蜂須賀正氏随筆集『鳥の棲む氷の国』

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    蜂須賀正氏随筆集『鳥の棲む氷の国』(小野塚力編、我刊我書房)が9月下旬発売の予定で、予約販売が始まっています。

     

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    蜂須賀正氏(1903-1953)は華族にして鳥類学者、徳川慶喜の孫であり、ロスチャイルド卿とも深い交流があった人物です。絶滅した鳥ドードーの研究家としても世界に知られ、彼の”The Dodo and Kindred Birds or the Extinct Birds of the Mascarene Islands”は、現在でもドードー研究の代表的な文献の1つです。ベルギー領コンゴの密林で、野生のゴリラと対面した最初の日本人でもあります。

     

    編者の小野塚氏も私も古典SF研究会のメンバーというご縁もあり、私がこの本の末尾に解説を書かせていただきました。

     

    今回、刊行される『鳥の棲む氷の国』」は、単行本に未収録の文章、旅行記を集成したものであり、この本でしか読むことができません。特に、戦前の沖縄の風物にふれた「琉球採集旅行記」と中国探訪記「中支生物紀行」は今読んでも非常に興味深い紀行文です。

     

    現代の生物学は先端的研究に細分化され、生物界を総合的に理解するという観点が欠けてしまいがちです。その点で、豊富なフィールド体験と博識に裏付けられた蜂須賀の文章は私たちに大いに参考になると思います。


    みはらしの丘

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      Miharashi Hill

       

      ひたちなか海浜公園のみはらしの丘には、今、32000株のコキアが植栽され、夜になると「コキアライトアップ」のイベントを楽しめます。私も行ってきましたが、暗くなる前に、丘の上から美しい夕焼けを見ることができました。

       

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      「コキアライトアップ」では幻想的な光のショーを楽しめます。

       

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      みはらしの丘は5月にはネモフィラで有名です。この時も書きましたが、ひたちなか海浜公園のある場所には、戦前は旧日本陸軍の水戸東飛行場があり、飛行機の操縦訓練を受けた若い兵士たちがここから戦地におもむきました。

       

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      戦後は米軍の射爆撃演習場として使われ、日本人が立ち入ることのできない場所になっていました。当時の航空写真を見ると、射爆の標的となった大きな同心円が地面に描かれているのが分かります。

       

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      射爆場は1973年に返還され、その後、ここを公園にする取り組みがはじまりました。広い敷地の中でも、みはらしの丘は特別な存在でした。かつて丸い標的があったまさにその場所に、みはらしの丘がつくられたのです。

       

      公園の西口からみはらしの丘に向かう途中に、記念の森レストハウスがあります。このレストハウスの奥にギャラリーがあり、この公園ができるまでの歴史が展示されています。きれいな花を見に来た際には、ぜひこのギャラリーに立ち寄って、「花いっぱいの丘」がどうやってできたのかを知ってほしいと思います。


      ネモフィラの丘

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        Field of Nemophila in Hitachi Seaside Park

         

        茨城県の国営ひたち海浜公園のネモフィラは開花が例年に比べて約2週間早く、今が見頃のようです。私は先週、見に行ってきました。

         

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        ネモフィラはハゼリソウ科の1年草です。みはらしの丘に植えられている450万本のネモフィラは淡い青の花をつけるインシグニスブルーです。

         

        私は子供の頃、夏になると毎年のように阿字ヶ浦海岸を訪れていました。海岸のずっと北を見ると、そこには太平洋の波がはげしく打ちつける黒い桟橋がありました。その向こうには何があるのだろうと、私はいつも思っていたものです。そこが現在の国営ひたち海浜公園のある場所なのですが、そこはかつて旧日本陸軍の水戸東飛行場であり、戦後はアメリカ軍の対地射爆撃場として利用されていました。下の画像は1949年に米軍が撮影した同地域の航空写真です。

         

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        1938

        旧日本陸軍が県保有地・民有地を買収、水戸東飛行場を建設。

        19466

        連合国軍が接収、空軍の対地射爆撃場に指定。

        19527

        講和条約の発効により在日米軍の施設となる。

        19716

        在日米軍が射爆行為を停止。

        1973315

        水戸対地射爆撃場跡が日本政府に返還される。

         

        土地の古い人に聞けば、ここに飛行場があったことや、長い間、一般人が立ち入ることができない場所であったことを教えてくれますが、ほとんどの来園者はそのようなことに気づかないほど、今ではここに穏やかな風景がひろがっています。しかし、同公園の歴史をみてみると、この場所が日本に返還されてから、公園が開園し、次第に施設が拡張されて今の姿になるまでにはずいぶん時間がかかったようです。

         

        戦争の記憶が残る土地を、美しい花が咲く公園にするためには関係者の多くの努力があったことでしょう。射爆の標的となっていた場所には建設発生土が盛られて、みはらしの丘がつくられました。その一番高い場所には、平和への願いをこめたみはらしの鐘が立っています。


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