宇宙飛行士にささぐ
今年もまた、NASA の ”Day of Remembrance” がやってきました。宇宙に挑んで生命を落とした宇宙飛行士たちに思いをはせる日です。

この時期はNASA にとって特別な意味をもっています。NASA の宇宙飛行士が死亡した3度の事故がこの時期に集中しているのです。
1967年1月27日、ケネディ宇宙センターの発射台で訓練をしていたアポロ1号で火災が発生し、クルーのバージル・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーが死亡しました。電気系統のショートが原因でした。宇宙船内では純粋酸素が使用されていたため、炎は瞬く間に広がり、飛行士は脱出することができませんでした。このころ、アメリカは1960年代が終わらないうちに月面に人間を送るアポロ計画を強力に推し進めていたのですが、この事故でアポロ計画は一時大きな危機を迎えることとなりました。
1986年1月28日には、スペースシャトル・チャレンジャー(51-L)が発射台を離れて73秒後に爆発し、7名のクルー、フランシス・スコビー、マイケル・スミス、ジュディス・レズニク、エリソン・オニヅカ、ロナルド・マクネア、グレゴリー・ジャービス、クリスタ・マコーリフの生命が失われました。原因は寒波が訪れていた時期にシャトルを打ち上げたために、O リングとよばれる固体燃料ブースターのゴム製部品が弾力性を失い、燃焼ガスがブースターから噴き出してしまったことによるものでした。この事故によって、シャトルは2年8か月の間、飛行が中断しました。
そして2003年の2月1日、地球に帰還するスペースシャトル・コロンビア(STS-107)はテキサス州上空で空中分解し、7名のクルー、リック・ハズバンド、ウィリアム・マックール、マイケル・アンダーソン、カルパナ・チャウラ、デイビッド・ブラウン、ローレル・クラーク、イラン・ラモンの生命が失われました。事故の原因はシャトル左翼前縁のRCC 耐熱材の破損によって、大気圏再突入時の高温ガスが機体内に侵入したためでした。事故後、シャトルの飛行は2年6か月にわって中断されました。
コロンビア事故から約1年後、NASA の2機の火星探査機が火星に軟着陸しました。2004年1月4日に着陸したスピリットのハイゲイン・アンテナの裏側には、コロンビア事故で命を落とした7名をしのぶ銘板がはられていました。

また、スピリットが着陸した場所はコロンビア・メモリアル・ステーションと名づけられました。コロンビア・メモリアル・ステーションからは地平線はるかに丘陵地帯が見わすことができました。その丘陵はコロンビア・ヒルズと名づけられ、それぞれの丘にクルーの名がつけられました。スピリットはその後、その1つであるハズバンドヒルを登ることになりました。また、着陸地点の西に見えた3つの丘陵にはアポロ1号のクルーの名前がつけられました。
1月25日に軟着陸したオポチュニティーの着陸地点はチャレンジャー・メモリアル・ステーションと名づけられました。
月の裏側にはアポロ・ベイスンとよばれる大きなくぼみがあります。ここのクレーターには、アポロ1号、51-L 、STS-107 のクルー、そして月着陸を目指しながら果たせなかったアポロ13号のクルーの名がつけられています。

これらの宇宙飛行士の名は、地球だけでなく、他の天体にもとどめられているのです。

この時期はNASA にとって特別な意味をもっています。NASA の宇宙飛行士が死亡した3度の事故がこの時期に集中しているのです。
1967年1月27日、ケネディ宇宙センターの発射台で訓練をしていたアポロ1号で火災が発生し、クルーのバージル・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーが死亡しました。電気系統のショートが原因でした。宇宙船内では純粋酸素が使用されていたため、炎は瞬く間に広がり、飛行士は脱出することができませんでした。このころ、アメリカは1960年代が終わらないうちに月面に人間を送るアポロ計画を強力に推し進めていたのですが、この事故でアポロ計画は一時大きな危機を迎えることとなりました。
1986年1月28日には、スペースシャトル・チャレンジャー(51-L)が発射台を離れて73秒後に爆発し、7名のクルー、フランシス・スコビー、マイケル・スミス、ジュディス・レズニク、エリソン・オニヅカ、ロナルド・マクネア、グレゴリー・ジャービス、クリスタ・マコーリフの生命が失われました。原因は寒波が訪れていた時期にシャトルを打ち上げたために、O リングとよばれる固体燃料ブースターのゴム製部品が弾力性を失い、燃焼ガスがブースターから噴き出してしまったことによるものでした。この事故によって、シャトルは2年8か月の間、飛行が中断しました。
そして2003年の2月1日、地球に帰還するスペースシャトル・コロンビア(STS-107)はテキサス州上空で空中分解し、7名のクルー、リック・ハズバンド、ウィリアム・マックール、マイケル・アンダーソン、カルパナ・チャウラ、デイビッド・ブラウン、ローレル・クラーク、イラン・ラモンの生命が失われました。事故の原因はシャトル左翼前縁のRCC 耐熱材の破損によって、大気圏再突入時の高温ガスが機体内に侵入したためでした。事故後、シャトルの飛行は2年6か月にわって中断されました。
コロンビア事故から約1年後、NASA の2機の火星探査機が火星に軟着陸しました。2004年1月4日に着陸したスピリットのハイゲイン・アンテナの裏側には、コロンビア事故で命を落とした7名をしのぶ銘板がはられていました。

また、スピリットが着陸した場所はコロンビア・メモリアル・ステーションと名づけられました。コロンビア・メモリアル・ステーションからは地平線はるかに丘陵地帯が見わすことができました。その丘陵はコロンビア・ヒルズと名づけられ、それぞれの丘にクルーの名がつけられました。スピリットはその後、その1つであるハズバンドヒルを登ることになりました。また、着陸地点の西に見えた3つの丘陵にはアポロ1号のクルーの名前がつけられました。
1月25日に軟着陸したオポチュニティーの着陸地点はチャレンジャー・メモリアル・ステーションと名づけられました。
月の裏側にはアポロ・ベイスンとよばれる大きなくぼみがあります。ここのクレーターには、アポロ1号、51-L 、STS-107 のクルー、そして月着陸を目指しながら果たせなかったアポロ13号のクルーの名がつけられています。

これらの宇宙飛行士の名は、地球だけでなく、他の天体にもとどめられているのです。
首都直下型地震:「4年以内の発生確率70%」の意味
「首都直下型などマグニチュード7クラスの地震が南関東で4年以内に発生する確率は70%」という報道が、ここ数日飛び交っています。東京大学地震研究所が発表したものですが、いかなるデータにもとづいているのか、どのような手法で導きだされた予測なのか、報道ではわかりません。それらは同研究所ウェブサイトの「2011年東北地方太平洋沖地震による首都圏の地震活動の変化について」に示されています。しかし、一般の方には多少理解が難しいところもあります。私自身もよくわからない点や確認したい点があったので、地震研究所に電話し、酒井慎一准教授にお話をうかがいました。以下は、そのときの内容も含めて、この試算の意味を検討したものです。
この試算ではまず、首都圏でのマグニチュード3以上の地震の数を、昨年3月11日の東北地方太平洋沖地震発生前後の半年間でくらべると、それまで47個であったものが、3月11日以降は343個に増加していることが示されています。そこで、3月11日以降の地震を「グーテンベルク・リヒター則」にあてはめてみました。グーテンベルク・リヒター則というのは、地震など自然界で発生する複雑な現象を統計処理する手法の1つです。地震の発生データに用いると、大きな地震はめったに起こらないが、小さな地震はたくさん起こるという経験則が得られます。このグーテンベルク・リヒター則で計算したところ、首都圏でマグニチュード7クラスの地震が発生する確率は「今後30年間で98%」、別な表現をすると、発生確率が70%になるのは「この先4年」という結果が得られました。
地震研究所の試算が述べているのはそれだけであり、それ以上でもそれ以下でもない点に注意しなければなりません。この点は酒井先生も強調されていました。つまり、「3月11日以降の首都圏の地震のデータをグーテンベルク・リヒター則にあてはめて、マグニチュード7クラスの地震の発生確率が70%になるポイントを求めたら今後4年であった」ということであり、本当に地震が起こるかどうかとは別の問題なのです。
グーテンベルク・リヒター則とは過去に起ったデータから経験則を導くための手法であり、地震の発生予測に用いるものではありません。さらに、ウェブ上でも述べられているように、「大きいマグニチュードについては、グーテンベルク・リヒター則から外れることもよくある」ので、この試算結果を、現実に起るかもしれないマグニチュード7クラスの地震と重ね合わせて考えることは危険です。ところが報道では、こうした点は飛びこされ、「4年以内の発生確率70%」という部分のみが独り歩きしてしまいました。
さらに今回、混乱をまねいているのは、これまで国が、南関東でのマグニチュード7クラスの地震の発生確率を「今後30年で70%」としてきた数値との関係です。地震研究所の試算は、東北地方太平洋沖地震に誘発された小さな地震から発生確率を求めたもので、「首都圏の地震活動が高まらなかったとしてもいずれ起きるはずの首都直下地震について試算することは、本研究ではできません」としています。つまり、この2つは扱っているデータも、計算の手法もことなり、お互いに関係がないのです。ところが、これまでは「今後30年」であったものが、東北地方太平洋沖地震の発生によって首都圏の地震活動が活発化し、「今後4年」にまで発生確率が高まったかのように受け取られる報道となってしまいました。これは間違いであり、酒井先生も本意ではないでしょう。もっとも、ウェブに掲載された図版では、「政府試算:今後30年で70%」から「グーテンベルク・リヒター則に基づく試算:30年で98%」に向けて太い矢印が引かれていますから、このように解釈されてしまうのも無理はないといえます。
東北地方太平洋沖地震によって、首都圏直下型地震の発生確率が高まったかどうかはきわめて重要な研究課題であるといえるでしょう。そのためには、首都圏の地下でどんなことが起こっているかを調べなくてはなりません。東北地方太平洋沖地震で東北地方は大きく動き、関東圏の陸塊との間に新たなストレスが生じたと考えられます。3月11日以降頻発している地震は、このストレスが徐々に緩和され、新たな平衡状態に達するまでの過程として発生しているものかもしれません。とすれば、今後、こうした地震の発生回数は減少していくでしょう。あるいは逆に、地震によって発生したストレスが直下型地震を発生させるメカニズムを刺激し、その前兆として小さな地震を多数誘発しているのかもしれません。となると、まさに直下型地震は切迫した状況と考えなくてはいけません。
こうしたことが解明されていけば、発生確率が高まっているかどうかを検証し、より精度の高い発生予測が可能になるでしょう。くりかえしになりますが、今回の地震研究所の試算は、こうした研究とは別のところで、3月11日から半年間のデータで経験則を導いたものです。
今回の試算結果(実際は昨年9月に発表されたもの)は、メディア上で思わぬ広がりでみせました。社会的関心が非常に高い問題であるだけに、説明には慎重な配慮が必要です。また、科学的にコアの部分は査読つきの学術誌に投稿する必要もあったのではないでしょうか。
大地震はいつ発生するかわからず、日ごろから対策を立てておくことが重要です。突然の電話にもかかわらず、私の質問にいろいろ答えていただいた酒井先生に感謝します。
この試算ではまず、首都圏でのマグニチュード3以上の地震の数を、昨年3月11日の東北地方太平洋沖地震発生前後の半年間でくらべると、それまで47個であったものが、3月11日以降は343個に増加していることが示されています。そこで、3月11日以降の地震を「グーテンベルク・リヒター則」にあてはめてみました。グーテンベルク・リヒター則というのは、地震など自然界で発生する複雑な現象を統計処理する手法の1つです。地震の発生データに用いると、大きな地震はめったに起こらないが、小さな地震はたくさん起こるという経験則が得られます。このグーテンベルク・リヒター則で計算したところ、首都圏でマグニチュード7クラスの地震が発生する確率は「今後30年間で98%」、別な表現をすると、発生確率が70%になるのは「この先4年」という結果が得られました。
地震研究所の試算が述べているのはそれだけであり、それ以上でもそれ以下でもない点に注意しなければなりません。この点は酒井先生も強調されていました。つまり、「3月11日以降の首都圏の地震のデータをグーテンベルク・リヒター則にあてはめて、マグニチュード7クラスの地震の発生確率が70%になるポイントを求めたら今後4年であった」ということであり、本当に地震が起こるかどうかとは別の問題なのです。
グーテンベルク・リヒター則とは過去に起ったデータから経験則を導くための手法であり、地震の発生予測に用いるものではありません。さらに、ウェブ上でも述べられているように、「大きいマグニチュードについては、グーテンベルク・リヒター則から外れることもよくある」ので、この試算結果を、現実に起るかもしれないマグニチュード7クラスの地震と重ね合わせて考えることは危険です。ところが報道では、こうした点は飛びこされ、「4年以内の発生確率70%」という部分のみが独り歩きしてしまいました。
さらに今回、混乱をまねいているのは、これまで国が、南関東でのマグニチュード7クラスの地震の発生確率を「今後30年で70%」としてきた数値との関係です。地震研究所の試算は、東北地方太平洋沖地震に誘発された小さな地震から発生確率を求めたもので、「首都圏の地震活動が高まらなかったとしてもいずれ起きるはずの首都直下地震について試算することは、本研究ではできません」としています。つまり、この2つは扱っているデータも、計算の手法もことなり、お互いに関係がないのです。ところが、これまでは「今後30年」であったものが、東北地方太平洋沖地震の発生によって首都圏の地震活動が活発化し、「今後4年」にまで発生確率が高まったかのように受け取られる報道となってしまいました。これは間違いであり、酒井先生も本意ではないでしょう。もっとも、ウェブに掲載された図版では、「政府試算:今後30年で70%」から「グーテンベルク・リヒター則に基づく試算:30年で98%」に向けて太い矢印が引かれていますから、このように解釈されてしまうのも無理はないといえます。
東北地方太平洋沖地震によって、首都圏直下型地震の発生確率が高まったかどうかはきわめて重要な研究課題であるといえるでしょう。そのためには、首都圏の地下でどんなことが起こっているかを調べなくてはなりません。東北地方太平洋沖地震で東北地方は大きく動き、関東圏の陸塊との間に新たなストレスが生じたと考えられます。3月11日以降頻発している地震は、このストレスが徐々に緩和され、新たな平衡状態に達するまでの過程として発生しているものかもしれません。とすれば、今後、こうした地震の発生回数は減少していくでしょう。あるいは逆に、地震によって発生したストレスが直下型地震を発生させるメカニズムを刺激し、その前兆として小さな地震を多数誘発しているのかもしれません。となると、まさに直下型地震は切迫した状況と考えなくてはいけません。
こうしたことが解明されていけば、発生確率が高まっているかどうかを検証し、より精度の高い発生予測が可能になるでしょう。くりかえしになりますが、今回の地震研究所の試算は、こうした研究とは別のところで、3月11日から半年間のデータで経験則を導いたものです。
今回の試算結果(実際は昨年9月に発表されたもの)は、メディア上で思わぬ広がりでみせました。社会的関心が非常に高い問題であるだけに、説明には慎重な配慮が必要です。また、科学的にコアの部分は査読つきの学術誌に投稿する必要もあったのではないでしょうか。
大地震はいつ発生するかわからず、日ごろから対策を立てておくことが重要です。突然の電話にもかかわらず、私の質問にいろいろ答えていただいた酒井先生に感謝します。
オームの法則は原子レベルのスケールでも成立
半導体の加工技術は1ナノメートルのオーダー、すなわち原子サイズのスケールにまで達しつつあります。このサイズにまでなると、自由電子の移動が妨げられて抵抗が増加するため、電子回路の基礎であるオームの法則が成り立たないと考えられてきました。ところが、『サイエンス』誌の1月6日号に、「オームの法則は原子レベルのスケールでも成立」という論文が発表されており、読んでみました。
オーストラリア、ニューサウスウエールズ大学量子計算および通信技術センターの研究者らは、シリコン結晶中にリン化水素をドーピングし、幅がリン原子4個分(1.5ナノメートル)、厚さがリン原子1層分(0.4ナノメートル)の「電線」を作成することに成功しました。これに電流を流したところ、抵抗値は1cm あたり約0.3ミリオームときわめて低く、電流密度は銅線と同等だったとのことです。原子レベルのスケールでも抵抗値の低い電線を作成することが可能であることは、現在の半導体回路を原子レベルにまで微細化する際にも、また量子コンピューターなどで用いる量子回路の開発にも有効であると、著者らは述べています。
作成した5本の電線について、その長さと抵抗値を計ってプロットしてみたところ、データは直線状に並び、このサイズの電線でもオームの法則が成り立っていたと、論文では報告しています。
この論文の意義は、原子レベルのスケールでも実用的な回路作成が可能になったという点にあるのでしょう。それを、タイトルを「オームの法則は原子レベルのスケールでも成立」として、『サイエンス』の編集者や読者に「おやっ? 読んでみよう」という気にさせたあたりに、「論文投稿のこつを心得ているな」という印象をもたせる論文でした。
オーストラリア、ニューサウスウエールズ大学量子計算および通信技術センターの研究者らは、シリコン結晶中にリン化水素をドーピングし、幅がリン原子4個分(1.5ナノメートル)、厚さがリン原子1層分(0.4ナノメートル)の「電線」を作成することに成功しました。これに電流を流したところ、抵抗値は1cm あたり約0.3ミリオームときわめて低く、電流密度は銅線と同等だったとのことです。原子レベルのスケールでも抵抗値の低い電線を作成することが可能であることは、現在の半導体回路を原子レベルにまで微細化する際にも、また量子コンピューターなどで用いる量子回路の開発にも有効であると、著者らは述べています。
作成した5本の電線について、その長さと抵抗値を計ってプロットしてみたところ、データは直線状に並び、このサイズの電線でもオームの法則が成り立っていたと、論文では報告しています。
この論文の意義は、原子レベルのスケールでも実用的な回路作成が可能になったという点にあるのでしょう。それを、タイトルを「オームの法則は原子レベルのスケールでも成立」として、『サイエンス』の編集者や読者に「おやっ? 読んでみよう」という気にさせたあたりに、「論文投稿のこつを心得ているな」という印象をもたせる論文でした。
スペースシャトル以後:有人宇宙飛行の新たな時代へ
スペースシャトル計画の終了により、宇宙飛行士や技術者など多くの人々がNASA を離れています。シャトル最後のフライトSTS-135 のコマンダーだったクリス・ファーガソンさんやその前のSTS-134 のコマンダー、マーク・ケリーさんなどもすでにNASA を去りました。少しさびしい感じがしますが、シャトル計画の遺産はさまざまな場所で受け継がれ、有人宇宙飛行の新しい時代を築いていくことになるのでしょう。
10年以上にわたってスペースシャトルのローンチ・ディレクターをつとめたマイク・ラインバッハさんもNASA を離れ、ULA(United Launch Alliance)で新たなチャレンジに取り組むことになったようです。

ULA はロッキード・マーチン社のアトラス5 ロケットとボーイング社のデルタ4 ロケットによる人工衛星打ち上げを行っています。今後、商用有人宇宙飛行の打ち上げも行うため、有人打ち上げについてのラインバッハさんの豊富な知識と経験が必要とされています。
シャトル打ち上げ時のNASA のライブ映像で、ケネディ宇宙センターの打ち上げ管制室(Firing Room 4 といいます。NASA の有人ロケット打ち上げの歴史を感じさせる名称です)で指揮をとるラインバッハさんの姿を、皆さんもよく見かけたことと思います。私にとってとくに印象に残っているのは、STS-135 の打ち上げで見せた見事な判断でした。
このブログで何度も書いたことがあるように(たとえばこれ)、スペースシャトルの打ち上げは、約3日前からカウントダウンとホールド(カウントダウンの中断)をくり返しながら準備を進めていきます。打ち上げの最終判断はT−9分に行われ、以後は打ち上げの自動シークエンスが進みます。ところが、STS-135 ではT−31秒でカウントダウンが停止してしまったのです。打ち上げの自動シークエンス開始後、T−5分にかくされたホールドが組みこまれており、たまにここでのホールドが行われますが、T−31秒でのカウントダウン停止は、シャトルの歴史上はじめてのことでした。

T−5分後のカウントダウン停止は過去に5回ありました。1984年のSTS-41D、1985年のSTS-51F、1993年のSTS-55とSTS-51、1994年のSTS-68で、いずれもT−6.6秒のメインエンジン点火後、メインエンジンの不具合あるいは異常な信号が検知されて緊急停止したものです。すべての場合で、その日の打ち上げは中止されました。
STS-135 では、酸素ベントアームの引きこみを確認する信号が受信されなかったため、コンピューターが自動的にカウントダウンを停止させました。酸素ベントアームは打ち上げ直前まで液体酸素タンクの圧力を逃がしておく役目を果たしています。液体酸素タンクの加圧後、アーム先端のキャップが外部燃料タンク頂部から離れはじめるのはT−2分50秒です。ライブ映像でこのシーンを見ると、「いよいよ発射だ!」という気分になったものです。

アームが整備塔側に完全に引きこまれていなければ、打ち上げ時にシャトルの機体を傷つけてしまう危険性があります。酸素ベントアームがシャトルから離れたことは映像に写っていましたが、完全に引きこみ位置で保持されているかどうか、下から確認する必要がありました。しかし、作業員はすでに発射台周辺から退避しており、目視での確認は不可能です。
それまでに例がなかった事態が発生しても、ラインバッハさんは落ち着いていました。状況をチェックし、酸素ベントアームの引きこみ確認に問題があることがわかると、ラインバッハさんは「カメラ062」の映像をモニターに表示するよう指示しました。映し出された映像には、アームが引きこまれている状態が写っていました。ラインバッハさんはそれを確認すると、打ち上げシークエンス再開を指示しました。T−31秒からのカウントダウンが開始され、アトランティスは無事に最後の宇宙へと飛び立ちました。
この間の一部始終はNASA のライブ映像でそのまま流れました。下は、そのときのカメラ062 からの映像です。

発射台の周辺には、シャトルの打ち上げをさまざまな角度から監視・記録するために、多数のカメラが設置されていました。カメラ062 は「酸素ベントアームの引きこみを映像で遠隔確認することが必要になる状況が発生するかもしれない」という想定のもとに、整備塔を見上げる角度で設置されました。これまで一度も使われずにきたものが、最後の最後になって必要になったのです。
また、T−31秒というのは、打ち上げシークエンスが地上のコンピューターからシャトルのコンピューターにバトンタッチされ、シャトルのコンピューターでの自動シーケンスが開始されるタイミングにあたります。シャトルの打ち上げプログラムには、こんなこともあろうかと、ここでのホールドもあらかじめ組みこまれていたわけです。
国際宇宙ステーション(ISS)にドッキングするミッションでは、シャトル打ち上げのウインドウは狭く、STS-135 では10分間でした。この間に問題が解決されなければ、打ち上げを延期せざるを得ません。ラインバッハさんの的確な指示で、カウントダウンの中断は2分19秒ですみました。その2分19秒間に、NASA が長い時間をかけて培ってきた有人打ち上げ技術の成果が凝縮していました。スペースシャトル最後の打ち上げで、ラインバッハさんはNASA の底力を示してくれたのです。
10年以上にわたってスペースシャトルのローンチ・ディレクターをつとめたマイク・ラインバッハさんもNASA を離れ、ULA(United Launch Alliance)で新たなチャレンジに取り組むことになったようです。

ULA はロッキード・マーチン社のアトラス5 ロケットとボーイング社のデルタ4 ロケットによる人工衛星打ち上げを行っています。今後、商用有人宇宙飛行の打ち上げも行うため、有人打ち上げについてのラインバッハさんの豊富な知識と経験が必要とされています。
シャトル打ち上げ時のNASA のライブ映像で、ケネディ宇宙センターの打ち上げ管制室(Firing Room 4 といいます。NASA の有人ロケット打ち上げの歴史を感じさせる名称です)で指揮をとるラインバッハさんの姿を、皆さんもよく見かけたことと思います。私にとってとくに印象に残っているのは、STS-135 の打ち上げで見せた見事な判断でした。
このブログで何度も書いたことがあるように(たとえばこれ)、スペースシャトルの打ち上げは、約3日前からカウントダウンとホールド(カウントダウンの中断)をくり返しながら準備を進めていきます。打ち上げの最終判断はT−9分に行われ、以後は打ち上げの自動シークエンスが進みます。ところが、STS-135 ではT−31秒でカウントダウンが停止してしまったのです。打ち上げの自動シークエンス開始後、T−5分にかくされたホールドが組みこまれており、たまにここでのホールドが行われますが、T−31秒でのカウントダウン停止は、シャトルの歴史上はじめてのことでした。

T−5分後のカウントダウン停止は過去に5回ありました。1984年のSTS-41D、1985年のSTS-51F、1993年のSTS-55とSTS-51、1994年のSTS-68で、いずれもT−6.6秒のメインエンジン点火後、メインエンジンの不具合あるいは異常な信号が検知されて緊急停止したものです。すべての場合で、その日の打ち上げは中止されました。
STS-135 では、酸素ベントアームの引きこみを確認する信号が受信されなかったため、コンピューターが自動的にカウントダウンを停止させました。酸素ベントアームは打ち上げ直前まで液体酸素タンクの圧力を逃がしておく役目を果たしています。液体酸素タンクの加圧後、アーム先端のキャップが外部燃料タンク頂部から離れはじめるのはT−2分50秒です。ライブ映像でこのシーンを見ると、「いよいよ発射だ!」という気分になったものです。

アームが整備塔側に完全に引きこまれていなければ、打ち上げ時にシャトルの機体を傷つけてしまう危険性があります。酸素ベントアームがシャトルから離れたことは映像に写っていましたが、完全に引きこみ位置で保持されているかどうか、下から確認する必要がありました。しかし、作業員はすでに発射台周辺から退避しており、目視での確認は不可能です。
それまでに例がなかった事態が発生しても、ラインバッハさんは落ち着いていました。状況をチェックし、酸素ベントアームの引きこみ確認に問題があることがわかると、ラインバッハさんは「カメラ062」の映像をモニターに表示するよう指示しました。映し出された映像には、アームが引きこまれている状態が写っていました。ラインバッハさんはそれを確認すると、打ち上げシークエンス再開を指示しました。T−31秒からのカウントダウンが開始され、アトランティスは無事に最後の宇宙へと飛び立ちました。
この間の一部始終はNASA のライブ映像でそのまま流れました。下は、そのときのカメラ062 からの映像です。

発射台の周辺には、シャトルの打ち上げをさまざまな角度から監視・記録するために、多数のカメラが設置されていました。カメラ062 は「酸素ベントアームの引きこみを映像で遠隔確認することが必要になる状況が発生するかもしれない」という想定のもとに、整備塔を見上げる角度で設置されました。これまで一度も使われずにきたものが、最後の最後になって必要になったのです。
また、T−31秒というのは、打ち上げシークエンスが地上のコンピューターからシャトルのコンピューターにバトンタッチされ、シャトルのコンピューターでの自動シーケンスが開始されるタイミングにあたります。シャトルの打ち上げプログラムには、こんなこともあろうかと、ここでのホールドもあらかじめ組みこまれていたわけです。
国際宇宙ステーション(ISS)にドッキングするミッションでは、シャトル打ち上げのウインドウは狭く、STS-135 では10分間でした。この間に問題が解決されなければ、打ち上げを延期せざるを得ません。ラインバッハさんの的確な指示で、カウントダウンの中断は2分19秒ですみました。その2分19秒間に、NASA が長い時間をかけて培ってきた有人打ち上げ技術の成果が凝縮していました。スペースシャトル最後の打ち上げで、ラインバッハさんはNASA の底力を示してくれたのです。
国際宇宙ステーションを見よう
下の写真はNASAが発表しているもので、今年1月4日にヒューストンで撮影されました。月とその近くを通るISS(国際宇宙ステーション)が写っています。


ISSは、肉眼でもはっきり見ることができます。しかし、あっという間に通り過ぎてしまいますので、出現する正確な時刻と方角をあらかじめ確認しておく必要があります。ISSは観測条件が良ければ1等星以上の明るさで輝いていますから、それさえ知っていれば、見逃す心配はありません。
ISSの目視予想情報はJAXAの「きぼう」を見ようのページで調べられます。今回、スマートフォンにも対応しました。私も早速、自分の携帯のお気に入りに入れました。

これからは、ISSを見ることが多くなりそうです。


ISSは、肉眼でもはっきり見ることができます。しかし、あっという間に通り過ぎてしまいますので、出現する正確な時刻と方角をあらかじめ確認しておく必要があります。ISSは観測条件が良ければ1等星以上の明るさで輝いていますから、それさえ知っていれば、見逃す心配はありません。
ISSの目視予想情報はJAXAの「きぼう」を見ようのページで調べられます。今回、スマートフォンにも対応しました。私も早速、自分の携帯のお気に入りに入れました。

これからは、ISSを見ることが多くなりそうです。