映画『ファースト・マン』:最後に残ったのは失望だけ

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    Damien Chazelle’s “First Man”Only Disappointment Remained

     

    映画『ファースト・マン』を観てきました。「これは『ライトスタッフ』でも『アポロ13』でもない」というアメリカでの批評を聞いてはいましたが、あまりの失望感に言葉もなく劇場を後にしました。ジェームズ・R・ハンセンによるニール・アームストロングの素晴らしい伝記を映画化するのであれば、誰か他の監督につくってほしかったと思わざるを得ません。

     

    場面の大半がアームストロングの家。当時のNASAのセットはほとんどなし。そして最後の月面シーンのチープさ。数え上げればきりがないので、やめますが、1番の問題は、この作品で描かれているアームストロングが、ハンセンが伝えたかったアームストロングではないということです。アームストロングは最高のプロフェッショナルでしたが、同時にいつも穏やかで人々に温かい宇宙飛行士でした。

     

    原作には、月への出発前のアームストロングに妻のジャネットがくってかかることなどは書かれていません。アームストロングが2歳で死んだ娘のカレンを月面で思い出して涙を流すことも書かれていません。この作品で描かれるオルドリンも実際とは異なり、おそらくオルドリン本人にとっていい気持にはならないでしょう。

     

    もちろん『ファースト・マン』はドキュメンタリーではありませんから、原作の映画化権を取得した人たちには脚色の自由があります。しかし、この作品はアポロ計画には興味のなかった人たちがつくった映画という感が否めません。また悪意ではないにしても、実際に起こったことがネガティブなフィルターをかけられたり(例えばアポロ8号)、一面的に描かれたり(例えばジェミニ8号)しており、さらに実際にはありえないシーン(例えばカレンのブレスレット)が付け加えられています。アポロ計画やニール・アームストロングに関係のあった人々、あるいはよく知る人々が誰も喜ばない映画になってしまいました。

     

    『ライトスタッフ』や『アポロ13』を観て、NASAの宇宙計画に興味を持った人は多いと思います。しかし『ファースト・マン』についていえば、多くの人々が人類の偉業であるアポロ計画の意義やアームストロングの魅力的な人間像を理解する上でマイナスにしかならないことを、私は非常に残念に思います。


    1816年の夏:映画『メアリーの総て』

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      The Year of 1816Haifaa al-Mansoor’s Mary Shelley

       

      『フランケンシュタイン』の作者であるメアリー・シェリーを描いたハイファ・アル=マンスール監督の『メアリーの総て』の試写会に行ってきました。

       

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      © Parallel Films (Storm) Limited / Juliette Films SA / Parallel (Storm) Limited / The British Film Institute 2017

       

      素晴らしい映画でした。自らの道を切り開いていくメアリーの魅力的な女性像については、ここに書くより実際に映画を見ていただく方がいいでしょう。

       

      1816年は気象学者には「夏のなかった年」(The year without a summer)として知られています。前年のインドネシア、タンボラ火山の大噴火で大量の二酸化硫黄ガスが成層圏に達して硫黄の雲を作り、太陽の光を遮りました。そのためヨーロッパや北アメリカでは寒冷な夏となったのです。雨の日が続くその1816年の6月、ロマン派の詩人であるジョージ・ゴードン・バイロン卿とパーシー・ビッシュ・シェリー、そのパーシーと駆け落ちをしていたメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン(まだパーシーと結婚していなかった)、メアリーの異母妹であるクレア・クレモント、そしてバイロン卿の医師ジョン・ポリドーリの5人は、レマン湖畔のバイロン卿の館、ディオダティ荘に滞在していました。メアリーはこの時、18歳でした。

       

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      © Parallel Films (Storm) Limited / Juliette Films SA / Parallel (Storm) Limited / The British Film Institute 2017

       

      ある夜、バイロン卿はそれぞれがゴーストストーリー(幽霊小説)を書こうと提案します。この夜の出来事から、フランケンシュタインとドラキュラという私たちが誰でも知っているSF・ホラー界の2大スーパースターが誕生することになります。それ自体がまるで文学作品のようですが、これは実際にあった出来事であり、「1816年の夏」(The summer of 1816)として語り継がれています。

       

      ディオダティ荘での出来事を描いた映画には、1986年の『ゴシック』をはじめ、いくつかの作品がありますが、メアリー・シェリーに焦点をあて、史実にかなり忠実に、少女時代から『フランケンシュタイン』出版までを描いた作品はこれが最初ではないでしょうか。

       

      メアリー自身が書いているように、ディオダティ荘でのある夜、メアリーは突然驚くべきイマジネーションにとらわれます。青白い顔をした科学者が死体をよみがえらせる場面です。「ぞっとするような恐怖をよびさます物語」を書こうと思っていたメアリーに『フランケンシュタイン』の発想が舞い降りた瞬間でした。『メアリーの総て』には、メアリーが堰を切ったように「11月のとあるわびしい夜のことでした」と書き始めるシーンが登場します。この文章はフランケンシュタインがつくりだした怪物が生命を与えられ、体の一部が動き出す章の書き出しとなりました。

       

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      © Parallel Films (Storm) Limited / Juliette Films SA / Parallel (Storm) Limited / The British Film Institute 2017

       

      ディオダティ荘から帰ってきてからも、メアリーは執筆を続け、作品を完成させます。『フランケンシュタイン――あるいは現代のプロメテウス』の初版が出版されたのは1818年で、今年は出版から200年にあたります。この時、作者は匿名とされ、1831年の第3版で、ようやくメアリーの名が作者として明らかにされました。

       

      『フランケンシュタイン』はゴシックロマンスの代表作とされていますが、それにとどまらず、SF文学の原点となる位置を占めています。米国でエドガー・アラン・ポーがメアリーやゴシックロマンスの世界を引き継ぐ作品を書き始めるのは1830年代です。その作風に関心をもったともいわれるフランスのジュール・ヴェルヌがSF作品を発表するのは1860年代から。英国でHG・ウェルズがSF作品を書くのは1890年代からのことです。また、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズの第1作『緋色の研究』が発表されたのは1886年、チャレンジャー教授が活躍する『ロスト・ワールド』が発表されたのは1912年です。今日の豊かなSF世界をつくりあげたこれらの源流のさらにその源に、『フランケンシュタイン』は位置しているのです。

       

      『フランケンシュタイン』には、本文が始まる前にミルトンの『失楽園』の以下の引用があります。

      「土くれからわたしを、創り主よ、人の姿に創ってくれと

      わたしがあなたに求めたろうか? 暗黒より

      起こしてくれと、あなたにお願いしただろうか?――」

       

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      © Parallel Films (Storm) Limited / Juliette Films SA / Parallel (Storm) Limited / The British Film Institute 2017

       

      自分はなぜ生まれてきたのか? これは人工的につくられた生命体にとってきわめて切実な問いです。フランケンシュタインの怪物の孤独や絶望、苦悩は、『ブレードランナー』をはじめとするレプリカントもののSF作品に受け継がれ、今日でもその意義を失っていません。

       

      なお、ポリドーリも夏の間に吸血鬼に関する物語を完成させます。吸血鬼のモデルはバイロン卿だったといわれるこの作品も評判になり、これが1897年のブラム・ストーカーの『ドラキュラ』を生み出すことになりました。

       

      『メアリーの総て』では、ディアダティ荘にヨハン・ハインリヒ・フューズリの絵画『夢魔』がかかっていました。バイロン卿はフューズリの作品が気に入っていたので、この設定はあながち不自然ではありません。この絵画は『フランケンシュタイン』に影響を与えたといわれています。メアリーの母であるメアリー・ウルストンクラフトはフューズリの恋人だった時期もありました。『ゴシック』にもこの絵画が登場しますが、実はユニバーサル映画のフランケンシュタイン・シリーズ第1作『フランケンシュタイン』(1931年)にも、この絵画をモチーフにした場面がありました。

       

      フューズリが『夢魔』を発表したのは1781年でしたが、当時非常な評判になり、その後同じ作品を何枚も描いているようです。現在確認されているのは4点で、オリジナルはデトロイト美術館にあります。フランクフルトの「ゲーテの家」にある『夢魔』はデトロイト美術館の作品とは左右が反転した構図になっています。私はブックフェアの際に何度か見に行きました。残りの2点は個人蔵とのことです。

       

      メアリーの生きた時代の英国を、もう少し広い視野でみてみましょう。

       

      当時はロマン派の時代であり、ウィリアム・ワーズワースやサミュエル・テイラー・コールリッジ、バイロン、シェリー、ジョン・キーツなどの詩人が活躍しました。ロマン派とは古典主義に対して個人の感情や想像力、自由などに重きを置く芸術の潮流です。メアリーの父であるウィリアム・ゴドウィンはロマン派の人々との交流があり、メアリーも少女時代からその世界に親しんでいたと考えられます。

       

      『フランケンシュタイン』にはシェイクスピアやミルトン、ゲーテなどの影響が指摘されており、メアリーは若くして高い文学的素養を身に着けていたことがわかります。メアリーの作家としての活動は、女性が小説を書くことが珍しかった時代に優れた文学作品を生みだしたジェーン・オースティンやブロンテ姉妹などと一緒の系譜に位置づけられるものです。こうした伝統は時代を下って1930年代の英国の主婦たちに受け継がれました。彼女たちがキッチンで書いたハッピーエンドの恋愛小説はミルズ&ブーン社から次々と発表され、それが現在のハーレクイン・ロマンスにつながっていきます。

       

      美術の分野でいえば、当時は「美」と「崇高」という概念を規範とするピクチャレスクの時代でした。ピクチャレスクは湖水地方の美しい風景画や庭園設計に影響を与えながら、一方でゴシックロマンスの世界とも親和性をもち、ユベール・ロベールなどの廃墟の美学にもつながっていました。

       

      さらに1848年にはダンテ・ゲイブルエル・ロセッティらによってラファエル前派が結成されました。日本でも人気のあるラファエル前派の画家たちはロマン派の詩人から大きな影響を受けました。特にキーツは彼らのお気に入りでした。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスにはキーツの「つれなき乙女」や「レイミア」を題材にした作品があります。「聖アグネス祭前夜」はアーサー・ヒューズやジョン・エヴァレット・ミレイが題材にしています。

       

      『メアリーの総て』には、ラファエル前派の絵画を思わせるシーンが何回か登場します。

       

      メアリーが生きた時代の詩人や作家や画家たちは、誰をとってもとても魅力的です。『メアリーの総て』を見た後、この時代の文学や美術に触れてみると、この映画がより興味深く、より身近に感じられるのではないでしょうか。


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