NASA本部前の通りを Hidden Figures Way と命名

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    Street Renaming Puts NASA Headquarters on Hidden Figures Way

     

    ワシントンDCのNASA本部前の通りが”Hidden Figures Way”と命名されました。

     

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    NASA本部はEストリート・サウスウエストの3番ストリートと4番ストリートの間にあります。スミソニアン航空宇宙博物館からも歩ける距離です。EストリートのNASA本部前が Hidden Figures Way と名づけられたわけです。

     

    Hidden Figuresは、NASA の初期の有人宇宙計画に大きな役割を果たしたアフリカ系アメリカ人女性たちを描いたマーゴット・リー・シェタリーの著書“Hidden Figures: The American Dream and the Untold Story of the Black Women Mathematicians Who Helped Win the Space Race”のタイトルです。「表に出てこなかった人たち」といった意味です。

     

    6月12日に行われた式典では、NAASのブライデンスタイン長官(一番左)の他、マーゴット・リー・シェタリー(一番右)も参加しました。

     

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    ”Hidden Figures“が原作となって制作された映画が、2017年に日本でも公開された『ドリーム』です。”Hidden Figures“や『ドリーム』に登場するキャサリン・ジョンソンさん、ドロシー・ヴォーンさん、メアリー・ジャクソンさんは実在の人物です。キャサリン・ジョンソンさんについては、ここにも書いてあります。

     

    ドロシー・ヴォーンさんは当時NASA で働いていた多くの黒人女性たちのパイオニアといえる存在でした。バージニア州ファームビルの高校教師だったドロシーさんは1943年にNASA の前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)のラングレー・リサーチ・センターで働きはじめます。

     

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    ドロシーさんはラングレー・リサーチ・センターの西エリア計算ユニットに配属されました。「人間コンピューター」として計算尺や機械式計算機を用いて航空分野の計算をするのが仕事でした。ドロシーさんたち黒人女性と、同じ仕事をする白人女性たちの仕事場は分けられており、ドロシーさんたちが隔離されていた建物が西ユニットでした。1949年にドロシーさんは西ユニットのスーパーバイザー(監督者)になりました。黒人女性のスーパーバイザーはNACA初のことでした。彼女の役職は1958年10月にNACA がNASA に改組されるまで続きました。NASA がスタートすると、黒人女性を隔離していた施設はなくなり、それとともにドロシーさんは新しいコンピューター部門に移りました。ドロシーさんは1971年にNASA をリタイアし、2008年に亡くなりました。

     

    ドロシーさんが長をしていた西エリア計算ユニットにメアリー・ジャクソンさんが雇われたのは1951年でした。2年後に超音速風洞実験の部署に配属されたメアリーさんは、これをきっかけにエンジニアになる道を目指します。

     

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    彼女が黒人女性として初のNASA のエンジニアになったのは1958年のことです。メアリーさんは1985年にNASA をリタイアし、2005年に亡くなりました。

     

    キャサリン・ジョンソンさんが西エリア計算ユニットにやってきたのは1953年の夏のことでした。2週間後、ドロシーさんは彼女を飛行研究部門に異動させます。キャサリンさんはそこで航空機の計算や航空機事故の調査に携わりました。ソ連との宇宙競争がはじまり、1958年にNASA が創設されると、有人宇宙飛行を目指すスペース・タスク・グループがラングレー・リサーチ・センター内に組織され、マーキュリー計画がスタートします。キャサリンさんがそこで重要な役割を果たしたことは、映画『ドリーム』で描かれた通りです。

     

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    キャサリンさんは1986年にNASA をリタイアしました。2015年、オバマ大統領はキャサリンさんに対して大統領自由勲章賞を授与しました。また、2016年9月にラングレーにオープンした計算センターは、彼女の業績をたたえ、キャサリン・ジョンソン・コンピュテーショナル・リサーチ・センターと命名されました。

     


    NASAのアルテミス計画:月面最初の女性宇宙飛行士

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      ArtemisThe First Female Astronaut on the Moon

       

      ペンス副大統領は326日の国家宇宙会議の演説で、NASAの月着陸のゴールを4年早めると同時に、「月面に立つ最初の女性と次の男性は、両方ともアメリカの宇宙飛行士でなくてはならない」とも語りました。

       

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      当初目標の2028年月着陸が4年早まった理由は、「中国はNASAが目標としている2028年より前に、中国の宇宙飛行士を月に送る計画をもっている」とアメリカが考えているからです。こうした憶測は以前からありましたが、おそらくアメリカはより確度の高い情報を得ていると思われます。

       

      さらにアメリカは、「中国が想定している月着陸クルーには、女性宇宙飛行士が含まれる」との情報もつかんでいるのです。現在の中国の宇宙飛行士部隊のメンバー構成をみれば、その女性宇宙飛行士が王亜平さんであることは間違いないでしょう。

       

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      王さんは人民解放軍空軍のパイロットで2010年に宇宙飛行士に選抜されました。2013611日に打ち上げられた神舟10号に搭乗し、劉洋さんにつづいて、宇宙を飛んだ2人目の中国人女性宇宙飛行士となりました。現在は中国が建設する宇宙ステーションのミッションに向けて訓練中です。

       

      中国の伝説では、月には「嫦娥」という女神が住んでいます。王さんは中国メディアの取材に答え、「月に行くことができたら、嫦娥のような衣装をまとってみたい」と語っています。「世界で最も美しい女性宇宙飛行士」と中国メディアに書かれる王さんが月面最初の女性宇宙飛行士となり、「月の女神」になってしまったら、中国の宇宙計画にとってこれほど大きな宣伝効果はありません。一方、アメリカにとってはきわめて大きな失点となります。

       

      「宇宙における劇的成果は世界のリーダーであることの重要な指標になりつつある」。アポロ計画のきっかけとなった、当時のリンドン・ジョンソン副大統領のメモの一節が思い出されます。

       

      かつてソ連は、「社会主義国では労働者の女性でも宇宙に行ける」ことを示すために、工場で働いていたワレンチナ・テレシコワさんをボストーク6号に搭乗させました。宇宙を飛んだ世界初の女性としてテレシコワさんはとても有名になりました。

       

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      ソ連共産党は、宇宙開発の成果を社会主義の勝利を示すプロパガンダとして利用しました。中国のその手法をよく学んでおり、宇宙開発を政治や外交のツールとして使っています。そのため、アメリカと中国の月着陸競争は、どちらが地上と宇宙の両方で主導権を握るかというきわめて政治的な側面をもたざるを得ないのです。


      NASAのアルテミス計画:その背景に中国の影

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        Artemis:A New Cold War with China?

         

        ペンス副大統領の3月26日の演説は、NASAの有人月着陸計画のゴールを4年も早めました。

         

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        なぜ、アメリカはそれほど有人月着陸を急ぐのでしょうか? すでにここにも書きましたが、その背景には中国の存在があります。

         

        中国は有人月着陸用の巨大ロケット、長征9号を開発中です。長征9号は2028年に初打ち上げの予定です。したがって、中国が有人月着陸に挑むのは2030年代前半と考えられています。しかし、アメリカは「中国はNASAが目標としている2028年より前に、中国の宇宙飛行士を月に送る計画をもっている」と判断したのでしょう。21世紀最初の有人月着陸で中国に先を越されることは、アメリカにとって絶対にあってはならないことです。

         

        ソ連との月着陸競争に勝利したアポロ計画を思い出してみましょう。1961年5月25日、ジョン・F・ケネディ大統領は議会で演説し、「1960年代が終わらないうちに人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」と宣言しました。

         

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        当時、アメリカとソ連は冷戦の時代にありました。宇宙での競争がはじまった時期で、ソ連は1957年10月の世界最初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げや1961年4月のユーリー・ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行を行っており、アメリカはソ連に先を越されていました。ケネディ大統領は宇宙におけるアメリカの優位性を確立するため、不可能とも思える目標を設定し、「この計画以上に完遂が困難であり、費用がかかるものはないでしょう」と語りました。ケネディのこの日の演説は、ソ連という名前は出さないものの、世界には「自由」に挑戦する動きがあるとし、自由という大義を守るためにアメリカが何をすべきかを述べたものでした。いくつもあげられた具体的な政策の最後に、月着陸競争に勝つことが必要と述べたのです。

         

        このケネディ演説のもととなったのが、当時の副大統領リンドン・ジョンソンが4月28日にケネディに送ったアメリカの宇宙政策に関するメモでした。そこには宇宙においてソ連に先行されている事実が述べられており、「他の諸国は、われわれの理想的な価値観を歓迎はするものの、将来世界のリーダーになるだろうと彼らが考える国、すなわち長期的な競争の勝者の側につく傾向があることを、われわれは認識しなくてはならない。宇宙における劇的成果は世界のリーダーであることの重要な指標になりつつある」。

         

        つまり、世界のリーダーの地位をかけて、アメリカがソ連にしかけた宇宙での競争がアポロ計画でした。

         

        最近の中国の宇宙への躍進は目覚ましく、2016年9月にはアメリカ議会で「われわれは中国との宇宙競争に負けつつあるのか?」という公聴会が行われたほど、アメリカでは危機感が高まっています。ペンス副大統領は2018年10月4日、アメリカのシンクタンク、ハドソン研究所での演説で、民主主義や市場経済のルールを無視して拡張を続ける中国をきびしく批判しました。

         

        そのように考えると、3月26日のペンス副大統領の演説は、ソ連と中国と競争相手は違うものの、1961年5月25日のケネディ大統領の演説と非常によく似ていることがわかります。ペンス副大統領はNASAが「どのような手段を用いても」ゴールを達成することを求め、「歴史は大きな夢をもち、不可能を成し遂げるものによって書かれる」と、演説をしめくくりました。

         

        奇しくもアポロ11号の月着陸からちょうど50年の今年、アメリカは宇宙での覇権を狙う中国に対して、アルテミス計画で競争をしかけたのです。その目的は、宇宙において、中国が絶対に追いつけないだけの差をつけることです。この競争は地上での米中の関係を反映したものです。米中間では「新たな冷戦」ともいえる対立の構図ができつつあり、この構図はしばらく続くと考えるべきでしょう。



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