_A

HA はHA スパイクを、NA はNA スパイクを、PB2、PB1 およびPA はRNA を合成する酵素であるRNA ポリメラーゼをつくる遺伝子です。M遺伝子(マトリックス遺伝子)は、M1 というタンパク質をつくるM1 遺伝子と、イオンチャンネル(ウイルスのエンベロープを貫いており、イオンを通過させる役割を果たす)をつくるM2 遺伝子からなっています。

豚にはヒトや鳥のインフルエンザ・ウイルスが感染します。そのため、豚の中では豚とヒトと鳥の遺伝子のリアソータントが起こり、新しいインフルエンザ・ウイルスが出現します。このウイルスは豚からヒトに、あるいは豚から鳥へ感染したものがヒトに感染したりして、ヒトの世界にもたらされます。

今回出現したウイルスが変異して、今後大流行するかどうかはわかりませんが、ヒトの世界にまた1つ、新しいインフルエンザ・ウイルスが侵入してきた現場を、私たちは見ているわけです。
HIV 流行の最新レポート
12月1日は世界エイズデーです。この日に向けて国連合同エイズ計画(UNAIDS)は11月21日に ”World AIDS Day report 2011” を発表しました。

このレポートによると、下のグラフのように、2010年末の世界のHIV 感染者は3400万人(3160万〜3520万人)で、2001年にくらべると17%増えています。この増加は、新たな感染がまだ大規模に続いていること、さらに最近は多剤併用療法などによってエイズ発症を遅らせることが可能になり、エイズで死亡する人が減ってきたことが要因になっています。

HIV_AIDS

2010年に新たにHIV に感染した人(下のグラフの青色の線)は270万人(240万〜290万人)で、これは2001年にくらべて15%の減少、また1997年のピーク時にくらべると21%の減少となっています。2010年にエイズで死亡した人(下のグラフの灰色の線)は180万人(160万〜190万人)で、2000年代半ばのピーク時の220万人(210万〜250万人)に比べると、大幅に減少しました。

HIV_AIDS

エイズ患者が最初に報告されてから30年がたちますが、上の2つのグラフをみると、HIV の世界的な流行はようやく峠を越えた感があり、とくにエイズで死亡する人はこのところ減少傾向が明らかです。とはいえ、HIV 感染の規模は現在もきわめて大きく、今後も強力なHIV 感染予防対策や新しいエイズ治療薬の開発などが必要です。

日本での状況はどうでしょうか。エイズ動向委員会によれば、日本における2010年までのHIV 感染者の年間報告数とエイズ患者の年間報告数の推移(凝固因子製剤による感染例を除く)は下のグラフのとおりです。

HIV_AIDS

HIV 感染者の年間報告数は2007年から1000人を超える高い水準にあります。2009年に前年より低くなっているのは、当時の新型インフルエンザの流行によりHIV の検査機会が減ったためではないかと考えられています。エイズ患者の年間報告数は漸増の傾向が続いています。

2011年のデータは9月25日までしかでていませんが、新規HIV感染者報告数は725人で、年間では1000人前後と予想されます。また新規エイズ患者報告数は361人で、年間では過去最高になる可能性があります。
肺がん治療薬イレッサをめぐる訴訟について
肺がん治療薬イレッサをめぐる訴訟で、国とアストラゼネカ社のどちらにも責任なしとする東京高裁の判決が11月15日に出ました。家族をなくされた原告の方々のお気持ちはよくわかりますが、私は今回の判決は妥当と思います。

iressa

イギリスに本社を置く製薬会社アストラゼネカが開発したイレッサ(ゲフィチニブ)は、「分子標的薬」という新しいタイプの抗がん剤です。分子標的薬はがん細胞に特徴的な分子を標的にします。つまり、これまでの制がん剤とちがって、分子標的薬はがん細胞のみを攻撃するのです。日本では2001年に乳がん治療薬のハーセプチン、慢性骨髄性白血病治療薬のグリベック、悪性リンパ腫治療薬のリツキサンが認可され、2002年にイレッサが認可されました。その後も続々と新しい分子標的薬が登場しており、がんの化学療法の現場に画期的な進展をもたしています。

イレッサは非小細胞肺がんの治療薬です。がん細胞の表面にはEGFR(上皮成長因子受容体)というタンパク質が多く発現しています。このEGFR からのシグナルによってがん細胞が増殖していきます。イレッサはEGRF の特定部位に結合してシグナル伝達をブロックし、がん細胞の増殖を阻害します。ここでイレッサの作用機序のアニメーションを見ることができます。

Gefitinib

イレッサが2002年7月に承認され、治療に使われるようになると、副作用としてあらわれる間質性肺炎による死亡例が相次ぎました。訴訟はこの時期の国とアストラゼネカが、イレッサの副作用で死亡する危険性があることを十分に説明していなかったとして、死亡した患者の遺族が訴えたものです。今年3月の東京地裁での判決では、国とアストラゼネカの責任を認めていました。

国とアストラゼネカの責任を追及する訴訟は大阪地裁でも行われ、今年2月に判決が出ています。この判決ではアストラゼネカの責任のみを認めました。この判決の中には、イレッサの説明書で当初、間質性肺炎が「重大な副作用」の4番目に書かれていたのは欠陥で、最初に記載すべきという、がん治療の現場ではほとんど意味のない判断も含まれています。がん治療の最前線にいる医師が新しい治療薬を使う場合に、その治療薬の説明書に書かれた内容だけに頼ることはあり得ません。論文や学会での発表などで、イレッサの副作用について事前にも情報を得ていたと考えられます。

私の家族も、認可直後からイレッサを使用した患者の1人でした。使用にあたっては主治医の先生から肺炎の副作用があることを説明され、経過をみながら慎重に使用していくこととなりました。イレッサは劇的な効果をもたらしました。あのときイレッサを使用していなかったら、私の家族は退院することも、その後何年間もがんの再発を防止することもできなかったと思います。残念ながら副作用で死亡する人がでてしまう一方で、私の家族のようにイレッサによって救われた多くの人が存在します。

肺がん治療の現場でイレッサは必要な薬です。副作用のない抗がん剤というものは存在しません。副作用を最小限にするための方法を考え、それでも不幸な結果になった場合については、十分な補償を行うシステムが必要です。

なお、この訴訟において「薬害」という言葉が使われることがありますが、イレッサは患者に使用してはいけない薬ではないので、「薬害」は不適当な言葉であると私は思います。
ノーベル医学・生理学賞:樹状細胞とがん治療
2011年度のノーベル医学・生理学賞は、私たちの体の中で免疫機構が働きはじめる仕組みに関する研究で大きな成果をあげたアメリカ、スクリップス研究所のブルース・ボイトラー教授、フランス、ストラスブール大学のジュール・ホフマン教授、アメリカ、ロックフェラー大学のラルフ・スタインマン教授に贈られることになりました。

ボイトラー教授とホフマン教授は自然免疫が働きだす仕組みを解明しました。スタインマン教授は1973年に「樹状細胞」を発見しました。スタインマン教授はノーベル賞受賞発表の数日前にがんで死去しましたが、自ら発見した樹状細胞を用いたがん治療を4年間にわたって受けていたとのことです。

樹状細胞(dendritic cell)は、木の枝がのびたような突起をもつことから名づけられました。そのはたらきは、体内に侵入してきた異物を認識して、その抗原をT細胞に提示するというものです。樹状細胞に抗原を提示されると、T 細胞は異物を攻撃します。下の写真は、成人T 細胞白血病ウイルス(黄色)に作用している樹状細胞(青色)です。

Dendritic Cells

人体にとってがん細胞も異物であるので、樹状細胞を使えばがん細胞だけを攻撃する治療法が可能になると考えられています。10年ほど前、私はボストンのダナ・ファーバー癌研究所を訪問し、ドナルド・キーフ博士に、樹状細胞を使ったがん治療の可能性について話を聞いたことがあります。この研究が基礎実験から臨床試験へと進もうとしている時期だったのです。樹状細胞の抗原提示作用は「きわめてパワフル」と語ったキーフ博士の言葉を今でもよく覚えています。

樹状細胞を用いたがん治療法の1つは、樹状細胞ワクチン療法とよばれているものです。この方法ではまず、がん患者から樹状細胞のもととなる造血幹細胞を取り出し、樹状細胞を大量につくります。そこに、患者のがん細胞を加え、樹状細胞に抗原を認識させます。この樹状細胞を患者に注射すると、樹状細胞が患者のT 細胞にがん細胞の抗原を提示するので、T 細胞はがん細胞を攻撃するようになります。樹状細胞ワクチン療法は、がん細胞だけを特異的に攻撃すること、患者自身の樹状細胞を使うので副作用が少ないことが特長です。

現在、アメリカでは樹状細胞ワクチン療法の臨床試験が数多く行われています。さらに、患者の樹状細胞を体外に取り出さないですむ方法も研究されています。
生命の言語:DNA とパーソナル医療の革命
フランシス・コリンズの『遺伝子医療革命――ゲノム科学がわたしたちを変える』(NHK出版)を読み終えたところです。コリンズは国立ヒトゲノム研究所の所長時代に国際コンソーシアムによるヒトゲノム・プロジェクトを率いて解読を完了させ、現在はNIH(国立衛生研究所)の所長をつとめています。有能な研究者はすぐれた書き手(あるいは語り手)でもあるとことが多いのですが、彼もその例にもれず、今回はゲノム科学と医療というきわめてホットなテーマを手際よくまとめています。矢野真千子さんによる翻訳もこなれており、きわめてエキサイティングな本になっています。

原書のタイトルは “The Language of Life—DNA and the Revolution in Personalized Medicine” です。ヒトゲノム・プロジェクトによって、ATCG の4種類の塩基によって書かれた人間のゲノムの文字列がすべて明らかになりました。そこに書かれているぼう大な中身を読み取るゲノム科学は爆発的に発展しており、DNA はまさに「生命の言語」となりつつあります。その結果、医療の分野では、個人のゲノム情報にもとづいたパーソナル医療、日本でよく使われる言い方ではオーダーメード医療が現実のものになりつつあります。原書のタイトルはこうした状況をよく表現しているのですが、日本語版では、あまり意味のない凡庸なタイトルになってしまったのは残念です。ちなみに「オーダーメード医療」というのは東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長である中村祐輔先生が使い始めた言葉で、アメリカでは “Personalized Medicine” とよばれています。

今後の医療がどうなっていくかを知る上で、ぜひ多くの方に読んでいただきたい本です。パーソナルゲノム医療の分野はまだ新しいため、素人の私たちにはいろいろ判断に迷うことがあります。本書の中でコリンズはゲノム医療に関する具体的な問題に彼なりの評価をしていますが、彼の考え方は現実的で前向き、かつ多くの情報をベースにしたバランスのとれたもので、たいへん参考になります。

そのような例の1つが、アメリカではすでにビジネスになっている個人向けの遺伝子検査サービスです。コリンズはこのうち3社の検査サービスを受けた体験を本書の中で述べています。ワシントンD.C. からほど近いメリーランド州ベセスダに研究棟が建ち並ぶアメリカの医学・生物学研究の総本山NIH の所長が、まさか偽名で検査サービスを受け、自分たちの事業が評価されてしまうことになるとは、各社は夢にも思っていなかったでしょう。これら3社について、コリンズは「科学的に厳密な方法で事業を行っている」とした上で、そのサービスの問題点や検査結果を聞く顧客の心構えや結果の解釈の仕方などをていねいに説明しています。コリンズは今後、こうした検査サービスは必要であるが、なんらかの形で国の監督が必要と考えています。

本書の中には、抗がん剤「イレッサ」にふれた個所があります。これについては、また別の機会に書きたいと思っています。
フォトグラフ51:ロザリンド・フランクリンとDNA
Photograph 51:Rosalind Franklin and DNA

コールド・スプリング・ハーバー研究所のネットレター12月号では、10月27日から11月21日までニューヨークのアンサンブル・スタジオ・シアターで公演された演劇『フォトグラフ51』が紹介されています。「フォトグラフ51」とは、ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックがDNA の二重らせん構造を発見する上で決定的な役割を果たした、DNA のX 線回折写真のことです。

photograph51

DNA 二重らせん構造発見の経緯については、ワトソン自身の著書『二重らせん』(講談社文庫)に生き生きと書かれています。1951年、イギリス、ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所にやってきたワトソンは、自分に本来与えられた研究とは別に、クリックと一緒にDNA の構造を解明する研究をはじめます。一方、そのころロンドンのキングス・カレッジではモーリス・ウィルキンスがDNA を研究していましたが、1950年にキングス・カレッジにやってきた同僚のロザリンド・フランクリンとの人間関係がうまくいかない困難を抱えていました。フランクリンはX 線回折の専門家で、キングス・カレッジでDNA 結晶の鮮明なX 線回折写真を撮りはじめていました。

rosalind

フランクリンのX 線回折写真を見たワトソンは、DNA がらせん構造をもっていることを確信します。これが世紀の発見へとつながりました。

xray_dna

DNA の二重らせん構造に関するワトソンとクリックの論文は『ネイチャー』誌の1953年4月23日号に発表され、1962年、ワトソンとクリック、ウィルキンスはDNA の構造決定の業績によりノーベル医学・生理学賞を受賞しました。そのときフランクリンは卵巣がんですでに他界していました。彼女があつかっていたX 線のためともいわれています。

1975年、フランクリンと親交のあったアン・セイヤーは ”Rosalind Franklin and DNA”(『ロザリンド・フランクリンとDNA――ぬすまれた栄光』草思社)を出版しました。この本は、『二重らせん』の中でフランクリンに関してワトソンが書いていることへのいわば反論として書かれたものです。セイヤーは、『二重らせん』や『ネイチャー』論文では、彼女の業績が正当に評価されていないこと、『二重らせん』でワトソンが描いているフランクリン像は一面的であり、実際のフランクリンは人間的にも素晴らしい女性であったことなどを述べています。

二重らせん発見に関するフランクリンの業績に関しては、今では正しい評価がなされていると思いますが、そのころにはアン・セイヤーの邦訳のサブタイトルにある「ぬすまれた栄光」というような反応があったのでしょう。しかし、この点についてはワトソンたちが目指していたものと、フランクリンが考えていた研究の進め方が異なっていたということに注意しなくてはなりません。ワトソンとクリックはDNA の構造を明らかにすることこそが、遺伝現象を分子レベルで解明するために最も大事であると考えていました。一方、フランクリンは当時、より鮮明なX 線回折写真を撮ることに高い優先度を置いていたように思われます。私は1981年にワトソンが来日した折に、彼にインタビューしましたが、そのとき、ワトソンは自分からフランクリンについて話をはじめ、(もしも彼女がDNA の構造解明を最優先に考えていれば)「彼女も二重らせんを発見できたはずだ」と語っています。

『二重らせん』でのワトソンの記述がフランクリンの人格を傷つけているというセイヤーの主張に、私は賛成しません。『二重らせん』の筆致には、ワトソンのあの率直で独特な性格が反映されています。ワトソンやウィルキンスを拒絶する様子が多少誇張されて書かれているとはいえ、彼女が一流の科学者であり、人間的にもすぐれた人物であったことは『二重らせん』を読んだだけでもわかるでしょう。なお、フランクリンの一生については、ブレンダ・マッドクスが2002年に、”The Dark Lady of DNA”(『ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』化学同人)というすぐれた伝記を出版しています。ちなみに、私はセイヤーの邦訳に加えられたサブタイトル「ぬすまれた栄光」と、マドックスの邦訳のタイトル「ダークレディと呼ばれて」については、著者の意図以上のものが感じられ、あまり気に入っていません。

さて、ここまで書いてきて、やっと『フォトグラフ51』に入れます。フランクリンを主人公に、『二重らせん』で書かれている当時の研究室での人間模様が演じられたようです。コールド・スプリング・ハーバー研究所のネットレターからリンクされている『サイエンティフィック・アメリカン』誌のブログには、11月2日に、この演劇をめぐってアンサンブル・スタジオ・シアターのすぐ近くで行われたパネル・ディスカッションの一部が紹介されています。

このパネル・ディスカッションには『ニューヨーク・タイムス』紙の科学記者マイケル・ウェイド、カリフォルニア州立大学の生物学学者リン・エルキン、ラトガーズ大学の生物学者ヘレン・バーマン、そして『フォトグラフ51』の脚本を書いたアンナ・ジーグラーが出席し、コロンビア大学の生物学者スチュアート・ファイアスタインがモデレーターとなりました。ワトソンも出席する予定だったのですが、コールド・スプリング・ハーバー研究所での会議出席のために参加できませんでした。しかし、同じ『サイエンティフィック・アメリカン』誌のブログには、『ニューズウィーク』誌のアンナ・クッシュメントが11月16日にワトソンやコールド・スプリング・ハーバー研究所のヤン・ウィトコウスキー、アレックス・ガンらと食事をしたときの会話が紹介されています。

上で紹介されている議論や会話はとても興味深いものですが、私は『フォトグラフ51』を観ていないので、これらについてあまり語ることはできません。11月2日のパネル・ディスカッションでは、かつてアン・セイヤーが提起した点が改めて議論されたようですが、もしも『フォトグラフ51』が多くの人の心を引き付けたとしたら、私には『ロザリンド・フランクリンとDNA――ぬすまれた栄光』の解説で中村桂子氏が書いている以下の文が、この演劇に最もふさわしいような気がします。

「『二重らせん』と本書は、三人のあいだの葛藤を通して、知識の追求に明け暮れる冷たい世界と思われがちな科学研究の場が、いかに人間臭い、個性と個性のぶつかり合いの場であるかを示してくれたからこそ興味深い読み物なのかもしれない」

それにしても、50年以上前のことではあるものの、科学の世界できわめて重要な発見が行われたドラマチックな出来事が、オフ・ブロードウェイの小さな劇場で演じられ、それについて科学者やジャーナリストが熱心に議論し、最後には当のワトソンまでが出かけてきて議論に参加してしまうニューヨークという街は、やはり世界の他のどこにもない魅力をもっています。
NDM-1:なぜインドか?
『Indian Journal of Medical Microbiology』誌の2010年7月17日号に、イギリスの王立エジンバラ病院臨床微生物学部門のバナバシ・クリシュナさんが「NDM-1:微生物学者へのウェイクアップ・コール」という小論文を寄稿しています。

この論文の中でクリシュナさんは、グラム陽性、グラム陰性、嫌気性細菌に広く効く抗菌薬カルバペネムに耐性をもつNDM-1産生菌が出現し、この細菌がカルバペネムをふくむほとんどのβ-ラクタム系抗菌薬、さらにはフルオロキノロン系、アミノグルコシド系まで、広範囲の抗菌薬に耐性を示すと述べています。さらに、カルバペネムは多くの多剤耐性グラム陰性病原体に効果をもつ唯一の信頼できる抗菌薬であることから、カルバペネム耐性菌の出現は重大な関心事であり、インドの微生物学者にとって無視できない課題であると述べています。

主にインドの微生物学者に注意をよびかけるこの小論文が発表されたのは、ウォルシュらが8月11日に『The Lancet Infectious Diseases 』誌電子版にNDM-1の感染実態について報告し、それを受けてWHO(世界保健機関)が8月20日に勧告を発表する前のことでした。

私は、クリシュナさんに質問がしたくなり、メールを送りました。日本でもNDM-1の最初のケースが出たことを説明した上で、私が質問したのは、以下の2つです。
(1)NDM-1産生株はなぜ、インドないしパキスタンで出現したのでしょうか?
(2)NDM-1を産生する遺伝子がサルモネラや赤痢菌のような危険な細菌に伝播する
   可能性はないのでしょうか?

突然のメールにもかかわらず、クリシュナさんからていねいな返事が送られてきました。

まず(1)についてですが、クリシュナさんは次のように書いています。「インド亜大陸では西欧のような抗菌薬の規制はありません。医者の処方箋が必要とはされていますが、誰でも簡単に手に入れることができます。もう1つの問題は、アーユルヴェーダ、ユナニ、ホメオパシーなどの代替医療です。これらの施術者は、セファロスポリン、キノロン、あるいはその他の新しい抗菌薬を特別の指示なしに処方します。のどの痛みの治療に第3世代のセファロスポリンを用いたりするのです。抗菌薬の意味のない使用が、耐性出現のメカニズムを加速させていると私は考えています。」

遺伝子の変異は一定の頻度で起こります。インドやパキスタンでは大量の抗菌薬が医師による管理なしに使われているため、多剤耐性菌が出現しやすいわけです。実際、インドでの抗菌薬の適正な使用に関しては、国としての政策も病院のためのガイドラインもなく、医療従事者への教育も欠けており、大きな問題になっています。さらに、こうした状況を知りながら、製薬メーカーが抗菌薬を積極的に売り込んでいることも問題です。

(2)の質問をもう少し説明すると、以下のようなことです。クリシュナさんも論文で報告しているように、NDM-1産生遺伝子は肺炎桿菌、大腸菌のほか、シトロバクター・フロインディ、エンテロバクター・クロアカ、モーガネラ・モーガニイでも報告されています。肺炎桿菌、大腸菌もふくめ、これらの細菌はエンテロバクター科という仲間に属しています。そうだとすると、同じエンテロバクター科であり高い病原性を有するサルモネラや赤痢菌にもNDM-1産生遺伝子が伝播する可能性もあるのではないか、ということなのです。もしもこうした細菌が、ほとんど抗菌薬が効かない多剤耐性を獲得してしまったら、大変なことになるかもしれません。

この点について、クリシュナさんは次のように述べています。「インド亜大陸では抗菌薬の規制がないため、NDM-1産生遺伝子はインド亜大陸で広がり、さらに人の移動によって世界に広がっていきます。この遺伝子はプラスミドに乗っているため、非常に伝播しやすく、すでに肺炎桿菌から大腸菌に伝搬しています。この遺伝子が他のエンテロバクター科の細菌、たとえばサルモネラや赤痢菌などに伝搬する可能性もあります。そうなったら、本当に恐ろしいことですが、それがおこっても不思議ではない状況です。」

さらに「インドには耐性菌を検出する施設がほとんどなく、新しい耐性菌が出てきても、大問題になるまでわかりません。これが大きな問題です」とクリシュナさんは書いています。

私はクリシュナさんへの返事で、インドでのこの問題が近い将来、日本とインドの協力によって改善されることを期待していることを、お礼とともに述べました。
多剤耐性菌:院内感染防止の総合的な対策が必要
多剤耐性菌による院内感染が大きな問題になってきました。厚生労働省は多剤耐性菌による院内感染対策の徹底をよびかけています。院内感染はこれまでMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)、VRE(バンコマイシン耐性腸球菌)などで問題になってきましたが、それ以外にも多くの危険な耐性菌が存在する、あるいはこれから出現してくるということが、今回の一連の出来事で認識されたのではないかと思います。

アシネトバクターの院内感染者は帝京大学病院以外の病院からもみつかりました。ところが、その病院の1つは、これを「院内感染ではなかった」という記者会見をしています。すなわち、「アシネトバクターは外部からもちこまれたもので、自分の病院にはいない」という意味なのだろうと思いますが、これは危険かつ無責任な考え方です。前にも書いたように、アシネトバクターはこれまで検出されなかっただけで、すでに日本の病院に常在していると考えるべきです。

抗菌薬を使い続けていると、その細菌の中に、その抗菌薬に耐性を示す遺伝子をもった株が出現します。かならず一定の頻度で遺伝子の変異はおこります。これまで問題になっている耐性菌の多くは、抗菌薬の濫用の結果、こうしたメカニズムによって生まれてきたものです。さらに、耐性菌の中には、抗菌薬の使用とは関係なく出現するものがあります。プラスミドに乗った耐性遺伝子が細菌間で移動することによって出現する耐性菌です。NDM-1遺伝子をもつ耐性菌は、このパターンです。

多剤耐性菌が抗菌薬の働きを抑えてしまうメカニズムはいろいろあります。たとえば、抗菌薬を分解したり、変化させて不活化させてしまう、抗菌薬がターゲットとする細菌の部位(抗菌薬が結合する部分)の構造を変化させ、抗菌薬が作用しないようにしてしまう、抗菌薬が細菌内に入りづらくしたり、入ってきた抗菌薬を細胞外へ排出してしまう、などです。

耐性菌は健康な人には害を与えることがありませんが、免疫力が落ちた入院患者などが感染すると、重篤な症状を引きおこし、場合によっては死にいたります。

耐性菌と人類の戦いは、ある意味で終わりのない戦いです。抗菌薬は細菌のはたらきを抑える有効な方法ですが、細菌側は、新たな耐性の獲得によって生き残りをはかります。これに対する防御は、並大抵ではありません。新規の抗菌薬の開発には時間とお金がかかります。一方で、医療の進歩、高齢者や慢性疾患を持つ患者の増加によって、耐性菌の標的となる患者は増加しています。

アシネトバクターやNDM-1に個別に対応する必要はありません。院内感染を防止するための総合的な対策が必要とされています。
NDM-1:スーパー多剤耐性菌の新たな脅威
院内感染で問題になっている多剤耐性菌としてはMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)、VRE(バンコマイシン耐性腸球菌)、MDRP(多剤耐性緑膿菌)などがあり、さらに最近では、ほとんどの抗菌薬が効かないスーパー多剤耐性菌アシネトバクター・バウマニが話題になっていますが、さらに、新たな多剤耐性が人類の脅威になろうとしています。

獨協医科大学に昨年入院していた男性患者から、NDM-1(ニューデリー・メタロ-β-ラクタマーゼ1)とよばれる酵素をつくる大腸菌が、日本ではじめて検出されていたという報道がありました。このNDM-1 をつくる細菌について、WHO(世界保健機関)は今後世界中に広がる危険性があるとして、注意をよびかけていたところでした。

イギリス、カーディフ大学のティモシー・ウォルシュらのグループは、2009年12月号の『Antimicrobial Agent and Chemotherapy』誌に、インドのニューデリーを旅して帰ってきたスウェーデン人の患者から検出された肺炎桿菌が、新しいタイプのメタロ-β-ラクタマーゼ(MBL)をつくる遺伝子をもっていたと発表しました。メタロ-β-ラクタマーゼというのは、ペニシリン、セファロスポリン、モノバクタム、カルバペネムなどβ-ラクタム系の抗菌薬を効かなくしてしまう酵素のことです。

メタロ-β-ラクタマーゼ にはすでにIMP-1やVIM-2といった種類が確認されていますが、ウォルシュらが発見したメタロ-β-ラクタマーゼはこれらとはだいぶ異なるもので、NDM-1と名づけられました。NDM-1をつくっている菌は、β-ラクタム系だけでなく、他のほとんどの抗菌薬にも耐性を示していました。

NDM-1がやっかいなのは、NDM-1をつく遺伝子が細菌のプラスミド(染色体のDNAとは別に細胞内に存在する環状DNA)に乗っており、細菌同士の接合などによって移動し、広まっていくことです。NDM-1をつくる遺伝子をもつ細菌の多くは大腸菌や肺炎桿菌です。すなわち、われわれの腸内にも常在している細菌がこの遺伝子を受け取ると、突如、ほとんどの抗菌薬が効かない多剤耐性菌に変身するのです。

ウォルシュらは今年の8月11日、『The Lancet Infectious Diseases 』誌の電子版で、NDM-1の感染実態についてインド、パキスタン、イギリスで調査した結果を報告しました。それによると、インドのチェンナイで44名、ハリヤナで26名、インドおよびパキスタンのその他の場所で73名、イギリスで37名のNDM-1感染者が発見されました。下の図は、NDM-1遺伝子をもつ菌株が見つかった場所です。

ndm-1

イギリスでの感染者の多くは最近インドやパキスタンを旅行した経験があったり、これらの地域となんらかの接触があったので、NDM-1はインドやパキスタンのあたりに起源をもつと考えられます。獨協医科大学の患者もインドから帰国後に入院したと報告されており、NDM-1をインドからもち帰ったと考えられます。

ウォルシュらによると、NDM-1遺伝子をもつ菌は、チゲサイクリンとコリスチンという日本では未承認の抗菌薬以外のすべての抗菌薬に耐性を示したとのことです。驚くべき多剤耐性といえます。すでにベルギーなどでは、NDM-1による死者も出ています。

ヨーロッパにNDM-1がもちこまれる原因は、インドやパキスタンで治療や美容整形を受けるメディカル・ツーリズムのようです。「感染は全世界に広まっていくだろう」と、ウォルシュらは論文の中で警告しています。
多剤耐性アシネトバクターの院内感染がまた発生
帝京大学医学部付属病院での多剤耐性アシネトバクター(多剤耐性アシネトバクター・バウマニ)による院内感染が報道されています。それによると、昨年8月から今年9月までに合計46名の多剤耐性アシネトバクター感染が確認されたとのことです。これまで日本で、病院内で多数の感染者が発生した例としては、2008年から2009年にかけての福岡大学病院と、2010年の藤田保健衛生大学病院があります。

多剤耐性アシネトバクターによる院内感染はヨーロッパでは以前から発生していましたが、今やこの細菌の感染は世界に拡大していると考えてよいでしょう。アシネトバクターは自然環境にも存在しますが、現在、問題になっているのは、病院内に常在している菌です。日本の病院にもすでに多剤耐性アシネトバクターが広がっていると考えるべきです。

厚生労働省によると、多剤耐性とは、カルバペネム系抗菌薬であるイミペネムかメロペネムのどちらかに耐性、さらに、アミノグリコシド系抗菌薬(アミカシンなど)に耐性、フルオロキノロン系抗菌薬であるレボフロキサシンとシプロフロキサシンのどちらかに耐性のものと定められています。多剤耐性アシネトバクターの中には、これらのいずれにも耐性をもつ株もあらわれていると報告されています。

アシネトバクター・バウマニはアシネトバクターという細菌の仲間です。パスツール研究所のLaure Diancourt らによる「アシネトバクター・バウマニのポピュレーション構造」という論文が、2010年4月7日に『PLoS ONE』誌に掲載されています。Diancourt らはアシネトバクター・バウマニの154の株と、19の他のアシネトバクター族の菌について、7つのハウスキーピング遺伝子(細胞の維持や増殖のためにいつも働いている遺伝子)を解析し、アシネトバクター・バウマニの多様性を調べてみました。

下の図は、アシネトバクター・バウマニと他のアシネトバクター族の細菌の近縁関係をみてみたものです。アシネトバクター・バウマニは、アシネトバクターゲノム種13TU とよばれている仲間に一番近いようです。

mrab

下の図は、154のアシネトバクター・バウマニ株間の近縁関係をみたものです。ヨーロッパではこれまで、クローン機▲ローン供▲ローン靴箸い3つのグループが知られていましたが、それ以外にも、いくつのも系統に分かれた株が存在することがわかります。このようにして、新たな耐性をもったアシネトバクター・バウマニが出現してくるわけです。

mrab

多剤耐性アシネトバクターは今後、深刻な院内感染をひきおこす脅威となるでしょう。従来の抗菌薬が効きづらいので、まず感染を防止することが重要ですが、これまでの報告によれば、日本ではまだ多剤耐性アシネトバクターに関する基礎的な知識が医療現場に十分には普及していないようです。そのため、医療器具の消毒が不十分であったり、菌の分離に時間がかかったり、医師や医療スタッフ、患者が感染に気がつかずに病院内を移動することによって、感染が拡大する可能性があります。
代替医療の危険性
日本学術会議が「ホメオパシー」について、科学的な根拠はなく、医療現場で使わないようにという会長談話を発表しました。

ホメオパシーを含む代替医療といわれるものには、医学的な効果はないと考えるべきです。医学的に効果がないというだけなら、まだいいのですが、今回問題になっているように、今日の医療が否定され、患者が病院に行くことが阻害されれば、社会的な弊害が生じます。会長談話の内容はきわめて当然のことですが、代替医療に対するこうした批判は、もっと早い段階からなされてしかるべきでした。

代替医療の多くは、近代医学が未発達の段階であった時代に起源をもっています。ホメオパシーも200年の歴史をもっているようです。当時はそれなりに医療行為をめざすものであったのでしょう。ヨーロッパの一般向けの医学書などでは、最近までホメオパシーについて触れられているものもあり、まだ何らかの治療効果があると受け止められているようです。

現代の医学も完全ではなく、治癒が困難な病気や症状もたくさんあります。なんとか治りたいと考える患者の心理にしのびこんでくるのが代替医療です。しかし代替医療には危険な側面もあるので、周囲の方は医師とも相談して適切なアドバイスをしてあげるべきです。
口蹄疫の感染経路をウイルスのゲノム解析で明らかに
口蹄疫ウイルスはどうやって宮崎県にもちこまれ、感染がいかに拡大していったのか、疫学調査チームによる調査が行われていますが、その結果はまだ明らかになっていません。感染経路の解明は、今後の防疫対策を考える上できわめて重要であり、ある程度確度の高い結果が得られれば、公開していくべきであると思います。

疫学調査は現地での聞き取りにもとづく地道な作業です。最近では、これに加え、ウイルスのゲノム解析を感染経路の推定に利用する手法も可能になってきました。ゲノムのデータを使えば、農場単位での感染経路の推定が可能です。

イギリスでは2001年に大規模な口蹄疫の流行がありました。グラスゴー大学環境・進化生物学部および動物衛生研究所パーブライト支所に所属していたエレノア・コタムは、この流行中に21の農場から採取された病原学的検査用の水疱上皮から23のウイルスを分離し、そのゲノム配列(口蹄疫ウイルスの全塩基配列約8500のうち、一部を除いた約8200塩基分)を決定しました。これらの配列を比較したところ、ゲノムの191のサイト(個所)で197の塩基の置換(6個所では2回の置換)が起こっていました。

塩基の置換とは、DNA あるいはRNA の複製時にエラーがおこり、ある塩基が別の塩基に置き換わることをいいます。コタムによると、口蹄疫ウイルスの塩基置換率は1サイト1日あたり2.26×10の−5乗で、農場あたりにすると1.5という高いものでした。この置換率の高さについては、村上洋介(当時家畜衛生試験場ウイルス病研究部病原ウイルス研究室長、現在は帝京科学大学教授)の『口蹄疫ウイルスと口蹄疫の病性について』(1997)でも、「1回のウイルス感染でおおよそ1個の塩基の置換が生じることになる」と書かれています。

この高い置換率のために、コタムは23のウイルスの系統樹(下)を作成することができました。先日の記事で私が紹介した口蹄疫ウイルスの系統樹は、VP1というキャプシドタンパクの塩基配列(633塩基)にもとづくものでしたが、ゲノム全体の塩基配列を決定することで、個々のウイルスの変化を見ることができたのです。

Eleanor M Cottam, 2007

この系統樹と疫学調査によるデータ(発生の時期等)を組み合わせて再現された感染経路が下です。数字あるいはアルファベットが個々の農場を示しています。どの農場からどの農場にウイルスが伝染していったかが明らかになっています。

Eleanor M Cottam, 2007

日本でもこうした手法を導入して、感染経路の詳細な特定を行っていくことが必要だと思います。ただし、ウイルスのゲノム解析を行うには、各農場の感染家畜から新鮮な組織を採取しなければならず、あらかじめ調査計画と現地で使用するマニュアルを作成しておく必要があります。研究者の方々はコタムの論文を知っていると思いますが、今回、こうした調査手法が可能な状況かどうか、私にはわかりません。
口蹄疫:ウイルスはどこから来たか?
口蹄疫のウイルスは遺伝情報をRNA の1本鎖としてもち、これがキャプシドとよばれる殻の中に入っています。キャプシドは球形で、4種類のタンパクが規則的に並んでいます。下のCG は、その様子を視覚化したものです。ウイルスの直径は21〜25nmです。

Oxford University

口蹄疫ウイルスにはいくつかのタイプがあり、アジアで流行しているのはO 型、A 型、Asia 1型です。ウイルスは牛のほか、豚、水牛、羊、山羊、鹿などにも感染します。特に豚は感染しやすく、感染すると大量のウイルスを放出するので、口蹄疫の感染拡大防止には、感染した豚の殺処分を迅速に行う必要があります。

ウイルスは感染した家畜の呼気中に含まれ、他の家畜に経口感染するほか、水泡や糞尿、乳にもウイルスが含まれます。ウイルスに汚染された物品が人間と一緒に移動することによって感染が拡大するほか、動物によってもウイルスは運ばれます。ウイルスを含む糞便などの粒子が風に乗って長距離を移動することもあるといわれています。ウイルスに感染した場合、症状があらわれるまでの潜伏期間は、牛の場合、約1週間です。

動物衛生研究所は、宮崎県の第1例のウイルスを分離し、遺伝子解析を行いました。このデータはイギリスの家畜衛生研究所に送られ、他のウイルスとの近縁関係が調べられました。同家畜衛生研究所はOIE(国際獣疫事務局)とFAO(国連食糧農業機関)が設置した口蹄疫の確定診断機関となっており、世界各地で発生したウイルスの解析を行っています。ウイルスはO 型であり、分離株はO/JPN/2010と名づけられました。

下は、O/JPN/2010に近縁なウイルスのトップ10です。一番左の欄が順位、次の欄がウイルス株の名前で、最初の「O」はO 型であることを示しています。その次はウイルスが分離された国や場所を示しており、「HKN」は香港、「Ganghwa/SKR」は韓国、江華島を示しています。その次は分離株の番号、そして分離された年です。一番右の欄の数値は、それぞれのウイルスがどれだけO/JPN/2010に近縁かを示しています。O 型のウイルスの場合、近縁関係の解析にはキャプシドタンパクの1つであるVP1の塩基配列を用います。

fmd

ウイルス株の近縁関係の解析は、ウイルスがどこからやってきたかを明らかにする上で、重要な材料になります。上のデータを見ると、O/JPN/2010は香港の豚から分離された9つのウイルス株と99%以上同じという結果になりました。香港での豚の口蹄疫は、香港内の牧場で発生したものではなく、中国本土から入ってきた豚によるものです。したがって、香港の口蹄疫のデータは、中国本土での口蹄疫発生の状況を知るてがかりとなっています。

中国でこのところ流行していたのはA 型とAsia 1型でした。O 型は1999年に発生して以来ずっとなかったのですが、今年2月に広東省で発生したのを皮切りに、3月、4月に中国各地で発生しています。香港では2月と3月に豚でO 型の口蹄疫が発生しました。香港のウイルス株の近縁関係を、系統樹でみると下のようになります。ウイルス株の系統樹は、ウイルスの伝播経路を解明する上で重要です。

fmd

現在、東アジアに存在しているO 型の口蹄疫ウイルスは、1998年にミャンマーで最初に分離された株(Mya-98)に属しています。上の系統樹を見ると、今年、香港で分離されたウイルス株は2009年にミャンマー(MYA)で発生した株からもたらされたもののようです。この株からは、2009年にタイ(TAI)で分離された株も派生しています。ミャンマーに存在していたウイルスが、今年初めに中国にもたらされ、それが香港に伝わったと考えられます。台湾でも今年2月、中国本土から輸入された豚でO 型の口蹄疫が発生しています。

それでは、日本のO/JPN/2010は、系統樹上でどのような位置にあるのでしょうか。下がそれです。枝分かれが少し複雑になっていますが、上に示した香港のウイルス株の位置を頭に入れておけば、その意味を簡単に読み取ることができます。

fmd

O/JPN/2010は香港のウイルス株の間に位置しており、香港のウイルスと同じように、何らかの形で中国からもたらされたのではないかと考えられます。この系統樹にはO/JPN/2010とも近縁であった韓国の株も示されています。このウイルスも同様に中国から伝播したのでしょう。韓国では今年初め、A 型の口蹄疫が発生しましたが、3月に終息しました。ところが4月になって、仁川広域市江華島でO 型のウイルスがあらわれ、現在も発生が続いています。

系統樹からみると、今年初めに中国に伝わったミャンマー株が、2月〜3月に周辺国および中国各地に広がったというのが、今回のO 型流行のごくおおまかな構図といえそうです。ただし、実際にそうであったか、あるいは何を媒介にしてウイルスが伝播していったのかは、詳細な疫学調査の結果をまたなくてはなりません。今後の口蹄疫発生を防止する意味で、これは非常に大事なことです。
口蹄疫:10年前の教訓生かされず感染拡大
5月17日、鳩山内閣は鳩山首相を本部長とする口蹄疫対策本部を発足させました。4月20日に口蹄疫の発生確認と同時に、農水省は赤松農林水産省を本部長とする口蹄疫防疫対策本部を設置していましたが、事態の深刻さにかんがみ、これを「昇格」させたことになります。一方、宮崎県の東国原知事は18日、同県での感染拡大を止められない状況だとして「非常事態」を宣言しました。どちらも、あまりに遅すぎる対応でした。

事態はすでに、これまでの方法では感染拡大を防止できないところにまで来ており、専門家は、ワクチン接種という、できれば使いたくない選択肢を提案せざるを得ませんでした。19日、政府の口蹄疫対策本部は、発生地の半径10km 以内の家畜にワクチンを接種し、最終的には全頭を殺処分するという対策を発表しました。

宮崎県では10年前に口蹄疫が発生しています。今回の最大の問題点は、このときの教訓が生かされなかったところにあります。

日本で「92年ぶり」という口蹄疫が宮崎県で発生したのは2000年3月のことでした。長い間、発生がなかったにもかかわらず、家畜伝染病の防疫関係者はすでに準備を整えており、3月21日に宮崎県から第一報が入ると同時に、国や県、畜産関係者、獣医師などによる迅速な対応がはじまりました。特に動物衛生研究所は、診断、抗体検査、ウイルスの分離、疫学調査など、防疫対応に重要な役割を果たしました。

2000年3月25日、第1例10頭を「偽似患畜」と診断、翌26日に通行遮断、殺処分、汚染物品埋却を完了。
4月3日、第2例9頭を「偽似患畜」と診断、同日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。
4月9日、第3例16頭を「偽似患畜」と診断、翌10日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。
5月11日、全国のサーベイランスで発見された北海道の第4例705頭を「偽似患畜」と診断、翌12日に通行遮断、翌日に殺処分、汚染物品埋却を完了。

こうして、口蹄疫の発生は6月9日に終息し、9月26日には、発生からわずか6か月というスピードで、日本はOIE(国際獣疫事務局)からの「口蹄疫に関する清浄国」としての認定を回復しました。このときの教訓として得られたことは、ウイルスの伝染力が弱かったこと、豚に感染しなかったことなど幸運が重なったものであり、今後の口蹄疫発生に十分な準備をしなければならないということでした。

今回も最初の報告とともに対応がはじまり、4月20日に第1例目がPCR 検査で陽性が確認され、家畜伝染病予防法にもとづく防疫措置の対象となる偽似患畜と判断されました。その後の経過をみると、翌21日に第2例目、第3例目が、22日には第4例目が、23日には第5例目、第6例目が偽似患畜と判断されました。特に第6例目には豚2頭が含まれていました。この時点で、発生が間隔を置いており、豚への感染もなかった2000年とは様相が異なり、すでに水面下で感染が拡大していると判断すべきであったでしょう。

しかし、宮崎県や国は対応を現場にまかせ、強力な措置をとるという決断をしませんでした。むしろ、このころ、風評の拡大防止や「人間には感染しない」という国民を安心させるための対応に力点を置いていたようにも見受けられます。その間に、国民の財産が失われる事態が進行していたわけです。4月28日に第2回口蹄疫防疫対策本部が開催されました。ここが、国家的危機管理を発動する最後のチャンスだったかもしれません。

こうした経過で、私が一番気になっているのは、事例発生と同時に、国が、知識や経験が豊富な専門家の協力を積極的に仰ぐことがなかったのではないかということです。昨今、政治主導という言葉がよく使われますが、政治主導で口蹄疫を防ぐことはできません。ワクチン接種にふれた18日の牛豚等疾病小委員会の寺門誠致委員長代理は、2000年の発生時、家畜衛生試験場長として陣頭指揮に当たった人です。こうした専門家の意見を、国が早い段階で受け入れていたら、事態はもっと変わっていたでしょう。

口蹄疫は発生すると経済的な影響が大きいこともあり、OIE では、最も重要な家畜の伝染病と位置付けています。中国、香港、台湾、韓国など日本をとりまく国では最近、口蹄疫が発生しており、日本でも感染牛が発生することは十分予測できました。ウイルスはいくつかの経路で日本に入ってきます。2000年の発生は、中国から輸入された飼料用の藁にふくまれていたウイルスが原因と考えられています。
アジアの生物学研究の中心は蘇州に
CSH Asia opened in Suzhou, Chiana

昨年11月と今年4月の事業仕分けで、多くの人が、日本の科学研究予算が削減されるのではないかと危惧を抱いている間にも、世界ではいろいろなことが起こっています。

去る4月6日、中国の蘇州に、コールド・スプリング・ハーバー・アジアのカンファレンス・センターがオープンしました。開幕式には、DNA の二重らせん構造の発見者であり、長い間、コールド・スプリング・ハーバー研究所の所長であったジェームス・ワトソンも出席しました。ワトソンは今年82歳、すでに研究所の仕事の第一線を退いているにもかかわらず、彼が式典に出席したことは、この事業の重要さを示すものです。

CSH_Asia

現地の新聞も次のように伝えていました。

「世界生命科学の聖地」と称される米コールド・スプリング・ハーバー研究所のアジア提携プロジェクト――コールド・スプリング・ハーバー・カンファレンス・アジアの開幕式が蘇州独墅湖会議センターで開催された。・・・コールド・スプリング・ハーバー研究所の名誉首席・「DNA の父」・ノーベル賞受賞者であるジェームス・ワトソン博士および世界各国から生物医薬学者たちが集まった。

マンハッタンから車で約2時間、ロングアイランドにあるコールド・スプリング・ハーバー研究所は、世界の生物学研究にとって特別な意味をもつ研究所です。小さな湾に面した美しい自然の中にコテージのような研究棟やオフィス、図書館、会議場などが点在する風景は、巨大なビルが立ち並ぶ研究施設とは趣を異にしています。その構内を少し歩いてみれば、そこが自由で創造的な研究の場であり、新しいサイエンスが次々に生まれてくる場所であることがわかります。うまくすれば、駐車場で車から下りてきたワトソンとすれちがうこともあるでしょう。

この研究所が生物学の分野で、「世界で最も影響力のある研究所」とされているのは、ノーベル賞受賞者を何人も輩出しているというだけではありません。ここで開かれる質の高い会議やセミナーが世界中から研究者を集めているのです。年に1回開催される「シンポジウム」は、その中でも特に重要なもので、生物学の一番ホットなトピックスや今後急速な成長が予想されるテーマが取り上げられ、世界の第一線の研究者が活発な議論を交わします。最近、遺伝子発現の制御を研究するエピジェネティクスという分野が急速に話題を集めていますが、コールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムでこのテーマが取り上げられたのは2004年のことでした。また、2006年には制御RNA が取り上げられましたが、まさにこの年のノーベル医学生理学賞は、RNA 干渉を発見した2名のアメリカ人研究者に対して与えられたのです。

コールド・スプリング・ハーバー研究所は、ニクソン政権が打ちだしたがん制圧政策や、国際協力によるヒトゲノム解析計画の推進にあたっても、重要な役割を果たしました。

私もこの研究所を訪問していて、世界の動きを実感したことがあります。それは、ワトソン所長と打ち合わせをしていたときのことでした。彼は突然、席を外し、電話をかけるために隣の部屋に行ってしまいました。それは、ちょうどクレイグ・ベンターのひきいるセレラ・ジェノミックス社が独自のヒトゲノム解析計画を立ち上げると発表した直後だったのです。ワトソンはイギリスのウェルカム・トラストと連絡をとって新たな資金を導入し、国際チームの解析作業のスピードアップを図ろうとしているのだと、同席していた人がそっと教えてくれました。

私がDNA チップを初めて知ったのも、この研究所でした。研究者たちが当たり前のように話しているこの技術は、当時、日本ではほとんど知られていませんでした。それから1年ほどの間に、DNA チップに関する情報は怒涛のように日本に流れこんできました。

コールド・スプリング・ハーバー研究所のアジア法人であるコールド・スプリング・ハーバー・アジアでは、今後、世界中から科学者を集めたシンポジウムや会議を蘇州のカンファレンス・センターで開催していく予定です。4月6日の開幕式の後、カンファレンス・センターのワトソン会議場では第1回ジェームス・ワトソンがんシンポジウムが11日まで開かれました。日本からは東京大学大学院の谷口維紹教授がキーノート・スピーカーの1人として招かれました。

これにつづいて4月12日〜17日にはフランシス・クリック神経科学シンポジウムが開催されました。その後も膜タンパク、エピジェネティクス、ヒトゲノム、幹細胞、エマージング感染症、RNA 生物学など重要なテーマの会議が予定されており、夏には神経科学のサマースクールも行われます。コールド・スプリング・ハーバー・アジア代表のデイビッド・スチュアートは、コールド・スプリング・ハーバー研究所の会議とセミナーの責任者でもあり、研究所で行われるのと同じ、レベルの高い会議が開催されるものとみられます。「蘇州のカンファレンス・センターをアジア全域の科学者のためのハブにしたい」をスチュアートは語っています。蘇州は上海から鉄道で約2時間、日本や韓国などからもアクセスが容易な場所にあります。

カンファレンス・センターは中国・シンガポール蘇州工業パーク内に設置されました。中国とシンガポール政府が共同で開発しているこの工業パークは、「最も発展のスピードが速く、国際的な競争力を持つハイテク工業パーク」(JST 資料)になることを目指しています。シンガポールの科学技術研究庁(A*STAR)は世界最高レベルの人材を集めた研究活動を積極的に推進しています。中国とシンガポールという強力な科学新興国のシンボルといえる場所に、今世紀、爆発的な進歩が予想される生物学研究のハブが置かれるというのは、ある意味では歴史の必然なのかもしれません。これだけのエネルギーや吸引力が、今の日本に感じられないのは、さびしい気がします。

CSH_Asia

蘇州は昔から「東洋のベニス」とよばれた水の都であり、カンファレンス・センターが位置する独墅湖の湖畔は、環境がどことなくロングアイランドの研究所に似ています。これもまた、コールド・スプリング・ハーバー研究所にとって、アジア・太平洋地域の拠点を蘇州に置く理由の1つだったのではないかと、私はひそかに考えています。
スーパー薬剤耐性菌アシネトバクター
すべての抗生物質が効かない細菌が千葉県の船橋市立医療センターで見つかっていたことがわかり、大きく報道されました。この細菌はアシネトバクターの仲間で、患者は昨年7月、アメリカの病院から転院してきました。すでに退院し、院内感染もなかったとのことです。

アシネトバクターはグラム陰性菌とよばれる細菌のグループに属し、土壌や水などの環境中、あるいは人間の皮膚などに常在しています。いわゆる日和見感染を起こす細菌で、健康な人には影響を与えませんが、重症者や糖尿病患者など免疫力の低下した人に感染すると、肺炎や敗血症などの深刻な症状をもたらし、死に至ることもあります。

acinetobacter_baumannii

アシネトバクターは従来、多くの抗生物質で治療が可能でしたが、近年、複数の抗生物質に耐性を示す多剤耐性株が出現しつつあり、アメリカでは10年ほど前から問題になってきました。この耐性菌の存在を世間に知らしめたのは、イラク戦争に参加した兵士がアメリカ軍の医療施設で集団感染した事件でした。

アシネトバクターによる院内感染は、主に人工呼吸器などにより広がるようです。昨年の末、アメリカの300の病院でアシネトバクターによる院内感染を調査した結果が発表されました。それによると、1999年から2006年の間に、アシネトバクターによる院内感染の発生件数は3倍に増加していました。院内感染というと、多くの病院で感染例が報告されるMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が有名ですが、専門家はアシネトバクターのような新しいスーパー耐性菌が登場することを懸念しています。

院内感染を起こすアシネトバクターのうち、発生例の約80%を占めているのは、アシネトバクター・バウマニという株です。福岡大学病院では2008年10月から2009年1月にかけてアシネトバクター・バウマニによる院内感染が発生しました。この事例では、合計23名が感染しました。韓国で肺炎を発症し、帰国直後に入院した患者から感染が始まり、集中治療室の人工呼吸器を介して感染が広がったとみられています。患者から分離したアシネトバクター・バウマニは、ミノサイクリン、イセパマイシンの2つの抗菌薬では治療可能でしたが、それ以外のほとんどすべての抗菌薬に耐性を示したと報告されています。

今回のアシネトバクターがどのような耐性株であるのか、私はまだくわしいことを知りませんが、おそらくアメリカからもちこまれたのでしょう。同じような事態は今後も起こる可能性があります。こうした強力な耐性菌による感染が発生してしまうと、治療は非常に困難です。院内感染防止のための十分な対策が必要です。
アメリカの生物学の教科書
『アメリカ版大学生物学の教科書 第1巻 細胞生物学』(講談社ブルーバックス)を買ってきました。アメリカの大学生向け生物学の教科書 ”Life:The Science of Biology 第8版”(Sinauer Associates, Inc.)から、細胞に関する5章を抽出して翻訳したものです。原書は全57章からなりますが、この後、第2巻には遺伝に関する6章が、第3巻には分子生物学に関する6章が収録されるとのことです。

アメリカの生物学の教科書には、非常によくできたものが何種類もあります(生物学には限りませんが)。たいていは1000ページ以上のボリュームがあり、生物学の基礎から応用、生物学の実験手法、さらには進化論や生態学、生物多様性など豊富な内容が、よく練られた平易な文章で解説されています。特に素晴らしいのは、わかりやすく美しいカラー図版です。こうした教科書はページ数もさることながら、値段もそれなりなので、以前はニューヨークに行った折、学生向けに中古の教科書を売っている書店に行って、購入したものです。

日本の大学の先生方の中には、これらの教科書を翻訳したいと考えている方が何人もいました。私も翻訳出版を検討したことがありましたが、実現しませんでした。それが、今回、このような誰もが読める形で出版されたのはとても意味のあることだと思います。

やはり大学生向けの教科書として定評のある『キャンベル生物学』は丸善から翻訳が出ていますが、これは1500ページ以上のボリュームがあります。大学レベルの生物学をもう少し知りたいと考えている方は、まず、このブルーバックスにトライしてみてはどうでしょう。
タスマニアデビルを絶滅から救う
コールド・スプリング・ハーバー研究所の2010年1月のネットレターでは、同研究所のグレッグ・ハノンやエリザベス・マーチソンらによるタスマニアデビルのがんの遺伝子解析研究が紹介されています。この論文は『サイエンス』誌の2010年1月1日号に掲載されています。

タスマニアデビルはオーストラリアのタスマニア島に生息する現生では最大の肉食有袋類で、絶滅が危惧されています。その原因の1つは、タスマニアデビルの間で広がっているデビル顔面腫瘍性疾患(DFTD)とよばれるがんです。DFTD のために、タスマニアデビルの個体数は過去10年間で60%減少しており、このままでは50年以内に絶滅してしまうと心配されています。

ハノンらは採取した25の腫瘍からDFTD の遺伝子の配列決定を行い、DFTD の伝播と発症に関する遺伝子を突き止め、この腫瘍が咬むなどの身体的接触を介して個体から個体へ伝搬することを明らかにしました。こうした方法で動物間を伝搬するがんは珍しく、他にはイヌで知られているだけです。

また、ペリアキシンというタンパク質が腫瘍で発現していることがわかりました。このタンパク質をDFTD の診断や治療法の開発に利用することができれば、絶滅を防ぐための有力な手段となります。
トウモロコシのゲノム解読完了
Reference genome of maize is published

コールド・スプリング・ハーバー研究所からは、毎月ネットレターが配信されています。11月号では、前フェローのキャロル・グライダーのノーベル賞受賞が祝福されていましたが、最近送られてきた12月号ではトウモロコシのゲノム解読完了が報告されています。

イネとともに、人類にとって最も大事な穀物であるトウモロコシのゲノム解読完了の論文は、『サイエンス』誌の11月20日号に掲載されました。トウモロコシのゲノム23億塩基対の配列が決定され、3万2000個以上の遺伝子が特定されました。またゲノム全体の85%は、数百の転移因子ファミリーから構成されていることもわかりました。転移因子とはゲノム上を動くことのできる塩基配列のことです。トウモロコシのゲノムは、これまでわかっているものの中で最も複雑であったと報告されています。

science091120

トウモロコシのゲノム解読にあたってコールド・スプリング・ハーバー研究所は重要な役割を果たしました。そもそも、同研究所はトウモロコシとは切っても切れない関係にあります。20世紀のはじめには、コールド・スプリング・ハーバー研究所ではすでにトウモロコシの遺伝子の研究が確立していました。1940〜50年代にはバーバラ・マクリントックがトウモロコシの研究から「動く遺伝子」を発見し、1983年にノーベル医学生理学賞を受賞しています。トウモロコシのゲノム解読で中心的な役割を果たした同研究所のドリーン・ウエアー、ロバート・マーティンセン、リチャード・マッコンビーのうち、マーティンセンはトウモロコシが野生種から今日の栽培種になるにあたって重要な役割をはたした「ラモサ1」遺伝子の発見者の1人です。また、マッコンビーはイネゲノム解読国際チームのリーダーの1人でした。

トウモロコシのゲノム解読は遺伝学にとって画期的な成果であり、トウモロコシや他の穀物の基礎研究や、人類にとって貴重な食料であり、燃料源でもあるトウモロコシの収量増加に役立つだろうと、ネットレターは述べています。
世界エイズデー:日本の状況
世界エイズデーの12月1日、日本でも各地でエイズ予防のイベントやキャンペーンが行われました。

日本のHIV 感染者およびエイズ患者の新規発生数は、このところ毎年増加してきました。先進国では唯一、日本だけがこうした傾向を示しており、日本のHIV 感染防止対策がまだ不十分であることを物語っています。

厚生労働省エイズ動向委員会の発表によると、2008年1年間の新規HIV 感染者数は1126人、新規エイズ患者数は431人で、両者を合わせた数字は1557人となり、前年より57人増えています。2008年までのHIV 感染者数およびエイズ患者数の年次推移は以下の通りです。両者を合わせた累計は2005年に1万人を超えています。

エイズ発生動向

今年の状況はどうかというと、2008年12月30日から9月27日までのデータしかありませんが、新規HIV 感染者数764人、新規エイズ患者数336人となっており、わずかですが、前年同時期より少ない数字になっています。このままいけば、毎年の増加傾向がやっとストップすることになりますが、これで安心することはできません。

HIV の感染を経路別にみると、男性同性間の性的接触による感染が最も多く、異性間の性的接触がそれに次いでいます。15〜24歳のHIV 感染者を性別・感染経路別にみると、男性同性間の性的接触による感染の割合が非常に高く、しかも毎年増加傾向にあります。また、異性間HIV 感染者の年齢別・性別構成では、15〜19歳、20〜24歳で女性の割合が特に高くなっています。若い世代の感染を防止するには、学校での予防教育を徹底することが必要です。
エイズワクチンの臨床試験で初の成果
日本ではあまり大きく報道されませんでしたが、タイで6年間にわたって行われていたエイズワクチンの第3相臨床試験で、世界で初めてHIV の感染防止効果が確認されました。

この臨床試験は、アメリカのNIAID(国立アレルギー・感染症研究所)とアメリカ陸軍の資金援助のもと、バンコック近郊の、HIV 感染リスクの高い地域に住む18歳から30歳までの男女1万6000名以上が参加して、2003年10月に開始されました。被験者は2つのグループに分けられ、一方にはワクチンが、もう一方にはプラシーボ(偽薬)が与えられました。その結果、プラシーボを与えられた8198名のうち74名がHIV に感染したのに対して、ワクチンを投与された8197名では、HIV に感染したのは51名でした。この差は統計的に有意であり、限定的であるとはいえ、ワクチンの効果が明らかになりました。ワクチンには約30%のHIV 感染防止効果が認められたことになります。

NIAID のウェブページでアンソニー・ファウチ所長は、「この成果はエイズワクチン研究にとって大きな前進である」と述べています。「エイズワクチンがHIV 感染防止に一定の能力をもつことが、初めて示された。このワクチンがどのようにしてHIV 感染リスクを低減させたのかを理解するには、さらなる研究が必要だが、これがエイズワクチン研究を勇気づける進歩であることは間違いない」

RV144 とよばれたこの臨床試験は、それ以前に開発され、単独では効果が認められなかった2種類のワクチンを組み合わせて用い、2段階で被験者に免疫を与えようというものでした。

最初の免疫を行う「プライム」のワクチンは、フランスのサノフィ・パスツール社のALVAC-HIV です。このワクチンはカナリアポックスウイルスにHIV の遺伝子を組みこんだものです。カナリアポックスウイルスは哺乳類では増殖しないので、安全なベクターとして、他の病気のワクチンでも使用されています。追加免疫を行う「ブースト」のワクチンは、アメリカのヴァックスジェン社が開発し、サンフランシスコの非営利団体GSID にライセンスされているAIDSVAX B/E です。AIDSVAX B/E は、gp120というHIV の表面に存在し、HIV が細胞に感染する際に重要な役割をはたすタンパクを抗原として使用するものです。

HIV は変異がはげしく、現在A からK までのサブタイプ(亜型)に分けられています。今回使用されたワクチンは、このうち東南アジアで流行しているサブタイプB とE をベースとしています。

ワクチンの投与は、以下のようにして行われました。まず、被験者にALVAC-HIV を投与し、さらに1か月後、3か月後、6か月後にも投与します。AIDSVAX B/E は3か月目と6か月目に投与します。この6か月を1つのサイクルとして、これを3年間くり返すのです。この間、被験者には6か月ごとにHIV 感染テストが実施され、同時に感染予防のためのカウンセリングが行われました。

HIV が発見されてからすでに20年以上が経過していますが、ウイルスの変異がはげしい、ターゲットの1つであるgp120タンパクが糖鎖におおわれていて攻撃しにくいなどの理由で、有効なエイズワクチンの開発は困難をきわめ、失敗をくり返してきました。すでに全世界で2500万人の命を奪っているエイズの流行を食い止めるには、どうしてもワクチンが必要です。今後の研究の進展が期待されます。
オオカバマダラの定位活動
北アメリカ大陸に生息するオオカバマダラは渡りを行うチョウとして知られています。夏の間はカナダのあたりにいますが、冬にはカリフォルニアやメキシコまで移動して越冬します。移動距離は3000kmを超えます。

オオカバマダラ

オオカバマダラの渡りの特徴は、同じ個体が渡りをくり返すのではなく、世代を超えて渡りが行われることです。南で越冬するのは、夏の間に生まれたオオカバマダラです。春になるとオオカバマダラは交尾しながら北上します。夏の生息地に達するまでに何世代もかかります。つまり、オオカバマダラは自分が見たこともない土地に向かって旅をするのです。それなのに、目的地を間違えることはなく、越冬地の森林で毎年同じ木にとまるというのですから、生物というのは、つくづく不思議です。

オオカバマダラがどうやって渡りをするのかについての新しい論文が、『サイエンス』誌の先週号(2009年9月25日号)に載っていました。鳥やチョウが渡りをするとき、定位活動、すなわち方位を正確に知るためには概日時計が使われています。概日時計というのは、約24時間周期の体内時計のことをいいます。自分の中の時計と、そのときの太陽の位置から、針路を決めるのです。これまでの研究で、鳥やチョウの概日時計は脳にあることがわかっています。

ところが、マサチューセッツ大学医学校のクリスティン・マーリンらの研究によると、オオカバマダラの場合、触覚にある概日時計の方が重要な役割を果たしているとのことです。このことは、触角を取り去ったオオカバマダラを飛行シミュレーターの中で飛ばすと、チョウが方向を見失うなどの実験で明らかになりました。脳の概日時計と触角の概日時計の関係は、まだわかっていません。マーリンらはオオカバマダラだけでなく、他の昆虫も定位活動に触角を使っている可能性があるとしています。

分子進化のほぼ中立説
太田朋子先生の『分子進化のほぼ中立説』(講談社ブルーバックス)を読みました。太田先生は木村資生先生の共同研究者として、分子進化の中立説の確立に大きな貢献を果たしましたが、それだけでなく、中立説では困難な点を説明するために、「弱有害突然変異仮説」すなわち「ほぼ中立説」を提唱しています。

生物はどうやって進化していくのか? これは現代の生物学にとっても、とても難しい問題です。生存に有利な突然変異が自然淘汰によって生き残るというダーウィンの自然淘汰説だけで、生物進化を説明することができないことはほぼ明らかです。分子進化のほとんどは生物にとって有利でも不利でもない変異が広がったものであるとする中立説は、自然淘汰説(ネオダーウィニズム)の天敵のように思われた時代もありましたが、今では、両方が進化に貢献していると考えられています。

「ほぼ中立説」とは、淘汰を受ける突然変異と中立的な突然変異の間に、「ほぼ中立」すなわち「弱有害」な突然変異が存在するという考え方です。この弱有害突然変異には、生物集団が大きい場合には淘汰がはたらきますが、集団が小さくなるほどドリフト(遺伝的浮動)の効果が大きくなり、変異は偶然に広がっていきます。

ヒトゲノムの解読以降、生物の進化は、これまで論じられてきた形質の変化だけでなく、ゲノム自体の進化としてあつかうことが可能となり、進化のメカニズムの解明は新たな段階に入っています。ネオダーウィニズムと中立説の間に、弱い効果をもつ突然変異を考える「ほぼ中立説」は、ゲノムの複雑な進化を解き明かしていく上で大きな役割を果たす可能性があります。太田先生自身も「ゲノム時代の現在、大量のデータが得られ理論の検証も可能になった。また以前には予想もできなかった遺伝子の発現調節やゲノム構成についての知識も増え、ほぼ中立説の適用範囲が広がってきた」と「はじめに」で書いています。

生物のゆるやかな進化を示す化石は多く発見されているのに対して、生物が急激に進化していくときの化石が少ない理由も、「ほぼ中立説」で説明できるのではないかと、太田先生は書いています。すなわち、急激な進化は大集団中では淘汰されてしまいますが、小集団では生き残る可能性があるからです。

ブルーバックスにしては難解なのが少し残念ですが、ゲノムの進化論がもう少し進んだ段階で、この本の続編を読みたいと思いました。

鳥インフルエンザはどうなっているか?
今年4月にメキシコで出現し、世界中に広がった新型インフルエンザは、秋に入り、日本でも大流行を迎えようとしています。新型インフルエンザのウイルスはかつて1957年に流行したウイルスに似ており、現在50歳代以上の人には免疫があるらしいともいわれていますが、多くの人にとってははじめて遭遇するウイルスであり、感染がある程度拡大するのは仕方ないでしょう。

新しいインフルエンザ・ウイルスがどのようにして出現してくるのかは、まだはっきりしていませんが、鳥のインフルエンザ・ウイルスとヒトのインフルエンザ・ウイルスがブタに感染し、ブタの体内で両方の遺伝子が混ざり合って、新しいウイルスが出現するとされています。中国南部の農家ではアヒルとブタを一緒に飼っているところが多く、こうした場所から新しいウイルスがあらわれると考えられています。今回の新型インフルエンザ・ウイルスは、ブタのインフルエンザ・ウイルスが変異して、ヒトからヒトに感染するウイルスになったものです。

このブタ・インフルエンザがヒトの世界に突然あらわれる前には、高病原性鳥インフルエンザの流行が心配されていました。一時あれほどさわがれた鳥インフルエンザは今、どうなっているのでしょうか。

鳥インフルエンザの発生は現在も続いています。WHOの発表によれば、2003年から2009年8月11日までの世界での患者数は合計438名で、そのうち262名が死亡しています。2009年だけでいえば、患者数は43名、死亡は12名です。一時、患者発生が顕著だったインドネシアでは、今年、患者は発生していませんが、中国、ベトナムでは患者発生が続いています。今年、患者発生が目立つのはエジプトで、その多くが小児です。

鳥インフルエンザは鳥のウイルスが直接にヒトに感染するルートをとっています。1997年に香港で最初の流行がありましたが、このとき世界ではじめて鳥からヒトへの直接感染が確認されました。現在発生している患者も、弱った家禽や死んだ家禽と濃厚な接触があったとされています。

鳥インフルエンザ・ウイルスには多くの変異株がありますが、遺伝子を解析したところ、その系統は1996年にカモにあらわれたウイルスにまでさかのぼることがわかっています。このウイルスが翌年、香港でヒトに感染したわけです。鳥インフルエンザ・ウイルスは0型から9型まで10のグループに分けられます。このうち現在流行しているのは2型に属するウイルスで、活発に変異を重ね、新しいサブグループが次々と生まれています。このように変異がはげしいことは、ワクチン製造の難しさを物語っています。

鳥インフルエンザ・ウイルスはまだ鳥のウイルスですが、それがいつヒト型のウイルスに変異するかわかりません。引き続き注意深い監視が必要です。
RNA干渉の研究に大きな進展
DNAの情報からタンパク質を合成するための物質であるRNAが、実はそれ以外にもさまざまな役割を果たしているという事実に、私はずっと興味をもってきました。そのRNAに関する注目すべき論文が、8月23日付の『ネイチャー』電子版に掲載されました。国立がんセンター研究所の増富健吉先生らのグループによるその論文のタイトルを訳すと「TERTとRMPR RNAによってつくられたRNA依存性RNAポリメラーゼ」となります。これではいったい何のことかまったくわからないと思いますが、「RNA干渉」(RNAi)とよばれる現象の研究で大きな発見がなされたという内容なのです。

RNA干渉というのは、生体内にある2本鎖のRNA断片が、特定のタンパク質の合成を抑制するという現象です。ここ10年ほどの間に急速に研究が進みました。2006年度のノーベル医学・生理学賞はこのRNA干渉の発見に対して与えられています。RNA干渉は生体内のメカニズムを探る基礎研究から、がんやその他の病気の新しい治療法の開発まで、幅広い分野で利用が可能と考えられています。アメリカではすでに、肝臓がんの患者に対するRNA干渉薬剤のフェーズ気領彎音邯海はじまったというニュースも伝えられています。

RNA干渉を起こす際には、RNAは2本の鎖になっていなくてはなりません。1本鎖のRNAから、鋳型をつくって2本鎖のRNAをつくる役割を果たしているのがRNA依存性RNAポリメラーゼという酵素です。このRNA依存性RNAポリメラーゼはウイルスなどでは見つかっていましたが、ヒトをふくむ哺乳類では、RNA干渉が起こっているにもかかわらず、RNA依存性RNAポリメラーゼが発見されていませんでした。

TERTというのは、染色体の末端にあるテロメアを維持する役割をもつ酵素です。テロメアの末端が失われることが、細胞の老化と関係しているかもしれないことはよく知られています。増富先生らのグループは、このTERTがRMRPというRNAと結合すると、RNA依存性RNAポリメラーゼとしてはたらくことをつき止めました。RMPRというのはタンパク質をつくる役割をはたしていないRNAのことをいいます。ヒトにもRNA依存性RNAポリメラーゼが存在し、それが実際に細胞内でつくられていることが初めて明らかになったわけです。RNA干渉を人為的にコントロールし、がんなどを治療する研究につながるかもしれません。

研究が進めば進むほど、意外な事実が明らかになる生命現象の不思議さに感動せずにはいられません。

▲PAGE TOP