国立トレチャコフ美術館展:ノスタルジアへの回帰

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    Romantic Russia from the Collection of The State Tretyakov Gallery

     

    「国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア」展に行ってきました。これまで何度も見ているクラムスコイの《忘れえぬ女》(《見知らぬ女》)ですが、やはりこの絵の前では思わず立ち止まってしまいます。

     

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    モスクワのトレチャコフ美術館とプーシキン美術館、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館とロシア美術館。2つの都市に行ったら、ぜひ訪れたい美術館です。ロシア美術の素晴らしいコレクションをもっているのがトレチャコフ美術館とロシア美術館です。そしてトレチャコフ美術館で最も人気のある作品の1つが《忘れえぬ女》といえるでしょう。日本に来るのは今回が8度目とのことです。

     

    今回は19世紀後半から20世紀初期の風景画や肖像画、そして人々の生活を描く作品が展示されています。風景画の巨匠シーシキンの作品やクラムスコイの《月明りの夜》も見ることができます。

     

    今回展示されている作品を描いた画家の多くは「移動派」というグループに参加していました。移動派は当時の帝国芸術アカデミーに反旗をひるがえした若い画家たちが1870年に結成した新しいロシア美術の流れで、クラムスコイはその活動の中心をになう1人となりました。移動派は各地を巡回して展覧会を行ったため、その名がついています。移動派が活動した時期は、文学においてはドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、トルストイの『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』が発表され、少し遅れてチェホフが登場する時代です。文学においても美術においても、そして音楽においても、私たちもよく知るロシアの芸術が豊かに花開いた時代でした。

     

    一方、この時代はロシア帝政の末期にあたります。知識人や学生たちに社会変革への意識が生まれ、テロリストたちの過激な行動がくり返される変動の時代でした(ロシア革命にいたる歴史を亀山郁夫氏と沼野充義が主に文学の立場から熱心に語り合った『ロシア革命100年の謎』(河出書房新社)はとても面白く参考になる本です)。1917年のロシア革命によって帝政が崩壊すると、赤軍と白軍の内戦、ソヴィエト国家建設への混乱、そして大祖国戦争(第二次世界大戦)と激動の時代が続き、画家たちがロシアの美しい自然や人々の生活を落ち着いて描くことはできなくなりました。

     

    移動派に代わって20世紀初頭に登場したのが「ロシア・アヴァンギャルド」という前衛的な芸術でした。中でもロトチェンコらがひきいるロシア構成主義は、ソ連共産党のプロパガンダとも結びつき、斬新な作品を生み出しました。私を含め、ロシア・アヴァンギャルドのファンは日本にもたくさんいます。しかしながらトレチャコフ美術館のゼリフィーラ・トレグーロワ館長は今回の展覧会に向けたメッセージで、「少し前は、ロシアのアヴァンギャルドの絵画が非常に人気がありましたが、現在はローマやパリ、ヘルシンキなどの主要美術館から展覧会開催を打診されるなど、移動派の作品への注目度が高まっています」と述べています。

     

    革命下の疾風怒涛のアヴァンギャルドよりも、革命によって失われた19世紀後半から20世紀初頭の時代を描くノスタルジックな絵画に人々の関心が集まるのは、世界の流れなのでしょうか。

     

    私が初めてモスクワとレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を訪れたのは今から30年以上前でした。街で見かける商品のパッケージやポスター、本の表紙などのデザインにロシア・アヴァンギャルドの痕跡を感じて楽しんだものですが、同時にトレチャコフ美術館やロシア美術館で19世紀後半のロシア美術の傑作を目にして感銘を受けたものです。

     

    さて、「ロシアのモナリザ」ともいわれるクラムスコイの《忘れえぬ女》ですが、この作品は1881年におきたテロリストによるアレクサンドル2世暗殺直後の1883年に描かれました。帝政の締めつけで社会を批判する作品を描くことができない状況の中、クラムスコイは人間の内面を描く作品に集中します。《忘れえぬ女》がただの美しい女性ではなく、そのミステリアスな表情の向こうに力強い内面を秘めているのはそのためです。

     

    《忘れえぬ女》のモデルが誰であったかについては多くの論考があります。クラムスコイが《忘れえぬ女》と同じ頃に描いた《日傘の女》の女性と顔のつくりが共通しているので、モデルとまでいえるかどうかは別として、作品のもととなった女性がいたことは間違いないでしょう。

     

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    亀山氏は展覧会に際して開催された講演会で、《忘れえぬ女》のモデルになった女性について興味深い説を披露しています。

     

    今回の展覧会では、レーピンの作品はルビンシュテインとクラムスコイの肖像画が展示されています。実はレーピンも、謎めいた表情の女性の肖像画を描いています。2012年の「レーピン展」で来日した《ワルワーラ・イワーノヴナ・イクスクル・フォン・ヒルデンバント男爵夫人の肖像》(1889年)です(下の画像、部分)。イクスクルは当時ペテルブルクで有名人が集まるサロンを主宰していた女性です。幅広い交友関係を持っていた女性ですが、この肖像画の彼女はヴェールで顔をおおっており、その表情は固く、ミステリアスです。

     

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    この作品とクラムスコイの《忘れえぬ女》について、国立国会図書館の早川萌氏は以前、非常に興味深い論文を発表しています(「イリヤ・レーピン《イクスクルの肖像》再評価への試論」)。早川氏によると、レーピンは自分の師であったクラムスコイの《忘れえぬ女》を見ていた可能性が高いとのことです。ある意味、《忘れえぬ女》に触発されて《イクスクルの肖像》を描いたのでしょうか。早川氏によれば、レーピンがここで描きたかったのは、古いタイプのロシア女性ではなく、「離婚を経験し、女子高等教育運動に参加し、戦時には自ら前線に赴き看護にあたり、慈善活動を惜しまなかった」イクスクルでした。

     

    「自然との結びつきや母性を強調するような既存の女性像とは異なる新しい女性像を描いているという点において、《イクスクルの肖像》は《見知らぬ女》の系譜に位置付けることができる」と、早川氏は述べています。

     

    《忘れえぬ女》のミステリアスな表情には、作品のきっかけになった女性やそれを描いた画家の思いだけでなく、その時代の雰囲気までが込められているのでしょう。この作品の前で思わず足を止めてしまう理由はそこにあるのかもしれません。


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